オープニング

 古城に灯が入っていく。それに誘われるように、仮装の人々が城門に吸い込まれていく。ある者はとんがり帽子と黒マントを纏い、ある者は蝙蝠のモチーフをあしらった杖を振り、ある者はゴーストの仮面を被っている。
 ヴォロスの辺境、『栄華の破片』ダスティンクル。古い王国の跡地に建つ、微細な竜刻を多数内包する都市である。入城した人々を出迎えたのはこの土地の特産品であるお化けカボチャだった。カボチャをくり抜いて作られたランタンがそこかしこに飾られ、大広間にもカボチャを用いた料理や甘味がずらりと並んでいる。
「ようこそ、皆様」
 という声と共に、黒のロングドレスと仮面で装った老婦人が現れた。領主メリンダ・ミスティである。先代の領主の妻で、数年前に謎の死を遂げた夫に代わってこの地を治める人物だ。
「今宵は烙聖節……この地に埋まる竜刻と死者たちが蠢き出す日ですわ」
 冗談めかしたメリンダの言い回しに来客達は顔を引き攣らせた。
「共にこの夜を楽しみましょう。けれど、お気をつけあそばせ? あたくし一人では手に負えない出来事が起こるかも知れません――」
 未亡人探偵。領民たちはメリンダをそう呼んでいる。面白い事が大好きで、不可思議な事件に首を突っ込みたがるのだと。

 時間は少し遡る。
「要はハロウィンみたいなモノ? はいはーい、エミリエがやる!」
 元ロストナンバーであるメリンダから依頼が届き、エミリエ・ミイがそれに飛び付いたのは数日前のことだった。
 烙聖節。かつての王国が亡んだとされる日で、死者達が蘇って現世を彷徨うと言われている。そのため火――生者の象徴である――を夜通し焚き続け、竜刻の欠片を用いた仮面や仮装で身を守るのだ。今日では一晩中仮装パーティーを催す行事として息づいているらしい。
 王国は巨大な竜刻を保有し、『聖なる祝福を受けた血』と呼ばれる王族が支配していたが、度重なる戦禍で亡んだ。王族は焼き殺され、竜刻も粉微塵に砕けて各地に飛散したという。ダスティンクルから出土する竜刻の大半はこの時の名残だ。
「昔のお城は領主のお屋敷になってて、そこにみんなを集めてパーティーするんだよ。楽しそうでしょ? でもね……烙聖節の夜は不思議な事が沢山起こるんだって。竜刻のせいなのかな?」
 エミリエは悪戯っぽく笑った。彼の地には調査の手が殆ど入っていないため、メリンダと繋ぎをつけておけば今後の任務がやりやすくなると付け加えながら。
「依頼って言っても、難しく考えなくていいと思うな。あ、ちゃんと仮面と仮装で行ってね!」

 * * *

「Trick or treat」
 世界司書の戸谷千里は開口一番、そう言った。
 集まったロストナンバー達は、「なにごと?」と一様にぽかんと口を開けている。
 世界司書は咳払いを一つし、本題に移る。今のはなかった事にしたいようだ。
「ヴォロスの『未亡人探偵』メリンダ・ミスティから招待状が届いた。烙聖節にあわせ、彼女の城でパーティーが催されるそうだ。エミリエから烙聖節の説明は受けているな?」
 一同が頷くと戸谷は続けた。
「君達にはパーティーに参加しつつ、烙聖節に起きるという不可思議な出来事について調査してもらいたい。なに、難しく考える事はない。この日に起こった事を、報告してくれるだけでかまわない」
 要するに息抜きのようなものだと彼は言う。
「仮装の衣装を自分達で準備できない者には、メリンダの方で貸し出しするそうだ。ああ、自分で用意した者達には小物を貸し出すと言っていたな。ブローチや仮面、剣や杖など色々あるそうだ」
 つまり、メリンダからなにかしらの物を借り受けなければならないという事だ。
 そこに何か含みがありそうだと思うのは考え過ぎか。
「まあ……楽しんできたらいいんじゃないか?」
 そう言って、戸谷はロストナンバー達にチケットと招待状を渡した。



!注意!
イベントシナリオ群『烙聖節の宴』は、同じ時系列の出来事を扱っています。同一のキャラクターによる『烙聖節の宴』シナリオへの複数参加・抽選エントリーは通常シナリオ・パーティシナリオ含めご遠慮下さい(※複数エントリーされた場合、抽選に当選された場合も、後にエントリーしたほうの参加を取り消させていただきますので、ご了承下さい)。

