ハンスは唖然としていた。 図書館で仮の旅客登録‥‥パスホルダーとトラベラーズノートが渡されたかと思ったら目つきの鋭い縦ロールの少女が働いているパン屋に連れてこられたのである。「あんたがハンス? ふぅーん」 ゴシックロリータの衣装を着たままでパンを並べていた飛鳥がハンスの姿をみかけると値踏みでもするかのように頭からつま先まで見てくる。「ここがメランジェ・ブーランジュできみが飛鳥黎子?」 パン屋に似合わない子が出てきたのでハンスは念のために確認をとるが、そこが飛鳥の気に触ったらしい。「しゃきっとしなさいよ! ちゃんと図書館の人に連れてもらってきたんでしょ?」「この世界で住むために職場をみつけておくということで‥‥紹介してもらったよ」 この手の女性に対してはどう接したらいいのか分からないハンスは状況説明だけを何とか済ませる。「メランジェ・ブーランジュで働くことは店主には承知してもらったわ。でもそれだけじゃだめよね」 飛鳥はため息をもらしてハンスを見下ろした。 とはいっても身長が飛鳥の方が高いわけでなく、飛鳥が段の上にいるからである。「住むところも見つけないとだめだし、ターミナルの常識を教えてあげることも必要……本当に無害な人物なのか、念のため、しばらくは監視したほうがいいかも」 ギロリともいえる女性らしからぬ擬音を持つ瞳に睨まれたハンスは何もいえない。いえるわけがない。「身元引受人をやってくれる人がいればいいんだけど……って、なんで私がこんな面倒な仕事を!」 バンバンと怒りに任せて本を机に叩きつけているときに、飛鳥が何かに閃いたようだ。「そうだ、こんなときこそロストナンバーを呼んでやらせればいいのよ。そうよ、そうだわ! ほら、ハンスも来なさい!」「は、はぁ……おれこそなんでこんな人に面倒をみられなきゃいけないのかな……ああ、戦いなんかしなきゃよかった」 強引に腕を引っ張られるハンスは心の中から後悔する。 ハンスの運命は飛鳥と呼び出されたロストナンバーにゆだねられることとなった。
~ハンスの大冒険?~ おれの名前はハンス。 世界樹旅団にいたけれど、今は0世界のターミナルに住まうことになる予定のパン屋だよ。 目つきの悪く、黒いゴスロリに身を包んだ飛鳥黎子って女の子の働く『メランジェ・ブーランジュ』に一時的な住み込みということになったんだけど……。 さすがにちゃんとした住まいが欲しい! だって、住み込みといっても部屋が無くて床に毛布ひいて寝たんだよ! 居候にしたってありえないだろ、この対応。 「ほら、ハンス。起きなさいよ、朝の仕込みよ! それに今日はロストナンバーと相談もあるからね」 おれが昨夜までのことを起きながら回想していると家主ではないが、おそらく一番偉そうな当人がやってきた。 まだ、朝(?)早くだというのに騒がしい……パン屋としてはわかるんだけどさぁ。 「ロストナンバーと相談というとおれの住まい?」 「そういうこと。モーニングを食べつつ順番を決めて一箇所づつ寝心地をみながら回るわよ。どう、この優しさ。あなたは私に感謝しなさいよね!」 「そこは感謝するけど、現状の人使いの荒さは感謝できなごっ!?」 おれの言葉は飛鳥のキックによって塞がれてしまった。 本当にもっといい保護者とか見つかるといいなぁ……。 *** そうしてパンが焼きあがったときくらいに5人のロストナンバーとカフェスペースでの朝食兼顔合わせが始まったんだ。 見た目が人間なのはおれとしてもすごく安心できる。 飛鳥みたいに怖い人じゃないといいなぁ。 「私は日和坂 綾、よろしくね。……身元引受けってか下宿、ウチでもイイけど? 私のトコは学校型チェンバーだから、空いてる部屋だけならいっぱいあるもん。寝るのも合宿所とか茶室とか保健室とか守衛さんの当直室とかさ? ……当直室か茶室がイイかなって思うけど」 焼きたてのパンを口にしながら赤い服を着ている女の子が名乗りながら早速下宿先の紹介をしてくれた。 いい子だなぁというのが率直な感想で、スポーティというか元気で可愛い感じが好印象。 「ゼロが駅前広場でまどろんでいるといつぞやのように飛鳥さんが現れ、『貴女は暇なようだから、明日はウチにくるように』という内容を告げたのでこうしてきました」 次に話しかけてくれたのはシーアールシーゼロという名前の女の子だった。 ものすごく年下だけど銀色で長い髪は手触りがよさそう。 