「みなさんにはインヤンガイに向かっていただきたいのです」 世界司書、リベル・セヴァンが告げた。 いまだ居所がわからない館長。しかし、少しずつ、消息を絶って以来のその足取りが掴めてきている。目下のところ、最後に彼の所在が確認されたのはインヤンガイということで間違いないようだ。 一時期を『永久戦場・カンダータ』で過ごしたあと、かれらの異世界侵攻軍とともにインヤンガイにやってきた。だがそのあと軍を出奔し、行方不明になったあと、再びインヤンガイの暴霊域で姿を見られている。「ロストレイルにもスレッドライナーにも乗れない以上、館長は『まだインヤンガイにいる』……そう考えるのが自然です。ですからインヤンガイで大規模な捜査を行うことには意味があるでしょう。もしこの捜索で館長が見つからなくとも、それはそれで事態としては前進です。可能性をひとつひとつ潰していくこと――、それによって私たちは少しずつでも真相に近づけるのですから」 リベルは言った。 かくして、大勢のロストナンバーがインヤンガイへと向かうことになった。 今回も、頼みとするのは現地の探偵たちである。 複雑なインヤンガイの社会の隅々までネットワークを持つ探偵たちの力を、この捜査ではフル活用することになる。ロストナンバーは数名ずつ、インヤンガイ各地に散り、その地を縄張りとする探偵と協力して考えうる限りの捜索活動に力を注ぐのだ。 すでに、探偵への声掛けは行われており、「もしかすると館長に関係するかもしれない情報」について、集まり始めているという。ロストナンバーがその真贋を見極めに行くことになる。「みなさんに向かっていただくのはこの街区です。縄張りとする探偵は――」 リベルはてきぱきと、担当を割り振っていく。 + + + ここは、アーグウル街区。あの美麗花園(メイライガーデン)と隣接した地域である。 柵ひとつ隔てた向こうに暴霊域が広がっているにしては、比較的、猟奇事件は少なめで――とはいえ、あくまでもインヤンガイ基準において、という注釈つきではあるが――この街区の探偵は総じて人当たりが良く、他所からの来訪者に協力的だという傾向がある。 去る『巡節祭』の夜、アリッサを含む一行は、館長が美麗花園へ赴いたという情報をこの地で得た。目撃したのは、この街区で生まれ育ったという探偵、カイ・フェイである。「この街区にゃちょっと変わったホテルがあって、そこの長期滞在客にそれらしい紳士がいるって聞いたんだ。俺がこの目で見たわけじゃないんで、とび色の瞳のお嬢ちゃんの探しびとかどうかは、今ひとつ確信が持てないんだけどな」 そのカイが、今回も、館長とおぼしき人物の情報をつかんだのだが、いかんせん、噂と伝聞によるものなので、今の段階では何ともいえないらしい。「その紳士と会ったのは同業の探偵なんだが……。酒場で起きた、殺人事件の現場でな。酒場女が酔った常連客ともめて、そいつを刺しちまって。まあ、そこらにごろごろしてる事件だと皆が思ったし、呼ばれた探偵もそう思った。だが、客として居合わせたその紳士だけが、それが計画殺人だと見抜いて、別に黒幕がいることを指摘したんだと」 濃い灰色の髪の探偵は、くわえ煙草のまま話し始めたが、突然、はっとなり、「おおっと失礼」と、おもむろに携帯灰皿を取り出し煙草の火を消した。見かけによらず気配りが細やかな男のようだ。 カイの頬から顎にかけて、逆十字型の傷痕がある。焼きごてで刻印されたような凄惨さに誰かが息を呑むのを見て、「あー、これなぁ、子供んとき異界路で遊んでて、うっかり転んで。あれは秋の日の夕暮れ時……」と、この際まったくどうでもいい言い訳ストーリーで横道にそれるあたり、少年時代に高層階の富裕層のなぐさみものになったとか、娼婦連続殺人鬼と一戦交えたときの名誉の負傷だとか、耽美だったり猟奇的だったりな過去エピソードとは無縁な、単なるどじっこ探偵のようであった。 街区の南、異界路(イージェルー)と呼ばれる細い街路へと、探偵はいざなう。 