「《海賊法》にもとづき、ジェロームを反逆者とみなす……だと? おいぼれが戯言を」 偉丈夫は、布告をせせら笑った。「よかろう。ならば今より、この俺こそが新たな法だ。海賊王の幻想に縛られた時代は終わりを迎え、海原は次なる支配者を迎え入れるだろう。この俺、ジェロームこそが海賊王をも超える海賊皇帝として、すべての海に君臨するのだ」 消息を絶ったロストナンバー、日和坂 綾のゆくえを追ってブルーインブルーへ向かった特命派遣隊は、彼女が列強海賊ジェロームに捕らわれたことを知った。 しかもその裏には、別の列強海賊・“赤毛の魔女”フランチェスカの謀略があったのだ。 最強の海賊と言われたジェロームは、フランチェスカのはたらきにより、今や全海賊から、海賊社会の秩序を脅かす反逆者とみなされてしまった。孤立したジェロームがとった方策は、ジャンクヘヴンへの急遽の進軍。 海上都市同盟を滅ぼしてしまえば、海賊間で孤立しようと関係なく、ジェロームの覇権は確立する。 微妙なパワーバランスを保っていたブルーインブルーの海の平穏は、一挙に戦乱へと傾いたのである。 ここに、特命派遣隊の成果が生きてくる。 ひとつは、ジェローム進軍の情報を誰より早く得たということ。 次に、進軍を開始したジェロームの拠点にして旗艦・ジェロームポリスの現在地を把握していること。 最後に、ジャンクヘヴンで亡きレイナルド宰相の遺した「ジャコビニの幽霊船」を入手したこと。「このまま放置すればジェローム軍は海上都市群へと迫り、ブルーインブルー全土を巻き込む戦争が始まってしまう。そうなればジャンクヘヴンは、当然、世界図書館の助力を乞う。けれどその段階に至っては状況の泥沼化はいっそう進んでいるだろう。そうなるより先にジェローム軍を壊滅させることは、かえって、事態をきれいに収束させることができるはずだ」 特命派遣隊の大使として同地に赴いていた世界司書の判断を、世界図書館も支持した。 どのみち、ジェロームポリスには日和坂 綾が捕らわれているのだ。戦いへの関与は避けられなかった。 作戦はこうだ。まず「ジャコビニの幽霊船」がジェロームポリスに近づき、周辺海域に霧を発生させる。 霧にまぎれ、ジェロームポリスに上陸したロストナンバーが騒ぎを起こし、都市に混乱を招く。その隙に、複数のゲリラ部隊が都市内に散る。ジェロームの軍団は、当人の絶対的なカリスマ性のもと、「鋼鉄将軍」と呼ばれる直属の指揮官によって統率されているという。この指揮官たちを討ち取ることができれば、軍団は自然と崩壊してゆくだろう。逆に、かれらが存命であれば、ジェロームポリスを失っても、残党が再び組織されるおそれがあるため、指揮官を倒すことは重要な意味を持っていた。 この作戦はジェロームポリスが同盟の海上都市に近づく前の海域で行われる。 静かな海に霧が満ちるとき――ブルーインブルーの歴史の1頁が、書き換えられるのだ。………… 潮騒に紛れ、人々の悲鳴が聞こえてくる。早くいかなくては、と焦るロストナンバー達は足場の悪い道を行く。 雨でも降ったのか、それとも波飛沫か。酷く濡れたその道は、どことなく光沢を放っていた。 海に程近いこの場所は騒動の中心からは若干離れており、もう少し東へ向かう必要があった。 そんな中、ロストナンバーたちは表情を険しくする。甘い香りが漂ったかと思うと、急に息が苦しくなり、僅かながら眩暈がしたのだ。 顔を上げると、そこには海辺に似つかわしくない、やや重たそうなドレスに身を包んだ女性が立っていた。 まるで葬式から帰ってきたばかりのような、黒いドレスに、顔を隠すベールのついた帽子。手に黒い手袋を嵌め、左手には扇が握られている。「あらあら、なにやら海が騒がしいようですわね」 おっとりと、彼女は問いかける。不思議に思っていると、女性は少し考えるように扇を開いたり、閉じたりを繰り返す。「そうね、なんだか動けというふうなことも言われていたかしら? わたくし、最近はあまり戦場に出ていませんの。