「あなたは神を信じますか?」 駅前広場の街灯にセクタンの雲丸をくくりつけている緑郎の背中で爽やかな青年の声がした。 振り向くと、赤青黄色のド派手な衣装をまとった二十半ばの男が必要以上に爽やかな顔で緑郎に微笑みかける。「……ええと?」 意図を測りかねたのと、雲丸を置き去りにしそこねるかなと考えたせいで、一瞬、応えにつまる。 緑郎の僅かな無言を戸惑いと考えたのだろうか。青年はさっと一枚の紙を取り出した。 書かれている質問はたったの一行。『あなたはチャイ=ブレが全ての神を超越した存在であるといつから認めていますか?』 選択肢は三つ。 1=> ロストナンバーとして真理数を失ったとき 2=> 0世界でチャイ=ブレの存在を知ったとき 3=> チャイ=ブレが全ての神を超越した存在だと知らなかった(今知った) 選択肢の内容と、目の前の青年の爽やかな笑顔のギャップのせいで、緑郎は冷たい顔もできず、笑顔のまま固まる。 すると青年はぽりぽりと頭をかきながら笑って見せた。「あはは、すみません。ちょっとした街頭アンケートですよ。皆、チャイ=ブレのことをいつ知るのか? 興味がありましてね」「あ、そうなんだ」 そういう意味なら、と緑郎は2の数字にマルをつける。「ご協力ありがとうございましたー。あ、良かったら名前を教えてくださいますか?」「うん、僕は――」 と、いうやりとりがあってから三ヶ月だけど、今考えてみればあれが原因だったんだよね、と言って、緑郎はトラベラーズノートを机に広げた。 昼さがりのカフェ、賑やかさはそれほどないものの、たまたま顔見知りに出会って話し込む事は珍しくない。 まして、駅前で原色パッチワークの集団を見たという話題であれば当然、現在進行形で勧誘被害にあっている緑郎にしてみれば是非解決の糸口にしたいものである。 ともあれ、ワードがそのトラベラーズノートのページをぱらぱら捲ると、そこに出てくる文字、文字、文字。『チャイ=ブレを信じますか?』『日曜集会のお誘い!』『初歩から学ぶ、原色パッチワーク教室』『ヒキコモリロストナンバーが人気者になれた秘訣は!?』『主人がヴォロスフレイムオオトカゲに殺されてから半年が経ちました……』『あなたはチャイ=ブレの血を引いている!』 言葉や見出しはともかく、すべてのエアメールは我々の集会に来いという結論に帰結している。 おかげで緑郎のトラベラーズノートはほとんどのページが埋まっていた。「灰人のトラベラーズノートモ、同じような感じなノ?」「ええ、そうなんです。私の場合は少女に『神を信じますか?』と聞かれ、それはもう、もちろんですとも! と応えました。その時はとても意気投合しまして、お互いの連絡先を交換したのですが……。それから毎日のように来るエアメールは、緑郎さんのものと大差ありません」 ワードの問いかけに、灰人はため息をつき、トラベラーズノートを広げて見せた。 その内容はと言えば、緑郎のそれと同じような文句が書き連ねてあった。「それにしてモ、灰人ハ、チャイ=ブレを信じてたノ?」「いえ、私の神は……」「そのわりに意気投合したんだね。そういえば入信したらお米、タケニシキ一年分貰えるんだっけ?」 ずささささっ、と音が出るくらいの勢いで後ずさり、灰人は苦笑いを浮かべる。「い、いえ、そんなものにつられていませんよ!」「何だったノ?」「あきたびじんです」「……」「……」「あ、いえ、それは、その。そのような事が!? ……ああっ、眩暈が……」 次に頭痛が! と呻いた灰人はそのまま額を抑え、机に倒れこんだ。 彼の落としたトラベラーズノートを拾い、文字の書いてある一番最後のページを開く。「それはともかく、気になったのはさ。ここ、『新規信者獲得の為、まだ見ぬ新世界を探索する旅に出発します! ロストレイルを一車両貸切での旅ですので皆様お誘いあわせの上』……ロストレイル貸し出すなんて、本当なのかな? どうも信じられないんだけど」「うン、気になル……。世界司書、相談してみル?」 ワードの言葉に頷き、立ち上がった灰人と緑郎の目の前に、たまたま世界司書が通りがかったのだ。 あの原色パッチワークの青年に言わせれば、これぞ、チャイ=ブレのお導きと言えるだろう。 ただ、それが銀色に輝くボディの世界司書、宇治喜撰だったのは皮肉な導きだったかも知れない。 ※ ※ ※ ふわぁ、と欠伸をした。 次にぐーんと伸びをして、痛む身体を押さえつつ虎部は身体を起こす。 先ほどまでのヴォロスの旅を終え、身体は休憩を求めていたのだろう。 つい、うとうととしてしまい、気がつけばロストレイルが0世界について、さらに車庫に入れられてなお、この時間まで眠り込んでしまったようだ。 さぁて、どうして駅前まで戻ったものかと首を回しつつ思案していると、唐突に「あア!?」と野太い声が聞こえてきた。 ついでに「ひィィィ!?」という甲高い悲鳴が聞こえてくる。 隣の車両らしいと検討をつけ、虎部は無造作に扉をあけた。 ロストレイルの車内、虎部の視界に入ったのは二人の男。 虎部の方を振り向いている金髪の青年、ラス。そして、彼の足元で崩れ落ちている原色パッチワークの男だった。「揉め事かー?」「いえ、違いますよ。駅前広場で原色パッチワーク集団『みちびきの鐘』が強引に信者を勧誘していらっしゃいまして、買出し中なのにクソウゼぇと思い、活動内容を拝見させていただこうと思いまして。「おいコラ、死にたくなきゃてめぇらのフザけた陰謀、とっとと白状しやがれ」とお願いしましたところ、彼が足早にここまで案内してくださったのです。その後、何を考えたのか、ここまで来て助けてくれとか叫びだしましたので、大人しくしていただけるよう、腹にワンパンキメただけですよ」 ラスは天使のように無垢な笑顔で、さらりと恐ろしい言葉を吐き出した。 