「《海賊法》にもとづき、ジェロームを反逆者とみなす……だと? おいぼれが戯言を」 偉丈夫は、布告をせせら笑った。「よかろう。ならば今より、この俺こそが新たな法だ。海賊王の幻想に縛られた時代は終わりを迎え、海原は次なる支配者を迎え入れるだろう。この俺、ジェロームこそが海賊王をも超える海賊皇帝として、すべての海に君臨するのだ」 消息を絶ったロストナンバー、日和坂 綾のゆくえを追ってブルーインブルーへ向かった特命派遣隊は、彼女が列強海賊ジェロームに捕らわれたことを知った。 しかもその裏には、別の列強海賊・“赤毛の魔女”フランチェスカの謀略があったのだ。 最強の海賊と言われたジェロームは、フランチェスカのはたらきにより、今や全海賊から、海賊社会の秩序を脅かす反逆者とみなされてしまった。孤立したジェロームがとった方策は、ジャンクヘヴンへの急遽の進軍。 海上都市同盟を滅ぼしてしまえば、海賊間で孤立しようと関係なく、ジェロームの覇権は確立する。 微妙なパワーバランスを保っていたブルーインブルーの海の平穏は、一挙に戦乱へと傾いたのである。 ここに、特命派遣隊の成果が生きてくる。 ひとつは、ジェローム進軍の情報を誰より早く得たということ。 次に、進軍を開始したジェロームの拠点にして旗艦・ジェロームポリスの現在地を把握していること。 最後に、ジャンクヘヴンで亡きレイナルド宰相の遺した「ジャコビニの幽霊船」を入手したこと。「このまま放置すればジェローム軍は海上都市群へと迫り、ブルーインブルー全土を巻き込む戦争が始まってしまう。そうなればジャンクヘヴンは、当然、世界図書館の助力を乞う。けれどその段階に至っては状況の泥沼化はいっそう進んでいるだろう。そうなるより先にジェローム軍を壊滅させることは、かえって、事態をきれいに収束させることができるはずだ」 特命派遣隊の大使として同地に赴いていた世界司書の判断を、世界図書館も支持した。 どのみち、ジェロームポリスには日和坂 綾が捕らわれているのだ。戦いへの関与は避けられなかった。 作戦はこうだ。まず「ジャコビニの幽霊船」がジェロームポリスに近づき、周辺海域に霧を発生させる。 霧にまぎれ、ジェロームポリスに上陸したロストナンバーが騒ぎを起こし、都市に混乱を招く。その隙に、複数のゲリラ部隊が都市内に散る。ジェロームの軍団は、当人の絶対的なカリスマ性のもと、「鋼鉄将軍」と呼ばれる直属の指揮官によって統率されているという。この指揮官たちを討ち取ることができれば、軍団は自然と崩壊してゆくだろう。逆に、かれらが存命であれば、ジェロームポリスを失っても、残党が再び組織されるおそれがあるため、指揮官を倒すことは重要な意味を持っていた。 この作戦はジェロームポリスが同盟の海上都市に近づく前の海域で行われる。 静かな海に霧が満ちるとき――ブルーインブルーの歴史の1頁が、書き換えられるのだ。 ◇ 旅人たちは駆ける。 鋼鉄の甲板を。木製の跳ね橋を。たった一人、籠の中に囚われた仲間を救うために、或いは異世界の協力者を護るために、数多のロストナンバーが霧と共に機械仕掛けの都市を蹂躙する。 ――そんな中で、彼らは住宅地の住民を避難させるために動いていた。研究所から住宅地のエリアへとつながる長いトンネルを駆けていく。 見上げた空は煤けて不明瞭な硝子に似た天蓋に遮られ、ポリスを覆う、亡き宰相の遺した霧も此処までは届かない。 霧の代わりに、場を覆うのは噎せ返るほどの熱。 燃えている。燃えているのだ、街が。建物が。橋が。 コンダクターの誰かが起こした炎か、海賊が自棄を起こして火を放ったか、或いはその両者か。作戦の中、気が付けば彼らが奔るこの一帯は炎に包まれていた。水を操るツーリストが何人も消火に回っているが、それさえも追い付かない。 燃え続ける炎に追われるようにして、旅人たちは走る。一刻も早く、生存者を探しだす為に。 ふと、トンネルの一本道を塞ぐように、白い人影が立っている事に気が付いて、旅人たちは足を止めた。「誰だ」 誰何の声を投げても、影の主が応える事はない。ゆらゆらと踊る炎に巻かれ、蜃気楼のようにその姿が揺らぐ。 青く、白く。 燃え上がる星のように澄んだ色の鎧を身に纏い、その人物は彼らの前に佇む。頭の天辺から足先まで、一部の隙もなく鋼鉄に覆われたその身は、堅牢でありながらどこか細い。俊敏さも兼ね備えた、油断を許さない立ち姿。 