だから、何もわからなくて……」 ドレスに似つかわしくない、やや丈夫そうなブーツでゆっくりと歩き、扇を一振り。 さらに甘ったるい香りが舞うのと同時に眩暈がした。耳鳴りがし、あたりの光景が歪む。 人影が増えたように見え、焦っていると女性はくすくすと笑う。「冥土の土産に、お教えいたしましょう」 そう言いながら、彼女はもったいぶるかのように扇をあおぎ、ロストナンバー達にゆっくりと歩み寄る。「わたくしは香水で人の命を操れますの。街へ繰り出すだけで、一度にたくさんの人を殺める事ができますわ。それを、貴方がたで止められて? 」 いつの間にか、彼女の右手には香水瓶が握られていた。 立ち止まり、かかとを鳴らすのと同時に口元を何かで覆った部下らしき男女がロストナンバー達を取り囲む。「いいでしょう。鋼鉄将軍が1人、“香蘭の未亡人”ポーラが皆様のお相手をいたしますわ」 ポーラと名乗った女性は扇と幾つかの小瓶を片手に身構える。貴方がたは漂う毒の香水に翻弄されつつも、目の前の敵と対峙することとなった。 ……が、よく見ると彼女の腰に、1つの小瓶が下がっている。それに気付くとポーラが言った。「わたくし、そこまで意地悪ではありませんの。力ずくで解毒薬、奪ってみませんこと? 」 ポーラは紅をさした唇を綻ばせ、挑戦的な眼差しを貴方がたに向けた。!注意!イベントシナリオ群『決戦!ジェロームポリス』は同じ時系列の出来事を扱っています。同一のキャラクターによる『決戦!ジェロームポリス』シナリオ、およびパーティシナリオ『【決戦!ジェロームポリス】軍艦都市炎上』への複数参加(抽選へのエントリー含む)はご遠慮下さい。●特別ルールイベントシナリオ群『決戦!ジェロームポリス』において、1つの通常シナリオの参加者は1つのチームとして行動するものとします。通常シナリオでは、各チーム(各シナリオ)ごとに、1人の敵指揮官と戦います。登場する将軍についての情報はオープニングを参照して下さい。なお、全シナリオのうち1チームのみ、全軍を統率する“鉄の皇帝”ジェロームその人とまみえるチャンスがあります。ジェローム団の首魁、列強海賊最強の男と戦う誉れを狙う方は参加決定後、3月31日10:00までに、プレイングを編集して「ジェロームにたどりつくための手段」を書くようにして下さい。4月1日23:00までに事務局が「全シナリオ参加者のプレイング内容」を確認したうえ、もっとも妥当なプレイングを書いていた人のいるチームが、ジェロームに遭遇したと判定します。※3月31日10:00~4月1日23:00まで、プレイング編集はご遠慮下さい。キャラクターシートの内容は参照しません。※ジェロームに遭遇した場合、当該シナリオ参加者には告知されます。告知のなかった場合、シナリオ中でジェロームには会えません。
起:旅人達は毒の香と踊る ――ジェロームポリス・某所。 騒動の中心部から離れたここで、6人のロストナンバー達は眼前の鋼鉄将軍と対峙していた。黒いベールで顔を隠した“香蘭の未亡人”ポーラは集まった6人の1人1人を見、くすり、と笑う。 「どうやら、毒が効かなそうな子がいますわね」 彼女がそう言ってみたのはツーリストの幽太郎・AHI/MD-01Pと死の魔女、業塵の事である。事実、幽太郎と死の魔女には毒の香水の効果がないのか、平然としている。一方、業塵は普通の人間より効果が出にくい、というだけであるが、どうやら表情でそうポーラが汲み取ったらしい。 「…ゴメンネ……ボク、生キ物ジャナイカラ、毒ハ効カナインダ……」 仲間と苦しみを分かち合えない事がとても悲しいのか、その声は泣きそうなものだった。一方、そんな幽太郎とは対照的に死の魔女はお生憎様、とケラケラ楽しげに笑う。 「嗅覚はおろか感覚すら死んでいる私にはそんな小細工は通用しませんわ」 確かに、『生きる屍』である彼女には効果が無いのかもしれない。