銀色の箔押しに彩られた4通の封筒は、赤い封蝋によって閉じられていた。「これを、届けていただきたいのです」 美しい女主人――《赤の城》のあるじにして、館長の後見人、レディ・カリスことエヴァ・ベイフルックは集まったロストナンバーたちに告げた。その美貌に変わりはなかったが、注意深く彼女を観察していたら、いつになく、彼女の困惑を見てとることができたかもしれない。「クリスマスに、この赤の城でパーティーを行うことになったの」 アリッサが、ロストナンバーたちに向かって言った。「大ホールを開放して、ダンスもできるようにするし、盛大なものになると思うわ」 館長はにっこりと笑った。そして、「それで、『ファミリー』の皆様にも、もちろん、出席していただきます。でないと、格好がつかないでしょう?」 と付け加え、ウィンクしてみせる。 アリッサを知っているものなら、そんな格式に必ずしもこだわる少女でないことはわかる。「格好がつかない」と思っているのはレディ・カリスだと、彼女は言外に告げているのだ。「ロバート卿に、ヴァネッサおばさま、エイドリアンおじさまに、リチャード翁と奥様。この4つの招待状を、それぞれにお届けして、出席の約束をとりつけてきてほしいの」 レディ・カリスは、あとの説明はアリッサに任せたとばかりに、彼女が話しはじめてからは視線をよそに投げていた。だからアリッサが話を続ける。 「ヴァネッサおばさまは、出席して下さると思うわ。でもわがままなところもある方だから、ご機嫌を損なわないように。失礼のないようにしてくれればいいと思うの。せっかくだから、『エメラルドキャッスル』を見学させてもらうのもいいと思う」 異世界の宝石のコレクターとして知られるアリッサの大叔母。ヴァネッサ・ベイフルックは、『エメラルドキャッスル』という、豪奢な宮殿のチェンバーで、宝飾品に囲まれた暮らしを送っているという。カリスとは仲が良いというから、招待には応じてくれるだろう。問題は、その他の面々だ。 「ロバート卿は、とてもお忙しいようなの。でもそこをなんとか。きちんとお話すればわかって下さる方だと思うけれど」 アリッサは少し含みのある言い方をした。 このところ、とみにロストナンバーたちへの歩み寄りを見せている前館長の従兄弟・ロバート・エルトダウン。《ロード・ペンタクル》の称号で知られるかの青年紳士は、壱番世界に莫大な資産を保有する実業家でもある。礼節を重んじるロバート卿がレディ・カリスの招待を断るとは思えないが、考えられることとしては、「渋る態度」を見せるかもしれない。ロバート卿は此度のパーティの意図を見抜いているに違いないからだ。すなわち、レディ・カリスが、ロバート卿がロストナンバーたちの好感を集めすぎるのを牽制したい、という。 「エイドリアンおじさまは、もともとこうした派手な催しは好まれない方よ。でもエドマンドおじさまがいない今、エルトダウン家の年長者としては出席していただきたいの。奥様は無理だろうから、おじさまお一人でいいわ」 ロバート卿の父であるエイドリアン・エルトダウン。生来の人嫌いに加え、息子ロバートと仲が悪いとされているため、彼に出席を承諾させるのは難しいことだと思われた。 「そして一番の難関はリチャードおじいさま。春の花宴以来、おじいさまと奥様のダイアナおばあさまは、一切、公の場にいらしていないの。リチャード翁のチェンバー『虹の妖精郷』は翁の許しがなければ立ち入ることさえできない場所。レディ・カリスの招待状があれば入ることはできるけど、お二人が話を聞いてくれるかさえわからない。