黒猫にゃんこからの報告を聞いたアリッサ館長はわずかに険しい顔をして頷いた。「ありがとう。にゃんこ、ではあとのこともよろしくね?」「アリッサ館長……これでいいんですかにゃあ?」「これはみんなの投票の結果でしょ、そして、ここにあるのはあなたの調査の結果でしょ?」 アリッサの言葉ににゃんこはこくこくと頷く。「なら、信用しているわ」「了解ですにゃあ。では、対面の選抜をするにゃあ」 シャドウ・メモリを引き取りたいと申し出た銀猫伯爵との対面をどうするか。世界図書館に属する者たちによる投票と意見が集められた。結果、世界図書館はシャドウ・メモリの受け渡しに応じ、銀猫伯爵との対面に臨む――こととなった。 ★ ★ ★ 銀猫伯爵との対面する、世界図書館側の代表者たちを目の前にして黒猫にゃんこ――今は十代の少年である猫の姿だ。「これは、たぶん、世界樹旅団にとっては非公式なものだから、そこまで緊張しなくていいよ。ただし、今後の選択の一つは増えるか、減るかは……君たち次第かな。そして、君たちは他の人たちの意見を背負っているということを自覚した行動をとってほしい。これはアリッサ館長からの信頼であり、みんなの期待なんだからね?」 こほんと猫は一つ咳払いする。「そして、今回は引き渡しにたいしていくつかの条件をこちらが提示することに決定した。ただ引き渡すにはシャドウ・メモリは危険すぎるし……なにより、せっかくの協力者になる銀猫伯爵の身を危険に晒すことにもなるからね。あと、みんなにしてほしいのはこの三つ」 これは、投票とともに募った匿名の意見の結果に決定をにゃんこは告げた。一・なぜシャドウ・メモリを引きとりたいのか。引きとったとしてもその力を抑えることが銀猫伯爵に出来るのか。出来ない場合は、引き渡しは認めない。二・ナラゴニアの潜伏方法などの情報を積極的に語ること、また世界図書側に行きたいと願う者の真意が本物かどうかの判断はスパイなどの危険性を考慮してこちらが行う。三・銀猫伯爵の判断基準・合流方法などについての相談 また、銀猫伯爵に不審な行動が見受けられたと判断した場合も、シャドウを引き渡すことはしない。会わせること自体避ける。 もしどうしても会いたいというならば、ホワイトタワーに連行、数名のロストナンバー立ちあいの元で対面させる。「こちらは全面的に引き渡しに応じる姿勢であることは忘れないでね? だから銀猫伯爵に力があると思えば渡して全然構わないよ。話を聞く限り、彼は誠実そうだし、問題ないよ。あと、条件二と三については初コンタクトだからね。無理に引き出すことはないから、今後のよりよいお付き合いを前提として、約束を取り付けるかんじかなぁ?」 そこで猫は頭を軽くかいた。「それで銀猫伯爵について多少だけど調べておいたんだよね。まずハンス、彼は銀猫伯爵を知っていたよ」★パン屋ハンスの証言 銀猫伯爵がいかなる人物かと猫が問うとハンスは嬉しそうな顔で語った。 ――銀猫伯爵さまは……街のすごく離れたところに屋敷を構えられていて、白い花がきれいなところなんだ……定期的に街にいる人たちが彼のところに物を納品してるんです。とくに一番良く出来たものを……なぜって……銀猫伯爵さまはそれだけすごい人……今は屋敷に引きこもっているけど、あの人はとても昔から、旅団のために働いていて……そう、いろんな作戦でリーダーでもあったて、未だにあの人のことを慕う人は多いよ。それにとても強い人だっていうのも聞いたことがある。俺は見たことはないけど、ウォスティ・ベルさんが以前、銀猫伯爵さまは世界樹のなかでも五本の指にはいる実力者だって言ってた……だからみんな敬愛と畏怖をこめて『伯爵』って呼んでるんだって……だって本当の名前はわかってないけど身分が高い人であることは間違いない。けどすごく気さくに話しかけてくれて、パンのことも褒めてくれたんだ 俺が店を持ちたいって夢を笑わずに聞いてくれて、『いつか、チャンスが訪れるときは思い切ってそこへと飛び込んでみることが大切だ。