楽しげな彼女の声が潮風に舞い、部下達が身構える。 ツーリストの福増 在利、コンダクターのサリム・アルハーディー、ジョヴァンニ・コルレオーネは僅かな眩暈と戦いながらポーラと部下たちの様子を見ていた。 (もしや……) ジョヴァンニは部下たちの口元に巻かれた布から、何かを汲み取る。他の仲間たちもまた同じ事を考えたのか、各々頷いたり、目を細めたりしている。傍らではオウルフォームセクタン・ルクレツィアが心配そうに相棒を見ていた。 (……こういう戦闘をなさる方々が居るのですね。今後の参考になります) サリムはチームメンバーと敵を見、このメンバーならば手加減なしで行っても大丈夫だろう、と踏んだ。そして、相棒であるオウルフォームセクタン・ファム・アル・フートの力を無言で起動させる。 在利はその他にもポーラの腰に下げられた解毒剤の小瓶が気になった。薬師である彼は、一般的な解毒剤を持っていたものの、調合された毒に効果があるとは思えなかった。 (あの小瓶取るしかないかな……。それにしても、鋼鉄将軍と戦闘だなんて……) ツイてないよぉ、と内心で思っていると、ふと、幽太郎と目が合う。彼は頷いて静かに状況を含めて分析を開始した。その傍らで、死の魔女がもったいぶったような口調で語り始める。 「私は魔法で人の死を操る事が出来ますの。貴女が街へ繰り出した後に私が現れれば、大勢の人間が生きる屍と化して死の嵐が吹き荒れますわ」 気が合いそうなのに、友達になれなくて残念だ、と肩を竦める死の魔女。そんな彼女にポーラがくすり、と笑う。 「面白い事を言いますわね。わたくしも、貴女がたのような子を部下に出来なくて残念ですわ」 そう言った傍らから、部下たちが動き出す。同時に放たれたのはどこか柑橘系に僅かな香辛料を加えたような、スパイシーな香りだった。それを吸ってしまった者達は体が熱くなるのを感じ、感情が炙られるような感覚を覚える。 (これは、闘争心を煽るもの……?! ) サリムが銃を起動させる。フルオートでばら撒かれる弾丸を、4人の部下達は素早く避ける。同時に業塵が動いた。妖蟲を飛ばしつつトラベルギアである扇を開き、ぽつり。 「参る」 ただ一言、静かに。そして襲い掛かってきた部下の一撃を受け止める。戦場で加減など無用、と彼はポーラ達の覚悟に全力でぶつかって行く。ナイフを扇で弾き、間隔をあけると刀を抜いた。隙をついてサリムはガスマスクを被り、ジャンビーヤを構える。混戦状態では銃が使えそうに無いからだ。 「しっかりしてください! 」 在利がトラベルギアである小瓶を起動させ、眩暈を起こしていたジョヴァンニと業塵の口に気付けの薬を含ませる。彼自身は口元を布で覆い、翼をはためかせて風を起こす事で周囲の空気を入れ替える。 ジョヴァンニは薬のお陰でどうにか立ち直り、杖を手にした。こんな時でも彼の動きには優雅さが感じられるのは場慣れしているからだろうか? 薔薇を守るは棘にあらず匂いである、と僅かに呟き、 「……麗しのマダム、ワルツを踊っていただけるかね? 」 その目に宿ったのは、確かなる覚悟の光。部下の1人を受け流すと仕込み杖から剣を抜き放ち、衝撃波をポーラへと放つ! 彼女はすっ、と踊るかのような足取りでそれをかわし、口元を綻ばせる。 「まぁ、すてきですわ。でも、貴方がたが踊るのはタランテラでなくて? 」 薬師である在利を狙い、部下の1人が襲い掛かる。また死の魔女へも部下が駆けて行く。幽太郎がサリムに指示し、在利の前へと立ちはだかる。自分は死の魔女の前へ出、彼女を庇った。そして、悲しげな声でポーラへと問う。 「苦シイノハ、誰ダッテ嫌ナハズダヨ……。オ姉サンハ、ソレヲ見テ、楽シイ……? 」 ポーラは笑うのをやめ、先ほどとは打って変わって、真剣な口調で答える。僅かに見えた桃色の瞳が、鋭い決意を放っていた。 「ええ、わたくしも嫌よ。でも……ね、ジェローム様の敵は別ですの」 その間にも、死の魔女は呪文を完成させていた。