インヤンガイの基準をはみ出した歪な建物が並んでいる通りであり、そこに『螺旋飯店(ルオシュエンホテル)』は、ゆらりと建っている。 建物そのものは瀟洒なつくりだ。蜂蜜色の重厚な石材で組まれており、英国貴族のマナーハウスを髣髴とさせる。しかし、幾重にも絡みつく蔦で鬱蒼と覆われているため、美しい外観は隠され、双頭の竜の意匠が刻まれた鉄製の入口扉は、旅人を拒むがごとくものものしい。 もともとは個人所有の、いつ誰が建てたかもわからぬ洋館であったものを、物好きな経営者が買い取り、ホテルに改築したのだという。その際、なぜ『螺旋飯店』という名前にしたのかは、謎に包まれている。「わけありな客を、とびっきり高い料金で泊めるんだとさ。ここの従業員は腕利きぞろいで、逗留客の身の安全を何としても守るそうだ。だから、たとえ一流の殺し屋に追われてようと、暴霊に絡まれてようと、ルオシュエンホテルに逃げ込みさえすれば大丈夫とまで言われている」 おそらく、その紳士の素性をフロントで聞いても答えてはくれないだろうし、正攻法で面会を求めてたとしても、門前払いをされてしまうだろう。「さて、名探偵を調査するには、どうすればいいと思う?」 そう言って探偵は、肩を竦めた。 異形のホテルは、ほくそ笑むように、旅人たちを見つめている。!注意!イベントシナリオ群『インヤンガイ大捜査線』は、同じ時系列の出来事を扱っています。同一のキャラクターによる『インヤンガイ大捜査線』シナリオへの複数参加はご遠慮下さい。また、このシナリオは『ヴォロス特命派遣隊』『ブルーインブルー特命派遣隊』に参加している人は参加できません。合わせてご了承下さい。
ACT.1■異界路:標的に至るプロセス 螺旋飯店に限らず、異界路沿いの建物はどれもインヤンガイの様式を踏み外している。 たとえば、砂漠の国を思わせる、特徴的な丸屋根の宮殿。瓦屋根に金色の魚をあしらった天守閣。複数の華麗な尖塔を持つ城館。いっさいの装飾を排除した岩の要塞。それらが無秩序に並んでいるのだ。 しばらく立ち止まり、眺めていると、時空が歪んていくような感覚に囚われる。 ここは、どこなのか。今は、いつなのか。自分はいったい誰なのか。 なぜ、ここに来たのか。何をするつもりなのか。いったい自分は、旅を続けたいのか、終わらせたいのか。謎を解きたいのか、このままにしておきたいのか。螺旋状の迷路を永遠に彷徨い続けているような、あるいは、白と黒のチェス盤が、めまぐるしく反転しているような――捉えどころのない、心のざわつき。 ほの暗い太陽が、西の空に沈む。 藍色に染まったルオシュエンホテルを、深海魚が放つ光にも似た街灯が、淡くゆっくりと照らし始めた。 「ふぅん。何だか、小説みたいだねぇ」 ウーヴェ・ギルマンは、面白そうに笑う。彼にはいっさいの気負いも緊張もない。着崩した看守服を身につけたウーヴェは、この場には不思議に似つかわしかった。 「探偵より探偵らしいって、それが本当に館長さんだったりしたらすごいよねぇ。さすらいの名探偵館長ぉー、なんてねぇ。そのうちに、名探偵館長の活躍エピソードが単行本化されて世界図書館に置かれたりして」 「やっぱり館長は、あのホテルにいる人なのかな?」 臣雀が、子猫のような瞳を少し細め、無邪気に言った。お団子状のツインテールにふちどられた愛くるしい顔立ちに、ミニのチャイナ服がよく似合う。インヤンガイは初めてなのだが、出身世界が似通った雰囲気のところだったこともあり、彼女も随分リラックスしていた。 「ふふ、冗談だよー冗談。その名探偵が館長さんかどうかは調べてみないとねぇ」 「興味深いね、とても。私は、その紳士が館長でなくてもかまわないよ」 ――知りたいものだね。本当は、どんな人物なのか。 ベルダは腕組みをして、考えを巡らしている。ベルダもまた、まるでここが故郷でもあるかのように、異界路の光景にしっくりと馴染んでいた。