「どうして! なぜ、おじさまが『ホワイトタワー』に入れられなきゃならないの!」「館長自身のご希望ですので」 アリッサの必死の訴えにも、ウィリアムはいつも鉄面皮を崩そうとはしなかった。 救出以来、体調がすぐれず、静養を続けていた館長エドマンド・エルトダウンであったが、先日から、ターミナルのはずれにその入り口をもつチェンバー『ホワイトタワー』に、起居することとなっていた。 この事実は、人々の間にさまざまな憶測を呼んでいる。 なにせ『ホワイトタワー』は、堅牢な城砦のチェンバーで、習慣的には、「ターミナルにとって不都合な存在」を収監する場所として使われてきた場所だったのだ。 長年、使われることはなかったが、せんに、かのカンダータ軍の捕虜がこの建物に収容されていたことは記憶に新しかった。かれらを解放した後、霧の海に浮かぶ白亜の城は、ふたたび、眠りについたかと思われていたのだが……。「でも……おじさまは、そのう……病気なんでしょう?」「わかりません」 沈痛な面持ちで、リベル・セヴァンが応えた。「あの《人狼化》の原因は不明です。館長自身は何もお話になっていただけませんし……司書たちで記録を調べているのですが、めぼしいものが見つからないのです。あくまで対処として――館長のご希望どおりにですね――今回の『隔離措置』とさせていただきました」「……」「しかしこのことを逆手にとって」 ぐっと唇を噛んだアリッサに、ウィリアムが語りかける。「館長の容態の悪化を口実に、あらゆる面会は謝絶としています。……ファミリーの方であっても、です」「意味がないわ」 しかしアリッサは言うのだ。「クリスマスのお茶会でおじさまは言ったの。“不用意に口に出してはならないことがある。今ここで簡単に言えるようなことなら、私はそもそもこんな方法はとらなかっただろう”って――。私が馬鹿だったわ。おじさまをターミナルに連れ戻したのが失敗だったの」「それは、どういう……?」 ウィリアムとリベルは疑問符を浮かべたが、アリッサはもうそれ以上、口を開くつもりはないようだった。 † † †「お願いがあるの」 アリッサ・ベイフルックは言う。「今まで、何度、無茶なお願いをしてきたかしら。今度という今度は、最高に無茶なお願い。私は知りたいの。おじさまが旅に出た理由。おじさまが探し求めた『世界を救う方法』……その方法で救わなくてはならない『世界の危機』って何なのか。でもその答えは、ここではだめなの。おじさまは約束してくれたわ。あの場所でなら、すべてを話す、と。だから私はあの場所で、おじさまとお茶会を開きます」(あの古木戸の向こう側。ふたりでいつもサンドイッチを食べた場所) 館長の言葉を、アリッサは思い出している。「……あの場所っていうのはね、私が生まれ育ったところ。壱番世界のイングランドという土地にある、私がもと住んでいた家よ。私のパパ……建築家だったパパが建てたお家。パパは家にいろいろな仕掛けをするのが好きだった。そこに、私と、パパと、そしておじさましか知らない秘密の場所があるの。そこでおじさまにすべてを話してもらうわ」 ターミナルには、再び、『夜』がきていた。 常ならぬ闇の帳の下で、0世界の街は、静けさに包まれている。 目前には、荘厳な彫刻で飾られた石造りの門。その向こうが、『ホワイトタワー』であった。「そのために、みんなにお願いしたいの。まずひとつめは、『ホワイトタワー』からおじさまを連れ出すこと。私が館長代理として命令を執行すればすぐにできることだけど、それをしたらウィリアムや……もっと他の人にも知れてしまう。だからこっそり。……といっても、誰にも知られないようにというのはムリね。許可なく『ホワイトタワー』から収監者を連れだそうとすれば、あのチェンバーの番人が黙っていないから。かれら――『レイヴン』たちと戦って、おじさまを連れてきてもらう必要があるの」 『ホワイトタワー』の、いわば獄卒であるところの、『レイヴン』なる一団がいるのだという。 アリッサの話では、普段は眠りについていて、脱走者がいるときだけ動き出すそうだ。