『日和坂綾さん。日和坂綾さん。おられましたら、図書館ホール、1番カウンターまでお越し下さい』 そんなアナウンスが世界図書館内に響き渡った。 呼び出し? なにやらかした? 仲間たちの軽口にからかわれながら名乗り出た日和坂綾を、リベル・セヴァンは館長の執務室へと連れてゆく。「ごめんね、急に呼び出して」 アリッサはにっこり笑って、綾にソファーをすすめた。 そして。「襲撃容疑!?」 寝耳に水だった。「そんなこと、やってない!」「もちろん。ロストレイルの乗車記録を調べて、その日時に、綾さんがブルーインブルーにいないことは確認しています。つまり、アリバイがあるってわけ」 アリッサの話を要約すると、こうだ。 ブルーインブルー最大の海上都市・ジャンクヘヴンと、世界図書館は秘密の同盟を結んでいるが、それを通じて、不可解な情報がもたらされた。 ジャンクヘヴンの宰相である、レイナルド・ディアスなる人物が、先日、夜道でなにものかに襲撃され、負傷するという事件が起きた。レイナルドは要人であるから、それもありうることだが、問題は、彼が月明かりに見た襲撃者こそ、日和坂綾だったというのだ。 レイナルド宰相は、ブルーインブルーの人間だが世界図書館の存在についても知っており、依頼を受けて同地に赴いたロストナンバーたちの顔も見知っている。たしかに、その中にいた顔だと彼が言うので、人相描きをつくらせてみたところ、果たして綾に相違ない相貌であったという。 しかし、綾本人でないことはアリッサも言ったとおりだ。「でも、先方としてはいちど会って確かめたいと言うの。だから悪いんだけど、群青宮へ行ってもらえないかしら。会って話せばわかってもらえると思うし。……レイナルドさんは、ロストナンバーがブルーインブルーにかかわりすぎることには慎重派の人物だと聞くわ。綾さん、以前に、ジャンクヘヴン海軍の詰所におしかけたり、群青宮の周辺を意味なくうろうろしてたりしたでしょう?」「あー……」 それはたしかに覚えがあった。「そういうこともあって、先方は、綾さんへの疑いを深めている、というわけなの。……フォンスがとりもってくれてはいるのだけど、このまま群青宮の人たちにロストナンバーへの疑念を持たれるのはやっぱりまずいわ。なので、綾さんが直接行って『申開き』を……相手の疑いを解いてきてほしいの。チケットは手配しておいたわ」 かくして――、綾は、ジャンクヘヴンへ“申開き”の場に出席しなければならなくなった。 とはいえ、あきらかになにかの間違いだ。 誤解はじきに解けると、アリッサも、綾も、誰もが思っていたのである。 * * * ジャンクヘヴンの<駅>に着く。 海上都市の、水面下にひそかに建造された駅から、秘密の通路を使って都市の地上部へ。 ブルーインブルーを訪れた旅人たちが一度は通る、かれらだけが知る道だ。 群青宮は、都市の中枢にある。 交易の市が立つ大通りを、目的地へと向かっていたときだった。「どいてくれ、どいてくれ!」 荷車が通るようだ。商人が声を張り上げている。 人々が道をゆずる。 荷車が、綾たちのそばを過ぎようとした、その瞬間。荷車の荷台にかかっていた布を跳ね上げて、人相の悪い男たちがあらわれた。そしてかれらは、綾に向かって投網を投げたのである。「!?」 綾が網の中へ。同行していた仲間がなにごとかと動くのへ、男たちが抜き放った刀剣の白刃がぎらりと閃く。「待て!」 別の方角から声があがった、雑踏の人々を突き飛ばして駆けてくるものたちがいる。かれらは手に手に銃を持ち、その銃口を投網を放った男たちへ向ける。「その女は渡さんぞ!」「な、なに……何なの……?」 網の中で、綾は目を白黒させた。 状況がわからないが……かれらはどちらも、綾を狙っていることは間違いなかった。<ご案内>日和坂綾さん(crvw8100)は、このシナリオに、パーソナルイベントの形でご参加いただきます。