全身を筋肉で覆った猛獣によく似た身体つきだ、と、相手の顔すら判らないのにそう思わされるのだ。 鋭い威圧感を以って旅人たちの足を止めた白鎧の騎士は、しかしそれ以降何を仕掛けてくる事もなかった。兜の下から彼らを観察するような視線だけを感じる。 暫しの間、膠着状態が続いた。「……はは、はっ」 不意に、ロストナンバー達の背後から笑い声が上がる。 振り返れば、血を流し倒れているひとりの海賊が、彼らを見上げて不敵な笑みを浮かべていた。その腹部から絶え間なく血を流し、迫りくる熱に煽られて尚、彼は己が軍の勝利を信じて疑わない。「鋼鉄将軍のお出ましだ。《籠絡の檻》ワーキウ――貴様ら、生きて帰れると思うな」 そんな、不穏な言葉だけを残して、海賊はそれきり瞳を閉じた。 白い兜に覆われた貌が倒れ伏した男へと向けられる。頭部の天辺から垂れる房飾が、熱風に巻かれて彗星のように銀色に靡いた。 一時、悼むように顔を伏せて、鋼鉄将軍は身を翻す。 そして、片手に握る長剣を大きく揮う。「――!?」 轟音を立てて、大振りな刃が鉄板を砕いた。 トンネルの壁から床にかけてがまるでバターのように容易く粉砕され、ブルーインブルーの鮮やかな海へと落ちていく。柱の如き水飛沫が立ち上がる。残されたのは、到底飛び越す事の叶わない巨大な穴。――旅人たちの進むべき路が、たった一振りで断ち切られたのだ。 崩落した床を背に、無言の鎧騎士は再び彼らを振り返る。無造作に握る刃が重く暗い色を閃かせた。兜の顎を、小さく上げる。 ――ヴン、と、鼓膜を衝撃が襲った。 同時に、頭上から何かに押し潰されるような錯覚。 耳鳴りに似た不快感を振り払いたくて、耳を塞ぐために腕を持ち上げる、その動作ひとつにも普段の倍近い力を必要とさせられる。 ただひたすらに、重い。腕が、足が、指が、肩が。身体の全てが。「――重力負荷……!?」 ロストナンバーの誰かがそう呟いても、眼前に立つ白鎧の騎士は首を傾げるだけだった。言葉の一つも発さず、白い兜の下から彼らを見遣っている。 この作戦の指揮を取った、世界司書の言葉が蘇る。 曰く、“鋼鉄将軍”には人でありながら人を越えた身体能力を持つものが存在する、と。 彼らは決してロストナンバーなどではなく、確かにブルーインブルーの住人のはず。だが、超人的な肉体によって“奇跡”にも等しい何かを成し遂げてしまうのだと。それは或いは鉄の皇帝のように、古代文明を己が身に取り入れた故の力かもしれないし、ただならぬ努力と鍛錬の末に身に付けた技能かもしれない。――ただ確かなのは、ロストナンバーでさえも苦戦する相手だと言う事だけだ。 そう考えている間にも、ロストナンバーの鼓膜を何かが震わせ続け、肩に何かが圧し掛かってくる。彼の鎧騎士は決して、彼らに指ひとつ触れていないと言うのに、だ。 《籠絡の檻》。 それは“何らかの力を以って”、相手の動きを著しく制限する場を発生させる、その脅威から来た名なのだろうか。――素性を暴こうにも、名すら名乗らない寡黙な騎士はただただ立ち尽くすだけだった。相手が剣を構えない限り、戦闘を行うつもりはないのだろう。 振り返れば、そこには男の骸と、燃える炎の壁。 退路はない。 進むべき路もまた、ない。 凛然と佇む《籠絡の檻》を前に、旅人たちは覚悟を決め、己が武器を構えるほかなかった。!注意!イベントシナリオ群『決戦!ジェロームポリス』は同じ時系列の出来事を扱っています。同一のキャラクターによる『決戦!ジェロームポリス』シナリオ、およびパーティシナリオ『【決戦!ジェロームポリス】軍艦都市炎上』への複数参加(抽選へのエントリー含む)はご遠慮下さい。●特別ルールイベントシナリオ群『決戦!ジェロームポリス』において、1つの通常シナリオの参加者は1つのチームとして行動するものとします。通常シナリオでは、各チーム(各シナリオ)ごとに、1人の敵指揮官と戦います。登場する将軍についての情報はオープニングを参照して下さい。なお、全シナリオのうち1チームのみ、全軍を統率する“鉄の皇帝”ジェロームその人とまみえるチャンスがあります。ジェローム団の首魁、列強海賊最強の男と戦う誉れを狙う方は参加決定後、3月31日10:00までに、プレイングを編集して「ジェロームにたどりつくための手段」を書くようにして下さい。4月1日23:00までに事務局が「全シナリオ参加者のプレイング内容」を確認したうえ、もっとも妥当なプレイングを書いていた人のいるチームが、ジェロームに遭遇したと判定します。※3月31日10:00~4月1日23:00まで、プレイング編集はご遠慮下さい。キャラクターシートの内容は参照しません。※ジェロームに遭遇した場合、当該シナリオ参加者には告知されます。告知のなかった場合、シナリオ中でジェロームには会えません。
