イラスト/采 春名(iuvh2754)
それは、唐突に訪れた感覚だった。脱力感とも表現出来る、自らの力がずれて行くような感覚。 その違和感の原因を突き止める間もなく、再び唐突に無邪気な子供の声がロストレイルの車内に響く。『あ……あー、あー、ああ、テステス、コンピュータのテスト中……これ、映ってる?』『メム、ちゃんとやったもん! イムのセットアップがいけないんでしょ!』 最初は少年、次は少女だった。言葉や声の端々に幼さが感じられる。『俺だってちゃんとやったさ! ほら……あ、映ってるっぽい』 いつの間にか車内前方に現れていた半透明のスクリーンに、緑のカエルらしき生物と、ピンクのウサギらしき生物が映っている。それぞれ、頭の真ん中にアンテナのようなものが生えていた。 画面が引いていくと、それは帽子であることが分かる。カエルの下には少年、ウサギの下には少女の顔が見える。『えっと、このロストレイルの……なんて読むの?』『みずがめざ』『みずがめざは、メムとイムが、アミューズメントスペースにしちゃいました!』 少女の言葉に、どこからともなく拍手が湧きあがる。『これから楽しいゲームをみんなでするから、ヨロシクね☆』『んで、じゃーん、こんなもんを用意したぜ!』 少年の動きと一緒に、どこからかドラムロールが流れ、画面に五枚のカードが現れる。 そこには、角が五本あるヤギのような生き物に乗った女、座って目を閉じ合掌している男、歩きながら熱心に本を読んでいる道化師、顔を両手で覆って跪く石像、透明な箱の中の玉座に腰掛ける王が描かれており、それぞれの下に『Nomadic dreamer』、『Solitary realist』、『Earnest trickster』、『Weeping stranger』、『Negative king』と書かれていた。 そして気がつけば、車内の床にも、そのカードが落ちている。『そんで、これをこうして……』 少年は画面の中でカードを裏返す。 そちらはトランプの裏面のようになっていた。二人の帽子と同じカエルとウサギの絵が、交互に描かれ模様となっている。『これでいいんだよね!?』 少女は少年の顔を見てから、横からカードを一枚取り、少年に渡した。その図柄はこちらには見えない。少年は何事かを呟きながら、そのカードにふっと息を吹きかける。 すると、カードが消えた。『わーっ! やったー!』 少女は大げさに喜び、拍手をする。またどこからともなく複数の拍手の音も聞こえた。『これで、このロストレイルにバクダンがしかけられました!』 それまで様子を見守っていた車内が、少女の物騒な発言によりざわつき始める。『あれってバクダンっつーよりはバカダンってカンジじゃね?』『はいはいおもしろいね。……それで、世界図書館のみんなには、それを探してもらいます! 時間内に見つけないと、このロストレイルに乗ってるみんなは、ぎゅうぎゅうで動けなくなるよ! まあたいへん!』 少女が大きく肩をすくめ、首を傾げると、スクリーンの中でどっと笑いが起こり、指笛まで聞こえてくる。『やっぱオレって面白いよな! ――正解のカードを見つけるには、そっちにあるカードを使ってな! そのカードを持ってバカダンに近づくと反応するぜ。ダミーのカードも隠してあるから、注意深く探してくれよな!』『図書館が持ってて、こっちにないものを見つけてね! メムとイムでした!』『ガン・バレ!』 ぶんぶんと両手を振る少女と、ぐっと拳を握って見せる少年をそれぞれアップにしてから画面は真っ黒になり、かわりに『30』という数字が現れる。恐らく、制限時間なのだろう。 コン、コンとカウントされる間の抜けた音が、静かになった車内に不気味に響いた。========!注意!イベントシナリオ群『ロストレイル襲撃』は、内容の性質上、ひとりのキャラクターは1つのシナリオのみのご参加および抽選エントリーをお願いします。誤ってご参加された場合、参加が取り消されることがあります。また、このシナリオの参加キャラクターは、車両が制圧されるなどの状況により、本人のプレイングなどに落ち度がなくても、重傷・拘束等なんらかのステイタス異常に陥る可能性があります。ステイタス異常となったキャラクターは新たなシナリオ参加や掲示板での発言ができなくなりますので、あらかじめご了承下さい。========
