「壱番世界はハロウィンの時期よね」 それは壱番世界の暦で10月のある日、午後のお茶の時間に、アリッサが言った。「そうですね。ジャック・オ・ランタンでも用意させますか」 紅茶のお代わりを注ぎながら、執事のウィリアムが応える。「んー、でも、ターミナルだと今いちハロウィンって気分にならないわ」「そうですか?」「だってこの青空じゃ。ハロウィンって夜の行事っていうイメージだし。どこかにおあつらえ向きのチェンバーでもあればいいんだけど」「お嬢様。先日のビーチのようなことは、どうかお慎みを」「しーっ! 内緒よ、内緒!」 アリッサはくちびるの前でひとさし指を立てた。「あ――、でも待って。チェンバーじゃなくても、ターミナルに夜をつくることだってできるわよね」「それは……原理的には可能ですが、0世界の秩序を乱すことになります。ターミナル全体となりますと、ナレッジキューブも相当要すると思われますし」「でも、ウィリアム。私、前から思ってたんだけど、ターミナルに暮らす人の中には、夜しかない世界から来た人だってきっといるでしょう? 昼しかないって不公平じゃないかしら。ねえ、試しに、ちょっとの間でもいいから、『ターミナルにも夜がくる』ようにしてみない?」「……」 ウィリアムの表情は変わらない。だが賛成していないことは明らかだった。 しかしその一方で、アリッサが言い出したら聞かないことも、彼はよく承知している。 それから数日後――。 世界図書館内ではかなり議論が紛糾し、実施にあたって各方面の調整は困難を極め、一部の事務方職員は瀕死になったというが、ともあれ、正式に、ターミナルの住人にその告知が下った。『10月下旬の一定期間、試験的に「夜」を行ないます。「夜」の間、空が暗くなりますので、外出の際は十分にお気をつけ下さい』 一時「夜」が訪れたターミナルでは、いつもとは違った事が行われたり起こったりしている。 その中で、世界司書のシド・ビスタークはこう話を切り出した。「お前ら、鍋に興味はあるか?」 話はこういう事らしい。一時的に夜になったターミナルは一種のイベント事に近く、ターミナル街のとあるレストランもそれにかこつけて深夜特別営業をするという事になった。折角の深夜なので店の外に席を設けて、という事なのだが、店長が「どうせなら鍋やらない?」という謎の言動によってそのような流れとなったらしい。 夜とはいえ暑くも寒くもない0世界に、情緒も何も無いような気はひしひしとするのだが――そこはそれ、何かしら建前を付けて楽しみたいらしいという店長の嗜好らしいとシドが困ったように説明する。「勿論、そこは他の客へ通常通りのメニューも出すから人手が足りないってのもあるらしいから、手伝い募集も兼ねているそうだ。鍋だの何だのは、まぁそれが終わった後の楽しみと思ってくれた方が良い」 丸っきり順序が逆になってしまっているが、その辺の細かい事は気にしていないのかシドは鷹揚に片手を振る。手伝いといっても、給仕や雑用まで色々とあるらしいから多少の不得手があっても構わないらしい。「それで、その後の鍋の事なんだが……」 ――如何にも、「闇鍋」の類だとか。 普通にやれよという所はもっともな意見だが、何処ぞかで要らぬ知識を仕入れて来たのかその方向で行く事になったらしい。 外は夜、必要最低限の明かりだけを灯して皆で鍋を突っつき合う――店長が言うには「楽しそうで微笑ましい」という事だが、それを言うシドの顔色はあまり宜しくない。多分、変な意味での想像も含まれているのだろう。 まぁ、前提として「人間が食べられるもの」で「生きているものは駄目」という条件がある上に、万が一に備えて普通の水炊きも用意してあるのでそこまで大惨事にはならない、という見立てだが。「どうせだから楽しんで来い。ただ――食い物は粗末にするなよ?」
