「壱番世界はハロウィンの時期よね」 それは壱番世界の暦で10月のある日、午後のお茶の時間に、アリッサが言った。「そうですね。ジャック・オ・ランタンでも用意させますか」 紅茶のお代わりを注ぎながら、執事のウィリアムが応える。「んー、でも、ターミナルだと今いちハロウィンって気分にならないわ」「そうですか?」「だってこの青空じゃ。ハロウィンって夜の行事っていうイメージだし。どこかにおあつらえ向きのチェンバーでもあればいいんだけど」「お嬢様。先日のビーチのようなことは、どうかお慎みを」「しーっ! 内緒よ、内緒!」 アリッサはくちびるの前でひとさし指を立てた。「あ――、でも待って。チェンバーじゃなくても、ターミナルに夜をつくることだってできるわよね」「それは……原理的には可能ですが、0世界の秩序を乱すことになります。ターミナル全体となりますと、ナレッジキューブも相当要すると思われますし」「でも、ウィリアム。私、前から思ってたんだけど、ターミナルに暮らす人の中には、夜しかない世界から来た人だってきっといるでしょう? 昼しかないって不公平じゃないかしら。ねえ、試しに、ちょっとの間でもいいから、『ターミナルにも夜がくる』ようにしてみない?」「……」 ウィリアムの表情は変わらない。だが賛成していないことは明らかだった。 しかしその一方で、アリッサが言い出したら聞かないことも、彼はよく承知している。 それから数日後――。 世界図書館内ではかなり議論が紛糾し、実施にあたって各方面の調整は困難を極め、一部の事務方職員は瀕死になったというが、ともあれ、正式に、ターミナルの住人にその告知が下った。『10月下旬の一定期間、試験的に「夜」を行ないます。「夜」の間、空が暗くなりますので、外出の際は十分にお気をつけ下さい』 † † †「やあ、こんばんは」 世界司書、モリーオ・ノルドはそう言って出迎えてから、くすりと微笑む。「慣れないよね、こういう挨拶。みんな、『夜』は楽しんでいるかな?」 時刻も季節もないはずのターミナルにもたらされた『夜』の時間――。 今、街ではこの現象を利用して催しが行われたりもしているという。だがモリーオが、そのとき図書館ホールにいた人々を集めたのは、イベントのお誘いではないようだ。「ちょっと頼まれごとをしてほしいんだけど。新たに覚醒したロストナンバーの保護だ。正確に言うと、保護自体はすでに完了している。ついさっき、彼を乗せたロストレイルが駅に帰還したところだ」 モリーオは『導きの書』を繰る。 対象は名を「タロス59号」という。 端的に言うと彼は人造人間だ。高度に科学の発達した世界で、生命工学により創造された人工の生命体。生まれながらに身長2メートルの屈強な肉体をもち、金属の装甲をまとっている。彼はその世界で人類の敵となる種族と戦うために生み出された兵士のひとりであった。「……人造人間といっても、人格もあれば感情もある。見た目は大きくて恐ろしいかもしれないけど、本人はいたって穏やかな性質のようなんだ。それでね――」 タロス59号はディアスポラ現象により壱番世界に出現したが、大したトラブルもなく、派遣されたロストナンバーにより無事、保護された。 ターミナルに着き、世界図書館へのトラムに乗り込んだところで、その事件は起こった。「『夜』が来たんだ――」 周囲が暗くなると、タロス59号は突然、パニックをきたし、暴れだした。戦いのために生み出された彼は相当な怪力を持っている。そのままトラムを飛び降り、夜の街へと……。そして今へ至る。「どうやら、彼のもといた世界で、暗くなることは敵の襲撃の予兆であったらしいね。それで恐慌に陥ってしまったようだ。彼がトラムを降りた場所は、ウィロー街付近――このへんに、お墓があるの、知ってる? 彼は大柄で目立つけど、目撃情報がないから、この付近に潜伏しているのじゃないかと思う。覚醒の事情について、一度は説明しているけど、混乱しているようだし、ターミナルの住人に被害が出てもまずい。早急に、再保護してあげてほしいんだ」 それが司書からの依頼だった。