お二人はロストナンバーとは距離を置きたいようなの。どうにか心を開いてもらえるといいんだけど……」 どうやらこの任務、単なるお使いのように見えて、決して簡単な仕事ではないようだ。 深い森の入り口には、小さな椅子が二脚あった。大人がうっかり腰掛ければ曲がってしまいそうに細い青銅の椅子のそれぞれの上に、大人の膝丈ほどしかない木製の兵隊人形が一体ずつ、直立不動の姿勢をとっている。 レディ・カリスの招待状を示して来意を告げると、右の人形の鋭い眼がぎょろりと動いた。黒い帽子を傾け、真直ぐすぎて不躾な視線を訪問者たちに向ける。長い凝視に思わず苦情を申し立てようと身を乗り出した時、「待たれよ」 左の人形が陰険な金壷眼を瞬かせもせずに低い声を発した。椅子から飛び降り、赤い制服の裾翻して、背後の樫の巨木の幹へと向かう。どんぐりの散らばる紅葉の絨毯を踏んで、兵隊人形は樫の幹に取り付けられた人形サイズの小さな扉を引き開ける。 人の大きさでは肩まで入るのがやっとの扉の向こうに人形が消える。 手持ち無沙汰に森へと視線を巡らせれば、深い緑の常緑樹と鮮やかに紅葉した落葉樹の入り混じる、豊かで深い森が広がる。樹々の隙できらきらと虹色に光るのは、森のあちこちにあるという泉や湖の水面だろうか。 老いた樹々の梢の先には、雲ひとつない乾いた青空。穏かな秋の太陽が冷たく清浄な空気を和らげて照る。陽の光が瞬く度、不思議の力が生まれるように、丸い虹の雫が森の梢に宿る。涙の形の雫になって、落ち葉の地面に降り注ぐ。虹の雫が落ちた先を確かめようと眼を凝らして、「好奇心は猫をも殺す」 扉から顔を出した玩具の兵隊に窘められた。扉の向こうにはリチャード翁と連絡をとることの出来る道具でもあるのだろうか。 墨で描かれた金壷眼で訪問者たちを見据えたまま、兵隊は樹でできた身体を椅子の上に登らせる。そうして精一杯に背筋を伸ばす。「リチャード様はロストナンバーに会いたくはないご様子」 真一文字に紅筆で描かれた口を決して動かさずに喋る。「エヴァ様よりの招待状のみ此処で頂きましょうかと提案したが、それでは失礼だろうと奥方のダイアナさまよりお口添えがあった。まがりなりにもエヴァ様よりの使者を門前返しは宜しくないと。折角訪ねて来たロストナンバーたちも不快に思うだろうと。リチャード様は頷かれた。――なれば、」 二体の兵隊人形は申し合わせたように手にした儀仗を掲げ上げる。声揃え、言い放つ。「ロストナンバー諸君の『虹の妖精郷』の通行を許可する」 兵隊人形の声に応じて、眼に見えぬ箒に掃かれるように色とりどりの紅葉が宙に舞う。枯葉の下から、鮮やかな青い煉瓦の一本道が現れる。 右の兵隊が言う。「道を真直ぐ辿り、我らが同胞の護るこども達の町を抜けて、リチャード様とダイアナ様の待たれる城へと向かえ」 左の兵隊が訪問者を睨む。「ひたすらに真直ぐに。青い道を決して外れるな」 左右で声を揃える。「道違えれば、たちまちにして驢馬となろう」 ===========!注意!『カリスの招待状』は、同じ時系列の出来事を扱っています。同一のキャラクターによる『カリスの招待状』シナリオへの複数参加(抽選へのエントリー含む)はご遠慮下さい。===========
