ヴォロスの一地方に、「遺跡の町ガザン」と呼ばれる都市がある。 丘陵をゆくキャラバンの路がいきつく先、背後には険しい山々を臨むこの町には、常時、キャラバンの商人や、冒険家たちが集まっている。 というのも、周辺の山岳地帯にかつて栄えた文明の遺跡が、この町の周囲には数多く残り、まだまだ手付かずの遺跡も多いからだ。 冒険家たちは、遺跡から竜刻をはじめとする宝を発掘せんと意気込み、商人たちは発掘された品を買い取ったり、ほかの地方から運んできた物資をかれらに売ろうとする。 ガザンでは毎日、賑やかなマーケットが開かれているし、町から少し歩けば到着する遺跡群のどこかでは、多少の危険はものともしない冒険家たちの活動がある。 それは、ヴォロスではどこででも見られる風景であったのだが――。 『導きの書』は、奇妙な遭遇を予言する。 ロストレイルの旅人ではなく、また覚醒直後でもない、ロストナンバーがあらわれるというのだ……。 そのガザンのマーケットの一角、何処にでもある様な屋台式の定食屋のその片隅で山と盛った料理を一心不乱に平らげる大男が一人。 それ自体はごく普通の、マーケットの風景。 その男こそが「正体不明のツーリスト」であると世界司書は言う。 普段は温厚で滅多な事では力を振るわない図体のでかい小動物の様なその男が一度その力を振るえばその咆哮は天を震わせその長大な腕は強大な力で辺りをなぎ倒しその足踏みは地を割りその跡はまるで凶悪な嵐が来て去った様、ぺんぺん草の一つも生えないという彼を人呼んで「嵐を呼ぶ男」 さてその男、「導きの書」が指し示す未来にはそのマーケットで重大な事件を起こすと言う。 つまり、食い逃げ。 「竜刻を探し持ち帰る」という任務を忘れて飯を食う男、そもそも金銭の類を持たないその男は支払いもせず席を立とうとし当然の如く店主と小競り合い、元々知能の程はもにょもにょでごにょごにょ、パニックを起こした彼はあろう事かその場で「嵐を呼」び、マーケットの一角をぺんぺん草も生えない屍と瓦礫の山にするだろう。 例えそれをどうにかしたとて、例えば竜刻の取り合いに、例えば何かしらの事件に巻き込まれる等でパニックを起こしかねない。 ……と、「予言の書」を携えて司書は告げる。 任務はただ一つ、その「嵐」を阻止する事。
実際のところ、目的を見付けるにさしたる手間は要らなかった。座る椅子はまるでミニチュア、屋台から丸めた背を窮屈そうにはみ出させ、一心不乱に平らげる姿をまず発見したのは、ここぞとばかりにマーケットでガザン土産を物色、思う存分堪能したヘルウェンディ・ブルックリン。 カラーコンタクトで赤く彩られたその瞳で捕捉するや、黒髪をなびかせて接近、そして。 「良い食べっぷりね、お腹すいてきちゃった。ご一緒していいかしら?」 男は食べる手を止めコクリと頷く。ありがと、の言葉と共にヘルが差し出す右手を真似するように差し出された右手をぐいと握る。 「私はヘル、よろしくね。貴方は?」 「……テンペスタ。皆は、『嵐を呼ぶ男』って言う」 「どのみち『嵐』か……。ね、テンペスタはどこから来たの?」 尋ねるが答えはぼんやりと、やがて再び食事の続きを始めるテンペスタに触発されてヘルもあれこれ注文した料理をママの料理には負けるわと文句付けつつおいふいと平らげてしばし、そして最初の問題は今ここに訪れるのである。 目の前には山と積まれた皿、店主の口からは目玉も飛び出ん程のお愛想、まずはここを切り抜けようと店主に見付からぬ様にそっと手を伸ばすのはポンポコフォームセクタンであるところのロメオ、毛の幾ばくかを引っこ抜いて通貨の贋金の一つも拵えん、その時。 あたかも当然の如く。 如何にも当たり前の如く。 はなからそのつもりであったかの如く。 立ち上がった大男は踵を返し、当然に店主がそれを呼び止め。 「あの、その人の分も私払います!」 ヘルが庇うも事態は収まらず、動きを止めた男の前に店主が回り込み捲し立て、捲し立てられるにつれて男の頭は下がり何事か呟き始め、何時か起こっていた異変に気付いたのはヘルが三掴みめの毛をロメオからもふもふと引っこ抜いた辺りだった。 男の周りで突風が起こる、積まれた皿がカチャリと鳴き立ち木がぞぞうとざわめく、来る嵐の予兆にヘルが物騒な手も致し方無しとトラベルギアであるところの銃にかけた手はしかし銃を抜くまでには至らなかった。 嵐を避けて急ぐ人々と転がる色々の合間を軽やかなダンスステップで抜け店主と男の間にするりと割り込むピンク髪の助け舟はエルエム・メール。 