オープニング

「みなさんにはインヤンガイに向かっていただきたいのです」
 世界司書、リベル・セヴァンが告げた。
 いまだ居所がわからない館長。しかし、少しずつ、消息を絶って以来のその足取りが掴めてきている。目下のところ、最後に彼の所在が確認されたのはインヤンガイということで間違いないようだ。
 一時期を『永久戦場・カンダータ』で過ごしたあと、かれらの異世界侵攻軍とともにインヤンガイにやってきた。だがそのあと軍を出奔し、行方不明になったあと、再びインヤンガイの暴霊域で姿を見られている。
「ロストレイルにもスレッドライナーにも乗れない以上、館長は『まだインヤンガイにいる』……そう考えるのが自然です。ですからインヤンガイで大規模な捜査を行うことには意味があるでしょう。もしこの捜索で館長が見つからなくとも、それはそれで事態としては前進です。可能性をひとつひとつ潰していくこと――、それによって私たちは少しずつでも真相に近づけるのですから」
 リベルは言った。
 かくして、大勢のロストナンバーがインヤンガイへと向かうことになった。
 今回も、頼みとするのは現地の探偵たちである。
 複雑なインヤンガイの社会の隅々までネットワークを持つ探偵たちの力を、この捜査ではフル活用することになる。ロストナンバーは数名ずつ、インヤンガイ各地に散り、その地を縄張りとする探偵と協力して考えうる限りの捜索活動に力を注ぐのだ。
 すでに、探偵への声掛けは行われており、「もしかすると館長に関係するかもしれない情報」について、集まり始めているという。ロストナンバーがその真贋を見極めに行くことになる。
「みなさんに向かっていただくのはこの街区です。縄張りとする探偵は――」
 リベルはてきぱきと、担当を割り振っていく。


 この地区は、瀟洒なつくりの住宅が立ち並ぶ、一見すると平和なベッドタウン。だがその実、高利貸しや薬物の売買といった、人に恨みを買う形で富を得た人々が多く棲んでいるという裏の顔がある地区だ。その住人達の腹の内側とうらはらに、白い壁の住宅、その広い庭にはたっぷりと四季の花々が咲き誇っているという構造が多いのが実に皮肉ではある。
「や、約束する。‥‥これっきり、もう『商売』はやめにする。だからその、なんだ‥‥し、死にたくない。あんたに護衛を頼みたいんだ、なっ?」
 男は、しらけた表情で目の前に座っているアラハナの手をとり、すがるようなまなざしを向けていた。男の涙がぽたぽたと手をぬらし、アラハナは思わず、汚物に触れたかのように手を引っ込めた。
 アラハナが招かれている家の主であり、頬にたっぷりついた贅肉をふるふると震わせて訴えるその男もまた、非情な商売で富を得たひとりだ。
 それすなわち、人身売買。インヤンガイでは娼婦など珍しくもないし、臓器の売買もまたしかり。
 なのだが、この男の場合は特に悪質だ。いとけない子供を「主力商品」として取り扱っているからだ。
 しかしこの男ーーー名はメイサンーーーがインヤンガイの住民達に恐れられるのもそう長いことではないだろう。
 昨日、メイサンは殺人予告状を受け取ったからだ。
 最近、この地区に住む金持ちどもが、立て続けに殺されている。
 非情地区に住む金持ち、すなわち、弱い者たちの生き血を富に変換して肥え太ったやつらであるから、インヤンガイ市民はこの連続殺人犯に拍手喝さい。
 殺人犯は「天使」と自称し、世間の人々も喜んでその呼び名を受け入れているのだとか。
 この「天使」のやり口には大きな特色があり、そのひとつはもちろん、「非情地区」に住む、非道な商売で富を得た輩を対象にしているということ。
 もうひとつは、必ず予告状を出すということ。
 その予告状が、自分にも来たのだと、涙ながらにメイサンは語った。予告状の文面はこうだ。
『貴様の悪行はすべてお見通しだ 天使の裁きを受けるがよい』
「悪行ったって、生きてメシ喰ってくためには奇麗事ばっか言ってられねえんだ! わかるだろう、なあっ!?」
 メイサンが言い訳をする。アラハナは眉をしかめて、どうせのことなら金にあかせてシェルターでも作り、その中にこもったらどうなんだと吐き捨てた。
「もちろんそれも考えたさ。だが、なんたって相手は『天使』だ。普通の方法じゃあ返り討ちなんて無理なんだよぉ」
 メイサンはほざく。つまり藁にもすがる心境だから、少しでも防衛手段を増やして、助かる確率をあげたいということなのだろう。 
 アラハナは軽く舌打ちをした。
 アラハナの興味を惹こうとしてか、メイサンは「天使」について話し始めた。
 最初に「天使」が血祭りにあげたのは高利貸しを営む中年女だったのだが、そのとき、目撃者がいた。
 目撃者は、高利貸しのもとに、借金のカタとして娼婦に売られるべく連れて来られていた少女。
 「天使」が窓ガラスを破って乱入するや見事な手際で高利貸しを殺し、少女はただ驚愕のあまり動くこともできずに立ち尽くしていた。
 やがて激しい物音に近隣の住人が駆けつけ、彼らに助け出された少女は言った。
 ひとつ、「天使」はとても優しい目をした背の高い男性だった。
 そしてもうひとつ、「天使」は、光り輝く翼のあるいきものを肩にのせてあらわれたーーと。