もし君がそこで危険な目にあったときは必ず助けに行く』って…… 俺が銀猫伯爵のことで知っているのは、大きな屋敷にお一人で、いつも庭にある誰かのお墓を悲しげに見ている姿だけだ「銀猫伯爵は仲間たちからかなり慕われている人みたいなんだよね。それに元々はかなりの地位にいたらしいから、そういうので未だに耳にいろいろな情報が入ってくるんだと思うよ。ただ彼の能力をハンスは知らないし、どうして隠居したのかも知らなかった」 ふぅと猫はため息をついた。「もののついでにシャドウにも聞いておいたんだけど。……ああ、俺のターミナルでの日常を一方的に語りまくって質問してみたいんだ。わりとうまくいったよ。でさ、この前の尋問でシャドウは銀猫伯爵の名を漏らしたとき、ものすごく激しい拒否反応を示したのが気になっていたんだけど……」★ホワイトタワーにいるシャドウ・メモリの証言 銀猫伯爵はどんな人物か、の問いにシャドウはあからさまにうんざりした顔をした。 ――あの裏切り者のろくでなし、ようやく動いたわけだ。どうせ、オレサマの処刑でもちらつかせてきたんだろう? うっけけ! アイツらしい! あの冷酷非道な銀猫伯爵らしい行動だ! ああ、けど、本当に動くとはな! 今度こそアイツの息の根を止めるチャンスなわけだ!お人よしのお前たちに忠告してやるよ。アイツはなぁ、お前らを利用して復讐したいのさ。なにに? 簡単さ、世界樹にさ! そして、アイツから大切なものを奪い取ったオレサマたちに……原因のクランチを殺したいわけだ。アイツは! くくく……アイツに会ったら、オレサマはアイツを殺すぜ? あのとき殺し損ねたからな! アイツだってその気だろうさ! お前らから引きとるっていう理由をつけて、『死合』をするつもりかもな。……『死合』さ、俺たちのなかじゃあ、ときどき相手からものを奪うときにやる正当な取引だ。欲しいものがあれば力任せにねじ伏せて、奪い尽くす。それがオレサマたちのところじゃあ、礼儀さ。へー、それでオレサマをアイツに会わせてくれるわけだ? 引き渡してもくれるわけだ。そりゃあ、いい。楽しみだから大人しくしてあげるヨ。うっけけけ、うっけけ! 「シャドウは銀猫伯爵が世界樹に謀反をする理由も知ってるみたいだった。……ここで気になったのは銀猫伯爵とシャドウは『死合』をして、彼をねじ伏せるつもりなのかなってこと。ま、そうなればおのずと銀猫伯爵の能力も知れるし、そうすることで彼がシャドウを抑えられるならそれに越したことはないけど。ただ……ハンスの語る銀猫伯爵と、シャドウの語る銀猫伯爵のイメージがどうもねぇ……考えても仕方ない。君たちは、ちゃんとターミナルの良さを語ってくるんだよ!」
白、白、白、……どこまでも白い回廊を力強い足音を響かせて三ツ屋 緑郎はシャドウ・メモリが監禁されている部屋に赴いた。 銀猫伯爵にシャドウを引き渡す前に、どうしても個人的に会っておきたいと黒猫にゃんこに申し出ると了解が貰えたのだ。 たびたび変える髪の色は今は鮮やかなオレンジ。目はカラーコンタクトでグリーン。服は白いシャツ、ズボン。肩にはセクタンの雲丸。無邪気さのある幼い顔は、天使のように可愛らしい。 「その姿、気に入ったの?」 緑郎が肩を竦めてわざと茶化して尋ねた。 緑郎の前にいるシャドウ……オウルフォームの姿をとっているのは、首を傾げたあと羽で口元を隠した。見た目はセクタンだが、大きさはクマ並み。どうも自由に変身出来てもサイズは無理らしい。 「うっけけ?」 「……」 ドアをくぐった瞬間、この姿を見て、正直、ずるっと肩から力が抜けた。 (黒猫にゃんこが『ストレス溜めるから、謁見はすすめないにゃあ』って言ってたの、ちょっとわかったや) しかし、ここに来た目的を思い出して緑郎は微笑んだ。光の加減では無邪気な子供にも、または狡猾な悪党のように見える表情だ。 「答えでほしいことがあるんだよね」 「うけっ?」 「図書館はさ、重要な情報は全部上層部が握って下には何も流さいから、信用出来ないんだ。