「《海賊法》にもとづき、ジェロームを反逆者とみなす……だと? おいぼれが戯言を」 偉丈夫は、布告をせせら笑った。「よかろう。ならば今より、この俺こそが新たな法だ。海賊王の幻想に縛られた時代は終わりを迎え、海原は次なる支配者を迎え入れるだろう。この俺、ジェロームこそが海賊王をも超える海賊皇帝として、すべての海に君臨するのだ」 消息を絶ったロストナンバー、日和坂 綾のゆくえを追ってブルーインブルーへ向かった特命派遣隊は、彼女が列強海賊ジェロームに捕らわれたことを知った。 しかもその裏には、別の列強海賊・“赤毛の魔女”フランチェスカの謀略があったのだ。 最強の海賊と言われたジェロームは、フランチェスカのはたらきにより、今や全海賊から、海賊社会の秩序を脅かす反逆者とみなされてしまった。孤立したジェロームがとった方策は、ジャンクヘヴンへの急遽の進軍。 海上都市同盟を滅ぼしてしまえば、海賊間で孤立しようと関係なく、ジェロームの覇権は確立する。 微妙なパワーバランスを保っていたブルーインブルーの海の平穏は、一挙に戦乱へと傾いたのである。 ここに、特命派遣隊の成果が生きてくる。 ひとつは、ジェローム進軍の情報を誰より早く得たということ。 次に、進軍を開始したジェロームの拠点にして旗艦・ジェロームポリスの現在地を把握していること。 最後に、ジャンクヘヴンで亡きレイナルド宰相の遺した「ジャコビニの幽霊船」を入手したこと。「このまま放置すればジェローム軍は海上都市群へと迫り、ブルーインブルー全土を巻き込む戦争が始まってしまう。そうなればジャンクヘヴンは、当然、世界図書館の助力を乞う。けれどその段階に至っては状況の泥沼化はいっそう進んでいるだろう。そうなるより先にジェローム軍を壊滅させることは、かえって、事態をきれいに収束させることができるはずだ」 特命派遣隊の大使として同地に赴いていた世界司書の判断を、世界図書館も支持した。 どのみち、ジェロームポリスには日和坂 綾が捕らわれているのだ。戦いへの関与は避けられなかった。 作戦はこうだ。まず「ジャコビニの幽霊船」がジェロームポリスに近づき、周辺海域に霧を発生させる。 霧にまぎれ、ジェロームポリスに上陸したロストナンバーが騒ぎを起こし、都市に混乱を招く。その隙に、複数のゲリラ部隊が都市内に散る。ジェロームの軍団は、当人の絶対的なカリスマ性のもと、「鋼鉄将軍」と呼ばれる直属の指揮官によって統率されているという。この指揮官たちを討ち取ることができれば、軍団は自然と崩壊してゆくだろう。逆に、かれらが存命であれば、ジェロームポリスを失っても、残党が再び組織されるおそれがあるため、指揮官を倒すことは重要な意味を持っていた。 この作戦はジェロームポリスが同盟の海上都市に近づく前の海域で行われる。 静かな海に霧が満ちるとき――ブルーインブルーの歴史の1頁が、書き換えられるのだ。 ◇◇◇「こんにちは」 幼さとそばかすを残した色白の頬を緩めて少年は人懐っこく笑っていた。年の頃は中学生に上がるか上がらないかくらいだろうか。ただ、その笑顔とは裏腹に何の感情も映さないガラス玉みたいな碧い目でこちらを見下ろしていた。 栗色の巻き毛に、華奢に見える体には海を思わせるようなマリンブルーのダブルボタンのハイネックとスラックス。手には棒のようなものを握っている。 しかしそんなことはどうでもいい話だった。 ここはブルーインブルー。この世界の人間は魔法や超能力などといった能力をもたない。 だが少年はロストナンバーが顔を上げた先の虚空に浮かんでいたのだ。まるで見えない椅子にでも座るように足を組んで、その上に頬杖をつきながらロストナンバー達を見下ろしていたのである。 驚きの後、一つの可能性にたどり着いた。 ジェローム海賊団に於いて特にジェロームが認めた者に与えられる称号『鋼鉄将軍』。その称号を頂いた彼を人は畏怖の念をこめて『ミラクル・マジシャン』と呼ぶ。 火や水を操り、時に宙を舞い、錯視・錯聴をはじめとしたイリュージョンによって他を翻弄する。確かに見えている、確かに聞こえているはずなのに、脳の認識をずらし、遅らせ、惑わせるのだ。 彼に襲われた者の多くが気づいた時には背後をとられ喉笛を切り裂かれていた。 だが彼はその暗殺術で『鋼鉄将軍』の称号を得たわけではない。彼の本当の恐ろしさは華々しいまでのイリュージョンや、その類稀なるミスディレクション能力などではなかった。確かに彼は相手の脳を騙し一瞬でその懐に踏み事が出来る。殺気はおろか、どんな感情も気配も見せることなくだ。 しかし彼が将軍の称号を得られたのはあくまでその卓越した剣技にある。