人というよりは、自動の防衛機構のようなものであり、容赦なく攻撃を仕掛けてくるだろうが、逆にこちらも遠慮なく応戦すればよいと、館長代理は勇ましく言った。「そして次。無事、脱出できたら、私が案内するから、道中、おじさまを護ってほしいの。行き先は壱番世界だけど、ロストレイルは使えないわ。ファミリーの誰かならロストレイルの帰還命令を出すことができるから、すぐに連れ戻されてしまう。だから別の方法を使います」 さらりと告げられたことに、聞くものは驚く。ロストレイルを使わずに、壱番世界へ移動するとは……?「壱番世界の人間が、0世界を発見したってことを忘れた? そうよ。壱番世界だけが、0世界と『直接、繋がっている』の。アーカイヴ遺跡の中にある、『ラビットホール』を通じてね」 それがアリッサの計画だった。「よく考えてね。これは館長代理ではなく、私個人からのお願い。もちろん『ルール違反』よ。場合によっては、私も、みんなも世界図書館から離反したとみなされるわ。そのことをよく考えてね。それでも……引き受けてくれるという人だけ、私と一緒に来てほしいの」===!注意!============以下の4つのシナリオ(長編シナリオ)は同じ時系列で起きた出来事を扱っています。・『【建築家の視る夢】シークレット・ルーム』・『【彷徨う咆哮】ホワイトタワーの脱獄者』・『【彷徨う咆哮】アーカイヴの逃亡者』・後日公開予定のある特定のシナリオ従いまして、『【建築家の視る夢】シークレット・ルーム』にご参加の決定している以下の方、東野 楽園(cwbw1545)様、シヴァ=ライラ・ゾンネンディーヴァ(crns9928)様、ヴィヴァーシュ・ソレイユ(cndy5127)様、ロディ・オブライエン(czvh5923)様、流鏑馬 明日(cepb3731)様は、このシナリオへの参加・抽選エントリーをご遠慮下さい。また、『【彷徨う咆哮】ホワイトタワーの脱獄者』『【彷徨う咆哮】アーカイヴの逃亡者』への両方の参加・抽選エントリーもご遠慮いただきます。重複参加があった場合、重複参加者の方の参加は取り消されたうえ、参加者枠がそのぶん減った状態でシナリオに挑んでいただくこととさせていただきます。このシナリオの参加者は、状況やプレイングによっては重傷や拘束などのステイタス異常に陥る可能性があります。あらかじめご了承下さい。===================
「いいこと、エドマンド坊ちゃま? 決して、決して、森の奥へ独りで行ってはいけませんよ。森の中は昼間でも暗いのですから、いくら坊ちゃまでも道に迷ってしまいます。お屋敷に戻ってくることができなくなってしまいますよ。それに……森の中には、それはそれは恐ろしい狼がいるんですからね。狼ほど恐ろしいものはおりませんとも。ええ、そう。眼はらんらんと輝いて、いちど狙った獲物は決して逃がそうとしません。狼に見つかったが最後、あれはどこまでも追いかけてきます。どこへ逃げても、狼は追いかけてきますよ。どこまでも、どこまでもね――。だから坊ちゃま、どうかお言いつけをお守り下さい。独りで森の奥へは行かないこと。いいですね? このばあやは申し上げましたよ。森には狼がいるのです。だから独りでは森に入らぬよう。ばあやとの約束は、どうぞお守り下さいましね。エドマンド坊ちゃま……」 1 「随分と面白ェ悪戯を考えたもんだな、館長代理……いや、アリッサ嬢ちゃんよォ?」 場に落ちた沈黙を最初に破ったのは、マフ・タークスの声だった。 むろん、悪戯ですむ話でないことは誰もがわかっていた。 『ホワイトタワー』に居ることを余儀なくなるされていることは、事実上、世界図書館がその身柄を捕捉している――より一般的な言い方で言えば囚えているのに等しい。 そこから無断で館長を連れ出すのだ。 しかも、アーカイヴ遺跡の中へと。 「……」 アリッサは緊張しているようだった。 彼女は闇雲に誰彼構わず手助けを頼んだわけではないが、それでも、今しがた話を聞いたロストナンバーのひとりでも、ただちに翻意すればすべてが瓦解する。 しかし、少なくとも、今ここでアリッサの計画を根本的に否定するものはいないようだった。 