「光り輝く、いきもの‥‥?」
 それだけじゃない、とメイサンは言った。
 割れたガラスの破片を裸足で踏んでいたというのに、痛みもなく血も流すことなく、ふわりと高利貸しの傍に近寄っていたのだとか。
 そしてお前のせいで命を絶った人たちの声が自分には聞こえる、その人たちの恨みを受けるがいい、と言いざま、のどを一気にかききったのだと。
 その次に殺されたのは、麻薬を売りさばいていた医者。医者は「天使」が近づいてきたとき、恐怖にかられて油をまき、その進路に炎を放った。
 だが、「天使」は熱さも感じないかのように炎の上を歩き、医者を殺したという。
 アラハナは首をかしげた。
 「天使」の痛みも熱も感じないかのような動きも謎だが‥‥
 「天使」を名乗るわりに死人たちの恨みを伝えるというのはどんな意図があるというのだろう。
「ともかく『天使』が人間じゃねえってのは確かだと思う。または、別の世界から来た何か、とか‥‥」
「別の世界から来た‥‥?」
 アラハナは思わず鸚鵡返しに言った。
 別の世界、という言葉で、世界図書館からの通信を想起していた。インヤンガイに館長がいるらしいこと、その手がかりらしきものがあれば知らせるようにとの要請が、つい昨夜あったばかり。
(「もしかしたら‥‥」)
 アラハナは想像した。
 世界図書館の館長はインヤンガイに潜伏中、メイサン達の非情な商売に義憤を感じ、粛清を実行した‥‥
 どこかちぐはぐなシチュエーションのような気がする。だがその一方で、ありえないことではないような気もする。
 そもそも館長の失踪の意図自体、わからないのだ。
 アラハナは腹をくくった。世界図書館からの協力要請がこの時期にあったというのは、偶然にせよ重要なめぐりあわせではないか。
 この事件、徹底的に調べるべきだ。
「わかった。あんたの護衛と『天使』の正体捜査を引き受けよう」
「そ、そうかい」
 太った男が喜色を満面に浮かべるが。アラハナは冷ややかにもう一言。
「ただし条件がある。護衛と捜査に成功したとしても、報酬はいらない。‥‥この件が片付いたら、あこぎな商売はやめると、さっき言ったな?」
 ふるふるとメイサンは頷く。
「なら、成功報酬の代わりにーーー」
 彼女の言葉に、男は見る見る青ざめ、またしても泣き言を繰り出したが、命には代えられないと判断してか、最後には彼女の出した条件を呑んだ。 




