「しょうがないんだよね」 少年ブックキーパークサナギは導きの書を手に疲労感たっぷりで口火を切った。いつも元気いっぱいな彼にしては珍しい。投げやりな感じがあちこちから滲みだしている。 一体彼に何があったのか。ついでに何がしょうがないのか、さっぱりわからない。「というわけでさ、護衛を頼みたいんだ」 相変わらず脈絡もない。 だが、それこそがしょうがないことだった。焦らず忍耐強く彼の話を聞き続ける以外に術はない。彼には致命的欠陥があったからだ。ぶちぶちと続く愚痴っぽい呟きをスルーすること数十分。ようやくそこへたどり着く。「桜子さんにどうしてもって頼まれて、まぁ、以前色々手を貸してもらった手前断れなかったんだけどもさ……」 クサナギはため息混じりに呟いた。 壱番世界に似て非なる世界――〈AMATERASU〉。SAIと呼ばれるスーパーコンピュータによって管理支配され、多くの人々は人形のように生きる。そこではSAIの管理者側と、SAIの管理システムを破壊し人々をコンピュータ支配から解放しようと考えているレジタンス側とが敵対関係にあった。 桜子というのはそのレジタンスを支援する情報屋のことだ。以前、桜子にはロストナンバー保護のためSAIの管理都市進入に尽力してもらった経緯がある。それで彼女の頼みを断れなかったのだろう。「桜子さんは生まれた時は男でも今は女だから、レディとして扱わないと大変なことになるから気を付けてね」 と付け加えるクサナギの姿が一層げっそりとやつれたように見えた。 ああ、なるほど。つまりはそれに関わる何らかの地雷を踏んだのだろう。どんなだったのかは敢えて問うまい。 クサナギは疲労感を振り払うように顔をあげると真剣な面もちで続けた。「導きの書によると桜子さんはSEKIGAHARA〈関ヶ原〉の辺りで薊(アザミ)ってバイオロイドと遭遇することになるんだ」 バイオロイドとはSAIのインターフェイスとして人間とサイバノイドの管理を行っている人工生命体のことである。見た目は人と変わらないが、人間ではありえない動き・戦闘力を有しているほか、個体毎に特殊能力を持っていた。「薊の力はネットボイスと呼ばれるものらしい。詳細は不明なんだけど」 SAIと敵対する桜子が、SAIのインターフェースであるバイオロイドに遭遇すれば、どういう事になるかは想像に難くない。「たぶん桜子さんも人狩りの情報を掴んでて、だからこっちに護衛を頼んできたんだと思う」 クサナギが言った。さらりと、何でもない事のように。 人狩り。クサナギの頭の悪い説明を要約すると、SAIの管理下にない人間を回収する、という事のようだ。 SEKIGAHARAの辺りに管理区域から逃亡した者たちによって作られた小さなコミューンがある。そこへ向かう途中、或いは戻る途中の薊と遭遇するという事のようだ。ちなみに桜子はその先にあるYOUROU〈養老〉コミューンに向かう途中らしい。「それで関ヶ原コミューンの事は今回の任務とは直接関係ないんだけど……僕としては、勇者としてやっぱり助けるべきだと思うんだよね!」 クサナギは意気揚々と言い放った。彼の胸の勇者バッヂが部屋の明かりを受けてキランと光る。人狩りによって連れていかれた人々はどうなるのか。再教育が施されるのか、処分されるのか、バイオロイドの実験体にされるのか、サイバノイド化されるのか、いずれにせよ明るい未来ではなさそうだ。 だがそこへ間髪入れぬ老人のような声があがった。「安っぽい正義感を振りかざすなよ、小僧」 どこからともないその声の主を捜すと、一匹の黒猫がひょいっといった感じでクサナギの前に姿を現す。クサナギが飼っているのか、飼われているのか、ツーリストのフーリンである。「何でだよ!」 クサナギは頬を膨らませた。「何度も説明させるな」 フーリンの主張は概ねこのようなものだった。 AMATERASUは一見、壱番世界の日本に似ているようだが、バイオロイドやサイバノイドが存在する時点で壱番世界よりも高い科学力を有しているはすである。にもかかわらず、その管理都市は壱番世界と同水準。とても高度な科学力の恩恵を被っているようには見えなかった。 また壱番世界にあってAMATERASUにないものがある。〈NIPPON〉以外の国。桜子がロストナンバーを“外国人”と認識していることから、存在はしているのだろう、しかし彼女の話から他国との交流は絶えて久しいようなのだ。 そこから導き出される推論はともかくとして、ナギが人を管理する理由も含め、少なくともそれらの鍵を握るのはナギのはずである。 もちろん、レジスタンスのトップ――過去見の巫女カグヤから情報を得ることも出来るだろう、だがナギに近づき膨大な情報を蓄積させているだろうSAIから世界の情報を得た方が効率的ではないのか、とフーリンは思うのだ。 