チャンドラーのコックピットよりずっと広いはずなのに息が苦しい。 壁がしんと冷たいからかもしれない。 ロストナンバーに捕らえられた猫のテロリスト、タルヴィンは水中の牢獄に捕らわれていた。 憔悴し食欲は細り豪華な刺身の船盛りにも口を付けていない。分厚い窓の外をすいっと横切っていく影にふるえ、彼は窓からできるだけ離れたところにクッションを引っ張っていって丸くなっていた。 先程から何か巨大なものが動く地響きのような音が断続的に伝わってきて落ち着かないのだ。† † † † † † † † † † † † † 地表から地下に潜ること78km、あまりに深くにあるために真空への蒸散を逃れた地底湖はそこにある。一般的な都市より10倍も深いところにある水源は神話の時代に神々によって見いだされたという。 当初は海と呼ばれていたという記録もある。砂の海しかないこの星では不思議な話だ。地底湖の平均水温は-3℃であるが液体を保っているのは高圧のためだ。そして岩盤と接するヵ所は氷となっているにもかかわらず湖が温度を維持できている理由は未だに解明されていない。 そんな地底湖も、今では海水魚が放流され生命に満ちあふれている。大量の電解質が溶け込んでおり育成に理想的な環境だ。都市から送られてくる電力により、地底湖はライトアップされ、その光でプランクトンが生育し、それを「魚」が食するという生態系が長い年月をかけて出来上がった。 猫族の大好物である「魚」、それも天然物の「魚」はこういった地底湖でしか採れず、希少な資源だ。 そして、猫は泳ぐのが苦手で猫の擬神達も真空に適応した精密機械であるが故に水には弱い。潜るのはもっぱら犬である。よって魚の棲む地底湖は数少ない犬が猫を迎え入れる場であり外貨獲得のための観光地として発展した。地底湖の直上に観光プラントが建設され数日かけて加圧された猫たちが優雅にバカンスを楽しんでいる。 傲慢な猫たちもここでは犬族に敬意を表し、犬の呼び名「寄せ鍋」を地底湖の名称として受け入れているのだ。 この地が紛争当事者の対話の場として選ばれたのも当然のことである。† † † † † † † † † † † † † 先の猫族によるリニア襲撃事件はロストナンバーの活躍により、被害を最小限に留めることができた。標的となったロストナンバーが不問に付すという以上、血気逸る犬たちもおとなしくせざるをえない。 そこで両種族講和の一歩として捕虜となったバーマン一門の公子タルヴィンの身柄が引き渡されることになり、ロストナンバーが立ち会うことが猫たちから要請された。 だがしかし、ファージが現れるのだ。 担当司書の宇治喜撰がプロジェクタに任務概要を映し出した。:order_4_lostnumbers→ 地底湖「寄せ鍋」に赴いて、身柄引き渡しを成功させてください。:import 導きの書→ ウルメイワシ型ファージが現れます。:warning→ 高圧水中(130MPa)→ 飽和潜水準備→ コンダクターの安全な活動範囲は水面から30m→ ファージは群を率いています:message 図書館→ 必要な者は潜水服を着用のこと:submission→ ファージと図書館の立場について原住民に説明してください:remarks→ ライトが破壊された範囲は暗くなります 飽和潜水を行う必要があるので任務達成後は減圧のために数日帰還できない。† † † † † † † † † † † † † 「寄せ鍋」はプードル一門が支配している。正確には彼ら以外ここに居続けようとはしないだけだ。上の都市にあがるだけで数日かかるとなればどうしてもそうならざるをえない。地底の高圧に慣れた彼らは毛を剃ってダイビングスーツを華麗に着こなし、魚を捕り、ライトを維持し、物好きな猫のために潜水艇を駆る。 彼らはロストナンバー達が来ると言うので大忙しだ。「妹者、やっこさんはおとなしくしているかい?」「兄者ー、それが全然ご飯を食わないんのよねー」「妹者、貴族様の舌にはあわないってかい」 囚われのタルヴィンにも元気でいて欲しい。妹のほうが端末を操作すると牢獄代わりの水中艇が映し出された。すると魚風のひれを持った人型がカメラの前を横切るのが見える。「あれっ、神様達はもういらしたのかな?」 さらには水中艇の何倍も大きさがあるような円盤が人型の後に続いた。「兄者ー、今のはすごいよねー。神様はどうやってあんな大きなものを運んできたのかしら」 と、映像がブラックアウトした。カメラが機能停止したようである。
