『〝暖簾に腕押し〟って知ってるか』 そう立て看板に文字が並ぶと、籠を背負ったフェレット、アドが机の上に現れた。『壱番世界のことわざってやつだ。他にも豆腐に鎹、糠に釘とか色々ある。諸説は色々あるが、この三つには同じ意味が含まれててな、どれも〝意味はない〟って事らしいぜ。今回の依頼はそういうもんだ』アドは籠を下ろし、撒き止められた書類を並べるとその上に乗車チケットを置く。チケットに書かれた行き先はブルーインブルー。『依頼は海上拠点防衛……なんだが〝導きの書〟は拠点の壊滅を記した。この事はジャンクヘヴン海軍にも言ってあるから安心していいぜ』 〝旅人〟が来たせいだとは言われねぇよ、とアドは言うが、壊滅するとわかっている拠点を防衛しに行く、負け戦に行けと言われた旅人達は困惑気味だ。負けるとはいえ拠点を守り、人を助けろというなら解るが、アドは最初にこう言っている。〝意味はない〟と。『そういうこった。拠点は壊滅する。だが〝旅人〟が行く事で誰かは助かるかもしれねぇし、何かは手に入るかもしれねぇが、〝何もない〟かもしれない。それでもいいなら、受けてくれって事だ』 あまり期待はするな、という事らしい。 旅人達の顔を見渡したアドが首を傾げると、立て看板に新しく文字が並んだ。『行くか?』 岸壁に当る波の音に紛れ、闘う音が聞こえる。ジャンクへヴンから遠く、小さな島々の間にあるその海上拠点はつい先程まで平穏な時を過ごしていた。コレといった特産物もなく、交易船が行き交う場所でもないこの海域では目立った出来事もなく、海軍の巡回船と近隣諸島の船が訪れる程度だった。そんな場所にありながらも、この海上拠点はそれなりの大きさを持っている。海面から顔を出している地面も少なく、島と呼ぶには小さすぎた島々を足場に創られた拠点は眼鏡橋の様にも見える。勿論、はじめからこのような創りにする予定だったわけではない。最初に見張り用の塔を二つ創り、空中で繋げた通路を支える柱が中程に創られた。拠点を徐々に改装し増築される中、足場に使った島から古代遺跡が発見され、拠点には研究者まで常駐するようになった。 あれよあれよと拠点は大きくなり、塔は5階、3階と4階を通路で繋ぎ合わせ、それぞれ駐屯兵の部屋や研究室等、多くの部屋がある。両端の塔下には港があるのだが、現在、片方の港が海賊に占拠された。中央の柱下から睨みをきかせているせいか、海賊達は海上から責めてくるつもりはないらしく、拠点内部へと進行を続けている。突如として海賊の侵略を受けた海上拠点は戦場となり始め、軍人達は慌ただしく駆けめぐる。「ほ、報告します! 停泊した船の海賊旗を2種類確認いたしました!」「2種類? いったいどこの海賊が手を組んでいる」「そ、それが……<歯車を背景に交叉した剣>と<宝石で飾られた髑髏>……です」 ざわ、と場の空気が揺らぐ。他の海賊と手を組むような海賊は、できたばかりで発展途上か、ちょっと大きな事をやってやろうという馬鹿の集まりだ。しかし、今報告された海賊旗は違う。ブルーインブルーに住んでいる人間なら、子供でも知っている有名な海賊旗だ。「<鉄の皇帝>と<血の富豪>……。ただの偶然か? まさか手を組んだとでも言うのか?」「報告します! 本部より〝人命を優先、旅人の到達を待て〟との事です。 援軍要請は却下されました」「侵略を目の前にして闘うなというのか。いや、しかし……」 眉間に皺を寄せ、責任者は言う。「全部隊に通達。非戦闘員の救助を優先、極力戦闘は避けろ。海賊にこちらに戦闘意志が無いと気取られないよう、慎重に行動せよ」
