その日、世界司書たちは図書館ホールに集められていた。なんでも館長アリッサからなにかお達しがあるというのである。彼女が新館長に就任してから初めての、正式な館長通達。一体、何が発せられるのかと、緊張する司書もいた。「みんな、こんにちはー。いつもお仕事ご苦労様です」 やがて、壇上にあらわれたアリッサが口を開いた。「私が館長になるにあたっては、いろいろとみなさんにご迷惑をおかけしました。だからってわけじゃないんだけど、世界司書のみんなの『慰安旅行』を計画しました!」 慰安旅行……だと……? ほとんどの司書たちが言葉を失う。「行き先はブルーインブルーです。実はこの時期、ジャンクヘヴン近海で、『海神祭』っていうお祭りをやってるの」「あ、あの……」 おずおずと、リベルが発言の許可を求めた。「はい、リベル。バナナはおやつに含みます」「そうではなくて……われわれが、ロストレイルに乗車して現地に向かうのですか?」「あたりまえじゃない。慰安旅行なんだもの。年越し特別便の時に発行される、ロストメモリー用の特別チケットを全員分用意してあります。あ、念のため言っておくけど、レディ・カリスの許可もとってあるからね!」「……」 そうであるなら是非もない。 時ならぬ休暇に、司書たちは顔を見合わせるばかりだったが、やがて、旅への期待が、その顔に笑みとなって浮かび始めるのを、アリッサは満足そうに眺めていた。「コンダクターやツーリストのみんなのぶんもチケットは発行できます。一緒に行きたい人がいたら誘ってあげてね♪」 さて。 この時期、ジャンクヘヴン近海で祝われているという「海神祭」とは何か。 それは、以下のような伝承に由来するという。 むかしむかし、世界にまだ陸地が多かった頃。 ある日、空から太陽が消え、月が消え、星が消えてしまった。 人々が困っていると、海から神様の使いがやってきて、 神の力が宿った鈴をくれた。 その鈴を鳴らすと、空が晴れ渡って、星が輝き始めた。 ……以来、ジャンクヘヴン近海の海上都市では、この時期に、ちいさな土鈴をつくる習慣がある。そしてそれを街のあちこちに隠し、それを探し出すという遊びで楽しむのだ。夜は星を見ながら、その鈴を鳴らすのが習いである。今年もまた、ジャンクヘヴンの夜空に鈴の音が鳴り響くことだろう。「……大勢の司書たちが降り立てば、ブルーインブルーの情報はいやがうえに集まります。今後、ブルーインブルーに関する予言の精度を高めることが、お嬢様――いえ、館長の狙いですか」「あら、慰安旅行というのだって、あながち名目だけじゃないわよ」 執事ウィリアムの紅茶を味わいながら、アリッサは言った。「かの世界は、前館長が特に執心していた世界です」「そうね。おじさまが解こうとした、ブルーインブルーの謎を解くキッカケになればいいわね。でも本当に、今回はみんなが旅を楽しんでくれたらいいの。それはホントよ」 いかなる思惑があったにせよ。 アリッサの発案による「ブルーインブルーへの世界司書の慰安旅行」は執り行なわれることとなったのだった。―――――― ターミナルには幾つもの不思議な喫茶店がある。その1つ、彩音茶房『エル・エウレカ』ここは世界司書である贖ノ森火城が料理番を務める事のある喫茶店だ。 店内の片隅、外の通りが見える窓の傍には小さな食器と赤い熊のぬいぐるみがちょこんと座っている。ぬいぐるみとその向かい、空席の前には空のカップが置かれ、真っ白なシュガーポット、僅かに湯気を出すティーポット、そして砂時計がさらさらと小さな砂を落とし時を刻んでいる。 ただの店内ディスプレイかと思えるが、そのテーブルの下でぐずぐずと鼻をすする音を立てた黒い塊、床にべったりと座り込む無名の司書がいる事でぬいぐるみが彼女の同僚、ヴァン・A・ルルーであると伝えている。 砂時計の砂が全て落ちるとルルーはティーポットを手に取り、客人のカップにお茶を注ぐ。それが合図だったかのように空席だった席には真っ白いフェレット、アドがするりと着席した。テーブルの横に荷物を置くと、入れ立ての紅茶を一口飲み、ふーと息を漏らす。『あっちこっちで調整入って書類が全然ねぇや』「ブルーインブルーへの世界司書の慰安旅行ですね。