だからセクタンの情報が欲しくて君を試した、殺してみろと言っていたから死んでも良いと思った。現館長は就任前図書館から収監者を連れて逃亡したことがある。僕もそれを手伝ったんだ。ファミリーも一枚岩じゃない」 一気にここまでしゃべって緑郎はシャドウを真っ直ぐに見つめた。 「聞きたいのは伯爵のこと。彼の背信行為の理由は? そのためなら伯爵は死んでもいいと思ってる?」 シャドウは首をぐるんっと九十度まわした。 「伯爵に直接聞きたいけどさ、初対面じゃ答えてくれないかなぁって」 「お前は来ると思っていたよ」 シャドウは、すっ……とその姿を男のものに変えた。黒い学生服、黒髪、黒眼と、どこか人形めいた容貌に笑みを浮かべて首を傾げた。 「オレサマに尋問してきたやつのなかで、お前ほど、貪欲な目をしたヤツはいなかったからなァ……うけけっ。そうやって情報を流させることが目的だと思わないのかい? ボーヤ」 縁郎は眉を寄せた。 「オレサマが、お前たちと取引したのは、ギリギリの落第点に対するサービス。さすがに無条件は警戒すると想って、いろいろとしゃべらせてみたが……ふん、一度味をしめればまた欲しくなる。どれだけリスクがあってもな! 予想通り、お前は面白いもんをもってきた。ふーん、ふーん、そういうことね。うけけけっ!」 「まるで捕まることも予定のうちだったみたいな言い方だね。殺される可能性だってあるのに」 「お前らなら殺される可能性は低いって踏んだのさ。まぁ殺されたときはそのときさ! あとはここから逃げちまえばいいだけだろう? 情報を持ってなぁ」 にゃりとシャドウは笑い、むっつりとした顔の縁郎を見て肩を竦めた。 「そこまでする目的はなんなのか聞いてもいい?」 「楽しいからさ。楽しくて、楽しくて仕方がない! ふふ、ボーヤ、お前みたいな貪欲なやつは久しぶりさ。食べてあげたいくらいだ。……教えてあげようかぁ」 「なに?」 「巧くやってるつもりだろうが、そのうち罠にはめられてどうしようもなくなるぜ?」 縁郎が器用に片眉だけ持ち上げるのにシャドウはうけけっと不愉快な笑い声を洩らした。 「コレは忠告。で、ここからは面白い情報のサービスだ。……伯爵のヤツは、死ぬ覚悟くらいしてんだろう。じゃなきゃ昔、世界樹を単身で斬ろうなんて無茶苦茶なことはしねぇよ」 さすがの縁郎も目を見開いた。 「なんでそんなこと」 「思い出すのも腹の立つ、理想だけの女が殺されたからさ! まぁ、おかげであの銀猫伯爵に隙が出来て、クランチの野郎が裏で動けて……元々、あの二人は仲が悪かったし……ここらへんは御想像にお任せで~。銀猫伯爵が処刑されなかったのは、あいつを庇う奴が多かったのと、殺せるだけのヤツがいなかったから」 くすりとシャドウは微笑んだ。その姿が男のものから女へと――黒いドレスを身に付けたアリッサに変わった。 「さぁて、エスコートしてもらおうかしら? 縁郎」 ★ ★ ★ 目的の公園に誰よりも先に前へと進み出たのはシーアールシー ゼロだった。少女の両手にはしっかりと黒一色の杖が握られていた。 銀猫伯爵から渡された鈍姫だ。 ガルバリュート・ブロンデリング・フォン・ウォーロードと最後の魔女はシャドウの監視を引き受けている。 ゼロはゼロなりに懸命に考えた。 「伯爵に、敵ではないことを知ってもらうのです」 トラベルギアの能力でゼロは他者を傷つけることができない。 つまりは完全無害であるゼロが伯爵の杖を持つことで敵意がないことを知ってもらう配慮だ。 「けど、もしものときに備えてね」 と縁郎はゼロの横を歩く。 「攻撃力がないとしたらどっこいどっこいだからね」 一般人である縁郎がゼロと共に公園の敷地へと足を踏み入れる。 とたんに、眩い光が周囲を包み、その場にいた全員を飲みこんだ。 「むっ! これは……!」 ガルバリュートの仮面に隠れた青い瞳が見つめた先には――茜色に暮れゆく公園。先ほどまでみていたものと同じだが、どこか違う。 違和感の正体にはすぐに気がついた。 世界から音という音が一切なくなっている。 