「《海賊法》にもとづき、ジェロームを反逆者とみなす……だと? おいぼれが戯言を」 偉丈夫は、布告をせせら笑った。「よかろう。ならば今より、この俺こそが新たな法だ。海賊王の幻想に縛られた時代は終わりを迎え、海原は次なる支配者を迎え入れるだろう。この俺、ジェロームこそが海賊王をも超える海賊皇帝として、すべての海に君臨するのだ」 消息を絶ったロストナンバー、日和坂 綾のゆくえを追ってブルーインブルーへ向かった特命派遣隊は、彼女が列強海賊ジェロームに捕らわれたことを知った。 しかもその裏には、別の列強海賊・“赤毛の魔女”フランチェスカの謀略があったのだ。 最強の海賊と言われたジェロームは、フランチェスカのはたらきにより、今や全海賊から、海賊社会の秩序を脅かす反逆者とみなされてしまった。孤立したジェロームがとった方策は、ジャンクヘヴンへの急遽の進軍。 海上都市同盟を滅ぼしてしまえば、海賊間で孤立しようと関係なく、ジェロームの覇権は確立する。 微妙なパワーバランスを保っていたブルーインブルーの海の平穏は、一挙に戦乱へと傾いたのである。 ここに、特命派遣隊の成果が生きてくる。 ひとつは、ジェローム進軍の情報を誰より早く得たということ。 次に、進軍を開始したジェロームの拠点にして旗艦・ジェロームポリスの現在地を把握していること。 最後に、ジャンクヘヴンで亡きレイナルド宰相の遺した「ジャコビニの幽霊船」を入手したこと。「このまま放置すればジェローム軍は海上都市群へと迫り、ブルーインブルー全土を巻き込む戦争が始まってしまう。そうなればジャンクヘヴンは、当然、世界図書館の助力を乞う。けれどその段階に至っては状況の泥沼化はいっそう進んでいるだろう。そうなるより先にジェローム軍を壊滅させることは、かえって、事態をきれいに収束させることができるはずだ」 特命派遣隊の大使として同地に赴いていた世界司書の判断を、世界図書館も支持した。 どのみち、ジェロームポリスには日和坂 綾が捕らわれているのだ。戦いへの関与は避けられなかった。 作戦はこうだ。まず「ジャコビニの幽霊船」がジェロームポリスに近づき、周辺海域に霧を発生させる。 霧にまぎれ、ジェロームポリスに上陸したロストナンバーが騒ぎを起こし、都市に混乱を招く。その隙に、複数のゲリラ部隊が都市内に散る。ジェロームの軍団は、当人の絶対的なカリスマ性のもと、「鋼鉄将軍」と呼ばれる直属の指揮官によって統率されているという。この指揮官たちを討ち取ることができれば、軍団は自然と崩壊してゆくだろう。逆に、かれらが存命であれば、ジェロームポリスを失っても、残党が再び組織されるおそれがあるため、指揮官を倒すことは重要な意味を持っていた。 この作戦はジェロームポリスが同盟の海上都市に近づく前の海域で行われる。 静かな海に霧が満ちるとき――ブルーインブルーの歴史の1頁が、書き換えられるのだ。 † † † 潮風が渦をまく。霧が晴れる。 むせかえるような鉄と火薬の匂いに、旅人たちは立ち止まる。 目の前には、見上げるばかりの巨大な鋼鉄の要塞――壱番世界出身のものであれば「バベルの塔」を彷彿とさせる形状だ――そして、要塞はざわざわと蠢いている。 否。 蠢く要塞に見えたそれは、鉄の塔にすぎなかった。おそらくは火薬庫であるのだろう。螺旋状の塔に陣取った海賊たちが鋼鉄の甲冑を身に付けており、いっせいに弓矢をかまえたので、そう見えたのだ。 その数、おそらく千人弱。さらに要塞の頂上で、旅人たちを睥睨している人物は、常ならぬ姿形をしているではないか。 