品目シナリオ 管理番号1002
クリエイター摘木 遠音夜(wcbf9173)
クリエイターコメント今日は烙聖節へのお誘いにやってまいりました。
調査という名目ではありますが、仮装してパーティーに参加し、楽しんでもらおうというのがこのシナリオの趣旨です。・・・・・・多分。
プレイングには以下の事が書いてあると助かります。
・仮装の衣装は自前か借りるのか。
・どういう服装にするのか。
・衣装を自前で用意する場合はどのような小物を借りるのか。
・今までの出来事(シナリオや過去に起こった事)で心に引っ掛かっている事はなにか?
※シナリオの場合はタイトルを明記してくださると助かります。
・それに対し、どういう気持ちでいるのか。また、どう向きあっていくつもりか。
・楽しかった思い出など。
・参加しているPCさんとの関係。(初対面なのかそうでないのか)
なお、心に引っ掛かっている出来事、楽しかった事は一つだけでお願いします。
複数の場合はこちらで一つ選ばせていただく場合があります。
もちろん、純粋にパーティーを楽しんでいただくのもありです。
よろしくお願い致します。
※都合により、プレイング日数・製作日数を目一杯とってあります。ご了承下さい。

参加者
サシャ・エルガシャ(chsz4170)ロストメモリー 女 20歳 メイド/仕立て屋
飛天 鴉刃(cyfa4789)ツーリスト 女 23歳 龍人のアサシン
玖郎(cfmr9797)ツーリスト 男 30歳 天狗(あまきつね)
アルド・ヴェルクアベル(cynd7157)ツーリスト 男 15歳 幻術士

ノベル

「わあ、綺麗」
 サシャ・エルガシャは幻想的に揺らめく炎を歩きながら眺め、うっとりと呟いた。
「そうだねー。それに……なんだかいい匂いがするよ。何だろう?」
 真っ黒い蝙蝠マントを身に付けたアルド・ヴェルクアベルは鼻をひくひくさせながら言った。
 実は庭の奥まった場所に薔薇が群生しているのだが、ここからは確認できない。
「ふふ」
 飛天鴉刃(ヒテン・エバ)は紺色のチャイナドレスを纏い、珍しく楽しげに笑った。
 元いた世界から放逐され、0世界に暮らすようになってから、胸躍らされる出来事にも出合い、心に余裕ができたように思う。
「楽しいなどと、あの世界にいた頃はほとんど感じなかったのにな。おかしなものだ」
 勿論、依頼によっては命の危機にさらされる事もあるのだが、それでも元いた世界よりは随分ましだ。
「おれの姿は奇異的に映ると思っていたが、それほどでもないようだ」
 この宴に参加するには仮装が必要という事だったが、もとより化生の身。そのままで問題ないだろうとの判断を下し、玖郎(クロウ)は平常と変わりない服装で訪れていた。
 カボチャのランタンを眺めれば、今は遠き、在りし日々を思い出す。
「追儺の燭、か……。おれも子を守るため、よく火を灯した結界をはったものだ」
 それぞれが思いを馳せながら前庭を抜け、玄関ホールに入ると、領主メリンダ・ミスティが出迎えてくれた。
「ようこそ、皆様」
 目元を水鳥の仮面で隠し、黒のロングドレスに身を包んだメリンダは、嬉しそうに口角を上げる。
「あの、この度はお招きいただき、ありがとうございます」
 メリンダ夫人に最初に声を掛けたのはサシャだった。
「こちらこそ、あたくしの招待に応じてくださり、嬉しく思っておりますわ。――あなたにはお召し替えが必要のようですわね」
 サシャは簡素なメイド服に身を包んでいた。
 しかし、年頃の女の子がおしゃれをせずにパーティーに参加するとは思えない。となれば、彼女はこちらで衣裳を借りるつもりだったのではないかとメリンダは推測し、サシャが申し出るより先に言ったのだ。
 メリンダは残りの三人にも素早く視線を巡らせ、言葉を掛ける。 
「そちらのお二人には仮面と、よろしければ小物もお貸しいたしましょう。あなたは……」「おれは、これがあるからいい」
 玖郎は己の鉢金をつつき、仮面については断りを入れる。
「そのようですわね。では何かお気に召す物があれば貸し出しいたしますわ。皆様、こちらへどうぞ」
 優雅な所作でメリンダは四人を衣裳部屋へと誘う。