ターミナル・ナイト。一時的に「夜」になったターミナルはある種の御祭り事みたいなもので、参加型のイベントも含めてターミナルに構えた店も「深夜営業」する所が多々ある。 今回トラベラー達が手伝いをする所もそういった店の一つであり、普段は来ない夜と店の外に出された席やキャンドル照明の演出も手伝ってか非常に盛況だったらしい。 勿論盛況な分だけ忙しい訳だったがそんなこんなで深夜営業の時間も過ぎ、片付けも一段落した後は世界司書が言っていたものに移される。 「お疲れ様なのです。ウェイトレス姿、とても御似合いだったのです」 一段落付き、シーアールシー ゼロが他の皆に向かって一礼する。 「『いらっしゃいませ~、お煙草、お吸いになりますか? 2名様、禁煙席にご案内で~す』って、結構良かったでしょ? でもこれ、メイド服なの。だってどうせならメイドさん、本格的にやってみたかったんだもん。メイド服、可愛いし……か、可愛いモノは好きだもん」 ゼロの言葉に接客時の対応を再現しながら、日和坂 綾はウェイトレス姿ならぬメイド姿で主張する。メイド服は何処とは言わないが、素敵紳士達が集まる某酒場辺りからの物かもしれない。 「ぼくも可愛いのは好きだよ」 にこにこと笑顔を浮かべてニワトコが同意し、好きならそれで構わないと李 飛龍も頷く。 そして待ちに待った――か如何かは定かではないが、手伝いの慰労を兼ねた闇鍋である。 「や……闇鍋か。まぁ、色々と持っては来たが」 「初めっから決まっていたもんね~。今日の闇鍋、お手柔らかにね?」 屋外にテーブルや椅子を出していたのでトラベラー達の分を除いて他は店の中に引っ込めており、鍋用の取り皿やカセットコンロは既に用意してある。残るのは、例の鍋本体とその中身だけだった。 皆が持ち寄った中身は全員が居る前で鍋に入れると分かってしまうかもしれないという可能性も考え、店長が先に集めておいて鍋に入れた状態で持って来る。切る必要があるものが持って来られたのかの問題は、この際無視する所だろう。なお、当然の事ながら大量発生したとはいえセクタンは入っていない。 楽しみ半分、もう半分は敢えて言わずに置く事にして、肝心の鍋を待つ中でニワトコが眠たげに目を擦る。何となく、頭に生えた草花も垂れているように見えた。 「大丈夫か?」 「ん~……暗くなると眠くなっちゃうだけだから、たぶん。闇鍋の時に居眠りって事は、ない……と思うよ。折角の闇鍋だし、寝ちゃう心算で来てないから」 「そうなのです。ゼロもまどろむ人ですが闇鍋で来ているのです」 周囲は「ターミナル・ナイト」で暗く、灯りも眩し過ぎる照明は意味が無いという事で陶器製のキャンドルポットに入れられた数個のキャンドルの灯りしかない。鍋を置くカセットコンロには弱火ながら火があるものの、それでも決して明るいというものではなく暗かった。 李が声を掛けると、ニワトコは少し眠たげながらも寝に来た訳ではないと緩々と首を振る。それに、ゼロが言葉自体は若干ズレている気がするがもっともだというような表情で頷いた。 「あのね、ぼくは料理とかよく知らないんだけど、『闇鍋』ってどんな食べ物なのかな?」 「え、知らないで来ちゃったの?」 日和坂が思わず問うと、ニワトコはこくりと頷く。 何せ、最近になって食事をするという事を覚えたばかりの上に元々その手の事には無縁な世界の出身。ネーミングの新鮮さに釣られてやってきたものの、それが何なのかまでは分かっていなかった。そういえば、シドの説明も「闇鍋」と示しただけだったような気もする。 「では僭越ながら、ゼロが説明するのです」 こほん、と一つ咳払いをした後、ゼロが「闇鍋」なるものの説明をする。 「闇鍋とは暗闇の中で行う事から名付けられ、有志が集まり未知の食材や味覚に挑戦する事によって、己の精神を高める為の儀式だと認識するのです。非常に作法を重視する料理でもあり、決められた然るべきルールによって行わなければならないという厳格なものなのです。故に、任務を遂行するが如く、闇鍋を完食する所存なのです」 「へー……すごいんだね、知らなかったよ。初めて聞いたよ」 「……儀式、か? 合っているような、何か違うような……」 「そ……そうだったっけ? 