少年はいつものように夜空を見上げていた。 キラキラと光る星を見るのが好きで、それを寝る前の日課としていたのだ。「あら、まだ起きてたの? 窓を閉めて早く寝ないと風邪引くわよ」「はーい」 母親の言葉に素直に従いながら窓を閉めようとしたその時、目の端に光るものが映った。「流れ星?」 窓を閉める手を止め、夜空に再び目を向ける。 それは光のスジを引き、山中へと消えて行った。「お母さーん、お山のほうに光るお皿みたいなのが飛んで行ったよ」「どれどれ」 母親が目を凝らしても、最早そこには何の痕跡も見つける事はできなかった。「……流れ星だったんじゃないの?」「ううん、違うよ。初めは僕もそう思ったんだけど、ピカピカ光りながらお山に消えて行ったよ」「そう……何だったのかしらね?」「ねえ、明日、お山に行って確かめてもいい?」 目を輝かせながら少年が言うが、母親は眉根を寄せ首を振った。「山には危険な生き物がいっぱいいるの。だから駄目」 少年はふてくされながら布団に潜る。 母親には反対されたが、山に消えた光る皿が気になって仕方がなかった少年は、明日こっそりと山に向かう事を決意していた。「ヴォロスにファージが現れた」 有志のロストナンバーが揃うや否や、世界司書は唐突に口を開いた。「今は山の中に潜伏しているようだが、麓の村にいつ向かうともわからない。君達にはこのファージが村に降りる前に退治して欲しい」 いつも無愛想な世界司書だが、今回はいつもより険しい表情をしていた。「ファージの形状は芋虫だ。ただし、体長は2~3mと巨大だ。体皮からは毒針が突き出し、口からは強酸や毒液を吐き、糸も吐き出すので注意が必要だ。虫が苦手な奴はやめておくことだな」 導きの書を乱暴に机に置き、さらに続けた。「今回は現地に協力者が現れるだろう。外見はほぼ人間と同じだが、爬虫類のような尻尾を持っている亜人だ。狩りの腕は立つようだから、協力してファージ退治にあたるといいだろう」 いつもより苛立った様子の司書に首を傾げながらも、ロストナンバー達は準備を整える為世界図書館を後にする。「嫌な感じだ……」 世界司書の戸谷千里は眉間に皺を寄せ、呟いた。 山中には靄がかかっていた。 靄の中から巨大な芋虫が姿を現し、その周りを複数の蛾が取り巻いている。 よくよく見てみれば、靄と思ったそれは、蛾の羽から落ちる鱗粉だった。
暗く静寂を纏った山中で、男は土を掘り返す。 「こいつでいいだろう」 男はつまみ上げた芋虫に針のような物を打ち込むと、芋虫を再び土の上へと下ろした。 芋虫は暫く痙攣していたようだが、やがて何事もなかったように動き出し、木の葉を食べ始めた。 ほどなくして芋虫の体に変化が表れ始めた。葉を一枚食べ終わる度に体が大きくなっていったのだ。 ――芋虫はひたすら葉を食べ続ける。貪欲に、飽きる事なく。 「ンー、まずは少年が山に入ってしまったのかどうか調べるのが先決ですカネー?」 「そうだな。もし、少年が山中にいるのなら保護しないとまずいだろう」 アルジャーノの呟きに、永光瑞貴(ナガミツ・ミズキ)が同意する。 アルジャーノの口調はのんびりとしていて、緊張感というものが感じられなかった。 「あ、ねえ、村が見えてきたよ。あそこで聞いたら何かわかるんじゃないかな?」 前方に見えてきた集落を指差しながら緋夏(ヒナツ)が言うと、 「あたし聞いてきますね~」 と、リニア・RX―F91が駆け出した。 「ちょーっと待ったー!」 緋夏がリニアの腕を掴み制止すると、リニアは不思議そうに首を傾げた。 「おまえは目立つからな、村にいる間はこれを羽織っておいた方がいいだろう」 瑞貴が言いながら、マントをリニアの頭からスッポリと被せた。 