今、桜子と薊の遭遇を回避するだけならともかく、SEKIGAHARAコミューンを助ける事になれば、世界図書館は本格的にSAIと敵対することになりかねない。ナギに近づくどころの騒ぎではなくなるだろう。 そして恐らく桜子は“外国人”をレジスタンス側に巻き込むために、人狩りの予定のある地へ我々を呼んだのだ。「……わかったよ」 結局、口では勝てないクサナギが折れた。「SEKIGAHARAコミューンの件についてはその場の状況を踏まえみんなに一任する」 レジスタンス側につくのか、SAI側につくのか、或いは中立を模索するのか、いずれにせよこれで世界図書館とAMATEARSUとの関わり方が決まるだろう。「俺はみんなを信じてるよ!」 クサナギは力強くそう言ってポケットからそれを取り出した。「だから、みんなにこれを渡しておくな!」 金色の盾の形を模し、五芒星にクサナギ言うところの勇者を現したとかいう謎の図が描かれたバッヂ。ちなみに、これを作ったのは世界司書にしてマッド・サイエンティストたるDr.ヴェルナーである。「『勇者バッヂ』だ!」 クサナギはそうして満面の笑顔でロストナンバーたちを送り出したのだった。 ◇◇◇ キーンと張りつめた冷たい朝の空気が吐く息を白く染めあげる。 IBUKI〈伊吹〉コミューンを背に、トライクに跨ると桜子は顔を半分以上覆うサングラスをそちらへ向けた。 管理都市を結ぶ東海道新幹線と名神高速道。 無意識に息を呑んだのはこれから“外国人”に会うからか、それとも出会った時のことを思い出したからか。彼らはそれぞれに何かしらの力を持っているように見えた。いや、だからこそ〈NIPPON〉国内に入ってこられるのに違いない。 超能力者と呼ばれる者の大半はSAIによってサイバノイド化され、或いはバイオロイドの持つ特殊能力の糧とされた。レジスタンスには殆どそういった力を持つ者はない。過去見の巫女を含め数名だろう。 だからこそ彼らの力が欲しい。彼らの力が借りたいのだ。 SAIの人狩りの情報は間違いない。 決意と覚悟。桜子はゆっくり息を吐いてハンドルを握った。 約束の地へ―――。
■網の声■ 散らつく雪に手をかざすと雪は体温で簡単に溶けて消えた。けれど雪は体温を奪って消える。身震いを一つ。さくっと今にも聞こえてきそうな新雪を踏みしめる“彼女”の姿を見つけて西光太郎は無意識に息を呑んだ。 「来たか?」 光太郎の様子に気づいてアインスが声をかける。 「そのようだな」 答えたのはハーデ・ビラールだった。光太郎がオウルフォームのセクタン空(クウ)を通して見ている光景と同じものを彼女も見ているのか。 「住民の避難誘導を急げ」 ハーデの言葉に光太郎が踵を返す。 ここは関ヶ原コミューンのすぐそばだった。コミューンの人々を助けるなら薊がコミューンを訪れる前に先回りした方がいいという事になったのだ。薊がどのようにしてコミューンの人々を管理都市まで連れ帰るのかはわからなかったが、コミューンの人間がそれに抵抗すれば死傷者が出る可能性もある。ならば、その前にというわけだ。 傍にいた桜子に声をかけ光太郎はコミューンへ急いだ。その背を見送りながらアインスが尋ねる。 「後、どれくらいで奴は到達する?」 「3分も…ない」 今にもこちらから飛んでいきそうなハーデにアインスは彼女の視線の先をゆっくりとなぞった。程なく針葉樹に見え隠れする影を捉えトラベルギアの小型銃を隙なく構える。ターゲット・ロックオン。 だが結局アインスは引き金を引き損ねた。距離のせいでも薊が女性体だったからでもない。 ハーデが雪を蹴っていたからだ。いや、蹴ったと思われた瞬間には彼女は薊の前にいた。このままではハーデまで巻き込んでしまう。いくら威力は弱いとはいえ炎を纏った弾丸だ。 「何者だ?」 薊の硬質の声が数十m離れたアインスの耳にまで届いた。 刹那、世界が歪む。 有無も言わせず突き出したハーデの光の刃は薊の頭部を両断するはずだったが、ただ空を掻いただけだった。 「!?」 傾く薊に倒れたのは彼女の方だと錯覚した。だが傾いでいるのはハーデの方だ。 世界が回り足を付いている場所が下のはずなのに、天地がわからなくなって膝をつく。 「何…を?」 と睨みあげるハーデを薊は無表情に見下ろしていた。 薊のネットボイス――声の網は、その声の届く範囲にあるものをただ絡めとっていく。耳を塞いでも骨を響かせ鼓膜を叩く。耳石を転がし平衡感覚を奪い、行動を阻害する。 「IDチップを持たぬ者…逃亡者か。ならば連れ帰る」 薊の言葉にハーデは荒い息を吐いた。その場で100回転したって、ここまで視界が回る事はない。 ハーデらから離れた場所で、同じように膝を付いていたアインスが銃を構えながら呟いた。 「どけ…」 一度ロックオンされている。再び照準を合わせる必要はない。