アドは行くんですか?」『まだ決めてねぇ』 ぐずず、ずびずび。音が聞こえアドとルルーはちらりとそちらを見るが何も言わず、直ぐに会話を戻す。『そういや、ヴァンの書類ブルーインブルーだったな』 言いながら、アドはごそごそと籠を漁り、1つの書類をテーブルに広げた。「えぇ、丁度いいので行ってみようかと。どうです? 一緒に」『……イカ?』「イカ、ですね」 海神祭の行われるジャンクヘヴン近郊で大型海魔が出現、それを捕獲もしくは討伐せよ、という依頼なのだが、その姿形や攻撃方法等、どうみてもイカだった。 再度ぐしぐし、ずず、と音が聞こえ二人は音の発信源を見るが、やっぱり何も言わないままだ。そんな、微妙な空気漂うテーブルに一組のカップと2種類のケーキが置かれる。「推理合戦でタルトの話題があったのを思い出し、デザートもタルトにしてみた。赤はイチゴのタルト青はブルーベリー、ブラックベリー、カシスのタルトだ」 デザートをまるっとお任せされた火城がケーキについて説明し取り分ける。『そういや、あの推理合戦も結局ギャンブルに落ち着いたよな』「えぇ、アドの推理も大活躍でしたよ。そうそう、次はこ……」『だーかーらー、オレはミステリだ推理だギャンブルだは苦手なんだって言ってるだろうがよ』「そうだ、次のお茶会のデザート、火城さんにお願いしてもいいですか?」「都合があえば。ところで……そろそろ許してあげてはどうだ」 三人分取り分けた火城がそう言い、足下に視線を落すと、目も鼻頭も真っ赤にした無名の司書が天の助けを受けたかのように見上げている。『ぷんすこ』「例え無害であっても、軟膏を飲むなんてどうかしています」「もう何回も謝ってるじゃないですかぁぁぁぁ。ずずず、これでも一応退院したばっかりなのにぃぃぃ」『自業自得じゃねぇか。なんでもかんでも食べるからだ』「お薬は処方箋に従って、用法用量を守ってですね」「うえぇぇぇん、ごめんなさいぃぃ。ずびび。そのもふもふで癒してくださいぃぃぃ、ちょっと触るだけでいいですからぁぁぁ」 先日の一件を無名の司書はずっと謝り倒しているがアドとルルーは一向にもふらせてくれる気配はない。勿論、二人は本気で激怒し、無名の司書を嫌っているわけではないのだが、簡単に無名の司書を許してしまうのも違うよな、という二人なりの思いやりと愛情らしく、火城を始め他の客は成り行きを微笑ましく見守っている。 とはいえ、何時までもソレを引き摺っている訳にもいかないだろう。火城が何か良い話題換えはないものかと思案していると、テーブルの上に書類を見つける。「お、ブルーインブルーの依頼じゃないか。慰安旅行と丁度重なってるな。一緒に行くのか?」「えぇ、イカ退治。どうです? ご一緒に」「イカか……良い食材になりそうだな」『……食えんの?』「ジャンクヘヴン近郊の大型海魔はよく食材として取引されてます。これも立派な食材です」「俺の導きの書に依頼が無かったら、同行させてもらおう。一度、ブルーインブルーの新鮮な魚介類を調理してみたかったんだ」「はいはいはいはい! はいはい! あたしも! あたしも大型海魔討伐出てます! 行きます! 一緒に行くー!!」『そんな書類あったか?』「今見ました! すぐ書類書きます!」 ぱんっと導きの書を叩き、無名の司書が鼻息荒く言う。火城は腕を組み、既にイカレシピの考察に入っている。「アドは? 何か出てます?」『……えび』「えび」『えび』――――――『ブルーインブルーでえび狩り、じゃなくて大型海魔の討伐な。場所はジャンクヘヴン近郊の海上、船の上にて待機し山のようにでっかいのを退治する事。食材に向いてるのでジャンクヘヴンに持ち帰り。戻ったら料理して貰えるから食べたい人は食べに行く事。海神祭の最中には戻れるので祭りは楽しめる』 単純な討伐依頼に加え、祭りも食事も楽しめるという豪華なおまけ付の依頼に集まった者達の顔色も明るい。「はーい、質問。 他にも似たようなのあったけど協力するの?」『場所が遠くてお互い見える距離に居ないから協力は無理だな。けど向こうも食材になるから一緒に食える。あ、依頼に参加しなくても食えるから安心しろよ?』「食材にするのに討伐限定? 生け捕りじゃなくていいの?」