「うわぁ、凄い。色んな衣裳がこんなにたくさん!」
 広い衣裳部屋には所狭しと衣裳や仮面、小物が並べられている。
 見回してみると、自分達以外にも衣装選びに興じている女性が数人いる事にサシャは気が付いた。
 サシャがメリンダに彼女等の着替えを手伝いたいと申し出ると、メリンダは快諾した。彼女等の了承を得られれば、という注文を添えて。
 サシャは「はい」とメリンダに返事をしたあと一礼し、女性客の方へと小走りに駆け寄っていった。メイド魂に火がついたようだ。
 サシャとメリンダが言葉を交わしている間に、鴉刃とアルドは仮面を選んでいた。
 鴉刃は蝶の形を模し、濃紺の羽で作られたもの、アルドは革で作られた蝙蝠型のものを選んだ。マントとお揃いだ。
 仮面は選んだものの、今一つ手寂しい鴉刃がメリンダに願いを口に出す。
「メリンダ夫人、すまぬが鉄扇のようなものはないだろうか? なければ普通の扇子でかまわないのだが」
 アルドも鴉刃に便乗した。
「僕はレイピアがいいな! ある?」
「おれは錫杖……いや、杖でかまわないが、借り受けしたい」
 皆、無意識にだろうか、有事の際に武器となるものを求めていた。
 その事に気付いたのか、メリンダはくすりと笑い、それぞれの希望にそったものを見繕ってきた。
「こちらの扇子は骨組みを硬い鉱石で作っておりますの。それから、ちょっとした仕掛けを施しておりますのよ」
 そう言って要部分を押すと、鋭利な針のようなものが骨組みの先から飛び出してきた。もう一度押すと、針は納まり、見た目は普通の扇子と見分けがつかないようになっている。
「いかがかしら?」
「なるほど、これは面白い。では、これをお借りしよう」
 メリンダから受け取ると、この扇子はそこそこ装飾もされており、現在の服装と合わせても違和感はないようだった。
「あなたにはこれがよいのではないかと思いますのよ」
 それは玖郎の背丈ほどもある杖だった。
 天頂には太陽を模したものが、その周りを鳥が羽を広げたような造形が施され、羽の下部にタガー型の石が三対ぶら下がっていた。
 軽く振ると、シャランと耳触りのいい涼やかな音がした。
「悪くはないな。……ところで、これらには竜刻がつかわれているのか?」
 この依頼を受けてからずっと考えていた事を玖郎は口にした。
「勿論ですわ。烙聖節の夜は何が起こるかわかりませんもの。竜刻には守護の意味もありますのよ。世界司書から説明がありませんでしたかしら?」
「……いや、ならばいい」
 竜刻を用いたものを持たせる事によって、竜刻の支配下に置こうとしているのではないかと玖郎は疑っていた。竜刻の支配下に置く事による目論見まではわからなかったが。
「あなたにはこちらのレイピアなんていかがかしら?」
 差し出されたのは銀の鞘のレイピア。
 取っ手の部分や鞘は、透かし彫りかワイヤーアートかというほどの緻密なデザインをしていた。
「ふふん。どうかな、似合う?」
 アルドはえへんと胸を張って、鴉刃に聞いた。
「ああ、とてもよく似合っておるぞ」
 鴉刃の言葉に、アルドはますます胸を張る。
 サシャの方を見ると、彼女は一人で着替えに奮闘していた。
 聞けば、サシャはここのメイドと完全に勘違いされたようで、女性達は自分の着替えが終わると礼を告げ、さっさとパーティー会場へ行ってしまったというのだ。
 メリンダが着替えの手伝いを申し出ると、サシャは頬を赤らめながら礼の言葉を口にした。
「さあ、これで素敵なレディのできあがり」
 サシャが選んだのは水色のドレスだ。髪飾りと胸元には百合のコサージュ。スカート部分は薄い生地が何枚も縫い込まれ、フワリとしたデザインになっていた。
 仮面は白い羽で作られたものを選んだ。
「こんな素敵な服が着られるなんて感激! ね、ね、リリイさんみたい?」
 サシャは鏡の前でくるくる回った。