ホーミング機能のついた弾は必ず薊を捉える。後は薊の傍にハーデが離れてくれれば。 そんな二人の異変に気づいたのは、空の目によってそれを見ていた光太郎だった。 「桜子さん、後お願いします」 口早に言って光太郎は二人の元へ駆けだした。背負っていたリュックに手を伸ばす。彼のトラベルギアは、その中に入っているのではなくリュック自身だった。 何が出るか。リュックから出てきたものに光太郎は面食らう。 「ダイナマイト?」 ではない。ダイナマイトが3本束になったような形をしているが手触りは間違いなくプラスティックだ。そして表面には謎のデジタル表示。いや、謎ではない。明らかに今の時間を示している。 「もしかして、目覚まし時計?」 雑貨屋で見かけたことがある。確か2km先まで聞こえる傍迷惑な大音量目覚まし時計。光太郎は時間をセットして走る。 薊の声の届く領域。音を捉えたわけではなかったが、突然視界が揺れた。雪に足を取られるようにして転ぶ。だが放り出された目覚まし時計のデジタル表示が一つ進むと、それはけたたましいほどの大音量で鳴りだした。 まるで薊の音なき声を相殺するように。音には音。 薊が目覚まし時計を振り返る。 ハーデが体勢を立て直すように間合いを開けた。 アインスが引き金をひく。 炎を纏った弾丸に薊は横へと退いたが、弾丸は薊を追尾し続けた。連射。全弾ヒット。避けるように出された薊の右腕が焼け落ちる。 ハーデは小さく首を振った。呼吸を整え世界を見据える。まだふらつく足下を強く踏みしめて。 ハーデが動いたと同時、アインスが指を離す。 ハーデは一気に薊との間合いをつめた。元より瞬間移動を使うほどの距離でもない。 光の刃が薊を裂く。 「!?」 瞬間、ハーデは後方に飛んでいた。 手応えはあった。視界を煙幕が覆い隠す。 「もらっていくわね」 声だけが聞こえた。オフェリア・ハンスキーの声だ。ならばこの煙幕はスイート・ピー。 「ふざけるな!!」 ハーデがその後を追う。 「風見一悟かっ!?」 アインスの声がハーデの背を叩いた。 ハーデの手が止まる。腹から赤い体液を流す薊を抱えているその男の襟に勇者バッヂを見つけたからだった。 ■決裂■ 時を遡る。走り出したロストレイル車内。 オフェリアは膝の上のフーリンの喉をごろごろと撫でた。今回はこんな事をしていても咎める者はない。よしんばいたとしても、オフェリアはトラベラーズノートに書き込むだけでいい。『お客様の都合により電波の届かない世界にいるか婚活真っ最中でメールを届ける事ができません。それ所か猫ちゃんとにゃんにゃんしてます。ご了承ください』と。 笑顔でトラベラーズノートを閉じ、傍らのアインスを振り返る。彼はオフェリアのメールが終わるのをそこで待っていたのだ。 「今回はキミのような美しいレディと同行出来て嬉しく 思う。その手にキスをさせてくれないか」 そういったアインスの挨拶に慣れた風でオフェリアは右手を差し出した。邪魔者がいない解放感を噛みしめながら。 アインスはオフェリアの手に口づけると立ち上がり、次にスイートの元へ向かった。跪き同じ言葉を綴る。スイートは暫しきょとんとアインスを見返していたが、やがてポケットに手を入れた。ガサゴソ。 「はい、飴あげる」 スイートが差し出した手の平には飴玉が乗っていた。アインスは一瞬困惑の色を浮かべたが、レディに恥をかかせるような真似は彼の本意でもないので、何事もなかったかのように飴玉を取り上げ、ありがとうと返した。 「相変わらず、ご苦労なこった」 光太郎はやれやれといった態でそれを眺めていた。あの調子でハーデにも声をかけるつもりなのだろうか。ハーデの纏う雰囲気に、その顛末をぼんやり想像してみる。張り飛ばされるか、無視されるか。 「手にキス? 何のために?」案の定ハーデの反応は冷たい。 「敬意と親愛の情を示すために」アインスがにこやかに答える。 「必要ない」ぴしゃりと一刀両断。 まぁ、それでへこたれるような手合いでもないのだが、光太郎は励ますようにアインスの肩に手を伸ばした。 アインスが振り返る。いつものすました顔で彼は勇者バッヂを差し出した。 「ああ、すまないがシュレッダーにかけておいてくれないか、光太郎?」 「……」 肩を竦めて光太郎はそれを無視すると皆に声をかけた。 「とりあえず、行動方針を確認しておくか」 SAIとレジスタンス、選択を一任されているのだ。状況に応じてと言ってはいたが、その場でいきなり真っ二つというわけにもいかないだろう。まずはどちらにつくか、ある程度方針を決めておいた方がいいと思ったのだ。 「まず俺から。俺は心情的には桜子さん、レジスタンスの側につきたい。理由は大学に同じ名前の先輩が…」 と言いかけて、ハーデの冷たい視線に慌てて取り繕う。 「冗談、冗談だよ。