「そうですヨ。村人に怪しまれたラ、話しなんて聞いてもらえませんからネ」 にこやかにアルジャーノが諭すと納得したのか、リニアは「わかりました」と頷いた。 数人の村人に情報を求めたが、返ってくる返事は芳しくないものばかり。 不審げな視線とヒソヒソ声。まったくもって居心地が悪かった。 普通の人間に見える自分達でさえこの反応なのだ。明らかに異質に見えるリニアを見たら、話を聞くどころではなかっただろう。 「この様子じゃあ情報を得るどころではないな」 瑞貴が溜息を吐くと、一人の女性が近付いてきた。 その女性は、惑いながらも縋るような声でどんな用でここに来たのか尋ねてきた。 「この近くの山に、凶暴な怪物が出るとの噂を聞き、やってきたんだ」 「あたしたちはこれでもハンターでね、獲物を狩って報酬を得てるのよ。おばさん、なんか知らない?」 口裏を合わせるように緋夏が続ける。 「山に……?」 “怪物”という言葉に女性が反応した。 「何か心当たりでもあるんですか?」 リニアの言葉に昨日の出来事を女性は話し始める。 「怪物の噂は聞いてないけれど、昨日の夜、息子があの山の方でお皿みたいな光る物体が降りるところを見たって言っていました」 「それで、その息子さんはどこに? 話を聞きたいんだけど」 「それが、今朝起きたら姿が見えなくて……。昨晩、あの光る物体を見に行きたいと言っていたので、山に入ったんじゃないかと……」 震える声で女性が息子を探してくれないかと頼み込む。 「いいですヨ。私達に任せてくだサイ。でも、もしかしたら村のどこかに遊びに行ってる可能性もありますカラ、あなたも探してみてくださいネ!」 アルジャーノの言葉に女性は頷き、頭を下げた。 「結局、少年は山にいるってことなのですか?」 「ほぼ間違いないだろうな」 リニアの疑問に瑞貴が答えた。 「世界司書の言う協力者はどこにいるのかな」 「それは、山に着いてカラ捜索した方がイイでしょうネ」 お弁当用に持ってきたレンガを齧りながら、アルジャーノは緋夏に答えた。 「うわ、そんなん齧って歯が欠けない?」 「大丈夫デス。私は人間ではありませんカラ、普段の食事はこのような無機物を摂っているのデスヨ。普通の物も食べれなくはありませんガ、甘い物だけはダメなんですヨネ」 アルジャーノは体の一部を液状化させて説明している。 「へー、そうなんだ。甘い物おいしいけどなー」 「そろそろ山に着きそうだし、それぞれの能力に合わせた対策を話し合わないか?」 横道に逸れかけた話題を、瑞貴が割り込み修正する。 「そうですネー。今回のファージは芋虫型とか言っていましたネ。毒液吐いたりするそうですカラ、接近戦はアブナイかもしれまセン」 「その前に協力者さんを探さないと。あたし、空から捜索しますね」 リニアはそう言ってG・M(ジャイアント・マミュピレーター)を起動させ、体を少し浮かせて見せた。 「私も空から捜索しまショウ。協力者もデスガ、ファージのいる位置も把握しないといけませんからネ」 「え、なに、アルジャーノも飛べるの?」 「ハイ、数羽の白鳩に擬態して飛びますヨ。こんな風にネ」 緋夏の疑問に、アルジャーノは片腕を鳩に擬態させ飛ばせてみせる。 「すごいな。あたしは地道に地上での捜索だなー」 「じゃあ、おれも地上組だな。風の法術で探索もできるけど、二人が空から捜索するのなら必要ないだろう」 自分も空からの捜索をしようと思っていた瑞貴だが、地上での捜索に切り替える事にした。 「ファージ自身についてはどうするつもりだ?」 「あたしは火で応戦するつもりだよ。