「壱番世界はハロウィンの時期よね」 それは壱番世界の暦で10月のある日、午後のお茶の時間に、アリッサが言った。「そうですね。ジャック・オ・ランタンでも用意させますか」 紅茶のお代わりを注ぎながら、執事のウィリアムが応える。「んー、でも、ターミナルだと今いちハロウィンって気分にならないわ」「そうですか?」「だってこの青空じゃ。ハロウィンって夜の行事っていうイメージだし。どこかにおあつらえ向きのチェンバーでもあればいいんだけど」「お嬢様。先日のビーチのようなことは、どうかお慎みを」「しーっ! 内緒よ、内緒!」 アリッサはくちびるの前でひとさし指を立てた。「あ――、でも待って。チェンバーじゃなくても、ターミナルに夜をつくることだってできるわよね」「それは……原理的には可能ですが、0世界の秩序を乱すことになります。ターミナル全体となりますと、ナレッジキューブも相当要すると思われますし」「でも、ウィリアム。私、前から思ってたんだけど、ターミナルに暮らす人の中には、夜しかない世界から来た人だってきっといるでしょう? 昼しかないって不公平じゃないかしら。ねえ、試しに、ちょっとの間でもいいから、『ターミナルにも夜がくる』ようにしてみない?」「……」 ウィリアムの表情は変わらない。だが賛成していないことは明らかだった。 しかしその一方で、アリッサが言い出したら聞かないことも、彼はよく承知している。 それから数日後――。 世界図書館内ではかなり議論が紛糾し、実施にあたって各方面の調整は困難を極め、一部の事務方職員は瀕死になったというが、ともあれ、正式に、ターミナルの住人にその告知が下った。『10月下旬の一定期間、試験的に「夜」を行ないます。「夜」の間、空が暗くなりますので、外出の際は十分にお気をつけ下さい』「ハロウィンにお化け狩りはどうだろう?」 唐突にそう声をかけてきたのは、わすれもの屋の店主。また不穏な単語が出たなと眉を顰める何人かに気づいた風もなく、店主は説明を続ける。「狩りと言っても、大した事はない。夜の町にお化けを放すから、それを捕まえてほしいだけだ」「何故お化けを放す!?」 不審げに誰かが尋ねると、店主は何故そんな事を尋ねられるのか分からないといった顔をして言う。「ハロウィンだから」 まるでそれが世の理のように堂々と断言した店主は、せっかく夜が来るんだと笑顔になる。「昼にお化けを放しても風情はないが、夜なら絵になるだろう」「絵になるかどうかは別として、範囲が広すぎないか」 ターミナル全土なら捕まえるのも一苦労だと誰かがぼやくと、そうだなと店主も顎先に手を当てた。「それでは、範囲は絞る事にしよう。お化けがそこから外には出られないように一角を区切り、目印として四隅にかぼちゃのランプを立てておく」 屋根の上に立てさせてもらえば分かりやすいだろうとメモに書きつけた店主は、とりあえずお化けがいるところは範囲内だと大雑把に頷く。 いい加減だなと苦笑した内の一人が、それでと手を上げた。「お化けを捕まえたら、何かいい事でもあるんですか?」「特にない。ただ、捕まえてくれた数だけ土産は用意しよう」 お化けと引き換えのお菓子はハロウィン的だろう? と何故か自慢そうに口許を緩めた店主に、質問と別の誰かが手を上げる。「お化けって事は、捕まえるのに特殊な装置がいるとか?」「いや、特別な能力がなくても触れるようにする。後ろからそっと近寄って確保するもよし、向き合ってついてくるよう説得するもよし。お化けの個性に合わせて捕まえてくれ」「数はどのくらい?」「さて。とりあえず、参加人数より多めに放そうと思う。誰かが複数捕まえて足りなくなる、という事態は避けるから安心してくれ」 何なら途中で追加もするから大丈夫だと請け負う店主に、お化けの風体は? と続けて質問が飛ぶ。「照々坊主が、顔のあるオレンジかぼちゃを被った姿を想像してくれ。それが、ふよふよと浮かんで移動する。大きさは、成人女性の肘から先ほどだ。ただ個体によって、多少は前後すると思う」 等身大にはならないはずだと続けた女性は、ふと周りを見回して小さい諸君には別だがと小さく言い添えた。「因みに、お化けの頭の中にはお菓子が詰まっている。重くて逆さになっていたり、逆に軽くしようとお菓子を振り撒いて逃げる場合もあるだろう。サイズや体力的な不利も考慮して、お化けの身体に印をつけてくれれば捕まえたと認識する」 それはこちらで把握するから、実際に連れて来られなくても大丈夫だと頷いた。「時間制限は?」「厳密には定めないが、頃合を見計らって終了の花火でも上げようか」 それまでにお茶の準備くらいはしておこうとそれもメモに書きつけた店主は、言い残しを探すように視線をふらりと上に向けた。「後は……、そうだな。お化けは君たちを見たら基本的に逃げるはずだから、仮装をして近づくのも手だ。