このシナリオに参加する必要はありません。別途、メールでもお送りしていますが、下記をご確認下さい。http://tsukumogami.net/rasen/event/ev29/1655personal.htmlこのシナリオに参加された方は、「綾さんの付き添いとして同行した」みなさんです。しかしOPのとおり、群青宮に着く前になにものかの襲撃を受けてしまいました。本来の目的は、約束の時間までに綾さんとともに群青宮を訪れ、レイナルド宰相に会うことなのですが……!注意!『【赤の手配書】鐘楼追複曲』に参加している方は、このシナリオには参加できません。
「ユウ、守り石ホントにイイの?」 行きの車中でのことだ。 相沢 優が、綾にお守りの石を渡した。 その様子を、ジョヴァンニ・コルレオーネは通路を挟んだ反対側の席から微笑ましく見つめていた。 雪・ウーヴェイル・サツキガハラはその様子を見て、ふたりの関係を悟ったようだった。 「だいじょうぶ。なにも、心配することはないから」 優は言った。 綾はこくん、と頷く。 「あー、そうだ、喉、乾かないか。着くまでまだ時間あるみたいだし、俺、ちょっと飲み物買ってくる」 照れ隠しに笑って、優が席を立つ。 見送る綾の、ちいさなちいさなつぶやきを、聞いたものがいたかどうか。 「返せなくなっちゃったら……ゴメンね?」 古今、悪い予感はあたるものである。 * 「少女を大人数で囲んで連れ去ろうとは、物騒な世界だな」 雪がすらりと剣を抜く。漆黒の太刀だ。 綾に網を投げた輩のひとりが斬りかかってきたが、遅れをとるような雪ではない。 キィン、と鋭い金属音とともに襲撃者の剣は弾かれている。 「こ、こんなもの……エンエン、火炎属性ぷりーず!」 綾のセクタンの狐火が、投網を焼いた。 突然の火に、なにごとかと周囲を取り囲んでいた群衆がどよめく。 (火だ!火をつけた!) (じゃあ、やっぱり) (気をつけろ) (危ないぞ、あの女が――) 「……?」 優は、そのどよめきのなかに、不穏な囁きの数々を聞く。 なにかが妙だ。ただ単に、突然の騒動に驚いた、という以上の混乱と困惑、そして恐怖のようなものがそこにはあって。 だが、そんなことに意識を割いていられたのも一瞬のこと。 別の方角からやってきた連中が銃を構えたのを見た瞬間、優はかれらと綾のあいだに飛び出している。 刹那、光の障壁がたちはだかり、男たちを吹き飛ばしている。優のトラベルギアが展開する防御壁だ。 「大丈夫か、綾――」 「大体、想像ついた」 「えっ」 「ゴメンね、みんな」 脱兎。 綾は駆け出している。 「お、おい……!」 群衆が、悲鳴とともに道をあけるなかへ、綾は飛び込んでゆく。 彼女を狙っていた男たちは、当然、それを追おうとした。 「待ち伏せまでして狙う……彼女に群青宮へ行ってほしくないのは誰だ?」 雪の振るう流れるような切っ先が、投網を投げた男らの武器を叩き落とし、喉元に刃で迫る。 一方、銃を持った連中が、優に吹き飛ばされたところから態勢を立てなおしたところ、 「小僧どもが。手ぬるいわ」 そのまえに立ったのはジョヴァンニである。 立ち上がろうとするひとりを革靴のつま先で蹴り上げ、別の男が構えた銃を仕込杖が弾き飛ばす。 その隙に、綾はまんまと場を逃げ出していて―― 「何をしているッ!」 ジョヴァンニの声が鋭くかかった。 「彼女を追わんか!」 「は、はいっ」 優は鞭打たれた馬のように走り出した。 「おい、待てよ!」 「こんなトコで海賊に構ってられるかぁ~!」 「待てってば!」 やれやれ、と息をつき、ジョヴァンニは襲撃者たちに向き直る。 「宰相襲撃の一件と関係あるのかね」 「な、なに……?」 「それとも海賊か。誰の手下だ」 「う、うるせェ!」 襲撃者たちは不利と見たのか撤退を決め込む。 