ここは、どこの異世界か。 あるいはフィクションの中だけに存在する、無国籍のメガシティか。 人工島に並び立つ、目もくらむような摩天楼と、華やかな7つ星ホテルは、虚構めいた非現実感で旅人たちを圧倒した。「ここが壱番世界だっていうのが、まだ信じられねぇ」「で、ロバート卿とやらはどこにいるんだろうな」 数人のロストナンバーたちが、ロバートを探していた。 そもそも何故、ロバート卿は、これほどの経費を使い、多数のロストナンバーたちを招待したのか。 商才に長けた人物は、見返りなしに資金を提供したりはしない。 もし、これが投資であるなら、彼が手にする利益は何か。 そして、ロストナンバーたちは、ホテルの最上階に辿り着く。 ひときわ凝った意匠の内装である。大理石の壁がふたつに分たれ、ガラス張りの通路が空中へと伸びる。空中回廊は、巨大なシャボン玉を模した強化ガラスの球体につながっている。 つまりは壮大なBubbleという、辛辣な皮肉が効いたオブジェだ。 宙に浮かぶシャボン玉の内部は、カクテル・ラウンジになっているようだ。カウンター席にはただひとりの客が……、素晴らしく仕立ての良いスーツを身につけた英国紳士がいた。 ロード・ペンタクル――ロバート・エルトダウンである。 日没の時間だった。 オレンジ色の夕日がガラス越しに、青年紳士のプラチナブロンドを、本来の色よりも濃い、燃え立つような黄金色に染めている。 旅人たちをみとめたロバートは、飲みかけのカクテルを手にカウンターを離れ、彼らのテーブルへと移動する。「やあ。楽しんでくださってますか? ご不便などはありませんか? 何かありましたら、お部屋担当のコンシェルジュに申し付け……はい? 僕に聞きたいことが?」 問われて、ロバートは、秘密めかして声をひそめる。「貴方がたを招待した理由ですか? ……ここだけの話にしておいてくださいね。特に、エヴァ――レディ・カリスには、どうかご内密に。実は、人気取りのためなんです」 肩すかしな返答に、ロストナンバーたちは困惑し、「このところ、レディ・カリスが皆さんの関心を集めているのが、とてもうらやましくて。僕もぜひ、皆さんとお近づきになりたいと思ったのですよ。この機会に親しくしてくだされば、うれしいのですが。……おや? 信じられないという顔ですね?」 ロバートは、端正な面差しを惜しげもなく笑み崩す。「お知り合いになれた記念に、何か飲み物をおごりましょう。アルコールもノンアルコールも、豊富にご用意してますよ。……そうだ、ちょうど、相談相手が欲しかったんだった」 悪戯を思いついた少年のように、ロバートは、サファイア色の双眸を輝かせる。「ご存知のかたもおられるかもしれませんが、壱番世界の不況などにより、今後の人工島開発やリゾート開発は暗礁に乗り上げているのが実情です。もし、もしですよ、皆さんが開発担当者だったら、どんなプランをご提案くださいますか? いろんな角度からのご意見を伺いたいですね」 いきなりそんな、難しげなビジネストークをふられても、と、ロストナンバーたちは顔を見合わせる。俺、急に用事を思い出した、などと、ひとりが腰を浮かせた。 笑いながら押しとどめたロバートは、「……なに、難しいことではありませんよ。自分も他人も、ゆたかで幸せになれる方法を模索すればいいんです。すべてを黄金に変える手で、大切なものまでも黄金にしてしまった、ミダス王の轍だけは、踏まなければいいのですから」 ほんの一瞬、過去を遡及し、自身を叱責するかのような表情をした。 が、それはすぐに、如才ない笑顔に塗り替えられる。 それに、と、ロバートは、ロストナンバーの顔ぶれを見回した。「皆さんはそれぞれ、ご出身を異にしておられる。よろしければ、出身世界の経済活動がどういったものだったか伺いたいですね。『経済』そのものが成立しなかった世界にも、とても興味があります」 それは、強固な治世者の采配による富の分配であったり、 物々交換でまかなえるので、貨幣の必要はなかったり、『経済』という概念とは無縁の世界であったりするのでしょうけれど。「ああ、もうひとつ、お聞きしたいことが。もし『触れたものすべてを黄金にしてしまう力』を与えられたら、貴方なら、どうしますか?」 ロストナンバーたちの姿をも、黄金の彫像に染め上げて、夕日が沈む。 飲み物が、運ばれてきた。
