夜風が騒がしい。 それが、誰かのおとないを告げたような、そんな気がして、メリンダは顔を上げた。 とうに夜半を過ぎていたが、老婦人はランプの灯りの下で、羊皮紙の書類に目を通していた。 ヴォロス辺境――《栄華の破片》ダスティンクル。 かつてこの地を支配した王国はすでに亡く、跡地には細々と、かつての王朝の名残に過ぎない小国がながらえていた。大カボチャのほかは、これといって特産品もないこの国だが、年に一度、この季節だけは近隣から旅人が集まり、華やぐ日々がやってくる。 それがダスティンクルの『烙聖節』である。 古王国の砕け散った竜刻は、ダスティンクルの土壌にあまねく埋まっているという。その力が年に一度、この季節にだけ、祭りに呼応してか不可思議な現象を引き起こすと伝わっていた。 ダスティンクルの時の領主が、数年前に夫の跡を継いだ未亡人・メリンダである。 烙聖節が近づき、小国とはいえ領主は忙しかった。ゆえに、夜着のまま執務机に向かい、残務に向かっていたのだ。その視界の端を、ふとかすめたものがある。「……?」 領主の部屋の窓の外は、城館をとりまくベランダ状の外回廊である。そこを誰かが過ぎったようだった。だが、領主の私室に通じるこの場所は、衛兵でさえみだりに歩くことを許されていないはずだ。 メリンダは羽根ペンをインク壺に戻すと、椅子にかけていたカーディガンをそっと羽織った。 そしてベランダへと向かう。 老いてなお、好奇心を失わぬこの女領主は未亡人探偵の二つ名で呼ばれることさえある。万が一、賊であればおのが身が危ういというのに、ためらわずに行動するのは、もちまえの胆力と、領民は誰も知らぬ彼女の過去――異世界へ旅する列車に乗る旅人であったことに由来する自信からだった。「どなたか、いらっしゃるの?」 ヴォロスは電灯に照らされる文明世界ではなく、城壁のかがり火だけでは、その夜は暗かった。 外回廊も、少し先は真っ暗な闇に沈んでいる。 メリンダは目をこらし、そこにかすかな輪郭をみとめる。「……こんな夜半に、お客様かしら」 気丈に呼びかけると、それに応えたものか、コツコツと足音が近づいてきた。 ぼんやりと、夜の中にあらわれたのは、黒い服を着た人物――とまでしかわからなかった。「この地は災厄に見舞われます」 ふいに、男の声が言った。「え?」「一刻も早く立ち去りなさい」 次の瞬間、その影はまぼろしであったかのように、夜の中に霧散し、消え失せていた。 メリンダが衛兵を呼び集め、城館中を探させたが、不審者の姿はどこにもなく、侵入の形跡も見つかることはなかった。 烙聖節が近づけば、ダスティンクルの地には不可解な事件が起こるのはいつものこと。 しかし、そのときに限って、メリンダは言いようのない胸騒ぎを感じたのだった。 後に、彼女は訪れた旅人に語った。『その人物は黒い服を着ていたように見えたわ。あたくしにはそれは……壱番世界の、聖職者が着るような服に見えたの』 ダスティンクルにあらわれた《兆し》は、それだけではなかった。「おい、もう帰ろうぜ……」「なに言ってんだ。今日こそ畑を荒らすやつをとっつかまえてやる」 領内の、とある農村で、ふたりの農夫が息をひそめている。 灯りを絞ったランタンを足元の草叢に隠し、夜の木陰でかれらが待っているのは、このところ一帯の畑を荒らしている何者かであった。「手塩にかけていよいよ収穫ってときに、むちゃくちゃにされて黙ってられるか。今年はいい出来だったのに……」 ダスティンクルの名産、おばけカボチャ。それはあざやかなオレンジ色の、大の男が抱えるのも難しいほどにまで成長することもある大きなカボチャだった。烙聖節の頃に最盛期を迎え、祭りではカボチャを繰り抜いて中に火を灯したカボチャ提灯が、烙聖節の夜を彩る。「……気持ちはわかるけどよ……烙聖節が近い夜に出歩くのはよくないぜ」「なんだよ、幽霊が怖いか? はん、お目にかかってみたいもんだね」「知らないのか、南の森で、“出た”って話」「森で?」「森の奥に、沼地があるだろ? このまえ、あのへんで、女の娘の幽霊を――」「しっ」 ひとさし指を立てて制した。 ……音だ。畑のほうから、なにかがざわめく不気味な音がする。「きやがった!」「あ、おい……!」 農夫たちは手に棍棒を携えて、駆けた。 星明りの下に、ふたつの影が立つのをかれらは確かに見たのだ。「おい、おまえたち、そこで何をしている!」 誰何の声とともに、ランタンのシャッターを開ける。だが勇ましいのもそこまでだ。空気を得て燃え上がった灯火がカボチャ畑を照らしたとき、男たちは尻餅をついて悲鳴をあげていた。 うごめいているのは、肉色の塊だった。 灯火をぬらぬらと反射する濡れた身体は大蛇のように太く、長い。それが畑の中を這い、のたうち、幾匹も絡まり合っていたのだ。 もっともっと小さければ、農夫にはなじみがあっただろう。