何か、闇鍋っていうのは普通に皆で自分以外は分からない材料持ち寄って暗い所で食べるって感じだった気がするんだけど……」 闇鍋――それは、親しい人同士、多人数がそれぞれ自分以外には不明な突飛な材料を持ち寄り、暗中調理して食べる鍋料理の事である。元々はトキの鍋の事を言い、その昔、トキの肉は美味ではあるが、肉を煮ると煮汁が血のように赤く染まる為に暗所で鍋を食べた慣習が始まりだというが真偽の程は定かではない。 その成り立ちはともかくとして、何だか妙に壮大そうなゼロの言葉に感心するニワトコに対してコンダクターである李と日和坂はそうだっただろうかと若干冷や汗混じりの疑問を呟く。実際はどちらも決して間違ってはいないのだが――此処ではその言及は横に置くとして、ツーリストとコンダクターとの反応はそれぞれで違うものらしい。しかも、さり気無く逃げ口として用意していたマトモな水炊きの方ではなく、あくまで闇鍋を完食するという方向のようだった。 そんな風に暫し認識の違いを実感した所で、店の奥から店長が出て来る。些か見え辛いが、その手には湯気が立ち上った大きな土鍋を持っていた。 「お、来たようだぜ」 蓋が閉まっているので中は見られないが、湯気と共に漂う匂いは普通と違うというか。 ――若干、微妙と言った方が良いかもしれない。 明らかに、この時点で水炊きとは違っている。店長がカセットコンロの上に鍋を置き、蓋を取ると更に漂う匂いが顕著になった。 仄かに苦臭いというか、薬臭いというか。それにプラスして、何やらが混じり溶けたような。手を付ける前から闇鍋感を醸し出していた。 一体何を入れた。ほぼ自分が持って来た物しか知らない為、それは食して知るべしという事だろうか。 「えっと……材料は決まってないんだよね。どんな味になるのかな」 「まぁ、色々持って来たぞ。ただ……既に『何でこうなった』状態な気がするんだが」 実に言い得て妙な事を李が突っ込み、皆が小皿を手に取る。 鍋といえば直箸は御法度なものだが、今回その点に関しては特に追及されない。ただし、一度お玉や箸で取ったものは何であっても戻さない事、という条件が付けられていた。 「それも闇鍋の作法なのです」 ゼロ曰く、そういう事らしいが鍋を運んで来た店長はまだ片付けがあるらしいという事で、早々に再び店の奥に引っ込んでしまう。後は、各々で適当に楽しんでくれという事なのだろうか。 「いよ~しっ!! 一番箸、日和坂、行きま~すっ!」 ともかく、食さねば始まらない。元気良く宣言しながら、日和坂がお玉と箸を駆使して小皿に中身と汁を盛ると他の面々も順々にそれに続く。 材料の種明かしは、まず一口食べてから。この時揃って無言なものだから、何となく妙な雰囲気ではある。 「し、汁が凄い感じになっているような……あ、具は普通にカボチャだ」 「これ玉子かなぁ? 何か分からないけどおいしいね」 「……む、これは肉か? よし、これは俺にとっては当たりだな」 「おおっ、これは! ……プチトマトなのです」 如何やら、全員自分が持って来たものとは違う食材に当たった様子。食べ物は粗末にするなというシドの言があった所為なのか、それとも箸を付けたものは責任持って食べるべきなのだという暗黙の不文律でもあったのか如何かは分からないが、反応はそれぞれながらもとりあえず一掬い目は食べ切る。 「えーっと、カボチャは確か店長さんが入れるっていう物だったよね」 当たり障りが無いものでがっかりだったような、安心だったような。程良く一口サイズに切られたカボチャは鍋の中でよく煮込まれ、素材も良いものだったのか非常に甘みが強かった。食感としては芋に近く、鍋に入れても然程おかしな事にはならない代物だったが、それがたっぷり吸い込んだ鍋汁の方が問題だった。 店長が用意したものは分かっているのでそれを除き、一回りしたので具のネタばらしと少し周囲のロウソク灯りを増やして鍋の中を見られるようにする。 「へー、これが『闇鍋』? 何だか汁、ちょっと白っぽいね」 具の方はまだまだ隠れているので分かり難いが、汁の色程度は分かるのでニワトコが鍋を覗き込んで興味津々に言葉を漏らす。勿論、その間にも煮詰まってしまうので鍋から小皿に取り分けるのも忘れない。 