背後で炎が爆ぜる。足元で波が弾ける。街の何処かで機械が駆動する。遠くで誰かの叫びが響く。 幾つもの騒音が、無言に切り離された戦場を彩っていた。 「この状況で時間を掛ける余裕はない、か」 ジュリアン・H・コラルヴェントの声が、冷涼な風のように響き渡る。 鼓膜を不快な振動が襲う。重い指を上げ、トラベルギアの柄に手を置く。甲冑姿の騎士はその白兜の下から、彼の一挙一動に注視しているようだった。 しゃらり、と金属的で華奢な音を立てて、流麗な細工の為された剣の鞘を払った。螺旋纏う風に似た柄で、蒼い刺青の走る端正な指先を隠す。 鋼鉄将軍、と死した男は言った。 その仰々しい名はつまり、この軍艦要塞において目の前の鎧騎士が一定の地位を得ているということでもある。 彼の寡黙な騎士が指揮官なら見逃し難く、かつ襲撃者である自分たちを見逃す保証もない。 戦闘は避けられない、と、己の意志も情も全てを排した“傭兵”は、光落とすような蒼い瞳をすっと細めた。 「……しかし、何故トンネルを断ち切る必要があったのか」 インドラ・ドゥルックの真紅の髪が風に散る。 凛とした声でそう呟いて、左手の革手袋を外す。触れあった両の指先がぴり、と電流を起こして、しかし痛みひとつ感じることなく彼女は唇を擡げた。女らしさを残した細い指先を僅か眺めて、ふと視線を上げる。 白銀の甲冑が佇む、その背後に広がる青。 剣の一振りで断ち切られた橋。 最早何人も、あちらへ渡る事は出来ない。 「向こうに生存者は居ないのだな?」 インドラの凛然とした金眼が問う。白鋼に身を包んだ鎧騎士は言葉を紡がないまま、ただ静かに佇む。或いはそれは、立ち尽くしていると呼んだ方が相応しいようにも思えた。 ふと、純白の甲冑が、軋む音を立てて動いた。 自身の身の丈ほどもある大剣を、片手で易々と持ち上げる。踊る炎の緋を受けて煌めく刃を、その切っ先を対峙するロストナンバーへと向けた。――否、彼らの背後へと。 釣られるように振り返る。しかし、そこにはやはり、硝子張りの天井までも溶かし尽くさんばかりの勢いで燃え上がる、炎の壁だけが迫り来ている。 最早男の骸は呑み込まれた。確かに、その炎は前進を続けている。 隣に立つ、大柄の青年がぶっきらぼうに舌を打つのを聴きながら、インドラはふと脳裏に閃いた言葉をそのまま唇に乗せた。 「これ以上、炎を進ませないために?」 答えを求めるように振り返る。大剣を降ろした甲冑の騎士は、白く細い兜の顎を引いてひとつ頷いた。長い房飾りが彗星のように揺れる。 ――他者を顧みないのではなく、他者を護るための行為だと、寡黙な騎士はそう語る。 ただの機械ではない。意志のある、人間の行動だ。 「……なるほど」 男性的な、端正な容貌に華やかな笑みを浮かべ、インドラもまた頷いた。 「ならば、その覚悟にこちらも応えるとしよう」 そして、腰に巻き付けた剣を手に取る。硬質なはずの刃がしなり、地面へと垂れる。まるで、龍の身体のように。 鼓膜が震える。びりびりと走る、電流のような刺激に身体の動きを束縛される。 それでも、誇り高き女騎士には惑いなど無かった。 死が迫り来る。 炎と言う形を取って、静かですらある音を立てながら、彼らの背後からにじり寄る。 ルカ・ジェズアルドは再び舌を打って、しかしもう振り返ることはなかった。 己が身に死が辿り着くことよりも、多くの住民の死を見ることの方が、彼にとっては耐え難い。――だから、多くを救うためにトンネルを断ち切ったという彼の鎧騎士の行動には、決して驚きを抱かなかった。 無言で佇む白鋼の風貌には、覚悟すら滲んでいる。 少なくとも、ルカの眼にはそう見えた。 (……想いはどうあれ、所詮はお偉い様方の駒、か) しかし、選んだのは自分だ。深く考える必要など無い。今はただ、目の前の状況を打開する事だけを考えなければ、と気持ちを切り替える。 足場は脆い。 大剣使いが二人、一度に暴れ得る戦場ではない、とルカの冷静な思考が働く。