日々、雲の色と空の色が濃く、陽射しが強くなっていくある日。壱番世界の日本はもうすぐ夏を迎える。季節の移り変わりを目で楽しもうと植物園に訪れる人々は、これから訪れるであろうひそやかな悲劇の種に気づかず花を愛でていた。 やがて夜が訪れ、閉園になった植物園の敷地内。そこにはいつから居たのだろう、真っ黒なワンピースの少女が、銀の髪を揺らして宵闇を縫うように歩く姿があった。足取りは軽く、踊るように伸びた手には色とりどり……というには毒々しい飴玉を握っている。 月明かりが少女を照らし、色濃い影が短く足元に付き纏う。見渡す限りに広がった白いバラの花、その棘に構わず1本を乱暴に折り、少女は笑って花弁を握り潰した。「……綺麗、とっても綺麗」 少女の唇は笑顔の形に歪む。 握られていた飴玉は、いつの間にかバラの中に投げ込まれて消えていた。「みんな、いい子ね。だいすきよ」 じゃらじゃら、からから。 真っ赤なポシェットに瓶詰めの飴玉をたくさん詰め込んで、少女は楽しげに笑う。＊＊＊「今すぐ壱番世界に向かってください」 導きの書を開き、世界司書のリベル・セヴァンが緊張した面持ちで告げた。冷静沈着な雰囲気を崩さないリベルのいつもと違った様子に、壱番世界で何かただならぬ事態が起こっているであろうことは容易に想像がつく。「壱番世界の日本にある植物園は今、バラの花が見ごろなのですが……そのバラが謎の枯死と繁殖を繰り返しているのです」 視線をロストナンバーから再び導きの書へと戻し、浮かび上がった予言に指を這わせてその内容にリベルは深くため息をついた。「どうやらファージが侵入し、バラに寄生しているようです。放っておけば植物園だけではなく、周辺地域の植物も被害を受けるでしょう。そうなれば生態系に大打撃を与えることは必至です」 その為一刻も早く植物園に赴き、ファージに寄生されたバラを駆除して欲しいとリベルは強く訴えた。「寄生したファージは周囲の健康なバラを枯死させ、自身は擬態しています。枯れたバラの中に一本だけ普通のバラがあるような状態ですから、見分けるのは容易でしょう。生物が近づくと擬態を解いて、茎を鞭のように操ったり、棘を飛ばしたりして攻撃してくるようです。棘は厚手の布くらいなら貫通してしまうので、注意してください。駆除方法ですが、根ごと燃やしてしまうのが一番かと思います。ファージを燃やせば枯死した他のバラは放置しても構いません……決して元に戻るわけではありませんが」 今からロストレイルで現地に向かった場合、到着は深夜になるため人目を心配する必要は無い。ここまで説明し、リベルは更に深刻な表情で語気を強めた。「これだけならば、特に問題の無いファージ討伐です。しかし気をつけてください、このファージは人為的に持ち込まれたものです。外界からファージを持ち込み、逃走する人物が居るとの予言が現れています」 導きの書には、ロストナンバーと思われる人物がファージを連れて壱番世界に侵入している旨の予言が現れている。その人物が何故ファージを連れているのか、何故壱番世界を侵食しようとしているのか、委細は不明だが見過ごすことは出来ない。「もし可能であればファージを持ち込んだ人物を捕らえてただきたいのですが……それには情報が足りません。まずはファージを駆除し、被害を最小限に抑えることを優先してください」 悔しげな言葉とともに、導きの書は閉じられた。