さよう、ミミズである。だがカボチャ畑にうごめいていたのは信じがたいほどの巨大ミミズの群れなのだ。ゴリゴリと音がして、ミミズの群れに巻き込まれた大カボチャが砕ける。だがミミズたちは、カボチャを喰っているわけではないようだった。「見られたか」 男が、ひとり。 黒い帽子の鍔のしたで、青白いおもてに酷薄な微笑が浮かんだ。 ひっ、と農夫たちは息を呑む。あからさまに剣呑な空気だったからだ。 だがそのとき、不思議なことが起きた。 ごう、と火柱があがった。 それは、畑の傍に立っていた一本の、立ち枯れの樹木だ。それが突如として発火し、炎に包まれたのである。 現象に最初の男の注意がそれた、その隙に、ほうほうのていで農夫たちは逃げ出している。「……失敬。まだ慣れていないのでうまく扱えないのであります。この『部品』を」「ふん」 煌々と、炎がふたりを照らす。「どのみち、ここでの作業は終了。場所を変えるからここには戻らない。……そうですな、先輩?」「そのとおり。……まあ、いい。可愛い後輩に免じてマスカローゼには黙っておいてやるとしよう。もしも連中を呼び込むことになっても、それはそれで……面白いことになりそうで――」「ありますか」「ありますな」 ひとりの男はさも可笑しそうに笑い、もうひとりは終始、氷のような無表情だ。 炎が落とすふたつの影法師が、ゆらゆらと揺れる。 * * *「ヴォロスに行ってくれないか」 世界司書、モリーオ・ノルドが、螺旋特急のチケットを手にして言った。 烙聖節を間近に控えたダスティンクルで、奇妙な事件が起きている。 領内のカボチャ畑がめちゃくちゃに荒らされる事件が相次いでいるというのだ。領民からミミズの化けものを見たという声もあるらしい。 烙聖節には、古き王国の亡霊が領内を闊歩すると伝わられている。 だが、この出来事は、どうもそういったこととは色彩が違うように思う――それが、元ロストナンバーで、ヴォロスに帰属して当地の領主夫人となったメリンダの話なのである。「しかも、彼女に警告をしてきた人物がいるらしい。その人物の言葉どおり、なにか災いが近づいていることは間違いないようだ。……どうも危険な予感がする。十分、注意して、あたってほしい」
1 「とりあえず2人の写真借りてきた」 坂上健はそう言って、その2葉の写真を取り出して見せた。 ヴォロスへと向かう車中のことである。 「2人と言うと」 モービル・オケアノス――大柄な竜人は、話してみればその外見に比して非常に穏やかな青年、いや、少年といってもよいと知れたが、彼が訊ねた。 「もうみんな気づいていると思うけど」 健の言葉のつづきは、通路を挟んで反対側のボックス席にかけた相沢優が引き継ぐ。 「この事件には灰人さん、それにヌマブチさんが関わっている」 「そういうこと」 写真は、いつ誰がどこで撮ったものか、件の牧師と軍人のものであった。 「……」 優の向かいの席にいた、ディーナ・ティモンネンが、それで?と先を促すように健へ顔を向けた。 「この写真で聞き込みをしてみようと思って」 「なるほど」 健は視線をそらして、向いのモービルへ言った。 ハルカ・ロータスと、アルジャーノは、かすかに一瞥をくれただけだった。 優もまた、黙ったまま、おのれの思索に没頭しているように見えた。 世界樹旅団のもとへ赴いた2人のロストナンバー。 かれらと、この先、ヴォロスでまみえるのだとしたら。 車中の空気は、微妙なものにならざるをえなかった。 「私は先に村へ行くわ」 ダスティンクルに到着し、まずは領主メリンダのもとへと動きかけたところで、ディーナが言った。 「できるだけ早くに、支度しておきたいことがあるの」 「なら、ぼくも。偉い人に挨拶するとか、上手じゃないし」 「ア、それじゃ私も」 と、モービルとアルジャーノが続いた。 「あ、そう……? ん、それじゃ、ここで」 健はなぜだか落ち着かないふうで、持参した荷物の中から通信機を取り出して皆に配った。 「もしものとき、ノートより早く連絡がとれるだろ? 食うなよ、アルジャーノ」 「エ?」 配られたおやつだと思ったのか、ぱくりといきかけているアルジャーノを制する。 「奥様に、伝えておいてほしいの。狙われているのは竜刻かもしれないって」 「わかった」 優が頷く。 それは、ある意味、当然の帰結と言ってもよかった。ヴォロスは竜刻によって支配された世界だ。世界図書館も、そのパワーを解明するために今まで幾人ものロストナンバーをこの世界に送り込んできたのだから。 ディーナたちを見送り、優たちは、領主館へと向かう。 「ちょうど1年ぶりだな」 優がなにげなく言った。 ダスティンクルの烙聖節。その夜宴に、昨年はロストナンバーたちも招かれ、この地を訪れたのである。 「そ、そうだっけ……」 と、健。本当は忘れてなどいないのだが……。 