その日、世界司書たちは図書館ホールに集められていた。なんでも館長アリッサからなにかお達しがあるというのである。彼女が新館長に就任してから初めての、正式な館長通達。一体、何が発せられるのかと、緊張する司書もいた。「みんな、こんにちはー。いつもお仕事ご苦労様です」 やがて、壇上にあらわれたアリッサが口を開いた。「私が館長になるにあたっては、いろいろとみなさんにご迷惑をおかけしました。だからってわけじゃないんだけど、世界司書のみんなの『慰安旅行』を計画しました!」 慰安旅行……だと……? ほとんどの司書たちが言葉を失う。「行き先はブルーインブルーです。実はこの時期、ジャンクヘヴン近海で、『海神祭』っていうお祭りをやってるの」「あ、あの……」 おずおずと、リベルが発言の許可を求めた。「はい、リベル。バナナはおやつに含みます」「そうではなくて……われわれが、ロストレイルに乗車して現地に向かうのですか?」「あたりまえじゃない。慰安旅行なんだもの。年越し特別便の時に発行される、ロストメモリー用の特別チケットを全員分用意してあります。あ、念のため言っておくけど、レディ・カリスの許可もとってあるからね!」「……」 そうであるなら是非もない。 時ならぬ休暇に、司書たちは顔を見合わせるばかりだったが、やがて、旅への期待が、その顔に笑みとなって浮かび始めるのを、アリッサは満足そうに眺めていた。「コンダクターやツーリストのみんなのぶんもチケットは発行できます。一緒に行きたい人がいたら誘ってあげてね♪」 さて。 この時期、ジャンクヘヴン近海で祝われているという「海神祭」とは何か。 それは、以下のような伝承に由来するという。 むかしむかし、世界にまだ陸地が多かった頃。 ある日、空から太陽が消え、月が消え、星が消えてしまった。 人々が困っていると、海から神様の使いがやってきて、 神の力が宿った鈴をくれた。 その鈴を鳴らすと、空が晴れ渡って、星が輝き始めた。 ……以来、ジャンクヘヴン近海の海上都市では、この時期に、ちいさな土鈴をつくる習慣がある。そしてそれを街のあちこちに隠し、それを探し出すという遊びで楽しむのだ。夜は星を見ながら、その鈴を鳴らすのが習いである。今年もまた、ジャンクヘヴンの夜空に鈴の音が鳴り響くことだろう。「……大勢の司書たちが降り立てば、ブルーインブルーの情報はいやがうえに集まります。今後、ブルーインブルーに関する予言の精度を高めることが、お嬢様――いえ、館長の狙いですか」「あら、慰安旅行というのだって、あながち名目だけじゃないわよ」 執事ウィリアムの紅茶を味わいながら、アリッサは言った。「かの世界は、前館長が特に執心していた世界です」「そうね。おじさまが解こうとした、ブルーインブルーの謎を解くキッカケになればいいわね。でも本当に、今回はみんなが旅を楽しんでくれたらいいの。それはホントよ」 いかなる思惑があったにせよ。 アリッサの発案による「ブルーインブルーへの世界司書の慰安旅行」は執り行なわれることとなったのだった。 ◆ ◆ ◆ 潮の香りを乗せた南風に、モリーオ・ノルドは目を細める。 この壮年の世界司書もまた、慰安旅行のロストレイルでジャンクヘヴンに降り立ったひとりだ。 強い日差しに映える白いシャツに、パナマ帽。小ぶりのトランクひとつを持って、彼は海上都市の複雑な路をたどった。 ――ちょっといいホテルがあると聞いてね。 慰安旅行が決まったあと、モリーオはどこかから集めたジャンクヘヴンの情報をもとに、人を介してその小さな宿をとった。 部屋数は多くはないが、どの部屋も海に面して眺望は素晴らしく、よく仕付けられたボーイやメイドは大変口が堅いので、上流階級の客がお忍びで泊まりにくるのだという。 坂道を登り切ったところに、古びた鉄柵の門扉。ごく控えめに掲げられた銘板を見落とせば、そこが宿屋だと気づかないかもしれない、白亜の瀟洒な建物だ。 木の扉を開ければドアベルが鳴り、ボーイが出迎えてくれるだろう。「そこを拠点に、まあ、のんびりと休暇を楽しもうと思うよ。……一緒に行くかい?」 幾人かのロストナンバーが、同じホテルに宿泊することになった。 モリーオは遊覧船で近海を巡る予定を立てているそうだが、あとはホテルでゆっくりするつもりのようだ。 近くには露店の市もたつし、旅の一座による小屋掛けもあると聞く。『海神祭』を楽しむための過ごし方は思い思いに可能だろう。 いざ、祝祭の海上都市へ……。 潮騒と、鈴の音が、ロストナンバーたちを待っている。==================!お願い!イベントシナリオ群『海神祭』に、なるべく大勢の方がご参加いただけるよう、同一のキャラクターによる『海神祭』シナリオへの複数参加はご遠慮下さい。==================
