「壱番世界はハロウィンの時期よね」 それは壱番世界の暦で10月のある日、午後のお茶の時間に、アリッサが言った。「そうですね。ジャック・オ・ランタンでも用意させますか」 紅茶のお代わりを注ぎながら、執事のウィリアムが応える。「んー、でも、ターミナルだと今いちハロウィンって気分にならないわ」「そうですか?」「だってこの青空じゃ。ハロウィンって夜の行事っていうイメージだし。どこかにおあつらえ向きのチェンバーでもあればいいんだけど」「お嬢様。先日のビーチのようなことは、どうかお慎みを」「しーっ! 内緒よ、内緒!」 アリッサはくちびるの前でひとさし指を立てた。「あ――、でも待って。チェンバーじゃなくても、ターミナルに夜をつくることだってできるわよね」「それは……原理的には可能ですが、0世界の秩序を乱すことになります。ターミナル全体となりますと、ナレッジキューブも相当要すると思われますし」「でも、ウィリアム。私、前から思ってたんだけど、ターミナルに暮らす人の中には、夜しかない世界から来た人だってきっといるでしょう? 昼しかないって不公平じゃないかしら。ねえ、試しに、ちょっとの間でもいいから、『ターミナルにも夜がくる』ようにしてみない?」「……」 ウィリアムの表情は変わらない。だが賛成していないことは明らかだった。 しかしその一方で、アリッサが言い出したら聞かないことも、彼はよく承知している。 それから数日後――。 世界図書館内ではかなり議論が紛糾し、実施にあたって各方面の調整は困難を極め、一部の事務方職員は瀕死になったというが、ともあれ、正式に、ターミナルの住人にその告知が下った。『10月下旬の一定期間、試験的に「夜」を行ないます。「夜」の間、空が暗くなりますので、外出の際は十分にお気をつけ下さい』* * * * * 十月下旬、夜のターミナル。 その片隅の、彩音茶房『エル・エウレカ』にて。「……ハロウィンだそうだ」 重々しく厳かに告げる神楽・プリギエーラを見遣ってから、本日オフのシオン・ユングと、彼に食事を饗していた贖ノ森 火城は顔を見合わせて小さな溜め息をついた。 この、巫子などという浮き世離れした職業ゆえか常識の線が若干(かなり、という噂もあるが)ずれている人物がこうやって言い出すことは、そのたいていが厄介ごとであったり面倒臭い事態に進展したりするからだ。「で、どうしたんだよ?」 シオンがお義理で話題に乗っかってやると、神楽は小さく頷き、「私の故郷は壱番世界とよく似ているが、ハロウィンというものはなかった。ハロウィンというのは、万聖節の前夜祭で、そもそもはケルトのドルイドの信仰がもとだとか」「ん、ああ、そうらしいな。そんで?」「精霊や信仰というのは、私も興味がある。だから、その、ハロウィンの祭というのを、ここでもやってみないか、と」 ふたりが想定していたよりもマトモなことを言った。 シオンがホッとして、「ああ、いいんじゃね? カボチャのランタンを飾り付けて、仮装とかすんだろ。んで、ここは幸い菓子には事欠かないわけだし」 非常に常識的かつ穏便な提案をすると、それは楽しそうだ、と頷く火城とは裏腹に、神楽は不思議そうな表情で首を傾げた。「ん? ハロウィンというのはオレンジ色のカボチャを被った『鬼』を全員で狩り尽くす祭だろう?」「それ何て殺戮祭!? ロストナンバーの火力考えろ、血の雨が降るわ!? ターミナルでそんなことしたらリデル姉さんに締め上げられるっつーの!」「そう、確か合言葉は『命をくれなきゃ血塗れにするぞ』だったか」「人の話聞けよ……ってどんだけおどろおどろしいんだそのハロウィン!? 渡しても渡さなくても待つのは死のみじゃねぇか!?」「で、『鬼』を狩り終わったら彼らが被っていたカボチャを使って菓子を作り、皆で堪能するんだったな」「そんな血塗れのカボチャ何があっても食わねぇぞおれは……! って、駄目だ、おれだけじゃさばききれねぇ……おい火城、あんたもなんか言ってやってくれよ!」「ん? ああ……そうだな、うん、任せた」「ちょ、ナニ目ぇそらしちゃってんの!? おれひとりになんか委ねようとしてねぇ!?」「……心配するな、骨は拾ってやる」「最初っから見捨てる気満々!?」 何でオフの日にこんな目に、とシオンが頭を掻き毟る。 と、ふたつの気配が近づき、「話は聞かせてもらった」「もらったのです」 シオンと火城が振り向くと、そこには、司書犬ことクロハナと、一部ロストナンバーに悪夢を見せたとか見せないとか噂の魔(漢)女ゲールハルト・ブルグヴィンケルとが並んで立っていた。 お鼻も肉球も真っ黒な、三角耳が可愛いわんこさんと、筋骨逞しい金髪碧眼の壮年という取り合わせは異色過ぎていっそ新鮮だが、どうやら単純に、ここで行き会ったというだけらしい。「あー……ゲールハルト、クロハナ。で、何だって?」 嫌な予感を覚えつつもつい先を促すシオンは、重々しく頷いたゲールハルトが、「ハロウィンについてだが、神楽殿のそれは間違っていると言わざるを得ない」 そう言ったので若干安堵した。 よかった、ツッコミは自分だけじゃなかった、と。 しかし。「というと?」「うむ、ハロウィンというのは、カボチャを塔のように積み上げ、悪魔カボチャ王を召喚すべく祈りを捧げる祭だと聞いている。カボチャをもっとも高く積み上げた者には、悪魔カボチャ王からカボチャ色の激辛からしがふんだんに使われたパイが贈られるのだ」「ほう」「?? わたしが聞いたの、違う。わたしの知ってるハロウィン、『コンニチハ』をたくさん言う、勝ち」「ふむ」「って、何でだーッ!!」 どう考えても違う、それ。 叫びとともに激しすぎるオーバーリアクションで裏拳を放つ……いや、何となく放たざるを得ない気がしたシオンである。 だって、ツッコミだもの。 