ただ、火種は無尽蔵じゃないのが問題なんだよね」 「ああ、それなら大丈夫。この赤焔で炎を生み出すことができるから、問題ない。火は緋夏の方に飛ばしたらいいのか?」 「うん、そうしてもらえると助かるよ」 緋夏の返事に瑞貴は頷き、緋色の扇を口元に当てた。 「あたしは芋虫さんの前を飛んで攻撃を誘発し、G・Mで跳ね返そうと思っています!」 「私は、液体状に戻り臨機応変に攻撃するつもりですヨ」 「そうか。おれは主に法術で皆の補佐をしようと思っている。えーっと、機械や液体って、何をどうしたら手助けになる?」 瑞貴の問いにリニアとアルジャーノは顔を見合わせた。 「空気砲を打つ時に避けてくれると助かります」 「ンー、特にはないデス。……ア! 気付薬と救急セットを持ってきていますのデ、必要な時には使って下さいネ」 特に手助けが必要と思っていない二人はそう答える。 「わかった。戦闘は短期決戦で挑んだ方がいいとおれは思うんだが、皆はどうだ?」 「異議ありまセン。モスラになったら面倒ですシ、早急に倒しまショ」 リニアと緋夏も頷き、異論はないようだった。 山裾に辿り着き、予定通り一行は地上と空の二手に別れた。 リニアはマントを脱ぎG・Mを起動させて空へと舞い上がる。 アルジャーノは数羽の白鳩へと擬態して四方へと散って行った。 一方、地上組である緋夏と瑞貴は別れて行動せず、並んで歩いていた。その方が危険が少ないと考えたのだ。 「協力者さんどこですか~?」 リニアは声に出しながら協力者を探していた。 低速で飛行しながら目を凝らしていると、木々の間にちらちらと黒髪が揺れるのが見て取れた。 「あ! 協力者さんでしょうか。すみませ~ん……」 突然上空から現れたリニアに驚き、黒髪の――いや、よく見ればそれは濃紺の色をしていた――青年は腰の剣に手を添えた。 明らかに警戒している様子の青年を前にして、リニアは慌てて弁明する。 「怪しい者じゃありません。あたしたち、大きな虫さんの退治に来たんです~」 「あたしたち? 虫?」 青年が怪訝そうに口にすると、リニアの後ろから瑞貴と緋夏が姿を現した。 「驚かせてごめんなー。あたし達でっかい芋虫探してるんだけど、あんた知らない?」 「いや……知らないが」 青年が訝かしながらも答えた時、大きな声を張り上げながら、体長50cmくらいの人物が駆けてきた。 「アニキー! 大変、大変だよ!」 「どうした? トッド」 トッドと呼ばれた小人族の少年は、自分が目にした惨状を身振り手振りを交えて話し始めた。 「沼の向こうにあるマロビの木の葉がほとんど食い尽くされていて、残ってる葉も枯れてたんだよ」 「本当か?」 「うん、しかも、木もダメになってたみたいで、押したら簡単に倒れちまった」 「あんな強い木が倒れるなんて……」 ハッとした青年がロストナンバー達に向き直った。 「お前達、大きな芋虫を探していると言ったな? 話を聞かせてもらおうか」 青年の視線を受け、ロストナンバー達は頷いた。 「トッドは岩屋に戻っていろ、いいな」 「うん」 トッドは素直に青年の言葉に従い、走り出した。 (ン? あれはなんでしょうカ?) 眼下に一部だけ靄に包まれた場所がある。それに疑問を抱いたアルジャーノは高度を下げた。 近くに寄るとそれは靄ではなく、蛾から剥がれ落ちる鱗粉だった。 (凄くたくさんの蛾デスネ、一体何頭いるのでしょうカ?) 膨大な数の蛾が蠢く様は、さながら巨大な幼虫のようであった。 (そういえバ、蛾の幼虫も毛虫や芋虫でしたネ。もしかしてこの蛾の中心にファージがいるのでしょうカ?) ともかく、皆にこの事を知らせる必要性を感じたアルジャーノは、蛾の集団の規模を確かめつつ仲間のもとへと戻っていった。 