深夜。迷惑発明家・リンヤンはキノコ型ロボットのキノちゃんと手を繋いで狭い路地を歩いていた。「そろそろ、旅人さんたちを相手になにかしないといけませんねぇ、キノちゃん」 キノちゃんが啼き、それにリンヤンの影のなかにシエン、アール、アルファも反応する。「みな、彼らが好きですね。リンヤンもわりと好きですよ。ええ、けど、最近、彼らと交流のあった探偵が次々に行方不明になっていると」 そこでリンヤンは足を止めた。 月明かりを背に立つ人影。その影が掲げるのは鮮血にまみれた あれは…… 理解するよりも早く、影がそれを投げた。 ぐちゃ。 リンヤンの足元に転がるのは人の形をとどめていない死体。「久しぶりだな、リンヤン」 その声はリンヤンの知る旅人のもの。 再び、何かが投げられた。その首――リンヤンの知るロストナンバーと交流のあった探偵マオ。「マオ! ……なぜ、みなさん、こんなこ」 すっと影がリンヤンに襲いかかる。 キノ! リンヤンの横にいたキノと、影のなかにいたシエンたちも反応して、飛びかかる。「――いけません!」 あっけなかった。 影から突如として現れた鋭い刃にリンヤンの「子」たちは串刺しとなった。旅人はそれだけではとどまらず、三日月型の笑みを浮かべるとなんとキノたちを食べ始めたのだ。 めきっ。 鉄の砕ける音が無情にも響く。「うまいな、あんたの作った子供たちは! なんでって顔だな? 俺たちはずっとチャンスを窺っていたのさ。この世界が油断したとき、俺たちはそれを滅ぼす! せいぜい己の間抜けさを怨め、うけけけっ!」 高らかな笑い声が響き、去っていく。★ ★ ★ リンヤンが淡々と告げられる恐ろしい事件の内容を聞いてロストナンバーたちは戦慄した。「ここ最近、探偵が、それも旅人さんたちに協力していた者だけを狙って殺されているんです。たぶん、この地区にいたあなたたちがたを知る者のほとんどは殺されました……わざわざ私の呼び出しに応じてくるのは、本当に度胸があるのか、馬鹿なのか」 違う、一人が呟く。 リンヤン、それは俺たちじゃない。それは世界樹旅団っていう……! 身を乗り出すロストナンバーをリンヤンの目が一瞥し、「止まれ」 ロストナンバーははっと息を飲んだ。いつの間に現れたか不明だが、顔を仮面で隠した黒装束の二人組が、片手にもつナイフを首に触れるぎりぎりのところで止めている。もし、リンヤンが止めなければ首が飛んでいた――!「ポチ、タマ、私はまだ動けと言ってません。下がりなさい。……旅人さんたちには改めて挨拶しておかなくてはいけませんね」 リンヤンは微笑む。それに二人の黒装束が寄り添うように動き、右手に剣を、その肩に深紅の軍服をかけた。 リンヤンは己の髪の毛を乱暴に掴み――かつらからあらわれたのは目を見張る金色の長い髪。――あ、とロストナンバーは息を飲む。「はじめまして、旅人さんたち。私は討伐部隊筆頭、レディ・メイデン」 リンヤン、否、レディ・メイデンが赤い唇に微笑を浮かべる。「私は政府直々に、この国に影響を与える者を監視、武力による完全排除を任せられているの。あなたたちに近づいたのも、監視か排除かの判断のため。……その点、あなたたちは今までなんの問題もなく、よくやってきたことは認めるわ」 けれど、とレディ・メイデンが底冷えのする声で続けた。「ここ最近の不可解な事件、それに探偵たちが次々に殺害され、昨日、私自身があなたたちの犯行を目撃した以上、排除を選ぶしかないのよ」 だから、あれは世界樹旅団で「それが本当にあなたたちとはなんの関係もないのかしら? もしかすれば、あなたたちがいることが、それを呼び寄せた元凶かもしれない。ご理解したかしら? 私たちは、私たちの世界の平穏を守りたいの。むしろ、あなたたちのように去っていく旅人に、好き勝手されたくもない。今回のことが本当にあなたたちのしたことでないならば、証拠を見せて頂戴。……期限は三日。その間にカタをつけなさい。でなければ討伐部隊は全力を持ってあなたたち、そしてあなたたちに味方する者をすべて始末するわ。……これが私の提示できる最期の優しさよ。あなたたちの働き、楽しみにしているわ。……互いにもう二度と会えないことを祈っている」 レディ・メイデンは颯爽と去っていく。★ ★ ★ ゴミためのような路地裏に二つの影。「えっと、ここ、ここ、ここ!」「探偵どもがいるわけだな?」「うん!」