「見つけたら図書館まで連れてきてくれ。きみたちのぶんも、温かいハーブティーとお菓子を用意して待ってるからね」 † † † 夜がくる。 夜とは、《ナイトゴーント》たちの支配する時空だ。無貌の殺戮者たちは闇をまとい、ひそやかに忍び寄る。 自分たち《レギオン》は、生まれながらに戦うことを役目とする。闇が降りてくれば、この肉体は戦いに備えるようにプログラムされているはずだった。(なんだ、おまえ……59号、何をしている!) 司令官の叱責が耳に甦る。(戦闘OSがうまく動いていないみたいだな。不良品か。できそこないめ) できそこない。 同日に生み出された兄弟たちと、自分はまったく違っていた。 身体こそ強くても、武器はうまく扱えないし、戦いになってもどうすればいいのかよくわからない。そして何よりも――(怖い) 闇が怖い。夜が怖い。敵が怖い。戦うのが怖い。死ぬのが怖い。 レギオンに、恐れなどあってはならない。あるはずがないのだ。「トリック・オア・トリート!」 近くで声がして、タロス59号はひっ、と身をすくませた。 狭い路地の暗がりは、彼の巨体を隠すには心もとない。 街灯の灯りの下、誰かが笑い合っている。人間に見えるが、本当はどうかわからない。《ナイトゴーント》には他の生物に擬態するやつらもいるから……。 ここにいたら見つかる。 彼は息を殺し、路地の奥へと。 しかしそこは、いっそう、闇が深い場所だった。足がすくむ。でも見つかるかもしれない開けた場所に行くことはもっと恐ろしい。 隠れよう。 この夜が、去ってしまうまで……。
1 どこか不思議な、夜のターミナル。 見慣れぬせいだろうか。 人々は、この珍しい出来事に、浮き足立っているようだった。 そういえば、いつもは夜がこない町だというのに、ターミナルにはなぜか街灯の類もある。それが今宵ばかりは出番がやってきて、ぼんやりとした灯りを投げかける下を、石畳に埋め込まれたレールに沿ってトラムが運行していた。 ガタゴト揺れるトラムの乗客は4人。 うちふたりは―― 「お揃いになったね」 とんがり帽子の魔女の仮装だった。 片方の魔女、晴秋冬夏が言えば、もうひとりの魔女、エレニア・アンデルセンが微笑を浮かべる。 冬夏に至っては、肩の上の彼女のセクタン、ルゥことルゥリオンも、お揃いの魔女帽を頭にのっけている。 『ハロウィンだからね』 少年めいた声色で、エレニアは――いや、彼女の手に嵌められたパペット、エレクが応えた。エレクもハロウィンらしく、これは吸血鬼だろうか、黒いマントの仮装をしているのだった。 そう、今宵はハロウィン。 霊たちが騒ぐ夜。それはこの0世界でも同じなのだろうか? 「あなたは何のお化けの格好?」 「普段着です……」 「あ。ご、ごめんなさい」 いえ、ともごもご言っているのは三日月 灰人。普段着と言ったそれは黒の牧師服だったが、いかんせん、青白い肌の痩身が、夜の街を背景にすると幽霊じみて見えなくもないのだった。 「……賑やかです。夜だというのに」 建物の窓からは暖かな灯りが漏れ、店の軒下にはジャック・オ・ランタンが飾られ。 子どもらが連れ立って走りまわり、出会うひとに「トリック・オア・トリート!」と声をかけている。大人たちがかれらのお菓子袋に入れてやるのは、色とりどりのこんぺいとうを包んだ袋であったり、キャンディーの杖であったり、香ばしい匂いのするクッキーであったりした。 「私としては……夜はもっと……静かに暖炉の傍で読書でも……と考えたいところですが」 「それも夜の楽しみ方ですよね。夜には夜の、楽しいことがいっぱいあるのに」 だのに、どうして夜が怖いんだろう? リニア・RX-F91の機械の瞳に無邪気な疑問の色が宿る。 『トリック・オア・トリート!』 エレニアの手の、エレクが叫んだ。 『お菓子かイタズラ、どっちがいい? ……タロスさんには、甘いお菓子が必要なんだね、きっと』 「ふうん」 人造人間と、ロボットであるリニア。比較的、似た存在とも思えるけれど、その実、かなり違うのだ。