むしろ、マフは、 「ま、やむを得ねェってのと、時間がねェってのには同意だ」 とさえ言った。 「……そうだな。協力させていただく」 低い声で、ぼそりと告げたのは、李 飛龍だった。黄色いジャージの上下で、腕組みをしたままの格闘家は、それ以上のことは何も言わなかった。 隣に立つ巨漢の術師、百田十三もまた、飛龍にならうように、うっそりと頷く。 「……本当に……?」 アリッサは念を押すように彼らを見た。 飛龍と十三はいかにも頼もしい風貌であったし、マフは背丈こそ小さいが、恐れることなく同意した以上、おそらくそれなりの力は持っているのであろう。 ふう、と息をついたのは、ラス・アイシュメルだ。 「いいですよ、手伝います。でも」 彼は言った。 「個人的な無茶な願いを引き受ける代わりに、アリッサさん、貸し一つだよ? この貸し、忘れないで下さいね」 「もちろん……!」 アリッサは応えた。 この貸しをどう返してもらうかは、今は、まだ。 ラスは、焼き立てのスコーンなどで済ませるつもりは毛頭なかったが、そのことはあとで考えるとして、問題は、引き受けてしまったこの仕事の、困難度であった。 「ただし……ひとつ、確認」 「何?」 「もし、館長が連れ出されることを拒否したらどうします?」 「それは」 「どうも、館長自身が脱走を望んでいるのではなさそうなので、はっきりさせておかないといざという時に困ります」 ホワイトタワーにとどまることは館長の意志である――そんな話も聞いたがする。 「おじさまは……」 「『人狼』か。あれが心配なんだろう」 マフの指摘にアリッサは頷く。 「おじさまの『人狼化』については、私も想像でしかものが言えないわ。たぶん理由は推測はつくけど……だとしたら、どこにいても危険は変わらないのよ。それよりも今は、おじさまをターミナルから逃がすことが大事」 「もしそれでも彼が拒否したら? 無理やりにでも連れ出しますか?」 「……ええ。お願い」 アリッサの答えに、肩をすくめる。 仕事はいっそう困難になったかもしれない。 こうして、4人のロストナンバーが、ひそかに、『ホワイトタワー』への門をくぐったのである。 濃厚な、ミルクのような霧の海だった。 そのうえに、どっしりとした外観の白亜の城砦が浮かぶように建っている。 チェンバー自体の門から、その外壁へ向かっては、石造りの橋梁がまっすぐに伸びていた。 「『レイヴン』……と言ったか。たしか、脱走者が出ない限り動かないと」 「ということは、勝負はあの建物から出てきてからか」 石橋を渡りながら、飛龍の言葉にラスが応える。 しかし――、と、かれらは周囲に目を向ける。ホワイトタワーそのものとチェンバーの出入口を結ぶ橋梁は、大型車がすれ違うことができる程度には幅広く、その距離もこうして何事もなく渡るならすぐだが、戦いながらとなると事情が異なってくると思われた。 なにより、橋の上には一切、隠れるところがない。 橋の外の霧の海に立ち入ることができないようだ。チェンバーは0世界の中に造られた小世界。造られていない場所は存在しない。 「見つからないように姿を消して移動するか、追いつけないくらい速く移動するか、かな――」 ラスは呟く。 石の橋梁と接続する外壁の門をくぐった。 そして城砦の内部へ。 中は照明はついているものの、広さに大して光量がいきわたらないのか、いくぶん暗い。 そして空気はひんやりとして、異様に静まり返っていた。 「飛鼠招来、急急如律令。火燕招来、急急如律令。我が目となりて館長を探し、経路を探れ」 十三によって召喚されたちいさなものたちが、さっと四方へと散る。 飛龍は、すこし廊下を歩いて、様子を探った。人の気配はないし、特に罠などが仕掛けられている様子もなかったが、どこか薄気味悪い雰囲気だと思った。 造りも、調度類も、華美ではないが良質なものだとうかがわせる。 何も知らなければ、どうという気にもならないのかもしれないが、ここが獄舎だと聞かされると別の見方をしてしまうものだ。 廊下には、大きな額に入った肖像画が並んでいた。 十枚以上あるだろう。一枚だけが風景画で、ヨーロッパの田園地帯を思わせる風景が描かれているほかは、大時代的な服装の、気品ある男女の肖像が、額の中から飛龍を眺めている。 