「ゲーム、か……。それは俺への挑戦と見ていいんだな?」 メムとイムと名乗った二人の代わりにモニタに現れた無表情な数字を眺めながら、Marcello・Kirsch――ロキは呟き、ニヤリと笑った。 自他共に認めるゲーマーの彼が、これに乗らない理由はない。 「図書館が持っていて奴らに無いもの……」 彼は目を閉じると、静かに考え始める。 奇妙な絵、不可思議な名前。 ――文字。 世界図書館と世界樹旅団。 英語に直すと、どうだったろうか。 そう、『World library』と――『Yggdrasil brigade』。 そして、前者にしかないもの。 「Woか……」 彼は再び目を開ける。 モニタの数字は、もう『29』となっていた。 目の前の五枚のカードを改めて見る。 Weeping stranger 石像のカードの頭文字が目に入った。 「迷ってる暇は、無いな」 ロキはそう言うと、相棒のセクタン、Helblindiの名を呼ぶ。 一方でスイート・ピーも、与えられたカードと対峙していた。 それぞれの絵を興味深げに眺め、文字を見る。 すると文字たちはスイートの頭の中で、花火のようにバラバラに弾け、そして踊りながら列を作っていく。 次のパートナー、次のパートナー、また次のパートナー。 そのダンスの列を面白がりながらも、注意深く見ていた彼女の意識がふと『Solitary realist』の文字たちへと引き寄せられる。 一旦離れ離れになった彼らが作り出した言葉は――『lostrail』。 図書館が持っていて、旅団が持っていないもの。 「わかった!」 スイートは座って合掌している男のカードを手に取ると、座席を離れ、小さく走り出した。 「おっと、危ねぇ!」 少し慌てすぎたのか、バランスを崩しそうになったスイートを、現がそっと受け止める。 目を瞬かせるスイートに向かって笑顔を見せ、片手で彼女の肩を軽く叩くと、現はこちらに背中を見せているロキにも聞こえるように言った。 「お前ら、行き過ぎた危険行為はすんじゃねーぞ! 現さんとの約束な!」 「わかってるって」 ロキは振り向くと、こちらに向かって親指を立てる。 「二人とも、もうカードを選んだんだろ? どこに向かうか、俺に教えといてくれ」 現は二人を交互に見た。皆の行動を把握しておけば、何かあった時に助けに行くことができる。 「俺は石像のカード。とりあえず西側を探ってみようと思う」 それは、それぞれのカードが東西南北に、残りの一つは中央に対応しているという考えからだった。 「スイートはねぇ、座ってる男の人のカード。食堂車を探してみようと思うの」 「そうか」 頷き、現もカードを二人に見せる。 「俺はピエロのカードだ。奴ら、バカダンとか言ってただろ? バカ=ピエロってことで! ピエロが本も読んでんのも、図書館や調査のことを示してるっぽいしな。俺はなんにしろ、ナレッジキューブのある動力部に向かう」 三人の会話を耳にしながら、墨染 ぬれ羽はカードを前に、考えを巡らせていた。 ヤギ女に、合掌男に、道化師、石像、透明王。 ヤギ女なんて見たことがない。合掌男はどこかにいるかもしれない。道化師は転ぶのだろうか。趣味の悪い石像。役に立たない王。 ――この考え方は違う。 考えが脳内をぐるぐると回り、頭の端を痺れさせ、重くさせる。 何故この王には『心配性』とついているのだろうか。