さらに、どう言ったものかと思案する虎部に微笑む。「神とか、ヘドが出る言葉を真顔でぬかしやがるような集団です。ロクなものではないのは分かります」「……いや、まぁ、そこらへん、詳しくつっこむ気はねぇけどさー。殴ったりすんのってマズくね?」「そうですねぇ、……あ、じゃあ、埋めましょうか」「いやいやいや、もっとまずいだろ。それは」 息の根を止めやすそうな武器はー、とか呟きだしたラスを制し、虎部が原色パッチワークの青年の頬を叩く。 意識が戻った青年は、ぱちぱちと二度、三度瞬くとラスの笑顔を見て再び「ひぃぃぃ」とわめき声をあげた。「おいおい、怖がらせるなよ」「私は微笑んでいるだけですよ?」「いや、まぁ、そらそーなんだが。……おい、あんた」「は、はひぃっ!」 飛び起きた青年は虎部を盾にするように回り込み、ラスの方をひたすらに警戒する。 と、青年の肩にセクタンが止まった。 虎部に従うナイアである。 デフォルトフォームの彼は青年の肩でぴょんぴょんと跳ねた。 それを見た青年は助かった! とばかりに笑顔になる。「こ、これはセクタン! すると、あなたはコンダクター様!」「うん、そーだけど」「チャイ=ブレに認められ、覚醒なさり、セクタンを使わされた貴方は私よりチャイ=ブレに近い者! どうかご加護を!」「……ええとー。話が見えねぇんだけど」「もうまもなく、このロストレイルは新たな世界に向けて旅立つのです。コンダクター様が乗り込んでいらしたのは最早、奇蹟! ついに我々の仲間にコンダクター様が増えたのです! なんという僥倖! いいえ、これこそチャイ=ブレの思し召し!」 青年は言葉を紡ぐ。まくし立てるように喋り倒す。 ――即ち。 この宗教集団「みちびきの鐘」は、チャイ=ブレを最高位の神と崇める原理主義であること。 覚醒してロストナンバーになり、環境が激変したショックでヒキコモリになり、人間不信に陥るツーリストは数多いこと。 そして、0世界は壱番世界の影響を色濃く受けており、壱番世界とは繋がっているためコンダクターは精神バランスは取りやすいと思われるが、故郷のないツーリストのは深刻な精神的ショックを受ける場合があること。「……なので、我々の組織は最初、そういったツーリスト同士の互助組織を兼ね、チャイ=ブレ研究を行う活動を始めました。……そーすると、私を含め、一部のツーリストはそれまで神的な存在を知らなかったこともあり、勉強を重ねるほどにチャイ=ブレの素晴らしさに気付くことができたのです! 現在、いくつかの宗派に分かれましたが、我々の所属する組織は「新世界を旅してチャイ=ブレに新たな知識をもたらすこと」が最大の目的です。そして、このロストレイル所有作戦はチャイ=ブレのご加護により成功を迎えました! まもなく、我々は新天地へ赴き、チャイ=ブレに新たな知識を奉納するのです!」 そう言って青年は思い切り手を広げた。 ※ ※ ※ 話を聞いた宇治喜撰はしばらく黙り続けた。 ライトがぴこぴこ明滅している。 やがて、導きの書から何か情報を得たらしく、UFO型世界司書はくるくると回り始めた。 :order_4_lostnumbers → まもなく、ロストレイル9号機が収奪されます。発進前に乗車し、奪還してください。 :submission → ロストレイル9号機の収奪を計画・実行した「みちびきの鐘」メンバー12名を捕縛してください。 :import 導きの書 → ロストレイル9号機の収奪に加担した「みちびきの鐘」所属のツーリストのうち、戦闘に長けたものは皆無です。 → その他「みちびきの鐘」所属外のツーリスト1名、同じくコンダクター1名が乗車しています。 → 上記二名は戦闘能力を所持しています。車庫にあったはずのロストレイルに乗車していた経緯は不明です。十分に注意してください。 :warning → 燃料不足。ロストレイル9号機は帰還したばかりの状態であり、搭載ナレッジキューブが尽きるまでおよそ二時間です。 → 燃料が尽きた場合、ディラック空間に浮遊することになり、非常に危険です。 → 「みちびきの鐘」所属のツーリストは0世界の仲間であるため、捕縛は許可されますが、殺害は許可されません。 :message 図書館 → ロストレイルの私物化利用は前例があり、現時点では厳罰には処されません。ただし、それは冗談で済む範囲という条件の場合だけです。 → 明確に世界図書館に敵対の意思を向け、ロストレイルを盗んだ場合の処遇は前述の限りではありません。 :Secret Mission → 「みちびきの鐘」は今回、ロストレイル9号機を収奪したメンバー以外にも複数組織がある事が確認されています。 → それらの組織の動きを鑑みて、今回のメンバーの処遇をどうするか(世界図書館による逮捕から、ロストレイル9号車の清掃まで)の提案およびそれに沿った「お膳立て」をお願いします。 合成音が指示を読み上げる。 宇治喜撰の身体から何色ものランプが光り、緑郎たちを照らす。「それで、そのロストレイル9号車はいつ奪われるのさ?」 :import 導きの書 → 18:00、決行「18:00ですか? あと七分しかありませんね。急ぎましょう」「準備もなしなの? うーん、悪い予感しかしないな」「急グ。ディラックの空間に出られたら、追いつけなイ」 わたわたと。 ばたばたと。 緑郎たちがロストレイル9号車を発見したのは、既に動輪が回転をはじめ車庫から一両目が出てきた所だった。「わわわ、間に合わない! 飛び乗るよ!」 走りこみ、飛びついて、しがみつく。 硬く閉ざされた出入口は押しても引いても開かない。 ワードが銃型のトラベルギアで狙いを定め、数発打ち込むとドアに小さな穴が空いた。 