件のロストナンバーは戦うために造られたのだという。戦うためだけに生み出されるとは、どういう心持ちなのだろう。リニアの世界には、戦争自体、なかったのだ。彼女のような、やわらかで優しいロボットたちが穏やかに暮らす世界であった。 「なんにせよ、気持ちの落ち着かないときは音楽がいいですよ。私の歌を聴いてほしいですね。自慢じゃありませんが、私、アイドルでしたので」 「へえ、そうなんだ?」 「こんなときには……『とりころーる☆メモリィ』って曲があるんですけどね。私の持ち歌の中でも一番のヒットで……」 「持ち歌、ってカッコイイ! どれくらい曲を出したの?」 「まだシングル2枚ですけど、なにか?」 「あ――。これからのスター、ってことだね……っ」 「ええ、未来のスターダムへ向けて全力で邁進中でした。ロストナンバー化したことにより中断中ですが、復帰の暁には――」 「そろそろ……ですよ」 会話するリニアと冬夏へ、灰人がぼそりと告げた。 「ウィロー街。さすがにこのあたりはいくぶん静かです」 『人通りが少なくなったね』 「墓地くらいしかないですしね……」 『知ってるの?』 「ええ、よく来るのですよ。静かで、落ち着きますし――墓場には私のように祈るものが必要でしょう。墓地に眠るものの中には、かれらのために祈ってくれる人間が誰もいないという方だって珍しくはないのですから」 4人はトラムを降りた。 ちょうどそこに、墓地の入り口を示す蔦の絡んだアーチがあった。 その向こうは、もはや街灯の光も届かぬ闇夜が広がっており、のぞきこむとまるで吸い込まれるようであった。 『寂しい、場所』 エレクを通して、エレニアが呟いた。 ロストナンバーたちは、ターミナルを拠点にして旅を続け、いつしか新たな世界へと旅立ってゆく。だが中には、とうとう還るべき世界を見いだせぬまま、志半ばで倒れるものもいた。また、ターミナルに根を下ろすことを選んだロストメモリーたちも、いつかはその生命が尽きる日がくる。そうしたものたちの名が、ここに立ち並ぶ墓石には刻まれているのだった。 灰人が言ったように、眠りについたロストナンバーの、かつての知己はおのれの帰属先を見つけてしまったり、それこそ亡くなったりして、結果、縁者が誰もいないという墓も、中にはあるのだろう。 墓地というからには墓守がいて管理はされているのだろうが、そうした墓には花が手向けられることもなく、ただ静謐な時間を過しているのに違いない。 今夜の墓地は、墓守が気を利かせたのか、あちこちに蝋燭が立てられているようで、闇の中にちろちろとちいさな灯火が揺れていた。それはまるで死者たちの、ふだんは代わり映えせぬ青空しかないこの町に珍しい夜がやってきたことを面白がって囁き交わす話し声のようでもあった。 ふいに、ぼうっとあたりが照らし出されたのは、冬夏が持参のランタンに火を入れたのだ。 「じゃ、いこっか」 そう言って仲間たちを振り返る。 「私は怖くないよ。ちっちゃい頃は、よくお墓で遊んで叱られたっけ。なんかなつかしい肝試しって感じ」 『行こう』 エレニアは墓地の暗がりを見つめた。 どこかに、彼が身をひそめているのだろうか。しんしんとした夜に怯えながら。 2 「きょ――教官どの……」 「なんだ、59号」 「自分たちは、死んだらどうなるのでありますか?」 「どう、とは?」 「ですから、その……限度を超える損傷を受ければ、機能停止するわけですし、そうしたら、あのぅ……」 「気にする必要はない」 冷ややかに、訓練教官は言った。 ともに訓練を受けていた同輩たちは何も反応しなかったが、かれらきょうだいが何を考えているのかは、伝わってくるものだ。 こいつは、何を云っている――? ……気にする必要はないとはどういう意味だろう。なぜ誰も気にならないのだろう。 味方に死者が出た場合の対応手順はマニュアルにもあるが、死んだ本人がどうなるのか、どうすればよいかはどこにも書いていなかったのだ。 レギオンは死ねばヴァルハラへ行くのだと、教えてくれたものもいた。 そこで栄光ある神の戦列に加わるのだと。 