オープニング

 ディラックの空にレールが生まれ、ロストレイル9号車の進路を示す。
 ヴォロスへの旅路を終え、ターミナルへと引き返す列車の中で、最初の異変は警告音だった。
 次いで、襲撃を告げるアナウンスが流れ、どよめきが車内を駆け巡る。
「襲撃?」
「ディラックの空でか!?」
「おい、窓の外。円盤だ!」

 不気味に輝く円盤は、ロストレイルの真横、手を伸ばせば触れる程の距離で左右にふらふら揺れつつ併走していた。
 こちらを伺うように、あるいはからかうようにのんびりと揺れ、浮遊して、上下する。
 一分ほどディラックの空を駆け巡った後、放浪船は霧のように消えた。
 幾人かのロストナンバーが車窓にへばりつくようにして虚空の空を睨みつけるが、行方を追う事はできず、ただ視野に闇だけが飛び込んでくる。

「乗客の皆様、激しく揺れますのでお近くの吊革・手すりにお捕まりください。――前方の障害を排除します」
 車掌のアナウンスが車内に響いた。
 ――障害?
 ディラックの空にロストレイルの進行を妨げるものは存在しない。通常は、だ。

 虚空に浮かぶ無数の黒点。それは無数のワームだった。
 虚空の空に、不定形の小型ワームが星の海のごとくにうぞうぞと犇いている。
 一体一体が数メートル程の、ぶよぶよしたゼリー状の物体だった。
 レールが大きく曲がり、それに沿って車体が大きく傾いた。
 ぐんっ…、と大きく揺れた車両の遠心力で、乗客の身体が車壁へと押し付けられる。
 前方のワームの大群に真正面からつっこむ事はないと進路を急激に変更したためだ。

 だが、その目論見は簡単に打ち砕かれた。
 転進してから分かったことだが、その先にもまた無数のワームが存在する。
 ロストレイル9号車の前方にも後方にも、黒くてらてらとぬめるワームがただぼんやりと浮遊していた。

 再び車掌のアナウンスが入る。
「これより前方への砲撃を行います。激しく揺れることがございますのでご注意ください」
 ロストレイルの機関車両は銃器・火気の類を搭載している。
 射手の特性を持つロストレイル9号車はその名の通り、精密射撃を中心とする遠距離攻撃に長けていた。
 銃口がワームの群れへと向けられると、見る間に実弾と光弾、果ては呪術・魔術弾の類にいたるまで、雑多な弾丸を豪快にバラまき続ける。
 数十に及ぶ大小の砲門は、虚空に向けて何分も続けて火花を散らす。
 車窓から眺めていると、まるで光の短冊が無数に射出されたかのように、ワームを照らした。

 光に晒されたワームの身体が、どつっ、どつっ、と小さく膨れ、次の瞬間、爆散した。
 程なく、その周囲で同じように身体の内側から破裂し、あるいは身体を引き裂かれ、ぶよぶよとした身体に風穴を開けていく。
 流れ作業のように、雲霞のごとくロストレイルを覆っていたワームの群れは、徐々にその数を減らし続ける。
「スゲー! ロストレイルってこんな武装あったのか!?」
 誰かの感嘆の声が響いた。
 一方的な無双演舞劇に車内では笑顔を浮かべるものまで現れ、雑談を始めるものまで現れる。
 強力な火器をバラまいてワームの壁を蹴散らしていく様は、非常に頼もしいものだった。



 戦局が一転したのは、車窓にへばりついたワームの破片が蠢いていることに気付いた瞬間だった。
 世界図書館が経験したこれまでのワームとの遭遇戦からの経験上、形状が一定しないワームではあるものの、打ち倒したならその姿は霧のように消える。
 だから、このようにワームの破片がロストレイルの車窓に張り付いて残るという事はありえない。

 めし……、みし……。
 みし……みし……、

 後部列車の車両で、最初の悲劇は起きる。
 窓にへばりついていたワームの破片が蠢いたかと思うと、その破片を中心に窓に亀裂が走った。
 程なく、がしゃんと派手な音がして窓ガラスが割れる。
 裂傷のように開いたロストレイルの傷口に、ディラックの空に漂っていたワームの欠片はゆっくりと割れ目に集まり、その取り付く暗闇の数は見る間に増えていった。
 割れた窓の前に陣取りワームの進入を防いでいたロストナンバーの一人が、あまりの数に処理しきれなくなり、ついに進入を許す。
 そこから後は早かった。

 まるで黒煙が割れた窓から車内に侵入するように、数センチから数十センチほどの黒く細かなゼリー状の物体は、明らかに意思を持ち車内へと進入する。
 ほんの僅かな裂け目に浸透し、数の暴力で押し切ってくる。
 事、ここにいたり、乗客はようやく、ワームの無数の群れがいたのではなく、分裂を可能とする超巨大な不定形ワームに襲撃されたのだと悟った。
「う、うわああああああ!!!!!」
 悲鳴は客室車両の一角、割れた窓の前でトラベルギアを振るってワームの侵入を防いでいた戦士のもの。
 彼のみではなく、迎え撃つロストナンバーの手と言わず足と言わず、身体にへばりつき、鼻から口から耳から。
 ひとつが振り払われてもその次が、いくらでも、いくらでも、身体の穴という穴を狙い、黒いゼリーの群れは蠢き続け、体内へとじわじわ侵入を試みる。
 阿鼻叫喚の悲鳴が車内に木霊した。