!注意!
イベントシナリオ群『インヤンガイ大捜査線』は、同じ時系列の出来事を扱っています。同一のキャラクターによる『インヤンガイ大捜査線』シナリオへの複数参加はご遠慮下さい。

また、このシナリオは『ヴォロス特命派遣隊』『ブルーインブルー特命派遣隊』に参加している人は参加できません。合わせてご了承下さい。

品目シナリオ 管理番号884
クリエイター小田切沙穂(wusr2349)
クリエイターコメントこんばんは、小田切です。少し間が空いてしまいましたので忘れられていないか心配しつつ登場してみました。
 今回は、メイサンという人身売買組織の元締めの護衛です。
 彼を守るとともに、彼を狙う殺し屋「天使」の正体をつきとめましょう。
 「天使」は痛みを感じることなく、メイサン達「非情地区」住民に苦しめられた死者たちの恨みを晴らすという目的をもって殺人を犯しているようです。
 「非情地区」は金持ち達の豪邸が立ち並ぶハイソな地域で、メイサンの家もそれなりに防犯対策はしています。構造は四階建てで、強化ガラスを張り巡らしたベランダが二階から上の窓についています。屋根は、切妻型でゆるやかな傾斜がついており、ひとつだけ天窓がありますが、天井までの高度は20メートル近くあり、天窓までよじ登るのはかなり困難です。もちろん壁には四方に防犯カメラの役割を果たす護符が貼ってあります。「天使」がどんな侵入経路をとるのか予測して作戦を立てて下さい。

 ※プレイングに余力のある方は、アラハナがメイサンに出した「条件」の内容を予想してみてください。当たった人はボーナスとして出番が増えます。

参加者
涼裡(cwzw7576)ツーリスト 女 23歳 貢がれる蛇
烏丸 明良(cvpa9309)コンダクター 男 25歳 坊主
パティ・セラフィナクル(cchm6480)ツーリスト 女 16歳 神殿近衛兵見習い