灰人と緑郎は穴に手をかけ、強引に引っ張り、こじあける。 程なくして開いたドアから、吸い込まれるように緑郎、ワード、灰人の三人はロストレイル9号機の車内へと転がった。 ※ ※ ※ がたん。 ――がたん。 車輪は回り始める。 ナレッジキューブを動力に変え、ロストレイル9号車は走り出す。「動力室と先頭車両、管制室は既に仲間が抑えています。さぁ、コンダクター様! 我々のリーダーに会ってください。そして、チャイ=ブレを通し、我々を新たな世界へ導いて――くはっ」「おっと、手が滑りました」 彼無垢な笑顔と共に、ラスの拳は青年の腹部に深々とめりこんでいた。「いやまぁ、深くはつっこまんけどさー」 どさり、と青年の身体が崩れ落ちる。 げしっと彼の身体を蹴り飛ばしたラスが窓を覗きこむと、ターミナルの風景はすでに後ろへと過ぎ去っていた。 彼らの経験上、まもなく、ディラック空間へとつっこむはずだと予測できる。「仕方ありません。このクソの仲間がいるはずですし、そいつら捕えて拷問して、ターミナルに引き返しましょう。面倒くせェ……」 最後の捨て台詞と共に、ラスが車体を殴る。 ガンっ! と重い音がした途端、ロストレイルにアラームが鳴り響いた。「おいおい、そんな思いっきり殴ったのかよ」 虎部が呟いた途端、車内放送が流れた。 ――侵入者あり。侵入者あり。「……ありゃぁ。もう見つかったか」 ――こちらは「みちびきの鐘」リーダー。同志諸君に通達。最後尾車両より三名の侵入者を確認した。「……三人?」 ――ドアを物理的手段で破壊、我々「みちびきの鐘」は彼らを戦闘能力を持ったテロリストと断定。「テロリストぉ?」 虎部が素っ頓狂な声あげてから程なく、ロストレイル9号機の車内に「テロリスト来襲!」と言う警告音と赤のランプが明滅を始める。 ―― 車内に搭載されたナレッジキューブが尽きるまで、残り118分。=========!注意!この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。ただし、参加締切までにご参加にならなかった場合、参加権は失われます。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、ライターの意向により参加がキャンセルになることがあります(チケットは返却されます)。その場合、参加枠数がひとつ減った状態での運営になり、予定者の中に参加できない方が発生することがあります。<参加予定者>三ツ屋 緑郎(ctwx8735)三日月 灰人(cata9804)虎部 隆(cuxx6990)ワード・フェアグリッド(cfew3333)ラス・アイシュメル(cbvh3637)======
「テロリストですか。ふーん」 車内に響き渡るサイレンと派手に明滅するランプや計器を見回し、ラスはその手に鉄の杭を出現させる。 後列車両からは凶悪なテロリスト、前列車両には謎の宗教団体。 ラスにとってはどちらの相手をするのも、……まぁ言ってしまえば「めんどーくさい」の一語に尽きる。 「テロリストと、みちびきの鐘がロストレイルを巡って争って、どっちもディラックの海に落ちたってことで話を進めようと思うんです。……適当な所で車両ごと切り離せばできそうですけど、貴方、口裏合わせてくれます?」 「おいおい、冗談きっついぜー」 「……え?」 沈黙。 サイレンが鳴り響く中の沈黙。 「……ああ、そうですね、冗談ですよ」 「今の沈黙は何だー!?」 「ちょっとしたお茶目なジョークです」 虎部のつっこみを笑顔でかわしたラスは、不意に腰を屈めると車両の床に手をついた。 手先から、ごうんごうんと駆動するロストレイルの動力が息吹のように伝わってくる。 「……………」 ぶつぶつ、ぶつぶつ、と何かを口中で唱える。 虎部の目には、ゆらり、と影が不自然に動いたようにしか見えなかったが、ラスの表情を見るになにか目的を遂げたらしい。 ――ちょっとしたトラップですよ、危険性は……、テロに対する自衛程度です、と彼の談。 あまりの素晴らしい笑顔に虎部はふーとため息をつく。 「で、どーするよ?」 後部車両に向かってテロリストの相手をするか、あるいは前方へ向かってみちびきの鐘と接触するか。 目を閉じ「んー……」と唸った虎部は、前方車両へと向けてゆっくりと歩き出した。 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 「ロストレイル、撃っちゃっタ……父さんニ怒られル」 白い毛皮に冷や汗をしみこませながら、ワードはおろおろと自分のトラベルギアを見る。 咄嗟の事とは言え、やりすぎた感がぬぐえない。 テロリスト! ドアを破壊! 武力で制圧を! などなど、スピーカーから流れる過激な言葉がワードの心をやわやわと追い詰める。 「ま、まぁまぁ。ああしなかったら間に合わなかったわけですし、ドアがあかなかったら振り落とされていましたと思います。神はお許しになりますよ」 「そ、そうかナ」 「そうですよ。それよりも、ほら……」 「……ア、うン。燃料の残リ、あと二時間、半分の一時間以内ニ、ルート、戻さなきャ」 自分のすべきことを思い出し、ワードは顔をあげる。 顔をあげ、最初に目に飛び込んできたのは、オウルフォームのセクタンにアイアンクローぶちかましつつ嘆息する緑郎。 すぐに事態を把握できず固まるワードに、空いている左手をひらひら振って緑郎は微笑んで見せた。 「あ、気にしないで。なんかこの雰囲気に雲丸がテンションあがっちゃったみたいでさ」 雲丸、とは彼のセクタン。 つまりは、まぁ、今、アイアンクローを食らっているオウルフォームの彼のことである。 