ディラックの空にレールが生まれ、ロストレイル9号車の進路を示す。 ヴォロスへの旅路を終え、ターミナルへと引き返す列車の中で、最初の異変は警告音だった。 次いで、襲撃を告げるアナウンスが流れ、どよめきが車内を駆け巡る。「襲撃?」「ディラックの空でか!?」「おい、窓の外。円盤だ!」 不気味に輝く円盤は、ロストレイルの真横、手を伸ばせば触れる程の距離で左右にふらふら揺れつつ併走していた。 こちらを伺うように、あるいはからかうようにのんびりと揺れ、浮遊して、上下する。 一分ほどディラックの空を駆け巡った後、放浪船は霧のように消えた。 幾人かのロストナンバーが車窓にへばりつくようにして虚空の空を睨みつけるが、行方を追う事はできず、ただ視野に闇だけが飛び込んでくる。「乗客の皆様、激しく揺れますのでお近くの吊革・手すりにお捕まりください。――前方の障害を排除します」 車掌のアナウンスが車内に響いた。 ――障害? ディラックの空にロストレイルの進行を妨げるものは存在しない。通常は、だ。 虚空に浮かぶ無数の黒点。それは無数のワームだった。 虚空の空に、不定形の小型ワームが星の海のごとくにうぞうぞと犇いている。 一体一体が数メートル程の、ぶよぶよしたゼリー状の物体だった。 レールが大きく曲がり、それに沿って車体が大きく傾いた。 ぐんっ…、と大きく揺れた車両の遠心力で、乗客の身体が車壁へと押し付けられる。 前方のワームの大群に真正面からつっこむ事はないと進路を急激に変更したためだ。 だが、その目論見は簡単に打ち砕かれた。 転進してから分かったことだが、その先にもまた無数のワームが存在する。 ロストレイル9号車の前方にも後方にも、黒くてらてらとぬめるワームがただぼんやりと浮遊していた。 再び車掌のアナウンスが入る。「これより前方への砲撃を行います。激しく揺れることがございますのでご注意ください」 ロストレイルの機関車両は銃器・火気の類を搭載している。 射手の特性を持つロストレイル9号車はその名の通り、精密射撃を中心とする遠距離攻撃に長けていた。 銃口がワームの群れへと向けられると、見る間に実弾と光弾、果ては呪術・魔術弾の類にいたるまで、雑多な弾丸を豪快にバラまき続ける。 数十に及ぶ大小の砲門は、虚空に向けて何分も続けて火花を散らす。 車窓から眺めていると、まるで光の短冊が無数に射出されたかのように、ワームを照らした。 光に晒されたワームの身体が、どつっ、どつっ、と小さく膨れ、次の瞬間、爆散した。 程なく、その周囲で同じように身体の内側から破裂し、あるいは身体を引き裂かれ、ぶよぶよとした身体に風穴を開けていく。 流れ作業のように、雲霞のごとくロストレイルを覆っていたワームの群れは、徐々にその数を減らし続ける。「スゲー! ロストレイルってこんな武装あったのか!?」 誰かの感嘆の声が響いた。 一方的な無双演舞劇に車内では笑顔を浮かべるものまで現れ、雑談を始めるものまで現れる。 強力な火器をバラまいてワームの壁を蹴散らしていく様は、非常に頼もしいものだった。 戦局が一転したのは、車窓にへばりついたワームの破片が蠢いていることに気付いた瞬間だった。 世界図書館が経験したこれまでのワームとの遭遇戦からの経験上、形状が一定しないワームではあるものの、打ち倒したならその姿は霧のように消える。 だから、このようにワームの破片がロストレイルの車窓に張り付いて残るという事はありえない。 めし……、みし……。 みし……みし……、 後部列車の車両で、最初の悲劇は起きる。 窓にへばりついていたワームの破片が蠢いたかと思うと、その破片を中心に窓に亀裂が走った。 程なく、がしゃんと派手な音がして窓ガラスが割れる。 