木々が生い茂った、暗く深い森のなか。 びぃええええええええええええええんんんん! 空気を切り裂いた悲鳴ならぬ泣き声が響き、その周囲一体の生き物たちを驚かせた。 その声の主――白い兎の姿に、可愛らしい執事服を着たそれの目の前ではあまりの大きな声に失神した熊がいた。「う、ううっ。こわいよ。こわいよ。うぇん。よくわかんないよ。もうやだよぅ……つかれたよ。おなかすいたよぅ」 同時刻。 びぃえええん! ――森全体を揺るがすほどの大声にざわざわと木々が音をたて、鳥たちが空に舞う。ちょうど、森にはいっていたキコリのドワーフが驚いて空を見上げると、銀の円盤が見えた。「なんだ、ありゃ」 ドワーフは頭をかしげた。★ ★ ★「ロストナンバーの保護してほしい」 切り出したのは世界司書・黒猫にゃんこだ。その名前の通り本来は黒い猫の姿を持つのだが、時折気分によってその姿をころころと変える変わり者だ。 今は十代後半の生意気そうな青年の姿――猫耳と、黒い尻尾がはえているが。「場所は、深い森のなかで、昼間だけとかなり暗いから気をつけて。で、保護対象なんだけども執事の姿をした、一メートルくらいの見た目の兎なんだ。あ、二本脚で歩いてるし、会話可能だから。普段は人懐っこいらしいけど、今は森のなかで混乱していて泣き続けてるみたいなんだ。 ……で、その声がでかいんだ。 それ声のでかさは半端なくってね、もし目の前で泣かれたら下手したら失神するレベルだから。まぁおかげで森のなかでも危険な動物を気絶させてるみたいなんだけどさ。ほら、大声って目立つだろう? それに声に興奮した野生動物がいないとも限らないし、森のなかだと狼とかもいるし。まぁこちらが安心だ、恐くないってわかれば泣きやんでついてきてくれると思う。ただ」 そこで渋顔を作って言いづらそうに、現時点では不確定の要素と慎重に言葉を選んで続けた。「見えたのが……不思議な男の二人組で、こいつらがなんとなくやばいかんじなんだよね。もしかしたら戦う可能性があるし、保護に失敗すると連れ去られるっていう可能性もあるから」★ ★ ★「おっ……ありゃ」 キコリのドワーフが薪を背負って街へと帰ろうとしていると、その先から妙な二人組の男が歩いていた。 片方はロープのような黒い衣服を身につけ、もう片方は体に沿うように造られた衣服をつけている。 こんな森のなかに特に何も持たずにはいるなんて珍しいな その程度の気持ちでドワーフは二人組をちらりと横目で見たあと、気にせず街へ向かった。そして、その二人組のことはすぐに忘れてしまった。「任務を開始します」「おーお、こんなでかい森のなかを……まったくめんどくせぇなぁ。馬鹿な生き物もいるし、よっ!」 びぃえええん――! 再び聞こえてきた泣き声に、混乱して森の奥から飛び出してきた鳥。黒い衣服の男は拳でたたき落とし、もう片方の男はその手に持つ黒い銃で撃ち落とした。「任務の障害は速やかに排除します」「ふん。邪魔なやつらがいたらいっそ保護するやつも始末しちまうのもいいかもな? さて、ひと暴れするか」 そして二人組の男は森へと進みだす。
明るい青色を広げた空に君臨するのは、眩しいほどに輝く太陽。惜しみもない光によって大地を照らす。 背の低い草、好き勝手に生えた木に囲まれた道なき道を進んだ先に暗い闇を孕んだ森の入口が静かに佇んでいる。 このまま森の奥へと進まなければ天候の良さと各自が持つ荷物のせいかピクニックにきた、といっても過言ではない。 しかし、ここにいる五人――リニア・RX-F91、ディーナ・ティモネン、イェンス・カルヴィネン、サシャ・エルガシャ、レナ・フォルトゥス――彼らの目的はこの森の奥にいる迷子になって泣いている兎の保護だ。 一歩森のなかへと足を踏み込めば、それだけで世界は昼間から夜へと変貌したように変わる。 それは縦横無尽に生えた木々は枝を気ままに伸ばして空から降り注ぐ光を遮って、光は申し訳ない程度に黒い地面に零れ落ちているだけだ。 