「《海賊法》にもとづき、ジェロームを反逆者とみなす……だと? おいぼれが戯言を」 偉丈夫は、布告をせせら笑った。「よかろう。ならば今より、この俺こそが新たな法だ。海賊王の幻想に縛られた時代は終わりを迎え、海原は次なる支配者を迎え入れるだろう。この俺、ジェロームこそが海賊王をも超える海賊皇帝として、すべての海に君臨するのだ」 消息を絶ったロストナンバー、日和坂 綾のゆくえを追ってブルーインブルーへ向かった特命派遣隊は、彼女が列強海賊ジェロームに捕らわれたことを知った。 しかもその裏には、別の列強海賊・“赤毛の魔女”フランチェスカの謀略があったのだ。 最強の海賊と言われたジェロームは、フランチェスカのはたらきにより、今や全海賊から、海賊社会の秩序を脅かす反逆者とみなされてしまった。孤立したジェロームがとった方策は、ジャンクヘヴンへの急遽の進軍。 海上都市同盟を滅ぼしてしまえば、海賊間で孤立しようと関係なく、ジェロームの覇権は確立する。 微妙なパワーバランスを保っていたブルーインブルーの海の平穏は、一挙に戦乱へと傾いたのである。 ここに、特命派遣隊の成果が生きてくる。 ひとつは、ジェローム進軍の情報を誰より早く得たということ。 次に、進軍を開始したジェロームの拠点にして旗艦・ジェロームポリスの現在地を把握していること。 最後に、ジャンクヘヴンで亡きレイナルド宰相の遺した「ジャコビニの幽霊船」を入手したこと。「このまま放置すればジェローム軍は海上都市群へと迫り、ブルーインブルー全土を巻き込む戦争が始まってしまう。そうなればジャンクヘヴンは、当然、世界図書館の助力を乞う。けれどその段階に至っては状況の泥沼化はいっそう進んでいるだろう。そうなるより先にジェローム軍を壊滅させることは、かえって、事態をきれいに収束させることができるはずだ」 特命派遣隊の大使として同地に赴いていた世界司書の判断を、世界図書館も支持した。 どのみち、ジェロームポリスには日和坂 綾が捕らわれているのだ。戦いへの関与は避けられなかった。 作戦はこうだ。まず「ジャコビニの幽霊船」がジェロームポリスに近づき、周辺海域に霧を発生させる。 霧にまぎれ、ジェロームポリスに上陸したロストナンバーが騒ぎを起こし、都市に混乱を招く。その隙に、複数のゲリラ部隊が都市内に散る。ジェロームの軍団は、当人の絶対的なカリスマ性のもと、「鋼鉄将軍」と呼ばれる直属の指揮官によって統率されているという。この指揮官たちを討ち取ることができれば、軍団は自然と崩壊してゆくだろう。逆に、かれらが存命であれば、ジェロームポリスを失っても、残党が再び組織されるおそれがあるため、指揮官を倒すことは重要な意味を持っていた。 この作戦はジェロームポリスが同盟の海上都市に近づく前の海域で行われる。 静かな海に霧が満ちるとき――ブルーインブルーの歴史の1頁が、書き換えられるのだ。 ジェロームポリスのとある一室に、一人の海賊が走り込んできた。 「スズジさん!」「住人たちへの被害は?」「今のところ問題ありやせん!」 海賊に呼び掛けられた男は手を止めることなく応じた。持ち上げた手甲に顔を近付けて、最後の点検をしている。 スズジ、ジェローム海賊団の鋼鉄将軍の一人であり、「風使い」や「音使い」などの二つ名を持つ男であった。 報告する部下である海賊に顔も向けようとしないスズジであったが、海賊がそれを気にすることはなかった。「解った。最低限の人員を残して他は武器庫の警戒に回れ。あそこを落とされたらポリスへの被害が一気に広がる危険性がある」「了解です! スズジさんはどうするんで?」 威勢良く答えた海賊が、確認のためにスズジへと聞いた。 両手と両足に点検を終えた揃いの防具を身に付けて、軽く動いて調子を確かめる。そして、手入れの終わった剣を両方の腰に提げてからようやく海賊へと向き合った。 胴体に付けた胸当てががしゃりと重い音を立てる。「俺はポリスを守る」 事も無げにスズジはそう口にしていた。 美形というわけでもなく、海軍や海賊という荒事から縁の遠そうな普通の顔であった。 そのままでは強面の多い海賊の中では浮いてしまうであろうが、右頬に走る大きな傷跡が海賊らしさを唯一醸し出している。「俺が戻らなかった時の指示は、いつものように副長に伝えてある。それと住人たちには、無抵抗を再度徹底しておけ。海軍ならば問題ないが、血の気の多い海賊の場合、抵抗すればその場で殺される可能性が高い。最悪、生きてさえいればその先どうするか自分で決められる」「了解っす!」 スズジは、入口の近くで待機している海賊の横を通り過ぎながら肩を叩いた。「ついでに、部下たちにも生き残ることを優先しろと伝えておけ。下手に義理立てする必要はないとな」「それは、スズジさんが言っても全く説得力がないっす」「かもしれんな」 振り返らないままスズジは軽く手を振ると、喧噪のする方へと歩いて行った。「この辺りはまだ落ち着いているようですね」「上城さん、本当にこっちであってるんですか?」 ジェロームポリスの一画を、飛田アリオと上城弘和は進んでいた。「大丈夫です。海賊がいない道を選んで進んでいるので、どうしても大回りになりますが我慢してください」「いやいや、危ない目に合うよりかはずっとマシだからいいんですよ」 遠くでは怒号や爆発音が響いている中、声を潜めながら2人は足を動かしている。 そんな中、歩いていた弘和が急に立ち止まった。「上城さん?」「この先の道で、一人で行動している人がいます」「じゃあ、道を変えます?」