「この列車が本当に未知の世界に行くなら雲丸置いて僕は降りるのになぁ」 「……あの、反応に困るのですが」 「あ、そう?」 灰人とワードが硬直しているのを見て取り、確かにいつまでもアイアンクローしているわけにはいかないなーと思い直す。 ――そろそろ握力なくなってきたしね。 緑郎はそのまま腕を後ろに大きく振りかぶり、車両後方へ向け、セクタンの雲丸を思いっきりブン投げた。 ごいんっ、という景気のいい音がする。 その音を完全に無視して緑郎は首をかしげた。 「さて、先頭車両に向かえばいいのかな?」 「はい。ここは最後尾のようですし、一つずつ先頭に向かえば良いと思います」 「うン。みちびきの鐘以外ニ、確カ、あと二人乗ってルハズ。その人達も探さないト。みちびきの鐘ニ、勧誘されタ人達かなァ……、二人しか来なかったノ? 衣装、原色ぱっちわーくじゃなくテ、ロボとかメカなラ、人、もっと集まったかモ」 「そういえば、何で原色パッチワークなんだろ?」 ふと頭を過ぎった疑問をとりあえず無視し、最初のドアをあける。 念のため、復活してきた雲丸を投げ込んでみるが、警戒していた爆発とかもないようだ。 「おかしいな。爆弾くらい仕掛けられてるかなーって思ったのに」 「……え? 思ったから、セクタンを投げ入れたんですか?」 「うん。あ、気にしないで」 手をひらひらと振る緑郎に、どうつっこんでいいものか分からず灰人はとりあえず黙る。 返答がない状況を肯定という事に決めてしまい、緑郎は次の車両へと歩き出した。 渡った先の車両もサイレンと赤ランプが大騒ぎの真っ最中らしい。 この様子では、今回のミッション中はずっとBGMがサイレンで、スポットライトは赤一色になりそうだ、と考える。 舞台なら間違いなく音響監督と照明監督にダメ出ししたいところではあるものの、残念ながら見渡す限り、音も光も舞台装置の演出ではなく、本物のアラートだ。 「さ、行こうか。……それにしても」 鳴り止まないサイレン。 何度も、がなり続けられるスピーカー。 「僕、此処でもテロリストなんだね」 がらがらと音を立て、立ち上がった雲丸の姿を見つつ、緑郎は遠くを眺めた。 「そういえバ、テロリストっテ、なあニ? ランプ、いっぱい光ってル。……もしかしテ、ロストレイル、ロボに変形すル? スル!?」 ワードの瞳が少年のようにきらきらと輝く。 彼のイメージでは接合部やアンテナが器用に変形し、ロストレイルが人型に組み合わさっているのだ。 「変形合体、ロストレイルロボー!」 腕を振り上げ、大きく盛り上がるワード。 そのままの勢いで列車接続部のドアを開けると、原色パッチワークの服を着た女性が振り返る姿が見えた。 じろりと睨まれて、それまで盛り上がっていた白蝙蝠のワードが咄嗟に黙り込む。 年のころ、……いわゆるオバさんと呼んでも本人以外には差し支えのないくらいの外見である。 また、それと同じくらいの年頃の男性が二人、左右に控えていた。 一人は小太りで女性よりも背が低い。 もう一人は高身長であり、がっしりとした体格だった。 彼らもまた、何故か原色のパッチワークのような、もとい、まんま原色パッチワークの服をまとっており、三人が大真面目に顔をつきあわせている様は何かのアトラクションのようである。 ワード、灰人、緑郎の姿を見止め、振り返った原色パッチワークの三人は無言のまま立ち上がった。 やがて、女性が口を開く。 「あんた達がテロリストかい?」 「いいえ、私達はここに、ええと」 「あ、そういえば言い訳考えてなかったね」 「そうですね」 緑郎のつっこみに、灰人が困ったものです、と頭を抱える。 原色パッチワークの女性は緑郎の姿を見て、ふふっと笑った。 「そこの貴方、新館長を誘拐したテロリストね。恩赦だって聞いていたけど、大人しくしてられなかったのかい?」 「ええと、うーん」 言いたいことが色々、色々、そりゃもう色々あった緑郎だが、とりあえず様々な言葉を飲み込み、自分の額に手のひらを当ててとりあえず口を閉じる。 原色パッチワークの男性のうち小太りな方が、ぼそぼそと女性に耳打ちをした。 うんうん、と頷き、ニヤリと微笑んだ女性は緑郎の姿を半眼で舐めるように見回す。 体格のよいマッチョ青年が一歩進みでた。 「ちょうどいい。少年、いざという時の保険になってもらおうか」 「保険?」 「さすがにねー。ロストレイルを奪ってわけだし、もし世界図書館が本気で奪い返しに来たら、今回の計画立てた十二人だけで本気の世界図書館とケンカする度胸はないワケさ。勿論、計画では全力で突っ走ってして、他のロストレイルが奪い返しに来れないくらい遠くまで逃げて、そんでもって、適当な文明持った世界にチャイ=ブレの教えを広めるついでにそこでパラダイスを建設しようー。って、腹積もりではあるんだけどね」 「あ、アネさん? そんなペラペラと……」 静止を聞かず、女性は喋り続ける。 「今考えておけば、車掌は放り出しておくべきだったねぇ。もし途中で故障したり操縦の時に役立つかとも思ったけれど、人質みたいにしてしまったんだから、助けにも来るってもんだ」 「え、車掌って乗ってるの?」 「ああ、乗ってるよ。先頭車両にいるんじゃないかね」 「ありがとうございます。と、いう事は人質がいらっしゃるのですね。それでは私達は車掌さんを助けに行きますので……」 笑顔のまま、和やかに通り抜けようとした灰人の進路を小太りの男が遮った。 同時にワードの前にはマッチョが立ちふさがる。 そして、緑郎の前には女性が。 ちら、と左右を見渡し、緑郎はいきなり声を張り上げた。 「ああ、なんかこういう舞台やったことあるよ。確かスラム街でミュージカルをやろうっていうストーリーでさ、ボロキレ集めてステージ衣装にするの」 こういうダンスで、こういう歌で。 