地底湖「寄せ鍋」のプードルたちの間ではモヒカンが流行らしい。頭の両脇を剃りあげ、鮮やかに染め上げた中央部を誇らしく伸ばした彼らがロストナンバー達の前に勢揃いしている。 水中に適応するために体中の毛を諦めた彼らでも、頭髪だけは譲れなかったようだ。犬族にとって美しい(あるいは可愛らしい)ことは神に与えられた義務であるのだから。フォンブラウン市に神が降臨したといううわさが流れてからこの世界のファッションはめまぐるしく変遷している。 「寄せ鍋」市長のモヒカンは黄である。体毛を補うためにふかふかのコートを着込んだ彼はセルヒと細谷の話しに熱心に耳を傾けている。そして付き添いの夫人は赤で、副市長が青である。市長が手ずから料理をし……と言っても料理は「寄せ鍋」名物高圧寄せ鍋であるので料理すると言うよりは単に奉行をしているだけである。高圧鍋は食材を一気に加熱しうまさをうちに閉じ込める。コンダクターがいれば圧力鍋で作る無水料理を思い出すかもしれないが、フタの開け閉めが比較的自由にできるので食材に適した蒸し時間をコントロールできるのが特徴だ。一般的に気圧が低く保たれているこの世界では大変な贅沢料理と言うことになる。市長が絶妙なタイミングでさらに取り分ける食材は一見湯気もなにも出ていないが口に含むとほふほふはふはふ濃厚なうまみがあふれ出てくる。 このように、せまいチェンバーで膝と膝をつき合わせるこの状態はもう3日も続いている。 低圧環境で血液に溶け込んでいる窒素を追い出し、その後一気に圧力を上げ高圧下に適応させる煩雑な手順に時間がかかるためだ。地底湖へ向かってゆっくりと降下しているこの部屋の空気はフロンと窒素が抜かれ代わりにヘリウムで満たされている。いわゆるDDC(Deck Decompression Chamber)とベル(Personnel Transfer Capsule)の役割をあわせもっている。ハーデは強攻偵察兵であるのでこのような長時間の待機を伴う任務には慣れているが、それでも若干の頭痛を感じている。高圧神経症候群が症状をあらわしているのだ。 「悪いな、私の世界では水棲種族がこの類を一手に引き受けていたからな。私がやった事があるのはせいぜい5~6mまでだ」 導きの書の予言でファージの出現時刻が予測されているものの、予言は全てを告げてくれ勝利を約束してくれるわけでは無い。不測の事態はいくらでも起こりうる。とはいえ不要な消耗は望ましくない。ハーデは緊張をほぐすために、とっくに食べるのに飽きてまどろんでいるゼロによりかかった。環境の影響を受けそうにないゼロを少し羨ましく思った。 ともあれプードルの市長達にとってはまさか自分たちのところにロストナンバー達が来るとは思ってもみなかったようで気もそぞろであった。最初は捕虜にしている猫のタルヴィンの扱いに問題があるのととがめられるのでは無いのかと恐れていたようである。そして、ロストナンバー達の持ってきた話しはさらに衝撃的だった。 「神様が来るということは、良からぬものも来るということよ。一言でいえば三千世界の敵。かしら?」 とはセルヒの弁である。しかしなぜよりによって地底湖なのであるのかというプードルたちの疑問がある。それには明白な答えはないのだが、細谷に言わせれば「この世界のどこかには現れるであろうというところは必然、「寄せ鍋」が選ばれたのは偶然と言うものでございます」となる。