ジョヴァンニは追わなかった。 ただ……オウルフォームのセクタンが、喧騒のうえをすうっと滑るように飛んでゆくだけ。 「彼女の証言を妨げようと言うのなら、それは真犯人は別にいると言っているようなものだ」 冷ややかに、雪は言った。ジョヴァンニが向き直ったとき、彼はすでに投網の襲撃者たちを片付けてしまっていた。 峰打ちだけで無力化された男たちが痛みに呻きながら石畳のうえに転がっている。 「雇い主の名を聞こうかの」 ジョヴァンニが男たちを見下ろしながら訊いた。 答えないつもりか、それとも痛みで答えられないのか、なにも言わないでいると、雪が男の襟首を掴んで引き起こす。 「……ん、これは」 そしてかれらの懐から一枚の羊皮紙を引っ張り出した。 「手配書?」 そこにはひとりの女の肖像が描かれている。 「彼女だ」 「しかしこれはジャンクヘヴンの手配書ではないな」 ジョヴァンニはそれを手にとって眺めた。ジャンクヘヴンの様式ではないようだ。 そのときだ。武装した新たな一団が近づいてくる。しかしかれらは風体からジャンクヘヴンの自警団のようである。ならば好都合だ。ジョヴァンニと雪は、綾を追わなくてはならない。連中はかれらに任せて――そう思った矢先に。 「武器を捨てろ!」 自警団の槍の穂先がジョヴァンニたちを指す。 「なんだと」 雪が鋭い視線で応じるが、自警団は怯まない。 「武器を捨てろと言っている!」 「待て。誤解だ。わしらは群青宮に呼ばれて……」 「それは牢で聞く!」 「なに」 「様子がおかしい」 「そのようじゃ」 雪とジョヴァンニは囁き合う。そうとわかれば、ふたりの行動は素早かった。 雪の足が石畳を蹴る。 甲冑を身につけているはずなのに、ジョヴァンニの背丈さえ超えるほどの跳躍に、自警団たちの呆然とした視線は上方へ。そこから急転直下、突き付けられていた槍の柄の上に着地すれば、当然、その重みに相手は槍を手放さずにはいられない。 別の団員が槍を突き出すが、雪のピアスが輝くとともに降り注ぐ炎の矢に、やはり武器を取り落としてしまう。 結局、武装解除されてしまったのは自警団のほうだ。 ジョヴァンニが一息に踏み込み、刃をしまった仕込杖でドン!と相手の腹を衝く。 膝を折る相手に一瞥もくれず、彼は包囲の輪の外へ逃れ、追いすがろうと思っても雪の剣の間合いに入るのを恐れて動けないまま、かれらはふたりを逃がすしかなかった。 「どうする」 「さっきの連中に話を聞こう」 雑踏の中へまぎれこむ。 足早に人波を縫いながら、ジョヴァンニはトラベラーズノートを取り出した。 「ああ、セクタンか」 「左様。……じゃが、あのふたりは約束どおり時間までには群青宮に言ってもらわんとな」 「いいのか。ことによると」 雪は表情を引き締めて言う。 「彼女の到着を拒んでいるのは宰相その人かもしれんぞ」 「待てっ……たら……っ」 「ッ!!」 優が、ようやく綾に追いつき、その服を掴んだのは、ジャンクヘヴンの複雑な路地の奥だった。 今まさに、細い石段になっている坂道を降りようとしていた綾は、勢い余ってバランスを崩す。小さな悲鳴とともに、思わず、優を掴んでしまった。 全体重を預けられて、優もまた無事ではない。 ふたりぶんの声がもつれあいながら、坂の下へ転げ落ちてゆく。 「ってぇ……」 「……うう~。……あ、ゆ、ユウ! 大変、血が出てる!」 「やっと……捕まえた」 落ちるなかでどこかで擦ったのか、額から血を流しながら、それでも、優は笑みを見せた。 都市の外周からはかなり離れているが、それでも、都市を取り囲む海からの風は、建物のあいだを縫ってここまで届く。 窓から窓から張り渡された紐にかかった洗濯物が、海風にばたばたと揺れていた。 石段を下りきったところは、家屋に囲まれた小さな広場になっている。 「ご、ごめんね」 綾は、家のひとつに声をかけて水をもらうと、濡らした自分のハンカチで優の傷をふいた。 