SAIの側につくと行動が大きく制限されそうというのが一つと、同じ人間だからというのが一つかな」 「私は勿論桜子、レジスタンス側に付こう。ふっ、特に難しい理由は無いさ。レディが困っているのであればそちらを助ける。ただそれだけだ」 ああ、そうだろうとも。アインスの言に光太郎はふっと息を吐いた。 「ただ同時にいきなり深入りすべきではない、と思う。俺達はあくまで旅人だ。あまり頼られると困った事になりかねない」 「それには私も同感だな」と、ハーデ。 「確か、この世界にはレジスタンスの他に、サイバノイドの傭兵もいたな」 アインスが思い出したように言った。彼は以前、そのサイバノイドに会っているのだ。サイバノイドはSAIの狗とも呼ばれているが、自身に埋め込まれた特殊チップを無効化しSAIの楔を断とうとしている者もいる。だが彼らはレジスタンスに協力することはあっても、レジスタンスや特定のコミューンには所属していなかった。特殊チップの無効化が完全ではないからだ。アインスはその瞬間を目の当たりにしていた。サイバノイドの命令に意志とは無関係に仲間に牙を剥いた“彼”の姿を。 「ならば、我々もその一つということにしておけば陣営を同じくする必要はなくなるし、利害が一致すれば助けることもあるというスタンスでいられるのではないか」 「なるほどな」 全てのコミューンがレジスタンスと繋がっているわけではないのだろう。人手不足は桜子がロストナンバーの手を借りようと考えたことからも容易に想像出来る。それをサイバノイドの傭兵が補っているのかもしれない。 と、そこで手が挙がった。スイートだ。 「桜子さんはSAIと喧嘩してるんだよね? 関ヶ原コミューンの人達は心配だけど喧嘩の時は両方の言い分を聞いて判断しなくちゃ」 3人の話を聞いていると、最初から薊を敵、或いは悪とみなしているように聞こえる。 「スイートは薊ちゃんのお話聞きたいな」 腹を割って話せば言葉は通じる。そんな眼差しで3人を見る。 「それはSAIにつくと取っていいのか?」 ハーデの問い。 「だって、もしかしたらSAIはある理由で国民を管理ではなく保護しているだけかもしれないよ?」 それは、たとえば、の話だ。だがスイートはその可能性があるなら敵対するのではなく薊と話したかったし、彼らが薊と戦うというなら、自分は薊を助けたいと思った。 「そうかもしれない。しかし、そうではないかもしれない。仮にそうだったとしても、目の前で摘み取られるかもしれない命を見捨てる理由にはなりえない。少なくとも私には」 「薊ちゃんだって、コミューンの人を殺すつもりはないと思うな。だって“回収”なんでしょ?」 スイートは信じていた。人と敵対することが薊の本意ではないと。 「それはコミューンの人間が抵抗しないということが前提だ」 ハーデが冷たく返す。 管理都市に連れ帰ろうとする薊にコミューンが抵抗したらどうなるか。抵抗の仕方によっては当然薊も実力行使にでるだろう。 「でも、話せばきっとわかってくれるよ」 なおも説得を試みようとするスイートの言葉を、オフェリアが断ち切った。 「腹を割って話してくれるような相手かしらね」 オフェリアは以前バイオロイドに化け二人のバイオロイドに近づき情報を引き出そうとして、手痛いしっぺ返しを食らったことがある。結果として友好的とはならなかったが、それなりに好意をもって近づいたつもりだった。 そもそも対話が成立する相手なら、レジスタンスがSAIとこうも敵対することにはならなかったのではないか。SAIの管理からはみ出した者が当然抱くであろう疑問。何故SAIは我々を管理支配するのか。その理由がスイートの言うようなものであり、かつそれをナギが彼らに語っていたなら、今のこの状況はないとオフェリアは思う。だとするならスイートの言うような理由ではないか、或いはナギにそれを話す気がないという事だ。もちろんレジスタンスがそれを信じなかったという可能性も否定はしないが。 ともかくも、SAIが人を管理支配する理由を、SAIの中でも上位のサイバノイドであった風見一悟ですら知らなかった。実はバイオロイドの多くも知らないのではないか。となれば薊と話したところで得られるものは高が知れている。 「そういえば、オフェリアさんもこの世界に行ったことがあるんだよな」 光太郎が言った。 「ええ」 バイオロイドやサイバノイドと接したことがある。それはアインスも同じだったが、彼女はほかに管理都市とコミューンの実状も見ていた。5人の中では最もAMATERASUのことを知っているだろう。 「バイオロイドにもいろいろなタイプがいるようではあったけど」 任務遂行を第一に考える冷静なタイプ、かと思えば好戦的でクールになれないタイプ。機械のくせに随分と人間的だった。嫉妬心は時に向上心を生み爆発的に成長させる。そうプログラミングしたのは、ナギだろうか。 