村で話した通りの事情を話すと、青年は意外にもあっさりとそれを信じたようだった。 「俺とお前達が指している芋虫が同じならば、それは毒蛾の幼虫だ。……しかし、アレは大きいものでも10cm程度のものだぞ。お前達の言うような大きさにはならないものだが」 「……まあ、見ればわかるだろう」 人は自分の目で見たもの以外は信じがたいものだ。ここで熱弁するよりは実際に見てもらう方が早いだろうと瑞貴は踏んでそう答えた。 瑞貴が事情を話している間、青年は緋夏の顔をチラチラと窺っていた。 「なに? あたしの顔に何か付いてる?」 「お前のその目なんだが、もしかして俺と同類か?」 青年の瞳孔も緋夏と同じく、縦に細長いものだった。いわゆる爬虫類の目というやつだ。 「まあ、瞳の色を除いたらお揃いみたいなもんだけど、多分、あんたの言う意味では違うと思うよ。尻尾ないし」 「そうか……」 青年の落胆したような声に、緋夏は好奇心に駆られて口を開く。 「なに? もしかして、あんたって絶滅種とか言うヤツ? 最後の一人とか?」 「いや、そんなんじゃない。……俺は、自分の父親が誰だか知らないんだ」 「ああ、それで何かの手掛かりになるかと思って聞いたんだ?」 頷く青年に緋夏は続ける。 「残念ながら、さっきも言ったようにあたし達は流れ者のハンターでね、ここら辺に来たのは初めてなんだ。悪いね」 言外にはっきりとした否定を感じ、青年は「いや」とだけ答えた。 その時、数羽の白鳩が眼前に現れ、下降途中で混じり合い、銀色の液体となって地面に落ちた。 驚く青年をよそに、それは見る間に人型を成していった。 「ヤア、皆さんおそろいデ」 極めて軽い感じにアルジャーノは言う。 「ア、協力者の方も見つかったのですネ。ちょうどよかったデス。今、蛾の集団を発見しましてネ、その中心に私達の探している芋虫がいるんじゃないかと思うのですガ、どうでショウ?」 「調べてみる価値はありそうだ」 瑞貴の言葉に全員が頷く。 異変のあったマロビの木と蛾の集団の方向はほぼ同一。おそらく、目的のファージで間違いないであろうと思われた。 「あなたはどうして山に住んでるんですか? 寂しくはないですか?」 山道を歩きながら、リニアはこの依頼を受けた時から抱いていた疑問を青年にぶつけてみた。 沈黙したまま横目でじっと見ている青年に慌てて付け加える。 「あ、自己紹介がまだでしたね、ごめんなさい。あたしはリニア・RX―F91と言います。リニアと呼んでくださいね☆」 「不思議な名前だな。俺はラルグ・ドーシャだ。ラルグと呼ぶがいい」 ラルグは視線をリニアから外し、言葉を続けた。 「どうして、と言ったな。お前はあの村の人々を見て、何も思わなかったのか?」 「うーんと、排他的? な感じがしました」 それに、と緋夏が割って入った。 「あの村には人間しかいなかったよね」 「ラルグのような亜人種はおろか、あのトッドと呼ばれるような人間もいなかった」 「人以外は許容セズ、また、よそ者も受け入れようとはシナイ」 「そうだ、母はもともとあの村の出身だったが、俺が生まれ、俺が普通の人間と違うと判明すると徐々に阻害されていった。それでも、俺が十の歳を数えるまではあの村に住んでいたんだがな」 ラルグはふっと息を吐いた。 「つまりは、そういう事だ。あの村にはあまり良い想い出はないし、寂しいとも思わない。トッドもいるし……それに、俺にはやりたい事もある」 目的があればどうという事もない、そう語る彼の目に暗い影は見えなかった。 「うん?」 