「へぇ~、立派とは言い難いけど趣のある面白いホテルじゃない。気に入ったわ」 幸せの魔女――、そんな名を持つ少女は白亜の建物を見上げて、言った 「でも――この古びた扉は気に入らないけど」 「そう?」 モリーオが問い返すのへ、 「古い扉を潜ると不幸を招きやすくなると言うわ。……大丈夫なんでしょうね? このホテル」 と続ける。モリーオの答えは、ドアを開けて、彼女を先を促すレディーファーストのしぐさ。 「どうぞ」 ふふふ、と笑って、幸せの魔女は――そうされるのが当然といった様子で――ロビーへと足を踏み入れた。 「ありがとうございますっ」 サシャ・エルガシャがちょっと恐縮した様子で、足早に戸口を潜った。 それからジュリエッタ・凛・アヴェルリーノに、七夏……彼女ら3人の娘たちは行きのロストレイルの中で、すっかり親しくなった様子で、はしゃぎながらあとに続く。 あとには2人の男性――ロディ・オブライエンと、ハルカ・ロータスが残った。 「荷物はそれだけ?」 ロディは、ハルカを見て、そう言った。 「えっ。あ……、俺、なにか」 「いや、少ないなと、思って」 特段に深い意味はなく、ロディは尋ねただけのようだった。モリーオに礼を言って、中へ。 ハルカは、助けを求めるようにモリーオを見た。 「必要なものが……あったのだったら」 「別に。くつろぎに来たのだから、荷物は少ないほうがいいだろう」 「くつろぎ……ですか。あの、それで、今回の任務を内容を、自分はまだ――」 「えっ」 「えっ」 よくしつけられたボーイたちに案内され、異世界の旅人たちは部屋をとる。 客室は広くはないし、簡素だが、清潔だった。 外壁同様、白い壁に、小さな額に入った絵と、ドライフラワーのリースとがささやかな飾りとして、ある。ベッドは部屋に比して大きめで、ふんわりとしたピローと、クッションが客の訪れを待っていた。家具は木製の小さなクローゼットとライティングデスクだけ。 サシャは反射的に、真っ白なシーツがぴんと張ってメイクされていること、板張りの床や木製の家具がきちんとポリッシュで磨き上げられていること、すみずみまで掃除の行き届いていることを見てとり、まるでなにかに挑戦を受けたような気分になった。 部屋はいずれも海に面してテラスを持ち、ホテルは高台にあったから、ジャンクヘヴンの家々の屋根を見越して、真っ青な海と入道雲を見ることができた。 ジュリエッタと七夏が、テラスに出て歓声をあげているのを聞きながら、幸せの魔女は脚のついたホーローのバスタブに腰掛け、いくつも種類が用意されている入浴剤の瓶を見比べていた。 ロディがロビーに降りてくると、モリーオとハルカがいる。 「船に乗ると言っていたか」 「そうだよ。ロディくんは」 「決めてなかったが……休暇に慣れていなくて、どうも手持ち無沙汰になってしまう」 「女の子たちは露店を見に行くみたいだよ」 「そうだな。せっかくだし町は見てみたい」 「ハルカくんは?」 「はっ。指示に従います。自分は何をすればいいですか」 「……手持ち無沙汰度は彼のほうが上手だ」 モリーオとロディは笑い合うが、ハルカは戸惑った表情を見せるだけだ。 「一緒に船に乗るかい?」 「はい、従います」 こうして、ジャンクヘヴンの休日が始まった。 ■ 祝祭の海上都市 ■ もともとブルーインブルーでも最大級の海上都市であるジャンクヘヴンだが、この時期はよその都市からの観光客も迎え、華やかに賑わっている。 「この活気ある町が海に浮かんでいるなんて不思議な気もしますね」 七夏がそんな感想を口にした。 「そうじゃのぅ……しかしブルーインブルーの人々はみな海の上に町を築いて暮らしておるのじゃ。ジャンクヘヴンだけではないぞ。以前、立ち寄ったメイリウムという町では――」 ジュリエッタはそこまで言って、なにかを思い出したように、くすっと微笑った。 「?」 「いや、なに。メイリウムでもこんなふうに店を見て歩いたなと思い出してな」 「そうなんですか。どなたと行かれたんです?」 「!? だ、誰ってそれは……まあ、大したことのない相手じゃ。あんなのはデートと言っても……」 「デートだったんですか?」 「う。じゃから、相手が相手ゆえ、あんなものはだな――」 七夏の無邪気な問いかけに、語るに落ちたふうのジュリエッタだ。 「あ!」 サシャがふと足をとめたのは、香ばしい匂いを感じたからだ。 どこか懐かしいような、揚げ物の油の匂い。 