SAIは最先端の科学力を独占し人を管理している。コミューンの人々は、管理されてとる行動と、自分の意志に差を感じ、SAIに管理されている事に気づくというような事を話していた。そうしてレジスタンスの手を借り管理都市から逃亡、コミューンを作って細々と人間らしい生活を営んでいるのだと。 掻い摘んで話すオフェリアにスイートは視線を落とした。レジスタンスは管理都市から脱走した人々の子孫と考えていたのだが、どうやら現時点のレジスタンスがスイートの考える第一世代に相当するようだ。 オフェリアが続ける。 「何れにせよ、わたくしはどちらが正しくてどちらが悪いだとか、どちらが侵略をしてて、どちらが虐げられているかとか興味有りませんの。興味が有るのはどちら側に付けば面白いモノが見られるのか、だけですわ」 彼女の言葉にスイートは驚いたように顔をあげた。皆、SAIと敵対するつもりなのだと思っていた。 「それでどちらだ?」 尋ねたハーデにオフェリアが口の端をあげて辛辣な笑みで答えた。 「もちろん、SAI」 SAIにつく。その理由はあくまで両者の言い分を聞いてからと考えるスイートとは全く違うが選択は同じ。 「なっ、おい!」 光太郎が声を荒げた。驚きと怒りの混じったような声だ。しかし。 「それならそれでいいのではないか? 元より私たちが一丸となって行動する必要はないだろう。例え互いに殺しあうようなことになったとしても…一撃死だけは避けてやる」 ハーデは顔色一つ変えず淡々とした口調でそう言うと、話は終わったとばかりにロストレイルのシートに体重を預けた。それからふと思い出したように付け加える。振り返りもせずに。 「SAIにつくならバッヂを捨てていけ。その方が違う傭兵団を装える」 開いた口の塞ぎ方も思い出せない態の光太郎にオフェリアが勇者バッヂを差し出した。 「…だ、そうよ」 手放したバッヂの軌跡を追うでもなく彼女は膝の上のフーリンに目を落とした。 ハーデとオフェリアの言葉を反芻しながらスイートはロリポップを口に運ぶ。 「ううむ。まさか女性が二手に分かれてしまうとは」 真剣な顔でアインスが考え込んだ。 面白い方という者もいれば、女性優先という者もある。結局行動方針は一つに決まらない。もう勝手にしやがれ、と投げやりな気分で光太郎はロストレイルの窓の外に視線を投げた。こうなってはなるようにしかならないと腹を括るしかない。 ■桜子■ 光太郎がロストレイルを降りると、いつの間にかオフェリアとスイートは姿を消していた。二人で行動しているのか、それとも別行動なのかはわからない。 仕方なく3人で約束の場所へ向かう。 「ネットボイスとは一体どんな力なのだろう」 アインスがどこか期待に満ちたような声で呟いた。捕らえた暁には是非、分解してバイオロイドの構造を見てみたい、そんな顔だ。 「指向性のある分子破壊音波攻撃といったところだろう」 ハーデが言った。無表情でありながら、その言葉には忌まわしげ感情がチラついている。 「あ、そうなんだ? 俺はてっきり強力なC4ISR…情報共有能力みたいなのを想像してたよ。見つかった瞬間大兵力、みたいな」 光太郎の言にハーデはわずかに目を見開いた。彼女にはなかった発想らしい。 「いや、20人以上もいるコミューンの人間をたった1人で捕まえるのって大変なんじゃと思ってさ」 しかもそれを管理都市まで連れ戻らなくてはならないのだ。だがアインスは「そうでもないさ」と口を挟んだ。 「私が薊なら、小さな子供を一人捕まえる」 「なっ!?」 光太郎は声をあげ、ハーデは嫌悪感も露わにアインスを睨み付けた。アインスが慌てて両手を胸の前で振る。 「いやいや私が本当に薊だったら、そんな非紳士的な真似はしないさ。ただ薊の立場として考えるなら、という意味だ」 「確かに子供を人質にされたら手出しし難くなるな」 想像しただけで不快感がこみあげてくる。 「子供の避難を優先するか」 「まぁ、人工生命体といっても所詮は精密機器だろう。煙や炎には弱いはずだ。一発撃ち込んでやれば済むさ。光太郎、囮になれ」 「はっ?」 「なに大丈夫だ。危なくなったら助けるさ」 何故だろう、こんなにも信用ならないのは。光太郎は深いため息を吐き出した。 やがて桜子との合流ポイントに到着する。そこには既にトライクを降りた桜子が佇んでいた。 「初めまして、ミズ桜子? 私はハーデ・ビラール…貴女の護衛だ」 「初めまして、よろしく頼むわ」 ハーデと桜子が握手をかわす。と。 「最初に戦術として確認しておきたいのだが。レディである貴女には大変申し訳ない質問だが。貴女の体重は何kgだろうか。貴女が108kg以下なら、私は貴女を抱えて跳ぶことが出来る」 「……」 悪気の全くないハーデとそれを剣呑と見返す桜子との間に横たわる沈黙に耐えられなくなって光太郎が割って入った。 