石造りの真っ直ぐな廊下の中程に一人の男が立っている。遠く、頭上から降り注ぐ戦いの喧騒が耳に届く場所には不釣り合いな三揃えのスーツを纏った壮年、シヴァは背筋を真っ直ぐに伸ばしその先を見据えていた。 彼を挟み背後にはジャンクヘヴン海軍が、前方には海賊が弩を構えて中央塔の扉前に並んでいる。 シヴァがいるのは三階通路だ。海軍が陣を構えている塔と中央棟の丁度間になる。彼らがこの拠点にたどり着いたとき、二つの塔を繋ぐ通路はすでに海賊が陣取っていたのだが、シヴァの功績により中央塔まで海賊を押し戻す事に成功している。海賊が再度進軍してこないのも、どこからか現れ襲ってくる黒い触手がいるからだ。当然、シヴァが現れたてから起こったこの現象は彼の攻撃なのだろうが、海賊達にはそれがどんな攻撃なのか、全く見当が付かず、戦場に似つかわしくない身なりがさらに不気味さをかき立てているのだ。 ふと、シヴァの耳に女性の声が聞こえ、シヴァは心の中で返答をする。 ――やぁ、ほのか君。何かわかったのか?―― 遠い場所にいるほのかとの会話に、声は必要ない。膠着状態になってからシヴァが初めて身体を動かすと、中央塔で隊列を組んでいた海賊達もまた、一斉に弩を構えなおした。ノートにペンを走らせるシヴァにも警戒を怠らない彼らは、海賊でありながら海軍とほぼ同等の統率が取れているようだ。ペンとノートを仕舞い、シヴァが一歩足を進める。ゆらりとシヴァの影が揺れ、膨らみ、幾つもの突起物が床から天井へと伸びていく。 二歩目を進んだ時、ボウガンを構える海賊の後ろに一人の男が現れる。 ――黒髪の、顔に傷のある御仁であっているか?―― ほのかの返答と同時にボウガンの矢が放たれた。シヴァが背後の海軍に流れ矢がいかないよう、残らず矢を触手でたたき落とすと、海賊達がシヴァへと襲いかかる。だが、海賊達はどこからともなく現れる触手に捕獲され、空中でぶんぶんと振り回されると仲間へと放り投げられ、まとめて昏倒してしまう。 屈強な海賊達をあしらいながらほのかとの会話をすませたシヴァの手には、いつの間にか一降りの剣が握られている。とん、と地面を蹴ったシヴァの姿は掻き消え、一瞬にして海賊の背後へと移動していた。 「失礼、レオニダス・アラギル君。私は……っと」 触手同様、突如として自分の背後に現れた紳士に海賊の指揮官、レオニダスは躊躇いなく剣を振り下ろした。キィン、と剣がぶつかりあう音が響く。 「きみたちにも何か目的があるのだろうが、そのために無辜の民に血を流させると言うのはいただけん」 シヴァの問いかけにレオニダスは顔色1つ変えず剣を降り続ける。剣のぶつかりあう音と、シヴァの触手に襲われている悲鳴が混ざり合う。何度攻撃を仕掛けても一向に手応えを感じないレオニダスがシヴァから距離を取ると、周りが急に静かになる。横目で辺りの様子を伺うが、彼の部下達は一人残らず中央塔へと放り投げられており、二人の周りには誰もいなかった。レオニダスの額にじっとりと汗が浮かぶが、シヴァは何もなかったかの様に涼しい顔をしている。 「きみたちは何がしたい? 殺したいのか、手に入れたいものがあるのか? ……後者であるなら、今きみたちがなそうとしていることは無意味だ」 剣を構えたままゆっくりと後退するレオニダスが初めて口を開く。 「見た目通りの紳士なのだな。一度も攻撃せず、昏倒させるだけとは」 「お褒めに預かり光栄だ。本当は海にでも投げ捨ててやろうと思ったのだが、思ったよりこの場所が高く波が荒い」 「殺しはしない、と?」 「必要であればするさ。今は必要を感じないだけだ」 小さく鼻で笑ったレオニダスは中央塔に入ると剣を鞘に収める。中世の騎士のように剣先を床につけ、柄に両手を添えてシヴァに向き直り、 「我々の目的はただ1つ」 カンッ、と剣先を床に打ち付けた。ぐらりと揺れた気がしてシヴァが足下を見ると、床が割れ海が見えだした。 