カジノディーラーとして世界中を回っていた彼女には、ラスベガスあたりの方がよほどスケールの大きな様式混在の異世界なのかも知れない。 「……さあて、どうやってあぶり出すかだね」 「正攻法は無理ということだったね? だったら、裏口からの潜入も難しい?」 篠宮紗弓が、カイを振り返る。しなやかな黒髪が揺れた。 普段は和装を好む紗弓だが、今は、細身の身体にぴったり合った動きやすい服装である。依頼を受けたときから、これは隠密行動になりそうだと考えての身支度であった。 穏やかな銀の瞳に見つめられ、カイは少し焦る。 「あ、ああ。螺旋飯店は何よりもセキュリティを重視している。だから『裏口』自体、設けられていない。入口は一カ所だけだ。従業員でさえ、ホテル内へ入るには正面扉からロビーを抜け、フロントを通過しなければならないんだ」 「……そう。困ったな。従業員になりすますというのは?」 「それも難しいな」 「どうして?」 「フロントマンとしてレセプションにいるのは、支配人の黄龍(ファンロン)自身だからだ。彼の目を誤摩化すことは不可能だと思う。なにしろ、螺旋飯店の従業員は他に4人しかいないからな。少年がふたり、少女がふたり」 蒼(ツァン)。墨(ムオ)。紅花(ホンファ)。雪花(シュエファ)。皆、とても若いが、ファンロンが選び抜いたうえで雇ったのだという。 特徴的なのは、支配人をも含めて全員、絹の仮面で目元を隠しており、それがホテルの制服代わりという点だ。その理由は、業務を離れたプライベートのとき、螺旋飯店の関係者であることを悟られないためであり、それはすなわち、事情を抱えている宿泊客への配慮でもあるという。 「腕利きの従業員てのは、その4人だけ? あんな大きなホテルにかい?」 ベルダが不審げに眉を寄せる。 「それで十分らしい。本来の部屋数がいくつあるのかは知らんが、客室として稼働しているのは4部屋だけだ。つまり宿泊客は最高でも4人を超えることはない。対応する従業員の数が増えると、秘密保持も怪しくなってくるからということらしいな」 「えええー、裏口ないのぉ?」 雀が、がっかりした声を上げる。 「お金ないからお客さんにはなれないし、表がダメなら裏から行くのは基本じゃん。あたしの食い逃げ大作戦、決行できないよぉ。厨房にこっそり忍び込んで、お客さんに出す料理、つまみ食いするつもりだったのに!」 「……それは、裏口の有無に関係なく、見つかっちゃうんじゃないの?」 天真爛漫な雀のストレートな潜入案に、紗弓は少し微笑む。 「うん、そうなんだけどね!」 雀はにこにこする。 「絶対見つかってとっちめられるから、ごめんなさいお金もってないんで弁償できません、しばらくここで働かせてくださいっ、ていおうと思ったの。腕利きしか雇わないっていわれても、あたし、呪符使えるから問題ないもん」 「なるほどねぇ。それだったら、うまく内部に潜り込める可能性はあったかもしれないね……」 あどけない雀が気がかりな紗弓は、彼女がホテルに潜入を希望するのであれば、一緒に行動しようと考えていた。 従業員のふりをするのが不可能ならば、囮と実働に分かれるか――、だが。 (危険な囮役は、私が引き受けるつもりだけれど。ホテルに入れないことには……) 潜入を想定し、小回りの利く武器として携帯したナイフには、神経を瞬時に麻痺させる薬を塗ってある。従業員に見つかったときに、一撃で意識を失わせ、おとなしくしてもらうためだ。 ホテル内には監視カメラのような設備もあるのだろう。それでも、死角をぬって行動することは、紗弓にはたやすい。従業員がどれだけ腕が立とうと、それは関係ない。潜入さえしてしまえば、何とかなるのに。 考え込む紗弓をよそに、ウーヴェがのんびりとカイに問う。 「なんだかんだで詳しいねー、カイ君。やっぱ、地元の人だからかなぁ?」 「それもあるが、従業員のひとり、紅花(ホンファ)は、俺の妹なんでなぁ」 「妹ぉ?」 何でもないことのようにあっさり言ったので、聞いたウーヴェのほうが絶句した。