その時、僕はこういう役柄で、と大きく手振りを使って話をどんどん進めていく。 ついに見かねた女性がマッチョ男の二の腕をつつくと、男は緑郎を捕まえるべく手を伸ばして来た。 マッチョの視線が灰人からそれる。 咄嗟に灰人は首から提げていたロザリオを掲げた。 その動作に振り返った三人に向け、灰人の手の中のロザリオが思い切り光る。 「このロザリオが目に入らぬかー!」 うおっと唸ったマッチョが目を押さえて通路にしゃがみこんだ。 チャンスとばかりに灰人は服に手をつっこむと、ぱらぱらと米を撒き散らす。 「清貧をたっとぶ信仰の徒なら日々の粗食に飢えてるはず……さあ餓鬼のように亡者のように白米に群がりなさい!!」 高らかに宣言する灰人。 静まり帰る車内。 どう反応していいものか分からず立ち尽くす五人。 叫んだ灰人も、それはそれでどう動けばよいのか分からず固まった。 目が、私の目がー、と唸って転がりまわっていたマッチョがようやく立ち上がるくらいの時間、そのポーズのまま立ち上がっていた灰人は、通路に座るとロザリオを両手に握りしめて祈りだした。 「……おおお。聖職にあるものが、食料を目の前に群がらないとは! 清貧を旨とする聖職にあるものにあるまじき精神。なんという人心の荒廃! 神よ。どうか、このもの達をお許しください!」 「ええと、別にチャイ=ブレは貧しくあれー、なんて言ってないような」 小太りな男がぼそりと口を開く。 その言葉を聞き逃さなかったのか、灰人は彼の目の前までずずっと進み出ると一枚の写真を突きつけた。 「いいえ、そんなのは黙っていても通じるべきものです。分かりやすく話をするため、私の妻の話をしましょう。私の妻――アンジェリカはそれはもう素晴らしい女性で」 これは、長くなる。 そう直感した緑郎はワードの手を引き、こっそりと三人の後ろを通り、次の車両へと移動する。 なるべく音を立てないように、立てないようにと、静かにドアをあけ、必要最小限の隙間から次の車両へ移ると、もう一度、今度は静かに静かに扉をしめた。 やがて、完全に扉が閉まり、緑郎とワードは顔を見合わせて、ぷはーっと息を吐き出した。 窓から見る限り、灰人のトークはまだまだ続いているようだ。 原色パッチワークな彼らの話では先頭車両に車掌が捕まっているらしい。 さしあたって灰人の喋りの技術、……ここは格好良く『説法の腕』という事にする。 彼の腕の良さからして、少なくともしばらくは危害を加えられる事はないだろう、と判断し、緑郎は更に前方車両へと向けて走り出した。その次の瞬間。 ――ワードの足首に狼の形の影が絡みつき「痛イーーー!?」と悲鳴があがった。 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ぬぅっ、という擬音語が虎部の脳裏に急浮上する。 虎部の目の前に現れたのは2mを遥かに超える大男だった。 頭部はぬっぺりと禿げ上がり、肥満と形容したくなる体型ではあるが腕や肩口には脂肪に埋没していない筋肉の片鱗が見える。 そして、その衣装は原色パッチワークで出来ていた。 恰幅に相応しくないほど筋張った手のひらで、時代がかった原始的な武器、いわゆる棍棒を掴んでいる。 「お、おいおい。ちょっと待てよ」 「おまえら、テロリストか?」 「違いますよ」 うろたえる虎部の横で、しれっとラスが返答する。 「じゃ、なんだ」 「ええと、……話し方からして総身に知恵が回りかねているタイプの巨漢ですね。私たちはテロリストではありませんよ。みちびきの鐘のリーダーに会えと原色パッチワークの青年に言われました」 「お前ら、コンダクターか?」 「そっちの虎部さんはコンダクターです。で、巻き込んでくれたお礼にリーダーをシバきに行きたいので通してください」 ラスはにっこりと笑顔でえげつない言葉を吐く。 ここに来て、先ほどの会話と今回で直接的にバカにされていた事を理解したか、大男は棍棒を握りなおした。 「おまえら、妖しい。リーダーに会わせる前に、ふんじばってやる」 ごうんっと振り下ろされた棍棒が車両の床を僅かに抉る。 軌道上にあった椅子の装飾が欠けて、破片が舞い飛んだ。 あまりの単純軌道故に、棍棒を避けるのに造作はない。 左右に跳ね飛んだ虎部とラスは共に武器を構える。 「ロストレイルの車両内で暴力はよくないですねぇ。虎部さん、ちょっと話し合いをしてくれません? そういうの面倒くさいですし」 急に話を振られて、虎部がやれやれと通路に進み出る。 両手をあげてすたすたと歩み寄る虎部に、大男の方も棍棒をおろして睨みつけてきた。 「ほら、セクタンだ。セクタン。ナイアってゆーんだ。よろしくな」 虎部の手の中でデフォルトフォームのセクタン、ナイアはぺこりとお辞儀する。 大男としばらくみつめあい、ナイアは手持ち無沙汰になったのか踊り始めた。 「お前らの話によると、セクタンってチャイ=ブレの使いなんだろ? 殴るなよ」 確かにセクタンは神聖なるチャイ=ブレの使いである。 でもって、目の前の二人は仲間ではない侵入者である。 ひょっとすると三人いるというテロリストの仲間かも知れないし、そうでなくても敵には違いない。 それならばさっさとふん縛ってしまうべきではあるのだが、やはりセクタンを盾にした相手を攻撃するのは躊躇われるらしい。 大男 総身に知恵が 回りかね。 巨体に反して小さな脳みそで彼は必死に葛藤を始める。 教義と今の状況とどちらを取るべきか。 大男は腕を組んで悩みはじめる。 しばらくして、ふと頭をあげたかと思うと、巨体はゆっくりと通路に崩れ落ちた。 崩れ落ちた大男の後ろはラスが立っている。 手に持っている鉄杭で大男の後頭部を強打したらしい。 