 パーティ会場では思い思いの衣装を着た者達がごった返していた。
 あるテーブルには色とりどりのランタンが、その他のテーブルにはカボチャを使った軽食やお菓子が並べられていた。もちろん、カボチャ以外の料理も置かれていたが。
 楽団が音楽を奏で始めると、同じ色を発するランタンを持った人々がペアを組んで踊り始めた。
「素敵! 同じランタンを持った人同士で踊るのね。ワタシは何色のランタンにしようかなぁ?」
 サシャは男性の持つランタンの色をさり気なくチェックしながら、自身のランタンを選びにかかる。
 玖郎は皆についてパーティー会場に入ったものの、居心地の悪さを感じていた。
 様々な料理は並んでいたが、玖郎が食せるようなものはなかったし、社交の何たるかもわからない。
「怪事にはおれのような怪だろうと来てみたものの……正直、宴にはなじめん」
 かといって、すぐにパーティー会場を後にするのは、些か気が引けた。
 暫くは会場の壁際にてパーティーの様子を眺めていたのだが、そのうちじりじりとバルコニーの方へと移動していった。
「烙聖節には不可思議な出来事が起こる、か。……いったい何が起こるんだろうね?」
「さて、何であろうな。こればかりは起きてみないとなんとも言えぬな」
「そうだねー。まあいいや、とにかくいろいろ見て回って、お祭りを楽しもう!」
 そう言うとアルドはお菓子のテーブルに突進していった。
「お飲み物はいかがですか?」
 ウエイターに声を掛けられ、鴉刃は赤ワインを取って口につけた。
 ――元気にしているであろうか。
 不意に彼女の事を思い出した。元の世界の、彼女の事を。
 今はどうしてやる事もできぬ。考えても詮無き事だ。そう、心に押しとどめ、ワインを流し込む。
 ――リィ……ン
 微かに聞こえるこれは鈴の音だろうか?
 辺りに目を巡らしてみても、訝しく思っている人間はいないようだった。
「幻聴だろうか?」
 ――ィイン……
 やはり聞こえる。鈴の音というよりは共鳴音と言った方がいいだろうか。直接、頭の中に聞こえているような気もする。
 頭に響く音を消し去るように、残っていたワインを一気に飲み干した。
 空になったグラスをウエイターに渡し、足を一歩進めると、地面がぐにゃりと歪んだ。
「酔ったか? まさか、あれしきの酒で」
 鴉刃は自嘲気味にわらう。鴉刃はかなりの酒豪だ。このくらいのワインで酔う筈がない。
『――さま』
 誰かを呼ぶ声が聞こえる。
『……鴉刃さま』
 私の事を呼んでいる? 誰が?
「この声は……。いや、まさか、そんな筈……」
 だが、ありえなくはない。自分もあの世界から異世界へ飛ばされたではないか。
 鴉刃は微かに聞こえる声を頼りに、パーティー会場を抜け出した。

 バルコニーに移動したものの、まばらにいる女性が自分の方を向いてなにやらヒソヒソと話しているようで、なんだか落ち着かない。
「おれになにか用なのか?」
 不思議に思った玖郎が言葉を投げると、キャアと言って女性達は会場内に入っていった。
「なにがしたいのだ? わからん」
 玖郎は女性客の真意がわからず首を傾げる。
 とりあえずこれで静かにはなったが、一向に怪異が起こる気配はなく、徐々に手持ち無沙汰になった。
「まあ……みなが同じ場所にいたとて詮無かろう。怪異が生ずるなら、火影がとどかぬ翳りの中、という気がする」
 自分に言い訳でもするかのように呟いて、玖郎はバルコニーから飛び降りた。

「むふ~、幸せ~」
 パイにマフィン、プディングにクッキー、カボチャを使ったお菓子はまだまだたくさん。
 その一つ一つを手に取りアルドは口に放り込んでいく。
「あ、クリームも置いてある。今度はこれをつけてみてっと……ん~、おいひぃ~」
 幸せ一杯といった顔でお菓子を頬張っている。
「んん?」
 ふいに、城内に入った時に嗅いだ匂いが漂ってきた。
 会場内に飾ってある花を嗅いでみたが、少し違うようだ。
「なんだか、とってもいい匂い……」
 もっともっと嗅いでいたい。そんな匂い。
 頭の中がこの匂いの事でいっぱいになって、他の事が考えられなくなる。
 いつの間にかアルドはとろんとした目で、ふらふらと会場を後にしていた。