さすがに、鞄いっぱいの『お友達』を動かすには少々時間がかかったらしい。彼女が両手をぱんっ、と叩くと……もぞもぞもぞもぞ、鼠達が赤い瞳を輝かせて鞄から駆け出してきた。 「さぁさぁ私のかわいいお友達、目の前にいる人間どもを喰い散らかしておやりなさいな! 」 ケラケラ笑いながら放たれる、鼠の群れ。蘇った彼らは鳴き声を上げながら部下達に、そしてポーラに襲い掛かる。女性であろう部下の1人がそれに僅かな悲鳴を上げる。それを見、死の魔女は笑いながら言葉を紡ぎ出す。 「実はこの鼠さん達は強力な毒を持っておりまして。ひとたび噛まれれば毒がまわって死んでしまいますわ」 でも、そこまで意地悪ではない、とポーラと同じように腰に小瓶をつるし、蠱惑的とも呼べる笑みを浮かべる。 「力ずくで解毒薬、奪ってみませんこと? 」 (ポーラと同じ手を、使うのか) 業塵が部下の攻撃をしのぎながら、ほう、と僅かに唸っているとポーラの部下が叫んだ。既に噛まれたのだろうか、その腕からは血が流れている。 「我々は駒に過ぎませぬ。ポーラ様、どうかお見捨てになりますよう! 」 その言葉にポーラの口元が引き攣り、首を振る。しかし他の部下達もまた同じ意見なのか、無言で「自分たちを捨てろ」と言っていた。が、ポーラは言う。 「鼠の毒は、回りが遅いはずですわ。症状を感じたら下がりなさいな」 と言いつつも、直ぐに落ち着きを取り戻したような笑顔になる。どうやら、ポーラはハッタリに引っ掛かっていないようだ。それに死の魔女は内心舌打ちしつつ様子を見る。 (思ったよりも、長期戦になるかも) 在利が戦況を見て渋っていると、蛭が首元にひっついていた。それに最初は驚いた物の、少し眩暈が薄れたような気がした。ちらり、と見れば業塵が具合の悪そうなメンバーへ蛭を放っている。彼はそれで毒を吸い出そうと考えたのだ。 「在利殿、手伝わせて戴く」 「ありがとう、業塵さん! これで……っ! 」 在利は再びギアで薬を調合し、援護に回る。そして僅かにふらついているように見えたジョヴァンニに気付け薬を飲ませる事が出来た。 「まだまだ、若い者には負けていられんわい」 と、ジョヴァンニが部下の1人と丁々発止の戦いを見せる。ナイフでの攻撃を踊るかのようにかわすと仕込み杖で素早く斬りかかる。部下も負けじと凌ぎ、これはこれで演舞のようにも思えた。 「神よ、憐れなる者どもに思い知らせてからまとめて礼拝することをお許しください」 接近を赦してしまった事を苦々しく思いつつ、サリムがジャンビーヤを振う。狙うは敵の口元。香水の効果を与える為だ。しかし、部下も布を狙われているのを知っているのか、ナイフで受け流す。 (やはり、彼らは香水の効果に……) それだけでも収穫になる、と内心で笑うサリム。彼はジャンビーヤを握りなおすと再び部下に斬りつけた。 死の魔女を庇いながら、幽太郎はぐっ、と手を握り締める。分析しつつも、彼はポーラへと呼びかける。 「君ノ香水……良イ香リ、ダネ……」 彼自身には嗅覚が備わっていない。が、その香りが良い物というのは解るらしい。 泣きそうな顔で、ポーラを見つめる。彼女の表情からは、何を考えているのかは伺えない。が、幽太郎は更に続ける。 「……デモ……ミンナ、二迷惑カケルノハ、駄目……。オ姉サン…スグ二、止メテ…? ジャナイト……、僕、容赦出来ナイ……」 幽太郎の言葉に、ポーラが静かに、されど短く言葉を返す。 「容赦など、海原にお捨てなさい」 その言葉に、彼の中で何かがヴォォン……と音を立てて“起動”した。それは、大切な仲間を護る為に無限のコロッセオで身につけた戦闘プログラム。幽太郎は、決意と共に戦闘モードへと入った。 承:青空の下、舞曲は続く 太陽に照らされる、濡れた地面。その上凸凹している為、足場は最悪である。それを考慮したうえでロストナンバー達は先に襲い掛かってくる手下を相手にしていた。 それにポーラの衣服には何が仕掛けられているのか判ったものではない。