おもちゃの兵隊たちの声が森の入り口いっぱいに響き渡る。 黒葛小夜は華奢な両腕でドングリフォームのセクタン、小枝を抱き締める。薄緑色の身体した小枝は、微かに樹の香りがする。折り返した袖の先から覗く両手でセクタンの小枝を抱いて、小夜は黒曜石の色した大きな瞳を怖じる様子で伏せる。人見知りするように引いた小さな顎に、小枝の頭のてっぺんから伸びるつやつやの葉っぱが触れる。 (わたし、頑張るからね、アリッサ) アリッサとそう約束をしたのだ。 (折角のクリスマスなんだから) 幼い小夜には、あまり難しいことは分からない。ファミリーが抱えているであろう問題も、アリッサの明るい笑顔の奥にあるかなしみも。分からないことを、小夜は分かっている。それでもファミリーと呼ばれるのだから、どういうかたちだろうと、彼らはきっと家族には違いない。 折角のクリスマス、と小夜は心で繰り返す。家族と一緒に過ごせたら嬉しいよね。 (がんばるよ) 小夜は小枝の香りを胸いっぱいに吸い込む。 あどけない容姿によく似合う、ブルーのカントリードレスの上にまとった男性用ジャケットの肩を僅かに震わせる。小夜は緊張してうっすらと赤い顔を上げる。幼い黒い瞳で、まっすぐにおもちゃの兵隊たちを見る。 「ありがとう、ございますっ」 ぺこり、精一杯礼儀正しく頭を下げる。 兵隊たちの反応はない。椅子の上、まるっきりのおもちゃのように動かず喋らず、儀仗掲げた格好のまま。 小夜は頭を下げたまま動けなくなる。どうしよう、間違ったことしちゃったかな? 思わず固くなる背中に、優しい手が触れる。 「面会を許可して下さりありがとうございます」 同行者の穏かな声が、下げた頭の上を通り過ぎる。励ますように背中を軽く叩かれ、小夜は息を思い出して頭を上げる。見上げる視線の先には、長い黒髪のお姉さんの柔らかな笑み浮かべた横顔がある。同じ壱番世界の、きっと同じ国のひと。黒くて長い髪に、優しい笑みの似合う温和な深い蒼の眼。中学生のお姉さんかな、小夜は思う。 「行こう」 傍らにじっと立っていた黒服の女性が静かな声で言う。大股で横を擦り抜ける。銀色の髪が背の高い肩で揺れる。躊躇せずに兵隊たちの間に立ち、男装の肩越しにちらりと振り返る青く鋭い眼は、けれどどこか優しい光を帯びている。 優しい手に背中を押されて、小夜は足を踏み出す。動かない兵隊たちの間を抜けて、紅葉の中の青煉瓦の道に入る。 兵隊たちに背中を向けて歩き出す。鮮やかな紅葉の森に、青空の色した道がまっすぐに伸びる。道の傍の樹の根元や積もり積もった落ち葉の絨毯の上に、ぽつりぽつり、木製のおもちゃの人形がぺたりとうつぶせていたり、座り込んでいたり。今は動かない人形たち。 「あっ」 兵隊たちに言われた通りまっすぐに道を進もうとして、小夜は足を止めた。膝のあたりまでを覆うジャケットの裾が大きく揺れる。 「どうしたの?」 「ちょっとだけ、待ってください」 大きな声を出してしまったことに思わず身体を縮こまらせながらも、小夜は小枝を青い道の上に下ろす。 「小枝、お願い」 入り口に近い大きな樫の樹に、小枝の『みどりのしるし』をつけておいてもらう。 「これで、もし迷ってもだいじょうぶ」 一仕事を終えた小枝は、その場でのんびりゆらゆら、頭と尻尾の葉っぱを揺らす。小枝を両腕で抱き上げて、小夜は小さく頷く。 「いい考えだ」 ほんの少しだけ冷たい感じのする銀髪のお姉さんに褒めてもらって、小夜は嬉しくなる。頬を赤くしてふんわり笑う。 「そうだ、はじめまして!」 ズボンの足で楽しげに歩き出しながら、黒髪のお姉さんが笑う。足元で小枝と同じ姿のセクタンが跳ねている。長い黒髪を弾ませて、くるりと小夜を振り返る。春秋冬夏といいます、と朗らかに言う。 「冬夏って呼んで下さい」 明るい蒼の瞳に、銀髪のお姉さんが物静かに目礼する。 「セダン・イームズだ」 「セダンさん」 セダンの青い眼をまっすぐに見て、冬夏はセダンの名を呼ぶ。