また別のものは、「死んだら終わりさ。それまで。もうおしまい」とだけ云って肩をすくめた。 おしまい。 死の先には……何も、ない。 なんだかそれは――途方もないことのように思われたが、きょうだいたちは誰ひとり疑問を感じてはいないようだった。死んでもどこへも行くことはない。今の自分は消えてしまう。いなくなってしまう。何も感じなくなってしまう。では今日まで覚えたことや、やってきたことは? それでもみんなみんな、なくなってしまうのだろうか。 そして、自分がなくなったということさえ、自分ではわからないのだろうか。 それはとても……とても、怖い。 物音を聞いた気がして、タロス59号は顔をあげた。 プロテクターに覆われた顔面の、眼窩にあたるところに、視覚センサーの暗い光が灯る。 大きく厚みのある、たくましい身体をできるだけ小さくするよう縮こまり、かれはその木陰にうずくまっていた。 墓石のあいだを、夜風が渡る。 木々の枝が揺れ、こすれ合って、かさこそと音を立てたが、それが目に見えぬ何者かがかれを見つけ出し、ひどい目にあわせるために邪悪な相談を囁きかわしているように思われた。冷気が、墓石のあいだを滑るようにして墓地全体を覆っている。タロスの装甲は寒気からも身を守ってくれているのに、震えが止まらない。 「……」 はっ、とした。 やはり気のせいではなかった。声と、足音がする。誰か来たのだ。 ナイトゴーントだろうか。 センサーのモードを切り替えると、遠くに熱反応がいくつか見えた。体温からすると人間だろう――それが3つと、すこし様子の違うものが1つ、レギオンに似ていなくもないが、ロボットだろうか。 こちらへ近づいてくる。 何者かわからないが……逃げなくては。 腰を上げ、慎重に向きを変えたとき、大きな声が呼ばわった。 「タロスさーーーーん」 冬夏だった。 「タロス……えと、59号、さーーーん。……この場合、59号が名前なの?」 「個体番号だったら、そうかもしれませんね。タロスシリーズというラインナップの型番だったら、違うかもしれませんけど」 とリニア。 「とにかく、タロス59号さん! いたら出てきてください! 私は春秋冬夏といいまーす」 静かな墓地に、冬夏の元気な声が沁み入ってゆくようだ。 たぶんそのあたりが墓地の真ん中だったろう。冬夏は足を止め、ランタンを高く掲げて声を限りに呼んだ。 「私たちは味方です。ここには怖いものはないですから、出てきてくださーーい。あなたとお友達になりたいんでーーーーす」 リニアはきょろきょろとあたりを見回している。 エレニアは、冬夏のランタンが照らし出した墓石の群れのそっと歩み寄り、暗い灯りの中で墓碑銘を読み取ろうとしているかのようだった。 昼間のうちに誰か墓参のものがいたのか、そこにまだ新しい花が供えられていた。 石に彫られた、R・I・Pの文字――そして死者の名前。 「……」 エレニアの瞳が、なにかをとらえた。 それは墓地の芝が踏みしだかれた痕跡で……どうやら足あとのようだった。冬夏のランタンの灯りに、かすかに浮かぶその痕跡を彼女の視線はたどり――墓石の陰に必死に身を潜めようとする、その巨体をみとめた。 『あ』 「っ!?」 『こんばんは――』 エレクを通して語りかける。 冬夏たちも気づいて、振り返ったその瞬間! 「こ、こないでぇ!!」 大きな声がそう叫んだ。 そして、空気が抜けるような音とともに、金属の装甲が弾けるように開いたのを、エレニアは見た。 息を呑む、いとまさえなく―― 爆ぜる閃光。エネルギーの弾丸が、四方八方に一斉に飛び散った。 「あ――っ」 エレニアが小さく声をあげた。 頬に感じる熱風と、びりびりと空気が震える感触……そしてなにかが焦げるような匂い。 視界を遮っていたのは、丸みを帯びたパステルカラーの大きなてのひらのような……リニアのジャイアント・マニピュレーターだった。 「び、びっくりした」 「タロスさん、怖がらないで!」 リニアのジャイアント・マニピュレーターがするりともとの位置に収まる。 エレニアはすばやく周囲を見回した。