「いえ、そうなると今度のはロスが大きくなりそうです」 周囲の様子を確認するように、弘和は青く染まった目でぐるりと見回した。「行きましょう。一人が相手なら二人掛かりでどうにかできるでしょう」 少し考えた後、弘和はアリオとともに歩き出した。「これは失敗しました」「え?」 少し進んだ時、弘和が眉を顰めながら呟いた。「すいません、一人しかいないと甘く見てしまったようです」「ちょ、怖いこと言わないでくださいよ」「向こうもこっちに気が付きました。だけど、まるで緊張した様子がない。相当の自信があるようです」「今からでも、逃げます?」「それは、もう遅いようです」 海賊にしては迫力のない顔をした男、スズジが2人の前に姿を現した。 そして、気負う素振りもなくアリオと弘和を眺めると口を開いた。「今、このポリスを襲撃しているのはお前たちだな」「違いますよ。なので、見逃してもらえますか?」 表情一つ変えずに、弘和はしれっと誤魔化した。「他の場所なら見逃しても良かったが、ここはジェロームポリスだ。見逃せないな」 スズジが片方の剣を引き抜いた。刃渡りは90cmほどであろうか、長さは一般的なロングソードと同じであった。 しかし、その剣身が厚くなっており見る者に無骨な印象を与えている。斬ることより叩き潰すことを目的としているようであった。「話し合いで解決する余地はありますか?」「お前なら、自分の家が荒らされている時、その犯人と話をしようと思うか?」「あなたみたいに話が通じそうな相手でしたら試してみます」「ふっ、面白い奴だな」 スズジの口元に小さな笑みが浮かんだ。「解った、見逃してやろう。ただし、お前たちの仲間をポリスから撤退させることが条件だ」 スズジは片腕で剣を突き付けてきた。その微動だにしない剣身には、桶を中心に不思議な幾何学模様が描かれていた。 それと合わせたかのように、スズジの手甲にも同じ模様が刻まれている。「それはできません」「じゃあ、交渉は決裂だな。御頭には命を助けもらった恩がある。ここには俺の守りたいもんもある」 スズジはゆっくりと剣を構える。「随分と義理堅い海賊ですね」「何か悪いヤツじゃなさそうだな」「飛田さん、彼は海賊です。しかも、昨日今日の成り立てじゃないでしょう。海賊として生き残っているのに、その手が血で汚れていないわけがないでしょう」「その通りだ。例えお前のような子供だろうと敵対するなら躊躇わず殺してみせるさ」 スズジの纏う空気が一変する。緊迫した空気を肌で感じたアリオと弘和は構えを取った。「腕に多少の覚えはあるようだが、止めておけ。多少では俺の相手にはならない」「お気遣いなく。これでもそれなりの場数は踏んでいます」「ここで喧嘩止めたら、俺たちを見逃すか?」 挑むようにアリオがスズジへ言葉を叩きつける。「いいや。だが、抵抗をしなければ、無駄な傷を負うことはない」 スズジの剣がゆっくりと振り上げられる。その動きを弘和は注意深く見詰めている。「死神の鎌から逃げられると思うな」 スズジが剣を振り抜いた瞬間、空気を裂くような音がすると弘和が吹き飛んでいた。「上城さん!」 いきなり弾き飛ばされた弘和にアリオは驚きを隠せなかった。「次はお前だ」「させるかよ!」 再びスズジが剣を振り上げるのを見たアリオが、右手のボルテックスで地面を叩く。ボルテックスの結晶体が強く輝いてエネルギーを放った。 地面を走り襲い来るエネルギーにスズジは僅かに目を見開いたが、動揺せずにそのまま剣を振り下ろした。 2人の間で衝撃音を打ち鳴らし、アリオの攻撃が掻き消された。「くそ! なら、もう一発!」 アリオがさらに衝撃波を放とうとすると、2人の間に数枚の名刺、弘和のギアが投げ込まれた。 そして、一斉に爆発したギアが爆煙を周囲に広げる。「逃げますよ!」 弘和がアリオの腕を掴んで引き寄せた。「上城さん! 動いて大丈夫なのかよ?」「海賊の本拠地に乗り込むんです。いざという時の保険くらい用意してます!」 背広が多少破れているようだったが、弘和自身には傷はないようであった。 駄目押しに数枚の名刺を投げて爆煙を起こした後、弘和はアリオととも走り出した。 しばらくすると一陣の風が巻き起こり、爆煙を斬り払った。「逃げたか」 スズジは剣を納めながら呟いた。 横道を逃げ込んだアリオと弘和は、足を止めて休んでいた。「何なんだよ、あいつ! 本当にただの人間か?」「死神の鎌と言っていました。恐らく、彼が鋼鉄将軍のスズジでしょう」「あれが鋼鉄将軍かよ」「超人的な身体能力でしたが、私の目のような異能は一切持っていません。おかげで、攻撃の予想ができずまともに喰らってしまいましたよ」「そういえば、良く無事でしたね」「死角から攻撃されても平気なように、護法を掛けておいて正解でしたよ。でなければ、あの一撃でお終いでしたね」 背広の破れた箇所を撫でながら、弘和はほっと息をついていた。「それそれ、あいつ何したんですか?」「あの剣で振り抜いた場所に真空を作り、そこに向かって一気に流れ込む風を使って攻撃を仕掛けてきたんです」「生身でそんなことできんの!?」「あの剣の表面に刻まれた模様が効率的に空気を掻き出し、流れ込む風に方向性を与えているようでしたが、まずは圧倒的な剣速があってこそですね」「それなら技の正体が解ったんだから、戦い様があったんじゃないですか?」 アリオは、ふと思い付いた疑問を口にしていた。「何を言ってるんですか、見たでしょう。彼は2つ持っていた剣のうち、片方だけしか使っていないんですよ?」「あっ」「それに、私の推測でしかないですが、もう片方の剣には別の使い道があるのだと思います」「えっ、そうなんですか?」