ORDER-1■Around The World 「うひゃー! たっけー!」 ラウンジの下に広がるパノラマに、ハギノは歓声を上げた。 太陽は今日の終わりの道連れに、人工島群も、摩天楼も、黄金へと変えていく。黄金はほどなく藍色の黄昏に溶け、きらめく宝玉を散らしたイルミネーションに主役を譲るのだろうけれど。 「おっと、これはロバート卿。このたびはお招きにあずかりましてありがとうございます」 旅人のハギノにございます、と、忍者は愛想よく頭を下げる。 仲津トオルもまた、飄々とした風情のままに、彼流の挨拶をした。 「お招きありがとーございます! そりゃもう楽しんでますよぅ。壱番世界離れしてるところがシビレルなー」 どんな非日常よりも劇的に感じるこの地での連泊を、トオルはそれはそれは堪能し、満喫しているようだった。 「わー、すごいすごい! こんなステージで踊ってみたいなぁ」 エルエム・メールは、あたかもそこが彼女の舞台で、満員の観客を前にしているかのように目を細める。 「なんかいろいろ、面白いことできそうだよね。……ととっ」 小柄なバトルダンサーは、細腰を覆う薄衣をふわりと一回転させた。ロバートと目が合うなり肩をすくめて一礼し、屈託なく笑う。 「やあ、ロード・ペンタクル。“あのとき”以来だな」 メルヴィン・グローヴナーは、意味ありげな微笑を浮かべ、握手を求めた。 「……さて? お目にかかるのは今日が初めてかと思いますが」 ロバートは心もち首をかしげてから、差し出された手を握り返す。 「100年以上前のことだから、忘れてしまったかな? インドに新しいダイヤモンド鉱山が見つかったとき、君のお裾分けで、僕もいささか儲けさせてもらったのだが」 「それは、僕とよく似た別人ではないでしょうか。僕も、貴方によく似た紳士のことでしたら、覚えていますので」 「なるほど。では彼と瓜二つの君に、改めて礼を言わせてもらおう」 長い時を、この世界のビジネスパーソンとして過ごしてきたふたりのやりとりは、にこやかなようでいて、どこかしら凄みがあった。 「……あ、こんなところにいたら……、邪魔……かな……」 想像を絶する豪華さに、カナンは腰が引けていた。 魔獣の驚異と戦うために強化された兵士、というバックボーンでありながら、儚げな雰囲気を持つ少年である。対人関係に消極的な彼は、オロオロしながら入口扉へ移動していた。何をどうしていいのか、わからなかったのだ。 「いいから、そこに座れ」 通いなれた店ででもあるかのように、ファルファレロ・ロッソはソファにどっかと腰かけ、長い足を持て余すように組んでいた。 鋼鉄のナイフのような切れ味の声に、カナンはびくりと竦みあがる。 「は、はい……。で、でも……」 「俺に声かけられたくらいで、そんなビビんなよ」 「す、すみません」 「タダ酒を飲む機会を逃すテはねぇだろう。ロマネ・コンティの2、3本くらい、ラッパ飲みさせてもらえ」 「そ、そんな……」 カナンはもう、狼に睨まれた子リス状態の涙目である。 「女の子たちのほうが度胸があるぞ、ほら」 顎でしゃくった先には、愛らしい一つ目っ娘イテュセイと、いつの間にやらそこにいたシーアールシーゼロが仲良く並んで座り、 「ヘイ、マスター。スペシャルクリームソーダペガサス盛り一丁、お願いねー」 「ゼロはふわもこのお菓子を食べたいのです」 などと、いつもどおりのマイペースというか、ブレない生き方を貫いているのだった。 「せっかくだから、ドンペリゴールドをダースで、と言いたいところだが」 ファルファレロは不敵な笑みを浮かべた。 ロバートは片手を上げ、カウンター奥のバーテンダーに合図を送る。 「オーダーだ、カクトゥス。このかたに『キュヴェ・ドン・ペリニヨン・レゼルヴ・ドゥ・ラベイ』を12本」 新緑いろの肌を持つバーテンダーは、うやうやしく頷く。 「かしこまりました、ロバート卿」 「……ていうのも芸がねぇな。アラウンドザワールドを頼む」 「だ、そうだよ。オーダー変更だ。たしかに、この場にふさわしいカクテルかもしれないね」 くくっ、と、面白そうにロバートは笑う。 「承りました」 ドライ・ジン、ペパーミントリキュールとパイナップルジュースが、鮮やかな手つきでシェイクされ、角底のカクテルグラスに注がれる。 