タロスの攻撃で、墓地の地面にいくつもの穴が穿たれ、破損した墓石もあるようだった。近隣が騒ぎに気づいたのか、遠くから人の声がし、近づいてくる灯火も見える。 当人は、狼狽を隠しもせずそこに立ち尽くしていた。 立ち上がれば上背は2メートルはあるようだ。 「あのね、私は春秋冬夏。あなたを迎えに――」 冬夏が駆け寄ろうとする。 そしてリニアの、 「モードチェンジ――アイドルモード」 側頭部でツインテールのような形状だったジャイアント・マニピュレーターが形を変え、色を変え、髪だとすれば黒いストレートヘアのように変わる。ボディパーツも変化して、全体に女性的なフォルムが強調され、まるでドレスのような、その名のとおりステージのアイドルのような形へと変化していくのだ。 ひっ、とタロスの喉が鳴った。 そして、そのまま脱兎のごとく逃げ出してしまったのだ。 「ああっ、待って!」 冬夏が追いすがろうとするが、あの巨体でこれほど、と驚くほどのスピードだった。 『落ち着いて』 エレニアの声が、奔った。 『ここは、怖くないよ』 その声が届いたのかどうか。大きな背中が、みるみる遠ざかる。 3 怖くないだって――? タロスは走った。 どこへどう、逃げればいいのか。ここは知らない場所だ。そして今は夜。夜からは逃げられない。何をどうしても、闇はやってきて、世界をすべて閉ざしてしまう。 そしてその中から敵がやってくる。 残忍な敵が、自分を殺しにやってくる。そして死んだら、おしまい、だ。 「わああああああああっ」 はばからず、叫び声をあげた。 向こうから誰かが来た。 騒ぎを聞きつけたか、墓地に肝試しにでも来たターミナルの住人だろう。カボチャをくりぬいてつくったランタンを提げ、ガイコツのマスクをかぶった人物と、狼男のマスクをした人物のふたり連れだった。 「た、助けてぇえっ」 まろびるように――、ぶざまに方向転換し、あさっての方角へ。 「こ、怖い……怖いよ」 大きな身体をすくませて。 「ごめんなさい……ごめんなさい――やっぱりダメです……教官――っ、僕は、夜が怖くて……敵に遭うのが恐ろしくて……死にたくなくて……戦うなんて怖くて、ダメです……ごめんなさい――」 「それのどこがいけないんです?」 「え」 すうっと、闇から浮かび上がるように。 黒衣の痩身がそこにあった。 「夜が怖い。闇が怖い。敵が怖い。……それのどこがいけないのですか?」 「う、うわああっ」 驚いて、ぶん、と腕を振り回した。 それがなにかのスイッチなのか、腕の装甲の下から、金属の杭のようなものが撃ち出される。 牧師の胸で銀のロザリオがやわらかな光を放つ。 射出された杭は不自然に軌道をそれ、近くの樹木の幹に深々と突き立った。 「あたりまえのことだと……思うのですが。夜の闇が恐ろしいのは」 むろん、三日月灰人である。 「……」 淡々とした語りに気をそがれたように、タロスは動きを止めた。 「そうじゃありませんか? 私も怖いです。暗い夜道を歩こうものなら、いつ強盗にでも遭うかと思って。昨今の犯罪は凶悪化の一途を辿っていますから、私など、身ぐるみ剥がれたあげくに市中引き回しのすえコンクリート詰めにされてターミナル湾に沈められるのは必定。あ、いや、ターミナル湾なんてないですけど」 「……」 「だから、夜を怖がることを誰が哂うでしょうか」 「でも」 タロスは言った。 「僕は《レギオン》で、59番目のタロスだから、戦わないといけなくて……そのう――、ヒトじゃなくて、戦うための兵器なんだから……」 「兵器」 灰人は繰り返した。 そっと彼は眉を寄せる。 「そう、兵器。だから怖いなんてダメなんです。《レギオン》はそんなふうに思わないものだって。怖く感じるのは、僕がどこかおかしくて、たぶん出来損ないで、生まれつき、頭がなにかいけないんだって」 「それは違います」 灰人がやさしく、かぶりを振った。 「貴方は夜が怖いと言う」 でもね、と穏やかな声は続ける。 いつのまにか――タロスはじっとそこに佇み、彼の話を聞いていた。 暗がりの向こうから、冬夏たちが追いついてくる。 