「ねぇ、どこ見てるの?」 少年が言った。 その声に反射的に背後を振り返る。そこから声がしたからだ。 果たしてそこに少年が背を向けて立っていた。 ついほんの数瞬前まで宙に座っていたはずなのに。 少年は持っていた棒のようなもの――ステッキをくるりと振った。 彼が広げた空いた手にどこからともなくスカイブルーのシルクハットが現れる。その中から同じ色のケープを取り出し背に纏うと、少年はシルクハットをパフンと頭にのせてこちらを振り返り屈託なく嗤った。「楽しんでってよ」 石畳の続く長閑な通りに人影はない。立ち並ぶ民家にも人の気配は感じられない。一般市民はこの混乱に乗じて逃げたのか、それとも邪魔なものとして強制的に排除されたのか。 ただ、はっきりしていることは、すでに、この一帯は彼のテリトリーになっているということだ。 タネと仕掛けという名の罠が張り巡らされた少年のステージに。「――ね」*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・!注意!イベントシナリオ群『決戦!ジェロームポリス』は同じ時系列の出来事を扱っています。同一のキャラクターによる『決戦!ジェロームポリス』シナリオ、およびパーティシナリオ『【決戦!ジェロームポリス】軍艦都市炎上』への複数参加(抽選へのエントリー含む)はご遠慮下さい。●特別ルールイベントシナリオ群『決戦!ジェロームポリス』において、1つの通常シナリオの参加者は1つのチームとして行動するものとします。通常シナリオでは、各チーム(各シナリオ)ごとに、1人の敵指揮官と戦います。登場する将軍についての情報はオープニングを参照して下さい。なお、全シナリオのうち1チームのみ、全軍を統率する“鉄の皇帝”ジェロームその人とまみえるチャンスがあります。ジェローム団の首魁、列強海賊最強の男と戦う誉れを狙う方は参加決定後、3月31日10:00までに、プレイングを編集して「ジェロームにたどりつくための手段」を書くようにして下さい。4月1日23:00までに事務局が「全シナリオ参加者のプレイング内容」を確認したうえ、もっとも妥当なプレイングを書いていた人のいるチームが、ジェロームに遭遇したと判定します。※3月31日10:00~4月1日23:00まで、プレイング編集はご遠慮下さい。キャラクターシートの内容は参照しません。※ジェロームに遭遇した場合、当該シナリオ参加者には告知されます。告知のなかった場合、シナリオ中でジェロームには会えません。*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・
最初に動いたのは白燕。白く柔らかな髪のせいかもの静かに見えるその印象とは裏腹に気が強いらしい、背後に立った少年に軽やかな回し蹴りを見舞っていた。まるで相手の力量を測るようなそれにバックステップ。紙一重でかわしてみせて少年が肩を竦める。 「少年と侮ってはいけないのだろうな」 好敵手と感じてか、彼女の頬が無意識に緩んだ。 その時にはヘルの肩からオウルフォームのセクタンロメオが飛び立ち、彼女自身はギアの照準を彼に合わせていた。連治の目配せに刹那の気配が消える。 少年が地面を蹴って走り出した。前へ。彼のいた場所を真空の刃が駆け抜ける。 かまいたちを放ったテューレンスはその羽を広げて上空へと間合いをとった。 少年は御しやすいとみたのか連治に向かっている。 「わっ…ちょっ…ムリムリムリ」 なんて慌てる連治に少年がステッキをつきだした。 「なんて、ね」 にっこり笑って連治は後退しながら目くらましとばかりにトランプを広げてみせる。 どんなトリックがあったのか、少年がそのトランプをステッキで切り裂くと、連治の前で大きく地面を蹴った。避けた連治に少年はまるで振り子のような弧を描いて宙に舞う。 空に佇む少年にヘルのリボルバーが火を噴いた。それは少年を捉えるかわりに宙に張り巡らされた何本もの線を浮き上がらせる。少年を空中浮遊させているワイヤー。彼女が撃ったのはペイント弾だ。 浮き彫りになった仕掛けに驚くでも笑顔を失うでも顔を引きつらせるでもなく少年はケープを翻した。 何かが零れ落ちたが、それに見向きせず連治が少年を睨み付けていると、少年はワイヤーに佇みにこっと笑った。 「無粋な人たちだな」 「無粋で悪かったな」 連治が横の壁に手をかけると少年が佇むワイヤーに手を伸ばす。 「悪いな。こっちはタネも仕掛けもないんだ」 連治がワイヤーに触れた。消失のマジック。ワイヤーが一瞬で消えた。少年を支えているはずのワイヤーが。 