グリーンミントチェリーが飾られた、美しい緑づくしのカクテルを、ファルファレロは受け取った。 「ヘリコプターかボートでしか行けねぇっていう、世界地図を模した人工島があるんだってな? たしか『ザ・ワールド』」 「僕は関わってはいませんけれどもね。現在、劇場や美術館なども建設中だそうです」 「それだけじゃつまらん。俺なら、そうだな、一見お上品なビルを建てて、上階は家族向けのレストランやカジノ、地下にはVIP御用達の娼館や裏カジノを作るな」 新興マフィアの若きボスは、ロバートに向けて、挑戦的にグラスをかざす。 「どの客層も楽しめるよう趣向を凝らして、出自問わず幅広く金を落として貰うわけさ。……どうだ?」 「却下ですね」 「何ぃ!?」 あっさりと一蹴され、ファルファレロはロバートを睨んだ。 「この国では、カジノは御法度ですよ。ホテルの地下で行っているのは、あくまでも僕の個人的なゲームです。娼館や裏カジノに至っては、ノーコメントとさせていただきます」 「……ああ、そういうことか。言いたいことはわかった」 切れ長の目に余裕が戻る。 「なぁ、ロバートさん。俺はLAで組織の元締めやってたんだが、マフィアなんて看板下げて商売してたわけじゃねえんだ。表向きは、ショーパブやカジノの経営者さ」 「合法的なビジネスであることを、前面に出していたと?」 「人の欲につけこむ商売はいつでもどこでも有効だからな。ショービスは宣伝が肝心、投資は必要税。ま、中身が手抜きじゃお話にならねえが」 「貴方が有能な経営者であるらしいことはわかりますよ。かなり、過激ですけれども」 「生きることは奪うことだ。生き延びたきゃ奪うしかねえ――ってのが俺の人生哲学でね」 ファルファレロは、カクテルをひといきに飲み干した。空いたグラスを、ことん、と、テーブルに置く。 「あんたの人生哲学も聞きてえな、ロバートさんよ?」 「僕の、ですか?」 非常に意外なことを問われた、という表情を、ロバートは見せた。 「哲学のようなものは持ち合わせていませんが……。あえていうなら、勝てない勝負は避ける、愛するもののためにはプライドは捨てる、くらいでしょうか」 「ほう。あんた、好きな女でもいるのか?」 「いえ。僕は、特定の個人に執着はもたないようにしているので。僕が愛しているのは、この壱番世界すべてです」 「はぐらかしてねぇか?」 「本音ですよ。だからこそ僕は、時の停滞したターミナルではなく、ダイナミックにひととモノと運命が流転する、この世界で暮らしているんです」 「ひとまずは納得することにして、次の質問だ。たとえばだが、無能な二代目がいたとして、あんたならその会社をどうする? 乗っ取りたくはならねえか?」 「――過激ですね」 「自分ならもっとデカくできる。そんな自負がありゃ尚更だ」 「まずは二代目のお手並みを拝見したいところですね。判断はその後です」 「悠長に構えて侮ってると背中から撃たれるぞ? おっかない後見人に、どっかに突き落とされかも知れねぇ」 「そんな恐ろしい後見人は、敵に回したくないですね」 「……あの……。おふたりの会話のほうが……、こわいです……」 やっとソファに腰掛けたカナンは、まだ、びくびくと及び腰だった。 ORDER-2■Moët & Chandon 「この国は4度目だ。拠点を持とうとしたこともあったが、ここの人達は高潔すぎる。少し汚れている方が僕には住み易い」 興味深げに耳を傾けていたメルヴィンは、オーダーしたシャンパンが運ばれてきたのを機に口を開いた。 「少し、話をしてもいいかね? ロード・ペンタクルにも皆にも意見を聞いてみたい」 「何なりと」 「片田舎に一人の未亡人がいた。彼女は貧しかったが、家と畑を持っていた」 ダークグレイのスーツが似合う初老の紳士は、静かな声で、一遍の物語のような情景を語り始めた。 彼女は、畑の隅に石を積み始めた。 毎日、毎日。少しずつ。たったひとりで。 聞けば、教会を作りたいという。 この地を飢饉が襲った時、飢えて死んだ子どもたちがいた。 痩せ衰えて、泣く力さえも失って。 村人たちは、嘆き悲しんだが、祈ることができなかった。 この貧しい村には、教会さえなかったのだ。 皆が祈りを捧げる場所を作りたい。 死んだ子どもたちのために。 たとえ、自分の畑をつぶしても。 「……さて。君が彼女のために金銭的な支援をするとしたら、何に金を使ってやろうと思うかね?」 