ブルーインブルーでしばらく過ごすと、潮の匂いや海鳥の声にはすぐに慣れてしまう。意識の表層にはとどまらなくなったそれらに再び気づくのは、ふと気持ちをゆるめた瞬間だ。 希望の階(きざはし)・ジャンクヘヴン――。ブルーインブルーの海上都市群の盟主であるこの都市を、旅人が訪れるのはたいていなんらかの冒険依頼にもとづいてのことだ。だから意外と、落ち着いてこの街を歩いてみたものは少ないのかもしれない。 だから帰還の列車を待つまでの間、あるいは護衛する船の支度が整うまでの間、すこしだけジャンクヘヴンを歩いて見よう。 明るい日差しの下、密集した建物のあいだには洗濯物が翻り、活気ある人々の生活を見ることができる。 市場では新鮮な海産物が取引され、ふと路地を曲がれば、荒くれ船乗り御用達の酒場や賭場もある。 ブルーインブルーに、人間が生活できる土地は少ない。だからこそ、海上都市には実に濃密な人生が凝縮している。ジャンクヘヴンの街を歩けば、それに気づくことができるだろう。●ご案内このソロシナリオでは「ジャンクヘヴンを観光する場面」が描写されます。あなたは冒険旅行の合間などにすこしだけ時間を見つけてジャンクヘヴンを歩いてみることにしました。一体、どんなものに出会えるでしょうか?このソロシナリオに参加する方は、プレイングで、・あなたが見つけたいもの(「美味しい魚が食べられるお店」など)・それを見つけるための方法・目的のものを見つけた場合の反応や行動などを書くようにして下さい。「見つけたいものが存在しない」か、「見つけるための方法が不適切」と判断されると、残念ながら目的を果たせないこともありますが、あらかじめご了承下さい。また、もしかすると、目的のものとは別に思わぬものに出くわすこともあるかもしれません。
強い潮風が押し寄せる。巨大な掌で押してくるような風の塊に、日和坂綾は両足を踏ん張る。短い黒髪が踊る。首筋をくすぐる。桟橋の足元で舞う風が、ぶわり、白いワンピースの裾を捲り上げる。 「わ?!」 慌てて赤いジャージを羽織った両手で押さえる。膝丈のスカートの下に短いスパッツを穿いてはいるものの、 「恥じらい、って大事だと思うんだよ、エンエン」 足元で尻尾を膨らませ、小さな前肢で顔を覆う仕種をする狐型セクタンのエンエンにちょっと笑いかける。 こんな暑い日は、本当はスカートの裾なんかたくし上げて海に駆け込んじゃいたいけれど。今ぼんやり考えていることを実行に移す時には、きっと恥じらいも大事なはず。 人通りの少ない桟橋の端に腰を下ろす。靴も靴下も脱いで、爪先を波で洗う。視線の先には、海。緩い弧を描く水平線目指して、白い帆を上げた船が幾つも航行していく。 「やっぱりさ」 隣にちょこんと座るエンエンに、栗色の眼を細める。 「生涯海魔や海賊と戦い倒す人生って楽しそうな気がしない?」 澄んだ瞳が言葉の通り楽しげに輝く。 「けど、……」 桟橋に置いた腿に頬杖を突く。 「これだけ通いこんでるのに、進展してる気がしないんだよね」 ブルーインブルーに帰属したい。 そう思い始めたのはいつだろう。 そのために、色んなことをした。ブルーインブルー関係の依頼を受けまくった。海賊達と大立ち回りもした。海軍や警備隊の詰め所に行き、雇ってはくれないかと直談判も申し込んだ。 どれもこれも、しっかりした手応えを掴めたとは言い難い。 「うー……」 取り出した紙切れを桟橋に置く。ブルーインブルーに帰属するに当たり、必要な強い絆を得るに足りそうな心当たりを書き出してみる。 『(船は要るけど)ジェロームタウン』 『海神祭の間だけガルタンロックが滞在する別荘』 『監獄島』 『警備隊の詰め所』 『海軍の詰め所』 『この前暴れて怒られた酒場』 メモを眺める。宿敵とする相手の居場所を記していることに気付いて、 「役に立たなーい」 ペンとメモを放り出す。自分の体も桟橋の上に転がす。 「……いい天気」 仰向けに転がれば、遮るもののない真昼の太陽が全身に遠慮会釈なく降り注ぐ。赤ジャージの腕を持ち上げ、顔に影を作る。 「むぅ、どこかに私の身元引受人は落ちてないものか」 そういう人さえ居てくれれば、海軍か警備隊に就職することが出来る。何度となくジャンクヘブンに足を運んで、やっと得た帰属の手掛りだ。 陽の光を全身に浴びて、綾は考える。 「ココはやっぱり、色仕掛け?」 ぼんやりと、考え続けてきた。あんまり着慣れないワンピースを着てきたのも、そのことが頭にあったからだ。 