だが、少年はそこに何事もなかったかのように佇んでいた。 「あれ?」 連治が首を傾げる。 「どういうこと?」 ヘルが連治を振り返る。 「ガラスも、鏡も、見当たらない」 テューレンスの呟き。 少年がステッキを振り上げた。 「影がありません! 逃げて!」 刹那の声に一同が反応する。 「本当に無粋な人たちだ」 少年がステッキを振り下ろした。 それと当時に少年の姿は消え、振り下ろされたステッキから小さな光がゆっくりと落ちていくのが見えた。それがマッチの火だと気づいた時、連治は声を張り上げていた。 「伏せろー!」 言いながら自身もスライディングするように突っ伏す。 次の瞬間爆音が鼓膜を叩き、少年の一番近くにいた連治から順に、白燕、ヘルを襲った。 ▼ 爆煙が晴れるまでの間の後。 「いったぁ…信じらんない」 スライディングし時、擦りむいた膝にうっすら血が滲んでいるのを見つけてヘルは嫌そうな顔をしながら立ち上がった。つま先で地面をたたく。走れる。 周囲を見渡す必要もなくロメオの目が仲間たちの状況を教えてくれた。 更に目を凝らす。 路地裏に少年の姿。咄嗟に確認したのは影。 宙を浮いていたのは本人ではないどころか、何の実体もなかったということか。脳裏に浮かんだのは3Dホログラムとかそんな言葉だったが、彼の立っていた場所から声が聞こえていたのだ。あのマッチの火も。一体どんな仕掛けだったのだろう。口惜しいが彼のイリュージョンにまんまと嵌められたということだ。 ヘルは唇をかむ。指輪を掌の内側に強く強く握りこんだ。 「ママがくれた指輪…大事な指輪」 口の中で呟いた。呪文のように。次はひっかからない。それは決意の証。 ヘルはリボルバーの弾を確認して仲間を振り返った。 テューレンスが耳に手をあて何度も首を傾げながら降りてくる。上にいて爆発の難は逃れたが、爆音に耳をやられたのだろう。それはヘルも同じだった。今もぼわんぼわんと耳の奥で音がこだましている。とはいえ、全く聞こえないわけでもない。 「この先の路地裏にいるわ」 ヘルの言に応えたのは白燕だった。 「今なら先手が取れるな」 埃を払いながら歩み寄る。 確かに、こちらは耳をやられている。とはいえこれは好機に思えた。よもや彼も気づかれているとは思うまい。彼が大がかりな罠を仕掛ける前に止められる。 3人は互いに頷くとそちらを振り返った。 そこに連治が突っ伏している。まさか重傷を負ったという事もあるまい。そちらへ向かおうとすると1匹の猫がしなやかな伸びを1つして舞い降りた。 3人は連治を刹那に任せて狭い路地へと入っていった。 ▼ 彼女らとは少し離れた場所で。 突っ伏したまま連治はしばらくぼんやりしていた。強烈な爆発音。そして雲のように広がった煙。だが、熱は感じなかった。手榴弾が爆発したように何かが飛散したわけでもなかった。何が伏せろだ、と自問。耳をふさげの間違いだったな、と息を吐いてようやく連治は上体を起こした。 手元に小さなゴムボールのようなものが転がっている。それを拾いながら。 「えぇっと…」 呟いてみた。自分の声が自分の中でこだまする。先ほどの爆発で耳をやられたらしい。 他のロストナンバーは、と思っていると傍らに猫の姿の刹那が現れた。 「大丈夫ですか?」 かろうじて聞き取れる刹那の声に頷いて連治は耳の辺りを何度か叩く。壊れたテレビでもあるまい。しばらくすれば落ち着くだろうと諦める。 「影縫いのタイミングを窺っていたら、突然、彼の影を見失ってしまって…」 「見失った?」 「少し違いますね。なんていうか…」 「消えたんだな」 連治は少年の立っていた方へ歩き出す。爆発の跡はない。あれはやはり音だけの煙幕だったのか。 「みんなは?」 「3人は少年殿を追って路地裏に向かいました」 「そうか」 あの時、凝視すべきは少年の方ではなく、少年がケープから落とした何かの方だったようだ。恐らくは、それが少年本人だったのではないかと思う。 「家主殿たちに聞いたことがあるのですが、手品というものには助手がいるそうですね」 刹那の声に振り返る。 「ああ。トランプマジックくらいなら必要ないけど、大掛かりなものには必要だな」 連治は手の中のボールを胸ポケットに放り込んだ。 「私はそちらを探そうと思います」 「あ、俺も行く」 ▼ 少年の手品にはアシスタントがいる。だが狭い路地が入り組みどうにも空からの死角が多すぎてそれらしい人間を見つけられず3人は細心の注意を払いながら進んだ。 この角を曲がったところに少年がいる。 3人は壁を背に預けた。両手を伸ばすのがやっとな狭い路地。白燕が出る。 「手合せを請う」 白燕の声に鷹揚と少年が振り返った。