世界図書館がディラックの落とし子とファージなる存在と戦っていると言うことは以前の訪問で伝えてあるのだが、そこまでの情報はこの観光地にまでは広まっていないようである。 「ファージと世界図書館について正確に伝える必要があるそうなのです」 のそりとゼロが加えた。細かい説明はセルヒや細谷がするであろう。それをハーデは薄目を開けてどう説明したら良いものかと思案した。 「どうせ簡単には実感できないだろうから奴と戦ってから説明すれば十分だろう」 そして一行は真空の地表から78km潜った地底湖に辿り着いた。市長によるとこの世界の奥深くには氷の鉱脈がいくつか発見されているのだがその多くは不純物を含んでいるので魚を育てるには向かない。よって真水で満たされたこの地底湖は特別なのだと。重力の小さいこの世界でもこれだけ下れば圧力は途方も無いことになる。高圧により水は-3℃という低温でも凍ってはいない。 DDC代わりに地上からロストナンバー達を運んだコンテナから出てみると通廊や部屋は補足狭く堅牢な造りだ。それでも観光都市であるので明るい色彩でくつろぎに気を配っているのがわかる。所々にある古い掘削機や記念碑が、水の発見を喜ぶ歴史をあらわす。 やがて湖に出るとライトに照らされた水面は静かだ。 ハーデは体のラインに沿ってぴっちりしたダイビングスーツに着替えてボンベを背負った。あまり普段の装いと変わらないかもしれない。ボンベの中身は酸素ヘリウムの混合気体である。ヘリウムの重さの分だけ呼吸では不利になるが、腰に5本差した爆弾 ――C-4を使うからには水素で自爆するのは避けたい。ここでは空気が濃い分だけ体が冷えるのも早い。これでは既に水中にいるようなものだ。ハーデは軽く屈伸して体が正常に動作することを確認した。 「C-4は寒いと砕けやすいからな…… 多少の保温対策はしたが。手製だから、どこまで出来るかは分からんが。細谷さん、あなたはどうですか」 訊ねられた武闘派政治家はいわゆる海パン姿であった。さらされた肉体は引き締まっていて年齢による衰えを感じさせない。細谷には「周囲の環境に合わせて体質を変えられる」という特徴がある。今回はこれはフル活用して酸素不要かつ低温や高圧にも耐えうる体になっているのだ。北海道のトレインウォー、宇宙空間等でも使用されている。酸素不要になったり体温を無くしたり出来るのは、肉体を仮死状態にして一時的に不死者と同じような体になっているため。戦人は死人であるという概念を突き詰めた技術のようだ。 「そうです。市長さん。こちらを預かってはいただけませんでしょうか。機械式の良いものであります」 颯爽と振り返って細谷は腕時計を外して黄色のモヒカンに渡した。 一方のゼロはそもそも生物として数えて良いのだろうか。むしろその存在は自然現象といった方が近い。彼女はいつもの通りの格好でスタンバイしている。服もそのままである。 「ゼロは『サイズ・パワーがいかようにも自在に可変で、環境に影響されずに活動可能な謎テクノロジーの疑神』と見なせるのです」 とうそぶいているのではあるが果たしてプードルたちの目にはどのようにうつったのやら。 水中は一定の間隔に置かれた照明のおかげで明るい。澄んでいて遠くまで見通せ、光を横切る魚が光を反射してきらめいている。ところどころ、照明が付いていない場所も有り、これは最近になって増えた故障だという。 直接戦闘に参加しないセルヒは案内役の潜水艇に同乗している。ついていくと、やがてワイヤーで吊された鉄の箱が見えてきた。ここにタルヴィンは捕らわれている。尋常のほ乳類は、急な減圧に耐えられないので「寄せ鍋」に捕らわれた者は脱出に数日かかるという天然の牢獄だ。実は多くの囚人が地底湖の直上の観光街で働いている。さらに水に沈められているのは彼が特別だからだ。 ハーデは鉄の箱に泳ぎよると窓をコンコンとノックすると、ガラスの奥で丸まった毛玉がぴくっと動くのが見えた。動いたのを確認して思念を送る。 『ちょっと待っててな。