深い皺が刻まれた風貌は、老将軍といってもよかろう。嵐の海のような鋭い藍の眼は、片方が義眼であるようだ。凄まじい殺気をはらむ老将軍の腰から下は、鉄の馬と化しており――。「ケンタウロス……? ばかな」「ブルーインブルーに、ケンタウロスがいるはずがない」 ――ロストナンバーじゃ、あるまいし。 その言葉を呑み込んで、旅人たちは目を凝らす。 おりしも太陽が、老将軍の背後から、そのシルエットをまざまざと見せつける。 逆光に射られ白い痛みに遮られた視界は、すぐにもとの色彩を取り戻し、旅人たちは理解する。 この鋼鉄将軍は、腰から下を機械の馬としているが、しかしまぎれもない「人間」であることに。「迷いなきものどもよ」 ひどく低いが、響きの良い、よく通る声だ。「ここが貴様らの墓場となるまえに、伝えておこう。我の名は、鋼鉄将軍アスラ・アムリタ」 戦場における指揮官の資質のひとつに「声による伝達の的確さ」が含まれるらしい。なるほど、アスラは優れた将軍であるようだ。「ジャンクヘブンの傭兵どもは、異形のちからと異形の容姿を持つものが多いと聞き及ぶ。戦神のごとき剣技と魔神のごとき妙技、天上神もかくやとばかりの美しさ、伝説の幻獣の具現のごとき神秘性、あるいは、生まれたばかりの赤子もかなわぬ無垢な愛くるしさ。……だが」 右手の剣の先を、アスラは旅人たちに向ける。「その異形のちからが、我らに与えた影響を見るがいい。ちっぽけな小娘ひとりに翻弄され、百戦錬磨の海賊たちが右往左往している体たらくを見物するのは、さぞ痛快であったろう」 刃金のケンタウロスの声音が、静かな怒りを帯びていく。「我には見える。この軍艦都市が、おまえたちによって無惨に破壊され炎上するさまが。……もっとも、暴行と略奪は海賊のなりわい。ならば、おまえたちもまた、海賊であるといえよう」 それは予知にも似た、絶望のひびき。 ――この老いぼれの身を賭さねば、おまえたちは阻めぬ。差し違えようぞ。「来るが良い。おまえたちには一点の迷いもないのだろう? 我らが運命を根底から覆し、思うさま蹂躙した、あの娘と同様に」!注意!イベントシナリオ群『決戦!ジェロームポリス』は同じ時系列の出来事を扱っています。同一のキャラクターによる『決戦!ジェロームポリス』シナリオ、およびパーティシナリオ『【決戦!ジェロームポリス】軍艦都市炎上』への複数参加(抽選へのエントリー含む)はご遠慮下さい。●特別ルールイベントシナリオ群『決戦!ジェロームポリス』において、1つの通常シナリオの参加者は1つのチームとして行動するものとします。通常シナリオでは、各チーム(各シナリオ)ごとに、1人の敵指揮官と戦います。登場する将軍についての情報はオープニングを参照して下さい。なお、全シナリオのうち1チームのみ、全軍を統率する“鉄の皇帝”ジェロームその人とまみえるチャンスがあります。ジェローム団の首魁、列強海賊最強の男と戦う誉れを狙う方は参加決定後、3月31日10:00までに、プレイングを編集して「ジェロームにたどりつくための手段」を書くようにして下さい。4月1日23:00までに事務局が「全シナリオ参加者のプレイング内容」を確認したうえ、もっとも妥当なプレイングを書いていた人のいるチームが、ジェロームに遭遇したと判定します。※3月31日10:00~4月1日23:00まで、プレイング編集はご遠慮下さい。キャラクターシートの内容は参照しません。※ジェロームに遭遇した場合、当該シナリオ参加者には告知されます。告知のなかった場合、シナリオ中でジェロームには会えません。