大きな笑顔を浮かべて、小夜の眼の高さに腰を屈める。 「黒葛小夜です」 「小夜ちゃん」 名前を呼んでくれる優しい笑顔と声に、小夜は嬉しくなる。アリッサのためにがんばらなくちゃ、と力んでいた肩から少しだけ力が抜ける。だいじょうぶ、ひとりじゃない。 「はじめまして」 冬夏お姉さんの口ぶりを真似て、思い切って挨拶をしてみる。ほんの少しだけ大人になれた気がして、小枝を抱き締めて笑う。 青空色した煉瓦の道を辿る。空を覆う、赤や黄色や橙の色した鮮やかな紅葉が風に揺れる。くるくるくるり、幾つもの螺旋を描いて落ちてくる。 「わあ」 頬や肩に優しく触れる冷たい落ち葉に、冬夏は歓声を上げる。 舞い散る落ち葉と共に、高い青空から虹の雫が落ちる。透明な虹の雫は紅葉の一葉を滑り落ち、涙のかたちになってパラパラとあちこちに降り注ぐ。七色の光が訪問者たちの周りに溢れて弾ける。 「……動いた」 青い道の上にも降り注ぐ虹の雫を受け止めようとした掌はそのままに、小夜は眼を見開く。虹の雫が落ちた紅葉の絨毯の一角が、ごそごそと盛り上がっていく。青い道から少し離れた森の中、紅葉を掻き退け、透明な猫が現れる。ぶるぶると身震いをして身体についた紅葉を払い、前肢から尻尾の先までぐうっと伸びをする。そうして、ちらりと小夜を見る。 「あっ」 小夜が何か言うより前に、透明猫は物音ひとつ立てずに駆け出す。振り返りもせずに森の奥へと走り去る。 「どこへ行くんだろう」 大人しそうな瞳をわくわくと輝かせる小夜の隣で、冬夏が不思議そうに首を傾げる。 虹の雫が落ち葉に落ちて、透明な猫が生まれる。にゃあと鳴いてどこかへ走る。虹の雫が樹の根元に座り込む木製の人形の頭を叩く。小さな乙女の姿した人形が眼を覚ます。小さな瞬きをして立ち上がり、訪問者たちに優雅なお辞儀をする。急いだ風で走り去る。乙女を追って、掌の大きさの小鹿の人形が紅葉の絨毯で身軽なステップを踏む。 「綺麗!」 小夜と並んで、冬夏は眼を輝かせる。 「すっごく見て回りたいけど、」 いたずらっぽく小夜を覗き込む。冬夏と顔を合わせて、小夜は大きな黒い眼を瞬かせる。うん、と頷く。 「招待状」 がんばり屋の小さな少女に、冬夏は微笑む。 「お二人に渡さないとね」 透明な猫や色々な人形や、あちこちで弾けて不思議を撒き散らす虹の雫に取られていた気持ちを引き締めて、二人は青い道を辿って歩く。 「まるで夢のような世界だな」 弾む足取りで楽しげに、けれどおもちゃの兵隊たちに言われた通りまっすぐに、冬夏と小夜は青い道を一歩も外れず進む。素直なこどもたちの小さな背中を視界の真ん中に据えて、セダンは後に続く。 肩から提げた鞄が不満気にごそごそ動いて、中から狐色の三角耳がひょこりと覗く。 「大人しくしていろ」 片手でその耳を押さえつければ、今度は恨めしげな眼が隙間からセダンを見上げてくる。 「はぐれたら困るだろう」 フォックスフォームのセクタン、フィーを鞄にぎゅっぎゅっと押し込めて、セダンは小さな息を零す。目前に広がる、妖精郷の森を眺める。 「……全く以って現実感がナイ」 青い瞳が考え深く細くなる。透明猫が駆け回り、人形たちが青い道を外れた場所で跳ね回る、深い森を見遣る。先を行くこどもたちが猫や人形たちに誘われて道を外れてしまわないか、しっかりと注視する。聡明な少女たちのようではあるが、ここはこんなにも不思議な場所だ。どれだけ注意しても足りないことはない。 七色の虹の雨にうたれて、先を行く冬夏が鈴を転がすような明るい声で笑う。大人しげな小夜も足取りは弾み、後姿は楽しげだ。セダンは掌を差し伸ばす。