ヴォロスの一地方に、「遺跡の町ガザン」と呼ばれる都市がある。 丘陵をゆくキャラバンの路がいきつく先、背後には険しい山々を臨むこの町には、常時、キャラバンの商人や、冒険家たちが集まっている。 というのも、周辺の山岳地帯にかつて栄えた文明の遺跡が、この町の周囲には数多く残り、まだまだ手付かずの遺跡も多いからだ。 冒険家たちは、遺跡から竜刻をはじめとする宝を発掘せんと意気込み、商人たちは発掘された品を買い取ったり、ほかの地方から運んできた物資をかれらに売ろうとする。 ガザンでは毎日、賑やかなマーケットが開かれているし、町から少し歩けば到着する遺跡群のどこかでは、多少の危険はものともしない冒険家たちの活動がある。 それは、ヴォロスではどこででも見られる風景であったのだが――。 『導きの書』は、奇妙な遭遇を予言する。 ロストレイルの旅人ではなく、また覚醒直後でもない、ロストナンバーがあらわれるというのだ……。 ※ ※ ※ 轟々と、轟々と、燃えている。「おかあ、さ……」 紡がれる音は酷くか細く、今にも消え入りそうだった。 じっとりと蒸した闇の中で、その紅蓮は煌々と鋭い光を放っている。「もうコレはオレっちの物さァ」 きゅうと焼けてひしゃげる皮の音色が響いてわたる。 ぱちりと弾ける砂利の礫が、何かを掴もうと懸命に地を這う小さなその手を叩き弾いた。 ぱたり。 力なく垂れる小さな腕。 ぽたり。 滴り落ちた錆色の雫。 じゃり、と床踏む音色が響いた。「まったく、手応えのないヤツさァ……」 忽ちの内、小さな身体は勢い良く噴き上げた紅蓮の焔に包まれ、跡形もなく消えてしまった。 ※ ※ ※ ――この未来は、変えられるものだ。 幾つかの足音が近付いてくる。 彼がゆっくりと顔を上げると、淡い鴇鼠の髪がさらりと音を立ててその肩から零れ落ちた。 その世界司書は、自らの瞼の奥に秘められた鋭い光を押し込めるようにすっと眼を細めた。「迷い子がひとり……鬱々とした闇満ちる遺跡の奥で、奴に出会うだろう」 その子供は竜刻を持っている。 決してそれを手放さない。大切なものなのだと、頑なにそう言い張るだろう。 彼は静かにいった。 それが、命を落とす唯一絶対の理由となるのだと。「君たちが間に合えば、或いは助かる命やも――あくまで、可能性だけれどね」 筒状に丸めていた地図を放る。 霧立ち込める深い森、その奥深くに秘められたガザンの遺跡。「視界は煙り路は険しい。容易には辿れまい。遺跡は綻び、脆く崩れ易い……派手に振舞えば生き埋め、というのもありだ」 事も無げにするりと述べる。「幸いにして、その遺跡は中ほどから土砂に塞がれている。内部へ入ってしまえばそれほど労せず彼らを見つけることが出来るだろう」 遺跡への入り口は三つだ。 南東、南、南西。どれも必ず遺跡の中央部に存在する、半分ほどを土砂に覆われた広間へと続いている。 南東の路は萌葱色。苔生した瓦礫が至る場所に転がっている。三、四名程が横並びに歩けるほどの広さがある。 南の路は縹色。山々を滲み伝う雨水の通り道になっているようだ。三名程が横並びに歩けるほどの広さがあるが、水に浸からず歩くのはほぼ不可能といえる。 南西の道は黒鳶色。掘られたばかりのトンネルのような作りだ。基本的に二名程ならば横並びに歩けるだろうが、時に一列に並ばねば通れぬ場所もある。子供の遊び道のようにうねうねとしたその路は、時に二本にわかれ三本にわかれ――さながら迷路のようだと世界司書は呟いた。 埃と黴の臭いに塗れた遺跡は声もよく響くだろう。無論物音も――うまくすれば二人の会話を聞くことが出来るかもしれない。けれど、下手をすれば逆に奇襲されるかもしれない。もっと下手をすれば――。「欲に囚われず事を成す意志も大切だろうね。何せ異世界干渉は罪だから」 奴は殺傷を厭わない。 子供が竜刻を譲り渡す事を断れば、容易くその命を奪うだろう。 