前方にキラキラと光る微細な物が見えた気がして、瑞貴は足を止める。 目を凝らすと、無数の蛾がこちらに向かってきているのがわかった。 「うおお、なんじゃありゃー!」 と、女の子らしからぬ声で驚いたのは緋夏。 「ア、おでましになったみたいデスネ」 あくまでも軽い感じのアルジャーノ。 「アレ? あれぇ?? 他の虫さんあんなにいますか?」 思った以上の数に驚くリニア。 「鱗粉に触れるなよ」 ラルグが言うが、「いや、無理だろう」と誰もが思った――瑞貴以外は。 「大丈夫だ。皆に風の守りを施そう」 瑞貴は青龍の描かれた扇を広げ、舞った。 ぶわりと扇で風を生み出すと、その風は全員に纏わりつき、見えない壁となって降り注ぐ鱗粉を弾き飛ばす。 だが、それだけでは不十分だ。 「ファージがいるとしたラ、おそらくこの集団の中心にいる筈デス」 「あたしは空を飛んで蛾を空気砲で撃ち落します」 「あたしは火を吹いて焼き散らす。瑞貴、火種がなくなったら頼むよ!」 「俺は地道に剣で切り落とすしかないな」 ラルグの言葉に瑞貴が口を挟む。 「いや、ラルグには頼みたい事がある。俺を最後尾の方へと連れて行って欲しいんだ。ラルグは飛べるんだろう?」 何故そんな事を知っているのか、ラルグに問い質す暇はなかった。 「あ、ちょっ、あたしの火種補給は?」 「火種が尽きる前には戻るようにする。それまでなんとか凌いでくれ」 「わかったよ、もー」 愚痴をこぼす緋夏に瑞貴は詫びを入れ、ラルグに向き直る。 「頼む」 「……わかった」 すう、と息を吸い込み、瞳を閉じるラルグを見守っていると、バキバキと枯れ枝を折るような音が聞こえてきた。すると、見る間にラルグの背から体の何倍もある翼が生えてきたではないか。 「あまり動いてくれるなよ、落とすかもしれないからな」 ラルグは瑞貴の体の後ろから腕を回し、腰の辺りをしっかりと抱え込んだ。 「行くぞ」 ラルグの翼が大きく羽ばたくと、すぐ近くまで迫っていた毒蛾たちが押し返された。 風に翻弄された毒蛾が何頭か地面に落ちてもがいている。 そのままラルグが何度か羽ばたくと、地面から足が離れた。 「さあ、戦闘開始だ!」 緋夏の掛け声でラルグと瑞貴、リニアが空へと舞い上がった。 「あたしはこの辺りで蛾を退治することにしましょう。ちょっとかわいそうだけど、ファージを倒すためです、仕方ありません」 ピピピとG・Mが攻撃モードに移行。眼下の毒蛾たちに照準を合わせる。 「攻撃対象確保。空気砲発射します」 ピシュという音を立ててG・Mから空気砲が放たれる。反動でリニアの体が少し浮き上がった。 空気砲の軌道上にいた毒蛾は体を貫かれ、そのまわりを飛んでいた毒蛾は空気の渦に巻き込まれて地面に落ちた。 続けて第二砲、第三砲が放たれる。 毒蛾は次々と打ち落とされ、無残な姿へと変わり果てていく。 「やったぁ! 成功です。どんどんいきますよ! ……えっ?!」 毒蛾の塊が形を崩したかと思えば、攻撃を免れた一部が帯状に連なり、リニア目掛けて飛んでき始めたではないか。 「わわ、こっちに飛んでくる! 来ないでくださ~い!」 毒蛾に追い掛けられ、リニアは無秩序に飛び回った。それでもG・Mは隙を突いて、毒蛾を容赦なく打ち落とし続けた。 「さあ来な! まとめて炎の餌食にしてやるよ!」 緋夏が勢いよく息を吐くと、火炎放射の如く炎が舞った。 顔を左右に振り、満遍なく炎を毒蛾に浴びせかける。 からくも炎を避けきった毒蛾は、緻密な投網状へと変化したアルジャーノが捕獲し、そのまま飲み込んでしまった。 「うわぁ……」 モゴモゴと動く口の端から毒蛾の一部が見えていた。微かにプチッとかブチッとかいう音が聞こえる。 