その点からしても接近戦は不利だ、と見た者も多かった。 しかし、この手下は予想より素早く、幾多の戦いを乗り越えて来たであろうロストナンバー達も翻弄されていた。その上、毒の効かない2人を除き、差はあれど眩暈に悩まされていた。在利の気付け薬や業塵の蛭がなければ誰かが倒れていただろう。 それでも、彼らは1つの確信を得ていた。 ――ポーラの部下は、香水の毒に耐性がない。 その読みが当たっていれば……。 (覚悟が、できているようだな) 業塵は妖蟲を放ちながら、1人そう思った。というのも鼠の事でのやり取りといい、部下達の動きといい、人質に使えるとは思えなかった。 「やはり、部下を降ろすには口元の布をどうにかするしかありませんかね」 サリムがぽつり呟く。2人は顔を見合わせると襲い掛かってくる敵に立ち向かう。そして、死の魔女は鼠の量を見つつもポーラへもそれを向ける。 「お友達はまだまだたくさんいますのよ? 」 ケラケラと笑うその傍、幽太郎が、戦闘プログラムが命ずるがままに部下の1人を相手にしていた。仲間を護る為に、そして敵を排除する為に、臆病な自分を振り払って戦っている。 (……何モ解ラナカッタ僕ヲ……、ミンナ、助ケテ……クレ、タ。ダカラ……僕、ハ……! ) 敵の位置をレーダーで随時把握し、指示を飛ばす。それにサリムやジョヴァンニ、業塵が応じ、それぞれが敵を相手にしている。在利もまた、そのお陰でより正確に援護する事が出来た。 隙を見てポーラへと衝撃波や蟲を向けて攻撃を試みるのだが、眩暈の所為で手元が狂ったのか、彼女から逸れてしまう事が多かった。上手く飛ばせたとしても、彼女は扇や足裁きで華麗に回避してしまう。 そんなロストナンバー達を翻弄するかのようにポーラはステップを踏み、扇を振って小瓶の中身を虚空へ散布する。。今度はどうやら海をモチーフにした香りで、しかも僅かな時間ながら潮風の濃度を濃くしたような、べたつく空気を放った。 まず反応したのは業塵。彼は塩気の強いものに弱いのだ。動きが鈍くなり、思わず刀を落としそうになる。そして、幽太郎もまた潮風でボディーの動きが僅かに鈍る。 「!? こんな物まであるの? 」 在利が慌てて気付け薬を業塵へと飲ませる。が、幽太郎の場合はオイルが必要だろうか……。色々考えつつも、彼は大きくはばたき、風を巻き上げては効果減少を狙う。 「ともかく、まずは部下を倒さなくては」 ジョヴァンニが握る剣を一閃。その一撃が、口元の布を捉える。部下は香水を諸に吸ってしまい、咽ながらも身構える。どうやら、効果はあったようだ。 「このぐらい、どうってこと無いでしょう、鋼鉄の騎士様? 」 励ますように、あるいは、試すように死の魔女が囁く。幽太郎は勇気付けられたのか、接近する敵へ気合を込めて高温のプラズマトーチを発射する。それを避けた部下だったが、マスクにかすめ、僅かに焦げる。 「これで、どうかな? 」 その敵に、在利が揮発性の麻酔薬をぶっかける。思わず吸ってしまい、その場で咽た彼はどうにかナックルで在利を殴ろうとしたが、前にサリムが立ちはだかる。延長線上にポーラを見据え、ジャンビーヤを一閃。ちらり、と業塵を見れば蟲を目晦ましにした上で女性の部下の無効化に成功していた。 「お見事ですね」 「いや、お前もなかなかの腕であるな」 そんな事を言い合い、業塵は再び蛭をジョヴァンニに添付する。在利の気付け薬と業塵の蛭のお陰でどうにか立ち回れるものの、完全に回復するにはポーラの腰にある解毒剤が必要なようだった。 「あと1人ですわっ」 「好機でしょうかね」 死の魔女の言葉に、サリムが動く。彼はポーラが再び何らかの小瓶を取り出そうとするのを見逃さなかった。 「待ッテ! アノ人ノ胸ニ、薬ノ袋ガアル! 靴ニモ仕掛ケガアルカラ気ヲツケテ! 」 幽太郎が叫び、それにサリムは心配無用、と頷く。彼は手早くピンを投げるとそれをポーラへと投げつけた。 「何ですの? 