血がついてないかな、とチラ見した限りでは問題があるようには見えなかった。 突き刺したりはしていないらしい。 「で、どうします?」 「そうだなぁ。変に抵抗されても厄介だし。……やっぱリーダーに話をするべきかな。なんかいいアイディアはあるか?」 「考えるのも面倒なので、お任せします」 しばらく真面目な顔をして考えこんでいた虎部だったが、やがて、彼はにやぁっと悪い笑顔を浮かべた。 「なぁ。……ちょっと悪ふざけしようぜ!」 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ いくつの車両を渡っただろうか。 緑郎とワードの道行きに、何故か邪魔者は表れていない。 四両目を超えたあたりから接続部分の扉の前にガラクタが積み上げられ、バリケードのようになっており、通り抜けるために数分の時間を要するものの、先ほどの影の狼の襲撃もなく、順調に歩を進めることが可能だった。 ワードの足も数分の間、歩く度に痛みが走ったものの、実際の傷がついていなかったためか気付くと疼痛も綺麗に消えている。 接続部分の扉を前に、緑郎が立ち止まった。 つられてワードも立ち止まる。 車両番号は1。 二人は知らないが、虎部とラスが大男と対戦した舞台である。 大男の姿はすでになく、二人が気付いたのは床や椅子についた棍棒の傷跡だけだった。 意を決し、扉を開ける。 これまでの客室とは違い、いかにも機能重視でありパイプやレバー、スイッチの類が所狭しと並んでいた。 運転室の窓にディラックの空の姿がありありと映し出されており、窓の前には原色パッチワークの人物が6人綺麗に整列している。 中央に大きな一人用のソファがあり、そこに座した人物はワイングラスを片手に窓へと姿勢を向けていた。 緑郎とワードの到着に気付き、原色パッチワークの信者が何事か耳打ちする。 その人物は二人に背を向けたまま、くくくっと微笑った。 「フゥ……。彼らが動き出しましたか。まったく迷える羊は従順にしていればいいものを、時に暴走するから始末が悪い」 やがて、そのソファがくるりと回転する。 「我がファミリーにとって不都合な事案は早めに『処理』する必要がありますね……」 少年、と形容するには少し年を取っている。 青年、と形容するにはややあどけなさが残る。 オールバックの彼は椅子に座ったまま、優雅な仕草で少し手をあげた。 「緑郎ちゃん! ファミリーの意思の下に!」 声を発した人物。 つまり、虎部が突然、にこやかな顔で挨拶をかました。 彼の背後にいる原色パッチワークの集団は背後で手を組んだまま微動だにしない。 「……」 「……」 とりあえず、虎部も緑郎もそれ以上の言葉を発しない。 お互いに、お互いの出方を待っていた。 先ほどの虎部の挨拶の後、十人近い人間がいる狭い運転室は無言に支配される。 数十秒の静寂。虎部は笑顔のまま、みちびきの鐘の信者達は真顔のまま。 緑郎とワードは事態を把握しかねて、どういう顔をしていいのか迷っていた。 やがて、沈黙に負けたか、緑郎が疑問を投げかける。 「……ファミリー?」 「いや、言ってみただけ」 そういって虎部はうんうん、と大きく頷く。 「ええと、ワードさん。銃に弾込めてたよね?」 「うン。でモ、麻酔弾。使いたくないけド、一応準備してるヨ。ロストレイル、これ以上壊さないようニ、気をつけル、もう穴開けちゃったシ……」 「目標、虎部さん。全弾発射!」 咄嗟に大声を出した緑郎に反応し、ワードは銃口を虎部に向ける。 狙いを定める段階で、ホントに撃っていいの? と目で問いかけた。 「構わないから撃っちゃいな。死ななきゃいいよ、死ななきゃ」 「で、でモ……」 「緑郎ちゃん、本当に撃つのは酷いぜー」 「あれは虎部さんのニセモノだから撃っちゃっていいよ」 「え、俺ってニセモノだったのか!?」 「本物の虎部さんなら、銃口を向けられたら反射的に全裸になって中途半端にソーラン節を歌いだすけどサビの部分以外は全部「ふふふーん」みたいにリズムだけでごまかして、右手にオタマを、左手にシャベルを持って、右足でけんけんしながら「じゅもんつかうな!」って叫ぶはずだよ」 「くっ、そんなことができない俺はやっぱりニセモノだったのか!?」 真顔でのやりとりにワードはひたすらに混乱する。 撃っていいものか、悪いものか。 結局、実弾ではないとは言え、動力室の計器や窓ガラスを破壊することを恐れて、銃をおろした。 虎部は笑顔とともに緑郎にブイサインを掲げる。 「やりぃ、俺の勝ち」 「残念。……で、後ろの人達は何なのさ?」 「いやなー。動力室に入って、ナイアを見せてさ『コンダクター様だぞ』って言ったら、そこの初老のおっちゃんが『チャイ=ブレの使い!』とか言い出してくれてさー」 その言葉にあわせ、原色パッチワーク集団の中から一人が歩み出る。 ぺこりと頭を下げ、我が『みちびきの鐘』は……、と語り始めた。 「あノ、……時間、大丈夫? もうそろそロ、ナレッジキューブがなくなルハズ……」 「え、ナレッジキューブなくなんの? ……そうなの? リーダーのおっちゃん」 初老の男が目配せをすると、原色パッチワーク集団の中から一人が歩み出て計器を確認する。 メーターの上部で、タンクが空になった事を示す簡易記号のランプがちかちか点滅していた。 一応、燃料不足を知らせるチャイムも鳴っていたようだが、テロリスト侵入の警笛にかき消されていたらしい。 信者の間にざわざわとどよめきが起きる。 あちゃー、と呟いた虎部はぽりぽりと頭を掻くと、ソファの上にすっくと立ち上がった。 「ナイアを通じ、チャイ=ブレの言葉を汝らに伝える!」 しーん、と静まり返る。 「とりあえず、警笛止めよ。うるさいし。そして……汝ら、罪なし!」 