ACT.1■明鏡止水 次の二つのことは、絶対に軽視してはならない。 第一は、忍耐と寛容をもってすれば、人間の敵意といえども溶解できるなどと、思ってはならない。 第二は、報酬や援助を与えれば、敵対関係すらも好転させうると、思ってはいけない。 ──── ニッコロ・マキャヴェッリ『政略論』より † † † 霧が晴れたとたん、日射しが強くなった。海は凪いでいる。 弓兵の甲冑にいっせいに太陽が反射し、旅人たちの目を眩ませる。構えた矢の先が凶悪に輝き、鋭さを増したかのようだ。 彼らは太陽を背にしている。天は我らの見方、理は我らにあると言わんばかりに。 無法者はおまえたちのほうだと、言わんばかりに。 「曇ってくれればよかったのに、そううまくはいかないか」 ロウ ユエは、フードを目深にかぶり直した。 手袋で覆った右手を額にかざし、印象的な赤い瞳をまぶしげに細める。日射しの目くらましがあろうことは出発前に意識していたので、その対策は万全だった。 「海賊と同類とは、ずいぶんな言われようだな。まあ、否定できないが」 かたちの良い口元を、ユエは皮肉げにゆがめる。 「行動のひとつひとつが影響しあって、世界を揺るがしていく。海の世界を守ろうとしたのも、海賊の世界を荒らしたのも、俺たち異世界人ってことだよね」 ファーヴニールは、ふと、空を見上げた。要塞と見まがう火薬庫でもなく、弓兵隊でもなく、その頂上にいる鋼鉄将軍でもなく、その上を。 晴れ渡った青空は雲ひとつない。空の青は海に映りこみ、群青のさざなみを深めている。 遥か彼方を、海鳥の群れが飛び交う。人間どもの諍いなど、どこ吹く風で。 「日和坂さんが大暴れしたのは本当だしねー。そればっかは抗弁しようがない。だけど、あの子がこの世界を好きだっていうのも、納得してる」 「鋼鉄将軍アスラ」 歪は、ただ一点を『視て』いる。 「彼の言葉は、もっともだ」 異形のちからを持つものどもよ、と、旅人たちを糾弾することができるのは、アスラもまた、自身を異形の身体に造りかえた存在であるからだ。 同じ異形でありながら、彼と旅人たちは決定的に違う。 アスラは、持って生まれたすがたを捨てた。その経緯は知るべくもないが、ジェロームのもと、海賊として生きていくための、この世界への過適応と言えるだろう。 アスラは、自らの意思で、我が身を異形へと変えた。おそらくは戦闘に特化するために。 日和坂綾は、自分ではなく、世界のほうを変えようとしている。おそらくは自身の居場所を見つけるために。 どちらも業が深い。身震いするほどに。 だが、と、歪は思う。 ――ジェロームは、報復の方法を間違えたのだ。 ネヴィルに引き渡せば、そのまま死罪になったはずなのに。 「私刑では、何も解決しない」 これは、俺たちの非。俺たちの責。 ロストナンバーの異世界での狼藉を見過ごしてきた、世界図書館の罪だ。 † † † 太陽はしかし、敵兵だけでなく、ユエの純白の髪と、手にした剣にも輝きを与えている。 「さて、どうしたものか。将軍も弓兵も、ここを死に場所と決めているようだし」 「皆、逃げてくれそうにないねぇ」 肩をすくめるファーヴニールの銃剣《エンヴィアイ》と、さらに、彼が好んでつけているピアスにネックレスに指輪までもが、陽光を弾いてきらきらと乱反射している。遠目には、銀の鎧をまとった勇者に見えるかもしれない。 「真っ向勝負も嫌いじゃないが、相手は『敵』だ。殺し合いで相手の流儀に合わせる愚か者はいない」 「そりゃあ、弱みを見つけたら、徹底してそこを攻めてくるだろうね。