」 「ポーラ様っ!! 」 部下が庇おうと走るも、それよりも速く業塵が動いた。彼は麻痺毒の蜂が宿った刀を振い、部下は痺れたのかその場に倒れた。それと同時に爆音と煙が発生し、ポーラは僅かに体制を崩す。 「これは……? 」 口元を袖で覆いながらジョヴァンニが様子を見ると、ポーラは僅かに咽ているようだった。しかし、さほど効果は無かったようだ。サリムは彼女に催涙手榴弾を投げていた。 「ふむ。毒が効かないようでしたので、化学兵器も効かないのか、と興味がありまして。しかし……その様子だと平気なようですね」 「ふふ、わたくし、それなりに鍛えていますもの」 ポーラが不敵に笑うものの、彼女は部下が皆動けない事を悟ると1つ頷く。4人の部下はどうにかしてロストナンバー達に抗おうと懐から小瓶を取り出し、それを飲み干していた。しかし、彼女は言う。 「……よくがんばりましたわね。下がりなさい」 「しかし、ポーラ様! 貴方さまは……」 比較的軽傷の部下が首を振り、立ち上がろうとする。ロストナンバー達が見る中、ポーラは静かに言った。 「安心なさい。だから、ジェローム様や他の方々の援護をする為にも……今は下がりなさい」 彼女の言葉に、部下達は躊躇った。が、それぞれが頷きその場を去る。そして、ポーラと6人のロストナンバー達は改めて向き合った。 「ベールの奥の素顔が知りたい。秘密を持った女性はえもいえず魅力的じゃからの」 紳士的な立ち振る舞いでジョヴァンニが呟く。ポーラは静かに身構え、扇と小瓶を構える。 「さて、どうしましょうか」 防具で包んだ胸部に手を置き、考えるサリム。その横で業塵が静かにポーラの様子を見ていた。死の魔女は幽太郎の後ろで、在利はサリムの後ろで何時でも動けるように体勢を整える。 空気が張り詰める中、幽太郎が小声で一同に言う。 「……近ヅクナラ、胸ノ仕掛ケニ注意シテネ。ソレト、オ姉サンノ気ヲ引イテ小瓶ヲ奪ウナラ今ジャナイカナ? 」 その言葉に、頷いたのはジョヴァンニと業塵だった。サリムはほぅ、と1つ頷く。そして在利と死の魔女が目を見合わせ、僅かに頷く。 ――こうして、6人のロストナンバー達は1つの賭けに出る事にした。 転:賽は投げられた 「1つよろしいですかな、マダム」 そう口を開いたのはジョヴァンニだった。彼は右目にかけたモノクルを正しながら一歩だけ踏み出す。ポーラは何時でも動けるように扇を構えたが、彼はトラベルギアである仕込杖を軽く握っただけだった。 「何でしょう?」 「……香蘭の未亡人……ということは、貴女も伴侶と引き裂かれた経験が? 」 その問い掛けに、ポーラはええ、と1つ頷く。彼女は少しいいかしら、と6人に問い、それに各々頷く。彼女は僅かに目を細めた。 「わたくしは、最初、夫と共にジェローム様にお仕えしていましたの。わたくし達夫婦はあの方に命を救われ、恩義に報いるため戦う事を誓いましたわ」 そして、ポーラの口から語られたのは、短いながら1つの思いだった。 嘗て、ポーラとその夫は無実の罪で追われ、夫は傷を負い死に掛けていた。そこをジェロームに拾われ、助けられた。彼は2人が優秀な科学者と薬師であると知り、その力を発揮して欲しい、と言った。そこから、ポーラ達はジェロームに仕えていたのである。 ポーラの夫は、科学者としては優秀ではあったものの、人に恵まれなかった。彼は故郷では異端扱いをされていたのだ。しかしジェロームは彼の技術を認めたのだ。その野望と人柄に惚れた2人は忠誠を誓うようになった。 しかし、ポーラの夫は研究と志の半ばで病に侵され、この世を去った。彼は死の間際、彼女に言い残した。 ――ジェローム様の為に、私の分まで生きて尽くして欲しい。 (……やはり、忠誠心は厚いようであるな) 業塵は顎を一撫ですると彼もまた1歩踏み出した。 「女。お前は何を思い、戦う? 」 「全てはジェローム様の為。それが夫の最後の願いですもの」 業塵の問いに、ポーラは毅然と答える。