「よーし、じゃあ、次はどうしようかな。うけけけっ!」 それは立ち上がるとくるりと舞う。一度黒い液体にかわり、変わったその姿は――「私は可愛い者が大好き!」くるり。「今度こそ、百足、貴様の命をもらいうける!」くるり。「一緒にお弁当を食べよう!」くるり。「はい、お弁当半分っこ、アーン」くるり。「さぁ、わたくしを捕まえるのじゃ!」くるり。「うわぁーん、百足、あいつ、嫌いだ!」くるり。「よーし、悪口いってやれ!」くるり。「ロリコン野郎!」くるり。 永遠と続くかのようなダンス、その間に踊り手の姿はいくつもいくつも変わっていく。 それはすべてロストナンバーのもの。 そして、最後に影は一人の女の姿をとった。「うけけけっ! きぃは本当にあいつらが好きなんだな」 拍手していたきぃが困った顔をした。「だってね、優しくしてくれの! 今回だって、あの人たちの姿になって、探偵さんたちにちょっといたずらして困らせるんでしょ?」「ああ、そうだよ。けど、嘆かわしいな、あいつらが優しくしたのだって、ただの偽善だぜ? きぃ。あいつらはお前を騙そうとしてるのさ!」「そんなことないもん、あの人たちは優しいもん!」 むっと睨みつけるきぃにシャドウの姿が再び変わる。「嘆かわしいでありますな。小生の虫であるきぃは、小生の願いをことごとく邪魔をする敵に加担するとは……やはりお前は出来そこない。そんな虫はいらないでありますよ」「百足さま! ごめんなさい、ごめんなさい、百足さま、きぃ、いい子にします。だから捨てないで!」 泣きながらしがみつく少女に百足の姿をしたシャドウは満足げに微笑むと、その姿を先ほどの女のものに変えた。「泣くなよ。大丈夫さ、百足だって、今回のきぃの働きを認めてくれるさ。きぃこそが自分の最高の蟲だってな!」「本当?」「ああ、オレサマはきぃが大好きだ。嘘はいわねぇ。……そう、食べたいくらいに大好き」 シャドウの片手が黒い一本の鋭い刃へと変化し、きぃのあどけない唇に優しく触れた瞬間。 ――ざしゅ。 風の刃がシャドウの首を叩き斬り、地面に転がした。それにシャドウは別段、あわてることもなく自分の首を持ち上げた。「きぃを食べようなんてしないでちょうだい。この記憶カス野郎! シャドウ、あんたはあんたの仕事をやりなさい!」 凛とした白豹の言葉にシャドウの首が、うけけっ! と笑う。「おお、こわっ! まぁ、俺がただの記憶なのは否定しないさ。だからなににでもなれるし、何者でもない。在るし、無いもの。……仕事はちゃんとしてるぜ? 殺すなというやつらは殺してない、殺せというやつらは殺した。しっかし、あいつらも馬鹿だよな。運動会とかいって大量に情報を垂れ流しにしてよ。ま、おかげで首尾よくいってる。っても、食わねぇと能力はうばえねぇけど。……うけけっ! で、そっちは?」「ちゃんとやってるわ……きぃ、いらっしゃい」 白豹にきぃは駆けより、しがみつく。「きぃのこと楽しみにしてるぜ。羽化したらまた遊ぼうぜ、うんと可愛がってやるからよ……けど、あの壱也ってやつ、性格わるいな。こんなこと考えるんだから」 シャドウは自分の首をくっつけてまた、うけけっ! と笑う。「あんたなら心配ないと思うけど、一人でいいのね?」「大丈夫だって、それにオレサマの得意分野は逃げ足だぜ? 心配すんな」「そう……けど、あんたが女の姿なんて、珍しいわね。誰なの、それ」「ん? ここで目立たないように、きぃのはじめて食べた女の姿をとってるのさ。えーと、名前はき、き、き……ああ、そうだ。キサ! うけけけっ!」
風が頬を撫でる。そのとき、気のせいか悪臭のなかに血の匂いがまじっているように日和坂綾には思えた。 幾重にも重なり合い、無造作に増築を繰り返した人の憎悪と陰謀が渦巻く霊都市をメイデンに呼び出された無人ビルの屋上から見下ろす。 世界は血のような茜色に染まり、紺碧の空に金色の星が涙の滴のように瞬いている。 ――鳳凰連合のヒトたち、どうしてるだろう。 「探偵さんたちが死んだのは仕方がないわ。命を落とすのは自業自得よ」 凛とした声で幸せの魔女は告げた。 「魔女さん」 綾が弱弱しく呟く。幸せの魔女は笑みを浮かていたが、目は笑ってはいなかった。 「けどね、この私、幸せの魔女の名を語った罪は万死に値するわ。それだけは絶対に許さない」 自分の名を使い探偵たちを殺して不幸をまき散らしていった! 幸せの魔女の姿をして! 