だが振り返るのを待ってやる義理もない。先手必勝と白燕は一気に間合いを詰めた。勢いをそのままに少年の鳩尾を狙って掌底を突きだす。それを少年がステッキで受け止めた。白燕は掌底を叩き込むのを諦めてステッキを掴む。こちらに引こうとするとまるで滑るようにするっと手が抜けた。いや、手はステッキを掴んだままだ。かといって少年が手放したわけでもない。 「やっぱり…」 呟いたのはヘルだ。 少年の持つステッキが陽光を浴びて光を返した。なるほど仕込み杖になっていたのだ。 ならば白燕の掴んでいるのは鞘の部分だ。だが白燕は臆するでもなく蹴りを繰り出した。この隘路で剣を振り回せないことを知っているからだ。 防戦に転ずる少年が剣でそれを受け止めようとする。白燕は蹴りを寸止めし、膝を視点に少年の胸を足の裏で押し蹴った。 3歩ほどよろめいて少年が剣を逆手に持ち返る。顔つきが変わった。 白燕は攻勢をやめて身構える。 少年が壁を蹴りあがり白燕の頭上へ飛んだ。白燕が退く。 「!?」 少年の目が大きく見開かれた。 白燕と入れ替わるようにして入ったテューレンスのサーベルが少年の落下地点を貫くように走ったからだ。だが、サーベルは彼の空色のケープに穴を開けただけだった。少年は更に壁を蹴りながら反転し、ぎりぎりで彼女の攻撃をかわしていた。とはいえ空中でバランスを崩してそのまま地面に転がり剣を落とす。 と。 転がった少年にテューレンスは反射的に退いていた。 剣を離した少年の手が、まるで何かを投げるように弧を描いたからだ。その軌跡を辿るように火の線がテューレンスに襲いかかる。 退かず畳み掛けていたら今頃熱線に体を分断されていたかもしれない。 自分を追ってくる炎に更にテューレンスは羽ばたいた。かまいたちに炎が消える。 少年は剣を拾って立ち上がった。 「避けて!」 ヘルの声に白燕とテューレンス壁に背を預ける。 ヘルの放った弾丸が少年の剣を叩いた。それは2つに折れて刃の部分だけが地面に転がる。 「……」 少年は柄だけになったそれを腰のベルトに引っ掛け、小さく息を吐いた。 ヘルはリボルバーの銃口を少年に向けたまま尋ねる。 「貴方、まだ子供でしょ。どうしてジェロームなんかに与してるの? 何か理由があるの?」 「もちろん――」 少年は立ち上がって笑みを返すと後方へ退くように飛んだ。空中浮遊はもうネタ切れなのかただ間合いを開けただけで地面にしっかり足を付けている。 それから右手でケープの裾を掲げ持った。 「あいつは僕におもちゃをくれる」 少年の手の中に現れたのは巨大な銃器…の形をしているが重厚さとは無縁なプラスチック製のそれだった。 思わず面喰っていると少年は間髪入れずに引き金を引いた。 飛び出してきたのは、鉛玉でもBB弾ですらない。 泡。 錯覚でもなんでもなく、まるでそれはシャボン玉のようで、身構えていた分3人は拍子抜けてしまったほどだ。殺気もなければ殺傷能力もないそれに半ば呆れたようにヘルが少年を睨み付ける。少年は別段ガスマスクのようなものを取り出す素振りもない。ならばこれは揮発性の毒ですらないのだろう。 「おもちゃってなによ」 「これのことだよ」 溢れ出す泡が地面に溜まり狭い路地に壁を作った。 瞬く間に少年の姿が泡の向こうに消える。 だが、ヘルにはロメオの目がある。泡の向こうの少年の姿がはっきり見えている。ヘルは立ち去ろうとする少年の後を追いかけようとした。 所詮は泡の壁だ。そのまま突っ込もうとした時。 「ダメよ!」 テューレンスが彼女を止めた。 「どうして?」 ぎりぎりのところでヘルが足を止める。 テューレンスは羽で泡を吹き飛ばした。そこに現れたのは鉄板。泡に隠れて見えなかったのだ。 「すぐ向こうにいるのにっ!」 悔しそうにヘルは吐き捨てて辺りを見渡す。通りの向こう側に出る方法。 「待って…」 壁と鉄板を撫でながら、耳を澄ますようにしていたテューレンスが、ヘルと白燕を止めた。 「声が、する」 ▼ 助手が潜むとすれば主役の傍に違いない。 連治と刹那は3人が向かったという路地へと入った。程なくしてヘルの声が角の向こうから聞こえてくる。曲がったところにいるのだろう。 連治は手近な建物の中に入ってみた。外にいるならロメオの目を通してヘルが気づくはずだからだ。 ごめんくださーい、と内心で呟く。人の気配は感じられない。民家らしい玄関を抜けて奥のリビングへ。どうやらここはハズレか。 『おもちゃってなによ』 窓の外から声が聞こえてきた。丁度そこでヘルたちと少年が対峙しているのだろう。連治はカーテンの陰からそっと窓の外を覗いてみた。 少年が泡を吐き出している。バブルガン。 