おおおおお、と感動の声があがった。 中には抱き合って喜んでいる信者の姿もある。 虎部は満足そうに頷いた。 「おお、なんか気持ちいいな!」 「チャイ=ブレの声って?」 「てきとー。コンダクター様だーって言ったら、なんか信じてくれたみたいだし」 「ワードさん、やっぱこの人。撃っちゃっていいよ」 「エ? エ?」 よいしょっと掛け声を出し、虎部はソファから飛び降りる。 実際に自分で計器を確認し、――見方がよくわからないが、示された計器の記号を見る限り、確かにナレッジキューブの残量は足りないようだ。 「燃料が足りないんなら引き返さないとなー。リーダーのおっちゃん、引き返してくんね? 腹も減ったし」 「御餅持って来タヨ」とワード。差し出した包みを開けるやいなや虎部はぱくぱくと食い尽くす。 「いいえ、コンダクター様。我々の旅は始まったばかり。燃料が足りずとも、食料が足りずとも、チャイ=ブレのお導きにより、必ずや新世界へと辿り付けるでしょう」 言葉を変え、虎部は説得を試みる。 しばらくして「引き返すべきでは……」という声が原色パッチワーク集団の信者からもあがったものの、リーダーであるという初老の男性は首を縦に振ることはしない。 ――「我々はチャイ=ブレを信じております」 ――「旅の安全は、チャイ=ブレが保証してします」 ――「仮に旅の途中で死すような事があっても、それはチャイ=ブレに必要な犠牲なのです」 ワードが「ちょ、ちょっト待っテ」と進み出る。 「みちびきの鐘、やろうとしてる事。新規信者の獲得、それっテ、<真理>を教えテ、無理やり覚醒させるこト? それハ旅人の約束、破ることになル、チャイ=ブレはそれを望むのかナ?」 「ええ、その通りです」 「……あっさリ、うンって言われタ」 リーダーは信者一同を振り返った。 「信者の皆さん。世界図書館やコンダクター様が何とおっしゃろうと、我々はチャイ=ブレに導かれて来たのです。チャイ=ブレの意思にそぐわないというのであれば、今、我々が新たな世界へ向かっていることはありえません。つまり今、ロストレイルが動いていることそれそのものが、この旅がチャイ=ブレの意思によるものである明確な証拠です。我々が自分の意思で引き返す事はありえませ――」 ごすっと鈍い音が響いた。 いつのまにか現れたラスが、リーダーの身体を抱きとめている。 首筋に手刀を叩き込んだのだとジェスチャーで示して見せた。 「ごちゃごちゃ、ごちゃごちゃと……。クソやかましい事をホザいてるんで、黙って貰いました」 「あー」 チャイ=ブレへの信仰を語る途中にリーダーが倒れた。 これは殉教か、いやでも死んでないから、などと信者達がざわつきはじめる。 虎部が信者に「いや、大丈夫だから。汝ら罪なし!」と呼びかけるが、どよめきは抑えられない。 やがて、戸惑いが敵意に変わり始めた頃、今度は緑郎がソファの上に立ち上がった。 「信者諸君」 凛と張った少年の声。 幼さの残るやや高めの声ながら、威厳をこめ重々しい口調で語りかける。 決して叫ばず、決して怒らず。 感情すらも抜き去った重厚な語り口は、ざわめく動力室内を易々と包み込んだ。 「信者諸君よ。私はチャイ=ブレの使い。諸君の服装に用いられるパッチワークの緑色に例えられる、チャイ=ブレの意思を語る者です」 荒唐無稽なセリフである。 にも関わらず、非常時ゆえの興奮と、緑郎の持つ威厳により妙な信憑性があった。 緑郎自身、思ったより上手くいきそうだと内心で微笑う。 声量は発声練習の賜物であり、演技については一家言がある。 後は、うまく騙しきれるかどうかが勝負の分かれ目となるだろう。 「我らがチャイ=ブレは私のセクタンを通じて伝えています、未だその時ではないと。――ってことで、あんたら弱いんだから無茶しない。そろそろ夕飯の時間だよ、ハウスハウス! ほら、そこのキミ。進路をターミナルに向けて。それからそこのキミは車掌さんを連れてきてよ。それから帰っても世界図書館にケンカ売っちゃダメだよ、今此処で逆らって権力に信仰を踏みにじらせる理由を作ってはならない。ごめんなさいしときなさい」 一斉に動き出す信者達。 その中の一人が原色パッチワークのフードを開き、動こうとしている信者の肩を掴んだ。 「ちょっと待っ……」 ごすっ。 さっき聞いたのと似たような音がして、やはり彼も地面に倒れる。 もちろん「偶然」にも、ラスはその背後に立っていたので優しく受け止めた。 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 「聞いて下さい。故郷の妻を想うポエム、湖畔のアンジェ」 ――それから始まって、どの程度の時間が経ったのだろう。 灰人は自作のポエムを丸々一稿、感情豊かに朗読を終えた。 ポエムの内容はいかに妻を愛しているか、という第三者にはこの上なくどうでもいいものであり、灰人にとっては信仰や命よりも遥かに大切なものであった。 どん引きしていた三人組の表情が、引きつった笑顔から、しらーっとした冷徹な瞳に変わり、さらには青ざめ、ついに何かを諦めたような顔に変わっている。 「以上、ポエムの第一編でした。いかがでしょう。少しでも伝わればよいのですが」 灰人はにこりと微笑んだ。 ロストレイルが引き返していることも、ナレッジキューブが足りないことも気に留めない。 忘れ去ったわけではない。ほんの少しの時間だけ、彼らに妻、アンジェの魅力を伝えても良いだろうと考えてるだけだ。 だが勿論、聞かされている方にとってはたまったものではない。 なんとか話題を逸らそうとするが半ば強引に無理矢理話題の矛先を灰人に修正されてしまう。 