ノベル

●魍魎
 こんな輩は「天使」の制裁を受けるまでもなく、ボコボコにぶん殴ってやりたいものだーーー
 それが、旅人たちの率直な感想である。メイサンは世界図書館から使わされた旅人達に一応は感謝の言葉を述べたものの、パティ・セラフィナクルの童顔に似合わぬ豊かな胸にちらちらと目線を走らせることを忘れない。涼狸の見事な白髪を眺めては、珍しい髪の色をした子は高く売れるんだがなあと独り言。メイサンの側近らしきこわもての男が二人、メイサンの両脇にぴったりと寄り添っているが、メイサンの言動に眉ひとつ動かさない。メイサンはもうこれで自分の命は守られていると安心したのか、軽口を叩いた。
「ああ、こりゃあ百人力だ‥‥綺麗な女神さまが三人も護衛についてくれる」
 舌なめずりせんばかりに言うメイサンに、冷や水を浴びせかけるのは烏丸 明良だ。
「んー? 社長さんってばご謙遜。美少年やら美少女を何十人もはべらせといて」
「はべらせて‥‥?」
 不思議そうにメイサンは、嫌悪の表情を浮かべて自身から離れて座っているパティやアラハナ、涼狸を見やるが、烏丸はちっちっと指を振る。
「半分透けてて足のない子がほとんどだけどー。あ、首だけになって浮かんでる子もいるねぇ。社長さんにキスしたいどころか噛み付きたいぐらいの形相よ?」
 烏丸がその少女たちの人相風体を語るや、ひゅうっと息を吸い込みメイサンは黙りこくった。アラハナは烏丸に感謝のまなざしを向けたが、烏丸は別段、メイサンに過去の罪を自覚させようとして言ったわけではない。自覚なしに幽霊が見える体質なだけで。
「なるほど、貴方の手で売り買いされた子供たちが貴方に憑いてるってわけか」と、アラハナ・シャーン。
「な‥‥なんだなんだ、俺をつるしあげるようなことばかり言いくさって! 報酬と引き換えに、俺の護衛に来たんじゃないのか貴様ら!」
 メイサンが吼える。すかさずその脳天を、パティの拳が直撃した。
「「「ごっ」」」
「へふぉっ!」
 何しやがんだとにらみつけるメイサンに、パティは言った。側近の男たちも身構えるが、パティたち旅人がただものでないことを知っているためか、手は出してこない。
「パティたち、メイサンのいのち、いのちがけでまもる。守ってもらえるだけの値打ち、あるひとになってくれないと、パティ、やる気なくすー」
「彼女の言うとおりだ。こちらも生命の危険を冒して護衛を買って出てる。こっちのルールに従ってもらおう」
 と、アラハナ。
 ようやくわきまえたのか、メイサンはおとなしくなった。
「ともあれ、こいつをどうやって警護するか、だな。‥‥守る価値のある輩か否かは別として、世界図書館との約定は果たさなければならぬからな」
 涼狸が静かに言った。
 へっへっへ、それじゃ~と揉み手をしつつ烏丸がメイサンに迫る。
「何をする気だあ!?」
 悪いようにはしやせんぜぃ♪ と烏丸、メイサンの身包みを剥いでしまった。そして自分が着込む。
 影武者になるつもりのようだ。
「あ☆数珠外さなきゃビリッ」
「ぬわああ! た、高いんだぞその服ぅ!」メイサンの悲鳴があがる。
 烏丸が巨大な球をつらねた数珠を、胸元からひっぱりだして外そうとしたため、服が破れたためだ。
 弁償弁償とわめくメイサンを尻目に、涼狸が紅い瞳を烏丸に向けた。 
「くれぐれも、気をつけることだぞ」
「いや、この方が気が楽かも。自分、すっごい場違いな気がしてたんで」
 確かに、メイサンの着ていたマオカラーのスーツを着込み、愛用のサングラスはそのままの烏丸は、妙に板についている。最初に身につけていた墨染めの衣よりむしろ似合っているかもしれなかった。烏丸は最後の仕上げとばかりに、メイサンの頭にのっかっていたバレバレのカツラをもぎ取り、被った。
「な、なぜカツラだとわかった!?」
 メイサンの魂の叫びに、誰も反応しなかったのはやんぬるかな。
 だがメイサンの受難はこれだけでは済まない。
「念には念、だ」
 涼狸が言うや、身ぐるみ剥がれた下着姿のメイサンが体をくねらせ、悲鳴をあげた。
 涼狸が使役する蛇がするするとメイサンにまきついたせいだ。
「お前ら‥‥ほんとに俺を守ってくれるんだよな?」 
 いじめてるんじゃないだろうなと疑わしげなメイサンに、ったりまえじゃん! と親指を立てる烏丸だが、次の瞬間彼のセクタンが、メイサンに体当たりするようにして戸棚に押し込めた。
「ぎゃーーー!」
 彼がしてきた悪行を思えば、聖少女パティの鉄拳制裁を受け、蛇で拘束され、身ぐるみはがれて体中痣だらけで戸棚に閉じ込められ、散々な目にあうとしても、命を守ってもらえることだけはありがたく思ってもらわねばなるまい。側近の男たちも微妙な表情で顔を見合わせている。
 が、やはりこちらに手出しはしてこない。下手に抗えば自分達もメイサンと同じ目に合わされるのはほぼ確定事項だからだ。
 ひっそりとアラハナは笑っていた。
「もし身代わりになった貴方に危険が及ぶようなら、かまわず逃げてくれ。本当はあたしも、あんなやつ『天使』の裁きを受けて消された方がいいと思っているんだ」
 メイサンの服を着込み、(なぜかサングラスだけはそのまま)なりきった烏丸にアラハナが囁く。
「おっけーよ。俺っちは蝶のように避け、野良猫のように逃げる!! 決して危険は冒しません! 護衛より自分の命が大事!」
「‥‥まあなんだ、がんばってくれ」アラハナは額を押さえながら呟いた。
「あとは‥‥どうやって『天使』を取り押さえるかだ」
 涼狸が赤い瞳でぐるりと邸内を見回した。
「私は屋根の上を見張ろう」涼狸が言った。
「パティも、屋根があやしいとおもう」
 パティも大きくうなずく。
「地中を通る水の『気』を読んでみたが、さほど強いものは伝わってこない。地上や地中からの侵入はない」 
 水を操る蛇の化身で、水神として崇められていた身である。涼狸の言葉には説得力があった。
 ともあれ「天使」と名乗る以上、上空からの攻撃が似つかわしいのではないかと、三人の意見は一致していた。
「確かに、四方の壁には守護札が貼ってあるし、天井の方がとっつきやすいかもしれないな。だが、屋根から入ってくるつもりなら、どんな手段で来ると思う?」
 アラハナは旅人達に問いかけたが、残念ながら侵入してくる手段まで予想した者はいなかったため、アラハナはがっかりした様子だった。
「侵入を防ぐなら、ある程度手段も予測しなければ片手落ちというものだろう。
 裏をかいてくれと言っているようなものだぞ。ただ漠然と見張っていたって、『天使』の方だって馬鹿じゃあるまい、こちらの隙をつく方法をいくらでも考えているに違いない。‥‥すまないが、あたしは貴方達とは別行動をとらせてもらう」
 アラハナは何か考えがあるらしく、背を向けて屋敷から出て行った。