問いかけるメルヴィンに、 「俺が教会を建ててやる。畑ももっといいのを調達するし、ついでに家も建て替えてやるさ。未亡人がいい女ならな」 真っ先に、いかにもなことを言ったのはファルファレロだった。 「金銭的支援限定なの? 差し入れとかしたいな」 「そーね。気持ちよねー。無理しないでっていいたいかも」 「ゼロはお手伝いするのです。巨大化はしないです。一緒に毎日、石を積むのです」 エルエムとイテュセイとゼロは、口々にそう言い、 「……難しいですね。すみません……。思いつきません……。何か役に立つことをしてあげたいですが……」 カナンは真剣に考え込んでいる。 「夜の間に、目立たない程度に、ちょっとだけ石を積んでおくかな」 とは、ハギノの忍者魂で、 「ボクは、あえて何もしないかなー。本人の気が済むよーにさせてあげるのが一番かなって」 トオルは、どこか透徹した視線を遠くに向けた。 「僕も彼女に対しては直接、援助めいたことはしないでしょうね。石を積むのは彼女の祈りであり、それは彼女のものなので」 ロバートはしかし、厳しく口元を引き結ぶ。 「僕が黄金を積んでできることがあるとしたら、領主の首をすげ替えることくらいでしょうか」 「……ほほう。それはなぜ?」 「飢饉自体は天災でしょうが、子どもたちを餓死させたのは治世者の責任でしょう。子どもというのはその国の未来です。そんな無能な領主は、牢に入れてしまえばよろしい!」 「何というか、君は、ずいぶんと真っすぐなところがあるのだね」 世間ずれしていない息子にでもいうような口ぶりに、ロバートは虚をつかれたようにトーンを落とす。 「……人情家めいたことをいって、貴方がたを欺いているだけかもしれませんよ」 「君が嘘をついていないことくらい、僕にはわかるのだよ?」 笑うメルヴィンに、ロバートは、少し面映そうに髪をかきあげた。 「あまり感情を出さないように、つとめてはいるのですが。泣きどころを突かれますと弱いんですよ。子どもや両親――家族を連想させる事象には冷静さを欠くときがあって。お恥ずかしい限りです」 僕の答はともかく、と、ロバートは話の続きを促した。 「これは貴方が遭遇した実話なのでしょう? では貴方は、どうなさったんです?」 「僕は」 メルヴィンは穏やかに、事の顛末を告げた。 「彼女の隣人を雇い、彼女が飢えたり病に斃れないよう見守らせた。40年かかったが、彼女はとうとう教会を完成させた。僕が投資した何倍もの価値を持つことになる、素晴らしい教会をね」 ORDER-3■Specialice cream soda, float a form Pegasus 「死ぬ直前に、My only regret in life is that I did not drink more Champagne.(ただひとつの後悔はシャンパンをもっと飲まなかったことだ)と言った男がいたね」 「ジョン・M・ケインズ男爵ですね。ハーヴェイロードの前提については、非現実的で貴族的で非民主的だと批判もされましたが……」 「しかし経済学なんて経済学者の数だけあるわけだからね。どんな優れた経済学者も、この先何が起こるかなど予測できない」 「ケインズ男爵は午前中に自分の投資資産の運営をすべて終わらせて、午後は趣味に費やしたと聞きました」 「君も普段は、そういう生き方をしてるのかね?」 「あんな天才と一緒にしないでください。200年かけて、やっとこの程度なんですから」 「んもう。経済人の欠点って専門用語多用の伝達能力の欠如よね!」 メルヴィンとロバートの果てしないやりとりを、スペシャルクリームソーダペガサス盛りをちゅごごごーーーーーと摂取しながら聞いていたイテュセイは、とうとうしびれを切らした。 「よくわからないけど、クョチェバーを力ルポゥヴしてスペヮジリィする感じかしら! もうちょっと異世界人にもわかるように喋んなさいよね」 「ああっと、申し訳ありません……?」 勢いに押されて、ロバートは謝った。 「クリームソーダのお味はいかがですか?」 「悪くないわ。人間ってお金がないと何もできないから駄目駄目~って思ってたけど、こういうのがいつでも食べられるならお金持ちもいいかもね」 「黄金であがなえぬものはないということを、この200年で僕は学びましたが、同時に、黄金であがなえないものほど価値があるということも思い知らされました。