かれらの記憶にあるのと違わぬ領主の館へ、1年ぶりに訪れると、以前と同様に、女領主が迎えてくれる。 ぴんと伸びた背筋に、聡明さに輝く瞳をもった老婦人は、かつては同じロストナンバーであった気安さもあって、自室へと来訪者を招くのだった。 彼女の口から再度、異変について聞くが、詳細はすでに司書から聞いていたことと変わりはない。 健は、例の写真をメリンダに見せた。 「その、夜にここへ来た人って……もしかしてこの2人のどちらかだったりする訳な――」 「間違い無いわ」 「――するのっ?!」 あっさりと、メリンダは認める。 優はかるく息をついた。 間違いであったなら、これは単なる冒険旅行のひとつに過ぎない。どんな危険があったとしても、ほかとかわりのない旅のひとつだったのだ。けれど確定してしまった。 夜半にメリンダのもとを訪れ、彼女に警告めいた言葉をもたらしたのは三日月灰人だと、彼女は写真を指したのだ。 「暗かったけれど、服装や雰囲気から、あたくしは直感したの。このひとはロストナンバーだって。そう。灰人さんと云うのね。あなたのお知り合い?」 「いや、灰人さんは知らない。こっちの、ヌマブチさんとは話したことはある。優はふたりとも知ってるだろ?」 「……ああ」 「それで、その世界樹旅団というのは何なのかしら」 「あ、それは」 メリンダに、健が事の次第を説明している 別のロストナンバー集団。ワームを操る。それらの情報は、メリンダには驚きのようだった。 「すこし、いいかな」 今まで、寡黙に着いてくるだけだったハルカが、そっと優に話しかけた。 「なに?」 「俺は、モリーオさんから、この地域で異変があること、それが危険なものである可能性が高いので、対処するようにという依頼を受けた」 「そう――ですね」 見た目が若いのでつい同年代に見えるが、相手が相応に年齢を重ねていることを思い出しつつ、優は頷いた。 「俺はこの地域の防衛任務だと理解している」 「そういうことになるでしょうね」 「あのふたりのことは、任務に含まれていないと思う」 「……っ」 「誤解しないでほしい」 ハルカは、優が目を見開いたのに、すこし眉根を寄せて言葉を継いだ。 「俺には――それは難しい任務だ。戦う以外に、できることがないから。でも。優はふたりと親しいんだろう?」 ハルカの問いに、優は頷く。 「優はどうしようと思ってる? 俺は、任務だから、というだけじゃなく、この土地を守るために戦いたいと思う。ここには暮らしている人が大勢いるだろ。そのひとたちのために戦いたい。そういうもののために戦うのは正しいって俺の魂が言ってる。でも――あのふたりは、優にとって仲間なんだろう?」 「俺は……俺だって、覚悟はしてきたつもり。もしもの場合は、2人とも戦うことになるって。ふたりを連れ戻せるならそれが最良だけど、今はまだ無理なんじゃないかと思うし。……気遣ってくれて、お礼を言います」 「いや……。確認しておかないと、うまくやれないから」 ハルカは恥じたように伏し目がちに言った。 「……えっ、そうなの!?」 健の驚きの声が、優たちをメリンダとの会話に引き戻した。 「ええ。領民のあいだですっかり噂になってしまっているのよ。『黒衣の予言者』と呼ぶものもいるわ」 「それって……」 メリンダの話によると、灰人らしき人物は、メリンダのもとを訪れたのみならず、その後たびたび、ダスティンクル領内で目撃されているのだという。 時間と場所を問わず、その人影はふいにあらわれ、言葉を残しては消え失せる。 (この地は災厄に見舞われます。一刻も早くお逃げなさい) (妻、恋人、親、兄弟……そして子。大事な人の手を取り少しでも遠くまで逃げるのです) 「警告――なの、か」 優はうたれたように呟いた。 「灰人さんは、『部品』を埋めこまれているはずだ。だからおおっぴらに旅団の作戦には反抗できない。だから……?」 ぐっ、と膝のうえで拳を握りこむ。 「でもそれだけやばい状況ってことだよな。単なる脅しじゃなくて。俺たちも全力を尽くすけど……いざという時のために、領民が逃げられる準備はしておいてくれないか」 「それはできるだけのことはするけれど、いくらダスティンクルが小さな国でも、領民を全員、逃がすなんて、それこそロストレイルでもないと無理な相談だわ。なにが起ころうとしているのかわかれば、まだてだてもあるでしょうけれどねえ」 健が言うのへ、メリンダは困り顔で応えた。 「その人が来たのは、その外廊下?」 ふいに、ハルカが口を開いた。 「ええ、そうよ。出てご覧になる?」 メリンダに促され、ハルカは外へ出てみた。そして灰人が立っていたという場所へ、膝をついて身を屈める。 「足跡などは何も見つからなかったの」 「でも心は残っているかもしれない」 ハルカは敷石にてのひらで触れた。 