 やがて、ロストレイル9号車のほとんどの客室は黒いゼリーに占領される。
 遠方の敵へは無比の射撃力を誇るいて座のロストレイルは、侵入に対して酷くもろく、数時間前までヴォロスで各自の任務をこなしていたロストナンバー達に余力はほとんど残っていなかった。
 客室車両に居場所をなくし、ロストナンバーは先頭車両へと追い込まれている。
 全員が避難できていると信じたかった。いま、正確な人数をカウントする余裕はない。
 もともと、それほど大勢のロストナンバーが乗り込んでいたわけでもなく、戦力を持って黒いゼリー状のワームを押し返すどころか、単純に防ぐ事すら満足に行かない。
 やがて、ロストレイルの先頭車両の真正面。鼻先の位置に放浪船が浮遊し、強く発光する。

 目を奪われた直後、今度はロストナンバーの背後で声がした。
「降伏勧告に来たよ」
 明るく快活な声で宣言したのは、少年だった。
 黒い髪に白い肌、黒衣をまとった少年が、真っ黒に染まった客室車両を背にちょこんと立っていた。
 悪戯っぽいくりんとした瞳をロストナンバーに向け、手を頭上に掲げる。
 少年のまとっている黒衣は布ではなくゼリー状。ロストレイル9号車を覆う黒い死のゼリーを纏っていた。
「世界樹旅団参上、ってね。このまま全滅させてもいいけど、面倒だからさ。ああ、言っておくけど助けを待っても無駄だよ。ほら」
 少年が手を翳すと、窓を覆い尽くしていた黒いゼリーが自らの意思で動き、ディラックの空へと視界を移す。

 いつのまに接近していたのだろう。
 視界の先、別のロストレイルがディラックの空を走っていた。
 だが、その友軍車両もまた、巨大なワームに圧し掛かられている。
 そちらは黒く淀んだ闇がヘビのようにくねくねとそのロストレイルの車両を包み込んでいた。
「あっちの制圧も時間の問題だからさ」
 小さな少年はにこにこと微笑む。
 視線の先で、車両を絡め取り、鎌首をもたげて漆黒の舌が天板を舐めるように前後する。
 金属の天板を剥ぎ取るほどの圧力を持った舌に、天板が見る間に歪んでいく様を少年は楽しそうに見つめていた。
「あっちも仲間でしょ? あっちは僕の担当じゃないけれど、みんなが降参してくれるなら、終わってからあっちの車両の人にも危害は加えないように頼んであげるからさ」
 得意気な顔の少年は小さく胸を張る。


「襲われているのはロストレイル6号。あちらの車両は現在、レディ=カリスの意思により武装解除されています」
 車掌が小さく呟いた。
 6号機はおとめ座の形質を示す豪奢な車両を擁している。
 丸腰の乙女も同時に攻撃を受けているということか。
 救難信号を示すランプは、なおも赤く点滅しつづける。
 ランプの数が12。
 この車両自身を含む全てのロストレイル車両が救難を求めていることになる。
 何かの故障としか思えない。

「はんっ……」
 誰かが悪態をついた。
 がたり、と。操縦レバーのひとつに手がかかる。
「おい、ガキ」
 ロストナンバーはにやりと微笑う。
「相手見てモノ言え。まず、名前くらい名乗れよ」
「うーん……、意地を張ってもいいことないよ? あ、僕ってわりとSだから、抵抗してくれてもいいけど。名前? ソル・ビアンコっていうんだ。よろしくね、さ、武器を捨てて頭の後ろで手を組んでくれるかな」
「ソル、ねぇ。……やなこった」
 咄嗟に立ち上がったロストナンバーが向かったのは少年ではなく、操縦レバー。
 それを思い切り引き下げると、がくん、と、ほとんど真横を向いたロストレイルの車両が急激に速度をあげる。
 燃料も、車両の耐久も考慮せず、思い切りアクセルを踏み込むに等しい暴挙。
 風圧のせいか、あまりのスピードに振り落とされたか、先頭車両の窓にへばりついていた黒いゼリーの塊はどんどんこそげ落ちていく。
 向かう先は、友軍のロストレイル6号車に向けて。

「うわ、うわわわ。ぶつかる、ぶつかる!」
 上擦った声で少年は操縦レバーに手を伸ばす。
 見る間に前方を行くロストレイルの車両が、どんどん近づいていた。
 回避しようと手を伸ばした少年の手を、ロストナンバーが叩く。
「このままじゃ、ぶつかる……」
 言い終わる直前、レバーは思い切り引き下げられた。
 ブレーキではなく、方向転換。
「ぶつけるんだ」
 言葉と同時、衝突の衝撃が走り、床下から、ぎり、ぎりりりりと金属同士がこすれあう音がした。
 直撃ではないものの、どこか引っ掛けている。
 次の瞬間、強烈な前方への重力がロストレイルの車内に発生した。
 何か巨大な質量のものにぶつかり、それでもエンジンに任せて押し通す。

「くくくっ……」
 成功したことが嬉しかったらしい。
 ほくそ笑んだロストナンバーは、こちらへと親指をあげて合図してみせる。

 弓が折れ、矢が尽きた、孤高の射手。
 先頭車両を除く全ての客室車両が黒いゼリーに占拠され、列車の全体が黒い尻尾を引いた一筋の流星となり、
 先頭車両は巨大なワームのちょうど腹部に体当たりしたまま、エンジンのフル回転に任せて押しこんでいる。
 ロストレイル9号、いて座の名を冠した射撃特化の車両が取った策は、己自身をひとつの矢に変えて突撃することだった。
 エンジンは更に勢いを増して廻り続ける。
 いつ止まってもおかしくない程の無茶な加速を続けたままで、フロントガラスが割れ、ディラックの虚空を背にヘビの様なワームがこちらを覗き込む。
 後部列車との接続部、激しい音とともに頑丈な扉に亀裂が走った。

 世界樹旅団を名乗った少年、ソルがこちらを軽く睨みつける。
「最後の忠告だ。降参して、捕虜になってくれれば危害は加えない」

 前方のウミヘビを彷彿とさせるワームが大きく口を開き、車両の天板を噛み砕く音がする。
 同時、後部車両へと続く連結扉の耐久度が限界に達し、ついに黒いゼリーの集団によりこじあけられた。