考えただけで腸が煮えくり返るほどの怒りを、白き魔女は極上の笑みを浮かべることで示した。 「けど、彼女が、メイデンさんが会ったていうボクたちは本当にボクたちじゃないし、仲間でもないと思うんだ。つまりは、敵は姿を自由に変えれるってことかな?」 幸せの魔女の烈火の怒りに怯えることもなく、いつもは人の良さそうな顔を少しばかり曇らせて、ベルファルド・ロックテイラーがおずおずと推理を披露する。 「姿を、そうね。けど、一体、いつ、私たちの姿を?」 「それは、たぶん、私たちが各世界で仕事している際に情報を敵が集めて、偽装したのでしょう」 夜のような漆黒の毛、眼鏡をかけた奥にあるのは知的な茶色の瞳、身を上等の着物で包ませた獣人の和紙介が冷静な声で告げた。 和紙介は今までインヤンガイ、いや、他の世界の依頼も受けたことがないので、誰よりも客観的に事件を見据えることが出来た。 「情報を集めたって、ボクらの情報がそんなにもすぐに集まるものなのかな? 最近は旅団と鉢合わせすることはあるけど、今までの目撃されたロストナンバーはかなり大勢って……あっ」 ベルファルドの強張った顔に和紙介は眼鏡を指で持ち上げて頷いた。 「気が付きましたか? そうです。最近旅団と私たちが大勢で向き合ったイベントがありました……各世界で行われた運動会です。その際に姿をコピーしたと推測されます。いくつかの依頼書を見ましたが、旅団側にはその手の能力者が最低一人はいたはずです」 「つまりは、あいつらは策を練っていたというわけね」 幸せの魔女の白いドレスがふわりと揺れた。 「私たちと楽しむふりをして」 「旅団も烏合の衆です。旅団側にいる者たちすべての意思、または個人による意思なのかは判断できませんが」 「あら、そんなもの」 幸せの魔女は和紙介に甘く微笑みかけた。 「どっちでもいいわ。私の幸せのためには、ね」 「あはは、幸せの魔女さん、怖いなぁ……うん。けど、運動会か……あのとき、みんなとはいわないけど、一部の人たちは楽しんでいたよ」 ベルファルドは渋面を作り、あのときのことを思い出した。全員が全員、いい人ではないだろう。けれど、きぃちゃんは確かに楽しんでいた。その姿に一部の旅団であれば仲良くすることもできる、と思えた。 「とにかく作戦を練らなくちゃね。……それで屋上でなにかするって言ってたけど」 「はい。先ほどの仮定の話ですが、だったら運動会に参加していない、いえ、お恥ずかしいですが、まだ他の世界での依頼をこなしていない私でしたら敵にも情報がいっていないでしょう」 和紙介は懐にしまってあった紙を取り出して、手のなかにゆっくりと広げた。 さわっ。 風に舞う和紙から大小さまざまな姿の犬があらわれ、闇にまぎれて屋上から街へと散っていった。 「他人に見られるところでは極力能力は使いたくなかったので……犬たちに私たち以外のロストナンバー、それに準ずる者を探すように言っておきました」 「すごーい、魔法みたいだねぇ」 思わずベルファルドは拍手した。 「三日間、というのはあまりにも短い。出来る限り素早く動いたほうがいいでしょう。それに、探偵の人相についても聞いて絵にしておきました。敵と遭遇したとき実態化させて、驚いた隙をつけるかと思います」 「本当にすごいや。そうだね、敵を見つけないと……ってもボクの場合は、完全に運任せなんだけどね」 とベルファルドは微笑んだ。 「あら、私がいればきっとうまくいくわ」 幸せの魔女はしたり顔でベルファルドに、迫っていった。以前、二人は同じ依頼をこなし、そのときベルファルドの運の強さは幸せの魔女の力を最大限まで引きだした。 「うん。ボクたち運がいいみたいだし、インヤンガイで一人歩きは危険だものね。主にボクのほうがネ」 「あら私は?」 にやりと笑う幸せの魔女にベルファルドは小首を傾げた。 「幸せの魔女さんは強いから大丈夫だよ。情けないけど、ボク、腕力とかは……だから手伝って、お願い!」 両手をあわせて拝むベルファルドに幸せの魔女は毒気を抜かれた顔をして、肩を竦めて、髪の毛をかきあげた。 「おだて上手ね。まぁ、多少、ひっかかる言いかたは今回は見逃してあげる……綾さん、どうしたの」 じっと闇色の空を睨みつけている綾に幸せの魔女は声をかけた。 「……え、あ、うん。私はさ、たぶん今回、囮とかしか役立ないと思うんだよね」 こういうとき自分がただの人間があることが綾には歯がゆい。