「あ、あの、俺は西光太郎といいます。よろしくです」 「……」 重たい沈黙が続く。ハーデがわずかに首を傾げて言った。 「クサナギに貴女は心優しいレディだから、丁重に対応しろと釘を刺されたのだが…何か間違ったことをしただろうか」 ハーデの疑問に桜子ではなくアインスが答えた。 「一目で彼女が100kgもないのはわかるだろう…っと、これは失礼、桜子。久しぶりだ。今回は貴女のような美しいレディの護衛させていただける事を光栄に思う。その手にキスをさせてもらってもいいかな」 優雅に跪き桜子の手を取ると、その手にキスを落とすアインスに、それで気をよくしたのか桜子はこちらこそ、と一礼するとハーデを振り返った。 「ありませんわ」 女心が今一つわからないハーデは女性であったことが幸いしたのかもしれない。 ■一悟■ ひらりとフーリンが舞い降りる。彼がくわえているものを取り上げてオフェリアは満足げに微笑んだ。 「本当に、わたくしと組みませんこと?」 未だにフーリンを怪盗仲間にすることを諦めていないのだ。しかしフーリンは否とも諾とも答えず顎を突き出しオフェリアを促しただけだった。 「連れないこと」 オフェリアは手にしたものを開く。それは桜子の予備のPCS(携帯端末)だった。フーリンがこっそり掠め取ってきたのだ。オフェリアは慣れた手つきでキーを叩く。さすがは壱番世界に似た世界。操作方法も大して変わらない。 それから操作の手を緩めるでもなくオフェリアは声をかけた。 「あなたもいらっしゃる?」と。 ついてきていた事はわかっていた。まくのは簡単だったがそうしなかったのは単なる気まぐれである。 「…何か、策があるんでしょ?」 オフェリアの背後の木陰から姿を現したのはスイートだった。 「策?」 オフェリアがPCSから顔をあげ背後を振り返る。 「バイオロイドとは話にならないような事を言ってたのに、SAIをとったから」 「そうね」 オフェリアはにこやかに応えた。 「ナギと直接話をしに行こうと思って」 「どうやって? 薊ちゃんを説得するの?」 「末端のバイオロイドじゃ難しいかもしれないわね」 オフェリアは肩を竦めてみせる。 「だから、その為の準備ですの」 そうして彼女はPCSに視線を戻した。軽やかに決定キーを押す。 「あなたも手伝いたい?」 尋ねるオフェリアにスイートは力強く頷いた。 「でも、どうするの?」 「とりあえず、風見一悟様の手を借りてみようと思うわ」 オフェリアはPCSの画面をスイートに向けて見せた。マップに赤い点が点滅している。どうやらそこにオフェリアの言う風見一悟という人物がいるらしい。 風見一悟はセカンドディアスポラの際にAMATERASUに飛ばされたロストナンバー――オフェリアの弟を保護したサイバノイドだった。サイバノイドといってもSAIの狗として動いているのではなく、SAIが人を管理支配することに疑問をもち、その管理下を抜け、特殊チップを無効化するために各地を転々としながら傭兵をしている男だ。イレブンというのはSAIでの通称で、数百人もいるサイバノイドのナンバーズの中では11番目に位置する上位のサイバノイドである。 再会の挨拶の後、オフェリアの紹介で彼とは初対面のスイートが挨拶をすると彼は気さくに笑ってよろしくと応えた。 「わたくし、SAIと手を組みたいと思っていますの。手を貸していただけて?」 オフェリアは何の前置きもなく口火を切った。 「どういう事だ?」 先ほどまでの穏やかな顔が一転厳しいものに変わる。 「まぁ、有り体な言葉を使えばスパイといったところかしら」 オフェリアの考えはこうだ。外国人である自分を手土産に一悟がSAIの橋懸かりになってくれれば、自分はSAIの情報を得られるし、一悟は再度SAI側に戻ることで、今後管理都市の人間やレジスタンスの人間を外に逃がしやすくなる他、SAIの情報が得られればレジスタンスやコミューンの被害を最小限に抑えることも出来るようになる。 「わたくしは別にどちらの味方でもありませんの。ただどちらが側に付けば面白いモノが見られるのか…わたくしの興味はSAIの技術力とこの世界の成り立ちですわ」 オフェリアは取り繕うでもなくきっぱりと言い切った。 「わたくしの知り得る情報と取引でもよくてよ?」 一方的に利用されるのは不快だろうが利害が一致すれば互いに相手を利用すればいい、とオフェリアは思う。スイートなどは割り切れないところかもしれないが。 やがて一悟はすっと自分のこめかみに人差し指を当てて言った。 「知ってるだろう? 俺が戻れば」 そこには特殊チップが埋め込まれている。オフェリアも見ていた。彼が味方に牙を剥いた瞬間を。 「バイオロイドの欠点はなんだと思って?」 オフェリアの唐突な問いかけに一悟は首を傾げる。 