「あああ、なにも見えない、聞こえない~!」 緋夏はアルジャーノから顔を背け、なるべく彼を視線の外へと追いやった。 炎に巻かれ、地に落ちていく毒蛾の奥からは、新しい毒蛾の群れが見えている。 「もう、次から次へとキリがない。一体、どれだけいるってのよ」 「デモ、この蛾たちを潰してしまわないト、親玉にはお目にかかれませんヨ」 「わかってるって! 瑞貴、火種が尽きる前に戻ってきてよ」 祈るような気持ちで緋夏は呟いた。 瑞貴はラルグに運ばれている間、ずっと地上を凝視していた。あの村の子供が迷い込んでいないか探す為だ。 こんな所で見つかって欲しくはない、見つかるのなら他の場所でと思っていたが、運命とは残酷なもので、大概なって欲しくない状況へと導かれてしまうものなのだ。 今回も例外ではなかった。 「くそ、こんな所で……!」 少年がいた。しかも毒蛾の大群の横、20mほどしか離れていない場所にいたのだ。 いつ、毒蛾に襲われてもおかしくない距離だった。 「ラルグ、すまないがそこの岩の陰にちょっと降ろしてくれないか?」 「構わないが……どうした?」 「……そこの岩の陰に子供がいる」 「なに!?」 驚いたラルグが背後から覗き込むと、確かに子供がいた。 「あの村の子供だ。山に入る前、探してくれと頼まれていたんだ」 瑞貴の言葉に溜息を一つ吐くと、ラルグは静かに下降を始めた。 瑞貴がそっと少年の肩に手を置くと、少年の体がビクッと跳ねた。 口に人差し指をあて、声を出さないようにとジェスチャーで伝える。 「おまえのお母さんに頼まれて探しに来たんだ。怪我はないか?」 こくんと頷く少年に瑞貴とラルグは安堵する。 「ラルグ、この子を安全なところまで避難させてくれないか?」 「それはいいが、お前はどうするんだ?」 「おれはその間ここで応戦する。まあ、大丈夫だろ」 瑞貴は明るく笑ってみせる。 「わかった、なるべく早く戻ってこよう」 ラルグはそう言うと少年を連れ、少し離れた場所まで行ってから飛び立った。 瑞貴はラルグの後ろ姿を見送ったあと、トラベルギアの貝紅を取り出し、複数の赤の蝶を生み出した。 瑞貴の掌から溢れ出した蝶は、毒蛾にほんの僅かでも触れれば発火し、毒蛾が燃え尽きるまでその火が消える事はなかった。 炎は毒蛾から毒蛾へと飛び火し、無数の灯火となり揺らめいた。 「うわ、しまった!」 緋夏の吐いた炎が勢い余って周りの木に燃え移ってしまった。 「アララ、ちゃんと狙わないとダメですヨ」 「わかってるよ。ああ、もう、早く瑞貴戻ってこないかな、火種がなくなっちゃうじゃない」 緋夏はブツブツと文句を言いながら、トラベルギアの指輪を使い、木に移った炎を纏め上げ、槍状にして前方に投げつける。 「ア、言った傍から闇雲ニ……」 ギィシャアァ―― 緋夏の考えなしの行動に見えたそれが、毒蛾の向こうの何かに当たったようだった。 「なんか、今……」 「聞こえましたネ」 「……で、こんな時は大抵、怒り狂った敵が突進してくるのよね」 「セオリー通りだとそうですネ」 アルジャーノはなんとなく楽しそうに喋っている。 嫌な予感ほど当たるもので、ソレは奇声を発しながらこちらに向かって突進してきた。 「あたし、芋虫ってなんとなく白っぽいのイメージしてたんだけど」 「私は焦茶色かナと思っていまシタ」 逃げればいいのに暫く立ち話をしてしまうのもお約束。 ピギィイイイィィイ ああ、奇声が、ファージが迫って来る。 ようやく緋夏とアルジャーノが身構えたその時、二人の間の空気を裂いて何かが通り抜けた。 キイィイィイィイイ 奇声を上げながら巨大な芋虫――ファージが仰け反る。