和紙介みたいな頭良さと判断力、幸せの魔女のような強さ、ベルファルドのような運の良さもない。 「まぁ、綾さん、なにいってるの? 敵と戦うときはあなたが私たちをリードしてくれなくちゃ」 「私が?」 「そうよ。私だって、多少はいけるけど、一芸に秀でたあなたには遠く及ばないもの。さ、今日は少し休みましょう。三日もあるのよ」 三日しかない、とは幸せの魔女は口にしない。その時間さえあれば自分たちならば必ずや憎き敵を見つけ出し、倒せると自信をもっている。 綾はくしゃっと笑って、うん、と頷いた。私にもできることがある。今日はそれをうんと考えよう。 ★ ★ ★ 翌朝、朝食もそこそこに綾は全員に頭をさげた。 「ゴメン、私、行きたいところあるし、用意するものもあるから」 綾は急いで鳳凰連合の屋敷へと向かった。 以前の依頼で旅団に協力しているらしいハオ家が告げていた「カルバナル」が、この虐殺だとしたら鳳凰連合が危険だ。ううん、あえて情報を漏らすってことはもうイロイロと動いてるに決まってる。 屋敷はいつもの穏やかな雰囲気が一転して、鉄門は冷たく閉ざされ、広い庭にはいくつもの高級車が置かれていた。 何かの集まり? 息すら凍えそうな冷たい静寂に圧倒されながら綾は周囲を見回して、よしっと気合いも十分になかへと忍びこんだ。いつもならいる見張りの人もいない。どうして 「あ」 砂利を敷き詰めた庭の端にリュウを見つけて綾はほっとした。 「リュウ」 手をふって駆け寄ると、リュウは顔を強張らせた。一メートルまで近づくと、空気を通して殺気が放たれてこれ以上近づくことを許してくれない。 「リュウ?」 「……ここからすぐに立ち去れ」 予想していなかった拒絶に綾は拳を握りしめる。 「私、情報を持ってきたの。それを伝えたくて、レイやリョンやボスに」 リュウは首を横に振った。 「ここ最近、探偵が立て続けに殺されている。そのなかに、赤いジャージ姿の少女もいたそうだ」 その言葉を聞いた瞬間、綾の頭のなかでカッと焔が滾り、頭が真っ白になった。鼻孔から空気が抜ける爽快ともいえる明白な憎悪が肉体を支配した。敵は、私の姿で人を殺したんだ! 予想しておくべきだった事態に綾は拳を震わせる。 「俺の知る綾は、人を殺したりはしない。それはわかっている。だが俺にはお前を本物か、偽物か知る方法はない」 「リュウ」 理不尽だという怒りはない。ただ悲しかった。リュウに信じてもらえないことが。 だが、表情と声からリュウが苦悩していることは綾でもわかった。本当はリュウの立場からいえば私を殺したほうがいいんだ。けど、立ち去れっていってくれた。 「このまま聞いて。……咎狗のレディ・メイデンが私たちになりすました敵に襲われたの。三日以内に犯人を捕まえて私たちの容疑を晴らさないと、私たちに協力してくれた人たちを殺していくって……絶対にそれは止める。だから、リュウたちは」 「あら、その子って最近噂の殺人鬼の一人じゃないかしら?」 軽やかな声がしたのに、はっと振り返ると、ピンク色の髪の毛にすらりとしたスタイルのいい女が微笑んでいた。 「アメリ」 リュウが牙を剥く獣のような声で名を吐き捨てる。 「退屈していたら、面白いものが見れたわね。最近、噂の無差別の殺人鬼と鳳凰連合の幹部が知り合いなんて……なにか裏があるのかしら? 鳳凰連合が殺人鬼を裏で操って、なにかしているって?」 アメリはからからと笑いながら首を傾げた。 「まぁ、尋ねればいいわよね?」 底冷えする声に綾が肩を震わせる。いつでも蹴りを放てるように肩に乗っているエンエンに呼びかけようとしたとき 綾を庇うようにリュウが前に出た。 「綾、絶対になにもするな」 小声で告げられた言葉に綾は目を丸めた。 「俺になにがあっても、あの女に攻撃するな。お前が攻撃したときあの女はお前を殺す口実が出来る……アメリ、この娘と俺はなんの関係もない。さっさと屋敷に」 綾が何か告げる前に、風がしなり、リュウの体が倒れた。一瞬、なにがあったのかわからなかった。 アメリは腕一本でリュウの体を投げ飛ばしたのだ。さらに躊躇いのない蹴りを倒れたリュウに放つ。 「世間を騒がせる殺人鬼と個人的に付き合っていたなんて、粛清されるいい口実だと思わない? 組織は無理でも、あんたを潰すには十分ね!」 「がはっ! ……っ!」 アメリの細い足がリュウの腹を蹴り、踏みつけた。