『でかすぎて生け捕りは無理なんだと。逃げるスピードも暴れる力も半端なくて、船が持たないんだそうだ。生け捕りする方法を持ってるヤツも居るだろうけど、無しで頼む』 一度でも生け捕りが成功してしまうと、ジャンクヘヴンの漁師達が自分たちもやろうと無理をしてしまう。そうなれば勿論、犠牲が出る。彼等の生活に密着している漁業に関しては、彼等だけでもできる方法でなければ新しい可能性は見せない方が良いのだ。『えっびえっびえっびふりゃー。あ、オレも一緒に乗るから。船』 ――え?「た、戦えるの?」『ぜんっぜん』「……泳げる?」『ちょっとなら。念のため浮き輪でも持ってくかー?』「いや、え? ホントに一緒に行くの?」『おう。ダイジョブダイジョブ。どっかの柱に命綱付けるとか、木箱に入ってるとか、邪魔にならないとこで過ごしてっから』 大型海魔を持ち帰る為船も大きく、大きく揺れそうもない。海は穏やかで、大型海魔以外の驚異は全くない。そう難しい依頼ではないようだ。『さぁって、誰が行く?』!お願い!イベントシナリオ群『海神祭』に、なるべく大勢の方がご参加いただけるよう、同一のキャラクターによる『海神祭』シナリオへの複数参加はご遠慮下さい。
旅人達を乗せた船は大型海魔が出現する海域を目指し大海原を進む。それなりの速度は出ているらしく、柵によりかかり海を見下ろしている祇十の髪は絶え間なくばさばさと揺れている。雲1つ無い青空と、島1つない地平線。あるものといえば、小さな白波とゆらゆらと揺れる祇十の影ぐらいだ。 「だーーーー!」 耐えきれない、というふうな声をあげ、両手で頭を掻きむしると祇十は急ぎ足で廊下を進み、自分達に与えられた部屋へと向かうと、小さなハンモックで寝息を立てているアドを鷲掴む。 「あー、くそったれこの船もっと早くなんねぇのか、景色は変わらねぇ、やることもねぇ」 『おわぁぁぁ!』 ハンモックの中からそう書かれた看板が伸びるが、祇十はおかまいなしにアドをわしゃわしゃと撫で続ける。 オルグは船の中を見てくると出かけたままだし、繭人は船員にお願いがある、と船底へ向かったままだし、エレナは「船首で海の男をやってくる!」と目を輝かせ言い、部屋を後にしたままだ。 じゃぁ自分も、と祇十は部屋を後にしたのだが本当にやる事がない。えび退治の準備をしようにも船乗りに頼んだ物が集まるのは船が止まってからだし、エレナに頼まれた事はとっくに終わっている。せっかちな性格の祇十にこの何もないのんびりとした時間は手に余るらしく、先程から何度も部屋を出入りしたり船内をうろちょろしている。何も変わらない景色や部屋を見回してはむっつりと顔を顰め、エレナと繭人がアドの寝床にとつくったお手製ハンモックへと手を伸ばし、アドを撫でまわす。何度目かわからないその行動に変化を与えたのは、オルグだった。 「なんだ、ずっと部屋にいたのか? そろそろ海域に到着するってよ」 「よっしゃ!」 言いながらオルグが部屋へ入ってくると、祇十はアドから手を離し、あっというまに部屋を出て行ってしまう。 「元気だなー……大丈夫か?」 どこか感心したように言った後、ハンモックの上でぐったりとしているアドに声を掛けると『だいじょばない』と書かれた看板が掲げられ、オルグはつい笑ってしまう 『祇十のやつオレがうとうとぉってし始めたところでわしゃわしゃしに来るんだぜ。酷くねぇ?』 「よっぽど暇だったんだろうぜ。祇十だって止めろって言われりゃ、止めただろうに」 オルグが含みを持って言うと、アドは何も言わず頭を掻いた。祇十を見ていれば人が嫌がっている事をするような男ではないと誰だってわかるはずだ。そうしなかったという事はアドも嫌ではなかったか、祇十の暇つぶしに付き合ってやる気があったのだろう。 「今から甲板に行くんだが、一緒にどうだ? 気分転換になるぜ?」 『そうだなぁ、行くか』 文字と同時に溜め息を落したアドをオルグはひょいと持ち上げ、少し悩んでから自分の頭の上に乗せて歩き出した。 『お、こりゃラクチン』 「ん? アド」 微かな違和感を感じ、部屋を出たところでオルグは足を止める。見えるわけではないが、目を上に寄せ、んん?と声を上げていると 『爪でも引っかかったか?』 