「実は鍋用の豆乳入れたんだよね~。白いのは、その所為だと思う。私、豆乳鍋が結構好きだからスープ類もアリかなぁって」 知らされていたのは何も入れなければただの水炊きなので、色は付かないに等しい。その色が変わっているという事は何かしら色が混じる物を入れたという事で。些か白濁した鍋汁の原因を、日和坂が苦笑しながら白状する。 しかしながら、豆乳を入れた割にはその色は確かに白いが通常の豆乳鍋のものよりも薄い上に他のものも明らかに混じっている風だった。 「……その上に薬臭いんだが」 「あ~、そういえばお店のお手伝い終わってから、ご苦労さん会っぽくやるものなんだよね? なら……元気になるもの入ってた方がイイかな~って。温めると効能とか良くなりそうだし?」 「そうなんだ。お疲れ会だもんね」 入れたのは、第二類医薬品的な某液。簡単に言えば漢方薬的な何かである。 「ほら、仕切り無いけど何か陰陽鍋っぽい感じじゃない?」 「薬膳鍋はあっても漢方液は入れないぞ? これは寧ろ、陰陽通り越して混沌鍋のような」 「上手い事を言うですね」 そこは流石出身、不思議と尤もな比喩にゼロがポンと手を打って合点する。 それをニワトコがのんびりと眺めていると、ふと身体の一部がもぞもぞとする感覚に首を傾げた。 「如何かしたのですか?」 「うん、さっきからちょっと変な感じが……あれ?」 何故だろうかと違和感がする所を手で触ってみると、何やらもふもふとした触感にあたる。頭に何か生えているような、しかもこれは動物やらの耳――だろうか。 「あ、しっぽも生えてる。これは、うーん、ちょっと犬っぽい?」 「ホントだ……って、私もっ!? こっちはエンエンと御揃いだし、可愛い~っ」 ぴょんと立ったキツネ耳と黄金色の尻尾が自分にも生えているのを見て、日和坂がセクタンのエンエンを思わず抱き締めながら声を上げる。 鏡も無い上にあまり明るくないので分かり難いが、如何やら全員種類は違うようなれど同じように動物の耳やら尻尾やらが生えてきているらしい。人目はほとんど無いに等しいが、全員獣耳に尻尾という何とも言えない光景である。 「こっちは虎になった、が。一体誰が何入れたんだ」 「ゼロは羊さんなのです。ちょっと、アニモフさんになる飲み物を入れたのです」 如何やら、鍋用豆乳や栄養剤的な液以外にも液体を入れたらしい。 ゼロが言うにはターミナル街にある黒尽くめの司書も行き付けなクリスタルパレスで買った物で、一定時間アニモフ化してしまう効果がある飲料だそうだ。何でそんなものを売っているのかは多分色々間違いだったりうっかりだったりするかもしれない問題はさておき、他の汁で薄まるので完全にアニモフ化はせず、この身体の一部のみが変化した状態になっていた。 「アニモフさんたちは、とってもかわいいのです」 「うん、可愛いよね」 「……アニモフの可愛さは否定しないが、これは」 「皆可愛いと思うよ? 何かホントにドッキリって感じだったし」 それなりに良い年齢の男が微妙に獣耳とか尻尾とか矜持に関わりそうな李以外は割と抵抗無く、変化を受け入れる。汁に溶け込むものはほぼ自動的に全員口にする事になる。そして汁物が入る事も有り得る以上、こんな事もあるだろう。 一度変化してしまった上にまだ鍋も空にしていないので、一時の事として更に鍋を突っついていく。 「お肉、結構多いね」 「俺が持って来たものと……まだあるな。被ってしまったな」 「ナレッジキューブ一個で四百グラムでとってもお買い得だったのです。ターミナルの肉屋さんで購入したのです」 「誰が何を持って来るのか分かんないもんね~。あっ、そうだ、へっへ~、柚子胡椒持ってきたんだよね~。豆乳鍋のマストアイテムだしぃ……使う? 小鉢にたっくさん入れておいて食べるとメチャクチャ美味しいよ?」 味を誤魔化す為、ではなく多分普通に好きで持って来たのであろう柚胡椒を薦めつつ、二人材料分類が同じだったので相応に多い肉を食べる。 牛とも、鳥とも、豚とも違う。