その様子からして、彼女は命を懸けてもジェロームを守るだろう、と全員が思った。しかし、彼の夫は……。 業塵はがらにもない、と思いつつ静かに言った。 「誇りと忠義に殉ずるは天晴れなれど、決着がついた後に死ぬるは無益ぞ。生きていれば、主が死んだとしても彼の誇りを訴え続け、海軍の捏造も否定できるのではないか? 」 彼はポーラが自害するようならば、止めよう、と思っていた。彼の夫の願いは『生きて』ジェロームに尽くす事。彼はそれを踏まえ、死ねば残った部下に将軍達の責任まで負わせる事にもなるだろう、とも言う。 その言葉に、ポーラの瞳が揺れた。僅かに唇が動き、胸を押える。そこに生まれた僅かな隙を、幽太郎は見逃さなかった。 (今ナラ……! ) 彼と同じ事を思ったのか、サリムがこくり、と1つ頷く。ジョヴァンニと業塵が作った好機。これを逃す手は無い。幽太郎とサリムはポーラの全体を注意深く見、ちらり、と2人の仲間を見た。そして、それぞれが行動に出る! 潮風に乗って、僅かな笑い声が聞こえる。 (お行きなさいな!) 死の魔女がこっそりと手を翻し、1匹の鼠がポーラへと飛び掛る。咄嗟にそれをかわすポーラ。しかし、次に飛んできたのは在利の操る小瓶から出た薬。それが撓り、腰に吊るしていた小瓶を掠め取る。 「やった……っ! 」 手を伸ばした時は遅かった。解毒剤は在利の手に渡り、幽太郎とサリムが1歩前に出、何時でも攻撃できる体勢を取る。ポーラはその手際の良さに息を飲んだ。 「毒ノ分析ハ、終ッタヨ。在利ニ頼メバ解毒剤、作レルカラ」 「さぁ、どうしますか? 」 幽太郎とサリムの言葉に、ポーラは歯噛みする。が、業塵の言葉を思い出し、手元にあった香水の1つを手放した。 ジョヴァンニが更に歩み寄りながら、静かに言葉を紡ぐ。 「ワシも若い頃妻を亡くした。妻は貴女と同じ黒いドレスに身を包んだ、美しく儚い女性だった」 どこか遠い目で言い、ポーラの前に跪く。仲間達の緊張した様子を背中に覚えつつも、彼は恭しく手を伸ばし、ポーラの手を取って軽く口づけする。 「毒の香より薔薇の芳香に安らぐご婦人でいてほしい。貴女に、殺生など似合わん」 敵同士なれど、せめて彼女の気持ちに寄り添いたい。伴侶に先立たれた哀しみは共有できるのではないか、と思いを込め、真摯に向かい合う。その瞳に、ポーラは「ああ……」と、僅かに溜め息を吐いた。 「……それでも、まだ戦うか」 業塵が静かに問う。が、ポーラは何も言わず、ただただ立ち尽くすだけだった。 しばらくの間、時が止まった。もしも、の時に備え業塵とサリムが動けるように身構える。幽太郎が死の魔女と在利を護るように立ちはだかるも、死の魔女はくすり、と笑う。 「そんなに身構えなくても、大丈夫だとおもいますわ」 「何故、ですか? 」 在利が不思議そうに問うが、それよりも早く業塵が呟いた。 「ポーラから、殺気が消えておる」 その通りなのか、ポーラは扇をどこかへ隠すとジョヴァンニを立たせる。そして彼と業塵を見、他のロストナンバー達を見た。 「小瓶を取られたのは、わたくしの慢心が招いた事。それに……貴方がたの言葉、胸に沁みましたわ」 徐に帽子を外す。と、そこには美しい妙齢の女性の顔があった。突き抜けるような青い空と太陽にそぐわない様な病的なまでに白い肌。そして、ロゼを思わせる桃色の瞳と淡いシャンパンゴールドの髪が海風に翻る。 「ジェローム様の居場所を教える訳には参りません。けれども、わたくしはこれ以降、貴方がたに危害を加えませぬ」 それだけ言うと、ポーラはごきげんよう、と挨拶し、静かにその場を立ち去った。後に残ったのは、心が安らぐような、軟らかい花の香りだった。 結:香蘭は去り、旅人は何を思う? 「……うっ」 「ジョヴァンニさん!! 」 ポーラが立ち去ったのを見送った直後、ジョヴァンニがその場にしゃがみ込む。部下との戦いでは気付け薬のお陰で立っていられたが、緊張の糸がきれた途端疲れがでたらしい。