一見、無造作だが、的確に痛みを与えるポイントを突いている。 やり返せばいいのに、綾の心臓が激しく脈打った。 したくても出来ないんだ。もしアメリに反撃すればそれだけで殺人鬼かもしれない綾との関係を疑われる。綾がアメリに攻撃してもそれは同じ。ううん、アメリは綾に襲われたと堂々と殺すことが出来る。 だから、リュウは言ったんだ――絶対になにもするな、と 「やめて、やめてよ!」 綾は叫ぶ。いますぐにでもこの女にとびかかってやりたい衝動を抑えて。 「いい目ね。……なぜ、こっち側にいないのかしら?」 「っ! リュウから、その足をどけてよっ! エンエン!」 ごめん、リュウ。私、我慢できない……! 「そこまで」 凛とした別の声は綾が動き出すよりも早く、その場に流れる空気を変えた。 あ 綾が瞬きをした一瞬だった。アメリの背後に二人の男が現れたのは。 「大切な会議に部下がこれは、やばいんじゃねぇの?」 「特に、今回の会議は黒耀重工、そちらの謝罪だったのではないのか? ここはいまのところ中立地区だ。争いごとは御法度なはずだが」 ラフな革ジャン姿の二十代の黒髪の男とスーツ姿に灰色の髪の毛を撫でつけた三十代の男性は、それぞれ銃とナイフをアメリに向けて牽制している。 びりびりと肌に痛いほどの殺気に綾は呼吸の方法を忘れた。 「……お前らは、ヴェルシーナの」 アメリは肩を竦めて両手をあげた。 「雌狐まで出てきて、暇なこと」 アメリが睨みつける先を綾も見つめた。白いチャイナドレスの女性を従えた少女――いや、二十歳くらいの女性が立っていた。 「年中発情した雌犬がきゃんきゃんとうるさいわね。見逃してあげるから、さっさとその汚い姿を私の視界から消しなさい、不愉快だわ」 「怖いこと! けど、鳳凰連合が裏でなにかしていた場合、これを止めたのは自分の過ちだったとのちのち後悔するわよ」 アメリは茶化して踵返す。 「ロイド、オーガスト、リュウを屋敷につれていって人目につかないところで手当てをしてあげてちょうだい……あなた、大丈夫?」 綾は鳩が豆鉄砲食らった様に、きょとんとした顔で頷いた。 「私、別に、怪我とかしてないから」 「ばかね、自分より他人が傷つくほうが、あなたには痛いでしょ? 震えてるわ。はい。これきて」 女性は自分の着ていたコートを脱いで綾の体を包んだ。そのときになって綾は彼女のおなかが大きいことに気がついた。この人、妊婦さん? え、けど、ヴェルシーナって、ボスは男だよね? じゃあ 「若奥様?」 混乱したまま呟いた言葉に女性は嬉しそうに笑った。 「そう、わかる! 私、若奥様なのよ。はじめまして。ヴェルシーナのボスのハワード・アデルの妻の理沙子よ」 綾が何か言う前に理沙子の指が伸びて、封じた。 「私はここで独り言を呟いてるだけよ。互いに関わり合いがあると困った事態になるから、いいわね?」 綾は頷いた。 「いい子ね。……以前、鳳凰連合の土地で薬の売買があった件で黒耀重工をとっちめてるの。夫はその会議の見届け人。私は、フォンに久しぶりに会いたくて来たの。まぁ、会議は表向き円満に終わりそうよ。……ここに来たのは、あなたは善意なんだろうけど、やめたほうがいいわ。関係があるというだけで困らせてしまうことはあるから」 それは先ほどのことで理解した。けど、 「私、……殺人鬼の汚名を雪ぎたくて」 予定していたものを手に入れるにはお金がいる。鳳凰連合の協力を得られないなら、どうすればいいだろう。エンエンをポンポコフォームにすることは出来ないし。 「あのね、私のコートのなか、お財布、はいってるの。けど、私、忘れぽいから、明日までなくしたこと、気がつかないわ。どうせ保険にはいっているから、いくら使われても困らないわ、暗証番号はね――」 綾は目を瞬かせる。 「どうして?」 理沙子は黙ったまま微笑み、綾を胸の中に抱きしめた。励ますように。 「――理沙子」 渋い、深みのあるバリトン声に綾は顔をあげた。 白と灰の斑の髪を撫でつけた、スーツ姿の老紳士が立っていた。 目が、合った。金色の目と白く濁った眼――なぜか井戸を覗き込んだような底が見えない不安を綾は覚えた。怒鳴られたわけでもないし、銃を突きつけられたわけでもないし、殺気を浴びせられたわけでもないのに。 「ハワード! 会議は終わったの? お疲れ様!」 