もうすでに息切れがして肩を上下させている彼を、火城が気の毒そうに見ている(が、巻き込まれたくないようで助けに入る様子はない)。「いや、クロハナのはすんげー可愛くて和んだっつーかもふもふ最高とかちょっとときめいたけどな!? でもちょっと待とう、冷静になろう、な!」 三人……とくに駄目大人ふたりの主張するような手法でハロウィンなど催そうものなら色んな意味で死者が出る。 その場合、常識的な強面の面々から『監督不行き届き』とか言われて締め上げられるのは、たぶん、火城とシオンだ。『この場にいたのに止められなかった』とかそんな理由で、まず間違いなく。「いいか、だからハロウィンってのはだな……」 まず一からハロウィンのなんたるかを教えて、と口を開きかけたシオンは、「でも、ほかの連中にももう声をかけたぞ? ハロウィンを皆で実践しよう、って」 神楽の、悪気のない言葉にその場で固まった。「……どこで、誰に?」「ターミナルのあちこちで、ロストナンバーやロストメモリーに。もうすぐ、皆、道具や衣装を持って集まるんじゃないか?」「おお、それはよい。では、誰のハロウィンが正しいか、拳で語り合うとしよう」「では、わたし、皆を応援」「そうか、それはきっと皆が喜ぶだろうな。クロハナは可愛いから、皆が収穫した『鬼』を捧げてくれるだろう」「待て待て待て、クロハナにそんなえげつないものを捧げさせるな、もふもふ好きたちに闇討ちされるぞ」 ついに堪り兼ねたらしく火城が口を出し、事態が一層混乱していくのを横目に見ながら、「あああ……誰に何をどう手伝ってもらうのが一番正しいんだ、これ……!」 その場で蹲りたい衝動に駆られつつ、事態打開のため必死に頭を働かせるシオンである。
1.ボケと突っ込みによる協奏曲 ~トス&レシーブ~ 話を聞きつけて、魔女の仮装をした篠宮 紗弓が、手作りの南瓜クッキーを持って『エル・エウレカ』を訪れたのは、 「ハロウィンとは、人々が魔女などの扮装をしてお菓子を食べたり悪戯をしたりする催しと認識するのです」 如何なる美的感覚の持ち主にも窮極の美少女と認識されるのに、何故か誰ひとりとして魅了されず注目もされないという理不尽な外見のツーリスト、シーアールシー ゼロが、 「ゲールハルトさんは人を魔女にするビームを発することができると聞いたのです。そのビームを増幅し拡散、この界隈に照射すれば皆が一気に魔女に変身なのです! 仮装の手間が省かれ、魔法が使えることで悪戯もやりやすくなるのです。お菓子は魔法で作ればよく、魔法で外見を変化させれば魔女以外の扮装も容易なのです。これで簡単に、正しくハロウィンを迎えることができるのです!」 白皙を少し紅潮させて熱弁を揮っている最中だった。 「むう……しかし」 ゲールハルトが腕組みをし、躊躇の表情を見せる中、 「そもそも、多くの人にとって魔法を実際に使用するというのはまったく未知の経験なのです。それを危険なしに経験出来る、それだけでも十分なメリットと思われるのです」 窮極の地味美少女はめげることなく説得を続ける。 そこだけ妙な熱気が立ち昇るのを見るともなしに見遣ってから、 「ええと……あれ?」 紗弓は可愛らしくラッピングしたお菓子を片手に小首を傾げた。 ――何かおかしくない、このノリ? ツツ、と、こめかみの辺りを汗が伝ったような気がするが、きっと錯覚だ。 「あの、ひとつ訊きたいんだけど……」 恐る恐る声をかけると、この場に集った人々が一斉に彼女を見て、視線ロックオンされた紗弓は思わずびくっとなる。 どうしよう何かこの空間怖い。 「ん、どうした、紗弓。よく似合っているぞ、その衣装」 どこから調達してきたのか、大量の特大黄色南瓜に囲まれた神楽が頷き、問い返すのへ、 「いや、ああ、うん、ありがとう。いや、そうじゃなくて、あの、この集まりって、和気藹々な楽しいハロウィンパーティ……だよね? 私は少なくともそのつもりで来たんだけど……」 やはり恐る恐る、半ば祈りすら込めて言うと、シオンと火城がとてつもなく温かい眼差しで彼女を見つめ――火城など基本無表情のはずなのに、だ――、ゆったりと頷く。 「えっ、その頷きはどうなんだろう、YESなのかそれとも『広い意味で言えばそうかもしれないね』くらいの意味なのか」 「すげぇな、読心術者かあんた」 「どっちかっていうと『そうじゃなければいいな』の心持ちで言ったんだけどね!」 シオンに本気で感心され、紗弓はむしろそんなはずねぇだろ穿ちすぎだよと言われた方がマシだった、と思った。 と、そこへ聴こえて来る、騒がしい声。 「だーかーらー、違ェって!」 ゼロとゲールハルトに向かって騒がしい声を上げるのは、 「ハロウィンってのは、南瓜の被りものをたくさん用意して、道行くヤツラに無理やり被せて仲間を増やすんだろ! んで、仲間にしたヤツらを引き連れて、被ってないヤツらに『Trick and treat!』って言って、お菓子を奪いながらイタズラをしてくんだよ。抵抗してくるヤツは南瓜被せて仲間に引き込んじまって、仲間を一番多く増やしたヤツが勝ちなんだ。んで、全部終わったら南瓜をとって、皆で騒ぎながら戦利品のお菓子を食う。……ってヤツだ!」 蝙蝠を擬人化したような姿の、ベルゼ・フェアグリットである。 「ちょっと待って、何か色々おかしいよそれ!?」 似て非なるハロウィンを放っておけず、初対面にも関わらず突っ込まずにはいられなかった紗弓だが、 「少なくとも俺が知ってるハロウィンはそういうものなんだっつーの!」 残念ながらベルゼには、紗弓の切なるツッコミは届かなかったらしかった。 「Trick and treatって二重取りもいいとこじゃないかな!」 「何言ってんだ、世の中にゃ一粒で二度美味しいなんてイイ言葉もあるじゃねェか」 「ああなるほど……って、誰もここで巧いこと言えなんて言ってないよ!」 