ただの引きこもりかもしれないのに。 もしかしたら、図柄は関係ないのかもしれない。 ――だとすれば、言葉かもしれない。 図書館にあるのは書架。本を持っているのは道化。 ――いや、それは安直過ぎる気がする。 カードを見比べる。 N、S、E、W、N。 TOSYOKAN。 WとE。道化と石像。二つ余る。 この考えも違うのだろうか。 考えることは嫌いだった。昔は命令に従えばそれで良かったのに。 ――それは、果たして良かったのだろうか? また考えだ。考えが考えて、ぐるぐるが増える。とにかくこんなことではなく、もっと、切って刻んで、それで終わりがいい。 「お前も決まったか?」 顔を上げると、そこには先程の三人がいた。スイートが「お近づきのしるし」と何かを渡してくる。無言のまま受け取ると、水玉模様の紙に包まれた飴だった。見れば、他の二人も受け取っているようだ。 ずっと考えていても仕方がない。 ぬれ羽は道化のカードを選び、黙って皆に見せた。 これで、それぞれの行動は決まった。 ■ □ □ 現は早速、動力部へと向かおうと歩き出し、次の車両へと繋がる扉に手を掛けた。 一呼吸置いてから、静かに開ける。 そこで現を迎えたのは、どこまでも白い壁に、色とりどりのステンドグラス――教会だった。 振り向けば、今入ってきた扉は消え、同じように白い壁があるのみだ。古風な建物の中に、そこだけ別世界のように、数字の表示されたモニタが浮かんでいるのが奇妙だった。 「二人とも、聞こえてるんだろ?」 現は最初の言葉を、メムとイムの二人へと向ける。 「せっかくだから、ここいらで自己紹介といこうか。俺はウツツ、おめぇらは?」 『名前ならさっき言ったでしょ! 聞いてなかったの? それともそんなのも覚えられないバカなの?』 思わず、という風にメムからの反応が返ってくる。 「それはわかってるさ、メム。だが俺とお前がちゃんと話すのは初めてだろ?」 『それはそうだけど』 現は、モニタの方を真っ直ぐに見て続ける。 「お前らはなんだって、こんな事やってんだ? 目的はなんだ? 身を危険に晒してまでやりてぇ事なのかぃ?」 『なんでって、生きるために決まってるじゃん』 「生きるため?」 その、やけにあっさりとした答えに、少し違和感を覚える。 それは、このような侵略行為を行わなければ為せないことなのだろうか。 「そりゃ――」 さらに話を聞こうとしたその時、突然床が振動し、あちこちがぼこぼこと蠢き始めた。何事かと見ると、崩れた床から、同じく体の随所が崩れた人間がのっそりと姿を現す。 「ゾンビつきの教会か……こりゃ職場にしたくねぇな」 現はそう言って苦笑すると、周囲に油断なく視線を向けた。 ■ □ □ 「何だ?」 座席を調べていたロキは異変に気づき、思わず言葉を漏らす。いつの間にか誰の姿もなく、周りにはただ、座席だけが並んでいる。 奇妙なのは、それが様々な色に光っていることだ。青、赤、緑、黄色の四色がある。 「これが、アミューズメントスペースって奴か」 ロキは周囲を観察しながら、慎重に歩みを進めた。 「どうなってるんだ? これ」 だが、見えない壁に阻まれるかのように、座席のスペースから通路に出ることが出来ない。押しても、叩いても無駄だった。 「Helblindi?」 いつの間にか、一緒に居たはずのHelblindiの姿も見えなくなっている。 ロキは周囲を見回した。すると、前方の通路側の席に、見慣れたロボットフォームのセクタンの姿がある。間違いなくHelblindiだった。 「Helblindi、どうやってそっちに行った?」 ロキの姿を認めると、Helblindiは円い手を振り、それから座席を指差した。 「座席? ――そうか!」 ロキはすぐに意味を理解すると、Helblindiの示していたのと同じ、青い席に座る。