今から一仕事するから、終えたらブラッシングしてやるよ』 そしてみんなに向きなおって 『そろそろ予言の時間だ。あぁ、この後の会話は全てテレパシーで行わせてもらう』 † † † † † † † † † † † † † いかなる経路かこの世界に進入したとされるファージは、とりついた魚をその凶悪な形態に変容させた。生まれたてと言っても良いファージは尋常の生物とは異なりすでに完成されていた。光の届くか届かないか、視界が霞むその境界から理性に反する不快な気配がみしみしと伝わってくる。このファージも周囲の同族の生物を従えることができるようだ。魚群の全体が一つのファージであるかのように振る舞っている。 『私と細谷さんでフロントをつとめよう』 『さて、私がいた世界にもウルメイワシという魚は存在していました。目が潤んでいるように見えるが故にウルメと呼ばれるのです。刺身が最も美味なのですがいかんせん足が早いため、干物として流通するのが殆どでございます』 二本の刀を抜いた細谷に、潜水艇のセルヒが応える。 『魚群探知機に反応が出ました。尋常の魚ではありえない動きです。終わったら、イワシをタルヴィン君とプードルさん達といただきましょうね。ここでなら刺身にできそうですから』 まずは様子見の先制とセルヒは潜水艇の底の開口部から担いできた小型魚雷を水中に投げ込んだ。この潜水艇はいつでも泳ぎに出られるように桶を逆さにして沈めたいような構造をしているのでこのような運用もできる。もともとは水中作業するプードルたちが休憩するためのものだ。スクリューに推進される槍は、魔法によって照準され突き進んだ。 遠ざかる影は水にとけこんで見えなくなり、視界からフェードアウトした一呼吸の間の後、さざ波のように衝撃派が通り抜けていった。セルヒのモノクルに爆発の様子が魔術的に浮かび上がる。魚雷はファージに命中したようだが魔力の揺らぎは小さく見てわかるダメージは無さそうであった。そして、群れごと転身し怒りと共にこちらへと向かってきた。 ファージが動きはわかりやすい。光に惹かれるように湖中のライトを破壊しながら迫ってくるからだ。 『自然のイワシと同じように走光性があるようですね』 『よし、読みが当たった』 ハーデは腰からC-4を引き抜きテレポートさせた。この爆弾には集魚灯がくくりつけられている。ライトが失われて暗くなった水域に転移された明かりが灯ると、ファージと群れは緩やかにそちらに向きを変えた。タイミングを見計らってハーデがスイッチを押すと、雷管が破裂し、ぐももった爆発がおきた。この距離では戦果は明かりづらい。いくらかはファージに操られたイワシが脱落したと期待してハーデは続けざまにプラスチック爆弾を群れに送り込んだ。 『思ったよりも手応えがないな。手作りが良くなかったか』 水中での戦果評価は難しい。敵を倒せたという実感も希薄だが、それは爆発の規模が想定ほどではなかったからである。水中は爆弾を使うには難しい環境だ。水を媒介してバブルパルスによる破壊が期待できるがそれ自体は観測しにくい。空気中のように破片をばらまくこともでず爆発自体が水圧に押さえ込まれるので、見た目の爆発は却って小さく感じられるからだ。 『ファージ相手に簡単にはいかないか ……ならば』 爆発によって散らされ、群れからはぐれたイワシを超能力でたぐり寄せ、片っ端から光の刃でぶった切り始めた。光の刃は水の抵抗を受けないので好都合であった。 『ハーデさん、十分であります。どのみちすじファージ本体を倒すには接近戦が必要でしょう』 魚群はだいぶ小さくなった。ファージに操られたイワシは半分以下になったと言って良いだろう。そして、光を振り回すハーデは残ったイワシたちを引き寄せるには十分であった。 『ここは私に』 細谷が並び立ち、魚群が殺到してくる中、群れに『紫電』で電撃を放った。刀からほとばしる雷は超自然的でハーデや細谷自身は素通りし、群れに襲いかかった。 電撃に耐えたファージに対しては返す刀で斬りつけた。