瞬間――、彼のESP能力のひとつ、サイコメトリがその場に残された残留思念をとらえる。 (どこに行っていたのよ) (……少し歩いてきただけです。すみません) 森だ。記憶の中にあるのは、夜の森。 鬱蒼と生い茂る木々のあいだに、湿地が広がっている。 暗い森と沼地の背景に、ぼうっと浮かび上がる灰色の影。長い髪の――少女のようだ。 (聞いてもいいですか。貴方はどんなふうに旅団に加わることになったのです) (別に。拾われただけよ。放っておいてくれてもよかったのだけど) (キャンディポットさんの世界は、どんなところなんですか) (嫌なところよ。本当に嫌なところ。大嫌いだわ。あの世界も、この世界も。……みんな世界樹に滅ぼされてしまえばいいのに) 「キャンディポット」 「えっ」 優と健は顔を見合わせた。 報告書の中に、その名がある。ディラックの落し子を操る、世界樹旅団の少女。 「かれは、その娘と一緒にいる」 ハルカは言った。 2 「メリンダ様に言われて調べに来たの。畑を荒らす人たちを見たのは誰? 話が聞きたいの」 ディーナが、謎のふたりづれを目撃した農夫に聞き込みをしようとしていた。 畑は、耕運機かなにかで掘り返されたようになっていて、砕けたカボチャの破片が散らばり、朽ちてゆくに任されている。 モービルとアルジャーノが畦道に立っていると、村の子どもらがやってきて遠巻きにかれらに興味を示していた。 アルジャーノはともかく、巨躯のモービルは目立つことこの上ない。子どもらはひそひそと物珍しい旅人について言い交わしているが、そこは子どもなので、ひそひそ話も筒抜けだ。物知りなひとりが、モービルを指してドラグレット族だと言い、別の子どもらが、ドラグレットなどというのは伝説の中にしかいない、あれは南方にいるリザードマンという種族なのだと反論している。 モービルは、ドラグレットでもリザードマンでもなかったが、ドラグレットがヴォロスに実在していることは知っている。かつて出会ったかれらのことを懐かしく思い出しながらたたずんでいると、ふいにアルジャーノが声をあげた。 同時に、子どもたちもどよめいた。アルジャーノが畑の土をすくってむしゃむしゃ食べ始めたからだ。子どもらの注目は竜人から「土を食べる人」に一気に持っていかれてしまった。 「こ・れ・は!」 「なにかわかった!?」 「はじめての味です。かなりこくがありますネー!」 「土に味なんてあるの……」 「そりゃありますヨ。ンー、なんでしょ。ちょっとスパイシーで……それでいて後味スッキリ。いや、でもおいしいです。来た甲斐ありました」 「土を食べに来たの?」 「新しい味覚との出会いこそ旅の醍醐味トいうモノですよ」 アルジャーノは胸を張って言った。 「世界樹旅団だの何だのは本題じゃナイです。マ、新しい味覚との出会いのキッカケになるカモという意味ではあのヒトたちを追いかけるのもいいかもしれませンが――だってそうデショ、結局、世界図書館の類似品っていうだけじゃないですカ」 「さあ、ぼくにはよくわからないけど」 「向こうにしてみりゃコッチが類似品なんですかネ。競合他社っていうヤツですか」 言いながら、小石を拾って口に放り込む。ゴリゴリと氷を噛み砕くような音がした。 「ムムッ。石は大しておいしくもないです。土。土壌だけが独特の風味なんですネ、ココは」 「……」 文字通り異世界のグルメの品評に、モービルは肩をすくめた。 と、そこへ、ディーナが近づいてくる。 「ね、ふたりのどちらか、魔法の感知ができる?」 「イイエ」 「魔法は……ごめん」 「そう。領主館に言った人も――無理かな。私、思ったのだけど」 太陽のない世界にいたディーナは、ヴォロスの昼の日差しから守るためにサングラスをかけている。そのレンズに、荒らされた畑が映り込んだ。 「たぶんこの時期、この場所は、魔力がとても高まっているのだと思うの。ダスティンクルの伝承がそれを裏付けているわ。旅団はそれを利用しようとしているのじゃないかしら。荒らされた畑の場所を聞いてきたの。というより、ほとんどすべての畑が順に荒らされていると言っていい」 ディーナは地図を広げてみせた。 「ひとつの可能性は、畑になにか仕掛けられているのじゃないかと思って。たとえば、魔方陣とか、そういったもの」 「ちょっと見てこようか」 モービルはディーナから地図を受け取り、方角を確かめると、翼を広げて空へと飛び立っていった。 子どもらがおおおと、声をあげて驚く。みろ、やっぱりドラグレットだ、リザードマンは飛ばないぞ、と子どものひとりが勝ち誇ったように言う。 「前、蚕が村を壊滅させた事件があったよね。旅団が来たなら……この辺で使える何か――つまりミミズをワーム化させたのかもと思ったの。でも、よく考えると変だわ。ミミズは畑を荒らしただけで、人を襲ってない」 「それが目的じゃないからでショ」 アルジャーノは両手に土を掬った。