青空から音もなく降り注ぐ虹の雫をその手に受ける。 虹の雫は肌を濡らすことなく、触れたと同時に珠のかたちとなる。無数に弾けてかたちをなくす。紅葉の梢から流れ落ちてくる白い陽の光に溶けて消える。 セダンは伏せていた金色の睫毛を持ち上げる。青い道の先、並ぶ古い木々の間に、色鮮やかな屋根や壁が覗いている。 早くなる少女たちの足取りを追って、セダンは足を急がせる。 青い道をまっすぐに辿れ、と言った兵隊たちの言葉に嘘はなかった。道は小さな町へと入って行く。 紅色煉瓦の時計塔、蜂蜜色の壁のドーナツ屋とケーキ屋、緑の蔦に覆われた小さな家、花の咲き乱れる庭のある家、色とりどりのドレスの並ぶ衣装屋に帽子屋。青い道の両脇を埋めるのは、童話に出て来るような柔らかな色合いと甘い匂い放つ家や店。 「ちっちゃい……!」 冬夏が眼を輝かせる。 「お人形のお家みたい」 小夜が片腕をいっぱいに伸ばす。小夜の腕では届かないけれど、セダンが腕を伸ばせば、町一番に背高のっぽの時計塔の屋根の風見鶏にもきっと手が届く。 おもちゃの町に住まうのは、蝶の羽持つ乙女の人形、赤い帽子のドワーフ人形、バネ仕掛けの足で跳ね回る犬に鳥の羽毛で出来た猫、蜻蛉の羽で空舞う妖精人形や、カタカタ走るカラクリの家鴨。それから、小さなこどもたち。 花の庭に、水色ドレスまとった純白の翼持つ少女が座り込んでいる。 時計塔によじ登ろうとしている悪戯盛りの少年。 ゼンマイ仕掛けの人形たちと町中使って追いかけっこをする少女。 小さな家の小さな窓から眼だけ覗かせて訪問者たちを窺う幼子。 雲ひとつない澄み切った青空の下、こどもとおもちゃたちの住む町がある。 小夜の足を、カタカタとカラクリ家鴨のくちばしが突く。絵の具で書かれたまん丸な黒い眼と、考え深げな少女の黒い眼が合う。ガア、と一声鳴いて、カラクリ家鴨はとんぼを切った。小夜は思わず歓声を上げる。何事もなかったように走り去る家鴨に手を振る。 「おはな。あげる」 庭のある家から少女が手を伸ばす。水色ドレスの裾が泥と花の汁に汚れているが、構う様子はない。幼い仕種で小夜に花を一輪差し出す。 「ありがとう」 同じ年くらいかな、と小夜は思う。でも、どうしてだろう、この子は私よりも小さな子のような気がする。 「服、汚れても叱られないの?」 「へいき!」 少女は無心に花冠を作る。庭の花をどんどん毟る。 「ずっとここに住んでいるの?」 「うん」 「ずっとずっと?」 「うん、ずっとずーっと」 毟られても毟られても、地面からはどんどん花が生えて咲く。咲き続ける。花は尽きない。翼ある少女は花咲く庭を動かない。 「お菓子、作ってきたんだ。食べる?」 青い道の端から、花の庭の少女に向けて、冬夏が手作りクッキーの入った小さな袋を差し出す。鮮やかな人参色したクッキーに、少女は嬉しげな目を向けて、けれどすぐに金色の髪を大きく横に振る。 「にんじんの色してる。いらない」 「にんじん、嫌い?」 「だーいっきらい!」 遠慮を知らない子どもの仕種で、少女はしかめっ面をする。泣き出しそうな少女の周りに、どこからかおもちゃや人形たちが集まる。カラクリ家鴨がガアと鳴き、ゼンマイ仕掛けの人形がキリキリとゼンマイを巻き上げる。 「しまってしまって」 蝶の羽持つ乙女の人形に慌てた声で言われ、冬夏は少し悲しい顔で手作りのお菓子を仕舞う。 時計塔によじ登り、その途中で足踏み外して芝生の地面に尻餅ついた少年が、火を押し当てられたように激しく泣き喚きだす。人形たちがわらわらと走りよる。おどけた仕種で、優しい言葉で、甘いお菓子で、少年を泣き止ませようとする。 