「いや……大丈夫だ。寝て落ちるなよ」 『あいよ』 まぁ、気にするほどでもないだろうと一人納得し、オルグは甲板へと続く扉に手をかける。風圧で重たくなった扉を開け、強風に息を詰めながら2階甲板へ出ると目がくらむまぶしさが二人を襲う。 ばたばたとたなびく帆を支える太いマストと外へ向けられた大砲以外なにもない広場の先には、1階甲板へと降りる階段が左右に伸びている。強風でアドが飛ばされないよう、オルグが頭上にいるアドを抑え、 「ポケットに入るか?」 『邪魔じゃなけりゃこのままで頼むわ。祇十はどこだ?』 「見あたらねぇって事は、下に行ったんじゃないか? 石とか海藻とか頼んでただろ」 階段へと進むオルグの視界に空の青とも海の青とも違う色がふわりと揺れた。手で影を創り、目を細めて船首を眺めると青系で統一されたシフォンドレスの裾を靡かせ仁王立ちしているエレナがいる。 「何やってんだ? あれ。あんなとこに居たら……なんだこれ」 危ないぞ、と声を掛けるより先にオルグは眼下にひろがる物に目を奪われる。階段の下、1階甲板の床一面には白いテープでマスキングされた巨大な四角があった。その中程にはエレナのぬいぐるみびゃっくんが、彼女が持ってきたトランクケースを抱えるような姿で一緒に置かれている。その印に何の意味があるかわからないが、オルグはとりあえず踏まないように船首へと向かった。 ざっぱん、ざっぱんと波飛沫が上がる中、ふるふると震えるエレナは、手をメガホンの変りにすると 「うみよー! わたしはかえってきたー!」 と楽しそうに叫んだ。 「……なにしてるんだ?」 「海に向かってこう言うんだって本にあったから真似してみたの!」 『最近の若い子ってわからねぇなぁ』 「いやいや、最近とかじゃなくないか?」 「オルちゃんとおいたんもやらない?」 にこにこ笑顔のエレナに無邪気に言われ、とりあえずオルグも叫んでおいた。 船乗り達の声を掻き消すように幾つもの鎖がジャラジャラと音を立てる。網を昇降させるのも、扉を開閉するのも人力だ。船が動いたままの漁業に号令は欠かせないのだが、歯車がかみ合う音も水飛沫の音も大きなせいで船乗り達の声は大きく怒鳴りつけるような会話だ。ちょっとでも気を抜けば魚を取り逃がし、ついでに自分も海に投げ出されかねない為、彼等は絶え間なく声を上げ動き回る。 そんな、逞しい海の男達が働く船倉の隅っこで繭人は目にうっすらと涙を浮かべ立ち尽くしていた。 大型海魔を討伐に来る場合、船員達は同時に通常の漁業も行う。大型海魔が取れなかった場合の保険でもあるが、大型海魔が取れた場合に必要な重量でもあるからだ。大型海魔は基本、船で引っ張って港まで運ぶのだが、対大型海魔用に積まれている大砲の玉や火薬等、重たい物を消費してしまえば船は軽くなる。大型海魔より船が軽すぎると船が浮いてしまい運べなくなり、せっかく倒してもムダになってしまう。そうならないよう、船乗り達は積荷にとして漁獲りをしているのだ。 そんな中、いつもなら捨ててしまう海藻や石を繭人のそばにある箱へと投げ入れる。海藻は繭人が、石はエレナと祇十が頼んだものだが、船員達が取れた物を繭人の方へと投げつける度、繭人は驚き身体を弾ませる。 「なにしてんでぇ?」 「ぎ、祇十」 知り合いに声を掛けられ、繭人はほっと安堵の溜め息をこぼす。基本のんびりとし人と接する事が、特に年上の男性が苦手な繭人にとってこの場所はものすごく居心地が悪かった。右も左も逞しい海の男、むきむきの身体と怒鳴りつける話し方、ばしばしと身体をたたき合う体育会系のやり取りにすっかり怯えていた。 あ、えっと、と言葉を濁す繭人は箱を指差し説明しようとするが、繭人の話を聞くより先に祇十は伝えたいことを理解し、声を上げる 「おぉい! もってっていいのどれでぇ!」 「あぁ!? その箱だ! そんだけありゃぁいんだろ!」 「おぉ! ありがとな! ほら、甲板まで持って行くから、おめぇも手伝え」 「う、うん。あ、あの、ありがとうございました」 繭人は精一杯大きな声で礼を言い頭を下げると近くにいた船乗りが「おう! そっちもたのんだぜぇ!」と返事を返してくれ、繭人は笑顔を浮かべる。 