「ジェローム様の命令に従う事だ」 落ちていくシヴァを見下ろし、レオニダスはそう言うと中央塔の奥へと姿を消した。 「これはいかん」 ゆったりとした口調でそう言うと、崩落に巻き込まれ石材と共に落ちる人を触手で助けながら、シヴァはノートにペンを走らせた。 旅人を乗せた船が拠点に着いた時、一番最初に下船したのはアルドだった。彼は下りて直ぐ拠点の責任者や海軍達の、なんとも言えない視線に歓迎される。たった四人の、それも一見すると見せ物一座か家族かという人達が降り立てばしょうがないか、と小さく肩をすくめた。 手短に挨拶を済ませ、拠点内部の地図を見せて貰うと、見た目通りの真っ直ぐな創りだったのでシヴァと綾は階段を駆け上がっていった。その場に残ったのはアルドとほのかだけだ。 「時間がないからね、ぱっぱと動こう。港にある船は全部つかえる? ここにいる人は全員、乗れるのかな」 「あ、あぁ。全員乗船できるが……」 戸惑いがちの返答に、アルドはしょうがないな、という溜め息を付く。 「拠点を捨てて逃げるのは多分、不名誉な事なんだよね。だけど〝人命を優先、旅人の到達を待て〟それでいて援軍要請は却下って言われたんだろ? なら少し考えてみれば分かるよね、本部はこの拠点を死守するつもりはないんだ。だから援軍は来ない……けれど旅人は寄越した。それはなぜか? ……キミ達を、この拠点の人達を、一人でも多く救うためだよ。泣く子も黙る海賊達や、この拠点を壊滅させるまでに恐ろしい〝何か〟からね」 理解しているだろう海軍の人々に、アルドはあえて言う。しかし、ここを任された責任か、はたまた軍人故か。皆一様に渋い顔のままだ。 「領地を取られても……取り返す。それがお武家様の常でしょう…?」 「そうそう。命あっての物種さ、生きて戻れば拠点を取り戻すチャンスだってあるハズだよ」 抑揚の控えめな声がし、軍人達は顔を見合わせると、アルドがもう一度、彼らの背を押す。渋々だがわかった、と責任者が呟き、伝令を出すと、港は一気に慌ただしくなった。 ほのかを船に残し、アルドが責任者と共に壁沿いに設置された階段を駆け上がる。塔の内部は見上げるほど高く、上まで行くのも一苦労だ。 「船について僕は明るくないけど、港から一気に出港できるものなのかい?」 「普通の港と違い、ご覧の通りこの拠点の港は塔の内部にある。しかも今日は波が高い。一隻ごと順番に出していかねばならないだろう」 「うん、そっちは任せるよ。あ、僕たちの乗ってきた船を最後にしてくれるかな?」 「了解した」 3階に辿り着くとシヴァに助けられた人々で溢れていた。連絡系統や指示も責任者に任せ、アルドが人々を鼓舞し港へ急ぐように促していると、4階からも人が沢山下りてくる。4階に向かった綾も頑張っているようだ。 「ところで、階段が幾つもあるけど、行き先は同じ?」 「同じだ。この拠点は何度も増築を繰り返していて、その度に石材が運び込まれていた、その時の名残だ。まさか、こんな時に役に立つとは思わなかったがね……」 3階、4階と次々に人を誘導し、ひとまず情報を纏めるべきだと判断したアルドと責任者は5階の司令室へと移動した。アルドが窓を覗き込むと、塔を繋ぐ通路の上に幾つかの大砲があるのをみつける。 「あの大砲、使われない?」 「弾がないから大丈夫だ」 「無いの?」 「この拠点は本当に平和でな。最初は置いていたのだが、外に設置しておくと火薬がシケるのだ」 「そりゃ勿体ない。飾りになっちゃってても、威嚇にはなるは……!!!!」 どん、大きく揺れ、何か大きな物が海へ落ちていく音が聞こえる。 ――5階まで聞こえる程の大きな音なんて、一体何が―― アルドは窓から身を乗り出して辺りを見渡すが、見える範囲での変化はない。 「もしかして今のがこの拠点が崩壊する〝何か〟なのかな?」 