その為の衣装や道具はこちらで用意しよう」 とりあえず楽しんだ者勝ちだとざっくりと纏めた店主は、他に質問は? とそこにいる面々を見回した。「そういえば、前回は世界司書が案内に来ていたみたいだけど、今回は?」 何気ない誰かの問いかけに、店主はあれかと軽く眉を跳ね上げた。「非協力的な馬鹿は、気にするだけ損だ。存在もなかった事にして、お化け狩りを楽しんでくれたら嬉しい」 何だか不安になるくらい朗らかに笑った店主は、そうそう忘れていたとわざとらしく手を打った。「放すお化けの中には方向音痴で無駄にでかい物が混じっているかもしれないが、万一見かけたら生温い視線で見過ごしてやってくれ。これは明らかにハズレだから、スルー推奨だ」 関わらないほうがいいぞとにこやかに告げた店主は、ふっと笑顔を切り替えて緩く一礼した。「それでは、準備があるのでこれで。気が向いた方の参加を、心からお待ちしている」
ファリア・ハイエナがお化け狩り開始の合図を待っていると、狩れと聞いていたお化けよろしくオレンジかぼちゃがふらふらと歩いているのを見つけた。 これがひょっとしてハズレだろうかと眺めていると、気になったのは彼女だけではないらしい。顔の下半分がやけにリアルな狼の口になっている白衣の青年や、丸っこく美味しそ──元気そうな小狸が、同じようにオレンジかぼちゃを見ている。 「あなた、ハズレのゴーストですの?」 眺めていても始まらないとそう尋ねると、かぼちゃを押し上げて顔を覗かせたのは人懐っこく笑う少女だった。 「ざーんねん、私は狩る側の人ー」 けらけらと楽しそうに笑った少女は、自分が注目を集めていると気づいたのだろう気安い様子で片手を上げた。 「知ってる人も知らない人もこんばんは~! 壱番世界出身の武闘派女子高生、日和坂綾です、ヨロシク~! 今日は間違って狩らないでね?!」 私は魔女っ子だしーと着ている衣装をひらひらと揺らした日和坂に、白衣狼が分かり難く笑ったらしい。 「何だ、てっきり外れのお化けが迷い込んできたのかと思った」 「えー、だってハロウィンはこれでしょー」 しかも魔女っ子だよーと何故かそこに拘っている日和坂は、ねーといきなりしゃがんで目を合わせてきた。この場合、かぼちゃと視線を合わせるのが礼儀だろうか。 「この仮装、可愛いよね?」 「そうですわね……、よくお似合いだとは思いますわ。あちらの狸様ほど、美味しそうではないですけれど」 「っ! お、俺は食べても美味しくないぞっ」 食べ頃じゃないからなとふるふると頭を振る小狸に、冗談ですわと小さく笑った。 「今日の狩りの目当てはゴーストですもの。夜目が利かずにうっかり間違えない限り、襲いませんわ」 にっこりと笑って言い添えると、小狸はぷるぷると震えて白衣狼の後ろに潜んでしまう。冗談ですわよと声にして笑うと、大丈夫だって太助と宥められて顔を出している。 可愛らしい様子に悪戯心を刺激されそうになっていると、お化けはっけーん! とかなり遠くから聞こえた声は、次の瞬間には日和坂に詰め寄って虫取り網を振り回した。 「一匹目けっとぉおぉおぉぉっ!!」 ゲットじゃないかしらと思わずファリアが突っ込んだだけで手出ししなかったのは、すかさず虫取り網を捕まえて引き摺り戻している人影があったからだ。 「あー? オレちゃんの邪魔すんなー?」 不機嫌そうに低い声で振り返っているのは、兎耳の帽子を被ったままフランケンシュタインのメイクをしている虫取り網の主。玄兎も参加かーと太助が声をかけたが、帽子越しにボルトが突き出たフランケンシュタインは邪魔をしている青年を睨めつけるのに忙しいらしい。 「まだ開始の合図もないだろう? そもそも、いきなり女性に襲い掛かる無粋は控えたほうがいい」 「お化けが女かなんて知らねぇしーっ」 お化けは狩っていいんだもんねーと取られた虫取り網を振り回しながら主張する玄兎に、ごめんごめんと日和坂が被り直していたかぼちゃを持ち上げた。 「私、一応狩る人。これでお化け狩りに参加するけど狩らないでねっ」 「あー……、お化けじゃない?」 かくん、と首を倒して尋ねる玄兎に日和坂が勢いよく頷くと、何故か空を仰いでしばらく考え込んでいたらしい玄兎は頭が地面を擦るくらい上半身をぐにゃりと垂れさせた。 「ごめんちゃい」 「ううん、紛らわしい格好してて、私もごめんねっ」 謝っているというには大分ふざけているようにも見えるが、どうやら玄兎に悪気はないらしい。虫取り網を捕まえていた青年が大丈夫そうかと手を離すと、よっしゃ今度こそお化け狩りー! と目一杯それを振ってどこへともなく走り去る。 「元気そうですわね……、ゴーストを狩るよりよっぽど」 彼を追いかけたほうが運動にはなりそうだとちらりと考えるが、玄兎も食うのかとぷるぷるしている太助を見つけて笑った。 「仲間を襲うほどは飢えておりませんわ、ご安心なさって」 「そ、そーだよな、よかったー」 ほーっと安堵の息を吐く太助の横では、ようアインスと白衣狼が気安い様子で青年に声をかけている。