●刹那
「天使、か。本当のところは何者だろうな。パティはどう思う」 
 屋根の上、天窓のすぐそばに陣取った涼狸は、白銀の髪を風になびかせながら、ちびちびと徳利の酒をなめている。
 隣にいるパティは、ちょこんとひざを抱えて座り、青い瞳で周囲をみあげている。
「たぶん、じゅんすいなせーぎのみかたじゃない。うらみを抱いただれかで、操ってるのは、‥‥ぼーれー(暴霊)、かも」
「ああ、そうだな。私も『天使』の肩に乗った光り輝くモノとやらが気になるのだ。もしかしたらそいつこそが『天使』の主体かもしれんな。いずれにせよ、霊的な何かが関わっていることは間違いないだろう。メイサンを恨む者なら生霊も死霊も大勢いそうだが」
 涼狸の言葉にパティは童顔に不釣合いな豊かな胸を押さえて瞳を曇らせる。
「パティ、メイサンをうらむきもち、わかる。‥‥ここがいたいぐらい、わかるけど‥‥パティ、どんな理由があっても人を殺すことはきらい。『天使』のこと、ゆるせない」 
「‥‥飲むか?」
 涼狸が差し出した杯に、パティは首を振った。
「パティ、おなかへったー!!」
 うるうる目で見つめられるがあいにく食物は持ち合わせていない涼狸が一瞬悩んだ時‥‥
 それは起こった。

 そんな時、
 
 バ シ ッ  !! 


 太い木の枝が折れるような。あるいは、分厚い氷が割れるような。
 鋭い音が響いた。涼狸とパティは顔を見合わせる。
「下だ」
 涼狸が屋根から飛び降りる。パティも軽々とジャンプして庭に降り立つ。
 しかし、人影はおろか、生き物の気配はない。
 ただ、ゆらゆらと火の玉がひとつ、漂っているのみ。
 これが天使の正体‥‥?
 火の玉はあざ笑うように揺れた。
 キィン
 涼狸のトラベルギアである、霊をも断つ刀が火の玉を一刀両断する。
 火の玉は消えた。後に残ったのは、「呪」と書いた一枚の札のみ。