思わず、女性陣3人と顔を見合わせる。 「そういう重要な情報は、もっと早く教えてほしいね」 ベルダが苦笑する。しかしカイは、きょとんとしたままだ。 「重要か? 別に、関係ないと思うんだが」 「関係大ありだよぉ。紅花ちゃんに協力してもらえば話早いのにぃ」 ウーヴェに言われてようやくカイは、ああ、そういう意味かと腑に落ちた顔になった。が、すぐに首を横に振る。 「それこそ、天地がひっくり返っても無理な相談だ。螺旋飯店の従業員は、業務上知り得た宿泊客の情報を外部に漏らすことはない。親兄弟に聞かれても、絶対に話さない。たとえ、脅してもすかしても取っ捕まえて拷問しても、紅花が口を割ることはないと思うぞ」 「そうなんだ……。お兄ちゃんのカイさんがお願いしてもダメなの?」 雀が目を見開いて、小首を傾げる。カイはぽりぽりと頭を掻いた。 「仕事には真面目な娘なんだ。俺がそそっかしいせいか、紅花はやたらしっかり者になっちまってなぁ……。そういや少し、雀ちゃんに似てるかな。年も近い。まだ14だ」 「へえ。会ってみたい。お友達になれるかな?」 「……業務時間外ならな。仕事中のあいつは、難攻不落の守りと怒濤の攻撃力を誇る刃物使いだ。いつぞや、わけあり客を狙った暗殺者が2階の窓をぶち破って侵入したときは、肉切り包丁を飛ばして頭と胴体をぶった切ったそうだぞ」 「僕、侵入とか苦手だからやめとくー。紗弓ちゃんと雀ちゃんにまかせちゃおうかなー」 こわいねー、と、さして怖くもなさそうな口調で、ウーヴェは大げさに身震いをした。 「で、カイ君にお願いがあるんだけどぉ。酒場で起こった殺人事件の話、もっと詳しく聞きたいかなぁ。居合わせた人たちは、名探偵紳士さんのことを間近で見てるわけだよねぇ?」 ウーヴェの指摘に、ベルダが頷く。 「それは私も気になっていた。その紳士は、わけありの身に違いないのに、支配人や従業員たちが守ってくれてる安全なホテルを抜け出して、夜遅くに外出したってことだからねえ」 「だからカイ君。面目丸つぶれになっちゃったその探偵さんに、連絡取ってくれないかなぁ? 知り合いなんだよね?」 名探偵さんがどんな推理で黒幕見破ったのか興味あるし、何より面白そうだしねー、と付け加えたウーヴェは、調査というより野次馬気分のほうが勝っているようではあった。 ACT.2■酒場『美麗』:罠か囮か ホテルからさして離れていない場所にあるその酒場は、『美麗(メイライ)』といった。 聞き覚えのある店名からわかるように、今は死の街として封鎖されている隣の街区、美麗花園出身の女が経営者である。彼女がこちらの街区に引っ越して、そのまま住み着いたのは10年前。おかげで命拾いをしたということだ。 現場に居合わせた探偵は、この店の常連でもあったので、呼び出すこと自体は雑作もなかった。だが、カイは4人を店に案内するのをしばらく渋った。3人の大人はともかく、まだ小さな雀を場末の酒場に連れて行くのは抵抗があったのである。 「うふふ、大丈夫だよ。カイさんて、ドジで人としてダメっぽいところがお兄ちゃんに似てる。なんかそばにいると安心するし、カイさんのこと信用してるよ」 「そうか? 雀ちゃんにそんなに褒めてもらうと照れくさいな」 「……褒めてるかなぁ?」 そんなことを話しているうちに、店に着いた。 煙草の煙が、深い霧のように立ちこめ、少し喉にきつい。カード遊びに興じる酔客の、割れた声が響いている。安酒と脂粉の匂いでむせ返るフロアは、店名に反して、美しくも麗しくもない。 「よう、ラオダオ。すまなかったな、急に呼び出して」 「なぁに。こんなことでもなければ、旅のべっぴんさんと話す機会はないからね」 初老の探偵はすでに、ひび割れたテーブルにグラスを置いていた。 「その紳士のひととなりや、事件の真相と黒幕の正体が知りたいってことだったな。はは、物好きなこった」 ラオダオと呼ばれた探偵は、カイに勧められた煙草をせわしなく吸いながら、せっかちな早口で話す。