ちりりっ……虫の囁きにどこからか鳥の歌声、獣たちの押し殺した息づかいが微かに聞こえてくる。 鼻孔の奥をツンッと刺激する湿った葉と土の匂い――人間がいかにちっぽけな存在かということをいやというほどに思い知らせる巨大な自然が両手を広げて五人を迎える。 「見かけない人ばかりですね。あたしはレナ・フォルトゥス。よろしくですわ」 レナは今回一緒の依頼を受けた仲間たちに優雅に微笑みを向けて挨拶をする。せっかく同じ依頼をこなすのならば親睦を深めておきたい。 なにより今回はただの保護ではなく、危険の影があるとすればそれを協力して回避したい。 「ワタシ、サシャ・エルガシャです!」 人懐っこいサシャが続き、それに穏やかな声で黒一点のイェンス、可愛らしい笑顔のリニア、おずおずとディーナが名乗って挨拶をかわした。 「それにしても、泣き虫ねぇ……」 「大人でも途方に暮れる状況だし、不確定要素も気になるしね……兎君にこれ以上辛い思いをさせたくない。早く見つけてやろう」 イェンスの緑の瞳が同情をたたえて鬱蒼とした森を見つめる。 「がんばらないといけませんね! きっとすごく怖がっていると思うし」 やる気満々でサシャが拳を握りしめる。その瞳には強い優しさの輝きが溢れている。 「あたしが空から兎さんの居場所をセンサーで探してみます」 提案したのはリニア。 見た目は可愛らしいが、ロボットである彼女には飛行能力があり、センサーもついている。 「下からより上からのほうが探すのには効率がいいよね。別々はあんまりよくないと思うけど、空からなら危険はないと思うし」 ディーナが賛同する。 「はい。それに、ノートでみなさんに場所をお伝えできます。あと問題の二人組がいた場合も伝えられると思います」 「うん……出来れば森のなかでの鉢合わせは避けたいね」 ディーナがサングラスに隠れた目を細めた。 「じゃあ、さっそく空から」 「待ってください。今回は出来るだけ早く動けるように魔法をみなさんにかけますね。あと魔法の耳栓を持ってきたので、これを使ってください。普通の耳栓より音を遮断してくれます」 レナが差し出した魔法の耳栓にみんなが注目する。 兎の大声については事前に忠告されていたので各自、耳栓はあらかじめ用意していた。むろん、それがどれだけ役立つか、という疑問点はある―― びぃええええええええええええええええええええええ! 森に響く、鼓膜をハンマーで叩かれたような声に全員が目を瞠る。 「……すごい大声」 サシャが目をぱちぱち瞬かせる。 「あれだけの声だと、普通の耳栓をしていても傍にいたら気絶してしまうね」 ばさばさと驚いて飛び立つ鳥たちの羽ばたきを聞きながらイェンスがぽつりと呟く。 「耳栓、一応、用意したけど……ここはレナさんの用意した魔法の耳栓を借りたほうがいいみたい」 ディーナの言葉に、レナは微笑んだ。 「多めに用意しておいて正解でしたね。では、魔法もかけますね」 そのあと、レナはすぐに仲間たちに「アクセラーレーター」をかけた。これで慣れない森の道であっても通常よりずっと早く移動できるはずだ。 そのあと、自分自身にはセンスエネミーをかけておいた。これは敵を感知するためのもので、リニアのセンサーのことは頼りにしているが、空と地上ではどうしても時間差が生じるので、そのための安全対策だ。 「じゃあ、改めてあたしは空からみなさんをサポートしますね」 「リニアさん、耳栓は?」 「あたしは音感センサーを弱くしますから大丈夫です。では、行きます」 ふわりとリニアが音もなく宙に浮き上がり、空へと飛び立つ。 その様子を地上に残された四人は見送り、無言で頷きあい、鬱蒼とした森のなかへと踏み込んだ。 レナの魔法のおかげで、四人は森を通常よりもずっと速いスピードで進むことが出来た。 