捨てられたように置かれた遊具のなかに立つのは―― 「待っていたよ、世界図書館の代表諸君」 太く落ちついた声、紳士服に身を包ませ、頭には帽子まで被った男、口元は人のそれであるが顔の半分を銀の毛で覆われた猫の仮面で隠してある――銀猫伯爵。 「こんにちはなのです。伯爵」 ぺこりっとゼロが頭をさげる。それに合わせて横にいた縁郎も頭をさげた。 「こんにちは」 ゼロは両手に持つ鈍姫を恭しく差し出した。 「まず、鈍姫をお返しするのです」 「……ああ、ありがとう。大切に扱ってくれたのだね。感謝するよ」 ゼロから鈍姫を受け取った銀猫伯爵は愛しげに己の武器を撫でた。 「ゼロはゼロなのです」 「僕は三ツ屋 緑郎です」 やや緊張した声で縁郎が挨拶すると、その横にガルバリュートがずいっと前へと進み出る。 「拙者、ガルバリュート・ブロンデリング・フォン・ウォーロードと申す。このような席を設けられた喜びを述べるとともに本来ならいるべきアリッサ館長が不在のこと、深くお詫びする」 礼義正しく腰を折ったガルバリュートは、巨体のせいで銀猫伯爵を見下ろすということがないように注意した。 「双方の今後のよりよき関係のため、互いの親睦を深めることができれば」 「あら、私は違うわよ」 優しく、甘い毒のような声で最後の魔女は今までの三人とは異なる、厳かな態度で銀猫伯爵と向きあった。 「私は最後の魔女。……勘違いしないことね。貴方の提案を受け入れたといっても、貴方を信用しない者もいるの。私はその代表よ」 暮れゆく夕闇のような紫色の瞳、花弁のような唇が弧を描く。 「少しでも怪しい行動をとれば……わかっているでしょうね? くっくっくっ……大丈夫よ。貴方が信用できる人ならなんの問題もないわ」 挑発的な態度に、銀猫伯爵は鷹揚に頷いた。 「それはそうでしょう。あなたたちにとってわれわれは多くのことをしてきた……そのためにもこの席がある。……まずは、貴女に信用されたいものだ」 銀猫伯爵は恭しく最後の魔女の右手をとると、甲にキスを落として一人の淑女として扱った。それはゼロも同じで、彼は膝を折って、その白い手に親愛の挨拶をした。 「えっとね、はじめに教えてほしいことがあるのです」 同じ視線にいる銀猫伯爵にゼロは真っ直ぐに語りかけた。 「最後の魔女さんがいったみたいに怪しい行動をとると、シャドウ・メモリさんと伯爵は会わせられないのです。シャドウ・メモリさんは危険すぎるのです」 「こちらとしては、シャドウ・メモリに銀猫伯爵殿がいかような待遇をするか、その上で奴を抑えられるかという点を確認せねば渡すことに承知できない、と結論が出ている」 ゼロの言葉を補うようにガルバリュートが引き継いで説明する。 「ゼロは、伯爵の力はすごいと、この空間を見て思うのです」 「うむ。拙者もだ」 「僕も……「死合」をするつもりなんですか?」 縁郎の言葉に銀猫伯爵の片耳がぴくりと動き、視線をゼロから縁郎に向けた。 「シャドウがそういったのかね?」 「ええ。もし、あなたがシャドウを死合で処分するなら、それに僕たちを立ち合わせてほしいんです。万一のために」 真剣な縁郎の顔に銀猫伯爵は口元を綻ばせた。 「君たちはなかなかに慎重のようだ。……そのほうがこちらとしてもありがたい」 すっと銀猫伯爵は立ち上がった。 「死合をするつもりはないが……シャドウ・メモリは?」 「ここに」 ガルバリュートがずいっと差し出したのは小さな硝子瓶だった。そこに黒い液体が詰まっている。 とぷっと液体が揺れる。 シャドウ・メモリは本人が言ったように大人しくガルバリュートが用意した連行用の容器のなかへと自らはいった。しかし、会談を破壊するのではないのかという懸念はある。シャドウの暴走を阻止するためにもガルバリュートは知り合いの能力者たちの間を駆けずり回っていろいろと用意し、いつでも発動できるように常に全身を緊張させていた。 さらにここには理不尽な無効化能力を持つ最後の魔女もそばに控えている。 「ひどい有様だな。