矛盾した表現ですけどね」 「つまり、ロバートは、自分を見てほしいの?」 イテュセイは、星雲をたたえたその瞳で、じっとロバートを見つめる。 「……そういうことに、なるのかも知れません」 一つ目の少女は、出身世界の文化を語るかわりに、自身の瞳を覗き込ませた。 言語化できない光景が、そこに広がる。 ☃✎☀✈……❤……。。。。 ❀✰⁂❄……❂✉↺☃™☃❒☀……* ✈☁✿✿↫↝✌、✉❄↺__☀↻ℚ☃✎☀✈☀❒✌……! ✰☃⁂ℚ↺__☄↻♫+ ❤~〜?! ――ダンデライオン。 それは、世界が綿毛で満ちている世界だった。 他の世界の生物には、鋼鉄の重さを持った危険な弾頭になりえる「綿毛」が、進化の結果として存在する。 それもまた、その世界の生物には空気と同じ扱いであり、世界の可能性のひとつに過ぎない。 「あるのが当たり前な世界じゃ、それはないのと同じことなのに。どこの世界も、お金はいくら集めてもありふれたものには決してならないの。ふしぎ!」 「ほんとうに、不思議ですね」 「取引しましょ、ロバート。アイデアと情報の等価交換よ!」 イテュセイは、大きな瞳をくるりと動かした。 「不況はお金を回転させればいいのよ。あんたも名前と立場を変えながら生きるんなら、お金なんて簡単に引き継げないでしょ?」 「そうでもありませんが、仰ることは、その通りだと」 「金はパワー! 有効活用しなきゃ! 大々的に人を雇うの。建設雇用で景気回復! 現代のピラミッドね」 ロバートの困惑を気にもせず、イテュセイはぎゅっと拳を握りしめる。 「作るのは王国! お金よりも芸術に重きをおく超福祉国家よ!」 「芸術……ですか」 「そうよ、市民権は一定水準の芸術性を見せることで得るの。どうよこれ? ……あらやだロバート、何落ち込んでるの?」 「すみません……、その……、折り合いのよろしくない父親が芸術家なもので、芸術に重きを置く国家は、あまり……」 「んもー! ご家庭の事情で国家戦略にケチつけないでくれる?」 「すみません、未熟者で……」 ロバートがあまりにも意気消沈していたため、イテュセイは、重芸術主義の福祉国家構想を考え直す羽目になったのだった。 ORDER-4■Cotton Candy もきゅもきゅもきゅ。 ゼロは、綿菓子をほおばっていた。オーダーどおりの「ふわもこのお菓子」である。 何をどうやってバーテンダーがそんなものを制作できたのかは不明だが、とにかく、ゼロは綿菓子をもきゅもきゅしていた。 「ゼロの故郷はゼロ以外に何も無い世界で、気づいたら知性や意思を備え、言語やイメージに拠らずに自分の姿を知り存在していたのです。そこではゼロのまどろみと、そこに朧に浮かび上がる思考が世界の全活動だったのです」 ――それを、一同の興味を惹くように語るのは困難なのだが、努力する。 そんな前置きのもと、はてしないまどろみを生業とする少女は語る。 言語やイメージに拠らずして思考するための、あるいは思考する対象なく、思考するための思考。 他の存在無しでm自と他の概念を得るための思考。 何もないところから、数の概念を得るための思考。 「まどろみの中で浮かぶのは、例を挙げればこのような、言語やイメージに拠らぬ思考だったのです。覚醒前後の記憶はないのですが、故郷で最後の思考活動と思しき記憶があるのです」 ――それは五感によるイメージに翻訳するなら常に異なるnとmの正n角形で構成される正m面体で、透き通りあらゆる色に見え内部が泡立ち続ける謎物体なのです。 ――故郷での『ゼロ以外のもの』の唯一のイメージなのです。 「詩的な世界だね」 それが、ロバートの感想だった。 「ゼロは疑問だったのです。+上層の世界は幸福、-と+の階層移動は稀でその際には大異変が起きる、ということは-階層世界での『自分も他人も、ゆたかで幸せになる試み』には上限があり、成功も最終的には破滅を招くのですか? もしそうなら、それを変えられると思われますか?」 「ゆたかで幸せになる試みが、その世界のキャパシティを超えた時、世界は移動するのだと思う。+上層へ」 もきゅもきゅ。もきゅもきゅもきゅ。 「……あ、こんなところに、綿菓子ついてるよ」 「カナンさん。ご親切にありがとうなのです」 カナンはゼロのほっぺたについた白いふわふわの名残を、面倒見よく取ってやった。 