「よっし、逆たのまぁせぇっ……のっ」 繭人が礼を言っている間に祇十は箱に「軽」の1文字を書き、少しでも荷を軽くする。祇十のかけ声に合わせ、二人で箱を持ち上げる 「う、うん。あの、ありがとう」 「いちいち礼なんざいらねぇよ。くすぐってぇ」 箱を挟み並んであるく祇十の言葉は少々乱暴だが、その声色や苦笑する顔で悪い気はしていないのだと理解し、繭人はまた微笑む。元々のテンポが違いすぎる二人は行動も会話もタイミングを合わせるのが大変ではあるが、祇十は繭人に合わせようとしてくれているし、繭人が声を掛ければちゃんと返事は返ってくる。その事が繭人にはとても嬉しい事だった 二人が甲板に出るとエレナが大きく手を振って来た。 「まゆまゆ~! ぎじゅっち~! それ石とか海藻? 持ってきてくれたの?」 「おう、そっちの方がはえぇからな。オルグ、でかめの石を割ってくれねぇか?」 「おう、いいぜ」 言うなり箱をひっくり返し中身を甲板に広げた祇十はその場に胡座をかいた。適当に石を集め、掌に丁度収まる大きさの石をオルグに見せ、これっくらいと大きさを教えると、祇十は石に「爆」の文を書き記す。 「ん~~~~。あ、エレナはこれ!」 海藻の中からひょい、と1つ藻のついた石を選んだエレナは宝物をみつけたような笑顔になり、その場を離れる。 「あれ、エレナその石1つでいいの?」 「うん。一個あれば大丈夫~」 甲板の中程に置かれたままになっていたぬいぐるみ、びゃっくんに何やら話しかける仕草をすると、かちゃんかちゃん、と留め金が外された音が聞こえエレナの鞄が開かれた。大きく開いたトランクケースから歯車の軋む音や部品が繋がる音がし、次々と部品が飛び出してくる。1つ部品が広がり幾つかの部品を創り出しては離れ、くっついては離れまた新しい部品をつくり広がりだす。気が付けば、エレナが持ち運べるサイズだった鞄の何倍もある機械のような物があらわれていた。様々な色の液体が入った試験管や、ビーカー、丸と三角のフラスコ、むき出しの歯車が回り蒸気や色つきの煙を吐き出す不思議な機械はレトロな外見とはほど遠い近未来の技術を持っているようで、どことなく、ロストレイルを思い出させる。 「こりゃすげぇ」 「これ、何?」 「錬金術に必要な時間を短縮する鞄だよ」 そう言うとエレナは炉窓を1つ開け選び抜いた石を放り込む。ぱちぱちと幾つかのスイッチを押すとあちらこちらで機械が動き出した。 「錬金術、ねぇ。俺の魔術とはまた違うみたいだな?」 「うん。魔術とかは使う人が魔力と力の源があればいつだって使えるんだろうけど、あたしの錬金術は「物」が無いとダメなの」 エレナは足下にあった海藻を右手に持ち、皆に見えやすいよう両腕を突き上げる。何もなかった左手がぱっと小さく光ると、右手に持っているのとそっくりの海藻が握られるが、その海藻は直ぐに萎れ、灰となって消えた。 「簡単な複製なら無くても大丈夫なんだけど、今回は時間かかりそうだし、皆の足場になるかもっておもって持ってきたの」 「へぇ~。なんかすごいねぇ。あ、もしかして藻がついたのを選んだのは、撒餌にもするから?」 「うん! 皆の足場も必要だけど、とりあえず海中からでてきて貰わないとぎじゅっちの文字も消えちゃうし」 三人が祇十を見るが祇十は気に留めず静かに文字を書いている。面白そうな物が好きな祇十が会話に混ざってこないのはその為だ。 「撒餌もしてるけど、何時出てくるかはわからないもんねぇ」 「ん? じゃぁあっちの白い線はなんだ?」 「びゃっくんがおっきくなるのに必要な広さ」 エレナがぬいぐるみを押し出し両手を動かす。オルグがぬいぐるみをよく見ようと体を屈めると、頭上にいたアドが落ちかけ慌てて繭人がアドを受け取った。 「そういやアド、お前さんえびが出てきたらどうするんだ?」 「おいたんはあたしの肩でえび退治見学するの~。せっかく来たんだから特等席で!」 「おう、そうなのか。そのままの格好なら船内に避難した方がいんじゃねぇかと思ったんだが」 「え? そのままの格好って、アドさん」 毛並みを楽しんでいた繭人の手が止まり、アドを見下ろす中オルグが言う。 