どのような相手なのかを問われ、彼はほんの少しだけ首を傾げてみせた。「そうだな……ふざけた態度の男だ。背は低く、髪は紅蓮、瞳はもっと深い、闇纏う深紅」 その存在は焔。 拳を振るえば渦巻く焔が吐き出され、地を蹴れば焔が地面を嘗め尽くす。 動きは機敏でよく洗練されている。小回りが利く上、吐き出す焔は強烈だ。 まともに相手をしては子供が危険に晒される。「まず戦うことに喜びを感じるタイプだろう。自分が面白いと思うことならば、何にでも乗ってくるかもしれない――うまく奴の興味を惹けたなら、子供の延命措置にはなるかもな。もっとうまくすれば……」 細い指先で顎に触れると、独りふむと頷き瞳を瞬く。「――彼らが何者であるのか、知ることが出来るかもしれない」 そこまでを述べると、彼はその場に集った面々の顔を眺めみた。「あくまで、可能性だけれどね」 世界司書は笑うように口の端を引き上げる。 その瞳には酷く冷たく、虚ろな色が浮かんでいた。「まぁ別に、戦って勝てとはいっていない。寧ろ死にたくなければ戦うなといっておこう。遺跡の綻びやそれぞれの通路の特性を利用して、竜刻を所有する子供を保護する……それだけでいい」 その為になら、遺跡を潰し奴を生き埋めにしても構わない。 どうせその程度では死にはしないだろうからな。 彼ははっきりとそういった。 それから、逡巡したように瞳を巡らせる。「命知らずがいては困るから、念のため云っておくが……いいか、決して一人で奴を相手にするな」 世界司書はそういって、脅すように睨みつける。「別に、お前達の身を案じているわけではないぞ」 彼は更に念を押すようにそういった。
不自然な空気の流れを感じて、男はふと視線をあげた。 闇に燃える紅蓮の焔を揺らして幾度か瞬くと、僅かに口の端を引く。それからもう一度、男は目の前の小さな子供を見下ろした。 「あ、あの……」 その視線に萎縮したように、子供は小さな声をあげる。 指先が助けを求めるように、ごく自然に腰元の鞄に触れた。 「そうそう、それさァ。オレっちはそいつが欲しいのさァ」 途端にかけられた言葉に、びくりと子供の指先が跳ねる。 「でも、これは……」 「頼んでる内に大人しく寄越すさァ。それともオレっちと遊びたいのかさァ?」 こく、と咽喉を鳴らし、小さく首を振る。 微かに震える唇は、それでも拒絶を表す言葉を紡いだ。 「で……でも、これは大切なものだから」 「それは渡さない、って意味かさァ?」 「ぁ……」 男の眼が剣呑な色を帯びる。 迸る熱気。 呼気を孕んだ焔の影が男の背後でとぐろを巻いた。 怯えの走った子供の瞳の中で、どろりと空気が歪む。 ――これ以上は危険だ。 少なくとも逸早く広間へと到着し、仲間がくるのをじっと待っていた『彼女』はそう判断した。 「ここで何をしているのですか」 不意を突くように、涼やかな声が響く。 男は特に驚く様子もなく声のした方へ視線を向けると、微かに鼻で笑った。 「見れば分かるさァ。遺跡探険さァ」 精緻にしてどこか無機質な光を湛えたセスの青の双眸と、男の黒き焔渦巻く灼熱の双眸とがぶつかり合う。 (既にやる気のようですね) あのタイミングで声をかけなければ、放つ心算でいたに違いない。 男を取り巻く禍禍しい焔の気配。それはただ目の前にいる幼子を焼き払い、己が目的とするものを奪わんが為だけに練られたものだ。 (子供から無理矢理に物を取り上げるとは) 他人事ながら情けなくて涙が出る――最もガイノイドである彼女には、出したくても出せはしないけれど。 「そういうアンタは何しにきたさァ? まさか遺跡探険なんてぬるいことはいわないさァ?」 いいながら、男の手が子供へと伸びる。 「オレっちの邪魔をしにきたのかさァ~?」 身体が竦み動けぬ子供の襟首をつかんで引き寄せると、にやりと口の端を引き上げ笑ってみせた。 途端、一陣の風が男の胸へと飛び込んだ。