しかし、舗装された道ではないため、凸凹が多く、靴を履いていても足の裏にちくちくと痛みを与える小石、蔦や草に足をとられそうにもなることが多々あった。 進めば進むほどに木は巨大になり、何年もかけて成長した大樹や巨大な岩によって行く手を遮られることもしばしばあり、そのたびに迂回するので時間はかかり、体力が奪われていく。 森の奥へと進めば進むほど汚れのない空気は身を裂くほどなのに研ぎ澄まされ、足を止めるとぶるりっと震えてしまうほどに冷たい。 サシャやイェンスの額には大粒の汗が浮かび、歩いているだけなのに全力疾走したかのように息は乱れていた。 「これだと、コンパスを持ってきても、たぶん使いものにはならなかっただろうな」 「そうですね……ふぅ」 「大丈夫かい?」 イェンスはサシャを気遣う。 「ワタシはぜんぜん平気です。それより兎さんを早く見つけてあげなくちゃ!」 「そうですね。けれどときどきは休憩を入れましょう。いくら急いでも慣れないまま歩くと足を痛めて、それこそ効率が悪くなりますからね」 気丈に微笑みながら気遣うレナもやや息を乱していた。 そのなかで一人だけ――ディーナは汗一つかかずまるで昼間の道を歩くように障害物もうまく避けながら進んでいく。 彼女の目にはどれだけ暗い森のなかでも、昼間とさして変わらないくらいに見えるのだ。 その目を活かして、ディーナはみんなの先頭に立って、邪魔な木々の枝を切り、歩きやすいように道を作り、小休憩をいれるときも、先行して障害物がないか確認を積極的に行った。 びぃええええええええええええええええええええええええん! だいたい十分間隔で泣き声が聞こえてくる。 その声がだんだんと近づいている証なのかもしれないが、泣き声を聞くたびにまるで耳元でしつこく鉄を打ちつけられたかのようなキンキン音が耳の奥に響いてくる。 「えっと、今の声、こっちだよね?」 「ディーナさん、声はあっちからよ」 レナが示すのはディーナが示した方向とはまったく逆方向。 「……え、あれ?」 レナは苦笑いを零す。 「……ごめん。方向についてはお願い」 「ええ、任せてください。ディーナさんは他のことで頼りにしているんですから」 がざっ。 物音がしたのにレナがぎくりっと身をかたくする。 「敵? もしかした、例のやつら? ……二人は下がっていて!」 ディーナはいつでも戦えるように腰を落とし、レナが星杖を握りしめる。 サシャとイェンスはレナたちの邪魔にならないためにも後ろで、いつでもフォローができるように身構える。 「敵……いえ、違いますわ。殺意は感じられません。むしろ、怯えて、あっ!」 レナが片眉を持ち上げて呟くと、暗い闇からそれは勢いよく飛び出してきた。 四つの足、太い胴、息を切らして何度も地面を打つそれは――興奮した鹿だ。それも二頭。飛び出した先にいた四人に驚いたのかひぃいいと低い声で威嚇してくる。 「っ」 予想していなかった事態にディーナが息を詰める。 敵と判断できれば容赦なく叩けるが、相手は鹿だ。人を倒すのとはわけが違う。なによりもただ大きな音に驚いて逃げ惑っている獣を力任せに倒すというのはあまりしたくない。 ディーナの前にイェンスが素早く飛び出し、鹿にしゅうと何かを吹きかける。 「グィネヴィア、もう一頭を頼むよ」 それに応えるように、黒い髪の毛がまるでロープのようにもう一頭の興奮した鹿の体を縛って乱暴に落ち着けにかかる。 二頭の鹿はふぅふぅふぅと荒い息をさせて何度が小さく嘶いたあと、落ち着いたらしく動きを一度とめて、すぐに方向転換して走り去っていく。 「今のは……」 「これだよ。もしものときと思って持ってきて正解だった」 イェンスがディーナに差し出されたのは暴徒鎮圧スプレー。 「あまり時間がないからああいうのと関わるのは最低限にしたいからね。それに血の匂いをさせると兎君が怖がってしまうからね」 「そうだね。……声に驚いた動物たちもいるんだったね」 つい兎と危険だという男たちのことばかり考えて、獣が襲いかかってくることを失念していた。 