「それはプログラミングにない不測の事態に陥った時、即応出来ないことではなくて?」 都市の管理にバイオロイドだけでなくサイバノイドが使われているのは、単純に数の問題だけではないとオフェリアは考えていた。サイバノイドを完全に制御してしまっては、それこそバイオロイドと変わらなくなってしまう。 「貴方なら大丈夫ですわ。あの時も自分の意志で戻ってこられた」 促すオフェリアに沈黙の後。 「わかった」 一悟の決断にオフェリアは笑みをこぼした。 「あの」 それまでずっと黙って二人のやりとりを聞いていたスイートが一悟に声をかけた。話がひと段落したのならスイートは彼に聞いてみたい事があるのだ。一悟はずっとSAIの側にいた。彼は自分の疑問に対する答えを持っているかもしれない。 「AMATERASUの人は生まれた時に脳内チップを埋め込まれるって聞いたけど何でそんなことするの?」 「元は管理と簡便性のためだよ。チップを埋め込んだのはSAIではない」 「え?」 一悟の言葉にスイートは驚いた。てっきりSAIがチップを埋め込んだものだと思っていたのだ。 「昔はみんな戸籍や保険番号に関する情報の登録されたIDチップ付きカードを携帯していたんだが、それを脳に埋め込んでしまえばカードを持ち歩く必要も、カードを紛失したり盗まれたりする心配もなくなるだろ?」 人は自分たちで自分たちの情報を管理するために自ら脳内にIDチップを埋め込んだのだ。 「そのために埋め込まれたIDチップは更に多岐に渡って使えるようになったんだが、結局ナギがそれを利用して人を管理支配し始めた」 一悟の説明にスイートだけでなく、オフェリアも意外そうな顔をした。しかしチップを埋め込み管理するという感覚はそれほど異質なものでもない。壱番世界でも囚人を管理するのにIDチップを取り付けている国もある。映画や小説の中でもよくある設定だろう。 「ナミさんは薊ちゃん…バイオロイドのママでナギさんはパパなんだよね?」 スイートが重ねて問う。一悟は首を傾げた。 「ママ? バイオロイドを作ったという意味ならどうだろう? バイオロイドの一部はナギではなくSAIを作った人間が作ったものだからな」 「!?」 SAIはそこに突然出現したわけではない。ナギとナミという自我は唐突に生まれたかもしれないが、SAIを作ったのは人間だ。 「バイオロイドのAIはSAIのものを埋め込まれているから、親子というよりは兄弟に近いかも」 続ける一悟にオフェリアがその胸倉を掴んだ。 「その人間はどこに!?」 「さ…さぁ?」 一悟がホールドアップして答えるのに、オフェリアはゆっくり息を吐いて手を離す。 「わからない。死んだのかもしれないし」 と口を噤む一悟に、殺されたのかもしれない、とオフェリアは内心で続けてみた。もしかしたら過去見の巫女カグヤなら知っているのだろうか。いや、ナギも当然知っているはずだ。 オフェリアは考えるように視線を巡らせた。 つまりはこういう事か。最初は人が、脳内埋め込み型チップと、戸籍などのデータベースを管理するシステムSAIを使って管理運用していた。しかし、ある日を境にSAIを管理していた人間が消え、SAI――ナギとナミが取って代わった。 そういえば、と思い出す。管理都市の人間はナギとナミをまるで人か神のように話していた。彼らはナギとナミがコンピュータである事を知らない。 それからハッとしたように一悟を振り返る。 「もしかして、管理都市が作られたのは、レジスタンスが出来た後じゃなくて?」 「さあ?」 一悟は首を傾げたがオフェリアはその可能性に行き当たった。正体がSAIである事を知られたくないナギが、それを知っている者を排除しようとしたのだとしたら…鎖国もその延長? 排除するためにバイオロイドやサイバノイドを使い、しかし完全な排除には至れず結果として管理都市に国民を隔離する事にした。 「国民を守るためという名目で」 呟いたオフェリアに、一悟は複雑そうに首を振った。 「そう思っていた時期もあったな」 「一種の洗脳」 推測ではあるがこれなら納得も出来なくはない。後は証明。 「そういえば、薊の特殊能力ネットボイスとはどんな力かご存じ?」 「ネットボイス? あれは攻撃型の力ではないし、声によって対象を支配するといっても強制力はそれほど高くない。せいぜい行動を無効化するくらいだ。声が届かなければ意味はないし。ただ不用意に近づくのは危険かもしれないが」 それほど脅威でもない、そんな口調だ。 オフェリアが何事かひらめいたような顔でスイートを振り返る。 「薊ちゃんを助けたい?」 「え? うん。薊ちゃんも人狩りなんてきっと楽しんでないと思う。スイートはお友達になりたい」 「じゃ、決まり」 オフェリアはそうしてトラベラーズノートを取り出した。 その傍らで一悟はまじまじとスイートを見下ろしている。 