パスホルダーに手を当てながら、クレイトスを呼びだすか否か、彼は数瞬迷っていた。 しかし、相手は鋼鉄将軍と呼ばれる存在。 慣れない戦い方ではそれこそ足元を掬われるだろう。 素直にクレイトスを構えるという結論を出し、両手に現れた、普段の倍近い重みを馴染ませる。次いで鋭く視線を巡らせ、不可解な事象の原因を探る。 (あの剣が、重力の発生源で……着込んでる鎧が外部干渉をシャットダウンしている、とか) いっそ不自然なまでに肌を見せない、どこまでも頑強な鎧姿が気にかかる。そして、“重力”という場全体にかかるような力を持ちながら、相手は何の対策もしていないのか、とも。 ――勘は経験に基づいた思考、 不意に、養父の言葉が脳裏に翻る。 軽薄で適当な男だが、その言葉は時に思いもかけぬ重さを伴って、ルカの胸に残るのだ。 ――経験が浅い内の勘はアテにならない。 (……んなもん、わかってんだよ。クソオヤジ) 胸中で毒づき、素直になれない息子は瞳を一層鋭く細める。 そして、大きく一歩、踏み出した。 刃を揮う。重力が増幅されているというのなら、それに惹かれるままに剣を落とせばいいだけだ。 降り下ろした剣は、重く鈍い軌道を描いた。純白の甲冑がそれを見とめ、難なく身を捻る。獲物を捉え損ねて落ちる刃が、鉄の床を勢い良く叩いた。固いはずの金属は脆く、重い一撃に耐えきれず大きな亀裂を走らせる。 舌打ちをひとつ落とし、その場から飛び退く。 やはり、重力の掛かった場において大振りの攻撃は不利だ。当たる当たらないを別にしても、崩れやすい足場がネックとなる。 どうすべきか、と無言で思案するルカの目の前で、真紅の長い髪が踊った。 騎士然とした衣裳を翻し、白く繊細な掌を亀裂の走る鉄板に添える。そして、ひと呼吸の内に、鉄板は元の滑らかな表面へと――或いは、元よりも更に頑丈な造りへと変化した。 「……!」 唖然とするルカへ、インドラは振り返ると不敵な笑みを寄越す。 「戦場を気にする必要はない。わたしが居るのだから」 白い掌をひらりと振って、拾い上げた鉄屑を瞬時に短い刃へと変えてみせた。――それこそが、彼女の持つ金気の女神の力なのだと誇示する。 華やかな美貌の笑みを目の当たりにし、仏頂面の青年は低く唸る。 「…………す、すまない」 何と言葉を発していいものか判らず、しばしの沈黙の後、それとだけ答えた。――ありがとう、だとか、迷惑をかける、だとかの方がよかっただろうかと、内心葛藤を繰り返しながら。 小柄な黒が、鉄板の上を飛び跳ねるように駆ける。 人の膝ほどまでしかない大きさの、漆黒の猫――ナイン・シックスショット・ハスラーは、身にかかる重圧に翻弄されながらも、持ち前の身軽さで以って鋼鉄将軍の注意を惹いていた。 白鋼の騎士は重量のある鎧を身に纏いながら、小柄なナインに後れを取ることなく追従する。 「こいつ、ホントに人間――」 大きく振り抜かれた刃を紙一重で避け、思わずそう零し、しかし続く言葉を不意に変える。 「――いや、そもそも生き物なのか?」 猫の金眼が純白の甲冑を訝しげに見遣る。 「ゴーレム、とかじゃねぇよな」 自身の出身世界に当て嵌めて、その正体を探る。魔道具――つまりは人為的に造られた、戦闘の為の兵器。この世界で言うなれば古代文明の機械か。 重力負荷に、これほどの怪力と敏捷さ。 とても人間の業とは思えない。 「なるほど、古代文明の遺産か」 冷やかで端麗な声が吹き込む。 ひらりとコートの裾を払い、踊るように飛び込んできたジュリアンが風纏う細剣を揮った。見かけに反し、彼の念動力を乗せた刃は重く鋭い。白鎧の首筋を抉るように突き込むが、それはやはりしなやかな動きで躱されてしまった。 「……人の業と見るより、そっちのがまだ納得できるな」 端正な顔立ちには、笑みも何も浮かばない。 しかし、太刀筋には何処か焦るような色がある。 背後の炎と眼前の海、そして脆い戦場。時間的猶予がそうないことを持ち前の感応能力で敏感に察し、手早く勝負を決めてしまいたい、という思いが彼の剣閃を鋭く、より苛烈にさせる。 「だってよ、」 そこで一旦言葉を切り、ナインはずり落ちかけた帽子をかぶり直して擦れ違いざま、金の眼をジュリアンへ向けた。 「俺たちの会話、聞いてるはずなのに何も反応しねぇ」 「意志はあるようだけど」 少なくとも、彼らと己の逃げ道を断ち切ったのは、彼自身の意志だ。 