●混沌
 メイサンに変装した烏丸は、天井の方でドサッという落下音を聞いた。
 天井は涼狸とパティが警戒している筈だが、といぶかるが、二人は火の玉による陽動作戦で庭に引き付けられてしまっていた。 
「‥‥『天使』かっ!?」
 メイサンが戸棚の中で叫び、烏丸も耳を澄ます。そのとき奇妙なことが起こった。側近の男が、ふらりと窓に近づき、窓を開いたのだ。
  ひゅうっ
 何者かが、風を切って、上空から現れた。側近の男のアゴに強烈な蹴りを浴びせつつ、窓から中に、そいつは飛び込んだ。
「馬鹿がっ!! なぜ窓を開けた!」
 側近が窓さえ開けなければ、護符の力で侵入者を防げたものをーーー。メイサンが恐怖にかられて叫んだが後の祭り。
 これは後に判明したことだが、『天使』の予告状には、後催眠暗示を与える呪いがかかっていた。『天使』が訪れたと思ったら、警戒するのではなく、逆に迎え入れるように無意識に動くという暗示である。
 考えてみれば、暗殺者がわざわざ予告状を送りつけてくるというのも妙な話だが、それも仕掛けのひとつだったので。
 そして侵入手段。『天使』はおそらく天窓を見張っていた涼狸たちを音でひきつけて庭に降りさせておいて、上空からいったん屋根に降り立ち(空が飛べるわけではなく、隣接したビルもしくは立ち木からロープで移動)、改めて屋根に結びつけたロープを使って、護符の貼られた壁に触れることなく窓の位置まで降りた。
 烏丸の出身世界である壱番世界において、セキュリティシステムを避けるため、泥棒が多用する「バックセット」という手口である。
 そして改めて側近が窓を開けた瞬間を狙い済まし、窓から飛び込んだのだった。
『お前は誰だ‥‥メイサンではない‥‥』
 『天使』が居間に陣取った烏丸を指差し、うめくがごとき声で言った。
「バレんの早っ!! ってかヅラ? ねえヅラでバレた?」
 烏丸が思わず口走る。
『なめるな。われらシャーマンには魂の形が見えるのだ』
 『天使』の眼が白い光を帯びる。
 『天使』はまだ若い男だった。やはり館長ではない‥‥。確信した烏丸たちは、安心と失望を同時に味わった。『天使』は、肩にうす蒼く光るモノを乗せているが、天使が背負う光り輝く翼などではなく、鬼火のごとき陰気な光だった。
 『天使』によって人身売買組織から救われた少女には、この異形の男が輝く天使に見えたのだろうか。そして自らシャーマンと称していた男は、霊を呼び寄せ自らに憑依させる能力の持ち主。痛みや熱を感じなかったのは、精神がトランス状態だったためだ。
『どこだ‥‥どこにいるメイサン‥‥』
 『天使』は、オノのような刃物を手にしていた。それをふりまわし、『天使』は、部屋を破壊し始めた。大理石の暖炉も、高価な酒が並んだ棚も、磨きこまれたテーブルも。
『天使』は恐るべきモノを背負っていた。普通の人間の眼には薄ぼんやりした影にしか見えないが、メイサンによって売り買いされた人々の魂の集合体だと、烏丸にはわかる。
『めいさんヲ、殺ス』『ワレワレトオナジ苦シミ、与エテカラ殺ス』
 スナッフムービーを作る闇の組織に売り飛ばされ、四肢を切断された若い女。売春させられた挙句病んでボロボロになった少女。内臓を抜き取られて捨てられた少年。それらの霊魂が『天使』の背に覆いかぶさり、苦悶と怨念の呻きを上げる。
(「憎んで、恨んで、そこから何が生まれる? 唇歪めながらでもいいから、笑ってみな。暖かい場所へ、さあ、行け。我為汝略説、聞名及見身、心念不空過、能滅諸有苦‥‥」)
 禍々しいモノに、烏丸は心で呼びかけた。魂たちはわずかに反応した。だが、その言葉に説得されたわけではない。
 烏丸の呼びかけに含まれたあたたかなモノに、霊たちは反応していた。
『アタタカイ』『アタタカイモノ‥‥欲シイ』
 飢えた魂は、感じたわずかなぬくもりにすがりつこうと群れ集まる。それが烏丸の魂を闇に引きずり込む非道な所業になるとしても、堕ちて暴霊と化した魂に善悪の基準などない。霊は黒い霧となり烏丸の肺に入り込み、その呼吸を奪おうとする。
(「‥‥或遇悪羅刹、毒龍諸鬼等‥‥」)
 烏丸はひたすら祈った。魂たちのすさまじい憎しみが毒素となり、生命力を削る。それでも、かつて人であったモノならば、心を以ってその心に触れられるのではないか‥‥ひたすら祈った。
 その時、火の玉が陽動作戦と気づいた涼狸とパティが、駆け込んできた。
 そこでは既に『天使』がオノを振り回しており、二人にも斬りつけてきた。
 パティがトラベルギアの包帯をシャンデリアに巻きつけ、それにぶらさがって宙に舞い上がりオノをかわしつつ、反動をつけて『天使』に強烈なドロップキックを喰らわせる。
 うぐっと『天使』は、反射的なうめきを上げるが、トランス状態にあるため痛みはやはり感じず、パティをにらみつけると再びオノを振り上げた。
「うらみは、何をしても晴れないんだよ。うらみが持ってくるのはうらみだけ! パティはそんなの嫌」
 パティは一歩も引かず、振り上げたオノを横っ飛びにかわすと、クルリと半回転して『天使』にサイドキックを喰らわせた。
 『天使』の手にしたオノが吹っ飛び、クルクルと宙で回転して、戸棚に突き刺さる。
「たっ、助けて」
 メイサンが戸棚から這い出してきた。
 涼狸の忍ばせていた蛇が、しゅっと飛び出し『天使』の腕に巻きつき動きを封じる。
 『天使』はぐるる‥‥と獣のように唸った。その背に負われた暴霊たちがメイサンに襲い掛かろうとする。
 ぴゅっと風を切って、一条の矢が飛んできた。
 『天使』の肩にそれは命中した。
 「うぐぉ!」
 『天使』が初めて苦痛の呻きを発した。
 見れば矢の先に呪符が貼られており、
  急急如律令 
と、呪文が記されていた。 
「あたしは符呪が苦手なんでな。知り合いに呪を書いてもらうのに手間取った」
 アラハナがボウガンを手に、ドアの外に立っていた。
「‥‥頼む。あの霊たちを浄化してやってくれ、涼狸さん!」
 アラハナが叫ぶ。
 涼狸は一瞬ちらりとアラハナを見やる。長らく人の業を見つめ続けた涼狸は何もかも悟ったようだ。アラハナもまた、メイサンのような輩によって売り買いされた犠牲者であったのだと。『天使』の気持ちがわかりすぎる故に、アラハナ自ら手を下すことは出来ないのだ。
 涼狸が言った。
 「清めよ!」
 清冽な地下水が床を貫いて噴出した。。涼狸の念をこめた清らかな水は、清めの聖水となって黒い竜巻となった暴霊を切り裂いた。