「……ホントに前しか見えてないんだから」 石段に腰掛けて、優は言った。 「……」 「どうするつもりなんだ」 「群青宮へ」 「それは最初からその予定だろ」 「そうだけど……そうじゃなくて……レイナルド様に、会おうと思ったの……」 「それで。いいから話して」 「レイナルド様は、私に襲われたって言ってるんだよね。だから――手合わせを」 「はァ?」 「レイナルド様本人でもいいし、群青宮の、一番の手練でも。私の戦い方を見てもらえたら、襲ったのは私じゃないってわかるでしょ」 「……」 優は額をおさえた。 「い、痛む!?」 「頭が痛いよ」 「ど、どうしよう。お、医者さん……!」 「そうじゃなくて。……いいか、綾。まあ、座って」 言われるままに、綾は優のまえに、裏町の石畳のうえにぺたんと腰を下ろした。 「真犯人は、今、隆たちが探してくれてる」 「……」 「隆たちを信用するんだ。焦っちゃいけない。綾が今、しなくちゃいけないことは?」 「……群青宮で、証言すること」 「正解」 彼女の頭にそっとふれる。 「暴走しても、敵の思う壷なんだから。綾は無実なんだし、そのことは隆や俺たちが絶対に証明してやるから」 優の真剣な、しかし穏やかな瞳が、綾をまっすぐに見つめた。 「……うん」 綾が頷くと、優は破顔し、彼女の髪をくしゃくしゃとかき回す。 「いい子だ」 「ちょ――」 かあっと、頬が染まった。 優はトラベラーズノートのページをめくる。 「ジョヴァンニさんが、ちゃんと群青宮へ時間どおりに行け、って」 彼は腰をあげ、そして手を差し伸べる。 「さあ、行こう。一緒に、さ」 「跳ね馬は無事に捕まったかの」 ぱたん、とノートを閉じて、ジョヴァンニは言った。 「あれを」 雪が促したほうへ、視線を投げると、先ほどの、銃を持った襲撃者たちが、いかにも柄の悪そうな酒場へ消えてゆくところだった。 ――と、そこへ、見知った人物の姿があらわれる。 リベルの手配で、先にジャンクヘヴン入りしていたロストナンバーの一人、虎部 隆だった。 隆たちは綾を犯人に仕立て上げたものを追って捜索を行なっているはずだ。 「同じ線上にあるということか。ならこの線は彼らに任せるとしよう」 ジョヴァンニは言った。 「では、俺たちも群青宮へ向かうか」 「そうじゃの。……じゃがそのまえに、現場を見てみたい」 ちょうど、かれらのいる場所から群青宮までの途上に、その場所はある。 おそらくそこも隆たちのチームが調べてはいるはずだが、ジョヴァンニは、 「目は多いほどよい。なにかの痕跡があるかもしれんし……目撃者がいるやもしれぬ」 と言うのだ。 しかし、その場所へ向かったふたりは、またしても、望まぬ遭遇を果たすのである。 曲刀を得物にする、荒くれ者の一団だ。 路地裏からあらわれてふたりを取り囲み、問答無用とばかりに斬りかかってきた。 「今日はなんと忙しない日じゃ。老体を労る気持ちもないとは!」 「それもそうだ。こういう時に身体を張るのはまず『専門職』であればいい」 雪は賊のひとりを担ぎ上げ、別の敵へ向かって放り投げるという豪快な戦いぶりを見せた。 「面倒だな。簡易版ですまんが、オロすぞ!」 そう言うがはやいか―― 周囲の空気が、目には見えないが、なにか異様な力に満ちた緊密さを持ったかに感じられた。 かっと見開いた雪の目が、人ならざるものの輝きを帯び、輝く炎のようなエネルギーが彼を包み込んだ。 高次の霊的存在――『カミ』をその身に憑依させるすべをもつヨリシロであることは聞いていた。彼曰く「簡易版」……本来はより綿密な儀式のすえに行うわざのようだが、それでも、賊を撃退するには充分だった。 ほとんどなにが起きたのかもわからないうちに、襲いかかってきた連中はあるものは雪と目が合っただけで昏倒し、果敢にも挑んできたものは数メートルを吹き飛ばされて倒れた。 