思わず取り乱しかけて、ハッと我に返る。 「いいじゃねェか、とにかく楽しければよォ? だって年に一度の、しかも夜の宴なんだぜェ? 思いっきり盛り上がってやろーぜっ、キシシシッ!」 「いや、そうなんだけどね、」 「だろ? じゃあ何の問題もねェじゃん。つーか、コレからハロウィンすんだろ? よぅしならこの南瓜被れ、俺の仲間にしてやるよ! そしたらさっそくどっか人が集まってるトコいくぜ、お菓子いっぱい取ってくるんだ! あ、フルーツでもいいぞ、りんごとかリンゴとか林檎とかappleとかなっ!」 まったく人の話を聴かないベルゼが、神楽が彫り上げたリアルすぎる南瓜マスクを被り、意気揚々と拳を振り上げる。 今まで気づかなかったが、視線を後方へ流せば、長い銀髪にサングラスの女性、ディーナ・ティモネンと、凛冽かつ妖艶な美貌の青年、湊晨 侘助とが、かなり間違ったハロウィンについてああでもないこうでもないと議論しているし、神楽は一体何をどうするつもりなのか黄色い大南瓜を延々とくりぬき続けていて、シオンと火城は諦めの表情でその作業を手伝っている。 クロハナが皆頑張ってーと声援を送っているのだけが和みポイントというか救いだ。 「え、あれ、も、もしかして今回の私の役目って……」 「ほう、この短時間でそれだけ把握できたなら大したものだ。ということで後は任せる」 「すみません急用があるらしいと脳内に実家から連絡があったので帰らせて下さい」 よく判らないことを口走りつつ踵を返そうとした紗弓の両肩を、妙に力強いシオンと火城の手が掴んだ。 「ちょ、放……」 「そこまで理解しといて帰れるとは思ってねぇよな?」 「……まあそう遠慮するな。無事に生き残れた暁にはとっておきの茶と菓子を出すから」 「遠慮の意味を間違ってるっていうか、まずその生き残るって文言が明らかにハロウィンじゃない気がするのは私の早とちりかな……!?」 やっぱり帰らせてもらう! と往生際悪く足掻いていた紗弓だったが、 「帰っちゃ、だめ、なのですー」 クロハナが脚にもっふりと抱きついてきた時点ですべてを諦めた。 唯一の癒し系にそんなことを言われて帰れるもふもふ好きなどいない。 「紗弓、帰るの、わたし、かなしい」 「えっ……そ、そう……?」 「皆で生き残ってお茶する、ハロウィンのだいごみ、聴きました」 生真面目に頷き、つぶらな瞳で見上げてくる可愛いわんこさんの口から、明らかに過酷と判るハロウィンの醍醐味が出ても、上記の理由で紗弓は突っ込むに突っ込めなかった。ああ自分は帰れないんだな、と、今日の『仕事』の困難さを思い、ふっと遠い目になっただけだ。 ――ドラグレット戦争より大変な『仕事』のような気がするのは何故だろう。 「だからね、ハロウィンっていうのは男の甲斐性が試される日らしいよ? コンダクターの知り合いが言ってたんだけどね、この日を生き延びられるかそうじゃないかで、くりすますとかばれんたいんとかいう戦いの生存率が変わってくるんだって」 「へぇ、そうなんか」 「うん、何でも、まず、仮装した子どもに女の子を驚かしてもらう。で、そこに自分が颯爽と登場して、女の子のハートを鷲掴み、にするための行事らしくて。勿論、お化け役の子どもたちに、きちんとしたチップ、まあお菓子らしいんだけど、それを払えるかどうかも男の甲斐性に含まれるんだってさ。大変だよねぇ?」 「ははあ、えらいけったいなお祭やねんなぁ、ハロウィン」 「そんなわけで、侘助さんも男の甲斐性を試しに?」 「いやあ、わぇはよぉ知らんのやけど、なんや、ハロウィンいうのんは人を脅して甘いもんを手に入れるサバイバル戦やいうて聴いたんやわ。世話になってるお人が、甘いもんぎょうさん寄越せ言わはるもんやから、ちょうどええかなーと思って来たんやけど」 「へえ、じゃあたくさん脅かさなきゃね」 「せやねぇ。けど、あかんかったら泣き落としでもしてみよかなー」 「ああ、侘助さんなら出来るかもねぇ。……ところで、仮装はしてないんだ?」 「いやぁ、わぇのこの姿自体、仮装みたいなもんやからなぁ。ディーナさんのそれ、よぉ似合(にお)てるえ」 「あ、ホント? 白い魔女をイメージしてみたんだ」 着物姿の侘助と、白で統一されたミニスカートのワンピースに、杖代わりなのだろうか、ごついナイフを手にしたディーナが真剣にそんなことを話し合っているのや、ゼロがゲールハルトの説得を続けているのや、ベルゼがよしお菓子奪いに行くぞー林檎もあればなおよしだ! と気勢を上げるのを意識の片隅に聞きつつ、このまま何もなかったことにして眠りに就きたい、と紗弓は切実に思った。 2.人の話は聴きましょう 山本 檸於も、人伝に『エル・エウレカ』でのハロウィンパーティの話を聴き、やってきた不幸な人々のひとりだった。 「ハロウィンかぁ……もう喜ぶ歳でもないんだけど、まーいっか。楽しんだもん勝ちってことで!」 檸於はまっとうなコンダクターのひとりで、現代っ子である。 平凡な体力、平凡な腕力、更に平凡な容姿の、要するに何の変哲もない一般人だが、実は美人の彼女がいるという、少し前にヴォロスやブルーインブルーで猛威を揮った彼氏彼女いない暦イコール年齢、なモンスターやそれに共感する人々にはフルボッコの刑に処されても文句は言えない、いわゆる『リア充』というやつだった。 そんなわけで、賑やかなイベントの類いにも心穏やかなまま、別に焦る必要もなく、単純に楽しむ姿勢のみでやってきたのだ、が。 「こんにちはー、よかったら俺もパーティに参加……」 ひとつ。 中をくりぬかれ、異様にリアルでおどろおどろしいカッティングをされた黄色い大南瓜がめっちゃ積み上げてある。 ひとつ。 その南瓜を被らされそうになって、半泣きで逃げようとしている黒髪の女性がいる。 ひとつ。 