在利はすぐさまポーラの解毒剤を口に含ませる。 その後、彼自身とサリム、業塵で解毒剤を飲み、幽太郎がジョヴァンニを影に運んだ。死の魔女がポーラの去った方角を見、ケラケラ笑いながら呟く。 「こんな結果も、あるものですわね」 「まぁ、これで1人鋼鉄将軍を抜いたのです」 結果オーライですよ、とサリムは安堵の息を吐く。が、解毒剤が無かったら軽い眩暈が続いていたであろう。ガスマスクをつけていた彼と毒が効きにくい業塵は少ない量の解毒剤で直ぐに回復したようだった。 「ヨカッタ……。モウ、アノオ姉サンハ香水ヲ悪イ事ニハ使ワナイヨネ? 」 「そうだと、良いな」 幽太郎の呟きに、業塵は僅かに頷く。ほんの少し感傷に浸っていると、ジョヴァンニが漸く回復したのか、ふう、と息を吐きながら身を起こした。 「やれやれ、見苦しい姿を見せてしまいましたな。なぁ、ルクレツィア」 ジョヴァンニが苦笑すると、傍らでルクレツィアが心配そうに寄り添う。彼の亡き妻と同じ名前のセクタンは、どこか優しい瞳でジョヴァンニを見つめるのだった。 「最後ノ香リハ、在利ノ気付ケ薬ト同ジ効果ダッタヨ。ダカラ、回復モ早カッタト思ウ」 幽太郎の解析を聞きつつ、在利はポーラの解毒剤と同じ効果の物をギアで作る。念の為にジョヴァンニに飲ませるためだ。 サリムはちらり、とチームメイトを見た。ジョヴァンニはこれ以上戦わせない方が良い。業塵や在利、死の魔女も顔には出さないものの疲れているように見える。幽太郎も1度メンテナンスをしてもらった方がいいだろう。 (ここが引き際でしょうか……) 冷静に分析し、悔しく思いつつ1つ頷く。ファム・アル・フートの頭を撫でながら彼は撤退ルートを摸索した。 ロストナンバー達が撤退を考えている頃。ポーラは部下から戦況報告を聞く。それに表情を曇らせると、彼女は「潮時でしょうね」と呟き、そっと目を閉ざし、口を開いた。 「わたくしは、旅にでようと思います。確かに、あの方以外に忠誠を誓える方などおりませぬ。けれど……」 そこまで言い、彼女は胸に手を当てる。そこから先は何も言わず、海を見た。青い、青い海はただそこにあるだけだった。 (ジェローム様の誇りと、あの人の想いを胸に……) ポーラは最初、あの場で殺されるぐらいなら、ジョヴァンニたちを巻き込んで心中するつもりだった。その為に『自分にも効果のある、致死性の毒』を持った香水の瓶を用意していたのだ。けれども、今は……。 「望むならば、わたくしについてらっしゃい。ただし、もう海賊ではなくただの冒険者ですけれど。それでも良いのならば、わたくしと一緒に、遺跡を探りません事? 」 ポーラはそう言うと、1人悠然と自室へと向かった。 「終った、のかな」 潮風に髪を靡かせ、在利が溜め息を付く。鋼鉄将軍との戦闘で緊張していた彼であったが、無事に乗り越える事が出来安堵していた。 「そういえば、これは何でしょう? 」 サリムが見つけたのは、小さな小瓶だった。中には淡い紫色の液体が入っている。そして、中身が漏れないようにキッチリと封がされていた。 「アノオ姉サンノ香水ダネ。デモ、中身ハ開ケチャダメ。トテモ危険ダカラ」 瓶に書かれた文字を分析した幽太郎の言葉に、ジョヴァンニが瞳を細める。 「やはり……」 「使われたら、大変なことになっていましたわ」 仲間が死んだ場合、術による蘇生を試みようと考えていた死の魔女がくすり、と笑う。その何処と無く魅惑的な笑みにそれぞれ頷くなり、苦笑するなりして答える仲間達。 「全ては終った事。さて、参ろうか」 業塵がどこか遠い目で言い、一行は撤退する事にした。 こうして、6人の戦いは終わった。鋼鉄将軍は1人去り、海原へと消えていく。他の仲間達もまた勝利を手にしている事を信じつつ、6人はゆっくりとその場を後にするのであった。 (終)
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