金貨を手にしたハンサムな紳士、羽ペンで楽譜を描いている壮年の男、食卓を前にしたふくよかな老人、豪奢な宝石で身を飾り立てている婦人、そして…… 「これは館長か」 ひとりの紳士の肖像には、見覚えがあった。 その隣には、赤いドレスの美しい女の絵だ。ならばこれは…… 「料理を運んでいる使用人がいる」 十三の声だ。 「ならその行く先が、館長の居場所の可能性が高いですね」 「そいつに聞くのが手っ取り早いだろうぜ。場所を教えてくれよ」 4人は、なるべく静かに、しかしすばやく動いた。 ホワイトタワーにわだかまり、埃のように積もった闇と影を渡るようにして。 2 「っ!?」 甘露丸は息を呑んだ。 ワゴンを押しながら廊下の角を曲がったところで、ふいに、4人のロストナンバーに取り囲まれたのである。しかも、死神のそれを思わせる大鎌の刃が、うしろから彼の首にあてられていた。マフのトラベルギアだ。 「騒がんでくれよなァ」 マフは言った。 完全に悪役だが仕方ない――ラスが続けた。 「館長の部屋まで案内してもらいます」 「何のつもりじゃ。面会なら正式に……」 「あいにくそうもしてられねぇんだよ」 十三がじろりと甘露丸を睨みつつ、懐に手を入れた。 「符で呪縛して案内させてもいいが」 「わかった、わかった」 観念したように料理人は言う。 4人をともなったまま、再び、ワゴンを押してゆく。 「こんなことをして、あとでどうなっても知らんぞ」 「確かに。しばらくはターミナルにはいられないかもしれないな」 飛龍が応えた。 「それだけで済めばいいがの。……誰のさしがねかは聞かんことにするぞ」 やがて、廊下の向こうに立派な扉が見えてくる。 「今からでも考え直したほうがよいと思うぞ。なんなら、わしが口裏を合わせ……て……」 くたくたと、甘露丸の身体が崩れた。 ただよう青い気体が、ふわふわと彼を包み込んでいる。マフが行使した『まどろみの雲』と呼ばれる魔術である。たちまち深い眠りに落ちた料理人を飛龍が支え、廊下に寝かせながら、身体を探った。 「妙だな。鍵を持っていない」 突き当たりの扉は施錠されていることを確認し、ラスはその向こうへ呼びかけた。 「館長、いらっしゃるんですか?」 「……誰だ」 ややあって、落ち着いた声でいらえがある。 「開けて下さい。あなたを迎えにきました」 「……」 どうやら、それだけで相手は事情を察したようだった。 「帰りたまえ。こういうことをしてはいけない」 「ごもっともですが、聞くだけ聞いて下さい、これは……え?」 「下がれ」 十三だった。 「護法招来、急急如律令」 爆音とともに、文字通りの意味で、ドアが吹き飛んだ。 もうもうと立ち込める煙。 十三はのっしのっしと、壊せた扉の向こうへと大股に踏み込む。 中は――牢と言うにはあまりに豪華な、高級ホテルのスイートもかくやというような、広い部屋だった。 品の良い調度類があり、ごく普通に窓もあった。 そして窓際の椅子から立ち上がって、その紳士――エドマンド・エルトダウンがこちらを見ていた。 「なんて無茶を」 「無茶はあなたの得意でしょう。なかなか居心地の良さそうな部屋ですが、自由に外出もできないのは不便でしょう。一緒に行きましょう」 飛龍が言った。 「それがどういう意味か、わかっているのだろうね」 「貴方の大事な愛し子が、約束を果たすのを望んでいる。だから我らが迎えに来た。『木戸の向こうへ行く』ために。さぁ行くぞ」 十三は、有無を言わさぬ口調であった。 「館長さん、貴方はどうしたい? アリッサさんの無茶に付き合います?」 ラスが問いかける。 館長は、いくぶんやつれの色もあるものの、健康そうではあった。 そしてこの急な訪問を予期していたわけでもなかろうに、きっちりと三つ揃えを着て、タイまで結んでいる。整髪された黒髪は艶やかで、髭も丁寧に整えられていた。 「お前さんの人狼化の話は聞いた。自分で自分を抑えることが出来ず、かつその姿でいる時間も長くなってるってコトはだ。いずれ、その『人狼』に支配されちまうってコトだろ」 「あの狼は、私自身から生み出され、私を追いかけてきたものだ。