シャドウ……聞こえているのだろう?」 今までの温和な声から一転して鋭い刃の声で銀猫伯爵はシャドウに問いかける。 「私がお前に求めるのは、今までの情報すべてだ。現在、どんな世界を侵略している、そしてクランチはなにをしようとしているのか。あの時のこととともに……語ってもらおうか、お前が知ることすべてを」 とぷっと黒い液体は揺れる。 うけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけっ! 不愉快な声をあげて、硝子が内側からひびがはいる。 どん、 どん、どん、 どん、 どんどんどんどん――! 「ガルバリュート君、それを投げなさい。危険だ!」 「むっ」 銀猫伯爵の声に、ガルバリュートの大きな掌にあった硝子瓶が激しく揺れた。 「させん!」 制御用ナノマシン粉末を振りかけようと片手を動かしたと同時に、それが飛び出した。 「くっ!」 黒い液体はすっと形を変えて小柄な少年――縁郎の姿をとると、にぃと唇を釣り上げて 「おせぇぜ、でかぶつ!」 「なんの!」 ガルバリュートがナノマシン粉末を持った手で掌打を放つ。が、シャドウは小柄さを利用してガルバリュートの膝に手を置き、身を捻って攻撃をぎりぎりで避けると 「うおらぁ!」 両脚を矢のようにしてガルバリュートの顎を打つ。 「くっ!」 ガルバリュートの体が揺らいだのに縁郎の姿をしたシャドウはさらに宙で身を捻るとガルバリュートの顔に回し蹴りを与えて地面に倒した。 「けっ! 狭いところにとじこめてやがってヨォ! このデカブツが!」 「……なぜ、私が否定しているのに」 最後の魔女が忌々しげに、手に持つ黒い鍵を構えた。 「否定? ああ、そういやーとりこんだ能力がつかえねぇなぁ。おかげさまで肉体戦になっちまったぜ。くくくっ……オレサマは記憶であり、それが本体。つまりは、オレサマの存在ごと消すなんてことでもしなきゃなぁ。テメェにはできないだろう? なぁ、可愛い魔女ちゃん?」 最後の魔女が顔を強張らせるのに、庇ったのは銀猫伯爵だった。 「彼女の愚弄は私の愚弄ととるぞ? シャドウ」 「……久しぶりだなぁ。銀猫伯爵よぉ」 シャドウは不敵な笑みを浮かべて銀猫伯爵と対峙した。 「テメェのクソな申し出なんざお断りだ。欲しけりゃ奪いな!」 「……それがお前の答えか?」 「当たり前だ! はっ。テメェのことだ。ここら一帯、核融合の一つでもしてオレサマを消しちまうくらいやるんじゃねぇかと思ったが、そいつらを巻き込めねぇからそれもできねぇだろう」 「彼らがいなくても、他の空間に影響を与えるようなことをお前のためにやるつもりはない。しかし、そうか。残念だ」 自分へと向かうシャドウに銀猫伯爵は冷ややかに告げると、片手に持つ鈍姫を一度撫でた。 黒い刃が煌めく。 「危ない! 魔女さん、銀猫伯爵は無効化してないよね? もししていたら、それを解かないと!」 縁郎が叫ぶのに最後の魔女は目を眇めた。 「……黙って見ててごらんなさい」 「え?」 シャドウの体が大きくのけ反った。 「あああああああああああああああ!」 悲鳴をあげ、苦痛と屈辱に顔を歪めたシャドウが地面に崩れる。必死に己の片腕を庇っているのに目を向ければ、肩からすっぱりと消えている。両膝も。 「っ! くそ、くそ、くそぉおおお! テメェ!」 シャドウが忌々しく睨む先には、いつの間にか片手に黒い刃を握っている銀猫伯爵が悠然と立つ。 「攻撃は避けたはず……因果律の干渉か!」 「攻撃をしたという行動を飛ばして、原因であるダメージだけ与えさせてもらった」 「けど、なんで、痛みが……っ、っ!」 「鈍姫の力は、吸収・強制。お前を構成する記憶に、鈍姫の持つ痛みの情報を流し込めばどうなるか……簡単な証明だ」 「……は、あはははは! あああ、ったく、本当に! 一線からひいてだいぶカンが鈍ったかと思えば、くくくくく、これだけの力がありながら! あんな女なんぞにほだかされて、侵略をやめようなんざ寝言をいいだしやがってよ! 