 いぃぃぃぃぃぃいぃぃ

 霊は金属的な悲鳴をあげ、散ったかと思うと‥‥消えた。
『天使』は、じりじりと後ずさりしていた。
「これで終わりだと思うなよ。霊はいくらでも呼べる。恨みを抱く霊たちなら、すすんで俺達の武器になってくれるのさ」 
「だめ! たましー達は安らかにねむらせてあげて! 憎しみを利用しちゃだめ!」パティは首を横に振る。
『天使』はゲラゲラと笑った。
「違う、利用するんじゃない。むしろ俺達が手を貸してやるんだ。俺達は霊の声を聞き、その恨みを晴らしてやる。一挙両得ってやつさ。こいつらにゴミクズみたいに捨てられた哀れな魂たちは、俺達がその声を聞いてやらなきゃ、惨め過ぎると思わないか? この魂たちがどんな思いで恨みを抱えてこの世をさまよっているのか、お前達に本当に理解できるのか? 復讐は空しいとか、恨めば恨まれるとか、そんな正論じゃあ、この魂たちは説得できねぇよ。その上、あんた達『旅人』は、常人より特殊な能力を持った特別な存在なわけだ。そんなあんた達に、呪いの是非が問えるのかどうか‥‥呪いは踏みにじられ、虐げられたか弱い犠牲者の、最後の手段なんだぜ」
 思わず目をそらすメイサンと側近たち。だが、烏丸は『天使』を睨み返した。
「バッケロー。恨みが『晴れる』のは一時のこと。恨みに呪いで報いるだ? それじゃ世の中暗ーくなって、余計に泣く者が増えるだけじゃねーか! シャーマンなら霊たちに教えてやれ、笑顔を増やすほうがよっぽど供養になるってな! ってか自分で自分を『天使』って言っちゃう中二病治せや、あぁ?」
「黙れ!」
 『天使』が怒鳴る。ぐらりと地面が揺れた。
 『天使』の能力によって、霊がまた呼び寄せられたのだろう。
 がたがた、がたがた、とメイサンの屋敷自体が揺れ始めた。
 とてつもなく大きなポルターガイスト。
「みんな、この屋敷から逃げろ!」
 アラハナが叫ぶ。
 揺れは激しく、大きくなり、やがて‥‥
 がたーん!!
 屋敷は、まもなく倒壊した‥‥