けれどアインスと呼ばれた彼は視線さえ向けず、大丈夫ですかレディとかぼちゃ姫の手を恭しく取っている。 「うん、助かりました。ありがとう、アインスさん!」 「いいえ、麗しきレディを守るために私はここにいるのです、少しでもお役に立て、」 「あーもー気取っちゃって見てらんねぇなぁ! そういう気障な奴には、こうだー!」 滔々と話すアインスを遮ったのは上げた片手が空しかったのだろう白衣狼で、その手でアインスの首をがっちりホールドしてもう片手で髪をかき乱している。 「やめろ、健! 貴様、私の髪に触るなっ」 「はっ、さては俺がつけてる犬耳が羨ましいのか!? けどやる事はできない、俺はこれと狼尻尾を合わせてこそより完璧な狼男なのだから……!」 「わけの分からないことをほざくな!」 誰が羨むかとアインスが怒鳴りつけているのを後目に、太助がふと何かに気づいたように手──前足を振り上げた。 「よお、もうそろそろ開始かー?」 太助が尋ねた先はわすれもの屋の店主で、彼女は何だか面白そうに目を細めながら頷いた。 「君たちの漫才を見ているのも楽しいが、それではせっかくのお化けに出番がなくなってしまうからな」 言いながら店主が掌を上に向けると、ふわりと一体のお化けが現われた。ひーよー、と高く細い音がそのお化けから発せられたと思うと、周りを取り込んでいる家々の屋根からずらっと同じような形態のお化けが一斉に姿を見せた。 気の弱い人間なら、思わず後退りしそうな光景ではある。 「さあ、始めよう。夜を彷徨うかぼちゃお化けを、心行くまで狩ってくれ」 店主が楽しそうに宣言するなり、現れたお化けは笑い声のような音を立てて散り散りに逃げ始めた。 「お化け狩りだぜェエエお菓子置いてけーいヒヤッフゥウウウウウウウッ!!」 少し遠い場所から、玄兎の悲鳴にも似た歓声が闇を劈いた。 狩り放題、とぽつりとした呟きに太助が顔を巡らせると、日和坂の側にいたハイエナがちらりと舌を覗かせた。 「そういうのは得意ですわ」 何だか弾んだ声で呟いた彼女は、瞬きの間に二十体ほどに増えている。増えたー! と思って思わず眺めていると、ちらりと目が合った彼女は楽しそうに笑いかけてきた。 「早く行かれないと、わたくしが全部狩ってしまいますわよ?」 「それは困るっ。よおしっ、お菓子──じゃなかった、お化け狩りだーっ!」 言うなり太助はぽんと宙返りをして、梟に化けた。そのまま屋根の上で未だにぼんやりしているお化けを目掛け、飛んで向かう。こっそりと握り締めた肉球模様のスタンプを確かめた太助は、がおーっと羽を大きく広げた。 「たべちゃうぞー!」 太助の声に気づいてびくっと震えたお化けは、思ったより早いスピードでぴゅーっと逃げ出す。しょうぶだな! と目を輝かせた太助が風に乗って勢いを増すと、気づいたお化けはいきなり頭を振り出した。 ん? と思って知らずスピードを緩めてしまうと、お化けの頭からぽろぽろとお菓子が落ちる。きらーんと一層目を輝かせた太助は落ちたお菓子もすかさず回収し、軽くなってより早くなったお化けを、待て待てー! と本気で追いかける。 途中で急カーブをしたりいきなり下に沈んだりと小癪な真似をされたが、袋小路に追い詰めて上を塞ぐと白いぴらぴらにようやくぺたんとスタンプを押すのに成功した。 「よっし、一匹めー!」 羽を振り上げてガッツポーズに代えた太助は、頭を上下させて激しく息を切らしているお化けとしばし見つめ合い、羽先と白い布の先で硬い握手(のつもり)を交わした。 言葉はなくとも何かしらきらきらしている気がするお化けに、太助も大きく頷いた。 「おまえもよくやったぞー!」 強敵と書いて友だっ、と強く宣言した太助にお化けは感動したように何度か頷き、ぺたりと地面に座り込んだ。そうして先を促すように夜空を示すお化けに、行ってくると羽を揺らして再び空に舞い上がった。 「さてと、次のお化けはー」 狩りまくるぞーと気合も満点、次なるお化けに狙いを定める。 見つけた次のお化けは、人めいた仕種で道の少し上を進んでいる。角に来るとぴたりと角に背をつけ、そーっと先を覗いてるお化けに、上から急襲する。 「たべちゃうぞー!」 礼儀として声をかけながらスタンプを押そうとした時、召し捕ったりー! の台詞と共にぶあっと上から白い物が降ってきた。何が起きたのかとその白い物を確かめればどうやら網のようで、太助も一緒にゲットー! と楽しそうに笑って屋根から下りてきたのは坂上だった。 「健かー! びっくりしたぞー」 思わずけらけらと笑うと、ごめんごめんと楽しそうにした坂上が網を外してくれた。 「梟だけど、きっと太助だと思ってさー。今投げたら一緒に捕まえるだろうなーとは思ったんだけど」 楽しそうだし捕まえてみたと笑う坂上に、何だそれーと笑いながら抗議をしつつはっと気づき、一緒に捕まっておろおろと狼狽えていたお化けにぷにっとスタンプを押した。 