========
!注意!
イベントシナリオ群『ロストレイル襲撃』は、内容の性質上、ひとりのキャラクターは1つのシナリオのみのご参加および抽選エントリーをお願いします。誤ってご参加された場合、参加が取り消されることがあります。

また、このシナリオの参加キャラクターは、車両が制圧されるなどの状況により、本人のプレイングなどに落ち度がなくても、重傷・拘束等なんらかのステイタス異常に陥る可能性があります。ステイタス異常となったキャラクターは新たなシナリオ参加や掲示板での発言ができなくなりますので、あらかじめご了承下さい。
========

品目シナリオ 管理番号1395
クリエイター近江(wrbx5113)
クリエイターコメントこんばんは、いて座担当は近江です。
12両のロストレイルがあちこちで酷い目にあっていますが、じつは最悪の状況かも知れません。

【状況をまとめます】
・今回、ワームが二種類います。いて座の武器は弾丸が切れていますし、先頭車両以外は黒いゼリーに飲み込まれています。
・一体目:浮遊するゼリー状のワームです。物理攻撃をしてみたら細かく飛散して分裂し、べちょべちょと飛散なことになっています。
・二体目:ウミヘビのような形状のパワー型のワームです。さっき、6号車の屋根に乗っていたので、熱烈にタックルしてみました。今は「離さないぞ!」と言わんばかりに、先頭車両の先っぽでぐいぐい押しています。
・ソルと名乗った世界樹旅団の少年は自分からは攻撃を仕掛けてきません。ワームに任せるようです。なんか余裕しゃくしゃくです。
・体当たりしたロストナンバーが誰かというと、参加者の誰かかも知れません。口調とか気にしない方向でひとつ。
・ぶっちゃけ、絶体絶命の状態から話が始まります。近所でおとめ座車両も苦戦してます「俺はこうやって機転を効かせて戦うぜ」より「ここは俺らに任せてお前らは脱出しろ、なぁに絶対に後からかえるから」的なプレイングの方がいいのかも知れませんが、そもそも近江のシナリオなので、採用不採用的な意味での推奨プレイングの傾向はありません。そのキャラクター様がこの窮地にいたらどうするのか? をプレイングにすることを推奨します。
・おとめ座のワームはこちらに持って来ましたが、あちらはあちらでもっと大変そうです。ふぁいとー!(応援

【諸注意】
・【危険度マックスです】プレイング次第でぼっこぼこにされます。
・なので、無敵風の美男美女美獣美龍美蟲美神美セクタンなどの描写には向きません。
・しかも、WRは所詮、近江です。悪ノリには自信があります。
・こういうデンジャラスなシチュエーションを「おいしい」と思えるアナタにおすすめします。
・OP末尾もありますが「車両が制圧されるなどの状況により、本人のプレイングなどに落ち度がなくても、重傷・拘束等なんらかのステイタス異常に陥る可能性があります。」と、あります。重ね、ご承知おきください。

参加者
ペルレ・トラオム(cadr4482)ツーリスト 女 15歳 海を漂うモノ
小竹 卓也(cnbs6660)コンダクター 男 20歳 コンダクターだったようでした
イテュセイ(cbhd9793)ツーリスト 女 18歳 ひ・み・つ
鰍(cnvx4116)コンダクター 男 31歳 私立探偵/鍵師

ノベル

「降参すれば助けてくれる? ふーん」
 トラベルギアの棒を取り出し、ソルに対して斜に構える。
 ソルが小さく頷くのを見て、小竹もまた頷いた。
「だが断る」
 きっぱりと言い放ち、武器である棒を両手に持ち替えた。
「他人を見下す輩と、拘束されんのは特に嫌いなんでね」
 手近にいたゼリー・ワームに向け、ぶんと大きく獲物を振るう。
 びちょっ、と水溜りを棒で叩いたような手ごたえのなさが小竹の手に伝わってきた。
 さらにトラベルギアの棒が砕いたゼリーの欠片が付着した箇所が黒ずんで腐敗を始める。
「うわ、やべ……」
 一歩後ずさった小竹を追いかけるように、ゼリーが爆ぜた。
 同時、彼の視界に鎖が渦を巻く。
「どいてろ!」
 鰍が吼え、小竹の前に飛び出るとトラベルギアの鎖を展開する。
 小竹の腕を目掛けて飛来する飛沫は、不可視の壁に遮られ、それでも突撃を止めないゼリー・ワームの軟体群は鎖に触れた先から焦がされ焼かれて落下した。

「自分の武器が相手に通じるもんかどうかよく考えて手ぇ出せ!」
「酷い! 大体、鰍さんがロストレイル暴走させるからじゃないですかー!」
「お前だったらどうする?」
「助けるためにつっこむのは確定的に明らか。って、ああ、それじゃどっちにしろこんな状況になるの!?」
 いいからおまえはそっちを牽制しろ、と鰍が指差したのはウミヘビ型ワーム。
 小竹の武器が棒である以上、不定形のゼリーよりは善戦が期待できる。
 とはいえ、自分の身体の何倍もある黒い巨体を目にすると、本当に勝てる自信はない。
「うう、自分の誕生日の星座に乗ったら死ぬかと思った。って、余計に危機に陥ってるじゃないですか! やだー!」
「文句は後でじっくり聞いてやる。生きてたらな」
「じゃあ生きて帰ったら一緒にサラダ食べません?」
「なんだ、そりゃ」
「死亡フラグ乱立はむしろ生存フラグ! 誰かが言ってました」
 小竹は足元を蹴って不意にソルへ攻撃を仕掛ける。
 受ける側の少年はというと、その攻撃には立ち向かわずウミヘビの影へと退いた。
 そのため小竹の踏み込みが一歩およばず、身動ぎしたウミヘビの身体に弾かれて壁へと飛ばされる。
 鎌首をもたげたウミヘビが上半身を伸ばした刹那、その頭部がごうんと横へ傾いた。