理沙子が無邪気な笑顔で迎えると、ハワード・アデルは慈愛深い皺を口元に刻み、いたわるように妻の頭を撫でた。 「ああ。まったくつまらない会議だったよ」 ハワードは金色の目で綾を捕え、微笑んだ。 「今回の会議で、黒耀の狐は自分の息子が暴走したと、その首を持ってきたのにフォンは謝罪を受け入れた。あの男は本当に腑抜けになったのかもしれないな、コレを見逃すとは……狐が化かし、狸も化かした。……今回の件は他の組織にしても、手の出しようがない。我々が結んだ同盟とは「不戦」も含まれている。はっきりとした証拠もなく相手を処罰はできない。……同盟を交わした当初のような敵がいない今は組織は利益のことを考え、互いの目障りだと考えてもいる。黒耀の狐は己の野望を叶えため、美龍会は経済的に逼迫している、暁闇はこのチャンスに地区ののっとりをはかるだろう」 ハワードは続けた。 「私はフォンとは親友だ。なによりこんなくだらない茶番に関わる気もない。ヴェルシーナは今後もこれらの件には積極的に関わるつもりはない」 綾が口を開こうとして俯いた。これは独り言なんだ。だから何か言っちゃ、だめなんだ。ただ黙って頭をさげると駆けだした。 出来ることがわからなくて頭がぐちゃぐちゃしてる。リュウが私のせいで倒れた。それを助けてもらって。はっきりとわかったことは一つ。私、やらなくちゃ。仲間たちと敵を倒さないと。 「エンエン、協力してね」 相棒のエンエンを見つめると、任せてほしいとばかりに笑顔で頷いてくれた。 ――大丈夫。私、まだ走れる ★ ★ ★ 一日が過ぎた。 「成果、なしですか」 和紙介は報告にきた一匹の犬の頭を撫でて、再び街へと放った。 「食事にしましょう」 幸せの魔女が告げた。 今回は出来るだけ人と接触することは避けるため、廃墟ビルに四人は寝泊りしていた。 昼間、一人で出ていった綾は両手に大荷物を抱えて帰るなり 「まだ買うから手伝って~!」 ベルファルドと幸せの魔女を連れて買いだしに走った。 日が暮れると綾は今日の出来事、鳳凰連合とのやりとり、その上で仮面探偵フェイから協力を断念する旨を告げた。 本当は、敵の正体が未知数である以上、強い力がほしい。 エンエンの炎は強力でも、それは小さな玉でしかない。見た者を焼き殺すことのできるフェイがいたからどれだけ心強いか……けど、これ以上、巻き込むわけにもいかない。 ヴェルシーナからの間接的な援助は綾を大いに助けた。 強力なライトをいくつも購入することが出来た。もし敵が影の力を使うなら、照らして力を無効化できるかもしれない。カメラを購入したのは、敵を倒す様子をメイデンに送りつけるため。 幸せの魔女とベルファルドの二人がいたおかげか、下街にいるもぐりの術者から「焔火術」の札を買いつけることにも成功した。札を使えば術者のような力が使える優れもので焔火は炎の術では最大の威力を持つそうだ。 綾は札を上着のポケットにしまっておいた。 「けど、綾さん、さすがね。これだけの装備を手に入れて」 今夜の夕飯の心点をほほばりながら幸せの魔女は微笑んだ。 「これは、本当に、運がよかっただけ」 「運だって実力だよ。ボクなんか運をとったらどうなるの」 「べ、ベルファルドさんの運はもう次元が違うというか」 「綾さんの情報はいずれ私たちの役に立つでしょう。それにおかげでまともな食事がとれているのですからね。私がいうのもなんですが、昨日と今日の朝は大変、ひどいものでしたし」 昨日の夜は誰も何も食べなかった。そんな精神状態ではなかった。しかし、生きているとおなかは勝手減っていく。朝はそれぞれの所持金を見た結果、綾が非常食と持ってきたカロリーメイトを分けるという大変、わびしいものだった。 「けど、あんな人だったんだ」 綾は頭のなかでヴェルシーナのボスと、その妻のことを頭のなかで反芻する。多分、あの人は穏やかな目で人を殺せる。死ぬと言える人だ。 本当は真っ直ぐに敵を倒すことだけ考えるべきなのに、鳳凰連合の人たちが気になって脇道にそれてしまった綾を安心させ、自分のするべきことをしろと諭してくれた。 「お礼、いつかできるといいなぁ」 「出来るよ、きっと」 「うん。そうだよね」 ベルファルドの言葉に綾は笑って頷いた。 翌朝、和紙介の犬が調べた場所であきらかに襲う現場として除外出来そうなところ――人通りの多いところなどを避けて、綾はライトやカメラの設置に朝から奔走した。 