「ふっ、悪いな健。勝負の世界は、ひじょうなんだっ。というわけで、こいつは俺の!」 「あ。……まいっか、じゃあ俺も次を探すよ」 次はもう捕まんなよーと揶揄して語尾を上げた坂上に、おまえが捕まえるなよーと笑って返しながらこっそりとスタンプを構え直す。ひらりと翻る白衣の裾に、ぺたり。 気づかずにセクタンを呼んで歩いていく坂上に、太助はこっそりと笑った。 「うし、健もゲット!」 玄兎は、夜の町を疾走していた。 ひやっほー!! と両手に持った虫取り網を振り回し、視界に入った物をオートで追いかける。たまに追いかける対象がお化けじゃなかったりするけれど、そんな事は気にしない。 今回もまた、ごめんなさい許してください俺はお化けじゃないんですーっと頭を抱えて蹲った誰かを見下ろし、はれ? と首を傾げた時。やたらと呑気に、ふよふよと目の前に漂ってきたお化けと目が合った。 見つめ合う事、しばし。夜なのに、特に光源もないのに、玄兎のゴーグルがきらーんと光る。 「お化け発見、クロちゃん追いかけモードに変身!!」 つっかまえろー! と自分に指令を下すなり虫取り網を振り、捕まって堪るかとばかりに逃げ始めるお化けを追いかけ始める。 「あっひゃひゃひゃひゃひゃ、逃げろ逃げろ逃げんな逃げろー!」 追いかけて走り出すとテンションが高くなって、目標物にだけ視点を据えてひたすら突っ走る。 目の前をぴらぴらと白を翻して逃げるお化けは、なかなか捕まらない。いい加減に捕まれー! と右手に持っていた虫取り網を投げると、追いかけていたお化けはひらりと身をかわした。 「ぬうん……、やるなっ」 思わず足を止めて呟くと、何だか左手が重い気がする。ふと視線をそちらに変えると、虫取り網の中に何体かのお化けが目を回した様子で捕まっている。 「おおっ、クロ様天才じゃーん?」 追いかけていた個体を忘れてしゃがみ込み、負っていたうさちゃんリュックを下ろす。徐に手を伸ばして網から取り上げたお化けをそこに詰め込み、ふと目をやるとさっき投げた網にも何体か捕まえているらしい。 ご機嫌に近寄ってそれもリュックに詰め込んでいると、少し先で何だよもお終りかよーとでも言いたげにさっきまで追いかけていたお化けが浮いている。 「あ。お化け」 今初めて見つけたとばかりに呟いた玄兎は、虫取り網を両手に構え直す。 どこからともなく、用意! と誰かが掛け声をかけた気がする。どん! と聞こえない誰かの声を合図に再び駆け出し、 「逃げろー!!」 お化けを脅すように叫んできゃはははははと甲高い笑い声を上げる。 たまに壁にぶつかりそうになっても急ブレーキをかけて遣り過ごし、上に下にとからかうように揺れるお化けに向けて虫取り網を突き出す。 「うおおぉおぉっ菓子ぃ置いてけー!!」 持っている虫取り網をバットか何かのように振り回して叫ぶと、横からひゅっと影が飛び出してきた。思わず足を止めて目をぱちくりさせると、玄兎をからかうように逃げていたお化けはいきなり出てきたハイエナが咥えている。 「ごめん遊ばせ。狩りは早い者勝ちでしょう?」 にこりと笑ったらしいハイエナはそう言うとお化けを放し、ぷにっと前足で印をつけるとひらりと尻尾を揺らした。 きらーんと、再び玄兎のゴーグルが光る。 別のお化けを探して駆け出すハイエナに、クロちゃんアイロックオン。追撃、開始! 三々五々と参加者が散って行った後、アインスは開始を告げられた場所から移動しないで用意したインク入りのビニール弾を確認する。 出発点ならば人がいなくなるだろうという、彼の予想は当たった。このまま物陰に潜み、気を抜いて漂ってくるお化けを狙い打ちにすれば効率的だ。 「さすがは私、天才的作戦だ」 呟きながらも視界の端に入ったお化けに顔は向けないまま銃口だけを向け、撃つ。 白い身体に赤い塗料が広がると、お化けは自分の身体を見下ろしてよろよろっと地面に落ちた。ノリのいいことだと苦笑したアインスは、別なるを探して顔を巡らせた。 狩りと聞くと、血沸き肉踊る。相手を追い詰める方法をあれこれ考えていると自然と笑顔になるのは、人類共通の本能だろう。 「菓子に興味はないが、仮装したレディの訪いを受けた時には必要だからな」 相手が野郎であれば蹴り返すだけだから、麗しいレディの分だけ。確保できればいいと考えながら屋根の上に顔を出したかぼちゃを撃ち抜くと、赤い印がついたお化けは屋根を転がって落ちてくる。 どうやらここのお化けは、ノリがいいらしい。 対角線上の屋根に別のお化けが顔を見せ、足元にもふわりと一体が姿を現す。屋根のお化けを撃ちながらもう片手で足元のお化けを捕まえ、その間に後ろから回り込んできたらしいお化けに銃口を向ける。 「それで私の後ろを取ったつもりか?」 甘いと躊躇わず引き金を引くと、片手に捕まえていたお化けがくるりと顔を反対方向に向けた。