身躱すように上体を反らした男の背後、どどっと響いた鈍い音と共に濛々と土埃があがる。 「おっとっと……危ないさァ」 煙る只中よりすらりと立ち上がったのは、大振りの日本刀を手にした白銀の鬼の子。 「その手を離して頂けますか」 「随分と活きのよさそうなのが釣れたさァ」 男は楽しそうに笑うと、襟首を掴んだまま肩に担ぐように子供を空へ放った。 怯えて声も発せられぬ子供の身体が宙を舞う。男の背とぶつかった瞬間、息を詰まらせるようなか細い声が響いた。 「オレっちを騙し討ちにしたいなら、ちゃあんと全員気配を殺しておかないとダメさァ~」 声に促がされるように姿をあらわしたのは健、そして北斗だった。 『ここで何、しようとしてるのですか??』 「さっきからいってるさァ、遺跡探検さァ~」 脳に直接語りかけるような北斗の声にも動じる事なく、男はふざけた笑みを浮かべる。 「お前とは初めて会うな、世界樹旅団」 健の言葉に男は僅かに顎をしゃくってみせた。 世界中旅団の名がでたことが意外だったのかも知れない。 「この前のヤツはキャンディポットって名乗ってたけど……お前はガスバーナーか? 名前当てたら見逃すとか……ねぇよなぁ、やっぱり」 健の口からでた名に得心した様子で顎を引き、男はふっと吐息を零すように笑った。 「……なるほどさァ。にしてもガスバーナー? アンタ面白いコトをいうヤツさァ。オレっちの焔をそんな生温いモノと一緒にされちゃあ困るさァ~」 予想に反して敵と子供が一緒にいる状態では健の考える作戦は有効には働かない。健は僅かに視線を巡らせると、ぎりと隠し持った閃光手榴弾を握り締めた。 「何をしようと無駄なのさァ~」 見せつけるように肩に背負った子供を持ち上げると、これが人質っていうモンさァ、と男が笑う。 刹那、不意を突き放たれたテオドールの気刃がその腕に命中し、男の身体が大きくぶれる。手が緩んだ隙を突き、真遠歌が敵前へ躍り出た。 一太刀。斬りかかるその眼前に男が子供を放った。 「――なっ!?」 「危ない!」 突っ込んできた健の一撃に間一髪真遠歌の切っ先が逸れ、三人はごっちゃと団子になって地面に転げ落ちる。 その光景に、北斗は感情を爆発させるように叫んだ。 『生命を何だと思ってるんですか!?』 斬らせる心算だったのか、ただの目晦ましかは解らない。 けれど命を軽んじる行為であったことに間違いはないだろう。無防備となった彼らへの追撃を警戒し北斗が放った水鉄砲を、男は交差させた両腕で受け止める。 「チィ、うざったいヤツさァ」 強烈な水噴射の勢いに圧されながら、男は僅かに眉を顰めた。 より強烈な焔を炸裂させその攻撃を相殺すると、男は彼らには目も呉れず、テオドールへとまっすぐに視線を向けた。 「まァだ隠れてたのかさァ……」 眼の奥に宿る焔がめらめらと燃え上がる。 虚を衝かれたことへの怒りか、或いは己の裏を斯いた相手への好奇心か。 そのどちらなのかは定かでない。 けれどその瞬間、他の何もかもを捨て置けるほどにテオドールという存在が男の興味を引いたことだけは間違いなかった。 真遠歌が地面へ放り出された子供を支え起こすと、健と北斗がその前に立ち男との距離を取る。 さらにその間を遮るようにセスが立ちはだかった。 その動きに男は目も呉れない。 どっと地を穿ち一挙にテオドールの眼前へと迫った。 ――釣れた。 テオドールはその確信と共に声を張り上げる。 「行けっ!!」 「――くっ」 真遠歌が、健が、北斗が、弾かれたように子供を連れて駆け出した。 やはり男は目も呉れない。 猛り狂ったように暴れる灼熱の焔がテオドールの肌を焼く。咄嗟に放った気刃は男の頬を掠め地面に穿たれた。 「アンタのかくれんぼは百点満点さァ~!」 鋭く打ち込まれた拳の軌道を短剣の鍔で巧みに逸らす。 拳そのものが炎と化したような爆焔がテオドールの肩口と頬とを焼いた。 「――チッ!」 まともに受けてはいけない、忽ちの内に叩き伏せられ、焼き尽くされてしまう。 