「飛鳥らし……なんでもアリマセン」 ギロッと話題の主から睨まれたのでこれ以上は何もいえない。 「俺は月見里とかいてヤマナシだ。大工をやってんだぜ。ロストナンバーな先輩に妹いるな。あ、妹可愛いよ、妹。写真みるか?」 いきなり妹の写真を見せてきた体格のいい男の人は月見里眞仁といった。 背が高く体格もいいので、大工というのは納得がいく。 頭に白い布を巻いているのが職人らしかった。 「おれはハンス。職人同士というか仲良くしてくれると嬉しいなぁ」 「俺も覚醒したのが一ヶ月くらい前だからよ、よろしく頼むぜ! ええと、何だっけ、基本はナレッジキューブで代金を払う。でも、その人が認めたら物々交換も良い、んだっけ?」 あんぱんを齧りコップに入った牛乳を飲みながら眞仁は隣にいるサングラスを頭に乗せた若い女性に声をかけてる。 「それで……あってる。このギドニーパイ美味しいよ、ハンス。私はディーナ。ディーナ・ティモネン」 ディーナと名乗った女性は小さな口にギドニーパイを頬張りながら説明を肯定している。 なるほど、買い物はナレッジキューブなんだ……あれ、もっていたっけ? 小さな疑問を頭に浮かべていると、ディーナはフランスパンを手にした。 「パンは何でも好き、だけど……フランスパンと、ナンは凄く好き、かも」 はにかみながら木の実を齧るようにフランスパンを食べるディーナはリスみたいだなぁ。 「何、デレデレしてんのよっ!」 「いったぁ!? 蹴った、今、脛を蹴ったよねぇ?」 「ハッハァ! この初々しさ! 初めてココに来た時の事を思い出すぜぇ……」 飛鳥とおれのやり取りをみて何を思ったのか、軟派なサーファーっぽい男がしみじみと語っていた。 何が初々しいのか説明をして欲しいくらいなんだけど、聞いてくれそうもない。 「俺はその日の内に慣れたがな。だって美人多いんだよココ! 今日も美人からカワイコちゃんまでいるからいいよねぇ」 サーファー男―カーサー・アストゥリカ―は集まっているメンバーをぐるりと見回して下品な笑顔を浮かべていた。 可愛い子や美人がいるのは同意するけど、見た目より凶暴なのもいるんだけどさぁ。 「ふふん、貴方わかっているじゃない。もっと褒めてくれてもいいのよ!」 上機嫌な飛鳥をちらりと眺めながらおれは食後の紅茶を口にした。 「それで各自の紹介する物件を皆で見て回るって感じなのかな?」 「ええ、そうよ。希望者は寝泊りもしてOK。ハンスは必ず泊まりなさいよ、あんたの居場所を探しているんだからね!」 飛鳥も紅茶を口にしつつ胸を張って上から目線で行動を発表する。 生意気なところはあるが面倒見は割といいんだよなぁ、飛鳥って。 「さぁ、くじ引きで決めるわよ。さくっとね」 気が付けば当人の意見を無視して飛鳥はノリノリで誰からやるかのくじ引きを始めていた。 ~一軒目 一戸建てなのです~ 「これがハンスの新しい住居なのです。寝室はこだわっているのです」 無表情ながらもどこか得意げにゼロは語っていた。 目の前でドールハウスを持って巨大化し、ゼロだけ小さくなって作りだされたハンスの家はとある戦国武将の逸話にある一夜城の如く目の前に現れたのである。 ハンスもそして同行していたものも驚きを隠せず、しばし何も言えなくなっていた。 「電気や水道はこれから職人さんにつなげて貰えばおーけー。中にはいるといいのです」 ガチャっと扉を開けてゼロが皆を案内しはじめる。 元がドールハウスのために中に入ると家が巨大化したというよりも自分達が小さくなった気分を皆味わっていた。 「こいつぁ、すげぇな。こんな家を量産されたら大工としちゃあ職に溢れちまうぜ」 デジタルカメラで内部と共にハンスを撮影する眞仁は豪快にわらっている。 「でも、ちょっと少女趣味過ぎるかも……そういう意味じゃオチつけないなぁ、おれ」 「以前にも巨大化するのをみたけど凄いわね。ベッドもふかふかじゃない」 家具などを触りながら飛鳥は上機嫌だった。 「あ、一つだけ……『あげたんじゃないので収入から返してなのです』っていうのが相手の自尊心を傷つけけない正しい作法だそうなのです」 「そうかもしれないけどさぁ、最後は言わないのが華ってやつじゃないかなぁ」 苦笑するハンスではあったが、楽しそうではある。 「寝心地を確かめるために寝るのです。ゼロはソファーで寝るからハンスがゼロの監視をして寝るのがいいのです」 おいおい、それは逆だろとゼロの言葉に心の中でツッコミをいれるロストナンバー達であった。 ~二軒目 男同士の語らい~ 「ここってばすばらしぃんだぜぇ? 俺にとってとっておきの穴場だ、昼間は普通なんだが、夜は俺達が喜びそうな映画をやってるんだぜぇ? お前も好きだろ、こういうのは!」 日を新ためてカーサーが案内したのはある種の男らしさを感じるところばかりだった。 子供がみてはいけない本の品揃えがいい本屋や、店員の可愛いカフェとかである。 ウリウリとヘッドロックをしながらハンスをいじる姿は様になっていた。 「あははー、そこはノーコメントにさせてもらうよぉ」 女性陣の視線に痛さを感じるハンスは乾いた笑顔で答える。 ちゃんとトラベラーズノートにメモをしているのであまり意味はないのだが……。 「そのノートには相手の顔と名前、そいつが今いる世界がわかればいつでもどこでもやりとりできる機能もあるんだぜ? あ、これは妹との受け売りな」 ひょこっと顔をだした眞仁がにぃっと笑ってカーサーの反対側からハンスに絡んだ。 いつも連れているセクタンを空に飛ばしてこっそり観察も忘れない。 二人に絡まれながらも町を歩くハンスの顔はどこか嬉しそうだ。 「ハッハッハ、平和なモンだろ! まぁ平和さを感じるなら他にもイイ場所あるんだけどな、俺ぁ男としてお前と向き合ってみたかったんだよ。単純に人となりを見んのは得意じゃねーしさ」 ハンスの表情にカーサーは背中をバシバシ叩き子供のように笑う。 「何でこんな人たちと戦わなきゃいけなかったのかなぁ……はじめっからここに来てればよかったよ」 「いい奴だなぁ、ここが俺のオススメっていうか、俺の住んでるマンションだ。せっかくだから、中見たついでに今夜は酒でも飲んでパァーっと騒ごうぜ」 こうして二日目はカーサーの住まうレンガ造りのマンションで一夜をドンちゃん騒ぎで過ごすことになったハンスであった。 ~ピクニックでパニック~ この日は綾がメインでハンスに町を案内していた。 「この辺がバザールで、日常品は大抵ココで買ってるよ」 「コロッセオ。戦闘訓練施設なんだけど……ハンスさん向きじゃないか」 「飲み屋さんは……私が入れないからなぁ。喫茶ならクリパレとかエウレカ? 行ってみる?」 「また日を改めて頼むよ」 活発な綾らしくグイグイとハンスを引っ張るように案内をするのは頼もしい。 「パン屋さんって朝の3時からパン焼くんでしょ? ウチの近所はそうだったけど」 「そうだよ。飛鳥のところでもそんな風にお世話になってる」 こき使われているとは言いたくても言えないハンスだ。 「パン屋さん、体力勝負だって、知ってる。仕入れた小麦、毎回積み替え。一番下が、一番新しい。ケーキ屋さんも、同じ。ケーキ屋さんに通ってたら……教えてくれた」 「よく知ってるね。早起きもしなきゃいけないし、小麦も重いし、結構大変なんだよなぁ」 しみじみパン屋で働いているときに苦労を語るハンスではあるが、辛そうな様子はこれっぽっちもみせない。 街を雑談しながら歩いていると色々な人とすれ違い、綾が挨拶を返していく。 「そうです。ターミナルの常識で言い忘れていたことがあるのです。異なる常識の住人が混ざり合う場所なので、異文化に寛容であれば何とかなると思うのです。たぶんそこは世界樹旅団も同じだと思うのです」 「見た目が同じでも世界が違うと常識が違うもんなぁ、それは分かるよ」 ちらりとハンスは飛鳥を見たが、視線を返されると顔をそらした。 「男の人が女性の服を身に着け、『男の娘』と呼ばれるのがターミナルの流行だそうなのです。飛鳥さんとお揃いのゴスロリ服がハンスさんのラッキーファッションだと思われるのです」 ぐっと無表情に親指を立てるゼロ。 「いくらラッキーでもおれは着ないよ……ええっと、お昼とかはどうするんだったっけ?」 「今日は、ホットサンド、いっぱい作ってきた。ハンスは、パン屋さんだから……パンが好き、かなって。お昼、みんなでピクニック、しよう……近くの公園までだけど」 「おー、いいねー! ディーナさんの手作りパンも楽しみだー」 綾の肩に乗っているセクタンのエンエンも尻尾を振ってご機嫌である。 「うん……じゃあ、いこうか」 お昼ということもあって街中は人が増えてごった返してきた。 路上のいくつかには露店が並び、おいしそうな匂いをたてている。 「私、軽食屋さんで……バイトしてて。キドニーパイ、好きな人がいるのに……上手くならなくて。