「あんな物が欲しかったのか?」 泡の向こうに少年が消えたと思った時。 「どこを見てる?」 少年の声がして連治はそちらを振り返った。 今、窓の外にいたはずの少年がリビングの入口に立っている。 「さぁて、どこかなぁ?」 連治は空っとぼけたように笑った。 連治の視線が少年の腰にさがったステッキに向かう。窓の外にいた少年のステッキは折れていたはず。いや、折れたのは刃の部分だけだったから、鞘を戻せばステッキに戻るのか。だが、鞘の部分は白燕が握っていたような。記憶を辿るように無意識に窓へと向けられた視線。 「逃がしませんよ」 刹那の声に振り返る。よく見れば、少年の影に黒い針が刺さっていた。 「面白いね。体が動かないや。どんな仕掛け?」 少年は動じた風もなく尋ねる。 「秘密です」 刹那は応えて少年に向かって跳躍した。しかし直前で自分の飛んでいる方向を鋲を使ってわずかに変える。 「影の形が変わらない範囲でなら動けるみたい?」 冷静な少年の分析。 飛びかかろうとした刹那に向けて少年が投げたのはトランプか。 連治の対抗心がメラメラと燃え上がった。トランプマジックなら負けない。 だが。 反撃があるとは思わなかった刹那が絨毯の上に着地した時には、少年の影を捉えた針が抜けていた。そしてそれを確認した時には、既に少年の姿は消えていた。 「……」 ただ、何かが触る感触に連治がそちらへ目をやると、自分の胸からナイフが生えていた。トランプではなくナイフだ。いつの間に投げられたのか。 幸いナイフの刃は体にまで達していない。連治は上着を開く。内ポケットに先ほど拾ったボールが入っていた。ナイフはそれに刺さったらしい。 ナイフを抜いてポケットからボールを取り出す。 「うげっ…」 連治はそのままボールを足元に落とした。それは絨毯で弾けてピンク色のペイントを飛び散らせる。 「…それは?」 「ペイントボールらしい…やられたな」 ポケットの中までベタベタだ。だが問題はそこではない。そこも重要だが。 「?」 首を傾げる刹那に連治は肩を竦めた。 「普通に考えて、俺たちは攻め込む側で戦闘をしにきてる側だ」 「ええ」 「地の利は向こうにある。装備品は無限ではない。とするとわざわざペイント弾を用意するだろうか?」 「まぁ…普通はその分も通常弾や、せめて麻酔弾を用意しますね」 刹那が答える。 「ああ。ペイント弾を持ち込む余裕があるのは俺たちがロストナンバーだからだ。普通は持ち込まない。だとしたら、そんなものを使われて、用意がいいなで済むか」 連治は思うのだ。もっと慌てたり驚いてもいいと。 「確かに…って、そのペイントボールは…まさか…」 「そう。奴が用意していたものだ」 「つまりこういうことですね。彼はペイントボールによってワイヤーが可視化されることを知っていた。いえ、むしろそれが有効であるからこそ、これ見よがしにペイントボールを用意して使わせるように仕向けた。可視化されたワイヤーは程なくして切断される。それを見越してワイヤーのないところを歩く準備は事前にしてあった」 「正解。更に言えば、その後俺たちは影がないことに気づく」 「ええ」 「すると次に俺たちは、彼を確認するために必ず最初に影を確認することになる」 連治の言葉に刹那は目を見張った。意識は常に影と本体の両方を追いかけることになるだろう。とするなら同じ背格好の同じ格好をしている人間を咄嗟に判別出来るだろうか。 「でもって目くらましの煙幕にあの爆音」 聴覚を潰して錯視・錯聴の下準備を整えた…とするなら、少年はその直後を狙うべきだったのでは。だが彼はそのまま退いた。予定外のことがあったからだ。例えばペイント弾を使われるタイミングが予想以上に早かった、とか。 「タネや仕掛けのあるマジックとタネや仕掛けのないマジックの決定的な違いってなんだと思う?」 連治の問い。刹那は首を傾げる。 「ミスディレクションの必要性だ」 ミスディレクションは突き詰めれば観客のマインドコントロール。 「俺たちは、もう、すっかり奴の手の平の上だな」 連治がどこか楽しげに嘯いた。 「それともう一つ気づいたことがある。影のない少年の正体って何だと思う?」 「何かの映像…とかですか?」 「うん。たぶん、そんなところ。ただ、映像だけだとすぐにバレるだろうけど」 「ええ」 「でもって、ここで重要なのは、奴のマジックの種明かしじゃない」 「え?」 「だから、彼はミラクルマジシャンと呼ばれてるってことだ」 ▽ テューレンスは壁に手を伸ばして耳を澄ませた。聴覚は少しづつ戻りつつあった。その壁は連治たちが入った建物だ。その奥から少年の声がしたのだ。