『大和』は外道を地獄に送る力を有し、一太刀浴びせられたファージは傷口が腐敗していく。 空間に広がっている小さな標的のすべて止めることはできずに、ハーデや細谷を突破していくものもあらわれ始めた。 「いてて、かじられた」 天然ではプランクトンしか食さないはずのイワシでもファージに操られると肉をついばむようになっていた。それらは前線をすり抜け司令塔になっているセルヒの潜水艇に迫ってり、このままではそばで監禁されているタルヴィンも危ない。 ぷかぷか漂っているゼロが壁になるために前に出たが、栄養が無いと判断されたのかイワシたちは彼女を避けて進んでいった。 その頃、囚われの猫は恐慌をきたすところだ。経験したことの無い水中戦は相当に恐ろしいようだ。狭い檻の中で暴れてスープをこぼしたり、意味も無く壁と格闘したりした。 前線の細谷は異変を察知するなり『大和』で空間を割いて後退し、哀れな猫のケージに群がるイワシに電撃を放った。 『ライトを全部消してくださいますか? 一時的で結構です』 潜水艇のセルヒは湖上の港に要請した。すると残されたライトが次々と消えていき、それぞれのライトに群がっていたイワシたちが、行き場を失ってあらぬ方向にさまよい始めた。 これによってタルヴインの牢を守るようにイワシたちに突っつかれていたゼロは自由を得た。イワシとファージからみて、ゼロは生物と見なされなかったからかもしれない。そこでゼロはライトの一つにとりついて一計を案じた。 『セルヒさん、このライトだけ点灯していただけますかです』 セルヒは直ちにその提案にのった。 再度点灯したライトを持ってゼロは巨大化した。ゼロと一緒にライトも何倍にも大きくなり、薄ぼんやりと柔らかい光を戦場に投げかけていたものが、太陽と見まごうばかりの明るさになった。 光の中にたたずむゼロはさながら女神のようであった。のほほんとした本人は謎テクノロジーの疑神に擬態しているつもりなのであろうが、誰が信じよう。 たった一つのライトがこうこうと戦場を照らすと、嫌が応にも注目を惹く。イワシたちは輝く巨大少女に殺到することとなった。 そこにハーデが転移してきて待ち構える。 ファージはファージの宿命として擬態する魚の枠に囚われてしまっている。傷口の腐敗がヒレに達することにより動きが鈍い。もはやイワシとファージという二つの本能の狭間で光に突っ込んでいくことしかできない。 あやまたず光の刃が一閃。ファージは滅せられた。 † † † † † † † † † † † † † 高圧寄せ鍋とは別にもう一つこの町には名物がある。 高圧紅茶と高圧珈琲だ。どちらも常圧下ではありえない高温に熱した水を用いて、一気に成分を抽出するのが特徴だ。砂糖をたっぷり入れるのがここの流儀。凝集したコクとうまみが冷えきった体を暖める。これと魚肝油で炒めたイワシが不思議と合う。 タルヴィンにもミルク入りの珈琲が与えられている。彼はハーデの膝に抱えられてはじめて落ち着きを取り戻したようで、食べ物にも口がつけられるようになった。ハーデが持ってきた猫用ささみスティックにかじりついている。プードルたちは少々羨ましそうだ。 そのプードルの相手はセルヒが行っている。コートを着込んでもこもこしている彼らを抱き寄せてもふもふしている。 今回の敵は犬でも猫でも無く世界の外からの脅威であった。 「あれがファージというものであります。まさに、このために我々は参ったのでございます」 「この世は無数の世界が世界群をなしているのです。また、世界群を渡らずとも、星海の彼方にも『異なる世界』は無数に存在し、この都市群から見れば頭上の惑星も『異なる世界』なのです。ファージとは世界と世界の狭間から進入してくる脅威なのです」 ファージとは何であるかを説明するのは難しい。図書館が把握していることもごくわずかだ。 「世界の異物たるディラックの落とし子には、ワーム型とファージ型の2種類があり、今回のファージ型は発生した世界の生物に寄生し、その世界を内部から侵食し滅亡に至らしめる非常に恐ろしい存在にございます。