◆ 綺麗な薔薇には棘がある。綺麗なもの、特に女性の外見の美しさに気を取られていると痛い目に合う、とかいう意味の日本のことわざであるが、今夜ロストナンバーたちが対峙する薔薇は確かに、彼ら彼女らに傷をつけている。 薔薇に寄生したファージはロストナンバーたちへの攻撃の合間、着実に自らの領域を広げ、潰しても潰してもいたちごっこのようにファージが蘇るという悪循環を生み出していた。 無理も無いだろう、侵食領域を広げていたのは単体のファージの行動ではなく、未寄生状態のファージが戦況に応じていくつも花壇の中に投げ込まれた結果なのだから。 この状況の元凶であるひとりの少女は、花壇の中央でただ笑っている。肩から提げた真っ赤なポシェットは少女の動きに合わせて時折揺れ、からからと中身のぶつかる音が響く。その音は、少女がまだ蠢く武器を隠し持っているということを如実に示していた。 「……」 墨染ぬれ羽は切羽詰ったこの状況をよしとしないまでも、強敵との戦いを続けられることに関しては薄ら笑いでもって歓迎している。縦横無尽に伸び、振り回される茎から放たれる薔薇の棘を袖で叩き落し、茎の鋭い打撃を掻い潜って、あるいは絡め取ってナイフで切り刻む。落とせなかった、避け切れなかった棘が頬や腕を掠め、他の仲間に襲い掛かるが、構っていられないのか構う気が無いのか、ぬれ羽はただ嬉しげにナイフを振りかざす。 「わたし、もう行かなくちゃ。せいぜい頑張ってね」 止まない斬撃と鞭打の応酬を見飽きたのか、それとも何かしらの刻限が訪れたのか。薔薇の植えられた花壇の中央、ファージに守られるようにして佇み、事の成り行きをにやにやと笑いながら見守っていた少女が、突然にその場から立ち去ろうと踵を返した。 「ふざけんなッ！！ お前らは……」 「うるさい。死ね。……行きなさい」 坂上健が怒りの感情をあらわにし、最後の得物であったボーラを少女の足元に投げつけ捕獲を試みる。が、少女はそれすらも笑って見下した。行きなさい、と一言指示を受けたファージは地を這うように飛んだボーラを茎でキャッチし、まるで健の真似をするようにそれを投げ返した。ボーラは見事に健の両足首に絡みつき、バランスを欠いた健はその場に膝と両の手をつく。 「あはは、上手。いい子いい子」 薔薇の反撃が綺麗に決まったのだけを見届け、少女は禍々しく咲いたファージの花弁を優しく撫でて花壇を離れる。世界司書リベル・セヴァンの予言によれば、少女は逃亡してしまう運命にある。逃がすまいとロストナンバーたちが気色ばんだのもつかの間、少女は再びポシェットに手を入れて紫色の飴玉を取り出した。 「邪魔しないで、急いでるの」 捨てるように地面に落とされた紫色の飴玉は、音も無く姿を変えた。ロストナンバーたちは新手のファージかと身構え、周辺の健康な植物に注視するが、あらわれたのは少女の身体をぐるりと包んでまだ余る長さのワームだった。それは大蛇のようでもありミミズのようでもあり、しかし無数に生えた鉤爪がムカデも連想させる姿だ。ワームは口と思われる部分から緑色の粘液をぼたぼたと零し、ロストナンバーたちへの敵意を剥き出しで低い唸り声を上げた。粘液が落ちた地面はどす黒く変色し、強烈な異臭が漂い始める。毒の可能性を感じたロストナンバーたちは苦々しい表情で足を止め、少女が悠然と立ち去るのをただ黙って見送るしか無かった。 「じゃあ、また会いましょうね」 不敵な笑みとファージを残し、少女とワームは植物園に隣接する防風林の中へと消える。置き去りにされたファージは、守るもののなくなった身軽さで凶暴性を強めロストナンバーたちに再び襲い掛かった。 ロストナンバーたちは一様に納得出来ない表情で少女が向かった方角を気にしている。その様子からは、謎が残り、今の状況も芳しくないことが分かる。……何故このような事態になってしまったのか、少し時間を遡ってみるとしよう。 ◆ 「ゼロにほのかさんに、墨染か……今日はよろしくな？」 ロストレイル車中で交わすのを忘れたていたようで、健が同行の3人に人懐こい笑みとともに挨拶をひとつ。ほのかがそれに倣ってこちらこそ、とたおやかにお辞儀を返し、シーアールシー ゼロも曖昧な微笑みでそれに応えた。 