泡の向こうに少年が姿を消した直後に。まるでそこに瞬間移動でもしたように。 ただ、その声が気になった。それは肉声というよりも。 「この感覚、知ってる。壱番世界で、スピーカー、と言った」 「スピーカー?」 ヘルが眉を顰める。しかしヘルの問いにテューレンスは答えない。中の声を拾うのに注力しているからだろう。 「逃げられた、みたい。…ミラクル、マジシャン」 テューレンスの呟きにヘルと白燕は顔を見合わせる。 ▽ 「彼はこの世界の文明では不可能な種や仕掛けを使う。それ故に奇跡の魔術師なんだ」 「この世界では不可能って…彼は間違いなくこの世界の人間でしょう?」 彼にはこの世界の住人であることを示す数字がある。 「ああ、うん。言い方が悪かったかな。ジェローム海賊団は過去に消えた古代文明の遺跡の発掘をして、この可動式の要塞を作ったんだろ?」 「なるほど。遺跡を発掘して必ずしも兵器が発掘されるとは限らない、ということですね」 「ああ」 少年がジェロームから貰っているおもちゃの正体。 ロストナンバーになって日が浅い連治だったが、多少はこの世界とジェローム海賊団について聞いている。正直、たかが1人のロストナンバーが捕まった程度で、総攻撃はないだろう、と思っていたのだ。海賊団を1つ潰さなければ助けられないのか、それほどジェローム海賊団は危険なのか、ここまでこの世界に手を出し関わねばならないほどに。ただ海魔を模した潜水艦…いや、水陸両用の戦車が2重の偏光シールドを使ったと聞いた。その科学力は壱番世界をも凌ぐ。 彼の扱うおもちゃは――。 その一方で彼らはその科学力を完全に理解しているわけではないという。だから合点もいった。こちらが使うタネのないマジックにも、例えば刹那が使う影縫いにも大して驚かなかった。彼はただ知っているのだ。タネや仕掛けを知らないだけで、それらが起こりうることを。自分たちがこの世界の住人に対して奇跡を起こせるように、他の誰かも自分たちの知らない方法で奇跡が起こせる、それが当たり前なのだと。 「彼は古代遺跡から発掘されたガラクタが兵器利用できるかを実戦で試す実践部隊…!?」 言いかけて連治はハッとした。そうだ、部隊だったのだ。 ▽ 「ミラクルマジシャン? だっさい称号よね」 ヘルは両手の平を空へ向けて肩を竦めて見せた。彼女の言に白燕がおや?とでもいう風に首を傾げる。 「いや、ミラクルマジシャンは称号ではなく二つ名だ。彼の称号は確か…」 記憶を辿って白燕はヘルに笑みを返した。ありがとうとでもいうように。 「な、何よ…」 ヘルが思わず後退る。 「彼の称号は鋼鉄将軍だ」 白燕が言った。 「鋼鉄将軍? それもセンスないわよね」 それがなんだというのだ。 「将軍が軍を率いるのは道理だろ」 「え…?」 ▽ 「私たちは彼の部隊に既に取り囲まれている、と考えていいですね」 「ああ」 少年の号令一つで動くだろう、彼が用意した最大の罠。少年の派手なパフォーマンスこそが最大のミスディレクション。 ▽ 「2人とさっさと合流した方がよさそうだな」 白燕の言に。 「俺もそう思う」 頭上から声が降ってきた。 見上げると窓から連治が手を振っている。桟には猫。 「…驚かさないでよ、馬鹿!」 ヘルが怒鳴り返した。 「部隊の方は私が相手をしよう」 白燕の申し出。 「敵の戦力がわからない」 連治は慎重だ。下手に戦力を裂いていいものか。 「彼とももう少し手合せしてみたかったが、多勢に無勢の策を弄するのも一興」 自信ありということだろう。 「ただ…」 伏兵をいぶり出す必要がある。白燕はテューレンスを見た。 「テューラ?」 首を傾げるテューレンスに白燕が頷く。どうやら何か策があるようだ。連治はならばと頷いた。 「…わかった。そっちは2人に任せる」 「将の首、任せたぞ」 「ああ」 ▼ 狭い路地を奥へと向かいながら。 「テューラは、何を、すれば、いい?」 「笛を吹いて欲しい」 白燕が言った。 「笛?」 「騒音が出せるのだろう?」 「でも…」 「大丈夫だ。符術の兵に騒音など効かぬ」 そうして白燕は地面に枝で陣を書き始めた。 「私は円陣から鉤行の陣に移行するから、タイミングを合わせて騒音をこの範囲に。ここの者たちを炙り出せば、必ず周囲はこのように集って大挙してくるはずだ」 「わかった、テューラ、頑張る」 地面に描かれる作戦を見下ろしながらテューレンスは自分を奮い立たせるように呟いた。 「戦う事は、好きでは、無い、けれど。ブルーインブルーの、今後が、かかってる。だから…」 そんなテューレンスの肩を白燕が叩く。 「過度に頑張る必要もない」 勝つことは手段であって目的ではない。