「怪我がなくてよかったよ。それにだいぶ声が近づいてきたようだし……連絡は?」 「ワタシが確認するね!」 サシャがさっそくノートを開いて、すぐに首を傾げる。 「えっと……大きな木の手前?」 「空から見たせいか、ちょっとアドバイスが微妙ですわね」 レナもノートを見て苦笑いを零す。 「……方向としてはこちらですわね。だいぶ近づいているのは確かですわ」 「じゃあ、僕はガウェインを飛ばして周囲を警戒しておこう。獣に遭遇することもそうだけど、二人組の男に会うのも出来れば避けたいからね」 そうして再び四人は歩き出した。しかし、進んだ先は―― 「……ここを進むの?」 「方向としては合ってますけど……」 ディーナとレナが困惑して見つめる先――イェンスの背丈ほどのある黒い色の幹が横たわり、その周りに蔦が絡み合ってしまっている。 まさに自然が生み出した壁。 四人の目で見まわすかぎり続いているこの壁をどうするべきなのか。さすがにこのなかを進むのは躊躇う。 ここを越えるだけで一苦労だ。しかし、迂回するのは相当の時間がかかりそうだ。 「近いならここを通ろう。木の枝は、僕が折っていくよ」 「ワタシもそれがいいと思います! 大丈夫、体を小さくすれば進めますよ!」 イェンスとサシャの言葉にディーナはレナをちらりと見る。レナは頼りがいのある微笑みとともに軽く肩を竦めた。 「ちょっと葉っぱまみれになりそうですけど、やってみましょう」 「うん。行こう」 ★ ★ ★ 空から探索をするリニアは視界一面に広がる深い緑の海を見下ろした。 幸いにも泣き声は三十分、いや、十分に一度というかなりの頻度で聞こえてくるので、それを頼りにすればセンサーがなくともある程度の位置はわかる。 空中で大方のところまで進み、そのあとはセンサーをフル活動させる。 そのおかげで兎がどこにいるのか知ることができるとリニアは仲間たちにこの情報を与えるべくノートを広げたが、 「ええっと、森の……手前の、もっと右? え、あ、左? あの大きな木があるから、えーと」 書き込む段階になって、改めて森のなかにいる仲間たちをどのように誘導すればいいのかという初歩的な問題にぶちあたってしまった。 必死にあれこれと考え、出来るだけ地上にいる仲間からもわかるようにと心がけて場所を書きこんでゆく。 兎の位置から仲間の四人はとても近いのはセンサーでわかる。それとは別に地上をかなりのスピードで動く個体が二つ――幸いにもそれは兎からは近づいているような、そうでないような、微妙な距離だ。 ――大丈夫。あたしたちのほうがウサギさんに近い ノートに例の二人の位置も書き終えて、リニアは地上にいる兎を先に保護すべく、下降した。 好き放題に木が生い茂っているだけあって、降りるのも一苦労だ。 なんといっても木の枝は身体にあたるし、葉っぱ視界を覆い隠してしまう。緑の海を両手でかきわけて、なんとか地上へと着地する。 びぃええええええええええええええええええええええええええええええ! 慌てて音感センサーを弱くした。あと一歩遅かったら、リニアの回路は一瞬にして真っ白になるところだった。 恐るべき兎のガン泣き。 だが、それだけ兎に近づけたという証明でもある。 地上に降りて、リニアはピョコ、ピョコと静寂の森のなかには不似合いな可愛らしい音をたてて進んでゆく。 ――ここだわ 大きな木の根元に、ふわり、ふわりと動く白く短い毛がついた長い耳が見えたのにリニアは足を止めると素早くアイドルモードへとチェンジする。 普段でも花を散らしたような華やかな雰囲気を醸し出しているが、アイドルモードになると外装もぐっと可愛さが増す。 それに体は柔らかな光を発し、音楽が流れ出す。 木の根元にいた兎は驚いたように顔をあげると目をぱちぱちさせて、不思議そうに見つめきた。 リニアはにこりと微笑む。 「ウサギさん、どうして泣いてるの?」 