目的となる薔薇の花壇は現在地から少々歩いたところにあるらしく、4人は案内板と月の光を手がかりにファージを探し始める。 「しかしなあ、ファージを持ち込んだ人物？ 逃がすのはシャクだよな」 「予言からは、侵入者の捕縛や戦闘は無理と思われるのです。リベルさんもまずはファージの処理をと言っていましたのです」 「そうね、先にふぁーじを……けれど、とても嫌な予感がするわ……」 あくまで侵入者を捕らえることに重きを置いた健の持ち物はネットガンや獲物に投げつけて捕縛する民族武器のボーラなど、色々と物騒である。確かに元凶を捕えれば被害を最小限に食い止めることが出来る。が、導きの書を繰ったリベルの表情が暗かったことをゼロはしっかりと覚えていた。 捕らえるには、情報が足りないと。予言を冷静に受け止め分析するゼロの言葉にほのかが頷くが、同時に言いようのない不安を覚えて琥珀色の瞳を曇らせる。 「以前……ふぁーじに荒らされた蚕の里で、不穏なろすとなんばぁを見たの……」 ほのかが以前依頼を受けて赴いたヴォロスでも、今回のように不審な人物が見え隠れしていたという。ファージを放ち、状況を観察しているようにも見えたその様子を思い出し、今回の侵入者も恐らくファージを寄生させた薔薇を見渡せる場所か、あるいはまだ花壇に留まりファージを施しているのではないかと予測を立てていた。 「……」 話の進む様に無関心なようでいてちゃんと聞き耳を立てているぬれ羽は、無言でこくりと頷いた。侵入者は薔薇に施したファージの様子を見渡せる場所に居る……ほのかの予測と自分の推測が符合していたためだ。 「邂逅時間は僅かと思われ、侵入者との会話方針を決めておく必要があるのです」 「そうだな、何か聞こうにも的外れなことばかりじゃリベルさんに怒られそうだ」 ゼロの提案に健が賛成し、ほのかとぬれ羽も同様に頷き意思を見せる。 「侵入者は人為的にファージを持ち込む技術を有しているのです。ならば侵入者の目的は壱番世界の破壊とみて間違いないのです」 「ええ……以前見たろすとなんばぁのように、ふぁーじの様子を観察して……次の手を考えているのだと思う……」 予言の内容と照らし合わせ、偶然ではなく悪意を持って壱番世界に侵入した存在とひとまず位置づけ、ロストナンバーたちは侵入者が世界を破壊するメリットについてを推理し始めた。 「ほのかさんが見たっていう、ファージを観察してたロストナンバーも同じ目的なのかな？」 「わからない……けれど、もし今回の侵入者があのろすとなんばぁと同じところから来たのなら……狙いは複数の世界……？」 推測に推測を重ねるのは本来とても危険な推理方法ではあるが、今回はあまりに情報が少ない。謎のロストナンバーと、ファージ。ほのかがヴォロスで対峙したケースと同じ組み合わせである以上、何らかの繋がりがあると考えるのは妥当だろう。 「これはゼロの推測です。たくさんの世界群が破壊されたら、下層に位置する世界は上層に移動するのではないかと思うのです」 「つまり……自分の出身世界を上に押し上げたいってことか？」 「もちろんあくまで推測なのです。上層に移動すれば、その世界は光溢れ秩序の保たれた世界に近づくのです。侵入者はそれが狙いのように思うのです」 確かに、世界群の階層は何らかの切欠で時折上下に移動することがある。あるロストナンバーがある世界を破壊し、その結果ロストナンバーの出身世界が安寧が訪れるというゼロの考えは一理ある。しかし、世界階層の移動についてはまだ詳しいことが解明されておらず、加えてこの考えにはひとつ大きな矛盾があった。 「面白いけど、侵入者はロストナンバーだろ？ 出身世界を見失って、記憶も薄れていくんだ。