裂傷のように開いたロストレイルの傷口に、ディラックの空に漂っていたワームの欠片はゆっくりと割れ目に集まり、その取り付く暗闇の数は見る間に増えていった。 割れた窓の前に陣取りワームの進入を防いでいたロストナンバーの一人が、あまりの数に処理しきれなくなり、ついに進入を許す。 そこから後は早かった。 まるで黒煙が割れた窓から車内に侵入するように、数センチから数十センチほどの黒く細かなゼリー状の物体は、明らかに意思を持ち車内へと進入する。 ほんの僅かな裂け目に浸透し、数の暴力で押し切ってくる。 事、ここにいたり、乗客はようやく、ワームの無数の群れがいたのではなく、分裂を可能とする超巨大な不定形ワームに襲撃されたのだと悟った。「う、うわああああああ!!!!!」 悲鳴は客室車両の一角、割れた窓の前でトラベルギアを振るってワームの侵入を防いでいた戦士のもの。 彼のみではなく、迎え撃つロストナンバーの手と言わず足と言わず、身体にへばりつき、鼻から口から耳から。 ひとつが振り払われてもその次が、いくらでも、いくらでも、身体の穴という穴を狙い、黒いゼリーの群れは蠢き続け、体内へとじわじわ侵入を試みる。 阿鼻叫喚の悲鳴が車内に木霊した。 やがて、ロストレイル9号車のほとんどの客室は黒いゼリーに占領される。 遠方の敵へは無比の射撃力を誇るいて座のロストレイルは、侵入に対して酷くもろく、数時間前までヴォロスで各自の任務をこなしていたロストナンバー達に余力はほとんど残っていなかった。 客室車両に居場所をなくし、ロストナンバーは先頭車両へと追い込まれている。 全員が避難できていると信じたかった。いま、正確な人数をカウントする余裕はない。 もともと、それほど大勢のロストナンバーが乗り込んでいたわけでもなく、戦力を持って黒いゼリー状のワームを押し返すどころか、単純に防ぐ事すら満足に行かない。 やがて、ロストレイルの先頭車両の真正面。鼻先の位置に放浪船が浮遊し、強く発光する。 目を奪われた直後、今度はロストナンバーの背後で声がした。「降伏勧告に来たよ」 明るく快活な声で宣言したのは、少年だった。 黒い髪に白い肌、黒衣をまとった少年が、真っ黒に染まった客室車両を背にちょこんと立っていた。 悪戯っぽいくりんとした瞳をロストナンバーに向け、手を頭上に掲げる。 少年のまとっている黒衣は布ではなくゼリー状。ロストレイル9号車を覆う黒い死のゼリーを纏っていた。「世界樹旅団参上、ってね。このまま全滅させてもいいけど、面倒だからさ。ああ、言っておくけど助けを待っても無駄だよ。ほら」 少年が手を翳すと、窓を覆い尽くしていた黒いゼリーが自らの意思で動き、ディラックの空へと視界を移す。 いつのまに接近していたのだろう。 視界の先、別のロストレイルがディラックの空を走っていた。 だが、その友軍車両もまた、巨大なワームに圧し掛かられている。 そちらは黒く淀んだ闇がヘビのようにくねくねとそのロストレイルの車両を包み込んでいた。「あっちの制圧も時間の問題だからさ」 小さな少年はにこにこと微笑む。 視線の先で、車両を絡め取り、鎌首をもたげて漆黒の舌が天板を舐めるように前後する。 金属の天板を剥ぎ取るほどの圧力を持った舌に、天板が見る間に歪んでいく様を少年は楽しそうに見つめていた。「あっちも仲間でしょ? あっちは僕の担当じゃないけれど、みんなが降参してくれるなら、終わってからあっちの車両の人にも危害は加えないように頼んであげるからさ」 得意気な顔の少年は小さく胸を張る。「襲われているのはロストレイル6号。あちらの車両は現在、レディ=カリスの意思により武装解除されています」 車掌が小さく呟いた。 6号機はおとめ座の形質を示す豪奢な車両を擁している。 丸腰の乙女も同時に攻撃を受けているということか。 救難信号を示すランプは、なおも赤く点滅しつづける。 