その中に、うごめくミミズ――小さな、普通サイズのミミズだ――をみとめる。 「そう。やっぱり、狙いは竜刻なのよ。この時期、力が高まるというダスティンクルの竜刻」 「この土に混ざっているモノ、ですネ」 アルジャーノはミミズをつまみあげると、ちゅるんとすすった。 領主館を辞した3人と合流する。 荒らされた畑を調べてきたモービルが戻り、特に不審な痕跡はなかったと報告した。 「次にミミズがあらわれる場所。簡単ですよネ」 「まだ荒らされていない畑」 ディーナが、地図を指す。 「すぐ近くの畑が昨夜。だからたぶん、ここは今夜」 「俺も連中の狙いは土に含まれている竜刻だと思う。それで何をしようとしてるかわからないけど、なにか良くないことに決まってるんだ。特徴からして、姿を見られているふたりは、たぶんヌマブチさんと――百足兵衛だ。その畑で、今夜、待ち伏せするか」 優が言った。 「ええ、頼める?」 「頼める、ってディーナさんは?」 「私は森を調べてみる」 「ええっ、一人で? 夜の森を!?」 「……どうしたの、健? 夜目が利く人は……分かれるべき。気になる情報があるの」 「森に幽霊が出るんだって」 モービルが言った。 村人たちのあいだでは、畑が荒らされる事件とともに、その噂が囁かれていた。 「私も行ってみたいですネー」 アルジャーノが挙手した。 畑の土は十分味わいましたし、と小さく呟きつつ。 「じゃ、森は私とアルジャーノ。健たちは、畑を。お願いがあるの」 日暮れが迫るなか、かれらはてきぱきと準備を進めた。 そして宵闇の訪れとともに、ディーナとアルジャーノは森へと分け入ってゆくのだった。 「……あのふたりなら平気だと思うけど。ところで坂上さん、ディーナさんにずいぶん気を使っているようですけど、なにか……」 「そこは聞くなッ!」 血を吐くように健は言った。 * 「もし娘だったら、妻に似ているといいなあ、と思っているんですよ。きっと奇跡のように可愛いでしょう。でも息子でももちろん構いません。愛する妻が産んでくれた子ども、私たちの子どもですからね」 「いいかげんにして」 冷たい声だ。 キャンディポットのひややかな瞳が、灰人をねめつけた。 「あなたの話なんか別に聞きたくないわ。いいえ。何の話だろうとしたくないの」 「うるさかったらすみません。でも、せっかくこうして」 「黙ってと言っているでしょ!」 彼女の憤りに呼応したように、沼地の水がごぼごぼと泡立った。 よどんだ水面を割って、それが姿をあらわす。星明りにてらてらと光る、粘液に覆われた肉塊だ。でたらめにうごめき、収縮を繰り返しながら、沼の中でのたくっていた。 「なにを怒ってるのでありますか。騒がしい」 ふたつの影が近づいてきた。 「百足兵衛。今夜はこいつも連れて行って頂戴」 「マスカローゼさんには、あなたといろと言われているんですよ」 灰人は言いながら、キャンディポットと百足兵衛を見比べる。 「そういうことでありますよ、キャンディポット。……では、小生とヌマブチは今宵も出かけてくるであります」 百足兵衛は二重回しから出した腕を、なれなれしくヌマブチの肩に回して言った。 ヌマブチは無言のまま、すたすたと歩き出す。 「ヌマブチ。例の件は考えてくれたのでありますか。なに、初めて入れられるときは少し痛いが、すぐに気持ちよくなってくるのでありますよ……」 百足兵衛の話す声とふたりの足音が遠くなるのを聞きながら、灰人は沼地の中のそれへ目を遣った。 「……あとどのくらいで、育ち切るのですか」 「もうすぐよ」 キャンディポットは言ってから、灰人に答えてしまったのが癪だとばかりにそっぽを向いた。 「今度よけいなことを話しかけたらあんたをこの子の餌にするから」 灰人は倒木に腰を下ろすと、平然と続けた。 「お座りなさい。疲れるでしょう」 「わからない人ね。……ああ、はやくこの子を使って、この世界を終わらせたい。みんな死ねばいいのに。この世界の人間も、あなたも、わたしも」 3 夜の底が、ざわざわと波立つ。 カボチャ畑の端に立つ人影がさっと手を振ると、畑の土がぼこり、ぼこりと盛り上がり、やがてそれが縦横無尽に移動を始める。地を這い、土を喰うものたちが、その下にいる証左だ。 「さあ、たっぷり喰らえ」 すうっ、と雲が流れて、ヴォロスの夜空に月があらわれた。 百足兵衛だ。青白い月影に照らされた横顔には、酷薄な笑みが宿っている。傍らにはヌマブチ。彼はかすかな月明かりにさえ、おのれの姿を晒すまいとでもするかのように、軍帽の鍔を引いた。 そのときだ。 轟音――! 夜空に立ついくつもの火柱。熱い爆風に、ふたりのインバネスが煽られる。 「何……!」 黒衣の《蟲使い》は、使役する大ミミズを放った畑が次々に爆発を起こすのを見た。