力は奪うものだ、殺すもんだ。それをテメェは!」 シャドウの姿がぶれて、縁郎から女のものにかわる。柔らかな桜色の髪の毛に白いワンピースの可愛らしい女性へと、 「化物、お前なんて化物なんだよ! 私はお前を愛したのは化物が憐れだからっ……がっ」 シャドウの罵倒は最後まで続かなかった。その首に黒い鞘が突き刺さる。 「……っ、あ」 「マチルダの姿をとれば私が遠慮すると思ったか? お前お得意の言葉遊びか? 残念だ。私にはそんなものは一切通用しない……私に協力するか、死か。どちらか選べ」 にぃいいっとシャドウは笑った。 「てめぇなんぞに使われるなんざ、死んでも、ごめんだよ」 「そうか。……なら、空間に隔離させてもらうぞ。この件を知った以上」 「ふ、あはははははははははははははは! てめぇらの希望を砕いてやるよっ!」 シャドウは狂い笑いながら銀猫伯爵の持つ鈍姫を掴み、自分の体を突き刺した。とたんに顔が激しく歪ませた。肉体がぐんぐんと小さく、縮み、消えていく。 「がぁあああああああ! く、くくくく。あははははははははははは! オレサマの死は、届くはずだ! それがなによりの報告になるだろうよぉ!」 「くっ……シャドウ、お前!」 銀猫伯爵が鈍姫を引こうとするが、それ以上の力でシャドウは抗った。 伸ばされたシャドウの手は宙をかきむしり、腕、手が消えて首もまた 「地獄でまってるぜぇ、銀猫伯爵!」 空虚に、黒い刃が落ちて地面に突き刺さる。 銀猫伯爵は黙って鈍姫を手に持ち上げ、鞘のなかにしまった。 静寂のなか、銀猫伯爵は四人に向き直った。 「せっかくの席をこんな形で汚したことを詫びよう。すまない……君たちは私の能力も知りたいといっていたが、これで理解してもらえたかな? 私は魔力によって多くのものに干渉することができる、一番大きいのは先ほどみせた因果に干渉し、操ることだが……そして、鈍姫は吸収・強制の能力……口で説明するより、理解してもらえたと思うが」 「あら、まぁ……素敵な力だこと」 最後の魔女が微笑んだ。 「そうね、先ほどの力で貴方のことはだいたいわかったわ……そしてどういう覚悟なのかも、ね」 最後の魔女の桜貝のような唇がにぃと笑みを作る。 「そうね。信用のひとつもしてあげてもいいかもしれないわ」 「……伯爵」 おずおずと縁郎が前に進み出た。その手には白い花が握られていた。 「シャドウは僕たちにあなたのことを語ってくれました。けど、全部ではありません」 「うむ。貴殿のことはハンス殿やシャドウから聞いている。園丁との間に何か確執があるようであるが? 先ほど、シャドウが女性の姿をしたこととなにか関係が? ……語ってもらえないだろうか。貴殿がこちらに求めるものとともに」 銀猫伯爵は諦念のため息をついた。 「私は……世界樹に属する者として多くの世界を侵略した。多くの人々や世界を殺す罪も生きるという言い訳をたてて……そんな私を、マチルダは愛してくれた。彼女もまた覚醒した者の一人だったが、世界樹の在り方に疑問を抱き、他世界との共存を望み、奔走し……死んだ。……そのとき私は世界樹が彼女を屠ったと、怒りに駆られ、無謀にも単身で挑み……幽閉された」 苦しいものを飲むように銀猫伯爵は続けた。 「証拠があるわけではないが、裏で糸を引いたのはクランチだ。……彼は私が目障りだったのだろう。なにより私がいたころならば、今のような侵略や保護した者たちの待遇を許しはしなかった……! 君たちのところの組織がどのような活動をしているのか、断片的にしか知らないんだ、教えてくれないか」 「ゼロ、説明するのです。えっとね、ハンスさんはとある男の人と意気投合して、その隣の部屋に住んでいるのです。メランジェ・ブーランジュというパン屋さんで働いていて、『つんでれ』という種族で世界司書の飛鳥さんにこき使われているのです」 ゼロは懸命にたどたどしく語る。 「移動パン屋さんも好評だったのです。百個のパンを売ったのです。ターミナルは戦わなくて生きていけるのです。