子ども相手には、対人不安も治まるからなのだが、 「なんだ。おまえロリコンか?」 「………。そcんd…★……!!!」 ファルファレロにいわれのない濡れ衣を着せられ、またもカナンは涙目で、口をパクパクさせた。 ORDER-5■Summer Delight リゾート開発のプランが何も思い浮かばず、カナンはがっくりしていた。 そもそも彼は、娯楽の類にあまり縁がない。 物心がついた頃には、もう親はいなかった。軍の所有する施設で厳しく育てられ――いや、育ててやるのだから役に立て、役立たずはいらないと怒鳴られ、なじられ続けてきた。 だから……。 「………も、申し訳ありません……その…………想像もつかなくて………」 役に立たない、役に立てない。 その落ち込みようを見て取ったロバートは、バーテンダーに合図を送る。 「このかたに、サマー・ディライトを差し上げてくれ」 サマー・ディライト。その名のとおり、夏の喜びを感じさせる、ノンアルコールカクテルである。 ライムジュースとグレナデンシロップ、シュガーシロップをシェイクし、ソーダを注ぐ。 氷を入れたゴブレットに満たされたそれを、カナンはごくごくと、ふたくち、飲んだ。 「………爽やか、ですね………」 「夏の海辺に似合う飲み物です。ホテル内のプールをご利用なさるときなどにも、いいかもしれません」 「プールは、あまり……」 それこそ想像もつかないが、気持ちは少し、落ち着いた。 「けいざい……ですか」 出身世界の文化を話すべく、施設で行われた授業の内容を、カナンは必死に思い出す。 「……えっと……あまり詳しくはないのですが……俺のいた国では、……物資、は……そう、配給制で、公式には……貨幣。そう、貨幣は存在していませんでした。……そういうことに、なってました」 公式には、貨幣はない。だが、国もその存在を黙認している闇市では様相が違うのだと、たどたどしいながも懸命に、カナンは語った。 通常の人々の生活においては物々交換が主である。しかし、社会の裏側深くでいくつも営まれている闇市の、大規模なものには貨幣が流通している、らしいのだ。 カナンは一度だけ、闇市の存在について教えてくれた友人に連れられて、その中でも『一番マトモ』なところへ行ったことがある。 「……色々なものが、売られていました。『すごい』ところでは……本当に何でも買えるそうです。…………それこそ魔獣や、人だって」 「この世界に少し、似ているかもしれませんね」 頷いたロバートは、 「お話くださってありがとうございます。貴方は、ご自分で思っておられるよりずっと、対人スキルの高いかただと思いますよ。ファルファレロさんも、貴方をかまいたくて仕方がないようだ」 そう言って、ファルファレロの眉をひそめさせたのだった。 ORDER-6■Dummy Daisy 「あまりお酒強くないんですよねー」 そういって飲酒を回避するトオルにも、ノンアルコールのカクテルが勧められた。 シェイクされたラズベリーシロップとライムジュースとシュガーシロップが、大型のカクテルグラスに注がれる。浮かべられた木苺は3個。 飲めない人のためのダミー・デイジー。ダミーとはすなわち、偽物のことだ。 「ええっと、何でこれをボクに?」 「甘いように見えてどこか手強そうな、貴方のイメージからですが、お気に召しませんか?」 「滅相もございませんー。いっただきまーす」 (詐欺師ってことがバレた……はずはないよね) グラスに口をつけながら、トオルはバーテンダーの真理数をたしかめる。 (ディーラーもバーテンダーも、ロストナンバーかぁ。たぶん他の従業員も。てことは、このためにターミナルから呼んだんだな) そりゃそうか、ロストナンバーの貸し切りだもんな、と、トオルは心の中だけで呟いた。 「リゾート開発は、そうですねー、長生き可能ないちコンダクタとしては、もっと長期的な開発出来ないかなと。いっそ数十年先を見据えたインフラ整備とか植物工場とか珊瑚礁なんかの環境保全とか」 「だが、皆が皆、長生きではないからね」 「ですから理想論になっちゃうんですけどねー。普段はボク、管理人業の傍らで、仲間と小規模なビジネスをやってるんですよ」 「どのような?」 「EC事業が主体ですねぇ。