「友達? バイオロイドと?」 スイートは笑顔でうんと頷いた。 「スイートね、レジスタンスさんとSAIさんに仲良くしてほしいの。SAIさんが本当に悪者なのかわかんないし…だから力になりたいの」 屈託なく話すスイートに、一悟はかける言葉を失った。バイオロイドには、愛情とか友情といった感情があるようには思えなかったからだ。だがスイートがあまりにまっすぐに言い切るのに、いつの間にか一悟も信じてみたい気分になった。甘いと言われても。 「そうだな」 ▼ スイートとオフェリアと一悟がその場に訪れた時、既に戦闘は始まっていた。 ハーデとアインスが膝をつき、光太郎がダイナマイトのような物を持って駆けてくる。 飛び出しかけたスイートの腕をオフェリアが掴んだ。ここから駆けつけても間に合わないと思ったのか。だが、自分なら間に合える。 薊を助けるのではなかったのか、そんなスイートの声はけたたましいベルの音にかき消される。アインスの炎弾が薊を襲った。退いたハーデが体勢を整える。腕の焼け落ちた薊にハーデの光の刃が閃いた。 「!?」 オフェリアの手が離れる。 スイートはトラベルギアの砂時計を反転した。世界はスローモーションで流れ始めハーデの動きさえも止まっているように見える。そんな世界を一気に駆け抜け、ハーデの光の剣の軌道から引き離すように薊の体を引っ張る。真っ二つになるはずだった薊の体はかろうじてつなぎ止められるが、傾ぐ彼女の体が緩慢にだが腕にのしかかってきた。重い。 そっと視線を動かしスイートはポケットの中から小型爆弾をそこへ放った。 砂時計を元に戻す。世界は再びいつものスピードで流れはじめ、一悟が傍らで薊の体を抱き上げてくれた。 「もらっていくわね」 煙幕の向こうからオフェリアの声。 「ふざけるな!!」 ハーデの声が続く。だが彼女は意外にも追ってはこなかった。その理由をスイートが知ったのは再び彼らと合流した後の事である。 一悟は停めていたバギーの後部座席に薊を置いて、運転席に着いた。 オフェリアが薊の手当を始める。 「どうして?」 スイートは後部座席に座りながら納得いかなげに声をかけた。こんな怪我を負わせる前に止められたはずだ。 「助けたでしょ」 オフェリアはにこやかに答える。薊を助けて薊に取り入るのではなく、瀕死の薊を手みやげにSAIとのパイプを作る。こちらの方がSAIの信用を得やすいと考えたからだ。外国人という手土産よりも、レジスタンスから薊を助けたという方が一悟もSAIに戻り易いだろう。急いては事を仕損じる。今回のところは一悟をSAIに戻すまででいい。彼が中にいれば、中に潜り込みやすくなるのだから。 そんなオフェリアの心中に気づくことなくスイートは薊の手をとった。 「薊ちゃん、大丈夫? 治ったら、飴あげるよ。だから、頑張って。スイート応援してるからね」 ■終局■ 「これでいいのか?」 ハーデが不満げに背後に声をかけた。 「迫真の演技だったと思うよ」 光太郎が請け負う。 ハーデは苦々しげに息を吐いて、関ヶ原コミューンへ歩きだした。 オフェリアから事前にトラベラーズノートによって情報を得ていたのだ。結果としてコミューンを守り、同時にSAIとのパイプも作れる。レジスタンスに深入りすべきではないと考えていた光太郎には悪い話ではないように思われた。 薊の能力に関しても情報を得ていたが、オフェリアの意図に添うようにと考え、薊にとどめを刺さぬようにとだけハーデには伝えていた。 ハーデの後を追うように歩きだした光太郎にアインスが並ぶ。 「後は桜子を養老まで送り届けることかな」 「ああ、そっちが本来の任務だな」 オフェリアたちとはそこで合流予定だ。コミューンの人々はこれから別のコミューンへ移るのだという。 桜子にハーデが持っていたPCSを差し出した。 「落とし物だ」 「え? いつの間に…ありがとう」 受け取る桜子の影でハーデは『返しておいて』と書かれたオフェリアからのメモをくしゃりと握りつぶした。 「薊の負傷を知ったSAIが新たなバイオロイドを送り込んでくるとも限らないな」 「確かに」 「安全を期する意味でも服を入れ替え私が桜子の身代わりをするというのはどうだろう。もちろんヤツらに人間を識別できる装置がなければ、だが」アインスが言い出した。 「私にチップはないから、それは大丈夫だと思うけど」と、戸惑う桜子。 「本気か?」と、光太郎は横目にアインスを見る。 「もちろん本気だ」 「何故だろう、この嫌な予感は」 「行くぞ」 ハーデが促した。 ◇◇◇ 「イレブンが帰還しました」 巨大な柱のように聳え立つスーパーコンピュータの前。佇む男に黒尽くめの男が言った。 「そうか、戻ってきたか」 ■完■
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