「剣の形が明らかに違いましたからね。同じ事をするなら、わざわざ違う剣を持ち歩くこともないと思います」「な、なるほど」「あるいは、あの技を補強するために使うということも考えられますが、どちらにせよ彼を相手にするには、私たちだけでは力不足ですね」 弘和は鋼鉄将軍スズジについて解ったことをトラベラーズノートに書き記し、すぐさま今回の作戦に参加しているはずの全ロストナンバーに送った。「時間をロスしてしまいますが、彼に会わないように進みましょう」「ん、解った。そこはお任せします」!注意!イベントシナリオ群『決戦!ジェロームポリス』は同じ時系列の出来事を扱っています。同一のキャラクターによる『決戦!ジェロームポリス』シナリオ、およびパーティシナリオ『【決戦!ジェロームポリス】軍艦都市炎上』への複数参加(抽選へのエントリー含む)はご遠慮下さい。●特別ルールイベントシナリオ群『決戦!ジェロームポリス』において、1つの通常シナリオの参加者は1つのチームとして行動するものとします。通常シナリオでは、各チーム(各シナリオ)ごとに、1人の敵指揮官と戦います。登場する将軍についての情報はオープニングを参照して下さい。なお、全シナリオのうち1チームのみ、全軍を統率する“鉄の皇帝”ジェロームその人とまみえるチャンスがあります。ジェローム団の首魁、列強海賊最強の男と戦う誉れを狙う方は参加決定後、3月31日10:00までに、プレイングを編集して「ジェロームにたどりつくための手段」を書くようにして下さい。4月1日23:00までに事務局が「全シナリオ参加者のプレイング内容」を確認したうえ、もっとも妥当なプレイングを書いていた人のいるチームが、ジェロームに遭遇したと判定します。※3月31日10:00~4月1日23:00まで、プレイング編集はご遠慮下さい。キャラクターシートの内容は参照しません。※ジェロームに遭遇した場合、当該シナリオ参加者には告知されます。告知のなかった場合、シナリオ中でジェロームには会えません。
「誰か一人で歩いてるわ」 そう呟いたのは、華月。 蝶の髪飾りが飾られた艶やかな漆黒の髪は腰まで伸び、繊細で可憐な顔立ちに、鮮やかな紫の目をした少女であった。 「うん、確かにいるね」 ギアで音を収集していたベヘル・ボッラも同意した。 彼女は薄藍色のフード付きマントを纏い、その外見をほとんど隠している。しかし、そのマントの右腕の部分だけは不釣り合いに膨らんでいた。 「例の鋼鉄将軍じゃねぇーの?」 咥え煙草を器用に動かしながら、そう楽しげに応えたのは、榊。 銀の瞳を潜ませた目元は涼しげであり、その黒髪は一つに束ねられている。着崩したスーツ姿が絵になる男であった。 「誰だろうとやることは変らないよ」 ベヘルの口から出たのは、温度の感じられない無機質な声だった。 「エゲつねぇなぁ」 どこか非難めいた声を上げたのは、フブキ・マイヤー。 見事に鍛え上げた白く逞しい上半身が、素肌の上に羽織る白衣の合せ目から見える。そして、その首に乗っている顔は鰐であった。 我関せずと周囲を警戒しつつ上空に雷雲を集めているのは、玖郎。 後ろに流した茶褐色の髪、その顔の目元は二重鉢金で覆われている。そして、その精悍な巨体の背には二対の翼が生えている。木行の化生である天狗の雄であった。 「おや?」 ベヘルは、今まで通りに平行感覚を狂わせる音波を近づいてくる存在に発射した。しかし、その音波が乱れた。 すぐにギアで音を集めて解析すると、前方から人の可聴域を越えた音波が響いており、自分の出す音波に被さり乱しているようだった。 「なるほど。これがセイレーンの歌声だね」 超音波を分析すると、ベヘルは打ち消し合う位相の音波を組み上げて、ギアから流し始めた。 そして、姿を現した一人の男は、海軍や海賊という荒事から縁の遠そうな普通の顔をしていた。 しかし、その右頬に走る大きな傷跡が物騒な印象を醸し出しており、その手には一つの剣を握っていた。 その刀身は薄く鍛えられており、幾つかの穴が空いていた。 男は怪訝な顔をしていたが、すぐ納得したように頷いた。 「ジャンクヘブンの傭兵ということか」 面々を見回していた男は、ぎょっとしたように目を見開いた。 「海魔が傭兵だと!?」 声を上げた男につられて面々がフブキを見つめると、その事実に今気が付いたようで何とも言えない空気が生まれた。 何も言えずにフブキはきまり悪そうに頬を掻いていたが、ふと気が付くと玖郎を見た。 そして、残り全員も玖郎に顔を向けた。何故見られているのか解らない玖郎が、不思議そうに首を小さく傾げた。 「彼は気にならないの?」 誰もが気にしながらも、敢て聞かなかった疑問をベヘルが躊躇うことなく口にした。 指摘された男は少し考え込んでいたが。 「敵は倒す、それで良い。……はずだ」 どうやら自分なりに納得したようだった。 「俺は鋼鉄将軍のスズジ。この名を聞いても俺と戦うか?」 仕切り直すように男、スズジは5人へ細剣を突きつけた。 「戦うために、来たんだってーの」 器用に咥え煙草を動かしながら榊が、ギアである模造刀を構える。それに倣って、華月も1.6m程に伸ばしておいたギアの槍を無言で構える スズジから距離を取ったベヘルは、ギアである7つの銀の球体を散開させている。 「お前さんの技は、大よその見当がついてるぞ。それでも、俺たちと戦うか?」 そう宣言したフブキに、スズジの眉が上がった。 「風も音も根本は空気だ。その剣に空気を通して、風や音で攻撃している。違うか?」 「初めて会った相手に見抜かれるとは思わなかった。