放たれる殺気にテオドールは咄嗟に身を屈め男の背後へ回り込もうとする。男の拳は迷いなくその影を追う。 勢いよく蹴り上げた土が男の顔に命中し、その追撃を一時緩めさせた。 更に追い打つようにセスの銃撃が男の動きを牽制する。 その隙に体勢を立て直したテオドールは、一挙に地を蹴り駆け抜ける。 すれ違い様に斬り付けた刃には毒が盛ってある。庇うように身構えた男の腕から紅いモノが噴き出した。 これで少なくとも容易に後を追ってはこれなくなる――筈だった。 「オレっちにそんなモノは効かないのさァ~……」 男がニィっと浮かべた笑みに、テオドールは反射的に飛び退いた。 遅れて冷たいものが背筋をぞっと駆け抜ける。 爆焔が地を嘗める。 手の甲をぺろりと嘗め上げて、男は広間を包む焔の中をゆらりと立ち上がる。 ――嘗めたのは血ではない。焔だ。 テオドールが手にした刃に視線を走らせると、その刃先からは微かな煙が上がっていた。 (まさか――あの一瞬で、焼き切ったのか?) 焦燥とも付かぬ心地が湧くと同時、目の前の男がにぃっと口の端を引き上げる。 どっと地を蹴り押し迫る。 その勢いにテオドールは身を引き飛び退いた。 爆焔が辺りを包み込む。衝撃に僅かによろめくテオドールめがけ、飛び散る砂利と土煙の只中から男が飛び出した。 嗤っている。 情報通りの男だ――今のこの状況、戦うことを楽しんでいるのに間違いはない。 「ククッ詰めが甘いさ……ぬぉっ!?」 とどめとばかりテオドールへ襲いかかる男の身体を、浮かび上がる大極図の結界が捉え、呪縛する。 一瞬にして身じろぐこともできなくなった男目掛け、強烈な焔が炸裂する。 燃え上がる焔の只中へ、容赦なく放たれた風刃が次々に突っ込んでいく。 攻撃が明けた後、もうもうと撒き上がる焔と煙の中に、ぺたりと地面に座り込む焔の男の姿が在った。 「さァ~……」 ぽつりと、呟くようにそう零した。 ぼんやりとしたその様子とは裏腹に、眼は爛々と輝いている。その内に抱える焔は次第に熱を増していっているようだった。 「よお」 放るようにかけられた声に答えるように、男はつと視線を上げた。 南西へと伸びる路の影に、両手をポケットに突っ込んだまま悠然と立つリエの姿が在った。 「油断したさァ~……今のは熱いさァ」 その一言に、リエの獰猛さを秘めた黄金の瞳が僅かにたわむ。皮肉げに歪んだ笑みを浮かべる口元につられるように、男もまた口端を引き嗤う。 「鬼さんこちら手の鳴る方へ、俺と遊ぶ方が楽しいぜ!」 「アンタがオレっちと遊んでくれるのかさァ~、そいつは楽しみさァ~!」 いい終わるか終わらぬかの内に、リエがセクタンの炎弾を男目掛けて打ち放つ。その隙にセスとテオドールがトンネルの中へと飛び込んだ。 飛び退くように後ろへ身躱した男は、二人の後を追うように南西の小さな闇の中へ姿を消したリエを追い、迅速に駆け出した。 「誘っておいて逃げるのかさァ?」 うねる路、リエの姿を視界に捉えるたび男は炎の拳を打ち放つ。 焔に焼かれ砕け散った壁が幾度もその背を掠めては行く先に突き刺さる。 爆ぜる音色は路の奥へ奥へと響いてゆく。あの男は崩落の危険性を全く気に止めていないのだと、リエは思った。 ちらと視線を流す。ぴったりとマークされている。 付かず離れずを調節しているのではないかと思えるほどの距離感に、リエはまた眼を細めた。 距離を稼がねば爆薬を設置することもできはしない。 「この程度なら頭もたかが知れてるな。どうせ大した事ねえ、口だけ達者なハッタリ野郎なんだろ?」 「口だけかどうか……今ここで、試してみるさァ!」 男の姿が消えるか消えぬかの内に真空の刃を打ち放つ。男が角を曲がり姿を現した瞬間、直撃した壁から弾丸の如く発せられた石の飛礫が飛散する。 「ぬるいさァ」 飛礫に紛れて男が跳躍する。その足は地を蹴るごとに焔を噴き上げている。