知らず視線で追いかけると、アインスの目の高さに十五体ほどのお化けがずらりと並んでいる。 どわあっと思わず皇子らしからぬ悲鳴を上げかけたが何とか飲み込んで、一斉に突っ込んでくるお化けの群れを片っ端から撃っていく。最後の一体は一度アインスの顔に張りついてきたのを引き剥がして撃ったが、誰も見てないので内緒だ。 「ふっ、他愛ない」 ちょっぴり勝ち誇って呟いたアインスを、捕まえられたままぷらぷらしていたお化けが奥にお菓子を秘めた目で見上げてくるが気にしない。 とりあえず大量のお化けがノリに任せて倒れているので、片付けるべきかと思案しているアインスの上から何か白い物が降りかかってきた。 「っ、何だこれは!?」 まさかハズレお化けかと引き剥がすべく格闘していると、悪い悪いと朗らかな謝罪が屋根の上から降ってくる。その声を辿って睨みつけると、ひゃらっと笑っている坂上を見つける。 「でっかいお化けかと思ってさ。悪いなー?」 「私のどこがお化けに見える!?」 「白くて、ぬぼーっとしてるとこ?」 笑って答えながら下りてくる様子もない坂上に、躊躇わず銃を向けて撃った。額に直撃したらしく、痛ぇっ!! と押さえて蹲っている姿に少しばかり溜飲を下げる。 「おっと、かぼちゃと間違えてしまった。悪いな、ハハハ」 「しっかり会話しといて、どう間違うんだ!」 「煩い。どうでもいいから、さっさとこの網を外せ」 どうやって外すんだと網と格闘したまま言いつけると、坂上はすうと目を細めた。 「網ならもう一つ持ってるから、それはアインスに貸してやるよ。じゃあな」 「ちょっ、待てこら、健!?」 外して行けとアインスの声も聞かず、坂上の姿はそこから消える。残ったのは網を被ったアインスと、倒れたままのお化けの群れ。 ……網を被ったままでも、きっと銃は撃てる。 いやっはー!! とどこか遠くからテンションの高い声が聞こえ、あれはさっきの兎耳フランケンシュタインさんかなーと見当をつけた。お化け狩りを開始するなり屋根に上がった綾は、ちょっと背伸びをして声の主を探し、不思議な光景を見つける。 さっき綾に話しかけてきたハイエナさんが、兎耳さんに追い回されているような? 「んー、……お化け狩りじゃなかったっけ?」 大丈夫かなーとちょっぴり重い頭を傾げたが、楽しそうには見える(主観)。 「楽しいならいっか!」 それが一番と納得して自分もお化け狩りに戻ろうと視線を戻すと、そこにふよふよと浮かんでいたお化けと目が合った。 「おー。トリック・オア・トリート!」 思わず手を上げて挨拶すると、きょろきょろと辺りを見回したお化けはふらふら~っと下りてきて、そのままぱたりと屋根の上に倒れた。 予想するしかないのだが、どうやら死んだ振りでもされているらしい。 「おーい、ランタン君~」 別に怖いことしないよーと笑った綾は、ひょいとお化けを抱き上げてかぼちゃを被ったままお化けにキスをする。びくっと身体を竦ませて固まっているお化けにリップクリームを取り出し、きゅいきゅいとかぼちゃにキスマークを描きつける。 「それから、これはお土産」 はいどうぞ、と虫篭に一杯入っている飴を一個取り出して渡すと、お化けは戸惑ったように首を傾げる。その様子にふっと口許を緩めた綾は、だってねと笑顔を深める。 「捕まえるのも捕まるのも遊びかなって。ならランタン君たちも、たくさんのヒトに捕まりたいかなって」 捕まえたりしないからまた逃げ回っておいでよと笑いかけると、お化けは様子を見ながらそろりと離れる。 「頑張れ、ランタン君」 ぐっと拳を作って声をかけると、お化けは飴を持った手(と思われる部分)をゆらゆらと揺らした。にこっと笑った綾も手を揺らし、再び屋根の上を駆け回ってお化けを探す。 「屋根走るなんてこんな時じゃないと出来ないじゃん? た~のし~」 さすがに夜だから足を踏み外さないようにと気をつけながら走っていると、ふらふらと浮かんでいるお化けを見つけた。 「待て待て~」 捕まえちゃうぞーと声をかけながら追いかけ出すと、ぴょんと跳ねたお化けは慌てて逃げ始める。追いかける綾を気にしながら逃げ場所を探したお化けは、少し離れた家の屋根まで逃げてふぅと一息ついたらしい。 ちっちっち、と指を揺らした綾は、危ないから退いててねーと声をかけてその家の屋根までひょいと軽く飛び移る。 「っ!」 まさか追いついてきたとばかりに逃げようとするお化けを捕まえ、かぼちゃ同士がぶつかるようなキスを贈る。 「はい、キミにもちゅー」 言いながらまたリップクリームで印をつけ、飴を渡して解放する。 そうして目についたお化けにキスと飴をプレゼントして回っていると、虫篭の飴が尽きそうな頃にがこんっと痛そうな音がして視線を巡らせた。 「?」 何の音ーとこっそり角からかぼちゃだけを覗かせると、でっかいかぼちゃお化けがそこに倒れていた。 