その瞬間、目の前に四色の光が帯のように流れ、次にはHelblindiの姿が現れた。 ロキは一呼吸し、腰を浮かせると、もう一度その場に座り直してみる。 だが、今度は何事も起こらない。一方通行になっているようだ。 ロキは再び周りに視線をやってから、腕を組む。 どうやら、また頭を使わねばならないらしい。 ■ □ □ ぬれ羽は、本のある場所を重点的に探していた。 自分たちの手荷物を始め、忘れ物はないか、そこで本を読む者もいるかもしれないとトイレにも行ってみた。 だが、有効な手がかりは得られない。 そこで、ぬれ羽はまた考える。 車掌は時刻表を持っているかもしれないし、誰かの物を預かっていることもあるかもしれない。また、食堂車に行けば、料理人のレシピもありそうだ。 そう思いつき、隣の車両へと向かおうとドアを開けると、そこにはぽっかりと闇が広がっていた。目を凝らすと、遠方にあのモニタがあるのが見える。 これもあみゅーずめんとすぺーすという訳のわからないものか、とぬれ羽は思い、静かに懐の得物に手を掛ける。 その時、すう、と天井から光が差し、暗闇の中に白く浮かび上がるものがあった。 舞台とでも呼べば良いのだろうか。厚みのある台が空中に浮かび、その上に岩や木を模したものが配置されている。そこには、二体の人形が立っていた。片方は雪のように白く、もう片方は周囲の空間のように黒い。 そして黒い人形は手に持った棍棒で、白い人形を殴り始めた。 重い打撃音と共に、空中には『1HIT!』という赤い文字が浮かび、それが2、3、4……と積み重なっていく。 その様子を眺めていたぬれ羽は、ふと自分の立っている場所が揺れていることに気づいた。 よく見ればこの場所も空中に浮かんでおり、しかも端の方が崩れ始めている。 これからどうするべきか。 ぬれ羽は、今日何度目になるかわからない思考を巡らせる。 ■ □ □ 「遊園地だ!」 きらびやかなメリーゴーランド、大きな観覧車、轟々と音を立てるジェットコースター。 スイートの目の前に広がっていたのは、紛れもなく遊園地だった。 でも、メリーゴーランドに乗っている子供も、仲良くソフトクリームを食べている家族も、寄り添って語らうカップルも、誰もいない。 スイートがきょろきょろと辺りを見回しながら歩いていくと、突然、薄暗い遊園地の中に、ピンク色の生き物の姿が浮かび上がった。 「ウサギさん!」 少し太めのウサギの着ぐるみが、色とりどりの風船を手に持ち、スイートに手を振っている。スイートも思わず手を振り返し、そちらへと駆け寄った。 すると、ウサギは風船の束をスイートへと差し出してくる。 「くれるの? ありがとう!」 彼女は礼を言い、それを受け取った。つやつやと光る風船は、ロリポップキャンディのようにも見える。 「あっ」 スイートが風船を眺めていると、その紐が突然蛇のようにうねうねと動き出し、彼女の腰に巻きついた。 その途端に体が軽くなり、空へと舞い上がり、地面はどんどんと遠ざかっていってしまう。 不安な表情で下を見るスイートに、ウサギの着ぐるみは変わらぬ笑顔のまま、手を振っていた。 □ ■ □ ゾンビたちは、隊列を組むかのように並びながらも、それぞれが左右や前後にステップを踏むように移動しながらこちらへと迫ってきていた。ゾンビの後方には、出口らしきドアが見える。 それを見ていて、現の中に閃くものがあった。これもゲームなのだ。 恐らく、ゾンビの間をすり抜け、向こうのドアまでたどり着けばクリア。 既に体は動いていた。現は軽いフットワークでゾンビたちの隙間をすり抜ける。ゾンビの動きは遅いので、避けることはそんなに苦ではない。 半分辺りを越え、このまま一気に抜けようと思った時、今まで移動以外の動きをしていなかったゾンビの腕が突然動き、指先が現の肩を掠めた。 「痛ってぇ!」 その途端襲い来る痛みに、現は思わず声を上げる。 