 軌道を変えた原因は大太刀を所持したロストナンバーだった。
 トラベルギア「赤波」を手に、ペルレがにやりと微笑む。
「なにこれ! すっごいデンジャー! 超楽しい!」
 叫ぶように独りごち、ペルレがウミヘビへと飛び掛る。
 開いた大口を太刀で受け止め、次に思い切り横へと引き抜く。
 ごりっとした感触と共に、ウミヘビの口が大きく裂けた。
 斬った、というよりは抉った、という印象に近い。
 彼女のトラベルギア、一見して太刀にみえるその鉄の塊は鋭く研いだ刃を持たない。
 その代わり、無数の波打つ刃毀れのようなぎざぎざがびっしりと並んでいる。
 一刀両断とはいかないが、その分、生身の相手に対してえげつない傷跡を残す。
 通常のウミヘビならば目があるであろうあたりをペルレは思い切りにらみつける。
「こら、ヘビ! ヘビのくせにあたしにケンカ売ってんのか。ああん!?」
 ぶんぶんとトラベルギアを何度も走らせ、ウミヘビの全身に無数の引っかき傷を作り出す。
 怯んだのか僅かに後ずさるウミヘビに向け、椅子が飛んだ。
 次に掛時計、傘置き台、文机、レバーにホイッスル。
 ペルレが手にあたるを幸いと手にとり、あるいは備え付けてある壁から力づくで引き剥がして、次から次へとウミヘビに投げ続ける。
 がん、ごん、と物理的な音が車内に幾重にも響く。
「いやいやいや、戦い方がスマートじゃないっつーか!?」
「あはははーーっ!!!!」
「聞いてないじゃないですかー!?」
 小竹のつっこみも叫びも無視し、ペルレの腕は止まらない。


「ふぅん」
 唐突に。
 ソルの背後で少女の声がする。
 鰍がゼリーを、ペルレがウミヘビをそれぞれ相手取り、小竹はソルを牽制しているこの時、一つ目の少女、イテュセイはソルの背後へと回り込んでいた。
 額の中心に瞳がひとつだけ。
 その瞳がソルを睨むでもなく、ただ、見つめる。
 しばし、値踏みするかのように黙り、イテュセイはすっと手をあげた。
「はい、投降する」

 ロストナンバーも。
 ついでに敵方のはずのソルも、反応に困り呆気に取られ。
 それでも最初に声を出したのは小竹だった。
「ええええーーー!!」
 彼の絶叫にも、鰍の「え?」という視線にも、僅かな笑みを向けるとイテュセイは両手をあげる。
「ええと、ソルさん? あたし、投降。早くあのウミヘビとゼリーを止めてよね」
「……とは言われても、戦ってる人は降参するつもりはないみたいですね」

 ソルの言葉通り、ペルレが高笑いをあげながらウミヘビにガラクタをブン投げるという物理攻撃を仕掛け続けていた。
 思いっきり振りかぶったパンチを叩き込んで「やっぱ効かない! こいつ面白い!」と騒いでいる。
 鰍の方は、イテュセイの言葉に面食らったもののゼリーを牽制する鎖の結界を外そうとはしていない。
「あたし一人降参するからってのはダメ?」
「だめです」
「そっかぁ。じゃ、降参やーめた」
 頭上にあげていた手をおろし、ぽきぽきと指を鳴らす仕草に変える。
「じゃ、あたしからも忠告ね。ひとつ。列車の天板には立たない方がいい。ふたつ、戦いで人を頼るな。みっつ、今投降するなら命だけは助けてやろう」
 微笑みはそのままに、大きな一つ目から純粋な悪意をこめた視線を投げかける。

「大体あんたワームの襲撃にタイミングよく出てきただけでこの子達の手柄横取りとか恥ずかしくないわけ?」
「ええ。友達ですから」
「は? ワームと友達!? あんた、どんだけコミュ力ないの? ぼっち!?」
「そういうわけでもないですが、ええと、こういう風に」
 ソルの手が伸び、ゼリー・ワームに軽く触れる。
 見る間にふるふると振動をはじめたゼリー・ワームは、やがて爆発的に体積を増やしはじめた。
 あちこちで己の体積の増量に耐えかねて弾けるように、ゼリーの飛沫が飛び散る。
 当然、結界を幾重にも張り巡らせては、破れた箇所を補修するという作業をひたすらに続ける鰍の負担は否応なしに増えていく。

「やばいな。ちっ、……まだまだ! 一片の塵も通さねえ」
 ゼリー・ワームの侵入を鎖の結界で牽制し続けてはいるものの、進行以外の選択肢がないのか、ゼリー・ワームの海は怯みもせずただ淡々と鎖に向かっては焼かれ続ける。
 やがて、その焼け残り爛れた細胞の上を、新たなゼリーの波が乗り越え始めた。
「そんな簡単にやられるかよ!」
 二重に三重に。ゼリーの付着した鎖をどうにかこうにか繕い、封じる。
 圧倒的質量でもって攻め立てるゼリー・ワームを完全に抑えたとはとうてい思えないが、一瞬の隙はできたはず。
 咄嗟に振り返った鰍がゼリー・ワームのソルの手を断ち切るように結界を展開した。
「次はテメェだ。そこで黙ってみてろ、このガキ!」
 思わず飛びのいたソルとゼリー・ワームの間に、咄嗟に鎖を編み、結界を展開する。