「……っはあ」 大きく、息をつく。 雪は汗をぬぐった。 「平気か」 「なに、疲れただけだ。……それにしても。さきほどからなりゆきが妙だ。この連中はあなたを狙っていた」 「ふむ」 ジョヴァンニは昏倒した賊のひとりを揺り起こす。 「俺は最初、賊の狙いは彼女が証言の場に立てないか、遅れることだと考えた。すると件の宰相が疑わしい。あなたが調べようとしたのもそれだろう。つまり襲撃は狂言であると。だが賊は彼女の人相書きを持っていた。おそらく……海賊の」 「それについては心当たりがある。だがわし自身が襲われる道理はないの。……なにが目的じゃ」 「……おまえさんも……賞金首だ……ろ……」 「なに?」 「そう……聞いた……」 襲撃者は語った。 「錯綜しているな」 「いかん。時間じゃな」 遠く、鐘が鳴る。 まだ、その時ではないが、それが近いことを示す数だけ、鐘が打たれる。 その空を、海鳥が横切っていった。 「フォンスさん」 優が声をかける。 ジャンクヘヴンの宰相――そして元ロストナンバーである男は、思慮深い瞳で旅人を見返し、なにか?と応えた。 群青宮の回廊である。 海上都市では貴重な観葉植物の植わった鉢植えが並び、石のタイルはぴかぴかに磨き清められている。 「今回のことは……その……。ご迷惑をおかけしたかと」 「いえ。疑いはすぐに晴れるでしょう」 「俺もそう思います。でも、ジャンクヘヴンと、図書館の関係は……どうなると思いますか?」 「私は何も変わらないつもりです」 「だったらよかった」 優は笑った。 「俺は、この世界が好きです。アリッサ館長も」 そして語る。 「前館長が調べていた沈没大陸の謎にも興味があるし……機会があればもっとこの世界を旅してみたい。海神祭みたいなお祭りや……いろいろな海上都市も見てみたいし……。だから、これからも、ジャンクヘヴンと世界図書館が良い関係であればいいな、って」 「……。そうですね」 「すみません。それを言いたくて。あ、なにか、館長に伝言があれば伝えますけど」 「それには及びませんよ。……あとでまた、お会いしましょう」 優はぺこりと頭を下げ、もときた廊下を戻って行った。 フォンスはそこにたたずんだまま、それを見送る。 「……世界図書館と、ジャンクヘヴン」 唇から、こぼれる言葉。 「良き関係――か」 やがて、鐘の音が高らかに鳴り響く。 約束の時だった。 綾は、優に、ジョヴァンニ、雪らをともなって、群青宮の小広間へと通された。 そこにはすでに、レイナルド宰相が着席していた。 くすんだ金髪の、痩せた壮年の男性だ。 きろり、と灰の瞳が綾を見たが、すぐに手元の種類へ戻る。唇は固く引き結ばれていた。 申し開きの場には、事件を調べていたロストナンバーのうち、深山馨が同席している。かるく頷くだけが、彼の、綾たちへの挨拶だった。 広間には、距離を離して相対するふたつの机。 片方にはレイナルド、そして片方には綾がつく。 ふたりを横から見るかたちで、あたかも陪審員のように同席者たち。 あとは、今日のこの会を司る、フォンス宰相を待つばかりだ。 鐘が鳴り止んでだいぶたってから、フォンスが姿を見せる。 「遅れてすみません」 優が、眉を寄せた。 さきほど会ったばかりのフォンスだが、なぜかひどく顔色がすぐれない。急に体調でも悪くしたのだろうか。 「でははじめましょう。……まずはレイナルド宰相。もういちど、当夜のことを話して下さい」 あらためて、事の次第が彼の口から告げられる。 優の目が、じっと綾に注がれている。今はまだなにも言うな、気持ちを落ち着けて、と言わんばかりの視線に、綾はときおり、苦笑で応えた。 「……わかりました。では、日和坂綾さん。今、宰相が述べたことは事実でしょうか」 「違います」 きっぱりと、綾は言った。 