普段料理に使われる物とは違うような気がするが、それが何なのか分からない。 「美味しいけど……何の肉? 豆乳鍋だと、しゃぶしゃぶした豚肉って感じなんだけどさぁ」 「真っ当な所だと、本土ではもっとも食されているのが豚だな。それとは違って俺は本土で食されている肉を持って来たが、もう一方はよく分からんな。ワシントン条約に引っかかるものはヤバいだろうが……否、食えるものは食うだけだが」 「何の肉かは分かりませんが、とても美味なのだそうです」 敢えて何の肉かと言わなかった李に対して、ゼロは本人すらも知らないものらしい。名付けるとするのなら、そのまんまになってしまうが謎肉という所か。 「ターミナルにも、肉屋さんとかあるんだね。本当、いっぱいお店があるんだね」 美味しいね、とあんまり理解していない顔でニワトコは肉を食べながら感心して言う。 分からなくても食べる。別に精神修行という訳ではない。 ターミナル街の少し外れた路地の住居に隠れた所にあるという事だったが、何故かそこにはそんな肉屋は無いという後日談は後々0世界というかターミナルでの七不思議のひとつに数えられるようになるかもしれない。 「それでこれは……う、び、微妙って言うか、ナンと言うか……ふ、不思議味?」 寧ろ、匂いが凄い。鍋物の漢方臭も混じっているが、腐卵臭と刺激臭が混ざり合わさって――味自体にも刺激が強くなったというか。一口では食べきれず、日和坂が一旦小皿に残りを戻すとそれは真っ黒い卵状の物体だった。 「それはピータンだな。そのままでも食べられるが、本土では粥やらの料理にも使われているぞ」 ピータンとはアヒルの卵を特殊な条件下で熟成させて製造した食品で、李によると菓子の具にも使われる事があるそうだ。作る過程がやや特殊の為に、結果として臭いが強いものになっているらしい。本来は殻に付いた粘土や籾殻を洗い取り除き、更に殻を剥いで食するのだがそれは鍋に入れる前に店長が殻を剥いてくれたようなのでそのまま食べられるようになっていた。 「もしかして、ニワトコさんが玉子みたいなのって言ってたの、コレ?」 「多分そうだと思うよ。ねぇ、これってどうやって食べるのかなぁ?」 「お、上海蟹取ったか。そいつは甲羅を下にして、尻側から開いてから甲羅の中の内子や蟹味噌を味わう。それから腹の回りの肉や脚の肉という順序が一般的だが……」 「食べられれば何でも良しなのです」 「ま……そうだな」 一応、食べられないものは入っていないのだから、テーブルマナー云々も無いのでその辺りは気にしない。 ゼロの発言に肩を竦めつつ、普通の蟹も食した事の無さそうなニワトコに李が上海蟹の食べ方を教える。持ち寄った張本人であり、出身では食べられているものである所為かその手付きは妙に慣れていて食べやすいように分解もしていた。 「殻まで食べるのかと思ったよ」 「そしてこれは、おおっ! 水餃子なのです! 中華な感じなのですね」 感嘆符が付いているが、言葉の割に非常に棒読み。一口目のプチトマトが当たった反応もそうだったが、その事に水餃子を持ち寄った日和坂がゼロの方を伺う。 「あんまり良さげな感じじゃないとか?」 「いえ、違うのです。そういう訳ではありませんが、闇鍋の作法では、何か食べる時に驚きの台詞を言うそうなのです。ですから、ゼロも真似をしてみたのです」 「……あれ、食べ物を食べた時は『おいしいね』って挨拶するんじゃなかったっけ……違ったかな?」 真面目な顔で否定するゼロと首を傾げるニワトコの両者の言は、決して冗談故ではないのは丸分かりで。基本的に飲食をせず、味も分からない為の反応なのだがそれが若干ずれた方向に行っているのが違う世界の出身と言うべきなのだろうか。 「それよりもおひ……果物だと。汁まで果物味になってないか、気になるぞ……」 「ほ、ホントだ……一緒にデザート……じゃ、ないよね」 汁に関しては既に色々混ざっているので今更な気もするが、それは別の問題として李と日和坂が当たったのは苺とさくらんぼ。豆乳で味がまろやかになると思いきや、逆に酸味が強くなっている。 