そして、はっと気がつき視線を上げると、またゾンビたちの最初の列の前にいた。 肩を抑えていた手を離し、確認してみるが、ゾンビに触れられた部分は何ともなっていなかった。服もそのままで破れたりはしていないし、血が滲んでいることもない。袖を捲ってみるが、傷跡もなく、腕も問題なく動く。 「こりゃあれか、ゾンビに触れると痛い罰ゲームで、スタート地点に逆戻りって訳か。面白れぇじゃねぇか」 現はそう言って笑うと、再び地面を蹴る。 □ ■ □ 「あの座席からこっちだろ……それでこっち」 ロキは取ったメモを見ながら呟く。 どの座席がどの座席へと繋がるかを一つ一つ確かめ、メモを埋めていく。それは確実な方法のように思えたし、いずれは正解にたどり着けるだろう。 ただ、かなり時間を食ってしまうのは確かだ。車内の隅に浮かぶモニタに表示されている数字は『20』。単純に分ではないような気もするが、あまり時間が残されていないのも確かだ。その焦りが、思考を鈍らせてしまう。 「ん? Helblindi、どうした?」 その時、Helblindiがロキの腕をちょいちょいとつついた。そちらを見ると、Helblindiは座席の隅の方を何度も指し示している。 「何かあるのか?」 Helblindiが示した場所には、レバーのようなものがついていた。これを動かせということだろうか。 この空間では何があるかわからないため、ロキは少し迷ったが、Helblindiを信頼し、レバーを動かしてみることにする。 すると、安っぽい電子音のような音がし、続いて座席が様々な色に点滅し始める。 「何だ……?」 まずいことをしてしまったのだろうか。 不安が一瞬よぎるが、やってしまったことは仕方がない。ロキは腹を据えると、おとなしくその様子を見守る。 すると暫くして、座席の点滅がおさまり、それぞれの色が戻ってきた。 「これは……」 今まで細かく分けられていた色は、ボックス席ごとの大きな色分けになっている。これならば、進むのもかなり楽になる。 「Helblindi、サンキュー!」 ロキはそう言ってHelblindiに笑顔を見せると、急いで座席へと腰をかけた。 □ ■ □ 地面がぐらぐらと揺れる。 バランスを取ろうとしてぬれ羽が手を動かした時、舞台の上の白い人形が、突如動いた。手に持った剣が黒い人形に当たり、黒い人形がよろける。空中に『1HIT!』という赤い文字が浮かんだ。 ぬれ羽は周囲を見る。足元の揺れはおさまっていた。 彼は、今度は自らが武器を振るう時のように体を動かしてみる。 すると白い人形は機敏に動き、見事な剣さばきを見せた。派手な斬撃音と共に頭上の数字が1……2……3……と積み重なっていく。 そういうことか。ぬれ羽は小さく笑みを浮かべた。 考えたり探したりするよりも、こっちの方がずっと簡単だ。理屈がわかれば、体は自然に動いた。 右、左、踏み込んで懐に入り込んだ一撃。黒い人形は後方へと吹き飛ぶ。起き上がりざまの黒い人形の応戦、下から掬い上げるような攻撃が来る。意外に速い。 避けるのが間に合わず、多少の衝撃があったが、大したことはない。 再びぬれ羽は攻勢へと転じる。 速く、強く。何度も斬りつけ、頭上の数字は目まぐるしく増えていく。 そしてぬれ羽が大きく踏み込み、腕を一際強く突き出した時、轟音と共に舞台の地面が爆発した。 それは無数の槍へと形を変えると、黒い人形を貫く。そのまま倒れ、動かなくなる黒い人形を前に、白い人形は剣を高々と掲げる。 頭上には、『YOU WIN!』の文字が躍った。 どうやら、勝つことが出来たようだ。ぬれ羽の足下もいつの間にか真っ直ぐな道となり、前方に扉が見える。 彼は静かな足取りで、そちらへと急いだ。 □ ■ □ 暫くして、スイートの体は上昇をやめた。 だが下を見ても、あったはずの遊園地は見えず、ただ黒い闇が広がっている。