「楽しんでいただけているかしら?」
 何度目かのダンスを終え、夢見心地でテーブル席に引き上げてきたサシャを出迎えたのはメリンダだった。
「はい。ワタシ、舞踏会に憧れてて……。でも、メイドには一生縁がないだろうなって諦めてたんです。だから、夢が叶ってとっても嬉しいです」
 それに素敵な男性とも踊れたし、と小さく付け加える。
「それはよかったわ」
 メリンダは近くのウエイターを呼び、紅茶の準備をさせた。
「少し疲れたのではなくて? よければ、あなたのお話でも聞かせていただけるかしら」
「あ、あのっ、ワタシはメリンダ様のお話をうかがいたいです」
「まあ、あたくしの?」
 メリンダがくすりと笑う。
「はい。メリンダ様の旦那様との馴れ初めとか……。ダメ……でしょうか?」
「よろしくてよ。そうですわね、あれは……」
 メリンダが静かに語り始めたその時、異変が生じた。
 ブウゥン……
 サシャの周りの空気が震える。
(え?)
 ゥウン……
(なに、これ……)
 頭のすぐ傍で起きる振動のせいで、メリンダの話がよく聞こえない。
 時折、メリンダがこちらを見て微笑む様子に、ただ曖昧に頷くしかサシャにはできなかった。
 やがてそれは轟々という渦巻きになってサシャの頭の中で暴れた。頭の中に起きる砂嵐のような轟音に、サシャは堪らず耳を押さえた。



 仄かな灯りに彩られた廊下を奥へと進んで行くと、僅かに扉が開かれた部屋が一つ。
 ギィと軋む扉を開けると、月明かりに照らされた窓際に、一人の女が佇んでいた。
 慎重に歩を進めると、ゆっくりとその女が振り向いた。
「ああ、鴉刃さま。ようやく会うことができました」
 シルエットだけでは判別しがたいその人物を、鴉刃は知っていた。声だけでわかる。間違える筈がない。
「ここで、あなたに出会う事になろうとは……。ご息災そうでなによりです」
 一礼する鴉刃に、女は抱きついた。
「寂しかった、心細かった。……もう、私を一人にしないで」
 鴉刃の腰にまわした腕に力がこもる。懇願する女と裏腹に、鴉刃は嘆息した。
「あなたがこの世界に来て、こうして私と再びまみえたという事は、あなたとの間に断ち切りがたい縁があるという事なのでしょう」
「鴉刃さま」
 女が濡れた瞳で見上げてくる。
 それを見た鴉刃は、庇護欲よりも重苦しい気分が湧き上がってくるのを自覚した。
 あの頃は護らねばとがむしゃらに戦ってきたが、今は違う。私は変わってしまった。それを彼女に伝えるべきか。
「鴉刃さま、早く帰りましょう」
「帰る?」
「ええ、そうよ。私たちの国に帰るのよ」
 彼女は知らないのか。一度世界に放逐されたら、元の世界に戻るのは容易くないという事を。
 鴉刃は溜息を吐く。
「あなたはまだ知らないのかもしれないが、一度、自分の世界を見失ったら、元の世界に戻る事は難しいのです」
「そんな事はないわ。だって、私、鴉刃さまを迎えにきたんですもの」
 あっさりとした否定。まさかあの装置が完成したというのか。
 女がくすりと笑う。
「簡単よ。……魂だけの存在になればね!」
 ヒュン、と白刃が一閃。
 間一髪で鴉刃は避けた。
 違う、これは彼女ではない!
「貴様は誰だ!」
「お前の命を狩るモノよ!」
 女の微笑が邪気を孕む。女の手に握られていたのはアイスピックだ。
「笑止! そんなもので私の命が奪えるものか!」
「どうかしら?」
 女が柄をグッと握ると、刃の部分が剣ほどの長さに伸びた。
 鴉刃は扇子を構え、要を押した。ジャキリと仕込み針が姿を現す。
「いやあぁぁぁぁぁあぁああ!」
 叫び声と共に女が鴉刃の腹目掛け、突進してきた。
 鴉刃はギリギリまで引き付け、かわしざまに扇子を薙いだ。
 ピッと首筋に細い筋が入り、鮮血が勢いよく舞い散る。
「まだだ……!」
 なおも襲い掛かってくる女を鴉刃は尻尾でなぎ倒す。
 どうと倒れた女の眉間目掛けて針を突き刺した。
 ガッと床を穿つ音と共に女の姿は霧散した。
 その場には鴉刃と、床に穿たれ、淡く光る扇子だけが残された。