「小竹! そのガキ、どうにかしろ」
「……時間を稼ぐのはいいが、別に倒してしまっても構わんのだろう?」
「カッコつけてる場合か!? ってか、時間を稼ぐな。やれ!」
「ああ、もう、いいトコなのにー」
 皮肉な笑みを浮かべると、小竹は鞘から日本刀を引き抜いた。
 トラベルギアではなく、あくまで通常の武器でる。
「せいっ!」
 強く踏み込み、刀を突き入れる。
 ソルはといえば、必要以上の距離を飛びのいて逃げていた。
 反撃に転じてくる様子なないとみて、さらに攻撃を続ける。
「くっ」
「逃げてばかりじゃこっちはやられねーぞ!」
「逃がすな、時間を稼がせるな、こっちがやられるぞ!」
「鰍さん。つっこみ厳しいなぁ。大丈夫、なんかこいつ、それほど強くない……気がする!」
 ぽりぽりと後頭部を掻き、小竹が床を蹴るため体重を抜いた。

 途端、『アー、アー』と緊張感のない声が響く。

 鰍、小竹のすぐ後ろ。
 ペルレがウミヘビのロデオを楽しむ真下あたり。
 イテュセイが車内放送用のマイクを手にしていた。
 放送先を示すランプは車内・車外、ともに点灯している。

『あーあー、テス、テス』
 やがて、放送が生きていると見て、イテュセイはソルを睨みつけた。
 次の瞬間、とても楽しそうに微笑むと息を吸い込む。
『全車両に告ぐ! 9号車は世界樹旅団の管理下に入った! ついては只今からー』
 何を言っているのか理解が追いつかず、鰍と小竹、ついでにソル自身も対処に困る。
 ペルレが乗っているウミヘビの暴走はまだ止まらない。
『旅団No.1の実力者、ソル様のご意向で各車両へ向けて衝角突撃を行うことになったッ! ああっ、ソルサンやめてーソノレバーダケハー!』
 悲鳴をあげているイテュセイ本人が放送のスイッチを切り、次にあちこちのレバーを適当に倒す。
 ロストレイル車両の動きが不規則になり、やがて暴走を開始したことを確認すると、イテュセイはけらけらと笑い出した。
「さーて? 『ソルさま』のせいで、ロストレイルが暴走したよ。でもまだちょっと暴れ足りないね。そーれ、がたんごとーん!」
 イテュセイが楽しそうに告げると、車両が大きく揺れた。
 何がどうなっているのか、左右から大きな手でぶたれているかのように、規則的に車体が衝撃を受け続ける。
「さらにー!」
 トラベルギアを取り出し、開く。
 彼女のトラベルギアは小さなオルゴール。
 緊迫した車内の空気に、明らかに場違いな小さな音色が流れ出し、さらには綿毛が舞い始めた。
 車内を漂う綿毛は壁に、ウミヘビに、ゼリー・ワームに、そして鰍の結界に。
 その白い羽毛が何かに触れるたび、大きく爆ぜた。
 やがて、綿毛は車内のあちこちを無差別に破壊すると、扉をも破壊してディラックの空へと舞い始める。

「あんたの船、あれでしょ!?」
 イテュセイの指差す方角には、銀色のUFO。
 更に不気味な笑顔を浮かべる。
 綿毛は風に吹かれるようにディラックの空を漂い、UFOの随所で爆炎をあげた。
 それまでぴったりとロストレイルに併走していたUFOが軌道をそれ、蛇行を始める。
 再びマイクのスイッチを入れ、叫ぶ。
『ああああ、ソルさまぁぁ。それは大切なお味方の船では!? ええ? 今から世界樹旅団に反旗を翻す!? そんなぁー』
 ぶつ、っと放送が途切れた。
 マイクを叩き壊したのは、ウミヘビの体当たりによるものだった。
 ソルの顔が引きつっているところを見ると、どうやらかなり効果はあったらしい。
 イテュセイはどうだ、とばかりに指を突きつけた。
「さぁ! こんだけ壊したら、アナタこれでもまだ旅団に帰れると思って?」
「なんで、こういう面倒くさい相手が……」
「それ、褒め言葉だよね?」
 満足げに胸をそらし、イテュセイは「次はー」と車内の瓦礫を拾う。
 小学生の工作のように器用かつ不ぞろいに何とか人型を形作り、ついでにヴォロスで収穫した竜刻を胸に差し込んだ。
 ふんふんふーんと鼻歌交じりで作り上げると、イテュセイはウミヘビの方を向く。
「プロレス、ごー!」
 ぎぎぎ、と軋み、ゆっくり動きはじめたガラクタの山が、人型を取り、ウミヘビの胴体に抱きついて締め上げた。
 ガラクタのゴーレムの肩によじ登り、イテュセイはいけー! やれー! と号令を繰り返す。
 ウミヘビ・ワームに体当たりを繰り返し、打撃に使用した部位が、防御に使用した部位が、どんどん剥げ落ちて落下した。
「おお、なんかおもしろい! なに、それ。ゴーレム? どうやったら操縦できるの? ところでそれはおいしいの!?」
 ウミヘビの頭部に食らいついたままのペルレが食いついていた顎を離して叫ぶ。 

「おい、それくらいにしとけ。車両が完全に壊れたら戻れねぇ!」
「宇宙に放り出されたコンダクター2人ならあと数回死んでも平気よね!」
「やだぁぁぁ、なんか仲間だと思ってた人まで暴走してるじゃないですかーー!!! ってゆーか、あれ、痛いです。いやぁぁぁ!!!」
 イテュセイの言葉に、一度、生身で宇宙空間に放り出された記憶が蘇り、小竹は身体をぞっと震わせる。