言ってしまえば負けてもいいのだ。負ければまた別の手段を講じるだけのこと。局地的な勝敗が大局を揺るがすことはない。すべてを決するのは結局戦略と大将首のみ。ただ大局を有利に進めるために“これ”があるだけなのだ。 「往く所なければ即ち固く、即ち戦う。水疾くして石を漂わすものだ。逃げ道を用意してやろう」 気負うテューレンスに白燕は笑みを零した。 追い詰められた者は結束し奮闘する。限界まで圧縮された水が発散を始めた時、それは岩をも砕き石をも押し流す、だから敵を追い詰めてはならないという、兵法の教えだ。戦わずに済むならそれに越したことはない。殺したいわけではないのだから。ならば逃げてくれよと願うのみ。 「将の首さえ獲れば全ては終わる。それまで堪えるぞ」 だからこれは足止め。 3人を信じて――。 ▼ その3人は動きが制限されにくい広い通りへ出ていた。 「奴は見える?」 連治の問いにヘルが首を振る。 「どこかの建物に隠れてるんだと思う」 「私が探しましょう」 と刹那が今にも駆けて行きそうなのを連治が慌てて呼び止めた。 「その必要はない」 「え?」 「見てるんだろ? 俺たちのこと」 奴は“見ている”と連治は思っている。恐らくは小型カメラや盗聴マイクで。だから、あの時あのタイミングで建物の中にいた連治らの前に少年は姿を現すことが出来たのだ。 「出てきたらどうだ」 連治の声に少年が姿を現した。 「相変わらず無粋な人たちだ」 「それは自分のことかい?」 「……」 少年がケープを投げた。 連治の視界を覆うように。 刹那が走る。 ケープが取り払われた視界を舞っていたのは、連治の投げた手斧だ。 それが少年に向かって飛んでいく。少年は腰に提げていた柄を握った。刀身の部分はない。やはりステッキは折れたままだったのか。 「戻れ!」 思わず叫んだのは、少年がそれを掲げたからだ。 手斧は少年の元に届く前に、リボルバーに姿を変えて地面に落ちた。 「そんなものまで仕込んでたのかよ…」 少年は、それを凪いでみせる。 街路樹がまるでバナナのように両断されて倒れた。光り輝く刀身。 「レーザー…ブレードってやつ?」 ヘルが呟く。 「いや、レーザーブレードなら刃がいるだろ…」 連治は答えながら、その2択を迷っていた。刃のなくなった杖から刃を出して見せたのか、それとも刃がない実体のない剣なのか。 刹那の影分身が少年を取り囲む。しかし少年は動くことをやめない。刹那の影縫いを警戒しているのか。それを見て連治は確信した。ケープに穴は…ない。 「悪い。時間稼ぎを頼んでいいか」 「あまりもつとは思わないけど」 「どうするの?」 「レーザーの弱点を拾ってくる」 「レーザーの弱点?」 彼らはそれを理解して使っているわけではない。ならば可能性はある。 連治が背を向けるのをヘルが見送った。 少年の間合いに入ったら不利だ。ヘルは彼の死角になる路地の壁に背を預けた。スロットから薬莢を吐き出させ、新たな弾を装填。ロメオの目が少年と刹那の攻防を捉えている。 動く標的に弾を当てるのは難しい。 「1…2…3…」 3つ数えたのは呼吸を整えるためと心を落ち着かせるため。その瞬間を狙うように。少年が刹那の影と影の合間を擦り抜けるように壁を蹴った。動の方向が反転するその一瞬の空白。 引き金を引く。 それは少年の肩を掠めて服を裂いただけだった。 「遅い!」 自分を叱咤しながらヘルは走り出す。 もう一方の路地に転がり込んだ。 その時には、自分のいた場所に少年が剣を振り下ろしていた。 レンガ造りの壁をまるで豆腐でも切るように軽々と切ってみせる。 ヘルは息を呑んだ。口の中がやけに乾く。 少年を追いかける刹那の影。 しかし少年の動きを多少セーブするだけで決定打に欠ける。 「こんな所で死んでたまるか、絶対うちに帰ってやる!」 ヘルは呪文のように呟く。 「逃げたりなんかしたらアイツに笑われちゃう。それだけはごめんよ」 自分に言い聞かせるようにして一歩出たその時。 「お待たせ」 連治がヘルを制するようにその前に現れた。 「それは…」 「うん」 連治が持っていたのは先ほど少年が自分たちの目くらましに使ったバブルガンだった。 「ちょ…どうするの…」 というヘルの声には答えず連治は少年に向かって走っている。 刹那の影が退いた。 連治はバブルガンを発射する。 「何の冗談だ?」 笑いながら少年は泡の壁を切り裂こうとした。 「!?」 「どういうこと?」 ヘルが刹那に声をかける。 「私にもさっぱり…」 「レーザーは水蒸気で拡散するんだ」 連治は肩を竦めて笑った。 光を乱反射で拡散させてしまえば、圧縮されたエネルギーはどんどん弱まる。