――静かだ。 アーグウル街区を訪れた旅人たちは、新年の華やぎに背を向け、無言で歩き出す。 北の外れへ。街区と街区の境目へ。 そして、立ち止まる。封鎖された隣接する街区の前で。 暴霊に蹂躙された死の街、『美麗花園(メイライガーデン)』が、すぐそこにある。 はるか遠くで、新年を寿ぐ、爆竹の音が聞こえる。 もうもうと夜空を焦がす紅い煙が、漂ってくる。 練り歩く獅子舞を取り囲む人々の歓声も、かすかに聞こえる。 紅い提灯の連なりに沿って、この街区名物の『占餃子』の屋台が並んでいるのだろう。人々は今年の運勢を占いながら、点心に舌鼓を打っているのだろう。 しかしそのにぎわいは、この場所では、夢のようだ。 失われてしまった夢だけが、くるおしく身もだえて、消えていく。 彼らは、ただ、立ち尽くす。 かつて、その名のとおりに美しかったこの街の、巡節祭を想う。 夜光龍――焔龍(イェンロン)。 作りものの龍が、夜光塗料の効果により、命を与えられたように闇に舞う、その幻想を。 花火――烟火(イエンフーオ)。 夜空を華やかに狂おしく焦がす、一瞬の光芒を。 旅人たちは、ただ、立ち尽くす。 ――旅人たちの髪を撫でて、風が吹く。 とても、静かだ。●ご案内こちらは特別企画「イラスト付きSS(ショートストーリー)」です。参加者のプレイングにもとづいて、ソロシナリオ相当のごく短いノベルと、参加者全員が描かれたピンナップが作成されます。ピンナップは納品時に、このページの看板画像としてレイアウトされます。「イラスト付きSS(ショートストーリー)」は便宜上、シナリオとして扱われていますが、それぞれ、特定の担当ライターと、担当イラストレーターのペアになっています。希望のライター/イラストレーターのSSに参加して下さい。希望者多数の場合は抽選となります。《注意事項》(1)「イラスト付きSS」は、イラストを作成する都合上、バストショットかフルショットがすでに完成しているキャラクターしか参加できません。ご了承下さい。(2)システム上、文章商品として扱われるため、完成作品はキャラクターのイラスト一覧や画廊の新着、イラストレーターの納品履歴には並びません(キャラクターのシナリオ参加履歴、冒険旅行の新着、WR側の納品履歴に並びます)。(3)ひとりのキャラクターが複数の「イラスト付きSS」に参加することは特に制限されません。(4)制作上の都合によりノベルとイラスト内容、複数の違うSS、イベント掲示板上の発言などの間に矛盾が生じることがありますが、ご容赦下さい。(5)イラストについては、プレイングをもとにイラストレーターが独自の発想で作品を制作します。プレイヤーの方がお考えになるキャラクターのビジュアルイメージを、完璧に再現することを目的にはしていません。イメージの齟齬が生じることもございますが、あらかじめ、ご理解の上、ご参加いただけますようお願いいたします。また、イラスト完成後、描写内容の修正の依頼などはお受付致しかねます。(6)SSによって、参加料金が違う場合があります。ご確認下さい。
――佳(え)え夜じゃ。 ほっこりと白い湯気が、灰燕の腕(かいな)から立ち昇る。 祭りのにぎわいを抜けたさい、屋台で買い求めた点心は、蒸籠から出したばかりの熱を未だ持っていた。頬張れば半透明の皮が破れ、挽肉と貝柱の旨味が広がる。 道すがら食べ歩いていた灰燕は、そのときだけ、とても幸せそうだった。 しかし、ファルファレロ・ロッソの、研ぎ澄まされた刃物のようなまなざしが前方を見つめたとき、同種の眷属を見る目を彼に向け、何を言うでもなく番傘を構え直す。 この境界の向こうにある死の街の光景と、彼らが踏み越えてきた修羅に、どれほどの違いがあるだろうか。 夜空を仰いだ瞬間、星のまたたきをかき消して、烟火が打ち上げられた。 (巡節祭か。ユー・イェンはどうしてやがんだか……) 知ったこっちゃねえが、と、ファルファレロは毒づく。 祭りと名のつくものに出向くのは、12の時の謝肉祭以来だ。 すべては、過ぎたことのはず。 賑やかにわきたつ通りで、女に指輪を買ったのも。別れたその女から手紙が届き、何度も破り捨てたのも。気まぐれに開封したら黒髪の女の子の写真が入っており、それがあまりにもファルファレロそっくりで失笑してしまったことも。 そして、女の再婚相手から金を渡され、直談判されたことも。 ――金輪際娘に会うな。お前の血まみれの人生に、あの子を巻きこむな。 殴り飛ばしても逃げず、銃を向けても目を逸らさなかった彼は、自分よりもよほど『父親』だった。 あのとき女に与えた指輪は、皮肉なことに、今は娘の指で光っている。 ハローズで見つけたテディベアを渡しただけで、娘はとても喜んでいた。 (ガキの考える事はわっかんねえ) 安上がりな女だ。キレられると面倒くせえから口にゃ出さないだけだ。お優しいパパとママからプレゼントなんざ腐るほど貰ってたろうに。そう、思いながらも。 (……何やってんだ俺は。