暗い森のなかに淡い輝きを放つリニアは空からおっこちた太陽の欠片のようだ。 それがよかったのだろう。兎はしゅんと俯いたあと口が開いた。 リニアは音感センサーを普通に戻した。 「ぼく、ね。迷子に、なっちゃったの」 「こんなところで迷子になったのは怖かったですね。いきなり知らないところで困ってるでしょうけど、あなたは今までいた世界から飛び出しちゃったんです」 「飛び出した? ぴょんぴょんしたの? じゃあ、じゃあ、またぴょんぴょんして穴にはいったら、もどれる?」 リニアが説明しようと口を開こうとしたとき、背後で、がざっと複数の地面を踏みしめる音。 「……よかった。無事で」 頭から葉っぱを生やしたディーナがリニアと無事な兎の姿を見つめて息をつく。 そのあと再びがさがさと葉のこすれあう音とともに、レナ、イェンス、サシャが、やはり頭と服に葉っぱを大量につけて出てきた。 「時間を稼ぐためとはいえ少し、強引だったかしらね」 「けど、これでだいぶ早く兎君のところにこれたね」 「よいっしょっと」 各々、服についた土埃、葉っぱを手で払ったあと、兎へと視線を向ける。 いきなり大勢が来たのもそうだが、注目されて兎はがたがたがたと震えあがり、目をうるうると潤ませる。 「この人たちはあたしの仲間です。心配しないでください」 リニアの言葉にも兎はふるふると首を横にふって、後ずさる。 「う、ううっ、びぃ」 「こんにちは」 ディーナが慌てて話かける。こんな至近距離で泣かれてはレナの魔法の耳栓があったとして、どれだけ防げるかわからない。 「驚かせてごめんなさい。けど、キミのこと、はやく保護……ここから連れ出してあげたかったの。話を聞いてくれないかな? キミが鳴くとね、私たちその声で気絶しそうになるの」 ディーナの言葉に兎は両耳をたれさげてしゅうと俯いたままいやいやと首を横に振った。 「……おなかすいていない? サンドイッチとチョコを持ってきたの。お茶もあるよ」 出来れば信頼してほしくてもってきた食べ物をディーナは差し出すが、兎はますます俯いてしまう。 「おねぇさん、おめめまっくろで、こわい」 「あ……これは……」 サングラスが兎には怖く映るらしい。 だが、これを外しては、いくら森のなかが暗いといっても、ディーナの目には眩し過ぎる。咄嗟のときのためにも目が見える状態でいたのだが…… 迷うディーナの横から笑顔のサシャが両手にクッキー、マフィンを持って顔を出す。 「怖がらないで。このお姉さんはね、必要だからサングラスをつけてるの。サングラスってわかる?おめめを守るためのものなの。だから、キミを傷つけるものじゃないよ! ワタシ達はキミを迎えにきただけだよ~。おなかすいてるんでしょ? ハイこれ! ワタシの手作りなの、召し上がれ!」 「……うっ、みぃ」 甘い匂いの誘惑に兎の鼻がくんくんと動かす。 泣きそうだった顔は物欲しそうな表情になり、ディーナとサシャの手のなかにある食べ物に視線を向けて、無意識にも両手でおなかをおさえている。 しかし、この森のなかにはいってよほどに怖かったらしい。まだ信じていいのか、疑うべきなのかと迷う顔で兎はみぃみぃと小さく鳴く。 「『なにがそんなに怖いんだい? 泣き虫くん』」 不意に甲高い声がして兎は耳をぴくんと動かした。 雪が積もったような毛に覆われた、執事の衣服をきた小さなうさぎが言い放つ――イェンスがもってきたぬいぐるみだ。 ぬいぐるみのうさぎは片手を軽くあげる。 「『こんなところで一人ぼっちはさみしいよね? 僕とお友達になってよ。この人たちは君がいた世界にかえしてくれるお手伝いをしてくれるんだよ』」 「う、うー」 兎は両手を、もじもじとさせる。 「『それにお腹が空いているんじゃないの? 食べようよ。君、いらないの? ふーん、じゃあ、僕と、この人たちで食べちゃうよ? とっても甘いマフィンにクッキー、あと、紅茶もあるよ!』」 