アルドはノートを開くと 「通路が落された!?」 と、叫んだ。シヴァからの連絡によればこちらの塔と中央塔を繋ぐ通路が壊された、とある。通路の真下の変化だった為、窓から覗いても見えなかったらしい。しかし、これほどの大きな者をそんな簡単に落とせるものだろうか。 アルドが考えていると責任者が馬鹿な、と嗚咽を漏らす。 「馬鹿な、なぜ海賊が知っているのだ!」 「何か、思い当たる事があるんだね?」 「先程も言ったように、の拠点は何度も増築している。……壁や廊下の石を何カ所か抜き取るとあのように崩壊する、継ぎ目があるのだ」 「ん~……とはいえ、頑丈に創っているんだし、見ただけじゃわからないよね?」 「勿論だ。何処を抜けば良いのか知っているのも、極僅か……。それが、どうして……」 怒りよりも信じられない、という感情の方が大きい責任者を横目に、アルドはノートに目を通し始めた。 「……僕も行ってくる。あ、僕たちが乗っていなくても船は出して良いからね。大丈夫大丈夫。僕たちだけなら確実に戻れるから、危ないと思ったら直ぐ出航して」 「……了解した」 アルドは司令室を飛び出した シヴァと会った時、ほのかはなんて不思議な人なのだろうかと思った。ほのかは幽体離脱・憑依能力の他に人のオーラを見る事ができる。0世界に来てからというもの、今まで見た事の無いオーラや質にであったが、シヴァも初めて見る類のものだった。漆黒のそれは伝承にあるヤマタノオロチのような首を、幾つも持っていた。しかし、出口のない暗い闇でありながら、彼からはとても穏やかな心地よさを感じた。 ――……眠りにつく時の宵闇のよう―― 能力が近しい物だったのか、幽体離脱を行ったほのかとシヴァはそう遠くなければ会話が可能だった。危険も妨害もなく海賊達の情報をほのかが手に入れ、それを聞いたシヴァがノート記入すればアルドにも情報が渡る。 幽体離脱を行えばほのかの身体は無防備になる。脱出しても身体を忘れないよう、彼女は船に乗った状態で幽体離脱を行った。事情を知らない人が見てもびっくりしないように、念のため『捨てないで下さい』と書いた紙を持って。 情報に偏りがないよう、ほのかは何人もの海賊達に憑依を繰り返す。下っ端もから見張り、指揮官、人数や編成、受けた指示と、誰の命令なのか。 人から人へと渡り歩き、ほのかは海賊船の集まる港へと辿り着いた。沢山の海賊が荷物を積み込む中で、ほのかは一人の男を見つける。ガルタンロックに雇われ、屈強な傭兵達を束ねる、この場で一番の権力を持つ男 ――……あれが、アンドレイ・ロゥ……ね。……指揮系統を乱せば時間も稼げるはず……慌ただしくなる前にシヴァ様に情報を伝えましょうか―― 憑依していた海賊から離れ、ほのかはシヴァへと語りかける。 『……シヴァ様』 ――やぁ、ほのか君。何かわかったのか?―― 『……えぇ、彼らの目的は研究者と研究内容。……そして、幾つかの遺跡の品ですわ』 ――先程から運んでいるのは遺物か。しかし、どうにも〝手際がよすぎる〟―― 『……ガルタンロックが、ジェロームが欲した品物のリストと拠点の地図を用意したようですね……。港にはガルタンロックの部下達が残っています……。この二つの部隊は、何度かこうして協力しあっているようです』 ――なるほど、ジェロームはガルタンロックを利用し、ガルタンロックは〝客〟の要望に応えている、というところか。そうなると……問題はガルタンロックがどうやってジェロームの欲しがった遺物がここにあると知り、拠点の地図を手に入れたのか、だな―― 『……噂では、海軍内部にガルタンロックの息の掛かった者がいるらしいですわ……。それと……あぁ、綾さんがこちらに到着しそうです』 ――ほのか君は、今は海賊船のある港か?