薄氷の如き鋭さと、脆さを内包した蒼い瞳が滑る。 「聴く耳を持たないのか、或いは聴こえてないのか」 ジュリアンの冷えた視線を受けて尚、彼の白騎士は何も応えようとしなかった。 引く足が重い。構えなおす腕が鈍い。鼓膜が大きく震える。 肩を、耳を、身体を襲う抑えつけられるような感覚。 それが真実重力によるものなのか、見極めなければならない。 蒼い瞳を細め、ジュリアンが剣を持たぬ側の手で懐から取り出したのは、数本の短剣。それを目に留めたのか、ナインが甲冑へ目掛けて駆け出した。 己の魔道具【シックス・ショット】を片手に構え、まっすぐに敵へと飛び込む。猫のしなやかさで以って鈍重な動きをカバーし、ナインは鎧騎士の意識をこちらへと引き寄せた。 大剣を振り上げる、その隙を狙って引き金を引く。 「ブランク・ショット!」 魔弾が、真白な軌道を描いて銃口から放たれる。 それは至近距離の敵を、避ける間も与えず捉えた。純白の甲冑の胸元に突き刺さる。鋼に当たり、跳ね返った音はない。 降り下ろそうとした大剣が、ワーキウの動きが、刹那制止した。 「――!」 鳥肌にも似た、何かが駆け抜ける。 その瞬間を見逃すなと、ジュリアンの第六感――感応能力が訴えている。即座に壁を駆け登り、彗星の鎧に狙いを定め、短剣を投擲した。念動力の込められた数本の刃は過たず空を切り裂く。 風が鳴るほどの鋭さで迫ったそれは、我に返った鎧騎士を穿つ事はなかった。咄嗟に転がるようにして逃げられ、木板に突き刺さる。 だが、それで充分だ。 地面へ向け落下しながら、端麗な容貌にいびつな笑みを咲かせる。 彼の放った短剣は普段と変わらぬ軌道を描いて飛んだ。――重力負荷の影響を、受けていなかったのだ。 「……やっぱり、モノには効果がない、か」 確信を以って、そう呟く。 地面に落ちたジュリアンの頭上を薙ぐように、大剣が閃いた。 「おっと」 身を翻し、派手な一撃をくれた純白の甲冑を惹き付けるように後退する。舞踏のような仕種で逃げる彼の後を継いで、ルカが飛び出した。 緑青色の峰が躍る。 翳した勢いのまま、剣の重力に振り回されるようにして大きく揮う。 白鎧が大きく跳躍し、剣閃を躱す。降り抜かれたルカの刃は地面へと落ちて、轟音と共に鉄板の床に大きく罅を入れた。 「……ッ!」 避けられた。 眉間に大きく皺を寄せ、しかしその唇がいびつに持ちあがる。上空から落ちてくる彗星の鎧を、降り下ろされる大剣を、重力を物ともせぬ素早さで持ち上げたクレイトスで受け止めた。 櫛状の刃の隙間に、ワーキウの剣が落ちる。 甲高い音を立てて噛み合う、刃と刃。鼓膜が震える。 瞬間の拮抗。 挟んだ相手の剣ごと、ルカがクレイトスを真横に引く。それを察し、ワーキウが刃を退き抜いた。飛び散る火花、両者は反発しあうように身を離す。 甲冑の騎士が構える、白い鋼の刃に亀裂が走っている。 “ソードブレイカ―”。 ルカの構えるクレイトスは名の通り、相手の武器を破壊するための剣だ。 完全にへし折るまでには至らなかったものの、効果的な一撃を与える事は出来た。ぶっきらぼうな青年はその仏頂面を微かに、誰にも気づかれないほど微かに緩め、再び剣を己の前で構える。 二度目の斬撃は、やはり彗星を捉えるには至らず、亀裂の入った鉄板を打ち砕いた。青い海がその隙間から覗く。 「……声を発さないのは何故だ?」 人ひとりは容易く呑み込みそうな、大きな穴。それを修正しようとした手を止め、ふと、インドラが疑問を口にする。純白の鎧騎士は聴こえているのかいないのか、ただ首を傾げ、無造作に大剣を揮った。 近くで対峙する鎧騎士は、予想以上に小柄な体躯をしていた。大柄なルカやすらりとしたジュリアンほどではないにせよ、女性であるインドラよりも低い。巨大な剣を揮う腕も何処となく細く、脆さを窺わせるほどだった。 小柄な体躯の何処にそれだけの怪力が、と目を細めて見遣っても、視線には気付いているはずなのに応える素振りひとつ見せない。 「……中身が機械であっても驚かぬぞ」 その無機質さに溜め息を吐いて、雷を纏わせた剣を叩き付ける。 「ナイン!」 インドラの凛とした、中性的な声が駆け回る仲間の名を呼ぶ。壁を蹴り、鈍い動きながら鎧騎士を翻弄していたケット・シーは振り返る事なく応えた。 「何だ!」 「あなたのトラベルギアは“音”だったな!」 雷龍の刃をしならせ、ワーキウの動きを阻害して彼のフォローをする。