つまり万が一だけど……自分の世界にファージをバラ撒く可能性もあるんだよな」 「ええ……それともわたしたちのように、ぱすほるだぁのようなもので……？ ……！」 健の言うように万に一つの可能性だが、侵入した世界が侵入者の出身世界であり、その記憶を既に失っていることも考えられなくはない。仮に出身世界にファージを放てば、文字通り故郷を物理的に失うことになる。そんな危険を冒してまで世界を破壊する目的とは一体何なのだろうか？ 尤も、壱番世界のロストナンバーはコンダクターとしてディアスポラ現象を起こすこと自体が非常に稀であるため、侵入者が壱番世界の住人とは考えにくい。……『だからこそ』破壊目標として選ばれた経緯があるのかもしれないが。 そして授けられた予言の記憶と知識をすり合わせながら、言葉を一つずつ選んで話すほのかが、何気なく言った一言が重大な意味を持っていることに気づき、思わず手で口を押さえた。 そう、世界図書館に所属するロストナンバーは、ツーリストもコンダクターもパスホルダーを所持することで失われてゆく記憶を留め、消失の運命から自分の身を守っている。 仮に。ほのかが見たヴォロスのロストナンバーと今回の侵入者が同じ目的を持っており、何らかの悪意の証として異世界にファージを持ち込んでいるのだとすれば、彼らは世界図書館のような組織に保護され、組織の意志でそうしている可能性が考えられるのだ。 「なるほどなのです。しかし全て推論にすぎないのです。ここは一人一つずつ、一番気になることを聞くのが最善と思われるのです」 「……」 周囲を気にしながら薔薇の花壇を探すぬれ羽が、ゼロの提案にこくりと頷いた。今まで重ねた推論は正しいかもしれないし間違っているかもしれない。となれば、それぞれが持っている疑問を直接ぶつけるのが結局のところ一番いいという結論に落ち着いた。さっきから、というより普段から喋るところを誰も見たことのないぬれ羽にも聞きたいことはあるのだろうか。 「（……なぜ……）」 リベルの予言を聞いてからずっと気になっていたこと。侵入者は、何故……。 ◆ 闇夜を照らす白銀色、もうすぐ満ちる月の光。鋭くすら感じられるその眩しさを受けて、花々は今夜もひそやかに眠り朝を待つ。……はず、だった。 「……！ あれだ、枯れてる」 セクタンのポッポが空の上から異様な花壇を見つけ、視界を共有する健がその方向を指差す。するとなるほど予言通り、いやそれ以上の惨状がロストナンバーたちを出迎えた。 死屍累々。 そう表現するのが相応しいと思えるほど、花壇の一角は荒れ果てている。千切れて地面に横たわる薔薇の茎は、水分でぐずぐずにふやけて腐臭を発しているか、麻縄のように干からびているかのどちらか。美しかったであろう花弁も汚らしい薄茶色に染まってしまっている。その横で、昼間と変わらず咲き誇る純白の薔薇たちのうち、どれがファージに侵されているのだろう。花壇は予想以上に広く、枯死したものと健康に見えるものはハッキリと分かれている。 「まあ……花弁がとても豊かな花ね……」 壱番世界の薔薇を知らないほのかが、遠目から花を眺めて目を細めた。このうちのどれか、あるいは全部が擬態しているファージなのだが、美しいことに変わりは無い。 「綺麗でしょ？ ……ほんと、憎らしいくらい」 「！！！」 咲き誇る白薔薇の中から、聞こえる声。ロストナンバーたちが驚いて身構えると、そこにはいつから居たのか……13歳ほどの少女が笑って花壇に立っていた。その頭上に真理数は見えず、少女がロストナンバーであることは明らかだった。 何がしかの悪事を働いた者が身を隠す場合、心理的な安全を求めてその現場から遠ざかるのが普通だと言われている。だがこの少女は自身にとって最も安全な場所……つまりファージに囲まれるようにしてロストナンバーたちを見据えている。何とも大胆な隠れ方に驚くしかない。 