「まずはなんといってもそのえがおがさいこうだとおもいますたとえるならたいようのようないいえつきのようなというべきでしょうかにゅうわでやさしいえがおをたやしたことがないのですもちろんにんげんであればこそいかりやにくしみかなしみのかんじょうをけしさることなどできないのかもしれませんですがなにがあってもかのじょはいちばんさいごにはかならずわらっているじょせいだったのですとびきりのえがおをみればこのせかいのかなしみなどすべてふきとんでしまうでしょうわたしはこじいんのめんどうもみているのですがアンジェのきょうりょくなしにやっていけたはずがありませんかのじょはふこうなこどもたちにとびきりのぼせいをあたえることのできるじょせいですやはりたいようとたとえるのがてきせつなのかもしれませんねですがたいようとちがうところはなつのひざしのようにきびしいものになることはありえませんこじいんのこどもたちをしかるときにもあいじょうをもってしかりますすべてはこどもたちがまっすぐにそだつためのものですのでやはりぼせいのけしんなのですそういえばこじいんのこどもがちかくのざっかやからぱんをぬすんだことがありましたそのときのかのじょはけっしてしからずにまずりゆうをきいたのですそうするとこどもはすてねこにあげるえさがほしかったのだというではありませんかアンジェはぱんやさんにあやまってくるようこどもにさとしじぶんもついていってふかくあたまをさげたのですぱんやさんもかのじょのせいかくはしっていますからそういうことならとゆるしてくれましたがそれもこれもひごろのじんとくいがいのなにものでもないと……――あの、聞いていらっしゃいますか?」 言葉が頭に入ってくる前に次の言葉が頭に攻め込んでくる。 聞いていますか? という問いに対して、反射的に頷く。 聞いていないなどと言ったら最初から語りなおされるかも知れないという恐怖ゆえに、だ。 では第二編です、と次の本を開いた灰人に、三人は両手と首をぶんぶんと左右に振った。 「遠慮はいりません」と灰人は本を開く。 最初の一文字を読みだすべく声を整えていると、ぴんぽんぱんぽーんと軽快なチャイムと共に車内放送が入った。 『こちらは先頭車両です。乗客の皆さん、ナレッジキューブをお持ちであれば、すぐに動力室に寄贈をお願いします』 それから端的な説明、つまり燃料が尽きた、という絶望的なアナウンスが続く。 だが。 原色パッチワークの三人には、そのアナウンスがすべての苦痛から解放される福音のように聞こえた。 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 「ナレッジキューブをかき集め燃やそう。皆で本当に心から祈るのです。神とかではなく皆の想いに対して真摯に! 心の中の信じる心そのものをあがめるのです。で、俺はキューブを、がめる! なんてな!」 あっはっはっ、と自分のネタで大笑いする虎部を尻目に、解放された車掌は黙々と乗客のナレッジキューブを集めていた。 どうやら足りそうです、と車掌の言葉に一同は思いきり安堵する。 「手持ちのナレッジキューブで足りるといいけど。必要経費で落ちるかな、これ」 解放された車掌にナレッジキューブを手渡す。 乗客全員の手持ちキューブを集め、車掌は動力室へと入っていった。 「今のうちニ、他の宗派の情報も知りたイ」 ワードは手持ち無沙汰そうになった信者に『他の宗派』について話を向けた。 一応緊急事態であるという事から信者から聞き出せる話は限られる。 結局、武闘派組織や原理主義、穏健派に中道派、気軽なものから本気で命をかける人向け。 唯一神、チャイ=ブレに関わる宗派は多数存在し、各宗派の公称信者数を合計すると何故かターミナルの全人口の三倍量を軽く突破するらしい。 ワードの周辺に「みちびきの鐘」の信者がいない事から察するに、公称と現実のズレは海より深いのだろう。 「信者獲得ならカンダータはどう?あそこにもスレッドライナーがあるじゃない、中古とか貰えるかもよ」とは、緑郎の発言である。 「まもなく、ターミナルに到着します。皆様、ご着席ください」 車掌のアナウンスからしばらくして、ホームへとたどり着く。 てっきりターミナルの治安維持部隊が待機しているかと思ったが、出迎えたのは茶筒が一本。 もとい、宇治喜撰のみだった。 一番最初に車両から降りたのは緑郎である。 「戻ってきたよ。実はこの人達、自主制作映画を作ってたんだって。撮影中いつのまにか列車が動き出してたらしくて。勝手にロストレイル使っちゃダメだよねー? だから、反省文とか書かせて、ロストレイルの車両清掃と三ヶ月のボランティア活動、ってあたりで手を打つのはどうかな?」 ――accepted. 宇治喜撰の画面に文字が浮かぶ。 つまりは承認されたということなのだろう。 それを合図にロストレイル全車両の扉が開いた。 灰人はホームに降り立つ前に信者一同を振り返る。 「神とは人生に指針を与えるもの……しかし、実際に運命を切り開くのは人の力でしか有り得ないのです」 言いたいノロケを思い切りいえたからか、灰人はそこそこに爽やかな笑顔である。 「じゃ、隅々まで舐めるように磨くんですよ」とラス。 「はっはっはっ、汝ら罪なし」 「もちろん、虎部さんもね」 「なにー!?」 「ロストレイルの掃除、僕もやル。穴開けちゃったシ……」 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 後日、三ツ屋緑郎の元に「信者認定証」および「高僧認定証」なるものが送付されてきた。 『高僧様の提案なされたカンダータにおける布教活動およびスレッドライナー入手について、お話をさせていただきたく……』 そこから先はまた別の話。
このライターへメールを送る