深紅のペンキ――だと信じたい――で不吉な印象を受ける文字を書き付けられた幾つものオレンジ南瓜が、十メートルもの高さに積み上げられ、周囲には髑髏や蝋燭、得体の知れない呪具のようなものが飾り付けられている。 ひとつ。 魔女というより魔女ッ娘風の衣装に身を包んだ筋骨逞しいノーブルな顔立ちのおっさんが、超絶美形なのに全然ときめかないという不条理な外見の少女と一緒に、南瓜タワーの前で激しいブレイクダンスを――ふたりの呼吸がぴったりすぎて正直慄いた――踊りながら何かを一心に祈っている。 『エル・エウレカ』へ来てみたらそこは視覚的地獄でした。 ――うん、何この空間。 「無論、ハロウィンだとも」 疲労感が若干にじむ、火城の、言い聞かせるような言葉に、 「……俺のハロウィンを返せ!」 思わず前のめりに打ちひしがれ、涙まじりで叫んでしまう檸於だった。 「『エル・エウレカ』のハロウィンパーティへようこそ?」 打ちひしがれる檸於の前に立つのは、銀髪にサングラスのミニスカ白魔女。 「あっちょっとハロウィンっぽ……」 ――手には凶悪なサバイバルナイフ。 「くなかった! 何か違うだろそれ!?」 びちっと跳ねる活きのいい魚のような勢いで――この季節なら秋刀魚かな、と現実逃避気味に思いつつ――飛び起きるも、ミニスカ白魔女は堪えた風もない。 「え、だって最強の仮装者を決める決定戦が行われるんでしょ? だったらこのくらいの装備はしとかなきゃ」 「ん? ディーナさん、なんやさっきと説明が変わってる気がするんやけど」 「うん、そういう説もあるってさっき脳内に受信したの」 「へー、便利やねーその脳」 「でしょ。侘助さんもひとつかふたつ持つといいと思う」 「どこからどこまで突っ込めばいいのかもうサッパリだ!?」 淡々と進む会話に、脇腹から地面に滑り込んで裏拳を放つ檸於。 リアクション過多なツッコミに誤って腰を強打してしまったが、このくらいの激しい動きを繰り出さないと押し負ける。 無論痛いものは痛いので、もんどりうってうぐおおおおおなどと呻きつつ、 「冷静になれ、俺! 深呼吸深呼吸……ヒッヒッフーヒッヒッフーああん生まれるー!」 まずお前が落ち着けと言われそうな混乱ぶりでしばらく悶えてから、 「哀しいかな、俺の出身地日本では、ハロウィンは定着しているとは言い難い。しかし……しかし、これだけは言える! どう考えてもこれはハロウィンじゃない! 要するにこれはアレか、ディアスポラの弊害なのか……!?」 ひたすら現状の認識に務める。 ディアスポラの弊害というよりは異世界人が集まってしまったがゆえの悲劇のような気もするが、細かいことを気にしていたら何もかもが無意味に思えて心が折れる。 このままではダメ、ゼッタイ。 そうは思うが微妙に後ろ向きな檸於である。 「こうなったら俺たちっていうか真っ当なツッコミたちの手でハロウィンを取り戻すしかない……主に来年のために! ……でなきゃ来年もコレだぞ!?」 今年は諦めたっていうかもう投げたい。 「よし、ま、まずは話し合いで軌道修正を……」 ぶつぶつ呟いていると、誰かに肩をぽんと叩かれた。 振り向くと、そこには、先ほど南瓜を被せられかけて必死で抵抗していた黒髪の美女がいる。 「ええと、あんたは?」 「私は篠宮紗弓。君の話、聞かせてもらったよ……」 目尻の涙をそっと拭いつつ、共感の笑みを浮かべる紗弓に、檸於はあふれる涙を抑え切れなかった。 「紗弓さん、じゃあ、あんたも」 「ああ。ともにハロウィンを本来の路線に戻そう……!」 「そうか……ありがとう、被害者(とも)よ……!」 涙なしには語れない文言に脳内でルビを振りつつ、紗弓と堅い握手を交わしたのち、檸於は問題たちと向き合った。 彼ら彼女らのフリーダムすぎる動向を見ているだけで心が折れてくるが、今の檸於はひとりではないのだ。紗弓の心意気を無駄にしないためにも、ここで挫けるわけにも行かない。 のだが、しかし。 「よし、と、とりあえず落ち着こうか皆。問題を一気に解決しようとするのはよくない。ひとつひとつ、出来ることから……お願い最後まで聞いてー!」 最後はやはり涙声だった。 呼びかけると一瞬こちらを見てくれるのだが、皆、すぐに『自分のハロウィン』に戻ってしまう。 何か色々なものを諦めたらしいシオンと火城が、『生き延びた人々と楽しむハロウィン・ティーパーティ』の準備をしているのへ縋るような視線を向けると、ふたりからは『頑張れっ☆』的な爽やかスマイルが返った。――要するに手伝ってはくれないらしい。 「く……駄目なのか、俺では……!」 崩れ落ちそうになる檸於を、紗弓の力強い手が支えた。 ハッとして見遣れば、紗弓がこっくりと頷く。 「皆、聴いてくれ、本当に大事な話なんだ」 真摯な声に、人々が手を止め、こちらを見遣った。 「ハロウィンというのは、死者が蘇ると言われている万聖節の前夜祭で、死者の祭の日なんだ。この日ばかりは仲のよしあしに関係なく、ありとあらゆる魔が種族の壁を越えて自作の菓子を持ち寄って楽しむと言われている」 滔々と語られるハロウィンの起源を、異世界出身のロストナンバーたちが興味深げに聞いている。紗弓の意図をすべて察して、檸於はコレならいける、と拳を握った。 「とはいえ、魔のための祭なので人間は参加不可なのだけれど、バレないように魔の姿に変装しておけば問題はないと言われている。しかし、バレれば命の危険もあるからね、子供が興味を持たないよう、大人が嘘のハロウィンを教えているのが現状なんだそうだ。仮装をしてお菓子をもらう、というのは、この祭から来ているんだよ」 ブレイクダンスを中断した美少女とおっさんが、顔を見合わせて感心したように頷きあう。 「それで、トリックオアトリートというのは魔の祭りに参加するための合言葉なんだ。だから、あまりうかつに発するのは危ない。