世界図書館はあらゆる世界に発生するディラックの落とし子をいち早く察知でき、それらを討伐する役目を担っております」 「たたかうには、皆さんの協力が必要なのです。皆が和解すれば安寧が増大し、朝寝やお昼寝や早寝が出来るという真理を推奨するのです。そうすれば世界は安定しファージが進入しにくくなるのです」 そもそもが猫テロリストのタルヴィンの引き渡しのために犬は当然のこと、猫の有力者も集まっていたためにこの会談の様子はひろくこの世界に広まることとなった。千年にわたり対立してきた両種族の確執は深く、ロストナンバーの要請はこの世界の住民達に困惑をもたらしている。それが雑種同盟のような組織に行動する理由を与えているというところもある。 やがて話題はロストナンバー到着直前に目撃されたという巨大な円盤と人型に話題がうつった。プードルたちは円盤と人型はロストナンバーだと信じてしたようだが、そうではない。 「ボーズが怪しいと思うわね。稚拙な思考回路のくせに、振り回す玩具が洒落にならないわよ」 そしてセルヒがこうもらしたことにより場は騒然となった。ここぞとばかりに犬が猫を非難する。確かに彼ならどうにかして地底まで侵入できるかもしれない。タルヴィンは震え上がり緊張のあまり息もできないようであった。そんなバーマンの公子をハーデは取り出した猫櫛で丁寧にブラッシングしてなだめる。 「そうでしょうか? ボーズがなにかを企んでいるのかもしれませんが、今回は違うでしょう。雑種同盟がファージと関わりがあるとしたら、それは我々にも想定外のゆゆしき事態でございます」 波紋が広がる中、ゼロはもらした。 「そういえば、ロストナンバーの中にも犬さん猫さんがいるのです。この世界に常駐して図書館の連絡役や調査役になるには、他のロストナンバーより適任かもしれないのです」 † † † † † † † † † † † † † フォンブラウン市の遺跡にあるロストレイル号の駅では、いつも通り考古学者猫のシュリニヴァーサが一行を待っていた。 「ご機嫌よう。異世界の友人達よ。セルヒさん、こちらが頼まれたデータです。犬たちの神話と我々の歴史をざっくばらんに集めました」 「助かりますわ。私達にとって歴史を知るということは、未来のための貴重な教訓とヒントを得るということよ。ここまで首突っ込んだ以上、私なりに腰を据えてこの世界 ……というかこの世界の神様と相対するわよ」 ――拝啓 我々(ここでは高貴な猫と犬双方を含む)が朱い月からやってきたことは間違いないようである。犬族の聖典によるとこの世界は神々の住まいとして犬族が建設しているものとされている。これは度々言及される『涅槃』なる語であらわされている。犬族の司祭はこれを形而上のものではないとしており、さつきも犬が都市の建設にいそしんでいるのは『涅槃』を作り出すためで、完成の日には神々が降臨すると信じているようである。 猫は快適な住居のことを『ニルヴァーナ』と呼んでいるが、聖典の猫語訳には『涅槃』は『ニルヴァーナ』とされており、太古の昔は高貴な猫と犬族との間になんらかの協力関係があったものと推測される。当遺跡からも猫と犬が双方いないと意味が無いと思われる機器が発掘され、この推論を裏付けている。大戦で破壊されたフォンブラウン市の地上廃墟にもその痕跡がみられる。 高貴な猫は過去を顧みない。猫の歴史については確かな文献は流通していないが大公家が所有する人工知能の中には創世の時代から存在しているものもあるという。 PS 私は創世の時代にロストレイル号がこの世界を訪れ、なんらかの目的のために猫と犬を住まわせたのでは無いのかという仮説を立てています。いささかロマンチックかもしれませんが、いかがでしょうか? ――シュリニヴァーサ
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