頭上には、天井画のようにも見える薄青い空があった。 そしてスイートの斜め上方に、赤・青・黄色・緑・白の風船のマークと、ウサギの顔が五つ、ホログラムのように浮かんでいる。 あれは何だろうと思っていた時、突然何かが破裂する音がし、スイートの体がぐらぐらと揺れた。 首を捻り後ろを見ると、そこには大きな風船を体につけて、ふわふわと浮かぶ着ぐるみのウサギ。手にはおもちゃのピストルが握られている。 肩に何かが触れる。それは、風船についていた紐だった。上を見れば、五つあった風船が一つ割れている。あのウサギがピストルで割ったのだろう。 あっと思い、空中に描かれたマークを見る。割られたのと同じ白い風船のマークが消えていた。両手で自分の体を確かめると、腰にピストルが差してある。弾は、キャンディの形をしていた。 その時、ウサギの腕がまた動いた。スイートは咄嗟にピストルを抜き、ウサギの上に浮かぶ風船を撃つ。 風船は大きな音を立てて割れ、支えを失ったウサギは、暗闇の中に落ちていった。頭上にあるウサギのマークの一つが、点滅してから消える。 「ウサギさん、大丈夫かな……?」 これもゲームなのだろうから、落ちてしまっても大丈夫な気もする。だが、それを自分で試すことは憚られたし、何よりそれはカードを探すことの障害になってしまうように思えた。 そうしている間にも、新たなウサギの影が左目の端に触れる。 なんだ。 ウサギをキャンディの弾丸で打ち落としながら、スイートは思う。 こんなの、ちっとも面白くない。 「遊園地は嫌いじゃないけど……せっかく遊ぶんなら、ジブンたちだけ盛り上がるんじゃなくて、皆が楽しめるゲームを考えたらいいんじゃないかな~?」 視線の先にあるモニタに向かって、そうスイートが言うと、機嫌を損ねたような声が返ってくる。 『うるさいな! メムはメムとイムが楽しければそれでいいの! ちゃんとクリアしてからそういうこと言ってよね!』 「ふーん……」 スイートはそう声を漏らすと、頷き、また新たに現れたウサギを見据える。 そう、ゲームをクリアして見せれば、メムとイムとも、もっと仲良くなれるのかもしれない。 □ □ ■ 「よっしゃ! ――ってありゃ?」 迫り来るゾンビを全て切り抜け、扉を開けた先は、入って来たのと同じ場所だった。 現は指先で頭をかく。これは、動力部には向かわせる気がないということだろうか。それとも、向かった方向や、やり方が悪いのか。 現はメムとイムを保護することを考えていた。彼等に罪を犯させたくは無いし、保護してターミナルまで連れて帰りたいと思っている。 そのためにはどうすれば良いか。 彼は、『18』と描かれたモニタを見やった。 □ □ ■ ようやく座席から解放されると、手に持ったカードが点滅していた。 ならば、これと同じカードが近くにあるということか。 「Helblindi、急ぐぞ!」 Helblindiに声をかけ、ロキは次のドアへと急ぐ。 「何だこれ!?」 ドアを開けると、そこは水で溢れ返っていた。水はロキのいるすぐ下まで迫り、どうどうと波打っている。透明な水の底に、整然と並ぶ座席が見えた。 前方を見る。 奥の壁一面を塞いでいるのは、巨大な石像だった。両手で顔を覆い、その手の隙間から大量の水がこぼれている。 あの石像が流す涙が、海となっているのだ。 ロキの持つカードは激しい点滅を繰り返している。よく見れば、石像の腹の辺りに同じように光るものが見える。恐らく、仕込まれたカードだろう。 「くそっ、泳ぐなんて聞いてないぞ!」 でも、行くしかない。 彼は息を大きく吸い込むと、流れる水の中へと飛び込んだ。そのまま一気に水をかく。思っていたよりも水の抵抗はずっと少なく、ひとかきでかなりの距離を進むことが出来た。 石像の腹はどんどんと近づいてくる。ロキは片手でカードを目の前に掲げながら、空いた手と足を動かし続けた。 