……判ってくれたかな」 紗弓がそう締め括ったところで、 「そういうわけなんだ。じゃあ、そこで、魔のためではないハロウィンについて想像してみよう。仮装した子どもたち、楽しそうな笑い声、たくさんのお菓子と可愛い悪戯……さあ、この現実と異なる点は? ……色々あるだろ? ありまくりだろ!?」 檸於は必死の攻勢に入る。 誰かがなるほど、そうだったのか……などと呟く声が聞こえ、ふたりがホッと肩の力を抜きかけた、その時だった。 「それも面白そうだが、やはりここは南瓜狩りだろう」 まったく空気を読まない――恐らく、紗弓の先ほどの熱弁もあまり聞いていない――神楽が、紗弓に例の南瓜をずっぽり被せてしまったのは。 「ちょ、やめて、何か呪われそうこの被り物!?」 悲鳴を上げた紗弓が、必死で被り物を剥ぎ取り、神楽から距離を取る。 当然、檸於も距離を取らざるを得ない。 「我々は子どもではないので、少々刺激的な方が楽しいと思うんだが、どうだろう」 南瓜の被り物を片手に神楽が言うと、南瓜を被ったベルゼがそうだそうだと気勢を上げ、白魔女ディーナもそうだよねえと楽しそうに笑った。 そこでゼロとゲールハルトも魔法が解けたかのようにでは我々も召喚を再開しようなどと言い始め、 「あああああ、せっかく話が丸く収まりそうだったのに……!?」 当然、檸於は頭を掻き毟る羽目になる。 紗弓も遠い目をしていた。 「……えーと」 そして、そんな騒然とした――それでいてぐだぐだな――空気の中、 「うん、その……何してんですかお揃いで?」 『エル・エウレカ』に顔を出した、出してしまったと言うべきか、ともかく特に理由もなくやってきた不幸なひとり、薄ピンクの髪をした青年が、ひょっこりと顔を覗かせ、メンバー全員に視線ロックオンされるのだった。 3.なんて素敵なハニートラップ 鰍が『エル・エウレカ』にやってきたのはほとんど偶然だった。 同居している義弟たちに美味しい菓子を持ち帰ってやろう、などと思ってしまったのが運の尽きと言うか、不幸の始まりと言うか。 あまり深い考えもなく、ハロウィンに対する意気込みもなく、般若面を被っているというより頭の側面に引っ掛けている程度の出で立ちで、何の気なしに『エル・エウレカ』を覗いた鰍は、はち切れそうに隆起した逞しい身体を日曜日の三十分アニメに出てきそうなカラフルでキッチュな魔女ッ娘衣装に包んだおっさんの姿が目に入った時点で回れ右をした。 しかもそれが超絶地味美少女と一緒に激しいブレイクダンスを踊り狂っているとなれば破壊力は二倍だ。 「ゴメンナサイ家間違えました」 「……まあ待とう、な」 「そうとも、死なば諸共とはいい言葉だ」 そのまま脱兎の勢いで逃げ出そうとしたのだが、両肩を掴まれて引き止められた。肩を掴むふたりに、コンダクターの檸於とツーリストの紗弓だと紹介されて名乗り返すものの、 「よっしゃー生け贄もうひとり確保ー」 シオンののんびりした宣言が死の宣告より怖い、と鰍は思った。 「えーと……で、何がどうだって?」 とはいえ、逃げられない気はひしひしとするので、ひとまず事態の把握に務めるべく問うと、 「要するにあんなハロウィンやこんなハロウィンの幻想を打ち砕いて正しい方向に軌道修正するしかないっていうね」 アンニュイな溜め息をつきつつ、檸於がこれまでに提案された新しすぎるハロウィンについて説明してくれる。 「あー……うん、なるほどー。で、ゲールハルトさんとゼロは何やってんの、アレ」 「激辛からし入りパイを手に入れるべくカボチャ大魔王だかを召喚してるらしいよ。あ、違う、悪魔カボチャ王だっけ」 「……ブレイクダンスで?」 「息ぴったりですごいよなーあのふたりー」 「うん、檸於の棒読みっぷりもすごいと思うけどね」 どの角度から見ても、すべてにおいて体力を使いそうだ。 ボケをさばき切れず途中で沈没する可能性すらある。 ぼんやりそのあたりのことを考えていた鰍は、 「……もういっそのこと全部やってみればいんじゃね?」 突っ込むのも面倒になって来て、気づけば投げやりに提案していた。 「どれが正しいとか、なんかもうどうでもいい気がしてきた」 「ちょ、それ言っちゃ駄目だって鰍さん、俺たちの今までの努力が……!」 「えー、ンなこと言われたってなぁ。檸於だって、俺たち三人だけでアレをどうにかできるとは思わねぇだろ」 「いや、そうなんだけど、さ」 すでに疲労感を滲ませた檸於がフゥと溜め息をつく。 と、そこへ、 「なら、決定だな」 神楽の宣言とともに、鰍は南瓜の被り物をずぼっとかぶせられていた。 この南瓜、孤高の殺し屋を思わせる渋くてリアルな顔が彫られていて、微妙に怖い。しかも、時々表情が変わっているような気がするのも怖い。 「えっ、決定って何が……」 「南瓜狩り」 途端、背後に猛烈な殺気が膨れ上がり、 「ぎ……ぎゃーッ!?」 鰍は絶叫しつつ跳んで逃げた。 ごがっ。 鈍くて生々しい音がして、恐る恐る振り向けば、神楽がいつも影の中に住まわせている七つ目竜のあぎとが地面を大きく抉るところだった。 「ちょ、待て待て待て、お願い冷静になってっていうかそういうのはツーリスト同士でやってえええええ!?」 必死で南瓜をむしり取り、投げ捨てながら叫ぶものの、何をどう言いくるめられたのか、ゼロにディーナ、侘助にゲールハルトまでが、リアル顔南瓜を手に、じりじりとにじり寄ってくるのが見えて、鰍は蒼白になった。 無論、檸於も紗弓も同じような顔をしている。 「何だろ、この負け戦感……!?」 それはツッコミだからです。 「とりあえず逃げるぞ、あんなのに齧られたら『あっごめん☆』どころの話じゃない!」 檸於の号令で、脱兎の如く――蜘蛛の子を散らすように逃げてゆくツッコミ三人。 「悪い子はいねがあー! ……で、いいんだっけ?」 