「け、けど、へんなものかも、しれないし」 「『ふーん、じゃあ、いただきまーす。さぁ、みんな食べようよ!』」 ぬいぐるみはつんっとそっけなく言い返す。 イェンスは自分の持ってきたシナモンロールを片手に持ちあげた。 「僕もおなかがぺこぺこだからもらおうかな」 「じゃあ、ワタシも! このクッキーすごくおいしくできたの! 紅茶もいれますね!」 「あっ……じゃあ、私はチョコを食べようかな? あと、サンドイッチ」 「あたしもいただきますわ」 「あたしも!」 イェンスの魂胆を察して全員が和気あいあいと、まるでピクニックにきたかのように各自も持ってきた魅力的な食べ物、飲みものを広げて食べ始めた。 その様子を見つめる兎は、癇癪を起してぽてぽてぽてと足で地上を踏みつける。 すると、ぐうううううう。 兎の大きな腹の虫が大きな声で抗議をし、五人の視線を集めた。 「ほ、ぼくも、たべたい!」 兎は耳をたれさげ、そろそろと恐れながらも寄ってきた。 「けど、けど、知らない人からもらうのは」 「あたしはレナ・フォルトゥスというの。ほら、これなら知り合いになったわ」 レナの言葉に兎は目をぱちぱちと瞬かせると、ぱっと笑って頷いた。 「うん。お知り合い! じゃあ、じゃあ、たべてもいい?」 「もちろんよ。みんなで食べたほうがおいしいよ!」 サシャの笑顔に兎は嬉しげにクッキーを受け取ってひと口かじると眼玉が零れ落ちそうなほどに開いたあと、夢中で食べ終えると、チョコも、サンドイッチも、シナモンロールもきれいに平らげていく。 本当は気になる二人組のこともあるので出来るだけ速やかにこの場を離れるべきなのだろうが、兎には休憩が必要であった。それはここまで強行軍だった五人にしても同じだった。 「この子はなんておなまえなの?」 「この子は君のお友達になるためにここにきたんだ。だから名前をつけてあげるといい」 イェンスは兎と視線を合わせ、ぬいぐるみを差し出す。兎はぬいぐるみを見つめたあとぎゅうと両手で抱きしめた。 「うん。つける。ありがとう」 「執事さんのカッコしてるって事はお屋敷で働いていたの? ワタシはメイドだったんだよ~」 「ヒツジ? ぼく、めぇめぇじゃないよ。うさぎだよ。うーんと、勤めていたのはおおきなお城なの」 サシャが話にくわわり、あれこれと問いかけると兎は嬉しそうに小さな尻尾をフルフルと振って答えていく。 それを笑顔で見守っていたレナの顔が突然と曇った。それにディーナも顔をあげ、イェンスもガウェインの目を通して、それに気が付いた。 「……そちらにいるのはどちら?」 レナの問いとほぼ同時に、ぱきん、と枝が乱暴に折られ、そこからぬっと二つの影が現れる。 「なんだ? 森のなかで仲良く食事会か? ……おい、ハイキ、こいつら……」 「……任務妨害タイプD。……解決パターンCを採用することを推薦する」 二人組の男は不穏な会話を交わす。 そして放たれる殺気にディーナとレナが構える。――先手を打ったのはレナ。バインバインドで敵の足元を蔦で絡ませ動きを封じる。 「はやく、その子を連れて逃げて!」 ディーナが叫ぶのにリニアが兎をしっかりと抱えて、地面すれすれに飛ぶ。その背をサシャとイェンスが守るようにして走り出す。 「ハイキ! 逃がすな!」 「……承知」 ハイキと呼ばれた男が足に絡みついた蔦を乱暴に振りほどき、動き出す。 「いかせませんわ! ファイアボール!」 「っ!」 レナの放った炎の球のあとをディーナが低く走って二人の男の間合いを詰める。 レナの攻撃の隙をついてもう一人の足止めを――しかし、ハイキと呼ばれた男は地面を蹴って飛躍するといともたやすく、二人を越えた。――しまった! しかし、もう片方の黒い衣服の男は逃げる様子も、追いかける様子もなく立ったままであったのにディーナの判断を鈍らせる。 どっと紅い炎の球が黒服の男に命中して黒い煙をたてる。