その隙にひらりと駆け寄ったナインが、件のトラベルギアを取り出して彼女に示してみせた。 音叉の剣。 刃でありながら、音を放つことのできる剣だ。 「これか」 インドラはひとつ頷き、ジュリアンの風刃に巻かれる敵を指し示し、次いで己の耳を指差した。 「奴の能力も、“音”によるものだとわたしは考える」 鎧騎士の現れてから、常に鼓膜を揺さぶり続ける振動。 その正体が、重力負荷によるものではなく、純粋に鳴り続ける“音”だとしたら? 「……なるほどな」 猫の耳をぴくりと震わせて、ナインが頷いた。漆黒の毛並みの中、帽子の鍔の下から黄金の目を煌めかせてワーキウを見遣る。 白鋼の騎士が、剣を揮いながら小さく首を傾げた。 その視界へ誇示するように、音叉の剣を高く掲げる。 音叉の剣が、鳴り響く。 高く、高く冷涼な音が、炎と水に遮られた戦場に充ちた。 その刹那、身を襲う重圧が唐突に失せた事に、ロストナンバーは気が付く。 読みが当たった、とインドラは薄く笑い、踊るように華麗なステップを踏んだ。雷龍の剣を撓らせれば、当惑の中にありながらも頑健なる鎧騎士は低く飛んでそれを躱す。 踏み抜く足が軽く、剣を撓らせる腕が迅い。 それだけで、こうも心が軽くなるものかと、内心で感嘆する。 まるで彼の騎士の発する音に、心そのものを囚われていたかのようだ。 ――原理は判らないが、彼の騎士か、戦場か、何処かから彼らには聴こえない“音”が響いていたのだろう。それが、鼓膜を持つものだけに干渉し、行動を鈍らせていた。 重力などではない。ただの錯覚なのだ。だからこうして、ナインの音叉の剣だけで打ち消す事が出来る。 「正体さえ分かればこちらのものだ。あとは、音源、か」 それを調べるには、簡単な方法がある。 真紅の髪を靡かせて、男装の女騎士はまっすぐに白鎧へと踏み込んだ。 「拝見するぞ」 凛冽な瞳を、笑みに細める。 愛おしい者へそうするかのような、優雅な所作で、インドラはむき出しの指を白兜の頬へと滑らせた。 ぐにゃり、とその貌が――鎧兜が歪む。 「――!!」 金気の女神の力によって、液体のように溶けた白鋼は、容易く地面へと流れ落ちた。 彗星の房飾りが落ちる。 長い、銀の髪が靡く。 透き通るほどに白い肌が、いびつに光を返す。 「やはり」 インドラが呟く。その頬に指を滑らせたまま、男性的な美貌に溶けるような笑みを浮かべた。 幼くすらある、大きな青い瞳が零れんばかりに見開かれる。 ――彗星の兜が剥がれて、現れたのは、華奢な娘の貌。 鋼鉄将軍が頑なに甲冑の奥へと押し込めていた、その秘密が暴かれる。 「女、か」 「……!」 やりにくい、と一言零し、ジュリアンが肩を竦める。 最早条件反射のように女性に強く出られない彼だが、敵となれば話は別だ。年端も行かぬ娘と言えど、怪力と特異な“声”で彼らを翻弄した相手に変わりはない。 その傍らではルカが、仏頂面のまま数瞬動きを止めていた。 傍目に見ればただ、状況を見極めようとしているだけに見えたかもしれない。しかし実際、その内心は大きくどよめいていた。 己と同じ年頃の――二十代後半に見られがちだが、彼はまだ二十を過ぎたばかりだ――、美しい顔立ちの娘だ。鎧の房飾りと同じ銀の髪が長く靡いて、彗星のように煌めきを落とす。先程まで剣を揮っていた甲冑と同じとは思えぬ、華奢な少女。 予想だにしていなかった状況に、無愛想だが素直で情に厚い青年は途方に暮れる。 少女は無垢に目を瞬きさせ、しかしすぐに華奢な肢体に見合わぬ大剣を構えなおした。花の綻ぶような、やわらかな笑みと共に。 そして、おもむろに唇を開いた。 息を吸う。 音叉の剣が途絶えた一瞬を突いて、少女は“声”を張り上げた。 「――!」 何処からも音は響かない。しかし、同時に身を襲う重圧がその存在を雄弁に告げる。可聴音域を越える高さの、透明な音色だ。 「まさか、本当に生身の力だったとは……」 呆れるように零すジュリアンにも笑み返し、少女は音にならない声で歌を謳う。重みを伴う、籠絡の歌を。 しかし、ナインはそれに肩を竦めて応えた。 「さて、どうだか。喉だけを改造されてるって可能性もあるぜ? ……何にせよ、根源さえ分かればこっちのもんだ」 そして、もう一度音叉の剣を打ち鳴らし、空いた側の手でシックス・ショットを構えた。 「――貫け、半霊の魔弾!」 相殺される音の隙間に、銃声をねじ込む。 