「ん? アドは人になれるだろ」 「えぇ! おいたん人になれるの!?」 「え? あれ、言ったらまずかったか?」 『うんにゃ? 別に隠してるわけじゃねぇんだけど……いつわかった?』 「さっき頭に乗せた時」 あ~、と間延びしてる風な文字が看板に出る。魔術や魔法系統を使う人に気付かれる事はあるが、どうやら滅多にばれないらしく、アドはオルグの能力が高いんだなぁと感嘆の文字が連なっていく。 『おっと、悪い。驚かせたな』 アドが地面へと飛び降りると、何故か繭人も膝を折り屈んだ。緊張気味に身体を強張らせた繭人に気が付き手元を離れたのだが、予想とは違う行動をとられアドは振り返って繭人を見上げる。予想は半々であたっていたらしく繭人はどこか迷いのある目でじっとアドを見下ろしていた。少し悩んだ後、繭人は柔らかく微笑むとアドを両手で優しく包み込み、さらさらと毛並みを楽しみだした。本人が楽しいみたいのなら構わないらしく、アドはおとなしくもふられている。 「あれ、ポケットになにか入ってる?」 『おやつが少々』 そう言うとアドはどんぐり等の木の実を始め、小さなポケットにどうやって入っていたのかとおもう程色々な物をぽいぽいと出し始めた。 「あ、松ぼっくり」 『使うか?』 「いいの?」 アドが両手で松ぼっくりを持ち上げ差し出すと、繭人はありがとう、と小さく礼を言いながら受け取った。 ぴくん、と耳を動かしたオルグが辺りを見渡す。その動作に何かおこるのかと皆が辺りを見渡していると、ぐらん、と船が大きく揺れた。 大きくゆったりと揺れた船の中、皆が柵から身を乗り出し海を見下ろすと海中に大きな魚影があった。船に併走する様に動いている影は、船より大きそうだ。魚影と船の間にある海藻が音を立てて爆ぜると、また船が傾いた。 えびの姿を確認したエレナは急ぎ機械の元まで走る。ぱちぱちと幾つかのボタンを押し大砲筒が現れると二つの持ち手をぐるぐると撒き大砲筒の傾きや長さを調節する。電車のつり革にも似たレバーを持ったまま、標準合わせがついた棒をぐいと伸ばすと船首を覗き込んだ。 「距離良し、前方障害物無し、いっくよー!」 力一杯レバーを引きドン、という大砲の音が響く。海面に着弾した瞬間カッと閃光がまたたき、その後には一面藻の生えた陸地が現れていた。 「おぉぉぉ! すっげぇじゃねぇかエレナ! この後も頼まぁな!」 祇十がわしわしと豪快にエレナの頭を撫でるとエレナは楽しそうにきゃっっきゃと笑う。 「じゃぁ、手筈どおりに俺と繭人は下だな」 「おぅ! 俺ぁ上で頭ぶん殴ってやらぁ!」 「エレナ、この機械は片付けておかなくて大丈夫なの? 置きっぱなしじゃ錆びないかなぁ?」 「お片付けは手動なのー」 見た目どおり微妙にレトロだった。 ゆらゆらと船が傾きだし、次第に揺れが大きくなっていくと、甲板に影が差し込みだした。足下から伸び、彼等を包み込む影を目で追っていくと、茶色い殻から海水が滝のように流れていた。 「でっっっっっっっっけぇぇぇぇぇぇ」 「えぇぇ、これ、大きすぎない?」 『ないわー。この大きさはないわー』 「うひゃぁぁぁぁぁ~! すごいすごい! 首痛い!」 「おおっ、こいつは本当にでっけぇな! 食えるとこだらけじゃねぇかよ!」 彼等の言葉通りえびは本当に大きかった。エレナの精製した岩場は船の甲板より低い筈だが、えびは船全体に影をつくる大きさだ。見上げる首にだるささえ感じさせるえびはゆらゆらと触覚を揺らしている。 大きすぎるせいか動きがゆっくり見えるえびは目の前にある船に見向きもせず、二つの鋏でがりがりと岩場から藻を削り取り、口に運んでいる。海魔とはいえ、いってしまえば大きいだけのえびだ。知能も高くなく、特殊な攻撃も無い。 オルグは試しに、と刀を一降りし光の刃を放つ。えびの足に命中したのだが、えびはこれといった反応を返さない。じゃぁ、と繭人も先程アドから貰った松ぼっくりをえびに向かって投げつける。空中で弾け、1つ1つのカサが大きくえびの足殻へ階段のように突き刺さるが、やはり反応はない 「殻が分厚すぎて気がついてねぇな、これ」 「こっちも特にみてないねぇ」 「ねーねー、ぎじゅっち行っちゃったよ?」 「「え?」」 