世界図書館の片隅に、黒髪の少女が佇んでいる。 古風な装束に目隠しをした細身の少女だ。 左手に古書型のトラベルギア――『導きの書』を抱え、その表紙を無造作に指で撫でている。 かつて視た景色を眼前に思い描くように、少女はゆっくりと言葉を紡ぎはじめる。 それは、あるチェンバーについての話だった。「そこは『閉ざされた庭』といわれています。わたくしが語るのは、その中にある、硝子張りの天井をもつ温室についてです」 温室は壱番世界の建材で作られた、一般的な建物だという。 空から見ると、建物は十字に交差しているように見える。 中央に円形の広間があり、東西南北、それぞれに春夏秋冬の庭が置かれている。 中には草木だけでなく、人口的な小川もあるらしい。 硝子天井から見える外の気候は、一番世界のそれと同じ。 日が昇ればあおく澄みわたる。日が落ちれば雲は黄金に染まり、やがてすべてが鴉色に染まる。「温室は壱番世界の植物に満ちています。春の、夏の、秋の、そして冬の草木がいつでも息づいているのです」 四季の移り変わりに関係なく、すべての季節の草木が芽吹く。 咲いて、枯れ果てても、命の円環をうたうように、新たな命が芽生えるのだ。「太陽も月も浮かべて壱番世界の環境を再現しながら、そのチェンバーには喪われたものがあります」 ふいに、黒髪の少女が細い指先をそっと自分の唇にあてた。 だれにも秘密だ、といわんばかりに、息をひそめる。「花や木はすべて『白い』のです。だから温室は、室内にありながら一面の銀世界のように見えます」 チェンバーのあるじは、『白くあれ』と望んだ。 植物の色彩を持ちこむことを、ゆるさなかったのだ。 だから、それらの色彩はすべてチェンバーの中で喪われた。 だから、温室では草も木も花も、すべてが白く染まっている。 何故そうしたのかは、だれも知らない。 問いかけても語ろうとしないので、いつしか誰もその理由を問わなくなった。 ただ、あるじがその箱庭を愛していることだけは確かだと、世界司書は小さく微笑む。「気むずかしい人物なので、客人に会おうとはしません。それでも、いとおしい温室をだれかに披露したいようなのです」 だからこうして世界司書を通して、時折ひとを招くのだという。 多くを呼ぶことはできないが、あるじの庭を訪れたいという者がいるなら、案内するという。「今なら中央の円形広場に、大きなモミの木が植えられているでしょう。壱番世界の慣習にのっとって、祝祭の飾りをほどこして」 どの季節の庭からでも見えるから、訪れたなら、ぜひ眺めてみて欲しいと言う。 純白のモミの木を前に、きっと幻想的な光景を目にすることができるだろう。「この箱庭への誘いが、貴方のなかで素敵な記憶となるように」 そう告げると、少女は優雅に一礼した。●ご案内こちらは特別企画「イラスト付きSS(ショートストーリー)」です。参加者のプレイングにもとづいて、ソロシナリオ相当のごく短いノベルと、参加者全員が描かれたピンナップが作成されます。ピンナップは納品時に、このページの看板画像としてレイアウトされます。「イラスト付きSS(ショートストーリー)」は便宜上、シナリオとして扱われていますが、それぞれ、特定の担当ライターと、担当イラストレーターのペアになっています。希望のライター/イラストレーターのSSに参加して下さい。希望者多数の場合は抽選となります。《注意事項》(1)「イラスト付きSS」は、イラストを作成する都合上、バストショットかフルショットがすでに完成しているキャラクターしか参加できません。ご了承下さい。(2)システム上、文章商品として扱われるため、完成作品はキャラクターのイラスト一覧や画廊の新着、イラストレーターの納品履歴には並びません(キャラクターのシナリオ参加履歴、冒険旅行の新着、WR側の納品履歴に並びます)。(3)ひとりのキャラクターが複数の「イラスト付きSS」に参加することは特に制限されません。