 庭に所々配置されたカボチャのランタンを眺めながら、玖郎は彷徨っていた。
 これだけ広い城ならば、庭に木が繁っている場所があるのではなかろうかと考えながら。
 カサリと落ち葉が音を立てる。
 何気なくそちらを見やると、20cm程のトカゲが顔を覗かせていた。
 会場の料理を見てもなにも思わなかったのだが、普段口にする生き物を目にすると、腹が鳴った。
 体をくねらせ、茂みにと急いで逃げるトカゲを玖郎は自身の鳥足で踏みつけ、なおも逃げようともがく獲物をガシリと掴み、頭から噛り付いた。
 ガリゴリと頭の骨を砕き飲み込み、獲物が動かなくなってから、具合のいい木の下へと座り込み食事を続ける。
 シャラ……と借り物の杖が風もないのに鳴った。すると、くすくすという女の笑い声が聞こえた。
 玖郎が身を捩ると、目の前に“妻”の姿があった。
「なんと……これはまぼろしか?」
「さて、どうでしょう?」
 彼女は穏やかに笑い、玖郎の隣へと腰を下ろした。
 突然の再会にどうしてよいかわからず、玖郎は食べかけのトカゲを差し出し、「食うか?」と問うた。
「私は生のトカゲは食べれません」
「……そうだったな」
 彼女は気分を害した風でもなく、ころころと笑って答えた。
「そういえば、生まれたばかりの子に生肉を与えようとした時もありましたね」
「はじめての経験だったのだ。しかたなかろう」
 妻でなければ知りえない事を彼女は言った。では、彼女は本物なのか。
「おまえをさろうて、なかなか馴染んでくれなんだ時はどうなるかと思うたが、子ができたときはうれしかったな」
 玖郎は在りし日を思い出し、言葉を続ける。
「子のせわは楽しいで済ますには労が多かったが、それでも、おまえと子で過ごした日々は、おれにとってなにものにもかえがたいものだった」
「はい」
「なのに、おれはおまえを、おまえたちを守りきる事ができなかった」
「おまえさま……」
 それまで穏やかに話を聞いていた彼女だが、言外に己を責める様子を感じ取り、眉を顰めた。
「いいえ、おまえさまはとてもよくしてくださいました。私や子が生きるに不自由しないよう、尽力してくださったではありませんか」
 彼女は玖郎の手を握り訴える。
「あれはあらかじめ、私たちに課されていた定めだったのでございましょう。ですから、どうか……」
 ご自分を責められますな、と。
「おまえはおれを、許すと言うか」
「はい。あなたと一緒になれた事を、わたしは嬉しく思っています」
 目を閉じるといつも思い出す。
 “巣”に残された妻の亡骸を。体を揺すり、何度呼びかけても、何も語らず、子の行方さえも見失ってしまった。
 ――シャラン
 石が鳴る。涼やかに軽く。
 ――シャララ……
 妻の姿が霞む。――別れの時がきたのか。
 玖郎に成す術はなにもない。
 ただ、消え行く姿をじっと見詰める事しかできなかった。
 
 はた、と気が付けば周りを白い薔薇に囲まれていた。真っ白な薔薇は月光に照らされ、青く輝いているようにも見える。
「あれ? 僕いつの間にこんな所に来ちゃったんだろう?」
 とてもいい匂いに包まれていたような気がするけど……。
「白薔薇って、そんなに匂い強くないよねぇ?」
 薔薇に鼻を近づけて匂いを嗅ぐ。
「うん、やっぱり違うなぁ」
 アルドが鼻を離すと、幾つもの小さな光がフワフワと飛んできて、周りの薔薇の上にとまった。
 それは蛍の光のようにも思えたが、発する色が違う。揺らめく炎の色だった。
 発光体は薔薇に溶け込み、花弁の色が徐々に白から赤に変化しはじめた。
 血の様に紅く染まった薔薇は、濃厚な香りを辺りに振り撒き始める。
「この匂いだ」
 お城に入った時とパーティー会場で嗅いだ匂いは。
 甘く濃厚な香り。いまだ口にしていないのにもかかわらず、覚えのあるあの味に似ていた。
 ぺろり。
 軽く喉の渇きを覚え、アルドは口を舐める。
「喉が渇いたのかい?」
 ふいに他者の声がして驚愕し、アルドは振り返った。
「キミは……!」
 アルドの視線の先にいたのは夢で、そしてミラーハウスで見たもう一人の自分。
「今日はとてもいい日だ。そうは思わないかい?」
 彼はニヤリと嗤う。
「狩りをするにはうってつけだよね。だってここには、こんなにたくさん餌がいるんだもの。ほんの数人いなくなったところで誰も気付きはしないさ、ねぇ?」
 そうアルドを誘惑する。
 薔薇はさらに色合いを濃くし、ブスブスと燻り始めた。
「餌? 違う、ここにいるのは餌なんかじゃない!」
 アルドはレイピアを抜き、もう一人の自分に飛び掛かる。
 キィン!
 もう一人のアルドもレイピアを抜き、アルドの剣を受け止める。
「ふん。そんなやせ我慢、いつまで続くかな?」
 アルドの剣を跳ね除け、跳び退る。
 ボウッ
 黒ずんだ薔薇が一斉に燃え上がった。
「にぎゃ!」
 周りを取り囲む炎にアルドの毛が総毛立つ。
「ほらほら、余所見してると危ないよ!」
 もう一人のアルドがアルドの胸を目掛けてレイピアを繰り出す。
 アルドはかろうじて受け止め、かわす。
 レイピア同士がぶつかり合う度に、金属音が辺りに鳴り響く。
「熱っ!」
 退き過ぎると燃え盛る炎が身を焦がした。
「げほっ、ごほっ、ハァハァ……」
 燃え盛る炎はアルドの喉を焼き、体力を奪っていく。
「苦しい? ねえ、僕はキミと喧嘩したいわけじゃないんだよ。欲望に忠実になりなよって言ってるだけ。わかるだろ?」
 剣を交えながらアルドを惑わす。
「ほら、僕の手を取りなよ。そうしたら助けてあげるから」
「うるさい! 僕は大切な友達に牙を突き立てたりしない、絶対に!」
 アルドのレイピアが相手の剣を絡め取り、弾く。
 高々と舞うレイピアに相手が目を奪われた瞬間、アルドは自身のレイピアを相手の胸に突き刺した。
 レイピアを引き抜くと、もう一人のアルドはよろよろと燃え盛る炎の中へ後退した。
「僕は諦めないよ、キミを手に入れるまで」
 炎に包まれながら、まるで呪詛を掛けるかのように吐き捨てて、消えた。