 ごうごうと走り続けるロストレイルは、紛うことなくディラックの空を走っている。
 踏みとどまり、振り向いたゴーレムをウミヘビの身体が鞭のように殴りつけた。
「あっ……?」
 不安定な体勢で殴りつけられ、後ろに倒れこむ。
 身体を支えるはずの壁は先ほど己の拳が弾き飛ばしており、その空間には何もない。
 ぐらりと足元がゆれ、外の風に身体を叩かれる。
 次の瞬間、ゴーレムの身体がディラックの空へ放り出され、見る間に姿が遠ざかった。

 それまで対峙していたゴーレムが消え、余勢を駆ったウミヘビが車内に向き直る。
「おまえ、暴れすぎだー!」
 ペルレの拳がウミヘビの眉間あたりを殴りつける。
 これまで同様、全く効果があるようには見えない。
 すると、ペルレは己の大太刀をウミヘビの口に滑らせた。
 ぞりっ……と、ウミヘビワームの肉が削げ落ちる感触が手のひらに伝わる。
 身動ぎしたウミヘビに跳ね飛ばされ、ペルレの身体が宙を舞う。
 空中で反転したペルレは床に落ちると同時に地を蹴り、走り出す。
 剣をふる次の瞬間、ウミヘビは威嚇するかのように大きく口を広げた。
「いくぞー!!」
 鎌首をもたげたウミヘビに大きく剣を振り下ろす。
 がつん、とした衝撃の後、ウミヘビは一瞬だけ体を引き、口を空けたままペルレの身体へ向かってきた。
 そのまま、ウミヘビの身体はそこを通り過ぎる。
 ばくっと閉じた口が、ペルレの身体を飲み込んだことを物語っていた。
 彼女を飲み込んだウミヘビはディラックの空へぐぐっと体を伸ばすと、ゼリー・ワームを封じる鰍の結界に体当たりを始める。

「食われたー!? ど、どうしましょう!?」
「どうするって……」

 状況は最悪だった。
 ウミヘビとまともに戦えていたペルレは目の前で呑まれ、ゴーレムは不在。
 車掌は行方がわからず、先頭車両の大半はゼリー・ワームに飲み込まれている。
 ソルとゼリー・ワームは無傷と考えていいだろう。
 ウミヘビもいつ戦列に戻るかわからない。
 やがて、鰍が呟いた。
「逃げる方法、真剣に考えるか」
「そんな弱気な!?」
「この状況でまだ逃げられるって考えてる俺は、随分と強気だと思うぜ」

 きしゃぁぁ、と不気味な威嚇音をあげ、ウミヘビの鎌首は再度、動き始めた。
 ゆらゆらと不思議な弧を描いて首をふり、ついで一直線に突進する。
 目標は小竹。
 ぐおん、と一気に突撃をかましてきた黒いウミヘビの身体は小竹の後方にあるゼリー・ワームへとつっこんだ。
 勢いでもって鰍の張った鎖の結界を貫き、ゼリー・ワームの海へとウミヘビの体がダイブする。
 次の瞬間、ウミヘビの空けた結界の穴から、ゼリー・ワームの軟体が流れ出てきた。
「やべ、メーゼ。炎!」
 小竹のセクタン・フォックスフォームのメーゼに合図し、炎でもって補修する。
 最初に流れ落ちたゼリー・ワームが小竹の足元に密集し、踵から足を這い上がる。
「うわぁぁぁ、やだぁぁぁ、気持ち悪いぃぃぃ」
 ぶんぶんと足を踏み、タップダンスの要領でゼリー・ワームの欠片を踏み潰す。
「大丈夫か?」
「そんな装備で大丈夫か? ってくらい、大丈夫じゃないですー!」
 文句を言いつつも、ちゃんとゼリー・ワームを振り払って逃げ惑う。
 結界である鎖の隅間を埋めているメーゼの炎も弱々しくなっている部分に駆けつけ、鰍は鎖の結界をさらに展開した。
「ウミヘビはどこいった!?」
「ゼリーの中につっこんでいきましたぁ!」
「ってことはどこから出てくるかわかんないってことか」
 鰍の鎖で編んだ結界を壁にして、ゼリー・ワームの水槽を見ているかのような光景である。
 いつ、この中からペルレを飲み込んだウミヘビが出てくるだろうか。
 それはほんの数秒、数十秒。
 だが、立っている二人にとっては何十分にも思える程の時が流れ、やがてゼリー・ワームの奥で破砕音が響いた。
「ちっ、ロストレイルの壁を壊して外に周りやがった。おい、どっから出てくるか分かるか」
「無理ぃぃぃ!? いや、あっち! あっちー!!」
 特殊能力でも何でもなく、破砕された壁の向こう。ロストレイルの正面からウミヘビの体がにょろりと車内に滑り込んでいる。
 再び、ゼリーの海とウミヘビに挟まれた形になった。
「小竹。逃げろ」
「逃げ場所なんかねーですよ」
 落とした模造刀の代わりに、トラベルギアの棒を手に構える。
 ウミヘビの方は正面車窓から顔を出したまま動かない。
 やがて。
 びくびくっと痙攣したウミヘビがのたうちまわりだした。
「え、何? 何!?」
 窓から床に落ち、殺虫剤をかけられた百足のようにびったんばったんと暴れる。
 最後に、尻尾を軸に高々と頭を掲げた。

 そして、咆哮があがる。
『キシャァァー!!!!!!!』
「きしゃぁぁぁああああ!!!!!」
 ウミヘビの絶叫をさらに引き裂くように、ウミヘビ自身の中から別の異音があがった。
 腹のあたり、一部の皮膚が陥没した。
 ぬっと金属が差し出され、のこぎりのようにその穴を切り広げる。
 中から黒い付着物にまみれた銀髪が覗く。
 がしゅっ、しゃくっ、ざしゅっ!
 えげつない咀嚼音を立て、ウミヘビの体にあいた穴を喰い広げる。
「しゃぁぁぁぁー!!!!」
 ある程度の穴があくと、手が伸び、ウミヘビの外皮に捕まると、その穴からペルレが顔を出す。
 息が上がっているものの、その顔は興奮に染まっていた。
 完全に外に出ると、ぺっと黒い肉片をはき捨てる。
「コーヒーゼリーみたいな見た目のくせに! おいしくない! やりなおし!」
 ペルレが這い出ると、ウミヘビの体は蒸気のように霧散を始めた。