「払います! この人たちの分エルが払います!」 「払う? この量だぞ、あんた払えるのか?」 「お金はエルもないけど……でも、お金になる特技ならあるよ」 店主の目の前でくるりとステップして見せるエルエムに、ロメオの毛を掴むヘルの手が止まる。 ――贋金でこの場をとりあえず切り抜けることは出来る。でも、ホントにそれでいいの? 「じゃあ、私、皿洗いやります。この人も一緒に! それでいいですよね?」 正義感に満ち溢れた強気そうな瞳で迫られては店主もノーと言えず、かくしてこの日定食屋には臨時アルバイトが入る事となったのだった。 屋台の前、椅子と机を少しずつ退けて作った即席の舞台。極端に布面積の少ない衣装にチェンジしたエルエムが身に纏わせた布をひらつかせひょうと跳ねる、感嘆の声の中繰り出される宙返りに拍手喝采、おひねりで埋まる地面にとんと下りてまたひょうと跳ねれば歓声が上がり。運動選手ですらかくやという身体能力に加え生来の目立ちたがりによるサービス精神旺盛なアクロバットが集まる人々を盛大に沸かせる。 一休みの冒険者に、珍品探しの好事家、何時もの飯と酒の常連、或いは通りすがり、そういった者達にエルエムの露出の多い衣装とアクロバティックなダンスは程よく余興となって連中の心を楽しませる。 その大盛況の最中、次から次へと下げられて来る数多の食器をヘルは忙しく捌く、その横にはそれを手伝うテンペスタ。 「ねえテンペスタ、こういうお店ではね、ありがとうの気持ちがお金に還元されるの」 「ありがとう……」 「そう、して貰って、嬉しいな、ありがたいなって気持ち。わかる?」 「……オレ、欲しい物は奪えって、教えられた、から。よく、わからない」 「正しいわね。そうじゃなきゃ奪われるわ。自分の命ですら」 テンペスタの言葉にぎょっとしたヘルをさらにぎょっとさせた声はカウンターから放たれた。威厳と威圧と幾ばくかの不安定を携えて、「Witch of LastDays」最後の魔女が、これまた大量の料理を平らげていた。先ほどのテンペスタの如く。 「誰かにおもねっていては何もかも失うわ。――おかわり」 その全ての負、全てのネガチブを内包したような迫力に気圧されながらもヘルは 「だめよ」 とテンペスタに向き直った。 「テンペスタは、さっき美味しい料理お腹一杯食べて満足したでしょう? だったら、そのお礼はちゃんとお返ししなきゃ。 ね、約束して。もうこんな事しないって」 じっと目を見つめながら諭す姿はまるで厳しくも優しい母親の如く、確かにヘルの心には「ママならきっとこうするもの」と宿る確信のままにはい、と小指を差し出せば真似するように差し出される小指に絡めて指切りげんまん。 「通じてないんじゃないかしら? 頭の悪い奴には何を言っても無駄。力ずくでわからせるしかないわ。――これ美味しいわね、おかわり」 陰鬱な顔で微笑んで差し出される碗に逡巡する店主の心を読んだか 「安心して、代金は払う……」 「これだけあれば足りるよねっ?」 不穏な空気を割ったのはガシャンと豪快に音を立てて置かれた包み、開けば数多の硬貨にエルエムのどうだと言わんばかりの笑顔が輝く。 「アラシ君も、これでもう安心だよ!」 露出の多い衣装のまま、テンペスタの前でくるりとスピン、どう?と目配せすればおー、と純真に感嘆するテンペスタ。 果たして彼女らは勤めを完遂、ついでに最後の魔女が平らげた分の代金まで支払ってめでたく解放と相成ったのであった。 うら若き三人の乙女と一人の大男、この奇妙な一団がマーケットを練り歩いているのはエルエムの提案であった。一つに、(本人はすっかり忘れているが)テンペスタの目的であるところの竜刻を探す為、一つに、「もしもの時」を想定して彼をなるべく人気のない、開けた場所へ誘導する為。これら二つの目的、或いはただ単純にガザンのマーケットを楽しむべく、先頭はエルエム、ヘルがテンペスタと並んで、その後ろに最後の魔女が不穏を引き摺ってそろりと続く。 「あ、ねえ、あそこ『竜刻あります』だって。エル見てくるね」 さっそく目的の達成に繋がりそうな掲示をみたエルが身軽に駆け出す。その姿にふいに何か思い出しかけたようにテンペスタが 「竜刻……そうだ、竜刻……」 と思い出したように呟いたのをヘルは聞き逃さなかった。 「探してるのよね? あるといいわね」 「どうせ偽物よ、掴まされて終りだわ」 相反する二つのテンションに挟まれたテンペスタの異変に気付いたのは果たしてどちらが先であったろうか。