●不易
 ロストレイルに乗り込む旅人達を見送りながら、アラハナが呟く。
「実はあたしは、用心棒を引き受ける代わりに、メイサンの利き腕一本へし折ってやろうと思っていたんだ。そうすれば少なくとも、自ら犠牲者をいたぶることは出来なくなる」
 メイサンはといえば、ともかく命だけは助かった。屋敷から脱出するとき、柱が倒れてきて、右半身の骨が砕け、おそらく生涯麻痺が残るだろう身の上にはなったものの。
 右半身の自由を失ったことと同時に、メイサンの心に大きなくさびを打ち込んだのは、彼を嫌悪していたパティが、女神レイ・レウの時間加速呪文で彼を崩壊する屋敷から助け出したこと。いかなメイサンでも、今後の人生はいくらか、ましな方向へ向くのではないかとアラハナは思ったようだった。
 アラハナの心のうちも含めて、旅人達には予想を超える出来事ばかりで終始してしまった事件だった。
 『天使』の正体について。『天使』がどういった侵入経路で屋敷内に来襲するのか。
 ある程度『天使』について見当をつけていた涼狸でさえ、具体的な対応策を立てずに、ほぼ出たとこ勝負状態であった。
 倒壊した屋敷の跡からは、『天使』の死体は発見されなかった。
「『天使』が、俺『達』と言っていたことが気になるんだ。呪いや邪悪な交霊術を、やつらが組織的にやっているとしたら‥‥」
 アラハナの表情は冴えない。
 ぽん、と烏丸がその肩を叩いた。
「まああれだ。何かあったら、また呼んでね。まずはメル友から、赤外線通信‥‥ってこの世界にケータイないんだっけ」
「また‥‥協力してくれるのか?」
 烏丸がにんまり笑う。
「探偵さん含めて美人さんに囲まれるのは悪い気しないからNE!!」
 まったくこの男は、冗談なのか本気なのかわからない。 
 アラハナの顔にようやく笑顔らしきものが浮かんだ。
 苦い思いと、希望をのせて。
 ロストレイルは汽笛を鳴らし、出発した。
 

 

クリエイターコメントお疲れ様でした。都合により皆様のお手元にお届けするのが遅れ、申し訳ありませんでした。
 OPに天使の侵入経路を予想してくださいと記述してあったのに、誰一人具体的に『どうやって』屋敷内に入ってくるのか推理した方がいなかったのが、マイナスポイントです。
 なので『天使』からメイサンの身を守ることは出来ましたが、まったく無事というわけには行きませんでした。
 また『天使』がなぜ痛みや熱を感じないかについての考察もなかったので『天使』の正体解明も未完です。
 シャーマン能力を持ち呪殺を実行する組織? が暗躍してるようなのでインヤンガイでは、また類似の事件が起こるかもしれません。
公開日時2010-10-12(火) 20:10

 

このライターへメールを送る

 

ページトップへ

螺旋特急ロストレイル

ユーザーログイン

これまでのあらすじ

初めての方はこちらから

ゲームマニュアル