ならば、鉄板を覆い隠すほど分厚い泡の壁でも拡散出来るのでは、と思ったのだ。 剣が纏うレーザーが拡散してしまえば、それはただの剣でしかない。 それで軽い泡の壁を凪いだところで手ごたえなど得られようはずもなかった。その上、ただの剣に戻ったそれで、泡に隠れた何かが切れないかもしれないと躊躇った少年の手が止まる。自ら張った罠に陥ったのだ。 「策士策に溺れるってやつか?」 何もないんだけどねぇ…と連治は内心で舌を出した。 「くっ…」 口惜しそうな少年の動きが完全に止まった。 泡に気を取られていた少年を刹那の針が縫いとめたからだ。 ヘルがリボルバーを構える。 「子供を殺すのは嫌。でも、そんな甘い事言ってられる状況じゃない」 彼女は出来る限り無感情に引き金を引いた。 「クウア!!」 声がした。 縫いとめられた少年を押し倒す影。 「ようやくお出ましか」 ヘルの弾がクウアと呼ばれた少年の左脇腹を穿っている。 クウアと同じ顔をした少年がクウアの脇腹から溢れる血を押さえながらこちらを睨み付けていた。 「瞬間移動のタネの御登場だ」 少年は折れたステッキを腰に提げていた。なるほど。クウアはステッキを逆さに提げて短く見せていたのか。 「双子?」 その可能性はどこかで薄々感じてはいたことだ。 「今なら、まだ間に合う」 ヘルが前へ進み出た。致命傷ではない。だが、ほっておけば失血死もありえる。 少年は言ったのだ。ジェロームに従う理由。古代文明が遺したおもちゃ。ならば自分にはもっと面白いおもちゃを用意出来る。もっと人を楽しませるような手品のタネを。ヘルは少年たちに手を伸ばした。 「投降を…」 刹那が促す。 だが。 「許さない…」 返ってきたのは少年の怒りに満ちた声だった。 少年は落ちていたクウアの剣を拾ってヘルに襲い掛かる。 「!?」 刹那の暗器が少年の太ももを裂いた。 ヘルに剣が届く前に、少年は膝をついた。 「…おもちゃなら、私が…」 ヘルは膝を付いた少年に手を伸ばそうとする。 だけど。 クウアが脇腹を押さえながら立ち上がった。自分の体を支えるように壁に背もたれる。 「何言ってんの?」 クウアは笑って右手を横へ伸ばした。 恐らくはそれが合図だったのだろう。 「!?」 だが、何も起こらかなった。 「残念ですが、あなたの部隊はもう動けないようですね」 白燕とテューレンスが止めたということだ。クウアとその傍らに並んだ少年が刹那を睨み付ける。 「まだ、終わったわけじゃない」 それが彼らの返答だ。 荒い息を吐きながら、だけどクウアはこの期に及んで満面の笑みを向けてみせた。 「何?」 まだ、何かの仕掛けが残っているというのか、この状況を覆すだけの何かが。 「死にたくなければ、逃げろ」 それだけ言って2人は壁の向こうに消えた。 「隠し扉?」 追いかける。回転扉のようなその壁を押してもビクともしなかった。 「もう、開かないみたい」 「やばい、走れ!」 連治が大声を張り上げる。 自らも全力で走り出しながらヘルにテューレンスと白燕の位置を尋ね、そこに刹那の影を向かわせた。 伝令。出来る限り急いでその場から離れろ。 クウアがそこに横たわる。 「準備は出来てるよ」 少年が言った。 「ああ、最後のショーだ」 ………… 「走れ! 走れ! 走れー!!」 声の限りに叫んだ。その背を熱風と爆音が追いかけ、連治を、ヘルを、白燕を、刹那を、テューレンスを地面に叩きつけた。 まるで地獄の業火のような炎の壁が、彼らの行く手を阻むように立ちはだかる。 「自爆なの?」 ヘルが聞いた。 「そんなにしてまで守る価値なんてあんの!?」 悲鳴にも似た声をあげて。 「違うよ」 連治が首を横に振る。その横顔を白燕が振り返った。 「違う?」 「大脱出マジックはイリュージョンの真骨頂だろ?」 「まさか…あの傷でですか?」 脇腹と太ももと、彼らが走れたとは思えない。ましてやあのタイミングで脱出など。 「だが断言してもいい。俺たちはあの2人の死体を見つけることは絶対に出来ない」 「……」 連治の言に4人は複雑な思いで目の前の炎を見やった。 「完敗だねぇ」 沈黙に絶えられなかったのか連治が肩を竦めて嘯く。 「…なんて全然思ってないんでしょ?」 刹那が腕組みをしてやれやれと首を振った。 「あ、バレた? じゃぁ、行きますか」 「どうやって?」 とテューレンス。 「火を消して」 と連治。 「どうやって?」 とヘル。 「こうやって」 連治は地面に手を付いた。 それは消失のマジック ようやく道が開けた。 ■END■
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