(4)制作上の都合によりノベルとイラスト内容、複数の違うSS、イベント掲示板上の発言などの間に矛盾が生じることがありますが、ご容赦下さい。(5)イラストについては、プレイングをもとにイラストレーターが独自の発想で作品を制作します。プレイヤーの方がお考えになるキャラクターのビジュアルイメージを、完璧に再現することを目的にはしていません。イメージの齟齬が生じることもございますが、あらかじめ、ご理解の上、ご参加いただけますようお願いいたします。また、イラスト完成後、描写内容の修正の依頼などはお受付致しかねます。(6)SSによって、参加料金が違う場合があります。ご確認下さい。
箱庭の扉は、招かれた者のみに開かれる。 チェンバーに入ると、すぐに巨大な建造物が視界に飛びこんできた。 壱番世界と同じ建築様式で建てられた温室。 客人はひとしきり外観を眺め、やがて門をくぐった。 ●春の庭には≪サクラ≫舞う 春の庭へ進んだのは青燐(セイリン)だった。 「四季の植物がいつもあるというのは、本当に不思議な感じですねー」 粉雪のように舞い散る桜を前に、青燐が感慨深げにつぶやく。 かつて住んでいた世界では、壱番世界と同じように決まった時期に花ひらくものだった。 植物の銀世界をひとり歩くのは興味深いものだ。 たとえば、道の脇に群生する小手毬はもともと白い花を咲かせる花だ。 しかしここでは枝も葉もすべてが白いので、まるで違った植物のように見える。 ツツジに李に月桂樹。乙女椿に山椒、八重葎。 庭のあるじが趣と感じた故なのか、ただ美しいばかりの白い花が、視界いっぱいに広がっている。 「永遠の春の庭、ですか」 天井からは青空が見える。 降りそそぐ日差しに、思わず眼を細めた。 天へ向かって手を伸ばすように、桜並木の下で腕を伸ばす。 引き寄せた手のひらを覗きこむと、雪と見間違うような純白の花びらが、寄り添うようにふたつ残っている。 「この時期、故郷では聖祭が行われてたんですよねー……」 降りそそぐ花びらの向こうに、在りし日の記憶を重ねる。 聖祭は、これから家族となるであろう恋人同士や夫婦が訪れる祝祭だった。 青燐はふいに眼を伏せ、口の端をわずかに持ちあげる。 手のひらの粉雪は溶けない。 想いを馳せたところで、過日を取り戻すことはできない。 ――己の幸せは、過去から動くことはない。 永久の春景を眺めているあいだ、青燐は貼りつけたように同じ笑みを浮かべ続けていた。 ●夏の庭では≪ヒマワリ≫揺れる クラウディオ・アランジは中央広場に据えられたモミの木を堪能した後、春夏秋冬の順に温室を巡る予定をたてていた。 今は春の庭から夏の庭へ向かっているところだ。 貴重な庭へ招待された者どうし、出会うことがあった時はぜひ挨拶と自己紹介を――。 そう考えてはいたものの、先ほど見かけた男性の後ろ姿があまりに儚げで、さっそく声をかけそびれてしまった。 交流の機会を逃したのは残念だが、クラウディオはそれ以上に庭に惹かれていた。 デザイン的に配置されたプランター、木漏れ日の落ち方を考慮した並木道など、温室のどの風景を切り取っても眼を楽しませてくれる。 こと、夏の庭は圧巻だった。 小道の左右にひまわりを群生させ、その周囲に鏡を据え置く。 合わせ鏡を見れば、あたかもそこに広大な白のひまわり畑があるかのように演出しているのだ。 「植物の世話も相当だとは思いますが、こういった仕掛けもまた、面白いですね」 鏡に映る一面の花畑に、まるで屋外の草原に迷い込んだような錯覚を覚える。 合わせ鏡の小部屋を抜ければ、朝顔の花壇脇に白い丸テーブルと椅子があることに気付いた。 「ここなら、眼に留めてもらえるでしょうか」 クラウディオは取りだしたメッセージカードをテーブルに置き、手のひらに収まるほどの小箱を添える。 中身は、白を基調に白銀の細工をほどこした小さなリースだ。 「温室の世話をしている方と話をしたかったんですが……。