何たって海賊なんだから」 「命も手札として使うならば、こちらの手の内をいくつか潰せるし、有効な選択のひとつではある。心中に付き合うつもりはさらさらないがな」 「俺もだよ。おーーーい。アスラさーーん!」 ファーヴニールは、両手を喇叭のかたちにして口に当てた。 「俺はさーー、やっぱりさーー、戦うことを望んでるんだよーー! だけどその前に、ひとつだけ、言っていいかなぁ?」 声は届いているはずなのに、鋼鉄将軍は微動だにしない。 かまわず、ファーヴニールは続ける。 「俺の場合、望んで得た身体じゃないし、望んで得た運命じゃないんだ。それは貴方も同じだろうけれど」 「…………。……」 「あっ、違ってたらごめん!」 つとめて快活に、闊達に、ファーヴニールは呼びかける。まるで、敬愛する人生の先達に話すように。 そして竜の戦士は、息を吸いこみ、言葉をおさめる。 彼が語りかけるのは、今度は自分自身だ。 大切なのは、その先だ。 己の意志で、道を掴み取ることだ。 ――ならば。 この身ひとつで、一片の答えを導き出さなければ。運命に配られた手札を用いて。 この世界の波を、斬り裂くために。 ファーヴニールの右腕に、蒼鋼の竜鱗が浮かんだ。白鋼の爪が伸び、光る。 † † † (攻城戦か。久しぶりだ) ボルツォーニ・アウグストは、沈黙を保ったまま、要塞に向き合っている。 ――やがて。 彼の足許から音もなく、影が離れた。 するりと物陰に消えていくさまに、まだ誰も気づかない。 ACT.2■率先垂範 突然、戦闘は開始された。 999本の矢が、いっせいに放たれたのだ。 ひゅんひゅんと弧を描く無数の棘矢が、旅人たちを襲う。 「まあ、敵陣に矢の雨を降らせて弾幕を張る戦法は、基本だな」 「弓兵は接近戦が苦手だしねぇ」 ユエもファーヴニールも、緊張を維持していながらも、どこかしら余裕があった。 吹きすぎる潮風が、頬の熱を奪っていく爽快さ。 それは、どこまでも青いこの世界の、広大な海と空によるものなのかもしれない。 「矢など、当たらなければどうということもない」 ユエがそう言った瞬間、すっぽりと四人を囲んで、円状に空間が歪む。 その言葉どおりに、矢の雨は異空間に吸い込まれた。 「なんと」 アスラは歯ぎしりをし、次の矢を放たせる。 しかし、結果は同じだった。 弓兵が懸命に放つ、幾本もの矢。 喉を抉り、胸を刺し、身体中に突き刺さるはずのそれは、誰を仕留めることもなく、ふつっと消失する。ただただ、消耗されていく。 「……おのれ。魔術など使いおって!」 「いや、これは『異能』だから、魔法と違って呪文詠唱が不要で便利なんだ」 アスラには届かぬ声で言いおいて、ユエはすでに、次の準備に移っていた。 すらりとした彼の身体が、ふっ、と、消えては、また現れる。 弓を排除する空間生成と平行して、別の空間を、火薬庫に繋いでいたのだ。 要塞に、小さな穴が穿たれている。 ユエの繋いだ空間を利用して、頬袋を膨らませた鼠の大群が、密かに行き来していた。 鼠たちは、海岸に降り立ち、その頬いっぱいに海水を詰め込む。そして何度も、火薬庫との間を往復する。 (はたらけはたらけーなのだ!) 穴の前では、黒猫のすがたをした影が、鼠たちに発破をかけていた。 いうまでもなく、ボルツォーニの使い魔である。 使い魔が率いる鼠の群れは、火薬を海水漬けにするだろう。 ついでに糧食を荒らし、さらに弓矢もかじって駄目にしていく。これで敵を短期戦に引きずり出すことができる。 使い魔は鼠たちから要塞内の様子を聞き出し、あるじに報告を行う。 間者の機能も担っているのだ。 