さすがジャンクヘブンの傭兵だな。だが」 スズジが細剣を無造作に空へと放り投げた。その動きに思わず5人の目が奪われた瞬間。 スズジは剣を抜いて振り抜いていた。 「氷の盾!」(グラス・ブークリエ) それに気づいたフブキがすぐに魔術で氷の盾を生み出したが、死神の鎌は氷を斬り裂き突き進んだ。 それを迎え撃つように榊が模造刀から放った衝撃波が鎌と激突する。 広がる衝撃の向こうで、スズジが剣を振り抜いた勢いのまま体ごと回転している。 「おおおっ!」 雄叫びを上げたスズジは両手で握った剣を、再び全力で振り抜いた。 一撃目にできた風の通り道に、一撃目を上回る暴風が殺到する。それは風の刃ではなく、もはや風の壁であった。 周辺の建物の一部を巻き込んで5人は、暴風の猛威に弾き飛ばされ地面に叩きつけられた。 「この死神の大鎌は想像できなかっただろ?」 得意気に剣を構え直したスズジの目の前で、いきなり瓦礫が吹き飛ぶと翼を広げた一つの影、玖郎が空へと舞い上がった。 玖郎が素早く印を切ると曇天に雷光が走り、玖郎の掲げるギアの神鳴に雷が降り注ぐ。 「何で平気なんだよ!」 スズジが剣を振り抜けば、死神の鎌が玖郎を襲う。が、玖郎の巨体を前に風が霧散する。 外したと思ったスズジが再び剣を振るも、やはり玖郎は何事もなかったように空を飛んでいる。 (通じない?) 訝しむスズジに玖郎が電撃を放った。反射的に飛び退ったスズジの前で地面が弾け飛ぶ。 「反則だろう!」 空を旋回する玖郎が、驚くスズジを狙って続けざまに電撃が浴びせ掛ける。 「ちっ!」 スズジは剣を振り抜き、自分に迫る電撃を相殺しながら避けていった。 圧し掛かる瓦礫を退けて榊は立ち上がった。 「おい、立てるか」 榊の声に応えるように、フブキと華月が立ち上がる。 ベヘルは、座りながら眼前に浮かべた半透明の操作盤に指を走らせて自分の状態を確認している。 「何とか、な」 ふらつく体を押えながらフブキは立っていた。無傷とはいかないが、まだまだ戦える。 「だい、じょうぶ」 ギアである槍を杖代わりにして華月は立っていた。 「無理すんじゃねーぞ。防いでくれたのあんただろ」 「大して、役に立てなかった、けど、ね」 「いーや十分だ」 一撃目と二撃目の間がほぼ無かったため、一撃目を防ごうと張っていた結界を解く前に華月は死神の大鎌に晒されていた。 華月は展開していた結界を無我夢中で強化し拡大することで、5人を大鎌の直撃から守ったのであった。 「玖郎に加勢するぜ」 フブキがギアを体の前で打ち鳴らして走り出した。そして、呼吸を整えた華月も槍を構えて後に続いた。 「君はいいの?」 「そういう、あんたこそどうなんだよ?」 「まだ様子見。列強海賊最強の部下の力がどれほどのものか、もっと見てみたいからね」 フードに隠れたベヘルの表情は榊には見えなかった。 「高みの見物かよ」 「何とでも。きみも口で言うほど、気にしているようには見えないよ」 榊の浮かべた苦笑は、どこか作り物めいていた。 フブキのギアであるガントレットが、空気中の水分を氷の刃へと変えて生やす。 「おりゃぁ!」 気合いを込めて氷刃を振いながら、斬撃、刺突と果敢にスズジを追い込む。その激しい動きに合せて白衣がはためく。 緩急を織り交ぜた舞踊を連想させる動きで、華月はフブキの攻撃の隙間を埋めながらスズジへ槍を閃かせていた。 2人の攻撃の合間を縫って玖郎の雷撃が空より降り注ぐ。 両手に持った武器で防戦に徹しながら、スズジは機会を窺っていた。 そして、玖郎が電撃を放ち2人がスズジから離れた瞬間、スズジは背後へ飛びながら細剣を振り抜いた。 それを見たフブキが、すぐさま白衣の懐から取り出した試験管を地面に叩き付けた。同時に、華月の足下に五芒星が浮かんだ。 落雷の音に被さり、フブキの仕込んだ風グレネード薬が爆音を轟かせた。 しかし、爆風が過ぎた直後、フブキ、榊、ベヘルの世界がいきなり回転した。三人の体は嵐の海の上に立っているように激しく突き動かされた。 「ちっ、あんたは平気なのかよ!」 鋭く突き出された槍の穂先を、剣で受け流しながらスズジは毒づいた。 自分を覆うように結界を張った華月だけは、セイレーンの歌声に影響されることなく動けていた。その足下には五芒星がおぼろげに浮かび続けている。 華月は無心に槍を振るっている。覚醒した後、ターミナルでは銀細工を作りながら静かに過ごしていた。しかし、この騒動で守りたい人がいてその為に諦めず戦っている人達がいる事を知った。 そして、守るべきものの為に覚悟を決めて行動できる人を羨ましいと思った。それは、目の前の海賊であるスズジにも感じていた。 そのスズジが、華月の目の前で武器を下げた。 「どうも殺気を感じない。殺り合う気がないなら帰りな」 「逃げるつもりなら、初めから来ないわ」 華月は槍を下げなかった。 「柄じゃないんだが。命張ってる相手に半端な覚悟で挑むのは失礼だと思うぜ? 理由なんざ人それぞれだろ。要はそれにどれだけ本気になれるか、だ」 細剣を握った手の親指を立て、スズジは額を掻いた。 「そう、貴方が強い訳、少し解った気がする」 殺そうとしている相手に忠告をするなんて、華月にはとてもできない芸当であった。 それがスズジにあって今の自分にはないものなんだろうと、華月は漠然と感じた。 「それで、どうすんだ?」 「逃げる気はないわ」 華月はスズジへと踏み込むと、槍を真横に薙ぎ払った。 変調に気づいたベヘルは即座に機械腕の体内調律を起動させながら、自分の周囲に漂わせていたギアでセイレーンの歌声の相殺を始めた。 