追跡を逃れるためには自分の中に迎え入れ、同化することで狼に目標を見失わせるしかなかった。だが狼が生み出された理由がなくならない限り、あれは暴れ続けるようだな」 マフの問いに、館長は答えた。 「お前さん自身から、生み出された、とは?」 「狼は……セクタンを封じることで図書館の追跡を逃れた私を捕らえるために、ファミリーの願いを聞き届けたチャイ=ブレがアーカイヴから呼び出したものだ。つまり……アーカイヴに保存されている私の記憶からつくられた。あれは今、私と同化したことも気づかず、私を求めて猛り続けている。ファミリーが私を許して、あれをアーカイヴの闇に還さない限り、この症状は続くだろう。いや、もっと悪くなるかもしれない」 「そうなったら何もかもが手遅れだ。こんなトコに閉じ篭ってる暇なんざ与えねェよ、無理やりにでも連れ出してやるぜ、楽しい楽しいお茶会になァ?」 「……そうだな。アリッサとの約束は果たさなくては。アリッサの考えていることはわかる。『ラビットホール』を使うんだな? そのためにはまず、このホワイトタワーを無事に抜け出すことと、アーカイヴ遺跡を通るという難関があるが」 「理解が早くて助かります。そのために、私たちが来ましたから。貴方の脱走を手伝う代わりに、貴方に貸し一つ。この貸し忘れないでくださいよ」 ラスは微笑った。 3 「袁仁招来、急急如律令」 猿のような姿をしたなにものかが、十三によって召喚される。全部で5体。 彼は用意していた古びたコートをそいつらに着せた。 「いいか、お前たち5匹はこのコートを着て人目を引きながら、なるべく長く逃げるのだ」 十三の命令を受けて、猿たちは一斉に走りだしていく。 一拍遅れて、十三たちもそのあとに続いた。 「それで、『レイヴン』とやらについて知っていることを聞かせてもらおうか?」 マフが館長に訊いた。 「私も詳しくは知らないがレイヴンはホワイトタワーの防衛機構だ。魔法の生命で生ける彫像の兵士と言ったところか」 「機械か」 と十三。 「そんなようなものだ」 「オレたちで対処できる相手と見ていいのか?」 これはマフ。 「弱敵ではないことは確かだ」 話しながら、肖像画の並ぶ廊下を小走りに抜けた。 前方で、扉が開いた。 霧の海に浮かぶ橋梁へ、猿たちが駆け出していく。 マフたちは館長を中央に、その四方を護るようにしながら、一丸となって走り出す。 ものの数分のはずだ。この石の橋を走り抜けて門を出るまでは。 ひゅう――、と風が鳴るのを飛龍は聞き、空を仰いだ。 「来たぞ」 彼が鋭く警告する。 霧が渦巻く灰色の空に、いくつかの、影。鳥のように見えたが、そうではなかった。 どうやらそれは普段はホワイトタワーの屋根の上にいるものらしい。猛スピードで舞い降りてくる。伝統的な西洋建築の屋根を護るガーゴイルに、それは酷似していた。 ギャッ、と声があがった。 猿の一匹が、ガーゴイル――いや、『レイヴン』の1体に捕まったのだ。そのまま空へと連れ去られる。ごきり、となにかが砕ける音。そしてコートを着た身体が霧の海へとゴミのように投げ出された。 舞い降りてきたレイヴンたちは次々に、まるでゴミ拾いをするように容易く、囮の猿たちを葬り去ってゆく。 だが時間稼ぎにはそれで充分だった。 十三は腰を落として、針に符を巻きつける。強力な呪力が陽炎のように周囲の空気を揺らせる。 傍らで、飛龍が飛び出す。 正面に新たなレイヴン。 香港映画さながらに、気合の声が迸った。 石の爪が空を掻き、飛龍のジャージをかすって鉤裂きをつくる。かわりに電撃のような蹴りがレイヴンの胴を打つ。相手は声をあげることはなかったが、あきらかにバランスを崩して、宙で四肢をばたつかせる。その機をとらえて、狩りをする肉食獣のように、飛龍はレイヴンに飛びかかった。全体重でもってそいつを引き下ろす。 裂帛の気合とともに、手刀が振り下ろされた。 橋梁の敷石のうえに、翼ある衛兵は堕ちた。 別の1体が滑空してきたが、十三の巨体が体当たりで押しとどめた。 「いくら機械であろうと――」 針を振り上げ、 「身体を動かすポイントは変わらん!」 