またもや何か呟き始めるテンペスタの周りで突風がびょうと吹く。何処かから転がる調度がガランと音を立てる。街路樹がぞぞうとわななく中、ヘルが様子を確かめようと顔を覗き込んだ。 「……竜刻……今度こそ、持って帰る……殺してでも……奪え……」 一際凄まじく取り巻く突風、空には暗雲立ち込め地の鳴る音がする、旋風が地図屋の地図を撒き散らし、急な嵐の予兆に行き交う人が被り物や服の裾を押さえながらてんでに空を地を見遣り。 「まって、だめだってば、ねえテンペスタ」 必死で宥めるヘルの声はしかし届かず、よもや致し方なしとその時。 「私がやるわ。」 何時の間に、テンペスタと対峙して立っていたのは後ろにいたはずの最後の魔女だった。突風の中でも揺るがぬその立ち姿は重厚な鎧のせいかはたまた陰鬱なプライドによってか一定の威厳を保ち、空へ向けて或いはテンペスタへ向けてすうと手を掲げる。 「私は最後の魔女。この世に存在する全ての魔女。 私以外の魔女の存在は認めないし、私以外に魔法を扱う者が存在してはならない。」 風は尚も強く吹き、魔女のドレスを翻弄しはためかせるが彼女の声も、足も揺らぐ事無く尚も言葉は綴られ。 「只の人間が大災害を起こすような力を持っている筈が無い。そんな魔法の力のような力はこの私が認めないわ なぜなら」 遠く近くで雷鳴が轟くが、歌で鍛えた彼女の声は凌駕して響き災いを否定し続け。そして。 「私が最後の魔女だから。」 ――例え、スパークやフラッシュ、その他のエフェクト、その様なものが何一つ無かったとて。 遠くなる雷鳴に、逃げ帰る暗雲に、凶暴を失って頬を撫でるそよ風に、その効果はありありと見て取れた。 災いは寸でのところで抑えられ、事なきを得た。被害といえば多少調度や紙製品が散らかった位で、最後の魔女の『最後の魔法』が見事その効果を発揮したのが今ここに災いの終焉をもたらしたのだ。 「……成功ね、でも、これは一時的なもの。 ――さて、私は貴方の事なんて知りたくもないし、興味も無い。……でも」 力を無力化されへたり込むテンペスタを不穏な笑みで見据え、つかつかと歩み寄る最後の魔女の手には何かしらの液剤が携えられている。 「貴方がもがき苦しみ、苦痛にのたうち回る姿は見てみたいわ……」 そのあまりの不穏にヘルの中の正義を愛する心が揺るがされて、大胆にもそれを止めようとするのは当然の動きであった。それは何か、と尋ねるヘルに最後の魔女は事も無げに 「『魔法の自白剤』よ。とある呪い屋から貰ったの」 と不穏に微笑む。 「自白剤、って、だめよ、話せばわかってくれるわ。それに、大丈夫なの? それ……」 「少し副作用が強すぎる位……数日間意識を失う程度だわ……くっくっく……」 いいのだめよの小競り合いのしばし続く中、さてもう一人、バトルダンサーが突風に煽られながらこちらも見事に目的を達成しそよ風の中トンタンと軽快に帰還した。その手に一欠片の竜刻を携えて。 「アラシ君、はいこれ! これが欲しかったんだよね?」 エルエムの手からすとんと掌に落とされた竜刻に、テンペスタの顔がふわりと緩む。 「ん、これ……オレ、おこられないですむ」 「怒られる?」 「オレ、いつも、依頼忘れたり、失敗しておこられる 世界樹旅団で、オレ、おちこぼれだから」 「やっぱ世界樹旅団の一味なんだ」 「もしかしてさっきの、それを思い出してパニックに……?」 納得するエルエム、尋ねるヘルにテンペスタがこくりと頷く。 「でも、もうだいじょうぶ。ええと……あり、がと」 嵐を呼ぶ男がにっこりと、微笑んだ。 「竜刻、渡しちゃってよかったの?」 「うん……あれ、パチモンなんだよね」 彼らの船へ戻る、というテンペスタと別れ、三人は改めてマーケットを巡りながら。 「ええ!? いいのそれ!?」 「騙すのってあまり好きじゃないけど……。ホンモノなんて、そうそうないよ」 苦笑するエルエムに、ヘルも納得するしかないかと苦笑い。最後の魔女は 「偽物とばれたらまた怒られるわね、あの男……くくっ」 何時になく楽しそうに不穏と笑う。 その性質の程はてんでばらばらながら同じ年頃の乙女三人、ここは様々な人が物が集まるマーケット、心行くまで楽しんだなら沢山の有形無形の『土産』と共に帰路に着くのだろう。 多少の『嵐」が起こるとしてもガザンの街には今日も何時も通りの風が吹く。
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