すぐに狂わされた平衡感覚は元に戻り、ベヘルの足下もしっかりしてくる。 ベヘルの近くにいた榊も、セイレーンの歌声が相殺されたおかげでゆっくりとだが平衡感覚が戻り出した。 「助かったぜ、ひでー目に合った」 「まだひでー目に合ってる人もいるね」 半透明の操作盤上を演奏するようにベヘルの左手は休みなく動いている。 その目には、ギアによる相殺が届いていないフブキがふらふらと倒れそうになっているのが映っていた。 「甘い!」 スズジが細剣で華月の槍の穂先を絡めて横へ払うと、槍に引き摺られるように華月の動きが乱れた。 その隙に、スズジはフブキへと剣を振り抜いた。空気を裂く音とともに、ふらついていたフブキが血を噴き出しながら弾き飛ばされた。 「フブキさん!」 顔色を変えた華月がフブキへと駆け寄る。その隙を見逃さず剣を振り抜こうとしたスズジに空より雷が降り注ぐ。 「くそっ!」 セイレーンの歌声を警戒してか先程よりも高い位置で旋回している玖郎が、2人が離れたことにより連続して電撃を放ち始めた。 駆け寄った華月の顔色が変わった。フブキの着ている白衣がじわじわと赤く染まっている。 「み、……ど、り、の」 未だに回り続けている視界と斬られた体に走る激痛に呻くフブキが、手を動かして何かを示そうとしている。 「みどり? 緑ね」 失礼、と華月がフブキの白衣を探れば、緑の液体の入った試験管が一つ見つかった。 「……か、け……ろ」 試験管を持ち上げた華月は、フブキに言われるまま蓋を外してフブキの傷へと降り掛けた。 フブキの右胸の斬り傷が優しい緑の光に包まれると、溢れていた血がみるみるうちに止まった。 「こ、れで、もう、大丈夫だ。助かった、ありがとな」 「良かった。では、私は戻ります」 「ああ、頼むぜ」 ほっと一息ついた華月は、フブキを残して戻って行った。 酷い目まいと激痛に苛まれるフブキの体は、しばらくまともに動きそうになかった。 落雷を避けつつスズジは死神の鎌を放つが、やはり玖郎の前で風が霧散してしまう。 (風が届くなら) スズジは再び細剣を振り抜いて円を描くように動かすと、それを真っ二つにするように剣を振り抜いた。 「叫び声は歌より煩いぞ!」 スズジは振動している細剣で震わせた空気を死神の鎌として撃ち出した。 そして、今までと同じく避けずにいた玖郎が死神の鎌を受けた時、玖郎の世界の天地が逆転した。 「なに?」 今までに感じたことのない激しい目まいに不意に襲われた玖郎が、急ぎ体勢を立て直そうと試みたが、激しく回転する世界での狂った平衡感覚に抗い切れずに玖郎は錐揉み状態で落ちていった。 「あの技、厄介だね」 フードの奥から落下する玖郎を眺めていたベヘルは、他人事のように呟いた。しかし、その左手は一時も休むことなく操作盤の上を走り続けている。 「でも使えなくなったら、次はどうするかな」 ベヘルの左手が最後の起動キーを押して、この短時間で組み上げた「対セイレーンの歌声」の音響プラグラムを発動させた。 機械腕から送信されたプログラムに従って、4つの銀の球体がスズジを囲う四面体の頂点に配置される。 「セイレーンの歌、ぼくが抑えるよ」 ギアの機械音声を使って、ベヘルは静かに宣言した。 抑揚の乏しい音声からでも静かな迫力を感じたスズジは、すぐに細剣を振り抜きセイレーンの歌声を発動させた。 が、周囲にある銀色の球体が超音波を感知した瞬間、自動的に超音波を打ち消す音波を発生させる。 細剣から伝わる振動でセイレーンの歌声が発動していることは確かだったが。 「まさか!?」 目の前に立つ誰一人としてその影響が見られない事実にスズジは驚愕した。 「即興だけど上手く機能してる。そろそろ出番じゃないの?」 「わーったよ。真っ向勝負と行こうじゃねーの」 咥え煙草を投げ捨てると獰猛な笑顔を浮かべた榊が、ギアの模造刀でスズジに斬り掛った。 使い慣れた玩具を扱う気軽さで榊は模造刀を踊らせる。スズジに剣を振り抜かせないように、適確に狙いながら斬り込んでいく。 「あんた強えーな。惜しいな、味方なら勧誘したい腕なのに」 「その言葉、そっくり返すぜ」 榊の言葉に嘘はなかった。実際、スズジの太刀筋は惚れ惚れする程であった。 さらに、僅かな斬り合いで榊の思惑を見抜いたばかりか、それをフェイントに利用してさえいる。 「恩義とか護りてーものの為に命を賭けるとか、俺はそーゆーの良く分かんねーけど」 体を引いた榊の横から華月が槍を一閃するが、その刃先をスズジは細剣で逸らす。 「そーいう奴って強いんだよな色ーんな意味で」 人間は脆くてすぐ死んしまうはずなのに、しぶとい連中もいることを榊は経験してきた。 「それじゃあ、あんたは何のために命掛けて戦うんだ?」 「金で動く傭兵に、んな事聞くかね」 「それじゃ、倍払うって言ったらこっちにつくか?」 「それはねーな。契約は早い者勝ちなんだよ」 「ほらな。あんたの言葉、どこか空々しいんだよ。良くできた劇を見てる気になる」 「言ってくれるじゃねーの!」 斬り合いながら会話を楽しんでいる2人に華月は感心していたが、自分にはそんな余裕はなかった。 握った槍の穂先を覆うように結界を張って華月は戦っている。武器の威力に、結界の弾く力を上乗せする華月独自の戦い方であった。 非力な自分が武器を振うのに、自分なり編み出した方法である。そのため、細い見た目を裏切って華月の一撃には、相当な威力が潜んでいる。 しかし、結界を張りながら戦うというのは非常に集中を必要とするうえに消耗も激しい。 それでも華月はそれを選んだ。 (私ではスズジに勝てない。けど、せめて全力を出し切る!) スズジは内心で舌を巻いていた。