あっけなくもやられてくれたのに、ディーナは右足を軸に、方向転換しようとした、そのとき―― 「おらぁ!」 背後からの放たれる拳を身体を捻ってディーナは避ける。 炎に焼かれたはずの黒服の男は無傷だった。不敵に笑いディーナときの距離を更に縮めて殴りかかってくる。 ディーナは奥歯を噛みしめ腹に力をいれて、乱暴に手で薙ぎ払う。 レナは援護しようにも、至近距離にいる敵相手に下手に魔法攻撃を放ってディーナを巻き込みかねないため躊躇ってしまった。 と、男がディーナから飛びのいた。 「ったく、一気に決めるぜ。てめぇら、まとめてイッちまいな?」 「え……っ!」 男は拳を高く持ち上げ、ハンマーのように地面へと叩きつけた。 めきっ。 地面が大きく割れ――ディーナとレナの足元が崩れ、暗い深淵が二人を飲み込んだ。 ★ ★ ★ 空へと出ることも考えたが、それには木の枝が邪魔されて時間がかかりすぎて追っ手に追いつかれてしまう可能性が高い。 それなら地上から行くほうがはるかに速いと判断し、リニアは兎を両手に抱えたまま地上を低く飛行する。 しかし、地上は地上で木の枝が行く手を遮り、あまりスピードを出して飛ぶと枝が体にあたって怪我を負う危険性もあった。 「枝は僕が折っていくから、真っ直ぐに進むんだ!」 イェンスはガウェインの目を通して森の先を見通し、グィネヴィアで的確にリニアの進むべき道にある枝を切断し、道を開いていく。 リニアはイェンスを信頼して自分の持てる限りのスピードを出して先へと進む。 「ううっ」 「大丈夫、泣かないで。あたしたちが絶対にあなたを守るから!」 抱えている兎の押し殺した泣き声にリニアが微笑んだ。次の瞬間、ぱんっと体に衝撃が走る。幸いにもジャイアント・マニュピレイターが自己決定を下し、防御をとっていたので怪我はないが体がぐらりと揺らいだ。スピードをかなり出していたため急停止することが叶わず、地面に叩きつけられるようにして転がった。 「大丈夫!」 サシャとイェンスがリニアと兎にかけより、二人が無事を確認すると、前方を睨みつける。 「……兎を渡していただきたい」 淡々と、感情を感じさせない声で、銃を構えた男が告げるのにイェンスは怒りに拳を戦慄かせた。 「小さな子を力ずくでどうこうしようというなど、褒められたことではないね」 「そうよ! この子は渡さない! 此処に隠れて!」 サシャがスカートの端を持ち上げたのに、リニアが兎をそのなかへと押し込んだ。 「近づかないでよ! 変態、痴漢! 最低!」 叫ぶサシャの態度に男は眉根一つ動かさない。 その背後が、がざっと揺れ――助けが来たという三人の期待は裏切られた。 現れたのは黒い衣服の男だ。 「おい、ハイキ。兎は捕まえ……なんだよ。まだ捕まえてなかったのかよ。ったく、とっととやっちまうぜ」 「了解した」 男たちから不穏な雰囲気を感じて三人の顔が強張る。 ひ、ひっ、ひぃうううう~~ サシャは自分のスカートのなかから押し殺した聞こえる声にそっと視線を向けた。 兎が目からぽろぽろと涙を出しながら、両手で口を必死に抑えている。自分が声をあげて泣いてはここにいる三人を気絶させてしもうと兎なりに理解して必死に声を我慢しているのだ。 本当は怖くて、怖くて泣き出したいのに……その姿にサシャは炎が灯ったような怒りを覚えて猛然と二人の男を睨みつけた。 「この子を連れていくならワタシたちも連れていって! ワタシたちになにかしたら、この子が鳴くわよ。それもうんと大声で!」 サシャの言葉に黒い衣服の男が顔をしかめた。 「それにワタシたちになにかあっても、この子は泣くわよ! いいの!」 「……おい、ハイキ、連れていくぞ。うさくされるのは面倒だ」 「しかし、水薙、それでは任務内容に適さないのではないのか?」 「わかってるよ。ただいまはこの森をさっさと抜けるほうが大事だ。おい、お前らは兎が泣き出さないための保険だ。なんかしたら命はないぜ? 