的確に刺し貫く! そのまま腕を掴んで、背負い投げた。 2体のレイヴンが、数十秒で無力化された――そのように見えただろう。しかし。 「……」 ラスがホワイトタワーのほうを振り仰ぐ。 屋根の上から次々に飛び立ってくる影の群れ。両手に余る数だ。 「そんなことだろうと思いましたよ」 つぶやきを飲み込む。 「まだまだくるぜ」 マフが上方へと手をかざす。 うっすらとした光の壁のようなものが、空間を隔てる。先陣を切って突っ込んできたレイヴンの1体がそれに弾き飛ばされたが、それも時間稼ぎに過ぎない。 出口まではまだ距離がある。 飛龍の手の中で、トラベルギアがトンファーに姿を変えた。 一息に間合いを詰めてきたレイヴンを殴り飛ばす。 すぐさま、別の1体が近づいてくるのをみとめ、向き直りながら、飛龍は、 「小狼(シャオラン)ッ!」 とセクタンに命じた。 フォックスフォームのセクタンは火炎弾を――撃ち出すのをためらうように、きょとんとした瞳を向ける。 「何をしてる!」 飛龍が怒鳴って、はじめて、小狼は火の玉を撃ち、レイヴンを牽制しようとしたが、完全にタイミングを逸していた。 そのときである。 最初に倒されたはずのレイヴンが、身じろぎするのに飛龍は気づく。 「――っ」 十三は館長を背にかばいながら、襲い来るレイヴンの相手をしている。 「館長を!」 飛龍は叫んだ。十三は振り向く。 倒れたはずのレイヴンが、操り人形のように身を起こす。 飛龍の足が地面を蹴る。 音を立てて、レイブンの身体のあちこちが“開いた”。 十三が館長を抱きすくめるようにしてかばう。厚い筋肉の壁のような広い背中をレイヴンに向ける。 同時に、飛龍がレイヴンに跳びかかって引き倒す。 次の瞬間! レイヴンの全身の開口部がざくろのように弾け、無数の光球が全方位で飛び散る。 爆炎が曇天を焼き、轟音が霧の海を震わせるのだった。 4 「しっかりしろ!」 マフの声。 かざされた手から発せられる魔法の光が、飛龍の傷を癒していく。 至近距離で光弾の雨を浴びた飛龍は血まみれだったが、生きている。 「館長は!?」 「無事だ」 うっそりと、十三が応える。十三もまた敷石の上に血をしたたらせているが、彼はまだ立っている。その影で、館長が衝撃でふらふらする頭を振っていた。 ラスはすこし離れた場所にいて、爆発を免れた。 「これは下手なことはできませんね」 レイヴンたちは次々と飛来してくる。あのすべてにこのような機構が備わっているのだとすれば。 「早く行ってください。全部は無理だけど――半分くらいはここで」 「よしっ」 マフは飛龍の身体を浮かせて運びながら、出口のほうへ走る。 館長と十三も続いた。 レイヴンの群れは、当然、それを追うと見えたが――が、ラスの頭上を超えていこうとしたところで、突然、なにかにひっぱられるように、石橋のうえへ急落下してくるのだ。 すっく、と立つラス。 もときたホワイトタワーのほうを見据え、仁王立ちに立った彼の周囲に、次々とレイヴンが落下してきた。 落ちてきたレイヴンたちは、まるで生きながらピンで留められた昆虫標本にように敷石のうえでもがいている。自身の影に貼りつけられているのだ。 「行かせませんよ」 ホワイトタワーに入る前に、ラスが橋梁のあちこちに仕掛けた呪言の罠である。 絡め取られたレイブンたちは、おのれの影に文字通り釘付けにされる。 ラスは遠ざかっていく足音を背中で聞く。 早く行ってくれ。1秒でも早く、1メートルでも遠くへ。 彼を超えて飛んでいくことができないと悟ったのか、レイヴンの群れは旋回し、ラスのほうへと向かってきた。 屍肉にむらがるハゲタカのように、翼ある彫像が殺到してくる。 その全身が、光弾を発射すべく開口部を開けるのを、ラスは見た。 「あんまり苛めないでね、でないと恨んで呪っちゃうよ」 片頬を、ふっとゆるめた。 「よかったのか」 走りながら、館長エドマンドは言った。 「なにがだよ」 マフが応える。走りながらも、絶え間なく飛龍に魔力を注いで治癒を急ぐ。その甲斐あって、自分の足で立てるまでになった。 