その腹には一本の矢が突き刺さっていた。 緋夏とアルジャーノが振り返ると、そこには弓を構えたラルグが立っていた。 少年を岩屋のトッドに預けて戻ってきたのだ。 芋虫が身動ぎすると、矢が腹から抜け落ちた。穿たれた穴からはどろりとした体液が滴り落ちて、はずれた矢をぐずぐずと融かしていった。 「うわ、体液も危険なのか。面倒だな」 しかも、腹に開いた穴が見る間に塞がってしまったではないか。 「やっぱリ一筋縄ではいきませんネ」 リニアを執拗に追い掛けていた毒蛾が、ぴたりと動きを止め、一斉に飛び去っていった。 「助かりました~。でもどうして急に逃げちゃったんでしょうか?」 理由はすぐにわかった。毒蛾たちの間から芋虫の姿が見えたのだ。しかも苦しんでいる様子である。 「ついに巨大芋虫さんの登場ですね。おとり作戦開始です」 リニアは全速力でファージの顔前を目指す。 貝紅から生み出した紅い蝶のお陰で、瑞貴が直接手を下さなくても毒蛾の数は劇的に減っていった。 「そろそろファージの姿が見えてもおかしくない頃合だと思うんだが……」 道を埋め尽くすほどの黒く煤けた毒蛾の死骸は、風に攫われ山中へと散っていった。それと同時に視界が開け、現在の状況を窺い知る事が可能となった。 まだ、毒蛾はまばらに存在していたが、視界を遮るほどではなくなっている。 瑞貴の視線の先には緑色をした巨大な芋虫がいた。毒虫特有の禍々しい色合いではないのが何故だか不思議に思えた。 「芋虫さん、こっちですよ~」 リニアが芋虫を挑発するように眼前を飛び回る。 ギイイイィィィ 目の前を動き回られて目障りと感じたのか、ファージが奇声を発しながら糸を吐き出した。 「そんなものじゃ捕まりませんよ☆」 リニアは器用に飛び回り、ファージを翻弄する。 「わっ、ちょ、リニア! あんたは大丈夫かもしんないけど、少しはこっちの事考えて飛びなさいよ!」 目標物を逸れた糸が木々に絡まり、緋夏たちの行く手を阻む。 「糸の事は私に任せてくだサイ」 アルジャーノの腕が大鎌に変化して、糸を断ち切り、絡めて自らの口に運んでいく。 リニアがファージを翻弄している隙に、瑞貴は脇をすり抜け、皆と合流した。 「遅い、瑞貴! 火種が尽きるとこだったんだから」 瑞貴は謝りながら朱雀の描かれた赤焔を開き、炎を生み出した。 「さあ、どんどん火を吐いてくれよな!」 赤焔から放たれた炎を喰らい、緋夏はファージに炎を吹きかけた。 炎に包まれたファージはもがき、膨張する。 周りにいた毒蛾はなす術もなく炎に巻かれ、黒き残骸となった。 しかし、膨張したファージは体液ではなく、体中から針を吐き出していた。 「危ない!」 リニアはG・Mを最大風速にし、なんとか凌いだ。 瑞貴は青嵐を振るって風の盾を作って防いだ。 ラルグは剣で防ごうとしたが、すべてを払い落とす事は不可能と判断し、多少の怪我は覚悟する。 緋夏には防ぐ術がなく、目の前に飛んで来た針に死を覚悟した。 ――だが、ラルグと緋夏が怪我を負う事はなかった。 「大丈夫でしたカ?」 耳を劈く音が響いたあと、聞こえてきたのはアルジャーノのそんな声だった。 針の攻撃から二人を救ったのはアルジャーノが作り出した金属の壁だった。 しかし、アルジャーノ自身は体のあちこちを針で穿たれ、「大丈夫」と答えかけた緋夏は息を呑む。 そんな緋夏の様子を見てアルジャーノは不思議そうにしている。 彼には痛覚がない。見た目は酷いが本人は平気なのだ。 ファージは倒れていなかった。口から涎を垂らし、こちらを見据えているようだった。 万事休すかと思われたが、アルジャーノは笑っている。 「皆さんにお願いがありマス。