痩せこけて少し背骨が曲がっているため貧相な印象を受けるが、眼光は鋭く、決して無能な探偵ではなさそうだ。 「今だから言えるんだが、そんなにあっと驚くようなことでもなかったよ。俺が気付かなかっただけの話さ。その紳士の観察力と洞察力が優れていて、ひとの表情や言葉じりから心の動きの機微を読み取れた、ということさね」 ラオダオはふっと言葉を切り、紫煙のゆくえを眺める。 「黒幕っていっていいものかどうか……、酒場女に自分を殺すよう仕向けたのは、その酔客自身だったのさ」 ――最近、お見限りだったじゃないの。つれないねぇ。 ――おまえこそ、新しい情人ができたそうじゃないか。ずいぶん貢いでるって噂だぜ。 ――あたしのことはほっといておくれよ。あんた、他の店にいい娘でもできたのかい? ――実はそうなんだ。おまえの半分の年ごろで、おまえの倍、乳も尻も張りがいいときてる。 ――ふぅん。やっぱり若い娘がいいんだね。男はみんなそう。 ――そりゃそうさ。何にも染まってない真っ白な娘でな。おれが初めての男だと言ってたぞ。 ――……どこのお店の娘? ――あんまり遠出はしない主義でね。すぐ近くさ。おまえもよく知ってる娘だ。『牡丹(ムーダン)』のフォンリン。 ――何だって? ……フォンリンは……、フォンリンは、あたしの……。よくも……! 「もしかして、男が手を出したのは、その女の実の娘だったっていうオチかい?」 ベルダが、同じように煙を吐きながら問う。 「まだ続きがある」 探偵は、2本目の煙草に火をつけた。 「男は、本当は、フォンリンとは何の関係もなかった。女を逆上させるためについた嘘だよ」 「じゃあ……」 紗弓が、長いまつげを伏せた。 「ああ。男のほうは、けっこう本気で女に惚れてたんだね。だが女は新しい恋人に夢中で男の気持ちなんておかまいなしだ。紳士はこう言ってた。『彼女の真剣な表情を見たかったんじゃないかな。命を賭けなければそれはかなわないと思ったんだろうね』ってな」 淡々と語るラオダオの声が、ふっと、低くなる。 「しかしまぁ、変わったひとだったねぇ。……うん、変わったひとだった。謎解きをしてから俺に謝ったんだよ、その紳士は。悪趣味なことをして、悪かったね、と」 「謝った……、の? どうして?」 雀が怪訝な顔をする。 「長々と難しいことを言ってたんで全部は覚えてないんだが、たしか……、『背後にある真実がどうであれ、事態が変わることはない。事件はもう、終わっている。にも関わらず、皆の前で真相を明らかにする行為は、傲慢な思い上がりに他ならない』みたいなことを言ってたかねぇ」 女が刺して、男は死んだ。 その事実に変わりはない。 皆が、痴話げんかがこじれたのだと言い立てて、探偵さんもそう思ったのなら、そういうことにしておいても何の不都合もないのにね。 まして、黒幕と被害者は同一人物なのだから。 ――悪趣味なことをして、悪かったね。 だけど、私は悪趣味が好きなんだ。 「気になる話を、してるのねぇ」 赤いドレスを着た黒髪の女が、グラス片手に近づいてきた。 酒場女にしては、物腰と声音に品がある。どうやら、『美麗』の経営者であるらしかった。 「男が女に殺されるのなんて、ありふれていて面白くもないけれど、あの紳士に会えたのは収穫だったわね」 「ママさんのタイプだったんだぁ? そんなにいい男ぉ?」 ウーヴェが、さりげなく探りを入れる。 「だって、シルクハットにモノクルの紳士なんて、滅多にこんな場末の酒場に来ないじゃない。世界が違うって感じ」 「私の好きなタイプかも知れないねぇ。背は高いのかい? 髪の色は?」 ベルダも話を合わせた。女主人は、頬に手をあて、面影を思い出している。 「そうねぇ……。背の高いひとではあったわね。だけど髪の色は……、ずっとシルクハットをかぶったままだったし、店の照明は暗いし、煙草の煙がこんなでしょう? よくわからなかったけど、金髪……、だったような……」 「金髪かぁ……」 動揺を悟られないよう、ウーヴェは声を落とす。 (金髪だとしたら、館長さんとは違うんじゃないのかなぁ) (館長の髪って、たしかアリッサとおんなじ色だったよね) (まだわからないよ。染めている可能性もあるし……) ウーヴェと雀と紗弓が小声でやりとりをするのを聞きながら、ベルダは酒場をぐるりと見回す。 客たちは、ポーカーに似たカードゲームを行っていた。 「スリー・オブ・ア・カインド!」 「ちぇっ、ついてねぇ。おれはツーペアだ」 ベルダはにやりとほくそ笑み、提案する。 「ねぇ、ママさん。ちょっと私たちに協力してくれないかな。うまくいけば、その紳士に、もう一度会えるよ?」 + + + ほどなくして行われた、客たちを集めてのカードゲーム大会は、当然ながらベルダのひとり勝ちだった。 「賭け金の清算はまけておくよ。そのかわり、私たちがこれから打つ芝居につきあってほしいんだ」 ACT.3-a■螺旋飯店:レセプション 髪を振り乱し、涙で顔を濡らして、ベルダはホテルに駆け込んだ。 「お願い! 助けて! 私の愛しいウーヴェが殺されて……! ああ、なんてこと!」 レセプションには、黄絹の仮面をつけた男がいた。双頭の竜の意匠が細やかに刺繍されている、凝ったマスクである。 おそらくは、彼が支配人の黄龍(ファンロン)だろう。 「愛してたのに……。ずっとずっと一緒よって誓い合ったのに!」 ベルダは、恋人が殺されて錯乱している女を熱演していた。 今宵の『美麗』に居合わせた皆さんを巻き込んだのは、偽の殺人事件を演出し、かの名探偵紳士にご出馬願おうという目論みである。 ちなみに恋人兼死体役はウーヴェが担当していた。といっても、店の床にぶちまけた偽の血糊にまみれて、横たわっているだけなのであるが。 ――しかし。 悲嘆の女を前にしながら、黄龍は憎らしいほどに落ち着いていた。微笑みを浮かべ、静かに礼をする。 「ようこそお越しくださいました。宿泊のご予約はいただいておりますか?」 「泊まりにきたわけじゃないの! ここのお客に用があるのよ」 「……お客様に……? さて、どのような?」 「金髪の紳士がいるでしょう? そのひと、事件の謎がすぐ解ける名探偵だって聞いたのよ! ……会わせて、会わせてよう……。私のウーヴェ……。誰があんたを殺したの? 突き止めて復讐してやるわ、絶対に!」 「なるほど。ご事情はわかりました」 「取り次いでよ、早く!」 「かしこまりました。貴女の大事なかたが亡くなられた現場はどちらですか?」 「『美麗』よ。そう言ってくれれば、わかるはずよ」 「それでは、お伺いするように私から伝えます。現場にて、お待ちください」 「必ずよ」 「はい。すぐに」 ACT.3-b■螺旋飯店:ロビー奥 ベルダが黄龍の注意を引き付けている間に、雀と紗弓は、首尾よくフロントをすり抜けて、潜入に成功していた。 (うまくいったね!) (ええ……。だけど、妙だね……) (どうして?) (黄龍があんなにあっさりと納得して、承諾したのが、ちょっとね) (作戦がうまくいって、よかったじゃん) (だといいけど) 作戦は、二段構えであった。 紳士を酒場におびき出し、直接対峙する、ベルダとウーヴェ。 その間に、ホテルの部屋に忍び込み、持ち物や日記などを確認して人物像を特定する、紗弓と雀。 (部屋はどこかなぁ?) (4部屋しかないそうだから、しらみつぶしに当たってみようか) (お客さんと鉢合わせしないようにしないとね) (そうね……。それにしても静かだ。物音ひとつしない……) ロビー奥から2階に続く大きな階段を、ふたりは進む。 オブジェのようなフォルムの、素晴らしい螺旋階段である。 もしかしたら、これが螺旋飯店という名称の、いわれかも知れなかった。 ACT.4-a■酒場『美麗』:入口前 すぐに来る、といったにも関わらず、紳士はなかなかやってこなかった。 しびれを切らしたウーヴェが、とうとう血糊の海の中、半身を起こす。 