世界図書館の活動は基本的に世界の安寧を増やす方向なのです」 「そうである。われわれの活動を貴殿に聞いていただきたい」 ガルバリュートも自分の行ってきた活動を飾りのない言葉でストレートに語る。 「其方の条件に対して可能な限りの協力をしたい」 じっと伺うように見つめていた銀猫伯爵はふっと口元に笑みを浮かべた。 「よかった、ハンス……私の今の望みはたった一つ。マチルダの望みを叶えることだ。戦いを望み、破滅と絶望を渇望する者は仕方がないが、ハンスのように望まない者を強制的に戦いへと駆り立てるようなことはしたくない。……選べるならば選ぶ権利を与えてやりたい。罪を悔いたならば、それを償うことを……永遠に等しい時間で、変われる者もいる。それを私はマチルダに、彼女の与えてくれた愛情で教えられた……君たちならば、迷う者を正しい道へと進ませられるだろうと今のことで確信できた」 ありがとう、と銀猫伯爵は口にした。 「まだ礼を言うには早いです、伯爵……移籍を望む旅団についてこちらも考えたんです」 伯爵が選び、そのうえでこちらも審査を行うと説明のあと、縁郎は提案した。 「伯爵がその人が信頼できるという証を持たせられませんか? 出来れば伯爵だけが用意できて、他者への譲渡が出来ないものがいいんです」 「そうね。そうしてくれたほうが、困った裏切り者さんが誰かすぐにわかるわ。受け入れることは容易いもの。そして裏切りには裏切りで返せばいいもの」 最後の魔女の不吉な言葉に銀猫伯爵は考えるように目を眇めたあと、では、と口にした。 「マチルダを持たせよう」 「マチルダ?」 縁郎が目を瞬かせる。 「私の庭で育てた白い花だ……貴女が私を信じてくれたお礼に、最後の魔女」 銀猫伯爵の手のなかに白い花が生まれ、最後の魔女に差し出した。最後の魔女はその花を受け取りまじまじと見つめたあと、縁郎に渡すと 「あ!」 縁郎が受け取ったとたん、白い花は一瞬にして醜く枯れ果てた。 「私の魔力によって咲いている花だ。私が許可した者以外が持てばたちまち枯れてしまう……これを証として持たせよう」 「ありがとうございます。伯爵」 「では拙者からも質問をさせていただきたい」 ガルバリュートは真剣な表情で問うた。 「世界樹へと行くことは可能であろうか。シャドウ殿はナレンシフでしか行けないといっていたが……我々でも操作することは?」 「基本的にはナレンシフしかありえないが……私が誘導すれば君たちの持つ乗り物でも可能だろう。それに、ナレンシフを操作することは難しいものではないので教えれば君たちでも十分可能だ……なにか気になることでもあるのかい?」 「うむ……そちらへと行った者がいるが、彼らは無事であろうか、そして取り戻すことはできるだろうか? クランチの部品を埋められているらしいのだが」 ガルバリュートの脳裏に大切な仲間の顔が思い浮かぶ。普段は隠しているが、別れてしまった仲間のことが本当は心配でたまらないのだ。 銀猫伯爵はしばし思案したあと 「私は彼らにまだ直接は会っていないが、機会があれば接近してみよう……ただクランチの部品を埋め込まれているというならば、彼を裏切ることは出来ない」 ただし――絶望に落ち込むガルバリュートに銀猫伯爵は続けた。 「クランチを殺せば部品の機能を失わせることが出来るかもしれない」 その言葉にガルバリュートは安堵のため息をついたあと畳みかけるようにブルーインブルーでの日和坂綾の失踪事件についても尋ねたがそれについては銀猫伯爵は渋い顔をして首を横に振った。 「すまないが、それについて、私はまったく知らない……あまりにも長く外との関係を断ちきっていた私の怠慢だな」 「いや、心遣い感謝する……あともう一つだけ」 「なんだね」 「針のワーム化プロセスについて気になっていたのだが」 「ああ、あれかい……あれは世界群の情報を流しみ、強制的に覚醒に近い状態に陥らされるんだ。本来、覚醒しない者がそうなった場合、ファージ化する。