ぼと、ぼと、と音を立てて降ってきたものは、吹き飛んだミミズの肉片だった。 「爆弾か」 低い声でヌマブチが言った。銃剣に手をかける。 瞬間、月が陰った。振り仰ぐと、月光を背景に急降下してくる影がある。 ギィン、と鋭い音が弾けたのは、ヌマブチの銃剣が振り下ろされたモービルの大剣を受け止めたのだ。竜人はさっと引いて空へ。 入れ替わるように、駆け込んでくるのは。 「ヌマブチさん!」 優だ。トラベルギアの剣を手にしている。 「貴様! よくも小生の蟲たちを!」 割りこむように百足兵衛が立つ。 「どけ! おまえに用はない!」 剣の切っ先が空を切る。 バックステップでかわした百足兵衛の、振り上げた手の皮膚を内側から突き破って、節足のある蟲の爪があらわれた。 「仇ならこっちだぞ、蟲野郎!」 健の声が百足兵衛の注意を引きつけた。その隙に、優は先へ。百足兵衛は舌打ちしつつも、健に向き合う。 「ディーナさんのC4は効果抜群だな。ミミズが粉々だ。カボチャ畑も吹き飛ばしちゃったけど」 「勝ったつもりか、小僧」 百足兵衛が、一足飛びに間合いを詰めた。 「ヌマブチさん!」 一方、優は彼に駆け寄る。 「酒場のツケ、かなりたまってますよ」 「……」 軍帽の影でまなざしの色は見えない。だがわずかに、首を傾げたようだ。 「ヌマブチさんが帰ってくるまで、みんな、ヌマブチさんのツケで飲んでるから。今すぐ帰って来てとは言いません。でも長引けばすごいことになるから覚悟しといて下さいよ。灰人さんにもそう伝えて――」 「優!」 横合いから飛び込んできたのはハルカだった。 優にタックルして、そのまま転がる。せつな、爆発が地面を吹き飛ばした。 「な、なに」 「本気なのか」 ハルカの足が土を蹴る。 「これが今の自分の任務だ」 突き出された刃の下をくぐり抜けるハルカ。 「仲間と戦うことになっても」 「そういうものだ」 大きな音を立てて、再び地面が火を吹いた。ハルカが土のうえを転がる。脇をかすったようだが、頓着せずに立ち上がった。 「そう、俺もそうだった。命じられれば、なんだって」 「それがしらはこのヴォロスに災厄を育てている。任務を授かったからにはやり遂げる」 「本気で言ってんのか」 優がハルカに加勢しようと近づく。だが小規模な爆発が阻むように火が走って進めない。 「なんだ、この力……これが……」 ツーリストであっても、かつてのヌマブチにはなかったはずの能力だ。 「くそ。覚悟したつもりだったのに」 それでも、その一瞬、再会の喜びがまさってしまった。優は奥歯を噛んだ。 「企みは止める」 ハルカが言った。 「ヴォロスの人たちの暮らしは護ってみせる」 「そうか。ならそれがしらをどうにかせねばな」 「殺すことは任務に含まれていない」 「殺すでなく止めようと思うならば、この腕引き千切る心算で来い」 ヌマブチを中心にした、その周囲がいっせいに炎に巻かれた。ハルカも巻き込まれたはずが、姿がない。離れた場所に瞬間移動していたのだ。 それだけではない。畦道の転がっていた石が宙に浮き、猛スピードでヌマブチに襲いかかる。ハルカの念動力だ。 ヌマブチはいくつかは弾き返したが、すべては避けきれず、打撃を受けて呻きをあげた。 その間、百足兵衛のほうは、健とモービルの相手をしていた。 「なにが目的だ! ワームの材料探しか、それとも世界樹用の栄養探しか!」 健のトンファーを百足兵衛が受け止める。 そこへモービルの大剣が襲いかかった。腕もろとも、百足兵衛を切り裂いたかに見えたが、兵衛は涼しい顔だ。傷口にのぞくイトミミズのような奇怪な回虫めいたものが、断たれた骨肉をつなぎあわせてゆく。 「どちらであろうと貴様らは邪魔をしにくるのであろう? 小生とて同じでありますよ」 そのときだった。 モービルがふいに夜空を見上げる。 「あれは」 月を横切ってゆく小さな影。 鳥――だろうか……こんな夜半に? 否、あれは――。 「セクタン!」 「えっ? あっ、オウルフォーム」 健は思わず、自分のセクタン、ポッポの所在を確かめるが、相棒は変わらずそこにいる。ということは。 「灰人さんか!」 すっく、と三日月灰人は立ち上がる。 傍らでは、樹の幹にもたれてキャンディポットがうたた寝していた。その肩には灰人の上着がかけられている。 てのひらの中で、木製の携帯端末を操作する。呼び出しに、応答がない。 灰人は、はっと顔をあげた。 足元に置いていたランタンを拾い上げ、シャッターを開くと、灯りの中にあらわれた、きょとんとした表情のアルジャーノと目が合う。 「あ。お疲れ様でーす」 たまたま知り合いにでも会ったというような調子で――アルジャーノにしてみればまさしくそのとおりなわけだが――彼は言った。 「キャンディポットさん!」 灰人が声を張り上げ、少女が目を覚ます。 ざばぁ、ん、と激し水音を立てて、沼地からそれが立ち上がった。