「そりゃ秋田県は男鹿のなまはげだあああああああ!」 どこから仕入れてきたのか、ディーナの間違った雄叫びに全身全霊で突っ込むのはもちろん鰍である。 「ちなみに、国の重要無形民俗文化財なんだぜっ」 薀蓄を付け加えていくところがちょっぴりジェントルマン。 半ばやけくそだが。 ――こうして、命をかけた本気の追いかけっこが始まるのだった。 * * * * * 「あああ……もう疲れた、帰りたい……!」 そこからどのくらい逃げ回っただろうか。 鰍は肩で息をしながら愚痴をこぼしていた。 彼に南瓜を被らせて狩ろうと目論むハンターたちに追い回されて、心身ともにへとへとである。 「歪、真遠歌……ごめんな、俺、もう戻れないかも……」 悲壮感あふれる顔で不吉なことを言いつつ、周囲が静かになったのを見計らって――被害者と書いて同胞と読むふたりの仲間がやられてしまったからなのでは、と考えるのも怖いので意識の隅に追いやりつつ――ゆっくりと移動を再開する。 「このままこっそり『エル・エウレカ』に抜けて、菓子をもらってさっさと逃げよう」 鰍の結論はそれだった。 幸い、周囲には誰もいない。 「薄情でごめん、ふたりとも……でも、俺にも護らなきゃいけないものがあるんだ……!」 同属であるツッコミたちを見捨てるのは断腸の思いだ。 しかし、このままここに留まって何かいいことがあるようには到底思えない。 というか、悪い予感ばかりがひしひしとする。 そうなると、三十六計逃げるにしかず、という結論に辿り着くのは致し方ないことではないかと鰍は思う次第である。 「よし、いい感じだ、このまま……」 ボケ面子で結成されたハンター集団に見つかりませんように、と祈りつつ、壁伝いにじりじりと進んでゆくと、 「……あれ」 道の真ん中にクロハナが立っていた。 ぱたぱた動く尻尾が譬えようもなくラブリーで、鰍が何もかもを忘れて和んでいると、こちらに気づいたクロハナが、ぺこりとお辞儀をして、 「コンニチハ?」 小首を傾げながらそんなことを言った。 真面目に、「今日は」を一番たくさん言うと勝ち、という自分のハロウィンを実践しているのだ、と気づいて鰍はこれ以上ないくらいにときめいた。 ときめくだけでは足りなくなり、 「今日はクロハナ。あのさ、ちょっと撫でさせてもらってもいいかな。なんていうか、こう、心の潤いに」 心が疲労骨折気味だったのもあって、警戒を解き、こっくりと頷くクロハナに無防備に近づいた――…… ずっぽし。 途端、視界がいきなり狭くなった。 そして、あたまが重くなった。 「え」 この感覚には覚えがある。 先ほど、神楽に被らされたアレだ。 「とっても素敵。似合う」 何が起きたのか判らず、鰍が硬直していると、 「え、あの、これ……」 「南瓜かぶる、無病息災、聴きました。わたし、皆にげんきでいてほしいから、おてつだい」 クロハナが無邪気に死刑宣告的なことを言った。 どうやら、上に吊るしてあった南瓜マスクが落ちてきてこうなったらしい。 「いやいやいや、これを被った時点で息災の部分がアウトっていうか。って、あ、やばい、なんか外せないコレ」 「?? でも、神楽が、南瓜かぶる、いいことたくさんある、言いましたよ?」 「やっぱりあいつかあああああああ!」 天然なのか確信犯なのか愉快犯なのか判らない巫子の罠にずっぷりはまったことに気づいて鰍が頭を抱えるのと、 「クロハナ君の皆を想う気持ちは素晴らしいよねぇ」 杖ではなくサバイバルナイフを手にした白魔女がずごごごごごごという効果音とともに姿を現すのはほぼ同時だった。 「ギャア、出た!?」 断末魔めいた悲鳴を上げ、脱兎の勢いで駆け出す鰍、うふふふふ~と笑いながら追いかけてくるディーナ。 「何この非ハロウィン空間!?」 しかし、俺は菓子をもらいにきただけなんだあああああと叫びつつ、『エル・エウレカ』に向かって必死で走る最中、鰍は見てしまったのだ。 「く……こんなトラップなら、引っかかっても悔いはない……いや、正直なところ色々あるけど、それもまあ仕方ないっていうか……!」 「油断した……まさかああくるとは思わなかった。後の祭りって、こういうことだよな……!」 ――恐らく鰍と同じ流れで南瓜マスクを被せられ、前のめりに落ち込んでいる紗弓と檸於の姿を。 思わず息を飲む鰍の目の前に、そして背後に、 「さあ、では南瓜を狩り尽くすのです」 「うむ、そしてあの南瓜で菓子をつくって食すとしよう。ゼロ殿は如何様な菓子がよろしいか」 「では、ゼロは南瓜プディングを所望するのです」 「承知した」 「ふふふ、私は何にしようかなあ……?」 ハンター集団がいい笑顔で姿を現す。 息切れ、弾切れも気にせず、ボケのひとつも取りこぼしてなるものかとばかりに真っ当かつ真正面からのツッコミを入れる器用さを発揮する鰍だが、 「え、てかこのカボチャ中身ないから食えないよね」 「……多分突っ込むべきはそこじゃないと思うな、俺」 たまにタイミングが外れるのはご愛敬。 4.嫌な予感って当たるもの 南瓜マスクを被せる手伝いこそしたものの、基本的に面倒臭がりなのもあって、少し引いた場所から事態を傍観していた侘助が、そうも言っていられなくなったのは、 「クロハナ殿の熱き想い、不肖ゲールハルト、感服致したッ!」 まだ魔女ッ(漢の)娘姿のおっさんが、感極まって眼から例のアレをぶっ放した辺りからだった。 「ぎゃああああああああああ!?」 白い光に巻き込まれた鰍、檸於、そして紗弓が、この世の終わりのような悲痛な悲鳴を上げる中、同じく白い光に包まれた侘助も動揺を隠すことは出来なかった。 「ちょ、また流れビームとか……!?」 そのビームならば喰らったことがある。 覚醒したばかりのゲールハルトを保護する、という依頼で。 あの時も確か、誰かの巻き添えを食って浴びたのだ。 「皆、すてき! とってもすてき!」 