「お前が……ファージを持ち込んだ侵入者だな？」 綺麗に整えられた髪が月明かりで灰色が銀のように光り、薔薇の中で微笑む少女の姿は顔立ちの美しさもあってどこか神秘的に見える。うっかり外見に騙されそうになるが、健は気を取り直して少女に問うた。 「ちがいまーす。お兄さんこわーい」 少女は口の形こそ笑みを保っているが、その目には冷ややかなものが宿っている。明らかに挑発するような嘘で、ロストナンバーたちの出方を伺っているようだ。 「そうか……。だがな、此処に居て俺たちの仲間じゃないってだけで充分だ。見た目で手を抜く気はないっっ！！！ ポッポ！」 少女の見下したような態度にカチンときた健は少女を敵と見做し、ポッポに指示を出す。ポッポが花壇と仲間たち、そして侵入者の少女が見渡せる位置でホバリングし始めるのを確かめ、健はネットガンを構え少女に向かって発射した。たちまちのうちに、少女を捕らえるべく捕獲用ネットの錘が勢いをつけて四方に広がった。 「……」 ちら、と少女が薔薇の花に目配せし、ネットの描く放物線を指差す。すると少女の隣に咲いていた薔薇の花が見る間に巨大化し、蛇が鎌首を擡げるようにその茎も伸ばす。あれがファージか、とロストナンバーたちが目で確かめた瞬間、ファージはしゅるりとネットを絡め取ってしまった。 「なっ！！」 ほぼ正面から放たれたはずのネットだったが、その中央に向かって棒状のものがスナップをきかせれば簡単に阻まれてしまう。少女はファージの働きに、見下した微笑ではなく本当の笑顔で応えた。 「いい子ね」 まさかファージを持ち込むだけでなく操るとは夢にも思わず、ロストナンバーたちはファージがやってみせた一連の動作を唖然と見るしか無かった。ファージは少女を守るようにさわさわと茎を伸ばし、殺傷能力をアピールするように棘をちらつかせる。 「……」 これに斬りかかったのはぬれ羽だ。トラベルギアのマスケット銃は背負ったまま、愛用のナイフが月光にぎらりと光る。ぬれ羽を敵と認識したファージが茎を振り回し棘を四方八方に飛ばす。避けられるものは足で避け、どうしても当たりそうなものは袖で庇うようにわざと受け止めてファージに近づく。そうして先ほど健のネットを絡め取ったファージ目掛け、目にも留まらぬ速さで茎を切り刻んでみせた。 「薔薇の安寧はもう戻らないのです。でも、安眠ならば……」 ゼロが他の仲間を棘から守るべく自身の特殊能力で身体を巨大化させる。願わくばファージに侵された薔薇の安寧を取り戻したい、だがそれは叶わぬ願い。ならばせめて安らかに眠り、次の生命の糧となってほしい。そんなゼロの思いを感じることのないファージはゼロに向かって棘を飛ばすが、トラベルギアの枕がゼロに対するあらゆるダメージを吸収し無害化する。あとはこのままゼロがファージの根を掘り起こし、誰かが火をつければ、それで終わる。 しかし。 「……ふうん……」 自身のもたらしたファージが手ひどい目に合うのを黙って眺めていた少女が、面白くなさそうな顔で肩から提げたポシェットのボタンをぷちりと外した。取り出したのはマグカップほどの大きさの硝子瓶で、中には血のような赤色、濃い紫色やくすんだ黄土色など、毒々しい色使いの飴玉のようなものがぎっしり詰まっている。 「みんな、おいで」 誰に話しかけているのだろう、仲間を呼び寄せるような口ぶりで少女は瓶の蓋を開けて中身を半分ほどばら撒いた。飴玉のようなものはおのおの重力に逆らわず、ぼとぼとと地面に落ちて……消えた。 「まさか……」 持参した武器の類が役に立たないと悟った健がトラベルギアのトンファーを構え、最悪の想像を頭の中で巡らせる。そしてそれはどうやら当たっていたようだ。 今まで事態を静観するようにただ凛と花を咲かせていた薔薇たちが、少女の隣にあったファージのように禍々しい姿となって花壇から溢れ出す。