「では宰相を襲ったのは貴方ではないというのですね。そのことを証明できますか」 綾はすっく、と席を立った。 「レイナルド様。こんな形の初対面になってしまいましたけど、お会いできて嬉しいです。……どうして私が疑われることになったか。今、フォンス様は、私が襲撃者でないことを証明できるかと言われたけれど、反対に、レイナルド様はどうして私が襲撃者だと証明できるんですか?」 「私が見たからだ」 「でもそれは証言ですよね。私だって、私が犯人じゃないと証言できます」 悪魔の証明。 ただ言い合うだけでは平行線だ。 「私が疑われているのは、私のこれまでの行動が不審だったからです」 綾はばつが悪そうに、ちょっと笑った。 「私は海軍入隊に必要な身元引受人をフォンス様にお願いしたくて群青宮の周囲をうろついてました」 「……」 「ところで……来る途中海賊崩れに見える男に襲われました。この前血の富豪に作られた似顔絵をシェルノワルで取り返し損ねたから、時期的に賞金かけたのはシェルノワルの領主でしょう」 レイナルドと、フォンスの顔に怪訝な色が浮かんだ。 綾の脳裏には、船が燃え盛る港が思い起こされている。 「私は……真面目に暮らす人を脅かす海賊が嫌いで、鉄の皇帝とも海賊王子を巡って血の富豪の腹心ともやりあったんです」 「それがなんだというのかね」 苛ついた声を、レイナルドはあげた。 「レイナルド様の目的はジャンクヘヴンの治安維持? そのためにだったら、海賊とも手を結ぶんですか?」 「何?」 「私が海賊たちの間で賞金首になっていることを知って、それを利用しようとした。ロストナンバーがこんな騒ぎを起こせば、世界図書館とジャンクヘヴンは不仲になります。レイナルド様は、世界図書館がジャンクヘヴンに介入するのを嫌っていたんですよね」 「何を言っているんだ」 「世界図書館のことを知っていて、海賊の間に出回る情報も手に入れられる。そんなことができるのは一人しかいません。あなたはその人と取引したんでしょう。……つまり、ジャコビニと!」 それは、綾からの告発だった。 叩きつけるように発せられた言葉を、しかし、レイナルドはせせら笑った。 「証拠はあるのかね」 「私の戦い方をごらんになります? 襲撃者と同じかどうか」 綾はファイティングポーズをとった。 思わず、レイナルドが腰を引く。優が立ち上がった。 場の空気に緊張が走り――。 「……なかなか良い推理だ」 言ったのは、深山馨だ。 「ひとりでそこまで辿り着いたのなら、上出来だと思う。けれど、レイナルド宰相は、ジャコビニと手を結んだのではないよ」 馨は淡々と言った。 「当然だ。なぜ私が……」 カラン、と乾いた音。 馨が放ったものが、床のうえで立てた音だ。 しん、と静まり返る広間を見渡し、そして彼は告げた。 「レイナルド宰相が、ジャコビニその人だから」 こわばった表情のレイナルドが、床のうえの仮面をじっと見ている。 仮面は、うつろな視線で彼を見返し……しかし何も語ることはなかった。 「レイナルド様が……」 「ジャンクヘヴンを撹乱するために……!?」 「やはり狂言か」 と、ジョヴァンニ。 「……っ」 突如として、レイナルドが動いた。 着衣の下に隠していたのか、手にはナイフが握られていた。 彼の目は、まっすぐに、フォンスに向けられ、彼に向かって突進してゆく。 「貴様らが!」 だが、果たすことはできなかった。 雪やジョヴァンニが動くよりもなお速く、フォンス自身が動いていた。 「あ」 優は見た。フォンスの腕が、鉤爪をもち、鱗に覆われているのを。そうだ。彼は元ロストナンバー。つまりブルーインブルーの人間ではない。普段はそのように、やつしていただけだったのか。 フォンスの鉤爪のある手が、レイナルドの喉を掴み、そのまま持ち上げた。苦しげな呻きが漏れる。 「……とんだ茶番ですね。