エレナの指差す方を見ると、えびの足にしがみ付いていた祇十が繭人のつくった松ぼっくり階段に足をかけている所だった。呼び止める間もなく、祇十はひょいひょいと上に昇っていく。 「あぁあぁ、頭が先にやられたらマズイじゃねぇか。行くぞ繭人! 急がねぇとえびが逃げちまう」 「う、うん! あ、エレナ、アドお願い」 「いってらっしゃ~い」 アドを肩に乗せたエレナは三人を見送ると2階甲板へと向かった。 オルグが手を翳すと薄暗い岩場に一筋の黒炎が走り、まっさらな岩肌が現れる。藻の上は滑りやすく、いざというときの行動に支障が出ないよう、道を創り出したのだ。頭の下を通り、後ろ足へと向かう途中、オルグは思い出した用に長足へと手を翳した。遠く長い足の上で祇十が何かを叫んだのを聞くと、二人はえびの腹部まで走り抜ける。 「っと、繭人はこの辺りだな。俺は奥から戻ってくるが、頭上も足下も気を付けろよ」 「うん、オルグも気を付けてねぇ」 走って行くオルグの背に声を掛けると、繭人は海藻を足下に置く。船乗り達にお願いした海藻は岩や紐などに根を巻き付けて成長し帯のように長く成長する褐藻、いわゆるわかめや昆布等だ。足下に置いた褐藻は繭人の力を得てあっという間に岩場に根付き、繁殖する。濃影の中でオレンジと青白い光が煌めき、何度も瞬くのを見ていると、繭人の傍にあるえびの足がゆっくりと動き出した。 オルグとエレナの知識によると、えびの頭と呼ばれている部分は頭胸という名称であり、そこから伸びる長い足は胸脚、腹部から伸びる短い足は腹肢と2種類の足があるのだが、動く時は全てが順番に動くらしい。オルグは今、一番後ろの腹肢に絶え間なく攻撃している。一度の攻撃が効かないのであれば、えびがなんかおかしいぞ、と思うまで叩き続け、強制的に腹肢を動かさせるつもりだ。 狙い通り、えびの腹肢は動き、真っ直ぐに伸びた後足下の岩場を擦りながら海へと入って行く腹肢に、次々と褐藻が伸びていく。岩場と腹肢を、そして隣同士の腹肢も結ぶようにぐるぐると巻き付き続ける。うまくいけばこのえびは、子持ちえびの様になっている筈だ。 「これくらいで大丈夫かな?」 「獲物がでかいからよくわからねぇが、大丈夫だろ」 「うん、潰されないうちに俺達もいこうか」 二人は急ぎ、来た道を戻っていく。 松ぼっくりの階段が無くなると、道はつるつると滑りやすい殻だ。祇十は手近なところにあるトゲのような突起物に手や足をかけ、ひょいひょいと器用に昇ってきた祇十だが、関節部分まで来ると腰に手を当て声を漏らす。今まではほぼ垂直だったので昇りやすかったが、この先はなだらかな傾斜であり、今までのような突起物も少ない。 「めぇったな、どうすっか……お?」 頭を掻き、現状に一番ふさわしい字を捜していると、目の前を黒炎が駆け抜けていく。炎が通った後の殻は水分が全てとび、殻が乾ききって赤くなっていた。 「おぉ、あんがとよぉーー!」 祇十は下を覗き込み岩場に向けて叫ぶと、赤くなった殻の上を走り、頭上まで駆け抜けた。頭上へと辿り着き、辺りを見渡すとエレナの創った石壁を見つける。それがある方向が尻尾のほうだから、と石壁に背をむけ、祇十は足下に「脆」と書き、「爆」の字を書いた石を置いて回る。これだけ大きい相手では直接書き込んでも威力は落ちるだろうし、うかうかしていると水分で文字が消えてしまう。手早く攻撃をするとしても石を爆発させるには、傍に自分が居れない。 考えた結果、祇十は数で勝負する。「脆」を書いて石を置いて走り爆発させ、また次を書く。 ドン、と遠くから砲撃の音が聞こえ、祇十は空を見上げる。 「おぉ、来た来た!」 空に1つ、大砲の弾が見えると祇十が念を込める。丸い大砲の弾は放物線を描いて落ちる途中、三つ叉の矛へと変りえびの足下へ突き刺さった。ゆらゆらと揺れる一本の棒を少し眺めた後、祇十はまた走り回る。 頭上をあちこち走り回りドンと砲撃の音が聞こえれば空を見上げ、念を込めた。 エレナに頼まれ、大砲の弾には前もって「矛」の一文字が書いてある。変化した矛の文字が海水に浸れば文字は消え矛も消えてしまうのだが、「やってみたい!」というエレナが楽しそうだったのと、祇十自身面白そうだったので試してみたのだ。