解き放たれた銃弾が空を切り裂く。鋭利な軌跡を描いたそれは狙い過たず、回避の動作を取ろうとした鎧騎士を逃さない。 透明の、美しい弾丸が、白銀の鎧に遮られた少女の白い首を射抜いた。 「……!!」 音叉の剣が、已む。 しかし、少女は最早歌を紡ぐ事は出来なかった。 鎧を突きぬけて、所持者の狙ったものだけを確実に穿ち貫く、霊の銃弾が声を奪ったのだ。 驚きに目を見開く少女へ、ルカが追い打ちをかける。クレイトスを振り翳し、重力に惹かれるままに落とせば、紙一重で逃げられる。長い銀の髪が数本、刃に裂かれて散った。 少女の外見をしていながら、やはり“鋼鉄将軍”と呼ばれるだけのことはある。白銀の騎士はすぐさま体勢を立て直して、大剣を構え迎撃の姿勢を取った。 数瞬、彼らは睨み合う。 「……お前、は」 その合間に、ルカはたどたどしく声をかけた。 最早“歌う”ことをやめた娘は、首を傾げて彼を見る。そして間髪いれずにその懐へ飛び込んだ。振り抜かれる大剣をクレイトスで受け止め、逃げられる前に弾き飛ばす。 喋るのは苦手だ。 外見と態度でどうしても相手に誤解を与えてしまう。 ――しかし、今ばかりは声を発さなければ、届くはずがないのだ。 「自分、で……選んだのか?」 幼く見えた娘は、しかし聡明だった。 朴訥なルカの言葉をそれだけで理解し、銀の髪を靡かせて頷く。胸元に手を当てて、無垢な笑みと共に誇らしげに胸を張る。 ――全ては己の選んだ道。後悔も、未練もないと。 仕種だけでそう告げる。 「そう……か」 だから、ルカもまた迷いを捨てた。 彼女の選んだ道と、自分の選んだ道。 交叉する運命は、しかしどちらも譲る事などできなかった。 構えた剣を、ふと振り上げる。 「……来い!」 渾身の力を籠めて、地面へ叩き付けた。大きな亀裂が更にその範囲を広げ、青い青い海を映し出す。 巨大に空いた穴から、漆黒の三日月が躍るように飛び出した。 宙を泳ぐように高く跳び上がり、身を弓なりに曲げて、赤く光る眼を鎧の少女へと向ける。純白の甲冑よりも尚無機質な肢体のソレは、ルカの呼び出した機械獣。 鮫によく似た姿を伴って、軋む音を響かせた獣は鎧騎士へと駆け抜ける。鋼鉄の黒が炎を映して閃く。 唐突な奇襲にも動じず、ワーキウは大剣で持ってその一撃を受け止めた。返す刃で機械獣の赤く光る眼を潰し、そのまま柄で追撃をかける。 鋼の刃が煌めいて、黒い三日月の胴を両断した。 呆気なく、海へと還る獣。 だが、目晦ましには充分だと、ルカは心の内だけで召喚獣を労った。 どう、と風が啼く。 「――!」 目を瞠る少女の視界に飛び込んできた、鮮やかな烈風。 右側に燐光燈す蒼を飾り、金糸の髪が揺れる。白いコートの裾が翼のようにはためく。 切っ先を真っ直ぐ正面へと突き出して、渦巻く螺旋の風を刃に纏わせ、華奢な細剣は豪壮な突風の槍へと変わる。 金の髪が靡く。 伏せていた貌を上げ、鮮やかな蒼い瞳を敵の前に曝す。 視線を交わしたその一瞬、どちらもが無言であった。 耳を劈く、高い音が鳴り渡る。 鋼と鋼の打ち合う音が鼓膜を揺さぶって、ジュリアンは微かに眉を顰めた。感応能力の高い彼にはこの音も、彼女の歌声も、強く耳に障る。 しかし、それでも怯む事なく柄を握る手に力を籠める。 横に構えた大剣で以ってジュリアンの突撃を受け止めて、白銀の鎧騎士もまた退く事なく踏み止まった。とても年端の行かぬ少女のものとは思えない怪力、そして頑強さだ。 力と力が拮抗する。 劣勢に追い込まれながらも焦りを見せない、少女の力づけるような不敵な笑みに、知らず知らずのうちにジュリアンもまた釣られるようにして唇を擡げていた。 蒼い瞳と青い瞳とが交叉する。 細剣の起こす突風に巻かれ、彗星の色をした長い髪が踊り狂う。白銀の鎧が迫りくる炎の色を映して鮮やかに色を燈す。 ぴしり、と、小さな音が毀れた。 それがどちらの鋼から響いたものなのか、大剣で視界の狭まった少女には判らなかっただろう。ただジュリアンだけがその音の意味を把握して、静かに笑みを深くする。抉るように、柄を握る手を回転させた。 また、毀れる音。 少女が青い瞳を丸くする。 今度は彼女にも、何が起きているか、理解が出来たようだ。 しかし、もう遅い。 渦巻く風の速度が上がる。広い螺旋が迅さと共に狭まり、より鋭利さを増して、風刃は大剣を切り刻む。ソードブレイカ―の走らせた亀裂を、穿ち、広げ、そして――、 甲高い音が鳴り響いて、頑強な鋼が砕け散った。 