セダンは眉を顰める。険しい眼のまま、町の向こうの小高い丘にある、白亜の城を見遣る。あの城に、リチャード翁は住んでいるのだろう。 少年は足元に山とお菓子を積まれて泣き止む。打って変わったあどけない笑顔で甘いお菓子を頬張り始める。 滅多と人を寄せ付けぬ深く閉ざされた森に住まう、成長を知らぬこどもたちとその世話に明け暮れるおもちゃたち。こどもたちとおもちゃたちに囲まれて静かに暮らす、不老の老人たち。彼らにとって、彼らの王であるリチャード翁にとって、干渉してくるロストナンバーの存在は煩わしくてしょうがないのだろう、そうセダンは思う。 (無垢な子供は、彼を咎めることはないだろうしな) ここはリチャード翁の夢の国なのだろう、とセダンは短い息を吐き出す。 (けれど、夢だけで人間は生きてはいけないからな) 青い瞳が古い痛みを思い出して、歪む。 「行こう」 セダンは背筋を伸ばす。冬夏の肩を叩き、小夜の頭を撫でる。二人の少女の眼差しを受け止め、町の先の城を細い指で示す。 「もうすぐだからな」 「そう、ですね」 冬夏は寂しい眼を瞬かせる。覚えたかなしさを振り払うように、微笑む。 「小夜ちゃん」 冬夏は、考え込むように動かない小夜の小さな手を取る。驚いて見仰いでくる黒い眼に明るく笑いかける。 「招待状を届けなくちゃ、ね?」 小夜は綺麗な花の庭で花冠を編み続ける青いドレスの少女を見つめる。少女はおもちゃたちに護られて懸命に花を千切り続ける。小夜を見向きもしない。 「……うん」 小さく頷いて、小夜は冬夏に手を引かれて青い道を辿りだす。先を行くセダンの凛と伸びた男装の背中を追う。 永遠の子どもとおもちゃたちの箱庭のような町を過ぎると、青い道の左右はさらさらと揺れる草花の野原となった。レディ・カリスの使者たちは、緩い坂道を無言で登る。 道の果てにある白亜の城は、近付いて見ればそれほど大きくはなかった。両側に塔のある尖がり屋根のお城は、 「昔話のお城みたいですね」 冬夏が言う通り、のどかな童話に出て来るのんびりな王さまのお城のよう。 城壁もない城の前では、透明な猫たちが跳ね回ったり草花にじゃれついたり、日向ぼっこをしたりしている。猫たちを踏み潰さないようにしながら、メイド姿の人形たちが忙しげに歩き回っている。 「何をしているのかな」 冬夏に手を引かれたまま、小夜が背伸びをして眼を凝らす。 小夜の腰ほどの大きさしかないメイドたちは、五人がかりで白いテーブルを野原に運ぶ。二人がかりで白い椅子をセッティングする。花の刺繍の入った真っ白なテーブルクロスを広げ、陶器飾りのついたスプーンやフォークを並べる。 走り回るメイドたちのひとりが、ふと青い道の半ばに立つレディ・カリスの使者たちを見つけてぴょんと跳ねる。大変たいへん、とでも言いたげに両腕を振り回す。彼女たちにとって、お茶会の準備を訪問者に見られてしまうのは恥ずべきことらしい。 メイドたちの要請でも受けたのか、お城の中から黒い毛皮の帽子被った兵隊人形たちがダース単位で駆け出してくる。 「今しばらく、今しばらく」 甲高い声で騒ぎながら、両手両足揃えた全体行進でセダンたちの前に立つ。 「今しばらく、今しばらく」 ぴったり揃った動きで捧げ筒、くるりと回れ右してぴたりと停止、揃いの帽子の顔だけを訪問者たちに向けてお揃いキメポーズ。墨で描かれた、表情の変わらない顔、顔、顔。 揃いに揃った兵隊たちの動きに冬夏が思わず拍手する。そうしている間に、準備が整ったのだろう、 「ススメ、ススメ、真直グ、ススメ」 兵隊たちは城の前庭へと使者たちを案内する。 