仕方ありませんね」 クラウディオはテーブルに背を向けると、夏の庭を後にした。 ●秋の庭では≪ヒガンバナ≫薫る 視界を埋めつくすほどの彼岸花の中に、少女の姿があった。 白塗りのベンチに腰かけ、ぐるりと周囲を見渡す。 「白いイチョウ。白い金木犀。特にあの白いセイタカアワダチソウなんて、気持ち悪いだけじゃないの」 色々と台無しだと独りごち、チェンバーのあるじは偏屈者なのだと結論づける。 「なんでこんなに白くしたのかしら。もしかして、『白』が幸せを表現する色だと勘違いしちゃったの?」 ――嗚呼、なんて滑稽なあるじ! そう毒づく幸せの魔女 (シアワセノマジョ)自身も、実のところ純白のドレスに身を包んでいる。 美しい金髪と愛らしい声が聞こえなければ、その姿は庭に溶け込んでしまいそうだ。 もっとも、温室のあるじに対する感想は尽きない。 「愚かよねぇ。色でしか幸せを表現できない事こそが、最大の不幸だと言うのに」 浮かべる笑みに少女らしさはない。 冷たく花を見据えるその眼は、どこか凄惨ささえ感じる。 しかしすぐに表情を和らげると、ベンチに座ったまま目を閉ざした。 「あぁもう……こんなに白ばかりだと、眠くなっちゃうわ」 その時、彼方から歌声が聞こはじめた。 魔女はうっすらと瞳を開ける。 クリスマスは特別な日だ。 誰もが幸せを噛みしめることのできる日だと、『幸せの魔女』は考える。 ――なけなしの幸せは、どんな味がするのかしら。 クリスマスという日は魔女にとって実に都合の良い日だ。 だから興味深い。 「メリークリスマス」 歌声はなおも続く。 だから繰り返す。 「……メリークリスマス」 今日がその特別な日であることを、しっかりと確かめるように。 ●冬の庭では≪フユソウビ≫踊る 東野楽園 (ヒガシノ・エデン)が温室を訪れたのは、閉園時刻の三十分ほど前だった。 園内にも薄闇が迫りつつある。 入園して真っ先に向かった冬の庭は静寂に包まれていた。 ひとしきり歩き続け、一面の薔薇園にたどりついたところで足を止める。 白レンガ作りの東屋を囲うように、純白の薔薇が咲き乱れていたのだ。 椅子に座って休息をとりながら、楽園は指先から伝わる毒姫のぬくもりに安堵する。 「やっぱり羽毛は暖かいわ」 見上げる鳥の子の視線に微笑み返し、抱いていた手を開いて空に放つ。 高く弧を描いて飛ぶセクタンを追うように、楽園も薔薇園の踊り場に立った。 優雅にドレスの端をつまみ、石畳の上を滑るように跳ねる。 軽やかに靴音を鳴らしながら、楽園は記憶に眠るメロディを口ずさんでいた。 奇妙な冬の庭に、あの日の情景がにじむ。 たとえば、鉄格子の向こうにちらつく雪。 たとえば、格子の隙間から伸ばした指。 手のひらに触れたそれは、あっという間に溶けて消えた。 ――お父さん、あの白いのはなあに? ――あれは雪だよ、楽園。 鳥篭から逃れることは叶った。 けれどその代償に、父と母は喪われてしまった。 大切なものを喪ってしまった。 ――私は、ひとりぼっち。 翼を羽ばたかせ、鳥の子が舞い戻る。 手のひらに乗せた毒姫を掲げるように、楽園はドレスの裾をひるがえす。 踊る少女を、冬薔薇だけが静かに見守っていた。 ●円環の≪知恵の樹≫仰ぎて 楽園が冬の庭を経て中央広場に向かうと、飾りつけられたモミの下に見知らぬ顔がある。 順に名を名乗り、楽園に手をさしのべた。 「今回招待されたのは、私たち四名でしょうかねー」 おそらく、と頷き、小箱が差しだされる。 「せっかくの縁ですからね。クリスマスプレゼントです」 白いドレスの少女が、満面の笑みを浮かべて進みでた。 「こんなところで女の子に会えるなんて嬉しいわ。……私たち、お友達になれないかしら?」 白に満ちたこの庭で、今だけは胸に抱くわだかまりを忘れられるだろう。 誰ともなしに顔を見合わせ、頷きあう。 四つの声が響き、重なり合った。 「メリークリスマス!」 共に過ごすひとときが、特別な記憶となるように願って。 了
このライターへメールを送る