大剣の割れた勢いのままに、螺旋の烈風が、その白い胸を穿つ。 少女の声帯から、息を詰まらせる、掠れた声が零れる。鼓膜を震わせることも、人の身を狂わせることもない微かな響きを、ジュリアンの感応能力だけが捉えていた。 一歩、たたらを踏んで背後に倒れ込む。 ――その先に、足場はなかった。 銀糸の髪が彗星のように流れる。元より背の低いその身が傾いで、視界から離れて行く。ルカのクレイトスが穿った大穴が、少女の小さな肢体を無慈悲に受け容れた。彼らの足元に広がる、美しく寛容な海へと。 純白の星が落ちて行く。 長い、長い光の尾を引いて。 鮮やかな青に呑み込まれるその瞬間まで、少女の笑みが損なわれることはなかった。 鋭く、高く、美しい、透明な《籠絡の織姫》の声が、戦場に響き渡る。 ――お元気で、傭兵さん、と。 彼らは確かに、その言葉を聴いた。 戦場を彩っていた音がひとつ、永遠に途絶えた。 外側へと耳を向ければ、遠くで聴こえていた別の戦いも終わろうとしている気配がある。正常に動作し始めた鼓膜が、それを顕著に報せる。 「……僕たちを倒した後、彼女はどうするつもりだったんだ」 生身の人間に、海を渡る術はない。上がり続ける炎の壁を切り裂くほどの《力》も持たぬ少女は、目の前の敵を退けたところで何処へ逃げる気だったのか。 ――それとも、どうするつもりもなかったのか。 ジュリアンが茫然と、悼むように落とした声を、ロストナンバーだけが聴いていた。 その背後で、何かが砕け、落ちる音が響いた。 咄嗟に振り返る、彼らの前に広がるのは立ち昇る炎の壁。 戦闘の余韻さえも包み込むように、焼き滅ぼさんとするかのように、炎は無慈悲に燃え続ける。 「……ッ!!」 大柄な体躯を竦ませて、ルカが凶悪に貌を歪める。軽い舌打ちでさえも戦いの終わったトンネルには大きく響いた。思わず持ち上げた右手の行き場を失くし、がりがりと乱暴に髪を掻き毟る。 ――脱出の事まで、考えていなかった。 そう、頭を抱えようとして、踏み止まったのだ。 縋るように仲間たちを見遣る――その視線すら、感情表現の苦手な青年は睥睨にも似た威圧感を伴わせてしまうのだが、鷹揚な仲間たちはただ肩を竦めるだけでそれを難なく受け止めた。 「どうする?」 切迫した状況にありながら、インドラは焦る仕種ひとつ見せずに微笑む。 「幾つか手はあるが、ルカはどうだ」 「…………なにも」 愉しげな声音に、最大限目を逸らし、ぼそっと一言だけ零す。浅はかな己に恥ずかしさこそ覚えれど、やはり仲間に脱出の術があるというのは心強い。視線だけでなく身体も逃げるように捻って、しかしもう一言、感謝の言葉を添えた。 「すまない」 「気負うな。――さて、些か骨が折れそうだが……」 彼女が見上げているのは天井――強化硝子で出来たトンネル上部を破壊して、硝子の船でも創り上げて浮かばせようかと、心の内ではそう算段していた。 だが、それよりも早く、 「そこを退け」 鋭い声が、場を切り裂いた。 ジュリアンの念動力に投げ飛ばされるようにして、ナインがその身を空中へと踊らせる。猫の金眼が銃口のように引き絞られる。断ち切られた道の先を、挑むように見据えた。 「退路は俺様が切り拓く」 眼下には海。 ならば。 「――モーゼ・ショット!」 シックス・ショットの銃口が、火を噴いた。 青く美しい海へ、まっすぐに弾丸が飛び込んで行く。 魔術を籠められた弾は海面に触れるか触れないかの刹那、大きく軌道を曲げた。そのまま、海を割って断ち切られたトンネルの対岸へと駆け抜ける。――そして、対岸に突き刺さる寸前、ふっと姿を消した。 魔弾の滑った後には、断ち割られた波が白く煌めいて飛沫を上げる。 ナインはそれを見とめ、満足げに猫の目を弓なりに曲げた。 それは奇跡。 モーゼの弾丸の後には、切り拓かれた“道”が現れる。 立ち上がる波は動きを止め、落ちる事も引く事もなく、ただ白い色を曝し、落ちて行くナインを受け止めた。 「行くぞ!」 猫のしなやかさで体勢を立て直し、硬化した波の上をナインが駆ける。その後を、三人が追った。 ふと駆ける脚を見下ろせば、眼下には鮮やかで美しい青が閃いている。 純白の彗星を、その棺に閉じ込めたまま。
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