一気に距離を詰めてきた焔の眼に何か危機的なものを察知し、リエは反射的に地を蹴り曲がり路の奥へと飛び込んだ。 爆音が轟く。 灼熱が肌を嘗め、追い縋るようにその足を絡め取る。 「中々いい動きをするさァ~」 轟々と燃え上がる焔の只中で、黒く小さな影がゆらりゆらりと歩みを進めている。 (――拙い) そう思った瞬間、入り組んだトンネルの影からセスが飛び出した。獲物を狙う男の背を目掛け、ブレードを突き出した肩で思いきりショルダータックルを喰らわせる。 「チィッ」 爆焔が壁を突き抜けてトンネルを呑み込んだ。 地の底から響くような震動が響いてくる。 「自分で生き埋めになる気かよ」 「早く行きましょう」 間一髪難を逃れたセスが、リエの腕を掴んで引き起こす。 「逃がすかさァ!」 「ッ!」 弾丸の如く突っ込んできた男が足元の岩を叩き崩し、焔が嘗めてゆく。衝撃に崩れた天井から、がらがらと砂利が零れ落ちてくる。 トンネル内を響く震動は、次第に大きくなっているように感じられた。 「追いかけっこはお仕舞いさァ。あのガキを追いかけるよりは楽しめたさァ~」 黒鳶の色に沈むトンネル内で、轟々と燃え盛る焔に包まれた男の身体が砂利を踏み締め近付いてくる。 「随分といきがってるがひ弱なガキいたぶって悦に入るなんざ下っ端の証拠だ。てめえ旅団で何番目に強いんだ?」 「あっはっは。追い詰められてるのにその口ぶりとは、アンタも相当面白いヤツさァ」 男は楽しそうにそういうと、低く腰を下ろして身構えた。 新しいおもちゃを見つけた子供のように瞳を踊らせ、活きのいい獲物を見つけた肉食獣のように鋭い光をその奥底に宿している。 「でもオレっちは旅団の番付なんかに興味はないさァ。それよりも――アンタとオレっちの番付をした方がよっぽど楽しそうさァ」 ニィっと口の片端を引いて男が笑う。 逃げないで戦おうと、そう誘っているのだ。 リエの中に宿る焔に自身と同じ匂いを感じ取ったのかも知れない。或いはその好戦的な挑発に敢えて乗ろうと思うほどの楽しみを、彼の中に見出したのか――。 「いくさァ!」 男が声を張り上げ、地を蹴った瞬間――瓦礫の闇より飛び出した影が、男の背に刃を振り下ろす。 「そこにいたかさァ!」 男はその一撃を身を捻り辛うじて躱したようにみえた。だが、テオドールはその手に手応えを感じていた。 くらりとしたように男がよろめく。 今度は焼ききられる前にその毒の刃が男の肉へと達したのだ。 「――こ、のッ!」 毒のためかあらぬ方へ腕を振り上げた男から、テオドールは飛び退き距離をとる。トンネルを焼く焔が斜め上の天井を嘗めてゆく。 よろめきながらも狙いを定める男目掛け、セスが左腕の汎用機関銃を撃ち放つ。ボッと弾け飛ぶ岩土が蔓延し響き渡る崩落音のひとつと重なった。 このトンネルも限界が近い。 リエの放つ風刃がよろめく男の足元を抉り取る。 「退くぞ!」 男が大きく体制を崩したその隙に、三人は出口へ向かい一気に駆け出した。 「群れなきゃ何もできないとはがっかりさァ……邪魔をする虫どもは、全部オレっちが踏み潰してやるさァ」 ゆるい言葉遣いとは裏腹に、その眼の中では轟々と焔が燃え盛る。 男はぎらつく眼で三人の消えた方を睨み据えた。 ※ ※ ※ まるで悲鳴のようだった。 トンネル内を響いて渡る爆音は、次第に激しさを増してゆく。 轟く震動と焔の音色に、子供は度々身体を竦ませた。 テオドールが寄越した耐火性に優れたマントを肩から羽織った子供の頭を、健はくしゃくしゃに掻き回してチョコレートとジュースを握らせる。 「一人で迷子になるような場所来ちゃダメだろ? 母さんが心配するぞ?」 「え? あ……」 子供は僅かに顔を俯けると、真遠歌の手を取ったまま手のひらのチョコレートをぎゅうっと強く握り締めた。 「いいか、良く覚えとけ……物なんて盗られたら取り返せばいいんだよ。どんなに大事な物でもそのために死んだら母さんが泣くぞ? 