興奮したクロハナが、尻尾を振りながら、吠えながら周囲をぐるぐると走り回るが、もちろんその賞賛に同意することは侘助には出来ない。 「いや……うん、そうだね、ハロウィンって確かに仮装する行事だけど。……ちょっと待ってそりゃ魔女は定番だけど何かこれ違っ……」 無論、檸於も鰍も、恐らく紗弓も出来なかっただろう。 どうにか南瓜マスクは取れたようだったが、三人とも、侘助と同じような、膝上二十センチ、魔女ッ娘アニメ調のカラフルでフリフリでフワフワな衣装を纏わされており――ちなみに檸於がピンク、鰍がブルー、紗弓がオレンジで、侘助は淡い紫だった――、なかなかダメージは大きそうだ。 鎖骨や肩がチラリと覗く、可愛い中にセクシーさのある衣装だったのも、ダメージを倍増させていた。 「いや、でも紗弓さんはすでに魔女の扮装をしてたわけだし、ダメージはそんなに大きくないんじゃ……」 「魔女と魔女ッ娘じゃ大違いだっ! あああ、この年で魔女ッ娘とか、こんな姿知り合いに見られたらもう立ち直れない……!」 「ははは、まあそれ言ったら俺なんて三十路だしね! 歪、真遠歌、兄ちゃんもう綺麗なカラダでは帰れないかもしれない……ッ!」 衣装の(ある種の)重さに立ち上がれずにいる檸於、耳の先まで真っ赤になってスカートの裾の短さを気にしている紗弓、その場に蹲り、顔を覆ってさめざめ泣いている鰍など、周囲は一時騒然とした。 猛者のディーナが、 「ええー、でも、三人とも可愛いよぉ? 私が男なら、誰と恋に落ちてもいいと思っちゃうけどなあ」 などと小首を傾げる中、前のめりに落ち込んでいた侘助は、 「あ……あかん、ここで力尽きるわけには……!」 重大な役目を思い出し、ぐぐぐと全身に力を入れて何とか起き上がった。 要するに、全身に力を入れないと起き上がれない程度には打ちひしがれていたわけだが、このままでは帰れない理由が侘助にはある。いや、服を着替えて化粧を落とさなきゃ表を歩けないとか、それだけではなく。 「せやった……わぇとて菓子を持って帰るという使命がある! そのために南瓜を狩らなあかんのやったら、この拳にかけて打ち砕いてみせる……!」 無駄に真剣な男前の顔で言った侘助が、鰍の、だったらもうあの南瓜タワーでも崩して来いよという投げやりなツッコミを受けつつ立ち上がったところで、 「いやー、大量大量。年に一度の夜の宴、最高だなっ!」 どこまで出かけていたのか、山ほどの林檎を抱えて上機嫌で戻って来たベルゼが、魔女ッ娘な皆さんに気づくや否や林檎をぼとぼとと落とした。 「……」 しばらくの沈黙の後、 「……うん、その、何だ。世の中には色んな嗜好があってしかるべきだと思うから、それは恥じることじゃねェと思う。うん」 とてつもなく温かい眼差しになったベルゼが、魔女ッ娘四人に、 「あ、これ、俺からの餞別」 各一個ずつ林檎を手渡し、残った林檎を拾い上げてからそそくさと『エル・エウレカ』へと入ってゆくのを見送った辺りで、侘助は力尽きた。 心が折れたと言ってもいい。 「あ、やっぱりあかん、もう無理」 受け身もなにもなく、そのまま横向きに倒れる侘助を、鰍と紗弓が涙をこらえながら見つめている。 「ああ……燃え尽きたぜ……」 その傍らでは、セクタンのぷる太が特に何もせず肩の上でぷるぷるする中、 「結果がすべてとは言うけれど、努力したというそれ自体が評価されてもいいってことはあるんじゃないかな……特に、こんな日は……」 檸於が何もかも突き抜けたような遠い目で、空を見上げていた。 「そうだ、そうに違いない、これもいい思い出になるさ。――……たぶん……きっと……!」 目尻に光るのは断じて涙じゃない、心のダイヤモンドだ。 「ふむ、南瓜が魔女になってしまっては、狩りの続行は不可能か」 魔女っ娘な四人の心痛などオールスルーで、神楽が残念そうに言い、お座りをして指示を待っていた竜を影の中に返した。どこまで狩りたかったのと誰もが突っ込みたかったが、下手に指摘して再度やる気になられても面倒なので一堂口を噤む。 と、そこへ、 「ん、どうにか一段落した感じ? ……あー、なんか色々あったみてぇだけど、お茶の準備が出来たし、ちょっと一休みしようぜ」 ベルゼに事情を聴いていたのだろうか、労わりと理解と友愛の眼差しのシオンが店内から現れ、一堂を手招きした。 「お茶……あ、そうだ、俺、弟たちにお菓子を持って帰ってやりたいんだけど」 「ああ、火城が持ち帰り用のやつ、大量につくってたぜ。好きなだけ持って行けばいいと思う」 「お、マジで? そっか……来てよかったああああああ!」 弟たちへの土産が手に入ると判った途端、鰍に生気が蘇った。 魔女ッ娘衣装のままなのも気にならない様子で、いやあえて意識から除外しているだけかもしれないが、ともあれ意気揚々と『エル・エウレカ』へと入っていく。 「あのお人も大概猛者やねぇ……お菓子で今回の全理不尽を許してしまえるんやから……」 若干呆れつつも、よく考えれば自分もミッションコンプリートであることに気づき、 「まあ、ええか」 同じく魔女ッ娘なことはさておいて、 「えええ、そこで納得してしまえるんだ、ふたりとも……!?」 「いや、むしろその方が精神的負担は少ないんじゃないかな。ってことで紗弓さん、俺たちも頑張って納得してみようか?」 「無理無理無理、もうすでに色々一杯一杯だって!」 「……うん、俺もそう思うけどさー」 紗弓と檸於のそんなやり取りを聴きつつ、さっさと店内へ向かう侘助だった。 5.お祭は続くよどこまでも? 『エル・エウレカ』店内は、いつものように幻想的な植物と鉱物によって飾られていたが、黄色やオレンジの南瓜や、ジャック・オー・ランタンのかたちをしたランプ、デフォルメされた髑髏の人形などがあちこちに見られ、それなりにハロウィンの雰囲気を醸し出していた。 