失敗しても良い、という物でも上手くいけば嬉しい物だ。 さぁ次だ、と思った瞬間、足下がぐらりと大きく傾いた。 「おぉぉぉぉ、いい加減、ご立腹ってやつかぃ!」 どん、と砲撃音とはまた別の音が聞こえ祇十が空を見上げると、空一面に網が広がった。巨大なえびを捕まえる網は祇十の周りに大きな線となって広がる。傾く足下を滑り網へ辿り着くと祇十は網に「杭」と書き、真下の殻に「脆」と書く。 「おぉらよっとぉ!」 大きな音を立てて殻が割れると、網から伸びた杭は深々と突き刺さる。余程痛かったのだろう、えびの頭が跳ねる様に動き、祇十は海へと飛ばされた。 「やっべ」 辺りを見渡すと船の甲板に大きな兎がえびを捕らえる網を持っている。その足下にエレナを、立ち上がろうとするえびの脚に攻撃を繰り返す繭人とオルグを見つけた。エレナがこちらに気が付き、繭人に声を掛けているのを確認した祇十は懐から「壁」と書いた紙を取りだした。空中で念じ、「壁」を足蹴にして網の方へ飛ぶと、網から昆布が伸び祇十と網とを繋げた。 網の隙間から祇十が手を振ると、エレナと繭人も手を振った。 「お、予定とはちょっと違うが、祇十もいなくなったか。エレナ! 繭人! 頼むわ」 「うん」 「はーい!」 二人は返事をするとえびを拘束していた網や海藻達の力を解いた。ぎちぎちと音を鳴らし逃げようと力一杯藻掻いていたえびはもの凄い勢いで真っ直ぐに後ろへと飛び退き、岩壁にぶつかる。 懇親の力で逃げようとしたえびは自分の力全てを受け、大事故でも起きたような音を立てたあと、微動だにしない。 しん、と静まりかえった後、えびの体がゆらりと揺れ大きな水飛沫を上げて崩れ落ちた。 「わぁーー! すっごいすっごい! 高い!」 自爆、という形を引き起こさせ無事えびを討伐した後、エビの上に乗ってみたい!というエレナの希望により皆が運ばれているエビの頭上にいる。船より高く、遮る物のない頭上は風が少し強い。 同居人へのエアメールを書き終えた繭人が顔をあげると遠くにジャンクヘヴンが見えはじめる。祭りが楽しみな反面、なぜか昔の事も思い出してしまい、繭人の顔が曇る。 「ねぇ、アドさん、ジャンクヘヴンに戻ったら、無名の司書さんにもふらせてあげない?」 エレナの肩に乗ったままのアドに声を掛ける。うん?とアドが、何故かエレナも一緒に首を傾げると 「その、仲の良い人に、本気じゃないってわかってても距離を置かれるとか、さみしいと思うんだ」 そう、薄く微笑んで言う。アドの尻尾が何度か揺れ、なかなか返事を貰えず困った顔をする繭人がダメかな?と伺うように首を傾げると 「まゆまゆはやさしいねぇ」 『だなぁ』 何故かエレナとアドにしみじみと言われてしまう。聞きたい答えとは別の返事が返され、繭人がおろおろしていると 『しょーがねぇ、このままじゃ繭人が泣きそうだからひともふりさせてやるかね』 「な、泣かないよ!?」 慌てる繭人を余所に、船員が港にはいるから船に戻れと叫んだ。 オルグは飲み物片手に調理班にいた友人と楽しそうに話していると、祭りを堪能してきたと一目でわかる格好の祇十が戻ってくる。料理ができあがった瞬間に戻ってくるあたり、もの凄く良いタイミングだ。美味しい料理を食べつつ楽しく話、飲み比べに参加したりと、せわしなくあっちこっちを走り回って祭りを存分に楽しんでいる。そんな祇十や人混みから少し離れた場所で繭人は無事同居人と合流し笑顔で料理を楽しんでいた。 エレナは夜用のドレスに着替え、びゃっくんと一緒に幾つもの鈴を抱えてやってきた。火城に声を掛け鈴を渡すと、料理を持って移動する火城についていく。せっかくの祭りだから、と司書達に鈴をプレゼントするらしい。 祭り会場の端の方、頬を紅く染める無名の司書は空になったジョッキを高々と持ち上げ、ぷはーっと気持ちよい声を上げた。空になった積荷箱の前では灯緒とアドがえびや蟹の殻を一心不乱にぢゅーぢゅーと吸っている。 その、少し後ろ。箱と箱の間にはロープに洗濯ばさみで干されている赤い熊が、水滴を滴らせながら風たなびいているのを見て幼き探偵は努めて冷静に呟いた。 「……ガワ」 夜空に鈴の音が響き渡るまで 賑やかな宴会はもう暫く続く
このライターへメールを送る