「ひとつください」 「俺ももらおうか」 注文するサシャの頭越しに、ロディも続けた。 かれらが買い求めたのは、魚の切り身を油で揚げたものだった。紙の包みに入れてもらいそれを持ったまま歩いているものたちをよく見かける。 「歩きながら食べるって、ちょっとお行儀が悪いですけど」 「なに、それを気にする状況でもないだろう」 ロディは手渡されたものをさっそく味わう。 揚げたては熱々で、さっくりとした薄い衣ごと、やわらかい白身を噛み締めれば、旨みがじわりと広がる。油は香油を使っているようで、独特の香りが、味付けの香辛料とともに広がるのだった。 「これは旨いな。発泡酒に合いそうだ」 「フィッシュ&チップスみたい! うーん、最高、ほっぺた落ちちゃいそう! ねえねえ、ジュリエッタ! 七夏ちゃん!」 サシャは友人たちにも分けてやろうと、小走りに追いつく。 ロディは酒を売っている屋台を探しかけて――ふっ、と頬をゆるめた。日が傾いてからにしよう。今は……あの少女たちの保護者をきどらねばならないかもしれないから。 「こってりしすぎてなくて美味しいわ。いいもの見つけましたね、サシャちゃん……!」 「でしょ? ところで、さっき、何の話、してたの? 楽しそうだったけど」 「ああ、それはジュリエッタちゃんが――」 「そんな面白い話ではないのじゃ! おっ、あれはドライフルーツではないのか?」 ジュリエッタの作戦(?)は功を奏して、サシャたちの視線は、露店に並ぶ色とりどりの干し果物へ。 はしゃぐ女の子たちの姿を横目に、ロディは、こちらは生の果物を売る屋台へ。 「おすすめは?」 「そうだねぇ。やっぱりスイカかな」 その露店で商われているブルーインブルー産のスイカは、大きさは小ぶりで楕円に近い形のものだった。 冷やした実を食べやすく小さく切り分けたものを売っている。 「わっ、ロディさん、それなんですか!」 「おお、これは美味しそうな果物じゃ。乾燥させたものも味が凝縮されているが、みずみずしい生のものにも惹かれるのう」 後方からロディを突き飛ばさんばかりに、スイカに気づいた女の子たちがのぞきこんでくる。 その様子に、七夏がくすくすと笑った。 誰がどう見ても――外国旅行を楽しむごく普通の女の子(とその保護者?)に見えたことだろう。いや、それは何も間違ってはいない。ただ、彼女たちはひとたびこの地を離れれば、おそらくこの雑踏ですれ違った人々の記憶からは消え、世界群を行き交うあの列車で、また違う世界を旅する運命にあるというだけ……。 一同は、その後も、屋台や露店の並ぶ町を散策し、うまそうなものを見つけては買い食いし、珍しいものを見つけては立ち止まって見聞して過ごした。 ロディは、お守りになるという飾り物を買った。 「その青い石のと……それからそこの、羽がついたものを」 それは、きれいな石や、動物の骨、鳥の羽、鋳物の飾りなどを一本の紐に通した飾りで、部屋に吊るしておいてもいいし、輪っかにしてなにかに結びつけておいてもいいそうだ。 「お、ここでは土鈴を売っているのか」 そして、目を留めたのは海神祭の主役とも言うべき、土鈴である。 布のうえに大小の、さまざまな形・意匠の土鈴を並べた露店が続いていた。 「どこかに隠してあるのを探すのが作法なんだと聞きましたよ」 と言う七夏へ、 「そうらしいが、それをして喜ぶ歳でもないしな。もう少し若ければ兎も角、だろうが」 と応える。 「まあ、ロディさんは十分にお若いじゃありませんか」 七夏は言ったが、ロディは苦笑いだ。 一般的にはそうだろうが、サシャやジュリエッタに比べればどうしたって年嵩である。もっとも、ロストナンバーになってからの年数はまた違うのだろうが。 そのジュリエッタはサシャを相手にひとしきりトマトに関する講釈をしていたが(「以前にジャンクヘヴンに立ち寄った際、様々なトマトを堪能したのじゃが、乾燥したものはまた味が凝縮されて格別じゃ。アルコールのつまみとしても合うらしいのじゃが、未成年のわたくしはまだ想像できぬ。いつかは伴侶とともにゆっくり――」「ジュリエッタの伴侶ってどんな人なのかしら。メイリウムでデートしたっていう人?」「なにを言っておるのじゃ! というか、いつその話を!」「さっき七夏ちゃんがこっそり……」)、露店のひとつにさまざまな動物をかたどった土鈴を見つけて歓声をあげた。 「これは面白い」 「わあ、かわいい! これ、ウサギ? こっちは……ネコかな」 「む、これは……」
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