「攻めるに難い要塞は、補給を断てば監獄に等しい」 攻城戦で間者を使うのは、よくあることだ。それを使い魔と鼠に応用しただけで、城攻めの手法としては、むしろ教科書通りの正攻法と言える。 使い魔から情報を受け取ったボルツォーニは、ただ、次の機会を待てば良い。 敵が動揺し、陣形が崩れ始める、そのときを。 「なるほどね。効率がいい」 ユエはユエで、火薬庫の内部に侵入し、密かに水を生成していた。 鼠たちが少しずつ海水で濡らした火薬は、すでに半分以上に達している。 ユエはさらに、その上に水を注いでいく。 † † † 弓兵が、ざわめきはじめた。 火薬庫の異変と、水面下で進行していたからこそ的確だった攻撃と、与えられた損傷の手ひどさに、気づいたのだ。 発火が不可能なほど、水浸しになっている火薬の山。鼠らしきものに齧られてしまった、膨大な弓矢の在庫。後を留めぬほどに荒らされた兵糧の残骸。 派手な魔法が、繰り広げられたわけではない。華々しい戦闘が、行われたわけでもない。なのに、この圧倒的な損害は何としたことか。これでは、最後の手段であったはずの、自爆すらできない。 改めて、彼らは知った。自分たちが敵に回した「ジャンクヘブンの傭兵」は、伝え聞く噂以上に、恐ろしい存在であることを。 「落ち着け。敵に呑まれる」 動揺することこそが危険なのだと、アスラは言い、叱咤する。 それもつかの間―― かまいたちのような鋭い風が、塔の上層に渦巻いた。 「ああッ!」 切り刻まれた弓兵のひとりが、悲痛な声を上げ、落下する。 ユエだった。内部での仕事を終え、最後の仕上げにかかるつもりのようだ。 ひとりずつでは面倒だとばかりに、幾人もの弓兵が石化され、砕かれていく。 念動でまとめて突き飛ばされ、足場を失ってたたき落とされた兵は、数十人に及んだ。 「雑兵に用はない。退けい!」 ボルツォーニは魔術武器を振り抜いた。それはすでに、鎖で繋がれた両手剣に形を変えている。 砦の壁を、彼は一気に駆け上がる。矢狭間ごと足がかりにされた兵士の頭が、ボルツォーニの足の下で果実のように砕けた。 いくつ踏み砕いたやら、気にも留めない。彼が目指しているのは頂上。 老将の、首級のみであったから。 「刃金には、刃鐘で応えよう」 歪は、アスラと同じく『修羅(阿修羅)』と『鋼』を冠する者。 (敵ではあるが、アスラは「武人」だ。その矜持は称賛に値する。ゆえに) ――全力で応えることを誓う! 音楽的な音色を奏でながら、大剣が砕ける。 無数の金属片となった刃鐘を足場とし、ときには盾にしながら、歪は空中を突っ切った。 塔の中腹には、まだ弓兵が陣取っている。 屈することなく、わずかに残った矢を射かけてくる。 (塔の形は螺旋。そして、敵の武器は弓のみ) これは、死角を見つけやすく、誤射を誘いやすい状況といえる。巧みに矢から身をかわし、弓兵を蹴落として、歪はアスラの元へ駆け上がった。 ACT.3■不撓不屈 アスラの前に、ユエが立つ。 茨の意匠が彫り込まれた剣を抜き放ち、すっと背筋を伸ばして。 「これでも、接近戦は得意なんだ」 「……許さぬぞ。よくも我が兵を!」 鋼鉄の蹄が、きん、と音を立てる。剣を構えたまま突進してくるアスラを、ユエはひらりと交わした。 「さすがに機動力が高いな。……だったら」 思案したユエは、ゆっくりと剣の構えを変えた。アスラの下肢を狙い、潰そうとして―― 「待ってくれ」 アスラとユエの間を割り、歪が躍り出る。 「俺はこのひとに、正面から一騎打ちを挑みたい」 『刃鋼』の欠片はすでに剣のかたちを取り戻し、歪の手におさまっていた。 † † † 何度刃と刃がぶつかり、火花が散っただろう。 「……ほう」 魅入られたように、アスラは歪の手元に目を止める。 「刃鋼というのか。良い剣だ」 言いながらも、その剣さばきにはいささかのためらいもない。ずしりと重い攻撃を、歪は全身で受け止める。 「将軍の剣もすばらしい」 しばらく鍔迫り合いが続いたあと、タイミングを見計らい、歪はあえて刃鐘を砕いた。 アスラのバランスが崩れる。 鋼鉄の蹄が、宙を掻いた。 歪は跳躍する。アスラの剣を踏み台にして、その頭上を飛び越える。鋼鉄の馬の背に立ち、そして―― 一対の片手剣が、鋼鉄将軍の首を包む。 「降伏を」 「……まだ、あきらめぬ」 † † † 「アスラさま……!」 重傷を負いながら、弓兵がひとり、這いずってきた。 「死なばもろとも。どうかジャンクヘブンの傭兵を道連れに」 彼の手には、水に濡れていない爆薬がひとつ、握られている。 「うむ。よくぞ守った」 アスラは頷く。 「やめろ!」 歪が叫ぶ。 双剣でアスラの動きを制限したのは、自死を阻止するためであったものを。 † † † 「ちょーっと待ったあ!」 ファーヴニールが、塔の下方から、弓兵に向かって電撃を放つ。 爆薬は彼の手から離れ、ころんと転がり、落ちて行った。 「……貴様……。何を」 「俺は、ついさっきまで、貴方と思い切り戦うつもりだった」 白鋼の爪を向けたまま語るファーヴニールは、いつになく穏やかな表情をしている。 「今、貴方はこんなに俺たちを憎んでいる。だけど俺たちの記憶はいつか、貴方の心から消えてしまうんだ。俺たちは、貴方に憎んでさえ、もらえなくなる」 だからせめて、最高の戦いを贈りたい。 ――貴方を待っている強敵が、もうひとり、いるんだよ。 歪は、アスラの首から双剣を外した。 そして、無言で成り行きを見ていたボルツォーニを振り返る。 † † † 打ち合うこと数十、いや――数百か。 刃金のケンタウロスと不死の君主の凄絶な剣技の応酬は、いつ果てるとも知れず、続いた。 とうにアスラの剣は欠け始めている。 ――いつしか。 ふたりは同時に、隙を見せた。 折れかけたアスラの剣が、鎧を纏わぬ君主の胴を、真一文字に薙ぐ。 しかし、何故かボルツォーニの口元には、笑みが浮かんでいる。 刹那。 剣を繋ぐ鎖が、鋼鉄の馬の前脚を絡めとった。 胴を離れた下半身が、鋭い蹴りを放つ。 靴底に仕込まれた刃が鮮やかな火花を散らし、鋼鉄の馬脚を―― 幾度も幾度も、断ち切り、へし折った。 ACT.4■虚心坦懐 「俺たちの非は、俺たちで片付ける。全て、見て見ぬふりをしてきた俺たちの責だ」 刃をおさめた歪は片膝をつく。 鋼鉄の半身を失い、『ひと』の部分だけとなった、アスラの前で。 「綾については、必ずこちらで何らかの制裁を下すと約束する」 ――だから、返してほしい。 「それは、我が決めることではなかろう。おまえたちが、奪い返すまでのこと」 うっそりと、アスラは言う。 その狷介な眼に、しかし殺気は感じられない。老いた賢者のような、透徹した表情だ。 「……あの娘に伝えよ。死すことも狂うことも許さぬと」 † † † 「なんだろうなぁ、俺も好きになったよ。この世界が」 全部、凪いだ海が受け止めてくれるから。 争いも、陰謀も。 罪の破片が刺す、胸の痛みも。 ファーヴニールは両手を広げ、胸いっぱいに潮風を吸い込んだ。 「さてっ、お姫様は、王子様に任せるよっ」
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