どうしたら良い、かな?」 人ごみの中、ハンスを案内すると共に聞きたいことを聞いておきたかったディーナは喧騒にまぎれてしまいそうな小さな声でハンスへ尋ねた。 「具をいためるときに生クリーム入れてる? 意外かもしれないけどそれで深みが変わるからさぁ」 「そうなだ……今度、ためしてみる……ね」 ほわっと柔らかな微笑をディーナは浮かべるものの、瞬時に曇る。 「あ……公園、こっちだったかな?」 「へ?」 ついつい案内を買ってでたディーナだったが、方向音痴であったことに今気づいた。 雑踏にまぎれて他のロストナンバーや飛鳥ともはぐれてしまっているので今がどこなのか分からない。 「久しぶりに、迷子、かも。ハンス……帰り道とか、分かりそう?」 「とりあえず、お店の人に聞きつついくしかないかなぁ」 ため息をつきつつもハンスはディーナの手を取って歩きだした。 数時間後、到着したのは公園ではなく、綾の学校ではあったが合流を果した二人はほっと息をつく。 「ゴメン……疲れた、よね?」 「パン屋は体力がいるから大丈夫だよ」 「で、心配させておいて手を繋いでくるとはどういうつもりなのよ! ちょっと、説明しなさいよ!」 微笑みあうハンスとディーナの空気を壊すかのごとく飛鳥のフライングドロップキックが炸裂した。。 ~三軒目 夜は学校で運動会?~ (身元引受けってか下宿、ウチでもイイけど? 私のトコは学校型チェンバーだから、空いてる部屋だけならいっぱいあるもん。寝るのも合宿所とか茶室とか保健室とか守衛さんの当直室とかさ? ……当直室か茶室がイイかなって思うけど) 最初にそう口にしたとおり、学校の案内を始める綾。 保健室で手当てをし、昼食から夕食に変わったホットサンドを食べた後で学校を回っているのだ。 「俺も教師なんだけど、体育の教師をやりたいんだよなぁ」 「カーサーさんが体育教師ってイメージが違いすぎるんだけどー」 金髪にサングラス、硬派というか軟派なカーサーは綾のいうように体育教師らしくない。 「あとは家庭科室あるから、朝からパン焼いて貰えれば私もウレシイし」 「あはは、確かに学校なら設備には困りそうもないよね」 ハンスは苦笑を浮かべながら周囲を見回していると、グラウンドで何かが遊んでいるのが見えた。 「うわっ、ゆ、ゆうれい!?」 「あー、ススム君だね。一言で言うと……学校の精霊、かなぁ? 壱番世界じゃ家にブラウニーって精霊がつくんだけど、その学校バージョンな木製人体模型だよ? どの学校にも居るんだ」 「俺は見たことねぇよ、あんなの」 断言をする綾にカーサーが突っ込みをいれる。 「同居人がああいうのかぁ」 「80体くらいいるね。夜になると動き回ってて楽しいよ?」 さらりという綾から皆が一歩下がったのは仕方のないことだった。 ~総評~ 一週間があっという間に過ぎた。 再び『メランジェ・ブーランジュ』に集まり朝食を食べている一堂の視線はハンスに集中している。 怪しいそぶりはこれっぽっちもなく、至って普通の青年であるハンスがどこに住むのか興味津々なのだ。 「一週間いろんなところを見れて、仲良くしてもらって、おれ嬉しかった」 緊張した面持ちのハンスは静かに立ち上がって話す。 「とりあえずのところ、カーサーさんの隣部屋に行こうと思うけど収入は『メランジェ・ブーランジュ』で働くことで得ていきたいかなと思ってる」 「そう、あのドールハウスは小さくしておくのです」 「ハンスのパン美味しいかったから、買いに来る、ね」 パチパチとハンスの発表に拍手をおくるゼロに柔らかに微笑むディーナ。 「おう、こっちもこれからよろしく頼むぜ! 大人の男らしい付き合いもこれからしていこうじゃないか」 「じゃあ、早速今夜はハンスの引越し祝いって事で家で飲もうか。俺ぁ歓迎するぜ?」 眞仁とカーサーもハンスが0番世界に住むことを喜んだ。 「ハンスさん、困ったコトあったらいつでもウチに来てイイからね? 少なくとも寝床と食材には困んないよ」 「あんたの場合は食材に困ってないけど食事に困ってるんでしょ。自炊しないさいよ、いい年なんだからさ」 どこか諦めきれない様子な綾とそれをジト目で見る飛鳥。 多くの人とターミナルで出会って過ごせた一週間はハンスにとって大切なひと時となった。
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