月明かりの下に伸び上がった腐臭を放つ肉塊だ。その表面からはえた触手が槍のように鋭くアルジャーノを襲うが、アルジャーノは逃げることなく刺されるままに任せる。 「なるほど、なるほど」 貫かれた場所から溶けて、反対にワームの体表を包み込んでゆく。 「これは新しい発想ですネ。ワームの竜刻風味とは!」 「っ!」 キャンディポットは声にならない怒りの吐息とともに立ち上げった。 その手の中に、色とりどりの飴玉を収めた瓶。彼女の手がその蓋にかかったとき。 「動かないで」 「!」 背後に立つディーナのサバイバルナイフがぴたり、とキャンディポットの首筋にあてられた。 「手に持っているものを離しなさい」 「よくも……」 ふたりとも、しかし、次の行動はとれなかった。 灰人がディーナに体当たりをくらわせたのだ。 「……っ」 「逃げて!」 「あ、あなた……」 天分の身体能力に訓練を受けたディーナが灰人の動きをとらえられないはずなどない。だが灰人は瞬間に空間を飛び越えて間近に出現したのである。ディーナはとっさにナイフで浅く斬りつける程度しかできなかった。 「マスカローゼさんに知らせて下さい、そしてヌマブチさんにも」 「何なのよ」 切られた腕から血がしたたる。 「貴女は守りたいんです。せめて貴女だけは」 「……」 キャンディポットは駈け出していった。 沼地の中ではのたうちまわるワーム。液状化したアルジャーノに身体を半ば包み込まれている。 「……あんなものを育てるためにここへ来たの」 淡々と、ディーナは言った。 「ええ。私の今の仕事ですから」 「投降してくれると助かる。ほかに方法がなければ、私はキミを殺さなくちゃならない。それはできれば避けたいの」 「あいにく、今はまだ帰れません」 灰人のロザリオがひらめき、銀色の光線を放った。 ディーナが飛びのく。 「リオくんという子と、会いました」 灰人は言った。 「私が知るターミナルの子どもたちとかれらは違う。かれらは旅団に依存している。旅団が提示した価値観を絶対の物と信奉し、利用価値がなくなり切り捨てられる事を恐れている。あるいは、生きる意味を見失ったまま、唯々諾々といいように操られている。キャンディポットさんのように」 夜の森の、闇を咲く銀色の光線。ディーナはあざやかに避け続けながら、灰人の言葉の続きを待つ。 「樹木の塔で、私は思った。かれらを残し、私だけ安全な場所に戻るわけにはいかないと」 「だからって、旅団の侵略に手を貸すの?」 「子どもたちのことだけじゃないんです。侵略と貴女は言うが、本当にそうなのか……。私は旅団に属する園丁の思惑、そしてその善悪をこの目で見極めたいのです」 「こんなの善なわけないだろ……!」 声。 そして、炎だ。 森の木々、その樹冠や枝葉に炎がともり、煌々と夜を照らし出した。 光をあびて、ワームは沼地の底へ沈もうとしたが、もうそれには、さほどの力も残されていないようだった。 炎の中をまっしぐらに飛んでくるのはモービルだ。その両腕に、健と優がひとりずつぶら下がっている。 ごう、と草叢の中を火が走る。 灰人のまえに、彼を守るようにしてヌマブチが立った。 「大事ないか」 「ええ」 4 「ヌマブチぃ!」 遅れて、百足兵衛が姿を見せた。 あちこちに、傷口が開いた無残な姿だったが、その傷口が蟲によって修復されてゆくのがまたおぞましい。 「おまえ、逃げるのを装って連中をここへ案内したな。どこまでも小賢しい」 「この期に及んでは徹底が最善の戦略でありますよ」 「何してんだよ、お前ら?! おかしいだろ、それはワームなのか」 健が呼びかけるが、ふたりは固い表情のまま。 そこへ、ハルカが突如として出現した。 灰人が反応するよりも早く、トラベルギアを持った手をねじりあげる。 苦痛に声をあげた灰人だが、次の瞬間には、忽然と消え失せている。 「瞬間移動。それで神出鬼没だったのか。それが灰人さんがもらった『部品』なんだな」 と、優。 相手を失ったハルカに、ヌマブチが突進する。 ハルカはその勢いを利用して彼をあざやかに背負い投げ、沼の水の中に叩き込んだ。だが同時に、ハルカの身体がぼっ、と火に包まれる。だのにハルカは落ち着き払って自身も沼に飛び込み、火を消すと、よろよろと立ち上がるヌマブチに迫った。 「ハルカさん、危ない!」 優が警告を発しながら走った。今度は、暗い水中からワームの触手がハルカを襲い、からみついたのだ。これはそうたやすくはしのげない。締め付けに顔を歪めるハルカに優が駆け寄り、剣をふるって触手を切り落としてゆく。 その間に、ヌマブチのそばに灰人があらわれ、彼を助け起こす。 「さ、行きましょう。百足兵衛さんも早く」 「後輩の分際で小生に命令を」 忌々しげに言い捨てながら、背中から昆虫の翅を生やして舞い上がる。 「灰人さん!」 優が叫んだ。 