それを操ること自体はさして難しいことでないんだよ……これくらいでよいかな? シャドウのこともある。そろそろここから離れたほうがいい」 「ありがとうございます」 「です」 縁郎、ゼロ、ガルバリュートが頭をさげるのに、最後の魔女はかるくスカートの端をつまんで挨拶をした。 「いまだ敵である状態を加味した上で再びの会見が出来れば幸い」 ガルバリュートが大きな手を差し出すと、銀猫伯爵も頷いて、かたい握手を交わした。 「あの、これ」 縁郎が差し出したのは自分のノートだ。銀猫に渡し、今後の連絡を円滑に出来ればと考えてのことだ。 「受け取るのは構わないが、これで連絡が出来るかはわからない。最悪、私からの一方的に連絡させてもらうことになるが? 君は困らないのかね?」 「はい。もともと渡す予定でしたから。連絡についてもわかりました」 「では、外へ……シャドウのことは私が誤魔化しておくから君たちは心配しなくて構わない」 会談を終えて、ただの公園へと戻ってきた四人は身を強張らせた。 目の前に立つのは銀色のケンタウロスと黒いコートの男。 「シルバィ、水薙」 銀猫伯爵が絞り出す。 水薙はおもむろに片腕をあげると、どすっ! 破壊音をたてて噴水が吹っ飛び、水が溢れだす。 「園丁から銀猫伯爵が動いたから監視にいけってくだらねぇ命令はテキトーにしようと思ったが……先、シャドウが消滅したって報告がはいった。あんなやつだが、仲間だ。テメェら全員を始末するくらいはしてやらねぇと浮かばれるぇだろう。シルバィ」 「うむ。いつでも良いぞ」 触れれば壊れるような緊迫のなかで動いたのは銀猫伯爵だった。 「二人とも、まってくれ。私が」 最後まで言葉は続くことはなかった。 駆けだしたシルバィにガルバリュートが応じた。 がっつ! 二つの大きな力の塊がぶつかりあい――轟っ! 空気がぴりぴりと震え、裂ける。 「く、くおおおお!」 「あはぁあああ! ……っ! ガルバリュート殿、次の瞬間、大げさに倒れてくれ」 「むっ」 小声で告げられた言葉にガルバリュートははっと目を見開いた。 「はぁああああ!」 気合いの一撃にガルバリュートの巨体が宙に浮き、大きく吹っ飛ばされる。それに合わせて水の矢が放たれ、縁郎たちを怯ませた。 銀猫伯爵は鈍姫を握りしめた。 「……君たち、合図したらガルバリュート君と逃げなさい」 「けど、伯爵は」 「大丈夫だ。彼らはむしろ……いまだ、いきなさい」 天からいきなり降る水によって、すべての言葉が遮られる。素早く動いたシルバィは銀猫伯爵を抱えて、水薙の元へと駆け戻る。 「この雨で園丁の目を誤魔化せるが、せいぜい一分そこそこだ。その間にさっさと逃げな、世界図書館ども」 降りしきる雨のなかで水薙は真剣な顔で言い放った。 「銀猫伯爵は世界図書館側を騙してシャドウ奪還を試みたが、シャドウは殺され、お前らには逃げられた。それ以外の報告は俺もシルバィもしない……はやく行け!」 「……彼らがどういうつもりにしろ、この好意、無駄にしてはいかん。行くぞ、みな!」 ガルバリュートは幼いゼロを腕に抱きあげると、縁郎も頷いた。 「行こう。はやく逃げないと、すべてが無駄になる!」 「そうね」 去り際に、ふと思いついたように最後の魔女は足を止めて振り返った。 「これは……私個人的なことだけど、あなたを今、支配しているものはなに?」 激しい雨音のなかで魔女は尋ねた。届く、届かないを気にせずに。 恋人を亡くした恨みなのか、憎しみなのか、嫌悪なのか、絶望なのか、はたまた復讐の快楽なのか。それとも恋人の残した意思を継ぐという使命感? 自己陶酔? 目が言葉よりも多弁に問いかけるのに銀猫伯爵の唇がゆっくりと動き、告げる。 「魔女さん、はやく!」 「……」 最後の魔女は何も言わずに走り出した。 多くの課題を抱えた四人を乗せて、ロストレイルは駆ける。 どこまでも続く景色を見つめて最後の魔女はぽつりと呟いた。 「……義務、ね」
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