―― 『……はい。先程から遺物や資料を入れ替えようとしているのですが……皆さん、とても慎重で……』 ――一時とはいえ名のある海賊の部下が協力し、海軍拠点に盗みに入っているんだ。それなりの信頼を得た者達なのだろう。綾君が戻れる様にこちらも足止めしておこう―― 『……では、わたしも綾さんが脱出しやすいよう……お手伝いに回ります。……そうだ……シヴァ様の前にいるのはジェロームの部下……指揮官の名前はレオニダス・アラギルです』 ――黒髪の、顔に傷のある御仁であっているか?―― えぇ、とほのかが返答をすると同時に、ぷつりと何かが切れたような感じがした。向こうも戦いがはじまったのだろう。ほのかが顔をあげると、高い高い天井へと続く階段の上で炎が紅く煌めいている。 ――……わたしにはよく、わからないけれど……邪魔しちゃいけない……のよね?―― 殆どの海賊が階段を駆け上るのを眺め、ほのかは少し考えてから、海賊船が動けなくなるよう手を加える事にした。 「拠点に着く前にそれぞれの行動を確認しておきたいんだけど」 アルドがそう言うと綾が手を挙げて元気よく答えた。 「私、ジェロームの船に直接殴りこんでくる!」 アルドの耳がぴくんと動く。 「ホラホラ、攻撃は最大の防御って言うじゃん? でさ、シヴァさん。こぅ、ババッとヒトを目的地までふっ飛ばしちゃうような能力の持ち合わせは……」 「すまないが、人命救助を優先したい。自由にできる能力にも限りがあるからな」 「そっかぁ、しょうがない、正々堂々乗り込むかぁ」 「そうだな、送ることはできないが、先に進みやすいよう後方支援はさせてもらう」 そう言うとシヴァの影が動く。数本の触手がにょろりと現れ、先端がお辞儀をする。こんにちは、と挨拶でもしたのだろう。 「僕は海軍の人達に逃げるよう説得するつもりだから、綾が突撃するのは陽動にもなるし、良いと思うんだけど……」 「……わたしは敵の目的を探りに……身体を離れるわ。 ……ジェロームやガルタンロックがいないのであれば……、皆の目的も別れているようだし、良いのではないかしら?」 「ジェロームの一味が本物なら、狙いは遺跡だと思うんだけど……拠点に出て来るほど小物だとは思えないんだよね。ジェローム。しかもガルたんと組むとか有ーりー得ーなーい!」 「そういえば綾はジェロームに直接会ったことがあるんだっけ」 「ジェロームやガルタンロックの名を偽りで名乗る者はいないだろう。少なくとも、本人達に知られたら命がない」 「じゃぁ決まりだね! 私もできるだけハデに暴れるよ!」 敵を倒し前に進むだけでいい。どう動き、どう避けるかもわざわざ考える必要はない。無意識や条件反射で動くこの瞬間が、綾はたまらなく好きだ。考えなくても感情が伝わってくるから。 呼吸を整える綾は、目の前の海賊達とシヴァの触手が見えて、綾は船の中の会話を思い出していた。脇を締め、拳を構えたまま熱くなった息を細く長く吐く。 自分の倍はありそうな海賊達を相手にしても、綾は怯むことなく前に突き進み、彼らと闘う。屈んで剣を避け足払いをし、倒れた海賊の腹に拳を打ち込む。武器らしい武器を持たず戦場に飛び込んできた綾を最初は侮っていた海賊達だが、一人が倒されると綾に対しての驕りは消えた。 一人、二人と打ちのめされ、海賊達が複数で飛びかかると、床から黒い触手が伸び海賊達を飲み込む。綾は海賊達が触手に驚いている隙も利用し、前に前に進む。 ――思ったより手応えあるなぁ。シヴァさんの触手も減ってきてるし、もう少し数を減らしてから……―― 海賊達の隙間からボウガンが見えた瞬間、綾は前に飛び出していた。 「エンエン、火炎属性ぷりーず! 燃やし尽くすよっ」 綾の声にフォックスフォームのセクタンが炎の弾を撃ち出す。