1本なら先ほどのように対処出来ただろうが、このように数を増やされてはファージと少女の両方を相手にするのは厳しい。もとよりファージの数が増えたことで、少女に近づくことすら困難になってしまったのだから。 ◆ 縦横無尽に飛んでくる棘をぬれ羽が叩き落して、鞭のように伸びる茎を健がトンファーで絡め取って強引に根ごと引き抜く。ゼロは盾となり3人を守る。そして戦闘能力の無いほのかはゼロに守られながら、少女のオーラを探っていた。 「（なんて、どす黒い……）」 少女が発する言葉の端々からにじみ出る悪意は、誰もが感じ取ることが出来た。その奥底にあるはずの感情や真意を量ることが出来たなら、仮に少女を予言通り逃がしてしまったとしても有益な情報足りうるかもしれない。だが、ほのかが看破することの出来た少女の感情は憎悪、嫉妬、利己といった他害的なもので溢れており、とてもではないが何か組織的な目的を持って事を起こしているようには思えなかった。 ならば、とほのかは精神を集中させて憑依を試みる。記憶を読み取り意志を知るだけでなく、行動を操って捕獲を容易にしようと思っての行動だった……。 「…………！ ……うっ、うぇ………」 「！？ ほのかさんどうした！？」 突如、かはっ、と咳き込むように喉をおさえ、ほのかは息を荒げ膝をつく。額に脂汗の滲むその様子が尋常でないことを感じ、駆けつけた健がゼロとほのかの間に立って盾となった。 ＿＿死ねばいい。 ……ぜっ、ぜはっ……。 ＿＿綺麗なもの見て喜んでる偽善者なんて、死ねばいいの。 ＿＿偽善者も、綺麗なものも、邪魔するこの人たちも、優しいふりして馬鹿にするあいつらも、全部死ね。 ＿＿死ね死ね死死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね！！！！！！！！！！！！！！！大っ嫌い！！！！！！！！ 言葉として頭の中で反芻するのもおぞましい、周囲の全てに向けられた憎悪。このまま憑依を続けていれば精神が壊れてしまう。薄い笑顔の下にどうやってこんな感情を抑え込んでいられるのか、ほのかには全く分からなかった。 それでも辛うじて読み取れた記憶の中で、少女はとある通り名で呼ばれていることが分かった。憑依を完全に解き、呼吸を整えてほのかはその名を呼んでみる。 「……きゃんでぃぽっと？ それがあなたの名前なの……？」 ぴくり、と。ほのかの呼び声に反応した少女は、名前を肯定するようににっこりと笑ってみせた。先ほどまで見せ付けられていた真っ黒な感情と裏腹の、どこにでも居るような少女のあどけない微笑み。乖離しすぎた両者の差にほのかは先ほどの体験を思い出して貧血のような眩暈を覚えた。 「ふうん……知ってるんだ。そっちはそういうことが出来るのね。そうよ、わたしキャンディポット。可愛いでしょ？」 ファージに囲まれながら、その場でくるりとターンして少女……キャンディポットはワンピースの裾をつまんで優雅にお辞儀をしてみせる。 「キャンディポットさん、あなたの出身世界はそんなに危機に瀕しているのです？ その方法では貴女の世界を上層に移動させることは不可能なのです」 「……パパ・ビランチャとお前らは、元の世界に戻るために他の世界を減らすことを選択した……そう受け取っていいんだな？」 その言動から、キャンディポットもまたこちらの情報を欲しがっていると推測したゼロが、今がチャンスとばかりに質問を投げかけた。健も以前インヤンガイで出会ったマンファージの事件を思い出し、関連性の有無を確かめるべく問う。キャンディポットは一瞬不思議そうな顔で二人を見るが、すぐに質問の真意を理解したようで、小馬鹿にしたような笑みを向けた。 「上層に移動？ そんなことして何になるの、ばかばかしい」 「質問に答えるのです。それとも、世界の階層移動には興味が無いということなのです？」 「興味なんかあるわけない。元の世界？ 冗談キツいわね」 吐き捨てるような回答だったが、全くの無益でもない。つまりキャンディポットは出身世界の改善には興味が無く、また出身世界に戻ることも考えていない、ということが判明した。 では何故、このような破壊活動を行っているのか？ それに対する答えを4人は欲した。 ぬれ羽はしゃがみ込み、先ほど切り落としたファージの花を拾う。ぬれ羽の手のひらに載せられたその花はもうファージとして機能せず、切り花のようにただ咲いていた。 「…………なぜ、はなだった」 その問いはシンプルで的確だった。本当に世界を破壊する為なら、もっと凶暴な生物が適していただろう。もっと人気の多い時間を狙うべきだろう。自分がキャンディポットの立場ならば、そうする。それを敢えて、何故夜中の植物園なのか、何故薔薇でなければならなかったのか。ぬれ羽はそれを知りたかった。 「……嫌いなの、綺麗なもの。大っ嫌い」 嘲るようなキャンディポットの笑みが一瞬、すうっと冷え切った。目を眇め、ぬれ羽の真意を確かめようとしているのが分かる。それは聞かれたくないことを聞かれて心を閉ざすときの仕草のように見えた。 ぬれ羽の質問は破壊活動の効率という観点から投げかけられたものだったが、それに対しての明らかな苛立ちがキャンディポットから感じられる。ファージたちもそれを察してか、確実に数は減っているにも関わらず攻撃の手が緩まることはない。 別れの時は近づいていた。 ◆ そして話は冒頭に戻る。 「じゃあ、また会いましょうね。次は別の世界がいいわ……もっと派手にやっても怒られないところで」 とん、と爪先で跳ねるように。キャンディポットはワームを引き連れて防風林の奥へ消える。この時点でどうにかファージの殆どを戦闘不能にすることは出来ていたが、これを放置してキャンディポットを追いかければファージは復活するし、かといって少ない人数を分散させて追尾と駆除にあたるのは分が悪い。ロストナンバーたちはターミナルでリベルが見せた悔しげな表情そのままに、ファージの駆除に専念する。 「くそっ……！」 「仕方がないのです、ここまでは予言通りなのです」 巨大化したままのゼロが持参した油を花壇に撒く。取り逃がしてしまった自分に怒りを向ける健が、最後はきちんとしようとポケットから簡易ライターを取り出して着火する。身体への延焼を防ぐため花壇から離れ、火のついたライターを投げ込めば、純白の薔薇が咲いていた見事な花壇はあっという間にオレンジ色の炎に包まれた。 「……ひとつ、気になるのだけど。彼女は……世界を完全に破壊するために来たわけではないのかしら……？」 ＿＿次は別の世界がいいわ、もっと派手にやっても怒られないところで ぱちぱちと爆ぜながら燃える炎を眺め、まるでお清めのようだとぼんやり思いながら、ほのかがキャンディポットの最後の言葉に対する疑問を述べた。 「（こわしたら、おこられるのか？ でも、ほかのせかいにも……なぜだ）」 ほのかの、独り言のような疑問を受けて。ぬれ羽はとりとめもなく考えていた。完全に破壊してはいけないのに、世界にファージを送り込む理由を。 「また会う機会は必ずあるのです。その時の為に、今日のことはぜんぶ報告するのです」 「ああ、格好つかねーけどな……」 少しずつ下火になり、くすぶり始める花壇を見つめる4人とポッポ。その後ろにはキャンディポットの消えた防風林がある。そこから、小さな円盤のような乗り物が飛び立ったのを見た者は居なかった。
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