やがて姿を現したカードに、ロキは手を伸ばし、カード同士を近づける。 そして二つのカードが触れ合った時、光が弾け、水が物凄い勢いでうねり出した。 「……!?」 気がつけば、周囲は通常の客車の様子に戻っていた。体を見るが、濡れた様子は全くない。先ほどまで持っていたカードは、いつの間にか消えている。 ロキは腕を組み、周りを見た。 ここは元に戻ったように見えるが――あのモニタが未だ存在する。そしてゲームが終わったのなら、何の知らせもないのはおかしいようにも思う。 石像のカードは、正解ではなかった。だが、カードが方角を示しているという考え方は正しかったのではないだろうか。それは、皆にも伝えたほうが良さそうだ。 「急ごう」 ロキはHelblindiにそう言うと、その場を離れる。 モニタの数字は――『14』。 □ □ ■ 食堂車に到着したぬれ羽は、周囲をゆっくりと見回す。 今のところ、普段の様子と変わったところは見られないが、テーブルの下から人の足が出ていた。足はもぞもぞと動き、やがて鮮やかなピンクのツインテールが姿を現す。 「あっ、ぬれ羽ちゃん」 スイートもぬれ羽の姿を見つけ、笑顔を見せた。 彼女が食堂車を目的地としたのは、同じくアナグラミングで出た言葉や、カードの男の様子が、ここを示唆していると思ったからだった。テーブルの下や椅子の裏など念入りに調べているが、まだ成果は出ていない。 「見つかった?」 彼女の問いに、ぬれ羽は小さく首を横に振った。今のところ、こちらも何も得られていない。 だが、これから得られるかもしれない。二人で探せば早いはずだ。彼は彼の目的物である本を探すことにした。 しかし、それから暫く色々な場所を探しても、ただの食堂車だという印象しか残らなかった。 その時、ドアが開き、二つの人影が食堂車へと現れる。 ロキとHelblindiだ。 「やあ。二人ともその後、どうだ?」 ロキの問いに、スイートとぬれ羽は、それぞれ違うスピードで首を振る。 「そっか……」 ロキは腕組みをし、それから二人のカードに目をやった。 「ぬれ羽はどうして、そのカードを選んだんだ?」 問われ、ぬれ羽はカードの中の道化師を指差す。 「本、か。……じゃあ、スイートは?」 スイートは頷くと、テーブルにあった紙ナプキンを手に取り、そこに持っていたペンで字を書き、説明をした。 「成る程」 文字を並び替えることでロストレイルの名前が出てくるとは、全く気づかなかった。それは、かなり有力な答えに思える。ロキも石像のカードを見つけた経緯を話すと、スイートの顔がぱっと明るくなった。 「S――カードはきっと、南にあるね。みんなでがんばって爆弾みつけよー。おー!」 □ □ □ 三人は途中、現とも合流をし、車両の南へと向かう。 「カードが光ってるよ!」 すると、スイートの持つカードが、眩い光を放ち始める。仕掛けられたカードは近い。 前方には次の車両へと続くドアがある。 そこまでたどり着くと、現は皆を少し下がらせ、先に向こうの状況を窺おうとした。しかし、ドアは開かない。何かが引っかかっているような感触だった。 その様子を見ていたロキもドアに近づくと、動かしてみる。やはり開かない。 「仕方ねぇ。ぶち破るか」 現がそう言うと、ロキ、そしてぬれ羽も頷く。 男三人は息を合わせ、現の掛け声と共にドアを思い切り蹴った。 「!?」 ドアが大きな音と共に壊れ、向こう側へと倒れると、ざーっと何かがドアから離れていく。 そこに大量にいたのは、半透明の小さな丸い物体だった。葉っぱのような形の手足がついていて、埴輪のように目と口が空洞になっている。どうやら、それがドアを押さえていたらしい。 奥には、『Solitary realist』のカードに描かれている男と同じ姿をした人形のようなものが、ごろごろと転がっていた。