聞いてくれますカ?」 ロストナンバー達は攻撃を再開した。 リニアはファージの眼前を飛び回って攪乱し、ラルグはその隙に切りつける。 傷付けられた体皮は体液を少しずつ失いながらも塞がっていく。 瑞貴は火炎を作り出し緋夏に渡し続け、緋夏は口から炎を吐き続ける。 アルジャーノは液体金属に戻り、ファージの腹の下に潜り込んだ。 (フフ、君はどんな味がするのカナ?) アルジャーノはわくわくしつつ、体を変化させた。 ブシュ、ブチ、ブチュ 緋夏が加えていた火炎攻撃がファージの体皮を脆くしており、無数の金属棘は難なくファージの体を貫いていた。 「いまデス!」 アルジャーノの号令でリニアは限界まで圧縮した空気砲を、緋夏は炎の槍を、瑞貴は青嵐の大風に赤焔の浄炎を乗せて、ラルグは弓を引き絞りファージに放った。 一斉に加えられた攻撃は、ファージを無残に引き裂き、燃やし尽くした。 生き残っていた毒蛾は、ファージの支配が解かれると同時にいずこかへ飛んで行った。 ファージがいた場所にはアルジャーノだったと思われる液体金属が散らばっている。 「アルジャーノさん……」 「アルジャーノ……」 「いくら痛覚がないからって、ファージの体液とあたしたちの攻撃をくらって、なんともないはずないだろう」 緋夏は泣きそうになっている。 「勝手に殺さないでくだサイ」 「え……?」 アルジャーノの声が聞こえたと思ったら、方々に散らばっていた液体金属が蠢き、一箇所に集まった。 「ですカラ、大丈夫だって言ったでショウ」 人型となった液体金属は呆れ顔でそう言った。 「村の方に被害がでなくてよかった♪」 「そうだな」 「ラルグさんは村のみんなの為に戦ったんでしょう? とっても優しいひとですね♪」 ラルグはリニアの言葉に苦笑した。 「どんな姿をしていても、あたしは大好きですっ☆」 まるで村人達に阻害され、傷付いてきた時を埋めるかのようにリニアは言った。 フッと笑ったラルグにリニアはもう一言付け加える。 「……でも、ジロジロ人のことを見るのは失礼ですよ?」 「悪かった。次から気を付けよう」 ラルグはまた笑った。 ロストナンバー達が保護した少年を村に連れて帰ると、彼の母親が駆け寄ってきた。 「ああ、クムト、無事でよかった」 母親は少年を抱きしめ、涙を浮かべた。 「あのね、ラルグっていう人と、お兄ちゃんたちが助けてくれたんだよ」 少年の言葉に驚いた母親が、ロストナンバー達の顔を見上げた。 ロストナンバー達が頷く。 「そう……彼が……」 彼女はそう呟いて、複雑な表情を浮かべ、礼を述べたあと、家へと戻っていった。 各々思う事はあったが、口にはしなかった。他人が口出すべき事ではないとわかっていたからだ。 「ア、そういえば、彼に光る物体の事を聞くのを忘れてマシタ。でも、ファージには関係ないですかネ?」 ロストレイル車中でアルジャーノはふと呟く。 「まあ、ファージの味見もできたことですシ、良しとしますカ。少し苦くテ、まったりと絡みつく食感と……何か混じってタ?」 アルジャーノは首を捻る。 「しかし芋虫って一頭だけだったんでショウカ? 最近何かと物騒みたいだシ、実は大量発生してたりシテ☆」 冗談のつもりで彼は言った。 ロストナンバー達が立ち去ったあと、ファージのいた場所に一人の男が立っていた。 「実験は成功と言っていいだろう。――帰還する」 彼は隠していた乗り物に乗り込み、発進させた。 ロストレイルの発車と時を同じくして発ったそれを目撃した者はいなかった。
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