「世界図書館が――いや、『ファミリー』がきみたちを反逆者とみなすかもしれない」 「反逆するつもりはない」 代わって答えたのは十三だった。 「俺の力はもう俺の世界では振るう価値がなかった。だが俺は、誰かのために力を使うことでしか生きられない男だ」 「オレも似たようなもんかね」 マフが笑う。 「『世界の危機』……なんだろ? あんたしか、それを救う方法を知らない。オレはこの世界でやっと平穏を手にしたんだ、ブチ壊させてたまるかよ」 二度目の、爆音。 熱風が後方から襲ってた。 振り向けば、黒煙と渦巻く炎とが橋の中ほどを完全に包みこんでおり、ラスの姿も、レイブンたちも見えなかった。 十三が、どっしりと、二本の脚で立つ。 両手の中に、無数の符。 「炎王招来、急急如律令! 雹王招来、急急如律令!」 放たれた符は、あるものは白熱する炎を発し、またあるものは蒼氷に凍てつく。 「レイヴンを倒せ! ホワイトタワーを倒壊させても構わんっ!」 野太い声で命じる。 爆炎を突き切ってその向こうから、レイヴンがあらわれたのと、十三の召喚したものたちが飛び出したのは同時だった。空中で、生命なき使役されるものどうしが激突する中、十三は一枚だけ、呪符をうしろへ――つまり館長へと投げた。 「持って行け。護法童子を込めた札だ。1度だけ、どんな攻撃からも守ってくれる」 「しかし」 「すべてはこれ絡みなのだろう?」 十三はパスホルダーを見せた。 「我々の今のかりそめの命を握っているのも、壱番世界が繋がれた故に動けず滅びようとするのも」 「それは……」 「言わなくてもいい。とにかく、今は」 その先は、轟音にかき消された。 レイヴンたちが放つ光弾。 いくつもの小さな爆発が橋梁のあちこちであがる。十三がその中へ、おそれもせずに踏み込んでいくのが見えた。 3人は走った。 翼あるものたちの追撃はとどまるところを知らなかった。 また1つが、滑空し、迫りくる。 飛龍の蹴りがそれを退ける。 マフの魔法の壁が弾き飛ばす。 そして、ついに。 「っしゃあ!」 マフが声をあげた。 門を、くぐり抜けたのだ。 その先は、いまだ『夜』に包まれているターミナル。 嘘のように静かな街並みだった。 慌ただしい足音が、必要以上に響くような気がして、思わずどきりとした。 (ホワイトタワーをでたら、二十七番街の、煙草屋とパン屋の間の路地へ入って) 事前にアリッサに言われたとおりの場所へ向かう。 もうレイヴンは追ってこないはずだったが、気は焦った。 「こっちよ」 路地に飛び込むと、暗がりの中から、女の声がかれらを迎えた。 5 館長が門をくぐって出ていってしまうと―― チェンバーとしてのホワイトタワーの中は、再び、静寂に包まれる。 レイヴンたちは、しばらく、霧の空を旋回していたが、やがて、もといた場所へと飛び去っていった。 あとに残ったものは……激闘の結果だけである。 霧の海にかかる石の橋梁は、レイヴンたちの爆発により、ぼろぼろになってしまっていた。 あちこちで、敷石が吹き飛び、欄干が崩れ、ほとんど落ちかかっている場所さえあった。 焦げたような匂いが漂っている。 その中を、ゆっくりと動くのは……十三だ。 脚をひきずり、流れる血が目に入るのをぬぐいながら、よろよろと歩く。 いちばん被害が大きい、半分以上が崩れかかった石橋の端に、ラスが倒れているのを見つけた。半ば落ちかかっている身体をひっぱりあげ、息をしているのを確かめる。 ちらりと崩れた場所から下を見る。 濃厚な霧の海。 ラスの身体を持ち上げた拍子に、小石がその中へ落ち込んでいったが、そのゆくえは見ることができない。 十三は、腰を下ろして、まだ崩れていない欄干に背を預けた。 そのときだった。 音が、近づいてくる。 出入口のほうからだ。 「……」 機敏に動くだけの力はなかった。 だから目だけで、近づいてくるものを待ち受ける。 やがて――霧の中から、馬車がその輪郭をあらわす。 ちょうど、十三たちがいるあたりで馬車は止まったが、それはこの先は馬車では進めないからだった。 御者が鞭をくれても、馬たちは石橋の崩れかかったあたりを前に、とまどうばかりだ。 「なんということだ」 男の声。 