 自分を呼ぶ声にサシャははっとした。
 温かい日差しの昼下がり。薔薇咲くバルコニーでアフタヌーンティーを楽しむ時間。
 テーブル上にはカップと数種のお菓子が置いてあり、この館の主人が椅子に座っていた。
 サシャはティーポットを手にしたまま、ぼうとしていたのだ。
「申し訳ありません、旦那様。すぐ、お注ぎいたします」
 主人は彼女が紅茶を注ぎ終わるのを待って、口を開いた。
「サシャ、君も席に着きなさい」
 言われた通りサシャが席に着くと、主人がポットを手に取り、彼女の分の紅茶を注いだ。
 いけませんとサシャが止めようとしたが、「いいから」と押し切られてしまった。
「いただきます」
 サシャはなんとなく落ち着かなかったが、旦那様の注いでくれた紅茶は美味しかった。
「サシャ……」
 主人がサシャの手の上に自らの手を乗せ、優しく名前を呼ぶと、サシャはドキリとした。
 次に主人の口から出る台詞が想像できたからだ。
「考えてくれたかね?」
 肌の色のせいで、救貧院で孤立していたワタシを旦那様は迎えに来てくれた。 
 それだけでなく、一人前のレディとして恥ずかしくないよう、教育も受けさせてくれた優しい人。
「旦那様、ワタシは旦那様に養育していただき、ここでこうして働かせてもらえるだけで幸せなのです」
 しかも、今度は私を養子にしたいとおっしゃってくださっている。
 過ぎる幸せは自分にはもったいなかった。だから、もう少し考えさせてくれと言うと、いつも旦那様には落胆したような、切なそうな顔をされてしまう。
 本当はすぐにでもお受けしたかった。
 でも、旦那様は恩人。親愛なる足長おじさま。優しくて温かくて、でも、だからこそ甘えちゃ駄目だって思った。旦那様の負担にはなりたくなかった。
「いつまでも待つよ、サシャ。いい返事が貰えるまでね」
 主人はサシャがあまり思い詰めないよう、ウインクしてみせる。
 旦那様、と言おうとしたところで、また、あの感覚に襲われる。
 空気が震えるような、頭の中に嵐が吹き荒れるような……
 ――また?
 サシャは、そこで気が付いた。
 違う、これは今起きている出来事ではない。過去にあった出来事なのだ、と。
 目の前にいるのは幻なのだ、本物の旦那様ではない。
 では、あの時言えなかった本当の気持ちを吐露しても許されるのではないのだろうか。
「旦那様」
 サシャが椅子から立ち上がると、風景が一変した。
 バルコニーは消え失せ、何もない空間がただ広がるばかりだ。
 そこには漆黒の闇とサシャと主人だけが存在していた。
「旦那様。ワタシ、本当は旦那様の家族になりたかった。でも、そこまでしてもらうのは、もったいなくて申し訳なくて、素直にお受けできませんでした。……ごめんなさい、旦那様。ごめんなさい」
 ワッと泣き出したサシャを主人は優しく抱きしめた。
「いいんだよ、サシャ。よく、こたえてくれたね。本当の事を打ち明けていなかった私も悪かったんだ。知らず、お前を苦しめていたんだね。すまなかった、サシャ」
「旦那様……」
 サシャは主人の体をギュッと抱き返した。