先程から華月の一撃に重さがある。今までの攻撃とは明らかに違う。 (こっちもただ者じゃないわけか) 「やれやれ、飽きないな!」 気合いを入れ直したスズジは、武器を握る手に力を込めた。 そして、意を決した華月が討って出た。榊の攻撃を捌いたスズジの前に躍り出て、槍を素早く突き出したのだ。 華月の間合いを見極めたスズジが、最小限の動きで穂先から遠ざかった時。 「はぁ!」 脇にある鎧の隙間を狙って華月の槍が伸びた。ギアである槍は2m程までなら伸ばせる。それは、1.6m程の長さで戦い続けてきた華月の奇襲であった。 武器が伸びると考えてもみなかったスズジの思考は一瞬遅れたが、体は条件反射で動かした右腕の手甲に槍を掠めさせてどうにか狙いを逸らしていた。がりりと手甲の一部が削られた。 次の瞬間、スズジは両手の武器を手放して、伸ばされた槍を掴んでいた。 そのまま力任せに槍を引き寄せて、華月へ膝を跳ね上げた。すぐに槍を手放した華月はスズジの膝蹴りを両手で受け止めた。が、その威力で華月の細い体は一瞬宙に浮いていた。 動きを止めた華月の腕に、すかさずスズジが手を這わせると、異音が響いて華月の腕の骨が外されていた。 「!」 激痛に膝から崩れた華月にスズジの蹴りが放たれる。濁る意識の中、華月は必死に結界を張った。 砕かれた結界ごと華月はベヘルの近くへと叩き付けられていた。苦しげに呻く彼女の片腕はあり得ない方向に曲がっている。 「いいね、容赦ない」 倒れている華月を一瞥したベヘルは感心していた。 「何だ今のは?」 奇妙な手応えを感じたスズジが眉を顰めた。 「よそ見は禁物じゃねーか?」 素手のスズジに榊がギアを構えて踊り掛った。繰り出される鋭い斬撃を、スズジは手甲で受け止めずに身のこなしだけで躱していく。 距離を取ったスズジが左腕を振り抜くと、空気を裂く音とともに榊が弾き飛ばされた。 その隙に、落した武器を拾い上げたスズジは、体勢を立て直す榊へ剣を振り抜こうとした。 「頑張るね」 条件反射で声がした後ろを振り返りながら剣を振り抜いていた。すると、澄んだ音をたてて銀色の球体の一つが弾き飛ばされていった。 ベヘルに一杯喰わされたスズジに、無数の衝撃波が襲い掛る。 「まーだまだ行くぜ!」 絶え間なく放たれる榊の衝撃波を、避けらないものだけは鎌で相殺しつつ、スズジは最小限の動きで衝撃波を躱していった。 そして、動き続けていたスズジが、細剣を地面に突き刺すと足を止めた。 「こっちの番だな!」 両手で握り締めた剣をスズジは休みなく振り抜いて、途切れなく襲い来る榊の衝撃波を全て迎え撃ってみせた。 気合いを込めて放たれる衝撃波と死神の鎌が、2人の間で激突しては衝撃を残して消えていく。 その光景を眺めていたベヘルは違和感を覚えた。 (なぜ止まった?) スズジの思惑を見抜こうとしているベヘルのフードを、微かな風がはためかせた。 「まさか」 ベヘルは操作盤を呼出して、すぐに左手を踊らせた。その間も、フードを揺らす風は少しずつ強くなっている。 打ち込んだ計算結果が表示される僅かな間も惜しみ、ベヘルはすぐにギアへの情報入力を開始した。 目の前に出現した画面に示された結果はベヘルの予想通りであった。 「いいね、本当に容赦ない」 そこに表示されたのは、最初にスズジが放った大技を今使われた場合の影響範囲であった。 そこに居るのは、榊、ベヘル、そして倒れている華月であった。 (最低でも一人、あわよくば全員か) あの時は華月の結界でどうにか切り抜けたが、今はその華月が倒れている。 ベヘルの左手が霞むほどの速さで操作盤の上を走り続ける。 「でもそれじゃ、面白くないよね」 ベヘルの左手が起動キーを押した直後。 「おおお!」 雄叫びを上げたスズジが、全身全霊の力を込めて大きく剣を振り抜いた。 スズジの作った風の流れ道に暴風が殺到する。暴風の壁が、死神の大鎌となり猛威を振う。 榊の放った衝撃波を悉く打ち砕いて迫る大鎌の前に立ち塞がったのは、7つの銀の球体であった。暴風の猛威を最も効率良く分散させるように配置されたギアが、7つの音色を紡ぎ出す。 全てを押し潰さんと蹂躙する暴風の壁とぶつかるギアが、必死に音色を奏でて足掻き続ける。 異常な負荷を警告する画面が次々と眼前に出現してくるが、その全てを消してベヘルは自分の音楽を貫く。 「つっ!」 ついに機械腕が負荷に耐え切れず火花を散らしてショートしたのと同時、大鎌も突き崩され無数の暴風の刃となって吹き荒れた。 狙いも何もない風の刃はほとんどが周囲を破壊するだけであり、一つは倒れていた華月の上を通り過ぎ、一つは榊が衝撃波で打ち消し、一つはベヘルのマントの一部を剥ぎ取り、その機械腕をあわらにしていた。 「……なん、だと」 最大の技を防がれたスズジは、剣を振り抜いた姿勢のままで唖然としていた。 「わざわざ最初に見せてくれたんだから、しっかり鑑賞しないのは失礼だよね」 火花を散らしている機械腕を庇うようにベヘルは座り込んだ。 「一度見せただけだぞ」 呆然としているスズジに向けて衝撃波が走り、地面に突き刺していた細剣が破壊された。 「セイレーンの喉はこれでおじゃんだぜ。もう歌えねーな」 にやりと笑う榊に、スズジは気を取り直して剣を構えた。 「まだだ。武器はまだある」 静かに睨み合う2人に別の声が割って入った。 「俺も仲間に入れて欲しいな」 フブキであった。血のついた白衣を無造作に脱ぎ捨てると、見事な上半身を晒してギアを構える。 「ちっ、何で生きてるんだよ」 「見ての通り頑丈なのが、取り柄だからな!」 