何の前触れもなく現れた炎に海賊達が驚いていると、綾はその炎を纏ったシューズで迫り来る矢と海賊を一掃した。 「えぇい、チャンスだ! 一気にいく!」 炎の蹴りを繰り出され、海賊達の動きが鈍った隙に綾は中央塔を一気に駆け抜けた。戦利品であろう荷物を持った海賊が綾に気が付くと、荷物を手放して剣を手に取り、綾へと振り下ろす。たたん、と足踏みをした綾は身体をくるりと回し、落される剣の腹を蹴る。シューズに仕込まれた金属がギィンと鳴り剣の軌道を逸らした。海賊が押し返そうとする力を利用し、綾は身体を捻ると逆の足を海賊の延髄へとたたき込む。 「刀が怖くてストリートファイト出来るかっ!」 倒れていく海賊の背中を蹴り、綾は港へと飛び出した。階段を昇ってくる海賊達と停泊している船を確認すると、綾は階段を駆け下りていく。勢いをつけて海賊に突撃し階段から落したり、彼らを踏みつけて飛び越え<歯車を背景に交叉した剣>の旗を掲げた船の甲板へと着地する。 ふ、と視界を暗くした影が自分へ襲いかかろうとしているのに気が付き、綾が炎を纏ったままのシューズを蹴り上げると、じゅぅぅぅぅぅと蒸気があがり綾は後ろへ飛び退いた。 「あちちちちち! おぉ、良かった。不思議な攻撃だが、炎はただの炎なんだな」 綺麗な金色の髪を後ろで1つに縛った男――アンドレイ・ロゥは人の良さそうな笑顔を綾に向けると、手に持っている物を広げて見せる。 「海ウサギって海魔の皮だ。殺して剥取っても何故か水を出し続けるから炎の消化にお役立ち。ま、海ウサギは強いわ剥取りにコツがいるわでめちゃくちゃ高いから海軍でも滅多に使わないけどな」 男が手で合図をすると、殆どの海賊達が武器を収め、放り投げられた荷物を運び出した。武器を持ったままの海賊は綾の乗り込んだ船を取り囲み様子を伺う。 「キミ、ジェロームの部下?」 「まっさか、俺はガルタンロックの部下。いつもならこの船をどうこうされてもいいんだが、今回はオキャクサマなんでね、一応。お嬢ちゃんに壊されると困るんだ」 「ふーん」 「というわけでさ、このまま帰る気、無い?」 「無いねっ!」 返事と同時に走り出し、綾がアンドレイへと拳を突き出す。 「だよねぇ……!」 顔面に向けて二度、避けられると腹部へのフェイントを一撃くりだし、身体を屈めたところで足を蹴り上げるが全て避けられ、わずかに頬を掠めただけだ。全てを避けられ、まずい、と思った時には、もう遅かった。蹴り上げた足、膝裏を掴まれ軸足がブレたところで綾の顔面にアンドレイの拳が打ち付けられた。 ドン、と背中から甲板に打ち付けられ綾の身体が浮かぶが、直ぐに身体を起こしてアンドレイへ駆け寄る。一瞬驚いた顔を見せたアンドレイだが、綾の猛攻を受けて続けると次第に笑みを浮かべる。そして、綾も楽しそうな顔をしていた。攻撃を避け、時に腕や足で受け、身体に紅い跡を残しだした頃、綾が再度足を蹴り上げるとアンドレイがまた膝裏を掴む。だが、その時には綾の身体が浮き上がり、軸にしていた足が、アンドレイの顎へと向かっていた。 「同じテを2度喰うかっ」 アンドレイの顔を蹴り上げた手応えを感じた綾がさぁ追撃、と空中回転し甲板に着地すると、船が傾いた。 「ッッッっつ、なんで門が開いてる!」 外から入り込んだ高波は狭い港でぶつかりあい、より荒くなる。ふらふらとした足取りのアンドレイは揺れる船のせいで動けない。 今だ、と綾は本来の目的を遂行しようと、傾いて昇りやすくなったマストを駆け上がる。見張り台に辿り着き<歯車を背景に交叉した剣>の端を掴むと、アンドレイ達を見下ろしてこう叫んだ。 「ジェロームに伝えとけ! キミの海賊旗をこの世から全て消してやるってね!」 エンエンの炎が海賊旗を燃やす。