そしてターミナルの住人たちも、灯火を手に手に集まりつつあった。 「夜の闇を怖がるのはヒトだけです。それは貴方がヒトの心をもつ方だという証じゃありませんか」 「……」 「貴方が戦争に投入される兵器ではなく心優しいヒトであるということです。人間だから恐怖がある。戦うことも、傷つくことも、死ぬことも怖い。人間なら当然のことです。恥じる必要なんてありません。まして出来損ないのはずがない」 「でも《レギオン》なのに戦えないなんて――」 「あのね、タロスさん」 追いついてきた冬夏が言った。 「今まではそうだったかもしれないけど、ターミナルじゃあ無理に戦わなくてもいいんだよ。私も、戦うのも死ぬのも恐いし痛いのは嫌だもん。そもそも、ここには敵なんていないし」 ふわりと――やわらかな光が、あたりを照らし出した。 リニアだった。「アイドルモード」に形状を変えたリニアの外装が五色の光を放っている。 「タロスさん、聴いてください。0世界の夜にタロスさんを襲うモノはいません」 どこからともなく流れだすイントロ。 「……夜が怖いのはすぐには治らないけど。でも、私たちを怖がらないで。みんなあなたの友だちになりたいから。……だから、聴いてください。『とりころーる☆メモリィ』♪」 宙に浮かぶライトビットからピンスポットの白い光が差した。 その中で、リニアが歌う。 ぽかん、とタロスはその光景を見つめている。 墓地に集まってきた人々が、いよいよ何事かとかれらを取り囲む。音楽が響き始めると、さらに墓地に面した建物の窓が次々に開いて、人々の顔がのぞくのだった。 ときならぬ、墓場のコンサートだ。 リニアの澄んだ歌声を聴いていると、墓場のうら寂しい風景が一転して楽しげにさえ見えてくるのは、照明の効果だけではあるまい。 枯れ枝が夜風に揺れる様が、まるで死者の白骨の手招きのようだったのが、今はリズムをとっているように見える。 冬夏が手拍子をはじめると、周囲の聴衆がそれにならい始めた。 その段になって初めて、それだけの人が集まっていたのだと気づいたように、タロスはあたりを見回したが、傍らに立つエレニアが安心させるように微笑みかけた。 だいじょうぶ、とその口唇が動く。 ハロウィンの夜の人々は、多くが、仮装をしていて、滑稽な衣装をまとっている。 リニアは歌い続けた。 製造工場は違っても、みんな仲間だから、仲良くしよう――そんな内容の歌だった。 みんな姿や考え方が違ってあたりまえ。でもトリコロールのように、違う色が並んでいるから美しい。 「……」 その意味を理解したともしないとも判然としないが、少なくとも、タロスはもう逃げ出そうとはしなかった。 そこに立ったまま、じっと歌に耳を傾けていたのだ。 歌が終わり、リニアが慣れた様子で礼をすると、わっと歓声があがり、拍手の輪が彼女を取り囲んだ。 ニコニコと歓声に応えながら、リニアはそっと歩みを進めた。その先にいる、タロス。 ふたりはずいぶんと身長差・体格差がある。 しかし怖じることなく、リニアはタロスを抱きしめるのだった。 「ありがとう……。ようこそ、ターミナルへ♪」 「え」 プロテクターでうかがい知れないが、なぜだか赤面したような印象があった。 戸惑ったふうのタロスが、前かがみになったところへ、背伸びをしたエレニアが、魔女のとんがり帽子のタロスの頭にのっけた。 『タロスさん、空を見て』 彼女は言った。 『夜は暗くて寂しくて怖いけれど。星は綺麗に輝いている。タロスさん、周りを見て。ほらみんなお化けの格好してお菓子を交換しているよ。だいじょうぶここは怖くはないよ』 そして、周囲の人々へ向かって言った。 『そうでしょう? ……トリック・オア・トリート!』 「「「トリック・オア・トリート!」」」 人々から口々に声があがった。 なりゆきで、ターミナルの住人は経緯を察したようだった。 「はい、どうぞ」 住人がお菓子を差し出す。 おずおずと……タロスは、大きなてのひらに、それを受け取る。 あざやかな、光沢のある包み紙の、キャンディのようだった。 