「ぼく、良く分からないから、綺麗な色だなって思ったものを持ってきたよ。赤い色が綺麗だし、小さくてころころした実って可愛いよね」 にこにことした笑顔を浮かべながら、屈託無くその二つを持って来たニワトコが言う。 「何か陰陽鍋っぽいし、赤いのはあるけど違うような……う~ん、フクザツ。ただ美味しいものとか好きなものとか入れるの、きっとNGだよねぇ」 そう思ってはいたものの、割合マシな材料選択をしたのだろうか。 変わり種とそれなりに鍋に入れるものとしては良い方な物を織り交ぜながら、闇鍋の作法として残らず食べるという事なので何だかんだと言いつつも中身を減らしていく。 だが、その途中に残されたあと一品の持ち込み材料を李が箸で掴んだ。 「……待て、これはまさか」 「ナレッジキューブなのです」 見た目は半透明のゼリー状の立方体。元は「智恵の樹」と呼ばれるチャイ=ブレの器官から分泌されるもので、ロストナンバー達には御馴染みの代物だった。 「食べられるんだね。知らなかったよ」 「はい。ゼロもそのままで食用になるとは知らなかったのです。超越者たるチャイ=ブレの精神が垣間見えるかもしれないのです」 基本的に、ナレッジキューブはセクタンのフォーム変更やら0世界での買い物などに使っている事が多い。だが、ナレッジキューブは人の強い意志に反応して、その望みを反映してあらゆる物質・エネルギーに変成する物質でもある。物質変成の性質があるのなら、食用にもなるのだろうという事かもしれない。これは、あくまでも推測でしかないが。 「面白そう。食べてみようよ」 「テストの点数とか、良くなるかなぁ?」 「ぬ……一応、食ってみよう。頂くぞ」 何か最後に0世界らしい物が出て来たというか、このターミナル・ナイトで相当のナレッジキューブを使用しているのに鍋の材料にして御免なさいというか。ある意味、真理に目覚めたロストナンバー達にしか食べられない代物ではある。 偶然なのか、最初の一口目と同じく全員揃って暫く無言。 「賢さが1アップしたような気がしたのです」 「……食えるな。こんなものがあったとは――うぼああぁっ!?」 よく分からない効果があったらしいゼロはともかく、当初は普通の反応をしていた李がいきなりもだえ出す。如何やら、モフトピアにある某島の某珍味と同じような感じだったらしい。 「え、な、何!? そこまで酷いものだったかな、って、……アニモフになっている耳と尻尾の毛並みが微妙に良くなっているような」 「ぼくも花が元気になったみたい」 日和坂の方はアニモフ化した部分の毛が心なしか一ランクアップしたようなもので、ニワトコは頭に生える白い花が生気を得たような気がするというもので。これがチャイ=ブレの神秘なのかもしれない。 「大丈夫なのですか?」 「な、何とか……」 「他に入れたものとか、もう無いよね」 「うどんとかも入れたかったけど、流石にこれだと危険だよねぇ……」 鍋のシメは大体うどんやら雑炊やらと決まっているが、この鍋の中身を考えるとそれは結構危険な気がする。アニモフ化の飲料も混ざっている事だし、一部アニモフが完全にアニモフ化しかねないと心配する日和坂の横で、ニワトコの方は最後までゆっくりと、しかしきちんと食べ切る。 そうして汁は残されたものの、時間を掛けると食べ物を粗末にする事無く鍋は空となった。 「ふ~、御馳走様っ。……何か色々凄かったような」 「これで闇鍋の儀式は終了なのですね。めでたいのです」 あくまでも闇鍋は儀式の一つであるらしい。礼儀正しく箸を置き、手を合わせる。 「おいしかった、ごちそうさま。『闇鍋』……面白かったね、またやりたいなぁ」 「ごちそうさまでした。……闇鍋、当たり外れが大きかったな」 吉となったか、凶となったか。 各々で感想を零しながら、無事かどうかはともかく慰労を含んだ闇鍋が終わる。 他にも「ターミナル・ナイト」で色々と起こっていたりするのだが、それはまた他の報告書で知る事になるのだろう。 了
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