ベルファルドと幸せの魔女は昼までは綾を手伝い、午後からは夕飯の買い出しのため外出した。 路地店が立ち並ぶ狭く、騒がしい道を二人は歩いた。 「三日ってわりと短いのね」 「そうだね~。けど、ボクはまだ諦めてないよ」 キセルを口にくわえたベルファルドがにこにこと微笑む。その顔を見つめて幸せの魔女は自分が吐いた弱音を恥じるように微笑んだ。 「そうね。私たちだったらきっと見つけ出せるわ。ふふ。ほら、ベルファルドさん、決して私から離れてはだめよ? 将来を誓い合った恋人のようにピッタリと寄り添っていて」 「うん。わか……あれは」 ベルファルドは幸せの魔女の差し出した手をとろうとして、人ごみのなかで彼女を見つけた。 長い黒髪に、スーツ姿、――彼女は。 「キサさん?」 「え?」 幸せの魔女も振り返り、はっと息を飲んだ。と、キサが振り返る。 ベルファルドは咄嗟に幸せの魔女の華奢な手を掴むと、自分に引き寄せて恋人の抱擁を装った。 「魔女さん、彼女は確か」 「ええ、死んだわ。殺された……すべてを踏みにじられて」 抱き合ったまま二人は囁き合い、そっと身を離した。ベルファルドはにこりと微笑んだ。何事もなかったかのように。 「新年、どこで過ごそうか?」 「そうね、もうそろそろ新年のお祝いね」 じっと窺うような視線を向けていたキサは肩を竦めると踵返した。そのタイミングでベルファルドは赤いダイズを握りしめ、力の限り投げた――かん、ころん。石に蹴躓いたほどの威力もないが、それはころころと地面を転がり、出た数値は最大数の六。 キサは驚いたように振り返り、ベルファルドと幸せの魔女の顔を一瞥し、足元に転がる赤いダイズを見て、舌打ちした。 「……キミだよね? 今回の事件の犯人は……知ってるだよね、ボクたち。キサさんは殺されたって」 にぃとキサが、彼女の姿をとっているシャドウが笑う。 「記憶確認完了。そうそう、お前らだな、百足の邪魔をした、夢のない男、幸福な女……! く、くくっ、まさか、ここで会えるとはな。これは、困った困った、うっけけけ」 不愉快な笑い声に二人は顔を強張らせた。 「ベルファルドさん、後ろにいてちょうだい。綾さんと和紙介さんに連絡を……!」 ひんやりと刃物のような瞳で幸せの魔女は一歩、また一歩と迫ってくるのにシャドウは首を傾げた。 「怖いわ、幸せの魔女。私を殺すの? あなたの幸せのために? 仲良く鍋を食べたり、一緒に騒動を楽しんだ仲なのに?」 「それは本物のキサさんであってあなたではないわ。あなたはね、してはいけないことをしたの」 「それはなぁに?」 「私の名を語ったこと、私から幸せを奪ったことよ」 強烈な怒りが幸せの魔女の全身から放たれる。 「あら、こわい。じゃあ、逃げなくちゃ、はやく、はやく、はやく!」 うけけっ! 笑いながらシャドウは逃げ出す。その足はもつれ、地面に転げ、人にぶつるがか、それでもすぐさまに起き上がり駆けていく。それに対して幸せの魔女は優れた猟犬のような動きでシャドウを追った。 シャドウは人通りのすくない道にきたときはしめたものだ。剣を抜き、その腕を、足を突き刺した。 ぬるっとした不愉快な手ごたえしかないのに思わず舌打ちすら漏れる。 服が破け、転がりながらシャドウはそれでもずるずると先へ、先へと進み、ついには壁まで追い詰めた。 「観念なさい。見苦しいわよ」 「うけけっ、おお、こわ! 幸せの魔女ってば、知り合いの顔をしていても手加減一つしてくれないのね。ああ、本当にひどい女」 「……あなたからはちっとも幸せを感じないのよ。私は幸せでないものには容赦しないの。どんな相手でも、ねっ!」 ひらりとスカートが風になびく花びらのように舞いながら、細い足を晒すとシャドウの胸を踏みつけ、鋭い刃が首を突き刺した。 「これには毒が、旅団にだけ効く毒が塗ってあるの。治癒の方法は私しか知らない。嘘だと思う? それは明日になればわかることよ。あなたが死んでね」 首を刺した剣に力をこめ、かき混ぜると、不愉快な笑い声が聞こえなくて少しだけすっとした。 ぱくぱくとシャドウが口を動かすのに、幸せの魔女は突き刺した剣を抜き取った。 「命乞い? 聞いてあげてもいいわよ。私のことを楽しませてくれるのかしら?」 「う、うっけけけ! 死ぬ? それは楽しそう、ああ、楽しそう。楽しそうだわ。幸せの魔女。