その様子を海賊達はぽかーんとした表情で見上げ、辺りに波の音だけが響く。しん、とした静寂の中、海賊達の顔色が悪くなり出すが、アンドレイだけが盛大に笑い出した。 「……っあっははははは! もや、燃やした! ジェロームの! 海賊旗! あっはっはははっはっははははは! おい、見たかお前等! あのお嬢ちゃん〝戦争をはじめるつもりだぞ!〟 最高だ! どうするレオニダス!」 戦争という言葉に綾はえ、と驚き、アンドレイが見上げた先へと視線を動かした。綾の駆け下りてきた階段の上、3階の通路へ続く踊り場に数人の海賊達がいた。一番前に立っている黒髪の顔にキズのある男が綾を睨み付けている。 「……船の警護は任せたはずだぞ、アンドレイ」 「あっはっはっは! いやぁ、悪いな! まさかこんな事になるなんて思わなかった!! どうする!? ジャンクヘヴン海軍が宣戦布告だぞ!」 「ちょ、ちょっと待った! そん……」 言葉を止め、綾が倒れるように身体を屈めると、間をおかずボウガンの矢が風を切る音がした。つい先程まで綾の頭があった場所を無数の矢が通り抜けていき、綾が見張り台から少し顔を出し矢が飛んできた方向を覗き見る。レオニダスの傍にいる海賊達がボウガンを構えているのを見ると同時にまた矢は放たれ、綾は直ぐさま見張り台の中へ頭を引っ込める。 見張り台は狭く逃げ場は無い。下にはアンドレイがいる。矢を少し受けても良いから海へ飛び降りようと思ったが、白波の間から機械海魔の姿が見え舌打ちをした。 船の揺れが激しくなりマストが一際大きな弧を描く。徐々に大きくなっていく揺れに綾は足に力を入れて踏ん張るが、斜めに傾く足場では耐えきれず見張り台に爪を立てる。この見張り台が真横を向きボウガンの的になるのも時間の問題だ。 「まいったなぁ……あの矢さえなんとか出来たら……あれ? え? ……なんで?」 急に矢の雨が止み不思議に思った綾が様子を伺うと、一人の海賊が自分自身に向けてボウガンを放っていた。仲間達が叫び、止めていたにも関わらず自分に矢を放った海賊は、血に濡れた自分の身体を見て痛みの声をあげる。数人の仲間がボウガンを投げ出し怪我人を助ける。その光景にレオニダスが目を奪われていると彼の背後でまた一人、仲間が自分自身に矢を放つ。 綾もまたこの異様な光景に目を奪われていると、揺れていた見張り台が傾いたまま、止まった。 「あっちもこっちも、今度は何……って、シヴァさんの触手、さん? あれ、そういえばこの触手さん独立? って、いやいや、今はそうじゃなくて」 一本の黒い触手がこっちこっち、と教えるように上下に揺れ、綾の手首に絡みつくと、その先で無数の触手が絡まりあい、綾の居る見張り台と4階の踊り場を繋ぐ道が出来ていた。遠くにシヴァの姿を見つけた綾は迷わず触手の道を走りだす。綾が逃げるのに気が付いたレオニダスの叫び声が聞こえるが、狙いの定まっていない矢は綾に掠りもしない。 「大丈夫か。ほのか君が足止めをしてくれているうちに行こう。もう船が出る」 「うん! ありがとうね!」 綾がシヴァと共に4階通路へと消えると、レオニダスは3階通路を振り返るが、つい先程通った道は崩落していた。中央塔の扉にアルドの姿を見つけ、彼が自分と同じように通路を落したのだと気が付くとレオニダスは手に力を込める。シヴァに後れを取り、綾には海賊旗を燃やされまんまと逃亡された。この不可解な自傷行為も彼らの仕業だろうと想定するレオニダスは、アルドの姿が見えなくなっても暫くの間、中央塔を睨付けていた。 無事出航した船は、ゆっくりとジャンクヘヴンに向けて航海している。海賊の追手が来るかと思われたが、ほのかの話によればまだ出航準備すらしていないようだ。 「……こちらを追うより……積荷を優先しているわ。