男が母さん泣かすなよ」 健の言葉に子供は震える唇を噛み締める。 「泣く……のかな。お母さん、泣くのか、なぁ……?」 子供の呟くその言葉に、真遠歌の胸が微かに疼く。 母を求め、助けを呼ぶ子供。 このまま放ってはおけない。 決して。 どこか相通ずる胸の痛み抱え、真遠歌はじゃりと地を踏み締める。 今まで滞っていた空気の流れを感じるようになってきた。出口は近い、そのはずだ。 『ところで、それ、なに?』 譲ってくれないかと問われ、北斗の示唆するモノへと視線を落した子供は困ったように眉根を寄せた。 「これは、大切なもの……だから」 ふるふると首を振るう子供からは、頑なな拒絶の色が見て取れた。 「急ぎましょう、この分だとトンネルの方が持たない」 戦火は予想よりも激しく彼らの身に響いて来る。 それも、次第に近くなってきているように感じられた。 正確な位置は解らない。震動も物音も、あらゆる方向から反響し、伝わってくる。 駆けようにもこうも揺れては足元も覚束ない。急ぐに急ぎきれぬ、そんな状況だった。 一際大きく響いた爆音に、辺りの温度が急上昇する。 焔に包まれ転がるように飛び出してきた仲間の姿に、四人は目を剥いた。 「もう追いついたのか」 「急いで逃げてください」 「――くそッ」 少しでもその動きを抑えようとセスとテオドールが連携し突っ込んでいく。 二人を援護するように真空の刃を打ち放ちながら、リエが誰にともなく声をかけた。 「その先、道が狭くなってたよな」 「そのようです」 真遠歌の返答にリエは微かに頷いた。 ――仕掛けるなら、そこしかないだろう。 ちらと視線を走らせれば、子供は憔悴しきったような顔でぎゅうっと鞄を抱きしめている。 「それ、親の形見か何かか」 「う……うん」 子供は小さく首を頷けながら、たったそれだけの言葉を紡ぐだけで既にその瞳に涙を溜めていた。 まだ亡くして間もないのかも知れない。少なくとも、その傷も乾かぬ内にこうして事件に巻き込まれてしまったのだろう。 リエの胸の内で、母の形見の勾玉ペンダントを離さぬ自身と、竜刻を必死に守り抜く子供の姿とが重なる。 こうまで素直に感情にして表すことなど、できはしないけれど。 「命より大事なモノなんてこの世にねえと思うがね」 皮肉りながらも、励ますようにくしゃりと子供の頭を掻き回す。 「いざという時はオレ達が食い止めてる間に逃げろよ」 「で、でも……」 「安心しろ。俺達が守ってやる」 行け、とは口にせず、ただ視線を流してみせる。 それきり振り向こうともしないリエの背を、じっと見つめ続ける子供の手を真遠歌がひいた。 「大丈夫です、行きましょう」 『うん。急がないと追いつかれちゃうよ』 北斗が先を促すようにホバー移動をはじめると、子供はこくりと頷き駆け出した。 「おい」 三人の背を見送って、健が振り返る。 「先行って待ってるぜ」 「あぁ」 小さく反響する声は、轟々と燃える焔の音に掻き消された。 ※ ※ ※ 足先ががりりと地を掻き、セスの身体が押し流される。 彼女程の丈夫な身体でなければ決して持たない一撃だった。 交差した両腕からは未だ燻る焔の残り香と煙とが立ち上る。 テオドールは振り向き様に放たれた男の拳を寸でで退き躱すと、地を蹴り壁を蹴り飛んで右手の短剣で一撃する。 そのまま弾かれたように自ら距離を取る。 遅れて強烈な焔が軌跡を描き胸を掠めた。 「竜刻を入手する為に、手段を選ぶ余地も無い程切迫した理由があるのか?」 不意に投げかけられた質問に、男は不思議そうに小首を傾げてみせた。 「生き物はどいつもこいつも何かの命を喰らって生きてるもんさァ」 「何……?」 「オレっちたちも美味そうな肉を喰らって生きてるってだけのことさァ~!」 言いながら男は拳を構え突っ込んでくる。 振り上げるように放たれた拳から灼熱の焔が解き放たれ、テオドールは反射的に後ろへと飛び退いた。 