「わ、よかった! 形成逆転!」
 小竹が喝采をあげる。
 やんややんやと持てはやす様に、ペルレが腕をあげて応えた。
「喜ぶのは早い」
 と水を差したのは鰍。
 額に浮かんだ汗の粒の量が尋常ではなく、消耗が見て取れる。
「この黒いぶよぶよに機関部のほとんどを占領されて、後部車両はこいつの海なんだろ? 俺の結界とセクタンの炎には全部焼きつくして逆転ってできるほど出力がない。仮に逆転できたとしていつまで走れるか分かったもんじゃないだろ。近くに『乙女座』がいるだろうから、そこまで行って併走して飛び移る。分かったら準備!」
「はいっ!」
「おい、一つ目がすごいカッコイイやつ、いないじゃん?」
 ペルレがふとあたりを見渡し、誰にともなく呟いた。
「ンだと!?」
「えええー、なんかもう、次から次へとー!?」
 黒いゼリーの海に飲まれたか、ディラックの空へ飛び出したか。
 少なくとも、見渡す範囲にイテュセイの姿はない。

 ――みしり。ぱき。

 鰍の結界が大きな悲鳴をあげる。
 ゼリー・ワームの質量に耐え切れず、あちこちの鎖がぱきぱきとハジけだした。
「……ちっ、割れるぞ。離れろ!」
 鰍の号令でペルレはゼリー・ワームと距離を取り。
 小竹は逆にソルへと走った。
 鰍の結界が破れるということは、ソルが自由になるという事だ。それはマズい。
 あちこちで結界にヒビがはいり、隙間からゼリー・ワームがぼとぼとと漏れ出す。

 漏れ出したゼリー・ワームにソルが触れると、ゼリー・ワームの体積がさらに増えはじめた。
「させるかー!!!」
 棒でソルの手を強かに叩きつける。
 少年の手が離れると、ゼリー・ワームの増殖が目に見えて止まった。
「やっぱおまえの能力か!」
 トラベルギアを構え、踏み出す。
 二撃、三撃。
 小竹の攻撃を必死で避けるソルの顔に余裕はない。
「気をつけろ。まだそいつの手の内が分かったわけじゃねぇ!」
「大丈夫ッス。ペルレさん生きてたし、鰍さんも無事だし、ウミヘビ倒したし! こいつさえ何とかすればどーにかなりそうだと分かったら、もう体が軽いし、幸せだしで、もう何も怖くな――」
 ごぷ、っと音がした。
 小竹の視界が暗黒に染まり、次に呼吸ができなくなる。
 ゼリー・ワームの海に沈んだのだと、理解ができるまでに数秒を要した。
 そのまま彼の体が、結界を破りうぞうぞと這いよってきたゼリー・ワームの海に飲み込まれる。
「危な……かった……」
 肩で息をするソルは、小竹がゼリー・ワームに飲み込まれた箇所を見つめる。

 かっと飛び出したのはペルレ。
 えげつない刃の大太刀を振りかざす。
「このガキンチョめ! 調子に乗るな! ボスはあたしだ! あたしが上で、おまえが下だ!」
 挑発するペルレに向き直り、少年の後ろ手がゼリー・ワームへと伸びる。

 ちゃぷっと手をつけた途端、その手ががっしり握られた。
「!?」
 思わず振り返ったソルの顔に鱗に覆われた手がかかり、口元を覆う。
 何事かと振り返る。
 掴んだソルの頭を支点に、小竹が上半身を飛び出させた。
「っだぁぁあぁあぁぁあああぁぁーー!!!! こんなこともあろーかと秋葉原なんとかで竜の手袋! 手にいれといてよかったぁぁぁ。げほっ、がほっ」
 臍より下をゼリーに埋もれたまま、衣服のあちこちから炎をあげ、鬼神の形相で小竹がソルの頭部を掴む。
 それをきっかけにゼリーから這い出るつもりだったが、腰にまとわりついたゼリー・ワームは体積を増して逆に小竹を取り込もうと膨らんだ。
 ゼリー・ワームから出した上半身は、瞬く間に黒い粘液で覆われる。
 鼻先と口元を押さえられ、呼吸が遮られた。
「げぶぶぶっ、ごふっ」
 力が緩んだ隙に、再度ゼリー・ワームに上半身を引きずり込まれ、呼吸する口にゼリーが侵入する。
「んんんー!!! ぬああああ!!!」
 竜の手袋を装着した右手に渾身の力をこめ、ソルを引き寄せる。
 呆気に取られたソルの顔をめがけ、自分の顔面をぶつけるように引きずり寄せた。
「死んでも離さねぇ! 死ぬ気はないけどな! 捕まる気もない! ほらこのゼリー、マズいぞ!」
 唇と唇が触れ。

 ズキュ―z__―― ̄ ̄Z_____ゥゥゥン!!!!