レイナルド」 「えっ」 低く発せられた言葉の、異様な冷たさに、優はとまどう。 さっき話したフォンスとは、まるで別人のようだった。 そのまま、レイナルドをほうり投げる。玩具のように、レイナルドの痩せた身体が広間の壁に叩きつけられる。 「貴方がジャコビニであることなど、とうの昔に、私は知っていました」 「ええっ!?」 綾たちからも驚きの声があがる。 フォンスがそれを知っていた。フォンスはロストナンバーたちに、ジャンクヘヴンの治安を護るための依頼を斡旋する立場であったはずだ。 「ですが見ぬふりをしていたのですよ。貴方と私の思いが、同じだったから」 「なん……だと」 「どういうことなんですか、フォンスさん!」 「世界図書館は、ブルーインブルーに介入しすぎだということです」 カッと、フォンスが目を見開く。その瞳孔は縦に割れた爬虫類のそれだ。 見る間に、肌が鱗に覆われてゆく。そして…… 「異世界とはもっと適切な距離を置くべきだ。それなのに……エドマンド前館長は……沈没大陸の情報を……得るために……彼は……利用しようとした……この世界の謎を解くことにしか関心がなかった……壱番世界を救う……ため……に……あ――あ、ああ…………あああああああ」 「フォンスさん!?」 「こ、これは!」 「様子がおかしいッ、みな下がれ!」 雪が叫んだ。剣を抜き、仲間を下がらせる。 フォンスの姿が、変化してゆく。それが彼の本来の姿なのか……それとも。見る間にそれは人型を失い、容積を増して、巨大な海蛇とも竜ともつかぬ姿に変わっていった。 「この気配。これは……」 「まさか、マンファージ!」 ジョヴァンニが叫ぶのと、かつてフォンスであったものの巨体が群青宮の天井を突き破るのが同時だった。 「日に二度もオロすことになるとは!」 雪がカミオロシの力を使う。 ファージの能力なのか、たちまち空に黒雲がわき、雷撃が群青宮を襲う。雪が守らなければ宮殿は壊滅していただろう。 雷雲が去ったとき、すでに、竜の姿はどこにもなかった。 * 「そんな……どうしてこんなことに」 崩れた群青宮の、広間のがれきを前に、優が呆然とつぶやいた。 真犯人を探していたチームと合流し、かれらが得たのは、世界樹旅団がここに来ていたらしいという情報だ。 なら考えられることはひとつ。 フォンスは『針』を刺されたのだ……。 「彼女は、当面の間、ブルーインブルーには渡航しない。それが最善でしょう」 深山馨は、太守バルトロメオにそう提案した。 ジョヴァンニも厳しい面持ちで同意を示す。 「彼女の行動が混乱を招き、結果として今回の事態につながったことは否定できぬ。図書館は与り知らぬ事とは言え、監督不行き届きを責められては釈明できん……。我等の罪は我等が裁こう」 バルトロメオは言葉少なだった。 彼は――ジャンクヘヴンは一日で、ふたりの優秀な宰相を失ったのだ。 「……綾」 群青宮の、中庭。 離れた場所で独りでいた綾に、優が声をかける。 かけたものの、それ以上、なんと言っていいかわからない。 (こういうときは……) ただ黙って抱き締めればいいのではないか。 そう思ったが、すぐにそうできるほどに、ふたりの日々はまだ浅く。 逡巡していた、そのときだった。 パン、と、軽い音だった。 「え――?」 それはなんの音だったのか、優にはわからない。 ただ確かなのは、彼の目の前で、綾の身体が崩れ落ちたことだ。 次の瞬間、後頭部に鈍痛を感じ、優もまた、意識を手放している。 溶暗までのわずかな時間、彼はその声だけを聞いた。 「やんちゃな姫様。皇帝がお呼びだ」 日和坂綾は、ファージ出現により混乱を極めた群青宮から、忽然と姿を消した。 なにものかによって拉致されたと思われるが、今のところゆくえは掴めていない――。
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