流れが早い時代だし、ある程度利益が出たら引く前提で」 「見極めが肝心でしょうね」 「そうそう。失敗もありますけど、まあちょっと凹むだけです。色んな人と知り合えて楽しいですよ。……ところで、ロバート卿は、今までにずいぶんと大掛かりな事業に成功してきたようですが」 トオルは、ちらりと探りを入れた。 赤の城での宴以来、ロバート卿の壱番世界での影響力を調査していたのだが、その結果、驚くべきことがわかった。 かつて彼だったかもしれない人物をリストアップし、その保有資産の累計をざっと計算してみたところ―― 「実際、どれくらいお金持ちなんです?」 「大したことはありません。世界の富の2割程度です」 「……ごふっ」 トオルは盛大にダミー・デイジーを噴いた。 さりげなく避けたロバートは、さいわい、上等のスーツをカクテルまみれにすることを免れた。 「そりゃあ……。滅ぶと困りますね、壱番世界」 「まったく、そのとおりなんです」 「ですよねぇー。ボクも博打うちじゃないんで、腰据えてビジネスするには、滅びってやつが気になるんですよねぇ」 ORDER-7■Salty Dog (僕としたことが、世界図書館のことは良く知らんのだよねー。組織が大きくなれば中心は見えなくなるもんだけど、初期のころは……、どんなんだったんだろーね?) そんなことを思いながら、ハギノは元気よく片手を上げた。 「僕にも飲み物お願いしまーす。ソルティ・ドッグのウォッカ抜きで!」 つまるところ、グレープフルーツジュースを、グラスの縁につけた塩をなめながら飲むという趣向の、ノンアルコールカクテルである。 そして。 ハギノは語ったのは、塩にまつわる話だった。 「僕の国は、見渡す限り山また山で! そりゃもード田舎でしたけど、貨幣制度はきっちり浸透してまして。だから、こっちと大きな差はないですねぇ。珍しいお話ができればよかったんですけど……」 ふと言葉を切り、グラスの縁をぐるりと囲む塩の輪を眺める。 「近場に海がないもんで、塩は貴重でしたよ。だもんで、塩を扱える商家は決められてまして。そーいうとこは凄いですよー。塩御殿なんて呼ばれて」 「大航海時代の胡椒のような貴重品ですね」 「まー、高価故に、お役人の目を盗んでの密輸も絶えませんで。手を変え品を変え場所を変え、よくまあ思い付くもんだと」 「取り締まるのも大変だったでしょう」 「僕も国に仕える身なんで、あっちの山だのそっちの川だの取り締まりに、方々飛び回りましたねぇ。ま、飛び回るのは今も同じですけど」 笑いながら、さりげなく、水を向ける。 「そういやファミリーの皆様は、今でこそ、ひとところにいらしゃいますけど、昔はあちこちお出向きに?」 「人手が足りないころは、異世界の調査に行ったかどうか、ということですか? それは、ひとによりますね」 「カリス様が現地調査するお姿なんて、ちょっと想像できませんです」 「エヴァは、本来、活動的な女性なので、自分では出向かなくとも、報告書は誰よりも熱心に読み込んでいるはずですよ。昔も、今も」 ORDER-8■Cinderella 「隠しごとはさ、なしにしたいんだよね」 エルエムは、直裁に切り込んだ。 「招待してくれたのは、要するに、ロバートさんが会いたかったから、ってこと? それと人気取りっていうのが、ちょっとつながらないんだけど」 ロバートは気を悪くするでもない。むしろ微笑ましげだ。 「そうでしょうか? 現に、この招待が僕に興味を示してくださる結果となっているでしょう? つまりそれが『人気取り』です。ひとは何の関心も持てない相手に、会って話をしようとは思いません」 「どうして壱番世界だったのかな? ロバートさんのフィールドだから?」 「それもあります。0世界では言いにくいことも多々ありますし、向こうでお話をするとしても、どうしても距離を置いた表現になってしまうので」 「ふぅん」 少し考えてから、エルエムはロバートを見つめた。 「話をするなら、エルはロバートさんのことを知りたいな。そういうのを『取引』っていうんでしょ?」 「わかりました。答えられる範囲でよろしければ」 「じゃあ、エルからいくよ。えっと、エルが人工島に作りたいのはね、闘技場! コロシアム! バトルアリーナ!」 「……バトルアリーナ」 「うん! 壱番世界に足りないって、やっぱこれだと思うんだよね! テレビで格闘技の試合とか見たけど、全然物足りないし。