「ねー、いつまで死んだふりしてればいいのかなぁ?」 「もうすぐだよ。どうせ紳士には一目で見破られる芝居だしね。そうしたら事情を話せばいい。……しかし、遅いね」 店の外に出て、ベルダは細い街路を見やる。 ゆらり、と、人影が、近づいてきた。 街灯が逆光になっていて、よく見えない。 右手をかざし、目を凝らす。 そしてベルダは、思いがけない男のすがたをみとめた。 「お待たせいたしました」 男は、静かな声で言う。 シルクハットもかぶっておらず、モノクルもつけてはいない。 だが――街灯の光をはじいて輝く髪を見て、ベルダは息を呑む。 なぜ、すぐに気づかなかったのだろう。 この男の髪は、美しい金色だった。 「黄龍(ファンロン)……」 螺旋飯店の支配人は、ふっと微笑んで、仮面を取った。 瑠璃色の、鋭い双眸があらわになる。 凄みのある美貌は、駅前広場中央の、エドマンド•エルトダウンの銅像とは似ても似つかない。 ACT.4-b■螺旋飯店:2階廊下 静寂が、破られた。 「曲者!」 少女の高い声が、建物の壁と螺旋階段に反響する。 ひゅん! ひゅん! 空を切り裂いて飛んでくる、重い刃物。 「うわ」 「危ない!」 間一髪で、紗弓と雀は避けた。 真横の壁に、肉切り包丁が二丁、ぶるんと並んで突き刺さる。 「うっそ、信じらんない。あたしの攻撃、避けられたぁ!」 思いのほか明るい声で、少女は言った。 インヤンガイの紅い民族衣装に、紅い仮面。おそらくは彼女が紅花(ホンファ)だ。仮面の奥には、兄同様の、人なつこそうな瞳が見受けられる。 「紅花のへたくそ。あーあ、また壁を傷つけて。修理するの、誰だと思ってんだよ」 蒼い仮面を付けた小柄な少年が、そのそばに立つ。薄茶の髪と滑らかな頬。彼が蒼(ツァン)だろう。 「紅花。蒼。殺生は無用だ。支配人は、そう仰ったはずだ」 たしなめるように言ったのは、墨のように黒い仮面の、長身の少年である。髪の色も漆黒だ。ならば彼が墨(ムオ)か。 「申し訳ございません、おふたりとも。皆、このところお客様がいらっしゃらないので、退屈していたのです」 英国調のクラシックなメイド服を着た少女が、スカートを持ち上げ、一礼する。 髪は月光のように白く、仮面の奥の瞳は赤い。彼女が付けているのは、白絹の仮面だ。 「わたくしは、雪花(シュエファ)と申します。ようこそ、螺旋飯店へ」 ACT.5-a■螺旋飯店支配人室:名探偵の正体 ――かくして。 黄龍にいざなわれて、ベルダとウーヴェはホテルに戻った。 4人の従業員に伴われ、紗弓と雀も合流する。 ウーヴェはまだ血糊をべっとりつけたまま、飴色に磨き上げられたアンティークの椅子に腰掛け、足を組む。 「つまり、こういうことかなぁ? 今、このホテルの客室はからっぽで、長期宿泊客なんてのもいなくって、ヒマを持て余した支配人が、変装して酒場に行って、趣味で探偵ごっこをしてた、と?」 「探しびとではなくて、すみませんね。……いや、しかし、おかげで楽しかった」 くくく、と、金髪の支配人は笑う。 「お詫びといってはなんですが、皆さん、今夜はここにお泊まりください。さいわい、客室は4部屋あります。夕食も用意いたしましょう。紅花は、すぐれた料理人でもありますのでね」 「……やっぱり、悪趣味だね、あんた」 ベルダがぼそりと言う。 「すみません。悪趣味が、好きなもので」 支配人はもう一度、笑い声を上げた。 ACT.5-b■酒場『美麗』:迷探偵の運命 そのころ。 カイとラオダオは、女主人に命じられ、血みどろになってしまった店の床掃除をしていた。 「なあカイ」 「ん?」 「……どうして俺たちが掃除してるんだ?」 「さあ。なりゆきかなぁ」 「探偵は、お人よしじゃないほうが、生きやすいと思うぞ?」 「そうだなぁ……」 「名探偵になるのって、難しいな」 「だなぁ……」
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