いつまでクソまずい飯食って、クソくだらねえ親子ごっこを続けるつもりだ?) その自嘲さえ、ここでは静謐な凪を孕んでいる。 「ウチの坊がまーだ、ちっさい頃やったわぁ。『大切なものはなぁに?』ゆうて、聞かれたことがあったんよー」 ファルファレロの心中を読んだわけでもなかろうに、ラウロは話す。独特の、飄々とした語り口で。 「何て答えたんだ?」 「そりゃあ、坊の名前やわぃなぁ」 「それで?」 「『自分の命より?』て、言われてしもうたん」 「きっついこと聞くガキだな。どうせてめぇは『そうなんよ〜』とか答えやがったんだろう」 憮然とするファルファレロに、ラウロはけらりと笑う。 「さすがミスターロッソ。オイは敵わんわ〜」 「ガキを守るためには、てめぇの命こそ大事にするべきだろうが」 ――自分の命より、お前を大事に思う。 その気持ちにわずかな嘘も迷いも、ためらいもなかった。 そして、覚醒と同時に気づいた。 自分は「子供の頃の記憶がない」のではなく「子供だったことがない」のだと。 なのに、一瞬でも、現世に息子を残したまま、異世界に住まうことを選んでしまった。 その結果、息子を巻き込んでしまった。 息子は、助けようとしてくれたのに。 「昔話なんて、珍しいですね」 コートのポケットに両手を入れ、知己の気安さで、クラウディオ・アランジはラウロの隣に立つ。 「あんまり意味はないんやけどなぁ〜」 ラウロがおどけて頭を掻いたとき、小ぶりの烟火が連続して数発、上がった。 打ち上げの音は遠すぎて聞こえない。 紅。緑。青。黄。紫。静かな花を咲かせては、つう、と、夜に溶ける。 「鮮やかになろうと褪せようと、聞き手によって色を変えるんが昔話え?」 「みんな置いて来ちゃって……。良かったんですかね……」 そう――クラウディオは置いてきた。 ターミナルに、仲間たちを。 元の世界に両親を。そして、懐かしく、いとしい人々を。 「まあ、仲間に対しては、ちょっと薄情だったかな、と思うくらいですけどね」 「ご両親はどうなん?」 「彼らも特殊能力を持つ人間なので、何があろうとも健在だとは思うけれど……。僕のことはもう、死んだと思っているんじゃないでしょうか」 クラウディオの穏やかな笑みに、陰りが落ちる。 息子である自分がいなくなった。姿を消した。 両親は、諦められているだろうか。割り切っているだろうか。悲しんでいるだろうか。 その心情を思うと、重い罪悪感を感じるけれど。 「――それでも、元の世界にいた時も、ターミナルにいる時も、変わらない関係を築けるということが貴重だし大切なんでしょうね」 「オトナなんやね〜」 「ラウロの仕込みのおかげですよ」 しこりは、未だ残っている。 はたして戻るべきは、人の世か妖の世か。 突然。 ずしん、と、大地を揺るがす振動が響いた。 静寂を破ったのは、大きな大きな―― 夜空を覆い尽くさんばかりの烟火だった。 すぐ近くで、花火の打ち上げがあったのだ。 封鎖街区のそばで行われた理由は、すぐにわかった。 ――これは。 新年の寿ぎとは異なる、この花火は。 鎮魂のために、打ち上げられているのだと。 夜空を彩る灼熱の花火は、その熱でひとを焦がすこともなく、きらきらと紅く夜空に留まる。 在りし日の美麗花園を彩った焔龍が、ゆるやかな弧を描くのにも似て。 「舞え、白待歌」 そして灰燕は命じ、鳥妖は白焔の龍と化した。 「折角の佳日じゃ、少しは楽しまねば損じゃろうて」 鳥妖は舞う。 引き裂かれた分身さながらに、あるいは番(つがい)のように添いながら、幻想の焔龍と共に舞う。 あれは、従者と出逢う前の日だった。 華やかな色街が焔の中に消えたあの夜も、遠くから燃える空を眺めていた。 焔は、砂鉄から玉鋼(たまはがね)を産むではないか。 ならば神代のむかし、天目一箇神(あめのまひとつのかみ)が天照大神のために造った天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)も、焔から産まれたに相違ないのだ。 惨劇に慟哭し、人災に絶望し、ひとは簡単に時を止められる。 だが、灰燕は知っている。 凍りついた時間を溶かすことができるのもまた、螺旋のように渦を巻き炎上する、ひとの熱さだということを。 どれだけそこに、そうしていただろう。 少し離れた通りを、父親と幼子が楽しげに行き過ぎるさまに、ラウロはふと、我に返る。 彼らはおそらく鎮魂の花火を観賞し、そして、祭りのにぎわいに戻るのだろう。 「何ば言うちょるのやら」 親子の会話は、断片しか聞こえない。 「そういえば……。君の息子が小さいころ、よく噛みつかれましたよね」 クラウディオは、そう言って笑う。 「そろそろ、帰りましょうか」 ターミナルの、仲間のところに。 あるいはいつか、もとの世界に。 (帰る……?) どこへだよ、と、いまいましそうに、ファルファレロが呟いた。
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