もっと実戦さながらにさ……ターミナルのコロッセオみたいな、でっかいの」 「ローマ時代のフラウィウス闘技場のような?」 「そう、出場者も我流、俺流なんでもありのフルコンタクトで!」 「それですと、職業的な剣闘士を募る、ということになりますね。死者を出さないために、ルールも決めて」 「どうかな?」 「面白いと思います。演出に凝れば、ちょっとしたヒーローショウですね」 カクトゥス、と、ロバートはバーテンダーに声をかける。 何も告げないのにも関わらず、バーテンダーは、オレンジジュースとパイナップルジュースとレモンジュースをシェイクした。 エルエムの手に、小さなカクテルグラスが渡される。 「これは?」 「『シンデレラ』です。どうぞ」 ひとくち飲んで、エルエムは首をひねる。 「うぅん。美味しいけど、ちょっと甘いかなぁ。こんなんじゃ12時前に帰っちゃうよ、王子様?」 「それは失礼」 ORDER-0■Gold Finger 「そういえば、ロバートさんが飲んでたカクテル、何ていうの?」 テーブルの上に置かれたままのカクテルグラスに、エルエムは目を留める。 「これは」 「ゴールドフィンガーだな」 横合いから手を伸ばしたファルファレロが、グラスを取り上げた。 「全てを黄金に変える手があったとしたら、俺なら切り落とすな」 当然だろうとばかりに、にやりと笑う。 「女を抱くとき不便じゃねえか。俺は生憎、やわらかくて熱いのが好みなんでね。それにケツ拭く時はどうすんだよ?」 「君、お嬢さんたちの前だよ」 メルヴィンがやんわりとたしなめる。 「とはいえ、僕もそんなつまらないものは欲しくはない」 「黄金に変える手……。僕の国にも似た話がありましたよ。最後は自分を触って黄金の像になってしまう。ってなお話で。過ぎた力は破滅を招く。返せるもんなら返したいですねぇ。まったく、うっかり顔も掻けませんもん」 ハギノは、そうおどけた。 「黄金の力はそれ自体のものではなく、社会がそれに価値有りとする故のものに過ぎず、『触れたもの全てを黄金に変える力』は、ゼロには邪魔なので返却するのです」 「『金こそが諸悪の根元である』。これ金言ね!」 ゼロとイテュセイが同時に言う。 「『ちゅーしょーてきがいねん』な話ならエル苦手だけど。本当にそうなったら困るなぁ。うっかり衣装とか金になっちゃったら踊れないし。でも、それならそれで何とかやってく方法考えると思うよ。足技だけで踊るとかさ?」 エルエムは非常に前向きなことを言い、カナンは、 「ううううん………。難しいなあ………」 ただひたすら、考えていた。 ファルファレロは少し声を落とした。 「タッチするだけで世界が手に入るなんざ、ツマンねえよ。欲しいものはぶんどってこそ価値がある」 野性的な瞳に、怜悧な知性が横切る。 「価値も意味も生まれ持つもんじゃねえ。各々手前勝手にこじつけるもんさ。血反吐吐いて足掻きぬいて初めて、価値や意味って戯言が真実味持つんだと思うぜ、俺は」 ファルファレロの持っていたグラスを、メルヴィンはロバートに返した。 「ロード・ペンタクルが欲しているものも、黄金ではないと思う。黄金の影に潜む人の思いに、君は価値を見出しているのではないかな?」 「ボクたちのすぐそばには、ツーリストっていう人たちがいるんですよねぇ。ボクには彼らの知識が、黄金の手みたいに感じるんですけど」 トオルがぽつりと言った。 「触れたものを黄金にする力などはいらない。そう、貴方がたは仰った」 カクテルの残りを、ロバートは飲み干した。 「おそらくは、今回の招待を受けてくださったほとんどの方々が、同じ気持ちをお持ちなのではないでしょうか」 そして、旅人たちを見やる。 「その生命力に満ちた熱い手を、僕が必要とするときが、必ず来ます。手を貸してください、とは、今の段階ではまだ言えません。――ですが」 ですが、そう。 僕の招待に、また、応じていただけますか? 経済は生き物で、血液のように社会を循環している。 生きて躍動しているこの世界で、僕は、貴方がたを歓迎する準備を整えようと思います。 ロバートがそう言った瞬間。 黄昏時の摩天楼に、一斉に、イルミネーションが輝いた。
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