「ここでは貴方は兵器なんかじゃないんです」 と、灰人。 「そうだよ。ここでは、タロスさんがしたい事をしたらいいんだよ。タロスさんは、何かしたい事はない?」 冬夏が言う。 「え、ええと……」 「今すぐ決めなくても、時間はたっぷりありますからね。さあ、図書館へ行きましょう。貴方の到着を待っている方がいますから。ああ、でもそのまえに」 灰人の胸元で、牧師の証であるロザリオが冴えた光を放っていた。 「よければ、ここで、貴方に洗礼を授けましょう。略式になりますが」 「せん……れい?」 「神さまの名において、貴方をひとりの人間と認めます。新しく生まれ直すと言ってもいいでしょう」 「……」 「兵器ではなく、ヒトとして。ノミの心臓と侮られるブリキの兵士から、弱くもあるが優しい人間へ。59号という番号はやめませんか。あなたは道具じゃないのだから、数字ではなく名前で呼ばれるべきです。世界にたった一人しかいない存在なのですから」 「ああ、うう……。でも――、僕は『59号』だったし……」 灰人はうっすらと笑みを浮かべた。 そう言うかもしれないこともわかっていた、とでも言いたげな、優しい微笑だった。 「愛着があるならそれでもよいです。私が言いたかったこと、わかりましたか」 こくこくと、彼は頷いた。 そして体格に似合わぬ声で、 「……あ、ありがとう……」 と告げるのだった。 「さあ、みなさん」 黒衣の牧師は高らかに宣る。 「今宵、ここに、ターミナルは新たな友人を迎えました。そしてタロス――59号。牧師・三日月灰人の名において。汝は生まれ変わりました。今から59号はあなたの、大勢いる兵士のひとつを指す番号ではない。あなたという人間固有の、世界にただひとりしかいないあなたの、うつくしい名前です」 夜はもはや異形を孕むものではなかった。 ただ、しんしんと静謐で、澄み切った厳粛さをもって、集まった人々を見下ろしている。 誰かが、手を叩き始めると、他のものがそれに続き……拍手の輪がかれらを取り囲んだ。 あたたかな歓迎の気持ちが、ひとつひとつから感じられるのだった。 * 「えっ、バッテリージュースはないんですか?」 「あ……ごめん。そういうのは用意してなかったな……」 モリーオは頭を下げた。 そういえば彼もまた人造人間ではあるはずだが、通常の食物を摂るに問題はないのか、テーブルに用意された食べ物・飲み物に素直に感嘆しているようであった。 クロスをかけたテーブルのうえに、キャンドルが灯され、部屋は明るく、暖かかった。 見計らったように焼きあがったカボチャのパイと、寒い夜を駆けまわってきてくれたロストナンバーたちへ司書が心づくしに用意したスープ。 そして、ハロウィンらしいお菓子に甘味、ポットいっぱいのお茶。 モリーオからパスホルダーを手渡され、タロス59号は正式にツーリストとなった。 『さ、坐って』 エレニアがタロスに椅子をすすめる。 彼が巨体をおろせば、木の椅子がすこし軋んだ。 『ハッピー・ハロウィン☆だよー』 「私やここにいる皆はもうお友達だよ。困った時には私達がいるから頼っていいんだよ。色んな世界の人がお互いに支え合って楽しく生活出来るから、私はターミナルが大好きなんだから」 冬夏がほほえみかける。 「バッテリージュースもないようですし、それじゃ私はもう一曲……」 「いい香りのお茶ですね。さすがです。……妻に比べて二番目くらいに」 司書が呼んだのか、勝手に見つけたのか、その後さらに加わるものもいて、ハロウィンパーティの夜は賑やかなものになった。 揺れるキャンドルのやわらかな灯火の中、暖かな料理と、甘いお菓子の並ぶ食卓と、いくつもの笑顔―― それはまるで夢のような一夜だったと、タロスは後々になっても、このときのことを何度も回想した。 窓の外はいまだ、夜。 けれど明るい室内にいるからというだけでなしに、なぜだか以前ほど、その闇が恐ろしいと感じられないのだった。 (了)
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