 口移しで口中に侵入したゼリー・ワームをソルの口に押し込む。
「やられっぱなしだとか思うな! 返してやる! ああ、ファーストキスだったさぁぁぁぁー!!!!」
 叫んだのがきっかけか、再び小竹を引きずり込もうと足を引っ張る力が強くなった。
 げほっ、ごほっ、と噎せ返るソルの首筋を改めて掴み治す。
「メーゼ、炎、出力アップ!!」
 小竹の胸元に飛び込んだメーゼが大きく鳴いて呼応する。
 かっ、と灼熱が走り、彼の身体を覆う炎を巨大化させた。
「どーせ逃げらんなさそうだし、突撃する。メーゼの炎があるから溶かされることもなさそーだし。……まぁ、あれだ。つまり俺が止めておくからお前らは行け! ってこと」
 にぃっと笑って、戸惑っているソルの身体をゼリー・ワームの中へと押し込む。
 メーゼを胸元にいれたまま、小竹もゼリー・ワームの海に沈んでいった。



 小竹とソルがゼリー・ワームの海に沈み、ゼリー・ワームの動きが緩慢になる。
 だが、動きが止まる事はない。徐々に侵食されていく車両のあちこちでは機械系統が爆ぜる音がした。

 車両は滑り、レールが敷かれ。乙女座の車両と併走する。
 鰍が破壊された窓から手を出し合図をすると、乙女座の車両の扉が開いた。
 半身を乗り出した鰍は車内のペルレに先に行けと手をふる。
「おまえ、あたしをナメてんのか!?」
「うっせぇ、若いお前には未来があんだろ!」
「そういうのはおっさんのセリフだー!」
「今回だけはおっさん呼ばわりされても許してやる」
 なおも抗議を続けるペルレを腕を取り、強引に乙女座車両へと投げ渡す。
 一瞬の浮遊感の後、彼女の身体は無事に乙女座へと渡る。
「よっし、ナイスキャッチ! 次は鰍さんだね。早くこっちへ!」
「そーも行かねぇだろ」
 振り返った鰍の背で、僅かに残った鎖の結界が力なくゼリー・ワームを押さえている。
 黒いゼリーは、略奪しつくした射手座車両に飽きたかのように、新たな獲物のいる乙女座車両へ飛び移ろうと、か弱い結界に質量による圧力を掛け続けていた。
 圧倒的質量の前の、僅かな鎖。
 しかも、すでにあちこち破れ、漏れ出ている。
 限界が近いことは鰍が誰よりも承知していた。
 一歩、二歩。
 扉から離れ、操縦レバーへと近づく。
「しっかし、随分壊したもんだな」
 計器もレバーも、ついでに躯体も。
 金属は折れ、ひしゃげて曲がっていた。
「待って、ちょっと待って。何するつもり?」
「俺まで飛び移ったら、このゼリーまでそっちについてくだろが」
「そうだけどさ。……何だよそれ? かっこよすぎるんじゃない?」
「こういう時の犠牲はな。より少なくするもんだ。だろう?」
 折れたレバーを前に倒す。
 やがて、エンジンの唸りが車体を揺らし始めた。
 同時、鰍の結界が破られた。
 黒いヘドロのようなゼリー・ワームが足元に流れ込む。
「……大丈夫だ。そこらへんに小竹ってやつもいるはずだし、そいつを助けてそのうち戻るから、な」
「えっ、オタケンがどうしたって!? まさか、オタケンも……」
 車輪が金属の咆哮をあげる。
 ロストレイルの正面に浮かび上がるレールの進路が大きく逸れた。
 客室車両は切り離され、動力のみが純粋に加速を続ける。
「さて、ドライブだ。相手がこんなぶよぶよじゃなく、美女なら良かったんだが」
 できるだけ遠くへ。
 できる限りの遠くへ。
 己の結界が持つ限り。
 ロストレイルの動力が持つ限り。
 ――そして、己の命が持つ限りに。
 漆黒の矢が一筋、虚空に放たれたかのように射線を延ばし。
 やがて、ディラックの空への彼方へと消え去った。



「マズい」
 ディラックの空に放逐され、イテュセイは腕を組んだ体勢で周囲を見渡した。
 上下の感覚もつかめないまま、勢いに任せて流されるまま。
 ひょっとすると自分は逆立ちでもしながら跳んでいるのかも? そんな不思議な感覚に囚われる。
 この広大な無の空間で放り出されてしまうと手の打ちようがない。
 いつのまにかガラクタ・ゴーレムも求心力や動力を失って散り散りになっている。
 放逐された時、ずっとゴーレムの肩に乗っていたのが仇となった。今頃、自分を必死に探しているかも知れない。
 もしかして自分がディラックの空に放ったらかされたことにすら気付かれていない、なんてことはないかと心配にもなる。
 それはともかく。さて、どうやってターミナルへ戻ったものか、と大きな一つ目であたりを見回した。
 もちろん。見る先には光も闇もない、ただの無があるばかりである。
「ああ、ええと。誰か知り合い。誰か知り合い……」
 トラベラーズノートを取り出すと覚束ない手で咄嗟に思いついた顔を思い浮かべる。
 片っ端からエアメールを飛ばし、返事を待たずに次の知り合い。
 またその次の。
 ディラックの空はこんなに寒かったのか。
 体温が。いや、生命そのものの維持ができるのか。
 根本的な疑問が頭を離れない。
 だが、その心配は長く続かないまま、幸いにも聞きなれた車輪の音が聞こえてくる。

 やがて、イテュセイの視界にロストレイルの車両が横切ったことを確認すると、
 緊張が吹っ切れた彼女の意識は、眠りの深淵へと引きこまれていった。

クリエイターコメント「失敗」という概念はありません。
繰り返します。成功/失敗、という判定はしてません。

今回は次にも繋がることになると思いますので、
多くは語らないでおこうと思います。
が。
ひとつだけ。

皆さん、かっけぇぇぇぇ。
プレイング見てにやにやさせていただきました。
久々に、ギャグ抜きで書こうと思いました。
いや、書き始めた時は確かに思ってました。
結果はこの通りです。

では。
この先、をお楽しみに!
近江もどういう展開になるのか、わくわくしています。
公開日時2011-08-21(日) 19:00

 

このライターへメールを送る

 

ページトップへ

螺旋特急ロストレイル

ユーザーログイン

これまでのあらすじ

初めての方はこちらから

ゲームマニュアル