その数は少しずつ増え続けている。 モニタの数字は『9』。 メムは「時間内に見つけないと、ロストレイルに乗ってる皆がぎゅうぎゅうで動けなくなる」と言っていた。時間が来ると、この人形が爆発的に増えるということなのかもしれない。 「急がないと!」 ロキが言い、皆が足を踏み出すと、それに反応するかのように、先ほどの半透明の埴輪がざざーっと波のように押し寄せ、覆いかぶさって来た。 「うわっ」 「ぶわっ、何だこれ!?」 「おもーい!」 堪らず皆、声を上げる。ぬれ羽は無言で武器を振るっていたが、ぷよぷよとしていてどうにも斬りづらい。斬られたり踏みつけられたりした埴輪は煙のように消滅したが、また新たな埴輪がその代わりにやってくる。 そして、男の人形は、その間にも数を増していた。 モニタの数字は――『2』。 このままでは、間に合わなくなる。 「みんな、お願い! 少しだけスペースを作って欲しいの!」 スイートに何か策があると察した三人は、彼女に群がっている埴輪を毟り取るようにしてどけ、彼女を囲むように立った。 「ありがとうー!」 スイートは礼を言うと、ポケットから素早く砂時計を取り出し、床に置いた。 ピンク色の砂が、さらさらと流れ落ち始める。それと共に、周囲の動きが急激に緩慢になった。スイートはスローモーションの映画のようになった車内を、一人駆ける。 一歩、二歩――水滴のように舞う埴輪を潜り抜け、生み出されている人形を掻き分けると、点滅する光を放つカードが現れた。 「あった!」 そこには、座って目を閉じ合掌している男が描かれている。スイートの手の中のカードも、今までで最も強い光を放っていた。 彼女はそれを、置いてあるカードへと近づける。 二つのカードが合わさった瞬間、一際大きな光が辺りを包むと、ファンファーレが高らかに鳴った。 「終わった……か」 ロキはそう言い、大きく息を吐く。ぬれ羽もホッとしたように目を閉じた。 『あーあ、つまんないの!』 『おめっとーさん』 モニタから、メムとイムの声が響いた。画面は暗いままで、二人の姿は映っていない。 「スイートねえ、爆弾でいっぱいいっぱい人を殺してきたの。スイートも爆弾なの」 スイートはモニタに視線を向け、口を開く。 「でもね、もう殺したくない。それがね、みんなと一緒にいて、出来るようになったよ」 そうして、ポケットから出したキャンディを、モニタの方へと差し出す。 「キャンディあげる。だからメムとイムも、もう悪いことしちゃだめだよ? 今度はスイートと遊ぼうよ」 「現先生が、ぜーんぶ面倒見てやる! 一緒に来い!」 現も、モニタに向かって呼びかけた。 こんなことをしなくても、生きていく道はきっとある。 「それが嫌なら、一緒に逃げるぞ! おめぇらを放っておけねぇし、これ以上危険な目にも遭わせたくねぇ!」 暗い画面を見つめ、現は言葉を投げかけ続ける。 「大丈夫だ! 俺が何とかしてやらぁな!」 『勝手なこといわないでよ!』 だが、それに覆いかぶさるようにして、唐突にメムの声が響いた。 『メムたちがどこにもいくとこなくて、どうしようもなかったとき、助けてくれたのは旅団なの! 他に誰も、なんにもしてくれなかったもん! 言うだけならだれだってできるもん!』 『メム』 イムの静かな声が、メムの感情的なそれをそっと遮る。 『ゲームはあんたたちの勝ちだ。それでいいだろ?』 そしてモニタは徐々に、空間に溶けるようにして消えて行く。 「おい! 待て!」 『メム、行こう』 やがてモニタは完全に姿を消し、ロストレイルの車内は今まで通りの姿に戻る。 皆が感じていた違和感も消え、普段通りの感覚が戻ってきた。 そうして、ロストレイル『水瓶座』を舞台に繰り広げられたゲームは、幕を閉じた。
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