腹筋を使って起き上がる。赤ジャージの袖で陽をめいっぱい浴びた頬を擦る。色仕掛けをするのに、ワンピースの上に赤ジャージなこの格好はもう何か既にダメな気がするけど、 (師匠との約束だからしょうがない) 息苦しいあの世界で、息の仕方を教えてくれた師匠。師匠の教えを受けていれば、きっと強くなれる。その師匠が言ったのだ。 ――自在に気を練れるようになるまで、目印を変えるな。 言われたからには、変えるわけにはいかない。 熱々の魚フライをざくり、齧る。カリカリに揚がった粗いパン粉の中には淡白な脂をたっぷり含んだ白身。スパイスの香りが口いっぱいに広がる。 「あっつ! おーいしっ!」 屋台の隣で立ち食いしながら、綾はじたばた足を踏み鳴らす。 「そりゃ良かった」 白いバンダナを頭に巻いた屋台の女が、恰幅のいい体を揺すって嬉しげに笑う。 「ねぇねぇおばさん」 「はいよ」 綾は魚フライの付け合せの揚げ馬鈴薯を受け取り、人懐っこく女に話しかける。女は屋台の隣の椅子に移る。脇の樽から魚を取り出し、慣れた手つきで鱗をかき始める。 「確かココって王様の他に偉いヒトが居たよね」 女から買ったフライを手に、何気なく切り出す。 「……宰相さんだっけ?」 女は記憶を辿るように魚を捌く手を止める。 「他から流れてきたヒトがなってるとか聞いたけど?」 ジャンクヘブンから世界図書館に持ち込まれる依頼とその報告書には、出来る限りに目を通している。海魔に関するもの、海賊に関するもの。それらの依頼から考えて、 (帰属したヒトの立場って、きっとそういう偉いヒト系だ) 綾はそう推測する。前に世界司書のわんこを捕まえて聞いてみた時は、あまり知らない、と首を傾げられるばかりだったけれど。 こういうときは現場に立つのが一番だ。現場で情報集めて、どうにかして実際に接触して、 (身元引受人を頼む!) そうすれば海軍や警備隊に就職できる。この世界に縁を作ることが出来る。縁を得れば、きっともうこっちのもの。その縁を強く強くして、――そうして、この世界に帰属する。 そうすれば、壱番世界と呼ばれるあの世界を飛び出せる。 家族との縁を断ち切ることが出来る。あの窒息するような息苦しさを振り払うことが、出来る。そのためになら、何だってしてやる。 「ああ、フォンスさまだね」 女はひょいと立ち上がる。三枚に下ろした魚にスパイスと粉を振るい、熱した油で揚げる。 「フォンスさまって言うんだ」 新しく得た情報を頭に刻み、綾は目を輝かせる。 「そのヒト、独身かなぁ? カッコイイ? 玉の輿とか乗れそう?」 屋台のカウンターから身を乗り出し、矢継ぎ早に質問を投げかける。ついでに足元の水桶に浸かる瓶入り柑橘サイダーも買う。 女は綾からサイダーの代金を受け取りながら、元気だねえ、と頬を緩めた。 「私、最近こっちに来たから詳しくなくて」 ちょっとだけ恥じらって、綾は頬を指で引っ掻く。頬が熱いのはブルーインブルーの強い陽の光のせいにしてしまおう。 「玉の輿狙いかい?」 悪戯っぽく女は眼を細め、 「格好いいって噂は聞くねえ」 どうしてか声を潜めた。綾が首を傾げれば、こうした方が噂話は盛り上がるだろ、と笑う。 「あはは、そうかも」 綾が噂好きな屋台の女から仕入れることの出来た情報は、みっつ。 宰相は黒髪でカッコイイ。 宰相が結婚したという噂は聞かない。 宰相はどうやら今の太守が即位する前の若い頃からの知り合いらしい。 「……住んでるトコ、分かる?」 女の流儀に従い、声を潜めて聞けば、 「『群青宮』だね」 女は太い指をジャンクヘブンの都市中央へと伸ばした。 「お偉いさんだからね、他にも住いはあるんだろうけど。知られてるのはそこくらいだねえ」 綾は指の先へと顔を向ける。真昼の太陽が輝く青い空の下、街並に隠れ、目当ての『群青宮』は見えない。 「青くて綺麗なお邸だよ。広いからね、近くに行けばすぐに分かる」 「ありがと、おばさん!」 潮風と波飛沫を浴びて、綾は両手を握り締める。足元でエンエンが真似をする。 「っし!」 情報は得た。次は本人の偵察だ! ガッツポーズのまま、ぎゅっと桟橋を踏みしめる。心臓はどきどきでわくわく、満ちたお腹で元気は満タン。 (気合入れて頑張ろう!) 自分で自分に言い聞かせる。陽に煌く栗色の瞳に力が籠もる。 (この手と足で何とかするんだ) 私は、望む世界を掴み取ってみせる。 終
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