あれに見えるは、ハズレのお化け? ファリアは屋根の上でふよふよしていたお化けを捕まえてぷにっと肉球を押しつけたところで、くきゃきゃきゃきゃと甲高い笑い声に気を取られて顔を巡らせた。 視線の先に見つけたのは、自分の分身。それが兎耳のフランケンシュタインに、追い回されている姿。 確かに、人とは思えないほどの速さで夜の町を駆け巡っている兎耳を追い回すほうが、運動にはなりそうだと思った。思ったけれど、まさか自分の分身が追い回される羽目に陥っていようとは。 「……シュールですわ……」 かなり本気で逃げ回っている自分の姿を見下ろして、ぽつりと呟く。兎に追い回されるハイエナなんて。 プライドに懸けて全分身で追いかけるべきかとちょっぴり考えそうになったが、前足の下でぴちぴちしているお化けを思い出して小さく頭を振った。 「今は、狩りの時間でしたわね」 軽く視線を巡らせただけで、そこここに漂っているお化けを見つけられる。別のハンターから逃げ回っていたり、見つからないようにこそこそ隠れていたりと様々だが、どれも彼女には狩りやすいいい獲物だ。 捕まえていたお化けを解放し、知らず身体を震わせる。夜の町で狩り。なんてお誂え向き。 「うぅ~~~い、とにかく、捕まえるわよ」 ちらりと舌なめずりして、獲物を見据える。ヌーやシマウマに比べてはあまりに容易い獲物だが、個々で数を狩るには丁度いいのだろう。 他のハンターたちにもそうだが、自分の分身にも負けたくない。追いかけられていた分身はちょっとばかり頭から抜いて、目標個数を決めて無心に狩り出す。 逃げ回っているお化けも多いが、隠れて気を抜いているのも結構いる。それを中心に次々と狩り──勢い余って、幾つかのかぼちゃの頭を噛み砕きそうになったのは内緒だ──、十体めに肉球を押しつけた時。 ふと上から滑空してくる気配を感じてさっとその場を退いたが、尻尾に何か軽い感触があった。 「へっへー、印つーけた!」 嬉しそうに弾んだ声を出したのは、近くの壁に止まった梟。ただその声は、先ほどの太助と呼ばれていた小狸のそれだろう。 尻尾をちらりと確認すると、肉球のスタンプが押されている。 「まぁ。わたくしとしたことが」 苦笑めいてファリアが笑うと、太助と思しき梟は嬉しそうにしたまま飛び上がった。 「今日はびっくりさせた者勝ち、だろ?」 俺の勝ちだなと自慢げに胸を張った太助の愛らしさに、知らず口許が緩む。 「ええ、まさかわたくしまで狩られるとは思ってもみませんでしたわ」 兎に追われたり狸に狩られたり、想像以上の経験だ。それでも、楽しそうな様子を見ていれば悪い気はしない。 「そんじゃ、また別の奴を驚かせてくるからこれでな!」 「あなたも狩られないよう、お気をつけ遊ばせ」 「おーう!」 器用に羽を揺らして答えた太助を見送り、お化け狩りよりお化けの役割も楽しそうですわねと目を細めた。 坂上健はポッポの目を借りて、屋根の上から投網してお化けの捕獲に務めていた。たまに間違って太助やアインスも捕まえたりしてしまったが──あくまでも間違ってだ、間違って──、お化けも割と順調に捕まえている。 「今回は二体か。びっくりさせたなー、今出してやるからな」 声をかけながら網を外した健は、捕まってわたわたしていたお化けにシールを貼ろうとして一体のかぼちゃが少し欠けてしまったのに気づいた。 「あー、怪我させる気はなかったんだけど……悪いな?」 今直すからなと白衣から取り出したのは、こんな時の為に用意してきた人形修復セット。裁縫セットやパテなども備えた優れものだが、今回は接着剤で何とかなりそうだ。 道に落ちているかぼちゃの破片を拾い、接着剤をつけて欠けた部分に当てる。振り回すなよーと注意しながら、印にと用意していた星のシールを取り出して体の部分にぺたっと貼った。 「ほい、修理終わり! 元気に飛び回ってこい!」 ぐっと親指を立てると、捕まえたお化けは不思議そうに首を傾げるのでにっこりと笑い、 「年に一度のみんなで遊べる日だもんなぁ。お前らだって楽しまなきゃ損だよな」 時間まで目一杯逃げ回ってこそだと頷くと、お化けたちは嬉しそうにしてふよふよと飛んでいく。これで何体めだっけなぁと見送っていると、ポッポが頭の上に乗ってきた。 「ん、どうした?」 もう屋根に戻るかと手を伸ばしかけたが、尻尾をつんつんと引っ張られる感じがして視線を下ろした。そこには何故か、何体かのお化けが列を作っている。 「え? ひょっとして自首されてる……?」 逃げるのに疲れたとかとしゃがんで尋ねると、尻尾を引いていたお化けは布の裂けた部分を突きつけてくる。 「ああ。お前たちも直してほしいのか!」 そういうことなら任せとけと裁縫道具を取り出して繕うと、嬉しそうにしたお化けは踵を返すでもなく何やらもじもじとそこにいる。まだ修理するところがあったかと首を傾げると、ポッポがシールを咥えて揺らした。 「あ。