「歴史あるホワイトタワーの橋がこんな無残な姿に」 馬車の扉が開く。 ひとりの、長身の紳士が姿を見せた。 金髪の美丈夫である。 上品なクリーム色のスーツの下に立襟のシャツを着て、アスコットタイでその襟を飾っている。 「きみたちかね」 紳士はまるで小汚い捨て犬を見るような目で、十三と、ラスを見下ろした。 「きみたちが、あのおてんば姫の馬鹿な計画に乗って、こんな大それたことをしでかしたのか。ターミナルでこんな戦争をして何になるというんだ」 紳士の傍らには、執事服に金属の肌をしたロストナンバーが、銃剣型のトラベルギアを手に付き従っている。 十三は何も答えずに、紳士を見返す。 「エドマンドはもう行ったのか。行き先は? 彼はまたあてどない逃避行に出るというのか」 そう言って、紳士がぴかぴかに磨かれた革靴の一歩を踏み出した、そのときだ。 ぐう、と、その喉が鳴る。 倒れたままの、ラスが唇の端を吊り上げた。 ラスの罠はまだ生きていたのだ。 たちまち全身の自由を奪われ、呻きをあげる紳士。 「ロバート卿!」 執事のロストナンバーが叫ぶその声にかぶって、 「早くこい!」 と、別の声。 ラスの身体がふうっ、と浮かび上がり、宙を滑ってゆく。 十三も、最後の力を振り絞って立ち上がり、走った。 門のところに立つシルエットは、マフだ。 鉄の肌の執事が追うそぶりを見せるのを、紳士は制した。 3人が逃げ去るのを見送る。 「かれらにだって頭はある。エドマンドのところへ案内してくれるとは思えない」 秀麗なその面持ちは、ホワイトタワー内部の廊下に飾られていた肖像画のぬしの一人に間違いはなかった。 「ロバート卿。レディ・カリスはトレインウォーを発動されるおつもりのようです」 執事がトラベラーズノートを見て言った。 「トレインウォーだと。まったく、ベイフルック家の姫君は揃いも揃って派手好みときている。……しかし、そうか……エドマンドの行き先はあそこだな」 彼は含み笑いを漏らした。そしてふところに手を入れ、取り出したのは金のコイン。 「エドマンド。きみの幸運はどこまで持つかな」 紳士は、なにかを占うように、そのコインを宙に弾いた。 「館長を連れてきたぜ。これから、どうするんだ?」 「予定通り、アーカイヴを抜けて壱番世界へ行くわ。本当に、ありがとう。じゃ」 急ぐのだろう。 礼もそこそこに、アリッサたちは地下の暗闇へと消えていく。 「気をつけろよ」 残された、飛龍の声が届いたかどうか。 「……さて」 彼はここまでの案内役を振り向いた。 マフは、十三たちを助けに戻ったため、今は二人きりだ。 飛龍は最後まで警戒をとかなかったが、なんとか、館長をアリッサに引き渡すことができた。 案内人のランプの灯りが、彼女の美しい顔を照らしている。 飛龍は彼女に接するのは初めてだったが、図書館の記録で顔と名前は知っている。 『仕立て屋リリイ』……そう呼ばれている女だ。 「俺はどうするかな。しばらく香港に戻って、ここへは戻らないほうがよさそうだ」 「それはおすすめしないわ」 女は言った。 「ロストレイルに乗ったところで捕まる。適当なチェンバーを紹介するから、ほとぼりが冷めるまでそこにでもいるといいわ」 「……」 「私が信用できない?」 彼女は笑った。そして続けた。 「確かに。私は、もとはレディ・カリスの命令で館長を監視していたわ。でもそれも彼が旅立つまでの話。私にさえ告げず、旅に出てしまうとは『ファミリー』も予測できなかったの。以来、お役御免で私はただの仕立て人に戻ったの。せいぜいが、お茶会の主催を任される程度ね。……さあ、行きましょう。あなた、隠れ家だけじゃなく、着替えも必要そうね」 飛龍のジャージはぼろぼろで、ほとんど裸と言ってもいいくらいだ。 だが飛龍は構わず、鍛えた肉体が血と汗と埃に汚れているのもそのまま、館長たちが消えたターミナル地下の暗闇を見据えていた。 その闇の向こうに、いかなる運命が待ち構えているのか、見通そうにも、今はまだ、何も見えなかった。
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