ギアから氷刃を生やして、フブキがスズジに踊り掛った。 「わ、たしも、まだ戦える!」 華月はギアに凭れながらどうにか立ち上がったが、その片腕は力無く垂れ下っている。 「下手な助けは足手纏いだよ」 「だけど!」 「それが嫌なら、できること自分で考えなよ」 目の前に浮かべた操作盤に指を踊らせて、ベヘルは機械腕の調整を始めていた。 ギアに寄り掛かりながら必死に考え始めた華月の手は、無意識に蝶の髪飾りに触れていた。 「頑丈だからで平気な怪我じゃなかっただろう!」 スズジに剣を振り抜かせないように、フブキは氷刃を振い続けて間合いを詰める。 フブキから距離を取ろうとスズジが大きく後ろへ飛び退さった。 「水矢!」(オー・フレッシュ) フブキの魔力により生み出された無数の水の矢がスズジへと撃ち出される。 「くそ!」 予想外の攻撃にスズジが慌てて剣を振り抜いて、水の矢を撃ち落す。 「これもやるよ!」 フブキが投げつけた試験管をスズジが剣を盾にして防いだ。そして、剣にぶつかり砕けた瞬間、試験管は青白い光を放って爆発した。 「ちっ! 何でもありか!」 フブキの氷グレネード薬で周囲の気温が急激に下がった中、白い息とともに毒づくスズジの視線の先には、白い氷に覆われた剣があった。 「これで剣も使えなくなっちまったな。どうする、続けるか?」 ギアから生やしていた氷刃を消しながらフブキは問い掛けた。 「当然だ」 凍りついた剣を投げ捨てると、スズジは胸元の留め金を外した。がしゃんと重い音をたてて胸当てが地面に落ちる。 そして、身軽になった両手を軽く動かしていたスズジは、いきなり超人的な速さでフブキに踏み込んだ。 跳ね上がったスズジの右足を、フブキが左腕で防ぐ。防具とガントレットが激しい衝撃音を打ち鳴らす。 (格闘も慣れてやがる!) 接近戦を得意とするフブキは、一合の打ち合いでスズジの実力を悟った。 そして、フブキとスズジの接近戦の応酬が始まった。 先程の魔術や魔法薬を警戒したスズジは攻撃の手数を増やし、フブキに反撃の隙を与えないように打撃を重ねている。 それが解るフブキは、冷静にスズジの連撃の隙を見極め打撃を繰り出し、少しずつだが着実にスズジに拳を入れていた。 しかし、それ以上にフブキの体力は激しく消耗していった。瀕死に近い傷はどうにか塞いでいるが、完治したわけではない。 フブキは意地と気合いで戦っているのだ。 フブキの右腕がスズジの顔に迫った時、スズジが半歩踏み出して額でフブキの拳を受け止めた。腕が伸びきる前に自分から当たれば威力は半減するというスズジの読みである。 同時に、フブキの右拳に被せるようにススジの左拳がフブキの右胸に突き刺さった。そこは、死神の鎌で斬られた傷のあった場所である。 息が止まる程の激痛が走りフブキの動き止まった瞬間、スズジが右拳でフブキの顎を打ち抜こうした。 「閃光!」(エクレール) 無理に体を捻り地面に倒れ込みながらフブキが魔術を発動させると、スズジの目の前で白い閃光が弾け、スズジの視界を白く焼いた。 「ぐあっ!」 強く目を瞑っているスズジに、すぐさま立ち上がったフブキが殴り掛った。 「悪く思うな!」 しかし、フブキの一撃は空を切っていた。目の見えないスズジが、その攻撃を紙一重で避けていたのであった。 「がっ」 フブキは驚く暇もなく、スズジの右拳で顎を跳ね上げられていた。 そして、半歩体を引いたスズジが、動きの止まったフブキの前で真横に足を薙ぎ払うと、空気を裂く音がしてフブキは弾き飛ばされていた。 「悪かないさ。星明りもない日に襲撃することもある」 ぼんやりと戻りつつあるスズジの視界の中で、倒れたフブキは微動だにしていなかった。 「さあ、次は誰だ?」 大きく息を吐いたスズジが、構えた手を動かして挑発する。 「まーだ武器が残ってんのかよ」 「右腕のは使えなくなったが、あと3つ。俺の武器は残ってる」 見せるように動かしたスズシの右の手甲には、華月の残した傷跡が刻まれていた。 睨み合う榊とスズジの膠着を打ち破ったのは、一条の雷撃であった。 「うお!?」 慌てて体を切り返して避けたスズジが顔を向けると、威嚇するように翼を広げた玖郎がいた。 「ようやくめまいが抜けた」 力強く羽ばたいた翼が、羽根を散らして玖郎の巨体を浮き上らせる。 「剣をもたぬなら、脅威はない」 そう言い残した玖郎が空へと駆け上がった。翼を体に添わせて折り畳むと、曇天を背負う玖郎がスズジに空より迫る。 地面に落ちる影の中で、スズジは玖郎を限界まで引寄せて避けた。が、空へと戻る玖郎の足の鉤爪からは赤い血が滴っている。 左腕から血を流すスズジに、空で旋回した玖郎がすぐ再び襲い掛る。その襲撃を避けるのに集中していたスズジに、榊が衝撃波を放った。 「くそ!」 衝撃波を避けたスズジが、ズボンのポケットから小銭を取り出して玖郎に向けて指で弾いた。 がきぃんと鉢金に走った激しい衝撃で動きが乱れた玖郎は、すぐに体勢を整えて空へと戻った。 スズジは榊へと狙いを定めて、猛然と駆け出した。 榊は次々と衝撃波を撃ち出してスズジを迎え撃った。しかし、スズジは足を止めずに衝撃波を掻い潜り、距離を詰めてくる。 避けられない距離に入る直前、スズジは右手に持っていた小銭を指で弾いた。 「ずーいぶん器用だな!」 しかし、榊がギアで指弾を全て弾いていると、手に持った小銭を撃ち尽くしたスズジが立ち止まり、その場で足を振り抜いた。 空気を裂く音に被せるように榊がギアから衝撃波を飛ばすと、お互いの間で衝撃音が広がる。 「オオオ!」 その向こうで、スズジは雄叫びを上げて全身を捻り、回し蹴りの要領で再び足を真横に振り抜いていた。 