でもこれを貼ると、俺が捕まえた事になるけど……」 いいのかなと躊躇ったのは一瞬、貼ってとばかりに体を突き出されるので笑いながらぺたりと貼る。きらきらーっと目を輝かしたらしいお化けがぴょーんと飛び上がると、次に並んでいたお化けが壊れた部分を見せてくる。 「こうなったら全部直してやろう!」 用意してきてよかったなーと呟きながらお化けの修復に努めていると、ひーぃいぃぃぃぃっやっはー!! とテンションの高い声が一瞬で目の前を駆け抜けて行った。 巻き起こった風に思わず閉じていた目を開けると、修理待ちに並んでいたお化けの大半がごっそりと消えている。 見ることも叶わなかったが、今通り過ぎたのは多分に日和坂を捕まえようとした兎耳のフランケンシュタインだろう。彼は確か両手に虫取り網を持っていた、突っ走るだけで大量のお化けを乱獲しているのだろう。 「……まぁ、終わってからでも修理はできるか」 とりあえず網を逃れた修理待ちの列に向き直った健が、側で寛いでいたポッポがいないと気づくのはもう少し後の話。 倒れているでっかいお化けに近づいた綾は、ちょんちょんと指先でかぼちゃをつついた。 「ダイジョブ、生きてる? ナンかお手伝い要る?」 司書さんだよねーと声をかけると、かぼちゃから呻くような声が聞こえてくる。 「う……、兎……、兎が追いかけて……っ」 兎がとそれだけを繰り返され、成る程、玄兎と呼ばれていた彼はハイエナの後にこのでっかいお化けも追い回していたのかと納得する。 「歩けるー? 手、貸そっか?」 言いながらよいしょと持ち上げると、申し訳ありませんとくぐもった謝罪が届く。 「捨て置かれて結構ですよ……、生憎ともう歩く気力もないので……」 「ううん、だいじょぶじょぶ。いざとなったら、引き摺ってでも連れて行ってあげるからさ」 ランタン君たち総出で引き摺るのもよくない? と弾んだ声で尋ねると、どうぞ捨てて行ってくださいと強めに拒否される。じゃあやめとくーと笑って肩を貸したまま歩いていると、ひゅるひゅると音がして空を見上げた。どうんっとお腹に響く音を立てて開いた夜空の花に、ふあーっと感嘆する。 「秋の花火も乙だよねぇ。あれ、誰が作ったのかなぁ」 「……わすれもの屋の店主でしょう。創るだけにしておけばいいものを……」 いらない事を思いついてばかりでと声を震わせるお化けに苦笑しながらも幾つか上がる花火に見惚れていると、綾と声をかけられた。 「アインスさん。どうしたのー?」 「君がここで困っていると店主に聞いて、手を貸しにきた。そんな無粋な物、レディに持たせるのは忍びない」 代わろうと手を貸してくれるアインスにありがとうと笑ってでっかいお化けを任せ、狩りは終了かーとかぼちゃを脱いだ。 「でも割とランタン君に飴は配れたかな? アインスさんは、どれくらい捕まえたー?」 「正確な数字は分からないが、二十くらいは捕まえたと思うが」 「アインスは、網から逃げるのに時間がかかったんだよなー?」 冷やかすような声がいきなりかけられ、坂上の声だと振り返った先ではでっかいお化けが飛んでいた。飛べるなら司書さんじゃなかった? と首を傾げたが、危険な真似をするなよと坂上が避けた先でべしゃっと倒れ込んでいるところを見ればやはり飛べないのだろう。 「ダイジョブー?」 顔面から突っ込んだねと不安に思いつつ声をかけると、ばらばらじゃーんといきなり現われた玄兎が砕けたかぼちゃを楽しそうに拾っている。 「これがハズレのお化けですのね」 「顔面ダイブ、大丈夫かー?」 「もう……、もういいからそっとしておいてくださ……っ」 ぐぐっと握り拳で声を震わせるでっかいお化けに苦笑していると、全員戻ったようだなと店主がいきなり現われて声をかけてきた。 「印をつけてくれたお化けの集計は終わったんだが、君は捕まえてくれていただろう?」 どこかに持っているのかいと声をかけられたのは玄兎で、あったりまえだっぴょーん! と嬉しそうにして兎のリュックを下ろした。二体くらいしか入ってなさそうだなーと太助が呟き、確かわたくしが見た時はもっと、とハイエナが首を傾げた時。 リュックを引っ繰り返し、力一杯振る動作に合わせてお化けがごろごろごろごろ、大量に出てくる出てくる。 「……それは、どこに入ってたのかな?」 感心するやら呆れるやらで思わず尋ねるが、聞いた風もない玄兎はくきゃきゃきゃきゃと笑いながらリュックを振り続けている。途中でお化けとは違う形状の物が転がり出て、拾い上げればオウルフォームのセクタンだった。 「だ、誰かー! セクタンが捕まってましたよーっ」 大探し中ではないかと声を張り上げると、アインスと取っ組み合いさえしそうにしていた坂上がはっとして振り返ってきた。 「ポッポ! どこかでお化けと遊んでるのかと思ったら、捕まってたのか!?」 ごめん気づかなくて! と手を伸ばした坂上に抱き上げられたポッポは、未だに目を回したままらしい。玄兎はその様子を黙って眺めた後、てへ? と帽子に刺さっているボルトを抜いた。 