行くぞ」 サシャはそっとポケットの中に入れておいたクッキーを手の中で砕いて、その欠片を一つ、地面へと落とした。 きっと助けがきてくれる。 ハイキが先頭を歩き、その後ろをサシャ、イェンス、リニアは横に並んで歩く、その背には水薙がついて行動を見張っている。 そんななかサシャは絶対にレナとディーナが追いかけてくることを信じて、二人の目印になるように割れたクッキーをポケットからぽろり、ぽろりと慎重に落としていく。 「おい、お前さん、さっきからなにしてるんだ」 ぎくっとサシャは肩を震わせる。――クッキーの欠片を落としているのに気が付かれた? 「なにもしてないわ。それより、あなたたちは何者なの? ワタシたちの敵なの? どうしてこの子を攫おうとするの?」 サシャは水薙に挑むように向きあう。 「確かに、君たちはなぜこの子をそんなにも欲しがるんだい」 イェンスが加勢すると、男は鼻白んだ。 「聞いているのは俺だぞ」 「あなたたちが教えたらワタシも教えてあげてもいいわ。あなたたちはワタシたちと同じロストナンバーなの?」 サシャはしつこく尋ねると、わずらわしげに水薙は手をひらひらと振った。 「うるさい女だな。だが、度胸あって面白い……別に攫うわけじゃないぜ。俺らがここにいるのは慈善活動さ。それをお前らが邪魔をするから俺らは俺らのやり方でお前らとやり合う。それだけだ」 サシャが言い返そうとしたとき、水薙が足を止めて振り返った。 「なんだ、生きてたのか。それも追いかけてくるなんてしつこいやつらだな」 水薙が嘲笑う視線の先に――ディーナとレナが泥だらけの姿で現れた。 「あれくらいでやられませんわ」 「ハイキ、追っ手がきた! 俺がやるからお前はそいつらを……!」 「えーい!」 サシャがティーポットから万国旗を取り出して走り出そうとした水薙の足にひっかける。それにグィネヴィアの黒髪が水薙の両腕に絡みつき、バランスを奪い取って地面に転がせることに成功した。 「水薙!」 今まで表情を変えなかったハイキが銃をレナとディーナに向けたまま転がった水薙に意識を取られた一瞬の隙。 「これでどうですか!」 リニアの空気砲をその背中へと放つ。 「っ!」 ハイキの体が衝撃で宙に浮いたのにレナはキロ・ファイアーボールを放ち、炎に包まれたまま地上に叩きつけた。 ディーナはサシャたちに駆けつけると、素早く背負子に兎を座らせて、ロープでしっかりとくくりつける。 「う……ううっ」 「泣かなかったんだね。偉いよ。あと少しだけがんばって。しっかりと、これを掴んでね? あと、このガスマスクをつけて」 「うん。おねえさん、おめめまっくろで、こわいけど、やさしいから、しんじる」 兎はディーナの差し出したガスマスクで顔を覆う。 「この子を運ぶのをお願い!」 「わかった。僕がしよう!」 イェンスが兎を乗せた背負子を背負う。 その姿を見てディーナは、二人の敵に視線を向ける。 「全速力で走って! 足止めは任せて!」 「あたしもお手伝いしますわ」 ディーナ、レナ以外の三人が全速力が走り出す。 「グラビント! 今よ!」 「っ!」 レナの声にディーナはありったけの力をこめて、閃光手榴弾と催涙手榴弾をほぼ同時に投げ、踵返し走り出す。 息が乱れて肺が痛み、足の感覚がなくなる。額に浮かぶ汗粒が零れ落ち、呼吸する方法すら忘れそうになりながら、深い森のなかをただただ前へと走る。 そして、五人の視界が白く、開かれる。 明るい太陽の下へと出ると、五人は走っていた速度を緩め、森から少し離れたところで足を止めた。 振り返るが幸いにも追っ手の気配はない。 「なんとかなりましたね……駅につくまで油断はできませんけど。けど、あいつらは一体、何者なんでしょうね」 レナの呟いた疑問はこの場にいる全員のものだった。 森は静寂を守って、何も答えはしない。 不気味な森の暗闇が、まるで不吉な未来を暗示しているように五人には思えた。
このライターへメールを送る