……大層憤慨していたけれど、ね」 その言葉に難しい顔をしていた海軍の責任者は更に眉を顰める。 「被害者も少なく、こうして無事に拠点を脱出できた事は、感謝する……だが、海賊旗を燃やし、この世から全て消し去ると言い放つとは……この事は上に報告させてもらう」 想像していなかった事態にまで発展してしまい、綾はそわそわと落ちつきがない。綾はジャンクヘヴン海軍とジェーローム海賊団に戦争をさせる気など無い。それどころか、戦争になるなんて、思ってもいなかった。 しかし、海賊からしてみれば綾も含め〝旅人〟はジャンクヘヴン海軍であり、その行動も言動も全て、海軍のものと見なされる。〝海賊旗をこの世から全て消し去る〟というのは、このブルーインブルーにジェロームを、ジェロームの海賊団を全て、抹消するという事だ。 海軍と海賊の戦争は勿論、ジャンクヘヴンと世界図書館の関係すら、危うくなるかもしれない。もはやどうしようもない状態に、綾は無言で俯いている。 「……これはジャンクヘヴン海軍ではなく、個人としての意見だが」 そこまで言い、責任者は言葉を詰まらせる。何度か咳払いをし、綾が少し顔をあげると、責任者はどこか困ったように笑いかける。 「正直、すっとした」 あ、と綾は声を漏らすと、また落ちつきなくそわそわとする。アルドとほのか、シヴァを振り返るが、彼らも苦笑するだけだ。 綾のしたことは褒められた事ではない。同意を得られているとしても喜んではいけないのだが、目の前の責任者は〝すっとした〟と言う。可否もなく、是非もない。もぞもぞとしたむず痒さを感じ、自然と笑みが込み上げてくる綾は隊長と同じように、どこか困ったように笑った。 アドが四人を見つけると、看板に『おかえり』と文字が浮かび上がる。四人から話を聞き、メモを取り終えると 『ごくろうさん、海軍との話はこっちでつけておくよ』 と、看板に文字が出る。依頼は終了だ、とほっと一息つくと、綾がふと思い出したように話し出す。 「ねぇ、なんで意味がない、なんていったの?」 『? 結末が決まっている事に、意味なんてないじゃねぇか』 「そんな事ないよ。私達はイミを求めて行ったし、ちょっと、マズッたかもしれないけど、イミはあったよ?」 綾の言葉のイミを考えるかのようにアドの耳がぴくぴくと震えると、アドはほのかを見る。 「……何かを知り得たら、更なる被害を防ぐ事はできるかもしれない。……これは、あなたの言うイミになるかしら?」 『何をやっても結果が変わらねぇんだぞ?』 「人の最期は死だ。その結果は変わらない。だが、生きている間にイミがない、とはいわないだろう? 人が生きる姿は美しいものだと、私は思う」 シヴァがそう言うとアドは看板から降り、看板の周りをくるくると回る。考え事をしているのか、看板に文字は現れない。 「少なくとも〝次〟へのイミにはなったと僕は思うよ。今じゃなく、〝未来〟へのイミさ」 アルドがそう言うとアドは看板の上に戻るが、文字になり損ねた線がいくつも浮かび、消える。どうやら言葉が纏まらないらしい。 『……〝イミがない〟って言った事が気に障ったのなら、悪かった』 両手を身体の前で揃えアドは頭を下げる。 「い、いや、気になっただけで、そんなさ」 『うんにゃ、私情ははさむべきじゃなかったんだ。 〝そういう考えもある〟って、参考にさせてもらうぜ。オレの依頼はちょいと変なのが多いんだが、気が向いたら次も頼む』 ぽむぽむと、小さな〝導きの書〟を叩いた。 〝嵐の前の静けさ〟という言葉があるように〝何か〟が起きる前の海は、静かだという。 ブルーインブルーに変化の大波が起きるのは、そう遠くなさそうだ。
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