追いすがる焔の塊に、勢いよく放たれたリエの焔が喰らいつく。 「ガキをいたぶんのを強さと勘違いするような悪趣味な手合いは昔っから虫唾が走ンだよ」 「アンタは正義漢ぶるのが趣味かさァ?」 にやりと笑って男が小石を蹴り上げる。 地を駆け回り吹き散らされる焔を相殺せんと、リエは膨張させたギアの焔を打ち放った。 炎上する焔によって切り開かれた路を、テオドールとセスが駆け抜ける。 「火をもって火を滅す、焔は焔で相殺する」 「やれるモンならやってみろさァ!」 楽しげに吼える男に背を向けて、リエは二人の後を追って駆け出した。 目の前には三本の分かれ道。 それでも迷いなく選び取った闇の中へと身を躍らせる。 やはりぴったりと離れずについてくる男の姿をちらりと見遣り、リエは口の端を引いて微かに笑った。 駆け抜けた闇から銃声が響く。 舌を打ち、男の放つ焔が闇を照らし出す。すかさず飛び退き距離を取っては銃撃を放ち、じりじりとセスは後退を続けた。 不意に男の足元に大極図の結界が浮かび上がる。 「そう何度も引っ掛かるかさァ!」 「いや、引っ掛かっとけよ」 逃れんと地を蹴る男目掛け、虚を衝く一撃が天から降り注ぐ。 テオドールだ。 「くっ――こいつ!」 鋭い一閃。 男の左頬から血が噴き出し、テオドールはその足元に軽やかな音色を響かせて着地すると、リエの傍らをすり抜けてその奥の闇へと消えてゆく。 「ぐ、ぁああああッ!」 一瞬の眩暈。それによって術から逃れられずに拘束された男は、リエの焔に包まれた。激しく炎上する只中へ矢継ぎ早に真空の刃を撃ち放ち、セスもまた援護するように機関銃を乱射する。 呪縛から逃れ、よろめく男を尻目に二人は出口の方へと駆けてゆく。 目の前にあるのは人一人ほどが通れるほどの狭い路だ。 思ったよりも距離がない。これでは二人が潜り抜ける間に男に追い付かれてしまうだろう――。 「私は大丈夫です、お先にどうぞ」 返答を返す間もなく背を押され、リエは迅速にトンネルを潜り抜けてゆく。彼が多少開けた場所へ出たと同時、その背後で銃声が響いた。 「セス!」 言うより早く、待ち構えていた健が腕を伸ばしてセスの首根を引っつかむ。 「何を……!」 僅かに身じろいだセスの右腕は肘から外され、今正に撃ち放たんとしていた無反動砲がむき出しの状態になっている。 「ほい、ほいほいっと」 閃光手榴弾に催涙手榴弾、持ち込んだ手榴弾をトンネルの奥へと次々放り込み、健は満足顔でよし、と呟き手を払う。 「おい、後三秒で爆発だ。走るぞバトル野郎ども!」 その言葉を耳にした瞬間、全員が駆け出した。その背に、微かにくぐもった男の呻き声が響く。 どっと地響きが広がり、爆発の衝撃と爆風とが辺り一帯を包み込んだ。 派手に吹き飛ばされ崩落した遺跡の路を目の前に、ある者は大きな吐息をつき、ある者は力が抜けたようにその場に腰を下ろす。 『よかった、みんな無事だったね』 「世界司書の言ったことを考えると、早くここを離れた方が良さそうだな」 「あぁ……あいつ、しつこそうだしなぁ」 「そうですね、早く町へ戻りましょうか」 彼らはこくりと頷き合うと、ガザンの町へ向かう路を辿って歩き出す。 不意にそれまで黙っていた子供が真遠歌の手を引き、足を止めた。 「あ、あの……みなさん、助けてくれてありがとうございました!」 ぺこりと、頭を下げる。 その姿に微かに笑み零し、テオドールはその肩に手を置いた。 「無事でよかった」 北斗はひとり遺跡の方を振り向くと、ポツリと小さく呟いた。 『なんか、物騒なことになってきたよ。なんとか、ならないかなぁ??』 霧立ち込める深い森に陽が沈む。 辺りに染み込む濃く深い紅の色は、あの焔に色に似ている気がする。 新たな戦いの予感に、北斗は微かに首を振るった。
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