「しまっ!?」 爆音とともに榊の体は宙を舞っていた。全身が砕けたような衝撃に、榊は受け身も取れず地面へと叩き付けられた。 「はっ! はっ!」 全身から汗を流してスズジは呼吸を整えている。短時間に大技を連続で使ったため、体力が限界に来ていた。 息を荒げるスズジの耳に激しい雷鳴が響いた。毒づく余裕もなくスズジが見上げた空には、稲妻を浴びる玖郎がいた。 その背後に見える雲間と同じように、全身には青白い雷光が走っている。 稲妻を纏う玖郎が、空よりスズジに襲い掛る。今の玖郎に触れるだけでも、スズジは電撃に苛まれるだろう。 死の影を落として迫る玖郎を見据えながら、スズジがポケットに残った小銭を掴んで空へばら撒いたのと同時。 玖郎は体に添わせた両手のギアから溜め込んだ雷を解放していた。 後方へ撃ち出した稲妻を更なる推進力とした玖郎の巨躯が、雷の尾を残して一つの砲弾と化し加速する。 「がああ!」 落ちてくる小銭目掛けて、スズジが歯を食い縛って足を振り抜いた。死神の鎌で弾け飛んだ小銭は、散弾の如く玖郎へ撃ち出された。 それは偶然だった。 加速していた玖郎は運悪く真っ正面から小銭の散弾を浴びることになり、体勢を崩したスズジは運良く玖郎の直撃を避けていた。 角のある小銭が次々と玖郎の体内に食い込む。金属が玖郎を蝕み激痛を走らせると、加速したまま地面に落ちた玖郎は、己の体で地面を削り続けようやく止まっていた。 直撃は避けたスズジであったが、その体は火花を散らして宙を舞い地面に落ちていた。 「やったかな?」 機械腕を調整しつつ事態を眺めていたベヘルの前で、スズジがゆっくりと起き上った。 玖郎に掠めた右腕は酷い火傷を負っていたが、その足取りにはまだ力が残っている。 「さあ、どうする。機械の坊主か、槍のお嬢ちゃんか。どっちだ?」 鬼気迫る顔でスズジが2人へと近寄ってくる。 「華月、きみ戦えそう?」 「息してるだけでも痛いわ」 まともに動けるのが自分だけだと判断したベヘルが立ち上がると、宙に浮かんだ7つのギアがベヘルの回りに集まる。 「坊主が相手か」 「坊主じゃないけど。まあいいや」 ベヘルの意志に従って、7つの球体が銀の尾を引いてスズジへ襲い掛った。 しかし、体を丸めてベヘルへと駆け出したスズジは、幾つかのギアに体を打ち据えられても、その勢いは止らなかった。 迫るスズジから距離を取ろうと後ろへ跳んだベヘルを追い掛けて、スズジが一気に踏み込む。そして、スズジは剥き出しの機械腕を掴むと、一本背負いの要領でベヘルを投げた。 細身のベヘルが勢い良く地面に叩き付けられた時、空を飛んでいたギアも一斉に地に落ちていた。 「あと、は?」 周囲をスズジが見回すと、地面に倒れた玖郎へ華月がふらつきながら近寄っていた。 「まだ何かしようってのか」 「そりゃー、あんたを倒そうとしてんだろ」 ゆっくりと振り返ったスズジの前には、模造刀を支えにして立つ榊がいた。 「剣ほど威力はなかったみてーだな」 「期待外れですまないな」 互いに限界に近い疲労した体を酷使して、スズジと榊は地を蹴っていた。 「玖郎さん!」 「な、んだ。今は、うごけんぞ」 華月の呼掛けに、玖郎が苦しげに呻いた。 「電は出せますか?」 「できる。が、威力はない」 しかし、華月に玖郎を気遣う余裕はなかった。 華月が思い付いた決定的な隙をスズジに作るためには、玖郎の力が必要だった。 「光ればいいです。スズジの目を眩ませてください」 「やってみよう」 2人が顔を向けた先では、スズジと榊が戦っている。 限界が近いスズジの動きに精彩はないが、それでも今の状態の華月では勝てないだろう。そして、榊も押され気味である。 「すまん、腕があがらぬ」 体に食い込んだ小銭の持つ金気は、今も玖郎の体を蝕んでいる。 「私が支えます」 力の入らない玖郎の腕を、ギアに触れないようにして華月が脇で抱えて支えた。 そして、玖郎が気力を振り絞って神鳴から雷撃を迸らせた。 しかし、距離が離れたいたせいで、スズジは雷撃をしっかりと見切って避けていた。 その瞬間、玖郎が手を握り締めると、雷が弾けて閃光を撒き散らした。 電撃を見据えていたスズジの視界が白く塗り潰された。しかし、スズジは慌てずに耳で世界を見始める。 「彼の地の音を封ずる!」 玖郎の腕を放した華月が虚空に五芒星を描いて念じると、スズジの足下に五芒星が広がった。 「!?」 音が消えたことに驚いたスズジが口を開いたが、その口は何の音も生み出せていなかった。 「今です! スズジは音が聞けないわ!」 突然、光と音を奪われたスズジの体は恐怖で硬直してしまっている。 その隙を見逃さず榊は気合いを込めて、ギアから斬れ味を乗せた衝撃波を放った。 成す術もなく棒立ちになっていたスズジは、衝撃波を喰らって鮮血を撒き散らせながら地面に叩き付けられていた。 倒れたスズジの体から、大量の血が流れて地面に広がり出している。 「言い残すことはねーか?」 血の海に倒れているスズジを榊は覗き込んだ。ゆっくりと光と音がスズジの世界に戻ってきていた。 「な、にも思いつかない、な。色々と、考えてた、辞世の言葉、って、やつ、あったはず、なのに、な」 榊を見上げたスズジが軽く噎せると、その口から赤い血が溢れた。 「あぁ、空が、くもってら。こん、なひは、こうかいに、む、いて、ないんだ、よ」 曇り空を力無く見上げるスズジへ、榊は無言でギアを振り下ろした。
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