すっかり整ったお茶会の席で、大きな体躯のリチャード翁と、小柄なドレス姿のダイアナ夫人が使者たちを待ち受けている。 「ダイアナさん、春の花宴以来ですが、お元気でしたか?」 ダイアナに向け、冬夏は出来うる限り丁寧に頭を下げる。 「ええ、元気にしていましたよ」 ダイアナは柔らかな笑みで応じる。 「リチャードさん、面会を許可して下さりありがとうございます」 ここはとても綺麗な場所ですね、と冬夏は笑む。リチャードは王様のような立派な髭のある顔を綻ばせる。リチャードの雰囲気が和らいだところを見計らい、冬夏は思い切って切り出す。 「クリスマスパーティの招待状をカリスさんと館長からお預かりしてきました」 招待状を取り出す。 「少しでも交流が深められたら嬉しいです」 心の底から、冬夏はそう思う。私がこうして色んな世界の方々と会えることも、様々な世界を知ることができるのも、この方達が零世界を築いてくれたお陰なのだ。 異世界を渡り歩きいて様々の人と交流するなかで、辛いこともあった。悲しいこともあった。けれど、それでも、人と出会うことは素晴らしいことだと、心を通わせることはすごいことだと、冬夏は信じている。だからこそ、 「是非参加して頂ければと思います」 冬夏はリチャードに向けて招待状を差し出す。この招待状が、このクリスマスパーティが、この方たちの心を開く切欠となればいいのだけれど。 差し出された銀色の箔押しの封筒を、リチャードは表情の無い眼でしばらく見下ろす。 「受け取ろう」 とにかくも、その手に招待状を渡すことが出来、冬夏は安堵する。冬夏の隣で、同じように緊張していた小夜が止めていた息を吐き出す。 「さあ、お茶にしましょう」 ダイアナが朗らかに告げる。メイドたちがレディ・カリスの使者たちをそれぞれの席に案内する。冬夏がそっと差し出した手作りのお菓子は、メイドたちの手でテーブルの上に並べられた。 「お話を、聞いてみたいです」 小夜が思い切って切り出した言葉に、リチャードは優しく首を傾げて問う。 「どのような話を聞きたいのかね」 出された温かな紅茶に口をつけながら、セダンは老翁と少女のやり取りを眺める。 (あの人はリチャード爺が嫌いだったな) ふと思い出すのは、主と仕える男。 (……子供好きなところや思考のベクトルは少し似ていると思うのだが) 少女たちと老人たちの会話が途切れるのを待って、セダンは口を開く。 「この閉ざされた美しい場所で、いい物だけを見て生きてゆかれるというのですか」 歯に衣着せぬ物言いに、リチャードは僅かに眉を跳ね上げる。それに怖じず、セダンは続ける。 「壱番世界や世界図書館は問題に直面しています、問題解決のためには、一層理解しあい団結しあうことが必要でしょう」 成長を、痛みを知らされないまま、子供のままであり続けさせられる、箱庭の町の子供たちを、セダンは思う。あの子供たちは、あれで幸せなのだろうか。そう思えば、自然と言葉に熱が籠もった。 「アリッサは、そう考えているはずです」 館長として全ての矢面に立とうとするアリッサの笑顔が浮かぶ。 「アリッサの気持ちを無駄にしたくありません」 あの優しい館長の心を護ってやりたい。 セダンが言葉を途切れさせると、リチャードはセダンに向けていた視線を外した。冷静な仕種で紅茶で唇を湿らせる。そうして、 「見事な演説だね」 全く関心がないように目を細める。他人の言葉を己が胸に響かせようとしない老人の居丈高な言葉に、セダンは眉間に力を籠める。 「あなたもロストナンバーだろう……!」 語気鋭いセダンに、リチャードは首を静かに横に振る。