ランプの数が12。 この車両自身を含む全てのロストレイル車両が救難を求めていることになる。 何かの故障としか思えない。「はんっ……」 誰かが悪態をついた。 がたり、と。操縦レバーのひとつに手がかかる。「おい、ガキ」 ロストナンバーはにやりと微笑う。「相手見てモノ言え。まず、名前くらい名乗れよ」「うーん……、意地を張ってもいいことないよ? あ、僕ってわりとSだから、抵抗してくれてもいいけど。名前? ソル・ビアンコっていうんだ。よろしくね、さ、武器を捨てて頭の後ろで手を組んでくれるかな」「ソル、ねぇ。……やなこった」 咄嗟に立ち上がったロストナンバーが向かったのは少年ではなく、操縦レバー。 それを思い切り引き下げると、がくん、と、ほとんど真横を向いたロストレイルの車両が急激に速度をあげる。 燃料も、車両の耐久も考慮せず、思い切りアクセルを踏み込むに等しい暴挙。 風圧のせいか、あまりのスピードに振り落とされたか、先頭車両の窓にへばりついていた黒いゼリーの塊はどんどんこそげ落ちていく。 向かう先は、友軍のロストレイル6号車に向けて。「うわ、うわわわ。ぶつかる、ぶつかる!」 上擦った声で少年は操縦レバーに手を伸ばす。 見る間に前方を行くロストレイルの車両が、どんどん近づいていた。 回避しようと手を伸ばした少年の手を、ロストナンバーが叩く。「このままじゃ、ぶつかる……」 言い終わる直前、レバーは思い切り引き下げられた。 ブレーキではなく、方向転換。「ぶつけるんだ」 言葉と同時、衝突の衝撃が走り、床下から、ぎり、ぎりりりりと金属同士がこすれあう音がした。 直撃ではないものの、どこか引っ掛けている。 次の瞬間、強烈な前方への重力がロストレイルの車内に発生した。 何か巨大な質量のものにぶつかり、それでもエンジンに任せて押し通す。「くくくっ……」 成功したことが嬉しかったらしい。 ほくそ笑んだロストナンバーは、こちらへと親指をあげて合図してみせる。 弓が折れ、矢が尽きた、孤高の射手。 先頭車両を除く全ての客室車両が黒いゼリーに占拠され、列車の全体が黒い尻尾を引いた一筋の流星となり、 先頭車両は巨大なワームのちょうど腹部に体当たりしたまま、エンジンのフル回転に任せて押しこんでいる。 ロストレイル9号、いて座の名を冠した射撃特化の車両が取った策は、己自身をひとつの矢に変えて突撃することだった。 エンジンは更に勢いを増して廻り続ける。 いつ止まってもおかしくない程の無茶な加速を続けたままで、フロントガラスが割れ、ディラックの虚空を背にヘビの様なワームがこちらを覗き込む。 後部列車との接続部、激しい音とともに頑丈な扉に亀裂が走った。 世界樹旅団を名乗った少年、ソルがこちらを軽く睨みつける。「最後の忠告だ。降参して、捕虜になってくれれば危害は加えない」 前方のウミヘビを彷彿とさせるワームが大きく口を開き、車両の天板を噛み砕く音がする。 同時、後部車両へと続く連結扉の耐久度が限界に達し、ついに黒いゼリーの集団によりこじあけられた。========!注意!イベントシナリオ群『ロストレイル襲撃』は、内容の性質上、ひとりのキャラクターは1つのシナリオのみのご参加および抽選エントリーをお願いします。誤ってご参加された場合、参加が取り消されることがあります。また、このシナリオの参加キャラクターは、車両が制圧されるなどの状況により、本人のプレイングなどに落ち度がなくても、重傷・拘束等なんらかのステイタス異常に陥る可能性があります。ステイタス異常となったキャラクターは新たなシナリオ参加や掲示板での発言ができなくなりますので、あらかじめご了承下さい。========
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