「しっぱい」 お詫びの印なのだろうか、抜いたボルトをそっと差し出しているがポッポを気にした坂上に気づいた様子はない。 へにゃんと兎耳を垂らした玄兎に、君が一番のハンターみたいだなと店主が声をかけた。途端、耳がぴょこんと立ち上がる。 「オレちゃん、いっちばーん!!」 「ああ、沢山捕まえてくれてありがとう。数が多いから、あそこで配っている兄に、」 貰ってくれと店主が続けるより早く、玄兎の姿はそこから消えていた。くすくすと笑った店主は手にしていた籠から袋を取り出し、これは君たちにとハイエナと目を合わせてしゃがんだ。 「もしよかったら、後で兄が指定の場所まで届けるが」 「そうしてくださると助かりますわ。思ったより……、多そうですわね」 「君の努力の結果だからな。他にも配達したほうがよければ承るが」 どうしようかと見回した店主に、太助がはいはいと飛び跳ねながら手を上げた。 「俺は持って帰るぞー!」 「それでは、これが君の分だ。落とさないように気をつけて」 「おー、一杯だなぁ!」 「君のお手柄分だからな」 「へへー。ありがとな!」 嬉しそうに笑って礼を言う太助に、こちらこそありがとうと店主は丁寧に一礼してアインスと目を合わせた。 「お客人には、ご要望り三つに分けたが」 「ああ、有り難い。貰って帰ろう」 言いながら店主から三つの包みを受け取ったアインスは、一番小さい一つを片付けてハイエナの前に跪き、そっと手をとって爪先に口づけた。 「受け取って欲しい、レディ」 「あら。では、有り難く」 頂戴しますわと淑女っぽく返したハイエナに思わず拍手していると、にこりと笑って捧げたアインスは綾の前で来て同じく跪いた。 「はわわわわ、アインスさん?!」 せっかく自分が狩ったのにと慌てるのに、貰っておけばどうだと店主が声をかけてきた。 「男の気遣いを笑顔で受け取るのも、淑女のタシナミだぞ?」 なぁと店主が笑いかけ、ハイエナもそうですわねと頷くので恐る恐る受け取るとアインスも笑顔になった。 「ありがとう」 「どう致しまして、レディ」 そっと取られた手の先に口づけられて照れている間に、店主は坂上にもお菓子を渡している。 「お化けの補修までさせてしまってすまなかったな、お客人」 「いいや、俺が好きでやったことだからさ」 気にしないでよと狼のマスクをつけた目を細めた坂上は、ちょっと真面目に店主を見つめて言う。 「俺は夜にあんまり出歩かないから、普段と違った楽しい時間って気がするんだよな。でも微妙にこう、人恋しい気分にもなるんだよ。だからそういうしんみりを吹き飛ばす、こういうイベントが大好きなんだ」 企画してくれてありがとうと笑い、それからとランタン型のお菓子の詰め合わせっぽい物を取り出した。 「これは、頑張ったランタンとアンタに、さ……トリック・オア・トリート?」 「っ、嬉しい驚きだ。ハッピーハロウィン」 これでは逆だなと言いながらも嬉しそうにそれ受け取った店主に、私も私も! と綾も手を上げた。 「楽しかったよ~! 来年もやってくれないとイタズラしちゃうゾ?」 言いながら、彼女が手にしたままの自分が貰うはずの分を指した。 「それは、店主さんにおみやげ!」 私はアインスさんに貰ったからと受け取ったお菓子を見せると、店主は参ったと額を押さえて空を仰いだ。心なし、耳が赤い気がする。 「まさか、こんなに素敵な想いを頂けようとは……。不覚にも喜んでしまうじゃないか」 嬉しそうに口許を緩めた店主は、ふらりと視線を外して口許に手を添えた。 「そこで跳ねている、一番ハンター。そう、兎耳の君だ。兄が持っているボタンを力一杯押してくれないか」 「おおおおおっ! 一番ハンター、いっきまーす!!」 しゅぴっと敬礼した玄兎は、店主の兄と思しき男性が掌に乗せているボタンを上から叩きつけるようにして押した。と、ひゅるひゅると花火の打ち上がる音がして、全員が空を仰いだ時には夜空を覆いつくさんばかりの花火が咲いた。 「素敵な夜をありがとう、お客人」 花火の音に紛れるように店主が囁き、ふと目が合うと悪戯っぽく笑った彼女は自分の服の裾を指した。何かついているのかなと首を傾げ、君の服だと声なく促されて見直すとスカートの裾に小さく肉球のスタンプが押されている。 「あ。いつの間に?」 目をぱちくりさせると、へへんと鼻を擦った太助と目が合った。 「綾もげーっと!」 にっと笑った太助の視線を追いかけ、アインスの服の裾にも同じくついているのを見つける。ひゃっほー花火ー!! と走り回っている玄兎には、お尻の部分に。因みに、倒れたまま動かないでっかいお化けのかぼちゃにも。 「全員ゲットー!」 嬉しそうに笑った太助の顔を、まだ打ち上がる花火が色取り取りに染めていた。
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