「――さん、サシャさん、どうかしましたの?」
 メリンダの呼びかける声とざわめく会場。心地よく流れる音楽に、逢瀬の時は終わったのだと知らされる。
「懐かしい、とても大切な人に会いました」
 メリンダは、それだけで彼女の身に何が起きたのか察する。瞬きすると、新たな涙がサシャの瞳からぽろりと落ちた。
「そう……。よろしかったら、その方の話をあたくしに聞かせてくださらないかしら?」
「はい、メリンダ様、喜んで!」
 サシャは、大好きな旦那様の自慢話を、先ほどあった事も加えて話し始めた。
 旦那様、ワタシはここにいるよ。
 がんばって、前向きに生きているよ。
 だから天国で見守っててね。 
 サシャは心の中で呟いた。

 床に突き刺さったままの扇子を抜き取り、鴉刃は暗い部屋を出た。
「彼女が私に依存するようになったのは、私の所為であろうな」
 かつて夢で見た、彼女の泣く姿はおそらく事実だろうが、自分はもう、あの世界に戻ろうとは思わないのだ。せっかく手に入れた自由を手放す気にはなれなかった。
 彼女には私に依存せず、一人で生きて欲しいと思う。そうでなければ、自分が心苦しい。
「いや、勝手な言い訳か」
 それでも、自分の生き方は自分で決めたかった。
 過去や彼女から目を背けるつもりはないが、既に身近でなくなったものを見続けたところで一体何になるというのだろうか。
 重要なのはこれからなのだ。
 いつまでも過去に囚われていては、手に入れた自由を楽しめぬ。そう思うのだった。

「きれいだ」
 空を見上げた玖郎はぽつりと呟く。
 空には無数の星が瞬き、夜空を彩っている。
「夜空はどこにいても、あまり変わらぬのだな」
 行方知れずの子は、恐らく金のものにつれさられ、かれらの滋養となったのだろう。
「……死者が蘇る日、か」
 あの時、とむらいに食んだつまが、自分の中で黄泉返ったということなのか。
 最初の妻子を守れなかった悔いを「次」にいかさねば、と思う。
「そのためにも、おれは帰らねばならん」
 玖郎は元いた世界への帰還を諦めてはいなかった。

「吸血鬼……か」
 元いた世界、故郷の森では、血を吸う猫族というのはアルドしかいなかった。
 その為か気味悪がられ、いつの間にか仲間はずれにされていた。
「霧の獣王の子っていう立場があったせいか、苛められることはなかったけど……」
 あの時見たもう一人の僕は、僕を助けてくれた人を襲っていた。
「僕は……いつか、あんな風になってしまうのかな?」
 血への渇望に抗うことは出来ないという事を、アルドはもうわかっていた。
「だからって、あきらめたくない」
 渇望に抗うことが出来ないのなら、渇望自身を抑えることができればいいのでは、とアルドは考える。
「渇望を抑える手段はまだわからないけど、見つけ出さなきゃ、必ず」
 大切な友達に牙を向ける、その前に。
 


 烙聖節の宴も終り、来賓客が皆帰ってしまった頃、メリンダは一人、衣裳部屋に佇んでいた。
 来賓客に貸し出した衣装や、小物を手に取り独り言ちる。
「誰もが少なからず心に傷を負って生きていますわ。けれども、ひたむきに生きようとする命はこんなにも美しい。そうは思わなくて?」
 その言葉は、誰に向けて言ったものだったのか。
 装飾された竜刻が、淡く光った。

クリエイターコメント大変お待たせして申し訳ありません。
シナリオをお届けいたします。
かなり捏造(妄想?)してしまったので、PL様のPC像に齟齬が出ていないか心配です。
気になる点がございましたら、事務局経由にてご指摘いただければ嬉しく思います。
この度は私のシナリオにご参加いただき、ありがとうございました。
また、皆様の旅路を記す事ができれば幸いです。
公開日時2010-12-11(土) 01:10

 

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