ふくふくとした顔を向け、穏かな声で正す。 「我々はファミリーだ」 それが最大の免罪符であるように言い放つ。 「もう帰りなさい」 やんちゃの過ぎる子どもを叱る口調と表情で、手を翻す。ロストナンバーたちに背中を向ける。 セダンは拳をきつく握り締める。青い瞳が憤懣やるかたなく歪む。 「おじい様」 「リチャードさん」 小夜の呼びかけにも、冬夏の声にも、リチャードは立派な髭に覆われた顎を横に振るばかり。話すことなどないと嘆息するばかり。 「あらあら」 緊迫する場の空気を、ダイアナの穏かな笑み含んだ声が和らげる。椅子に座した膝に透明猫を乗せ、周囲におもちゃのメイドと兵隊たちを控えさせ、ダイアナはどこまでも鷹揚に微笑む。 「怒らないでやってくださいね」 リチャードに向けてともロストナンバーたちに向けてとも取れる言葉を放つ。 「わざわざ来てくださったのに、ごめんなさいね」 招待状は確かに受け取りました、と微笑み湛えた眼で頷く。 「お返事は後日、させて頂きますからね」 宥めるようにセダンに微笑みかけ、小夜と冬夏にも満遍なく笑みを向ける。揃えた膝から透明な猫が飛び降りる。主であるダイアナが立ち上がるのに合わせ、メイドたちが揃ってスカートの裾を摘んでお辞儀する。兵隊たちが敬礼する。 「ご苦労さま」 ダイアナの静かな声が草花の野原に響くと同時、ロストナンバーたちをふうわりと風が包む。 草花に押し上げられるように爪先が大地を離れる。虹色のしゃぼんの膜に、視界が、身体の全部が、くるり、覆われる。 「ダイアナさん!」 小夜が必死の声をあげる。 「わたし、クリスマスまで何度だって来るから、頑張るから!」 叫ぶ間にも、ロストナンバーたちの身体はそれぞれにしゃぼん玉に包まれて宙に浮く。容赦のない風に追われて青空へと舞い上がる。リチャードとダイアナが遠くなる。おもちゃたちが、お城が小さくなる。草原の丘から離れてしまう。 「だって、アリッサと約束したもの」 虹色に輝くしゃぼんの膜に両手を押し付けて、小夜は唇を噛む。 こどもたちとおもちゃたちの暮らす箱庭の町が遠ざかる。町と城を護る深い森が、森に点在する青い泉が、景色となって流れていく。 辿って来た道程は、ほんの少しの時間で逆戻り。ロストナンバーたちは森の入り口へと追い出されてしまう。ぽよん、しゃぼん玉が柔らかく弾けて消えて、爪先は冷たい大地を再び踏む。 目前には、椅子に立つ二人のおもちゃの兵隊。 「もう一度、通してください」 地面に足が着いた途端、小夜は兵隊たちに駆け寄る。 「おじい様やダイアナさんのお話をきちんと聞きたいの」 兵隊たちは木製の冷たい眼で小夜を見る。キリキリと木の軋む音たてて首を横に振る。 「ならぬ」 「通さぬ」 「お願い」 小枝を抱き締め、小夜は泣き出しそうになる。涙に掠れる声で囁く。 「ならぬ」 「通さぬ」 兵隊たちの声音は変わらない。機械人形のそのままの声で繰り返す。小夜は子どもの純粋さと一途さでその場を押し通ろうとして、冬夏に抱き止められた。セダンの溜息まじりの手が、落ち着け、と小夜の頭を優しく撫でる。 「帰ろう」 出席の可否は分からないが、これまでロストナンバーの立ち入りが許されたことのなかった『虹の妖精郷』の様子を知ることが出来た。それが今日の成果。 後日、『虹の妖精郷』より、パーティ欠席の旨が伝えられた。 「心を開いてもらうのって、難しいよね」 アリッサは小さな息を吐いて笑う。 終
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