だって、だってね、あなたは……私のこと、愛しているのでしょう」 どろどろと、黒くとけたシャドウの姿は何度がブレて、黒いドレスの少女のもとへと変化する。 「だって、私は不幸の魔女。今しか見ないあなたとは違うのよ。そう、違うのよ。愛しい幸せの魔女、誰よりも愛してる」 「あなた……!」 「私を殺して幸せになったのはだぁれ、ああ、それは、それはね、私、私よ」 またどろりとその姿がとけて 「幸せの魔女! ずっと渇きのなか、本当は幸せじゃなくて、不幸な」 「黙りなさい!」 剣がシャドウの肩を突き刺した、と思ったとき、その身はどろどろの液体と化して刃を避けると、再びキサの姿をとった。 「残念。オレサマには脅しはきかねぇよ。死ぬなら、死ぬで面白そうだ! この記憶であるオレサマがぁ!」 掌打を幸せの魔女の胸に叩きつけて吹き飛ばすと、シャドウは追ってきたベルファルドを見た。 「夢のない男……私を殺す?」 「ボクは今、すごく怒ってるんだ。きっと人生ではじめてっていうくらい……キミは街の人のことを守っていた女性の姿をとって貶めてる!」 濡れ衣を着せられたとき、大変なことだと思ったがそれほどに怒りは覚えなかった。だが、今は違う。死んだ人を利用するなんて許せない。 「夢のない男、そんな怖い顔をしないでよ、ね、怖いわ。とっても」 シャドウは小首を傾げて微笑むと、歩み寄り、愛しい恋人を抱きしめるようにベルファルドの首に両腕をまわした。 「っ! はな」 乱暴に振りほどこうとすると、シャドウは笑う。嗤う。わらう。 「ベルファルド、そんなにも運がよくて、だからなんでも手に入れて、幸せ? 満たされていて、けれど自分の本当に欲しいものはわからない。満たされているけど、飢えている。かわいそうな人ね……なにがほしいのか、なにが目的なのか、わからない、わからない、だから……ボクはここにいる? 本当にボクなんて必要とされているのかな」 キサの顔が瞬時にベルファルドの顔に変わり、憐みをこめて微笑んだ。 「かわいそうなボク」 「……っ!」 「お前たちのことはきぃの記憶で見たよ。夢のことも……きぃはちゃんと見ていたからな。そう、そう、お前たちがいうキサ、だったけ? あの女の最後の記憶。お前たちに裏切られた恨み、憎しみしかない」 「その誤解はとけて」 「きぃが持っているのは、死ぬ直前の記憶だからなぁ。憎い、憎い、裏切った、よくも! お前たち、みぃんな殺してやりたいってさ、憎悪しかない。そう、きぃはお前たちへの憎悪で生まれた仔! うっけけけ!」 「黙りなさいっ!」 幸せの魔女は持っていた袋を「魔女特製の強力片栗粉」をぶちまけた。 相手が液体なら、これでカチカチに固まるはずだ。 シャドウは不愉快げにベルファルドを突き飛ばし、粉を払うとさっと背を向けたが、すぐに異変に気が付き、あからさまに顔を強張らせた。 「体が……!」 「エンエン! 狐火操りっ!」 連絡を貰って駆けつけた綾の炎を纏った蹴りが炸裂し、シャドウを一メートルほど吹き飛ばした。すかさず和紙介の作った犬たちが群がり、両腕に噛みついて拘束した。 「今まで仲良くなれる道もあるって思ってた……でも、お前だけは許せないっ!」 ベルファルドはシャドウの前に来ると奥歯を食いしばって拳を振りおろした。拳にじりじりと痛みが走ったが、怒りが深すぎてわからない。 殴られたシャドウは、キサの顔のまま笑った。 「少しは気分がよくなったかい? うけけけっ」 「……ボクもまだまだだなぁ……」 その場にヘたれこむベルファルドにシャドウはにやにやと笑うと、片腕を鋭い剣に変えて犬たちを突き刺して殺すと、すぐに液体へと変化した。 「ち。動きづれぇ。……このまま逃げて」 「和紙介さん! ≪焔炎≫」 「……あなたには逃げる道なんてどこにもありません」 シャドウの身を綾の放った紅蓮の炎が襲い、悶え、のたうちまわるのに和紙介が素早く書いた瓶のなかにシャドウを閉じ込めた。 黒い液体は不満げに何度も瓶を打つがびくともしない。 「私は覚えることと処理することは得意なんです……あなたの抱えている本性見せてくれますかね?」 己の顔の前まで瓶を持ち上げて和紙介は冷静な声で問うた。 『ここから出してくれるたらいいぜ』 「それは出来ません。残念ですが交渉決裂です」 液体はうけけけっ! と不愉快な笑い声をあげた。
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