「みんな……心配してる。そして……信じていますから……!」 いらえは、なかった。 「一気にいく。手を貸してくれ」 触手から自由になったハルカが言った。 「はい!」 ハルカはワームへと意識を集中する。その動きが、止まった。目に見えないなにかに抑えつけられているようだ。それでも、末端の触手はいまだ自由で、先端を伸ばして攻撃してこようとする。 それを、ずばり、と斬り落としたのはモービルの剣。 そして、優の周囲に展開する防鏡壁。 その数秒がしのげれば十分だった。ハルカの全力の念動力が、ワームを押しつぶし、引き裂いてゆく。 「こんなものは……一片も残しちゃいけない……!」 両の手のひらを突き出すと、ずたずたにされた肉塊を一瞬で引き寄せる。それにハルカが触れたと見えた瞬間、カッと白光が夜の森を真昼のように照らし出し……あとには、もう何も残されていなかった。 「……っ」 「だ、だいじょうぶ!?」 ぐらり、と傾いだハルカの身体をモービルが受け止める。 「ワームは!?」 「ぜんぶ……『分解』した……」 荒い息を吐き、玉の汗を浮かべながら、ハルカは応えた。 『……せっかくの、先生の計画を』 その女の声は空から降ってきた。 銀の円盤が、そこに浮かんでいる。 「おまえらの悪巧みは終わりだぞ! 灰人さんとヌマブチさんを返せよ!」 健が、円盤に向かって声を張り上げる。 しかし、それにはもはや答えはなく、円盤は回収すべきワームがもういないと知ると、そのまま夜空へと高度を上げて飛び去ろうと――したようだった。 「見て」 ディーナがゆび指した。 「アルジャーノだわ」 見れば、円盤の外壁にそれが張り付いているのが見える。液状化したアルジャーノだ。そう言えば、当初はワームを喰らっていたのに、いつのまにか姿を消していた。 「コンニチワー。このまま飛び立っても良いですケド、お腹減ったので全力でこの船食べますネ! 床に大穴が開いててもお家帰れますカ?」 床面を侵食してあらわれた液体金属の一部が盛り上がり、アルジャーノの上半身になった。 「なんてことを!」 まだ年若い少女であった。 ヴォロス風の服装に、顔の半分を仮面で覆っている。 「アナタが責任者ですか? ちょっと聞きたいことがあるんですけどネ」 アルジャーノは言った。 「カンダータのヒトたちにロストナンバー化の技術を教えたのッテ、アナタたちですか?」 「何を言っているのかわかりませんわね」 仮面の少女が手をふるうと、白い粘液のようなものが放たれた。それはべたり、とアルジャーノの顔に張りついたが、そのままどろりと液状化したアルジャーノに飲み込まれてしまう。 「あれっ、コレ、ワームじゃないですカー。お嬢サンは、ワームでもないのに、ワームの細胞を出せるんですカ? ……質問その2。世界樹っておいしいですか? 葉っぱとか持ってたら味見させて下さい!」 ごん!とそのアルジャーノの頭を、ヌマブチの銃の台尻が叩いた。 「出ていけ!」 「このナレンシフも世界樹から生み出されたものですよ。だから味見は済んでいるのではないですか」 灰人が、静かに言った。 「ア、そうなんですネ。いやー、なんか、シュワシュワした味だナーと」 そんな言葉を残して、アルジャーノはどろどろと溶けて消えていった。 しかしそのあとには穴が開いたまま。 地上でなりゆきを見守っていた仲間たちは、アルジャーノが剥がれ落ちたあと、実に不安定な様子で飛び去るナレンシフの姿を見た。 * * * 「念のため、もうすこしここへいて、様子を見てほしいそうだ。必要なら援軍よこすってさ」 優がノートから顔をあげ、世界図書館からのメッセージを伝えた。 「そうしていただけると安心だわ」 領主メリンダがにこりと微笑む。 「昨年同様、みなさんにも舞踏会に参加していただきましょう」 「え」 健が思わず上ずった声を出した。 百足兵衛が使役していた大ミミズの群れは倒され、森の沼地で育っていたワームはハルカのおかげで完全に消滅した。おそらく、世界樹旅団の計画は、竜刻を含んだ土を与えてワームを育成するということであったらしい。 その計画が頓挫したことで、ダスティンクルに訪れようとしていた災厄は未然に防がれたことになる。 だが、烙聖節が終わるまで、この地の竜刻の力の高まりは去らないため、まだ周辺に世界樹旅団が潜伏していないとも限らない。 そこで、メリンダの意向もあって、祭りにはターミナルから大勢のロストナンバーが参加することになった。 ロストナンバーたちで賑わっていれば、旅団が暗躍することもできないだろう。 名産のカボチャをくりぬいてつくった提灯に火が灯され、夜を彩る。 災いが去ったダスティンクルに、祭りの華やぎが訪れようとしていた。 (了)
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