「……まあ、お疲れさん」 外の騒ぎとは完全にノータッチだった火城と、諸悪の根源であることなどすっかり忘れた様子で店員的な立場に戻った神楽が、席に着いた面々に甘味とお茶を饗して回る。 「あー、うん、出来れば助けてほしかったけど、もういいや……」 投げやりに溜め息をつきつつ椅子に座る檸於の前にも、甘味が山盛りになったプレートが置かれた。 今回のメニューは、クレーム・フランジパーヌなるアーモンド風味のクリームに南瓜と洋梨のスライスを重ねて焼いたタルト、甘味の強い栗南瓜のムース・チーズクリーム添え、裏ごしした栗に生クリームとラム酒を加えて練り上げた練り切り風洋菓子、葡萄と梨のコンポート、サツマイモと胡桃、チョコレートチップを練り込んだクッキー。お茶は壱番世界の紅茶かコーヒーをお好みで。 お土産には、一口サイズの南瓜クリームパイ、星型に成型した南瓜タルト、裏ごしした南瓜とホワイトチョコレートを混ぜ合わせてから南瓜ランタン型にくりぬいたもの、生クリームとバターがたっぷり入った自家製南瓜キャラメル、南瓜の種とレーズンが入った南瓜のクッキー及びビスケット。 南瓜尽くし、秋の味覚尽くしのお菓子たちからは、甘くて優しい香りがする。 「おー、美味そうだなっ。ていうか、このタルト美味ぇ!」 林檎を傍らに置きつつ菓子にも夢中のベルゼ、 「魔法がなくてもこのようなお菓子がつくれるとは、驚きなのです」 感心している風情のゼロ、 「ああ、うん、優しい味だね……ちょっとホッとする」 複雑な表情ながら、栗南瓜のムースを一口食べて溜め息をつく紗弓。 「やー、こんだけお菓子持って帰れたらわぇも面目躍如やわぁ」 土産用の菓子詰め合わせを片手にご満悦の侘助、 「まあ……うん、素直に楽しんどいた方が楽、かな……」 まだ納得は出来ないけど、となるべく自分の出で立ちをみないようにしつつ檸於。 クロハナはホットミルクと甘くてやさしいお菓子に夢中だ。 そんな中、 「ウフ、ウフフフフフ」 ラム入りの栗菓子を食べたディーナの様子が変わった。 ――そういえば彼女、酒乱である。 酒が入ると凶暴化すること、そして意外に武闘派であることを知っているのは小数だが。 がたり、と音を立てて椅子から立ち上がり、「エッ」という顔をしている鰍の――後生大事にお土産用のハロウィンスイーツ詰め合わせ袋をふたつ、抱え込んでいる――前に歩み寄ると、 「んんー、私もゲールハルトさんに一票……かな? どのハロウィンが本当かなんて、バトルで決めればいいじゃない……そう! 私のハロウィンが世界一ィィィ!」 「ちょ、なにゆえそこで俺!? 他人を生け贄にするのはやめた方がいいと思うんですけどオオオオオ!?」 雄叫びを上げつつ、鰍の驚愕の声を無視しつつ、思い切り体重を載せた蹴りを放とうとしたディーナの、 「あー、判った判った」 首根っこをひょいと掴み、元の席に戻したのは火城だった。 「あ、ちょ、何するのよぅ、私は世界一のハロウィンを決めるんだからぁあ」 わずかなアルコールで酔っ払ってふにゃふにゃのディーナの前に、 「判ったから、とりあえずコレを飲め」 白っぽい液体の入ったコップが置かれる。 「え、何コレ?」 「いいから飲め」 「はぁーい……って、辛い!? 何か滅茶苦茶辛いよ、これ!?」 ごり押しされて反射的に液体を呷ったディーナが激しく咽た。 「何コレ、鼻から何か噴き出るかと思った……!?」 「大根の一番辛い部分を摩り下ろした汁だ」 「だいこっ、ええー!?」 「……酔っ払いにはこれが一番だ」 真顔で言う火城から、更にもう一杯、大根の絞り汁が出される。 「えっ、い、いいよぅ、もう醒めた、もう意識ハッキリクッキリしてるから、ほら!」 顔を引き攣らせたディーナが、その場でくるくる回ってみせたが、 「……二日酔いや胃もたれを防いでくれる、飲んでおけ」 「はぁい……」 そんなことを言われてしまっては、受け取らざるを得ない。 うまく行けばときめきフラグだったが、残念ながら火城がにじませているのは、どう好意的に見積もっても単なる心配性のおかんオーラだった。 「辛っ、ホントこの大根汁辛っ!」 咽つつも必死で大根ジュースと格闘するディーナを後目に、 「さーて、目的は果たしたし、あとはどうやって帰るか、だな。あの子らにこの姿を見られたら正直記憶喪失になるくらいしか立ち直る方法が思いつかない。……ってことでゲールハルトさん、これ、どうやったら元に戻んの?」 「ほんまやで。わぇ、この格好見られたら引き篭もるしかない相手とかいはるんやけど」 「さて、ほぼ無意識のものゆえ、私にもとんと判らぬ」 「あー……やっぱり、たぶんそうだろうなって思ったんだ……」 「うん、せやね……」 「はっ、そういえば忘れていたのです。ゲールハルトさんの魔女化ビームをターミナル全域に照射し、皆を魔女にするという壮大な計画の許可をアリッサ館長代理に求めるのを」 「アリッサなら本気で許可しかねないからやめとこうな、それは!?」 「シオンさん、しかし……」 「あ、そうだ、なぁなぁ火城、この林檎で何かつくれねェ? 生もいいけど、林檎は火を通したり加工したりしても美味いからなっ!」 「ん? そうか、では持ち帰り用に蜂蜜コンフィチュールでもつくろう」 「おう、頼むぜ!」 「クロハナ、お菓子は美味しいかい」 「はい、とても。紗弓も、美味しい、楽しい、です?」 「ああうん、そうだね、魔女ッ娘でさえなければ完璧なんだけどね」 「紗弓さん、それは言わない約束だよ……」 そんなこんなで、大騒ぎのあとのティータイムは、一部魔女っ娘たちの溜め息を含みつつ、それなりに、そこそこ、賑やかかつ和やかに進む。
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