宇治喜撰の底部から伸びたコードが映写機に接続されている。 ロストナンバーが集合したことを確認した宇治喜撰がデータを送信すると、世界図書館の白い壁に朱い月の地下都市が投影された。 映像は都市の入り口の周りを旋回するように角度を変え映し出す。 田中市、と呼ばれるこの都市は世界樹旅団の根城のひとつであり『提督』と呼ばれる老翁が最高責任者として着任している。 質素な執務室の扉をあけ、犬族の神官が陶器のポットを手に歩み寄った。 手にした書類に没頭する彼の集中を妨げぬように空になったカップに暖かな紅茶を注ぐ。 頭と耳をぺこりと下げた神官が扉の前まで来たタイミングでいきなり扉があいた。 神官の尻尾が逆立ったが、扉の向こうにいる人物、魔女っ娘大隊副官のマーガレット女史も目を丸くして驚いている。 先に様子を理解したのはマーガレット女史、一歩引いて微笑みを浮かべると犬族の神官はそそくさと部屋を後にした。 老翁がこちらを見ていない事を承知の上で頭を下げて入室したマーガレットは彼が書類をめくるまで辛抱強く待ち、数分後にやってきたチャンスを逃さず声をかける。「提督、もう十時間も休憩なさっておられませんよ。食事くらい召し上がってください。文字ばかりの報告書がそんなに面白いですか?」「マーガレット君か。前回の戦闘の資料だよ、そして異なる世界群で発生した我々と世界図書館との交戦記録だ」「優勢とはいえませんね。あちらにも我々の園丁の遠視と同じような遠隔探知能力があるのでしょう。そしておそらくは我々を凌駕する世界間の移動能力があります」「つまり我々の移動手段より素早い移動手段を持っていると? それも瞬間移動に近い移動手段を獲得しているということか。あるいは」「あるいは……?」「ドクタークランチは図書館のことを何か隠している。……いや、あまり考えたくない仮説だ。そうだね、君の言う通り食事にしよう」 提督、と呼ばれた老人は紅茶のカップを手に取った。 程なく、犬族の神官がバスケットにサンドイッチを詰めて持ってくる。「それから、こちらの書類に目を通してください。隊員の休暇届と、ナラゴニアからソル氏が運んできた戦略補給物資の目録です」「ご苦労。運搬は今日中にできるか?」「人手が足りないので2、3日ほどかかりそうですね」 マーガレットの差し出した書類に目を通し、長手道提督は一枚の書類を差し出した。「ミカン隊からアステロイドベルトへの調査志願?」「はい、この世界の緑化に必要な元素を探しに行くと言ってあります。あと、Mプランがどうとか」」「調査任務にみかん君が、いや、ミカン隊が動くのかい? 珍しいね」「シルバーパール隊が壊滅していましたから、どの隊も魔女っ娘大隊の汚名返上に躍起ですよ。それより」 不意にマーガレットが己の腰に手をあて、自分より遥かに年上の提督にお姉さんポーズを取る。「少し散歩してきてください。お部屋の掃除をします。ついでに運動不足なんじゃないですか? お腹がゆるくなってませんか?」 ここにいると、さらに落ち込みそうな罵声が飛んできそうで。 長手道提督は執務室を後にした。:Pre-condition→ 今夜、主戦力が都市を離れます。推定戦力は二個小隊規模まで減少する模様。:order_4_lostnumbers -> 地下都市「田中市」の第三階層に世界樹旅団の「提督」と呼ばれる重要人物がいます。-> 田中市の警備が極端に薄くなる好機に「提督」を捕縛。あるいは殺害してください。:remarks→ 戦闘行為はなるべく避け、隠密に運んでください。→ 警備には犬族も就いています。現地の住民および建物への被害は最低限度に抑えてください。 まるで映画のエンドロールのようにミッションの文字が上から下へと流れると、 最後に「映像監督:カスターシェン」というネーミングとともに薔薇を咥えた兎のロゴが表示されてから映写機は光を落とした。「最優先警報! 各員非常呼集! 各分隊は分隊長の指揮に従え」 朱い月の廃墟地下に建設中の世界樹旅団拠点に警報とアナウンスが鳴り響いた。 リシー・ハットがアナウンスを聞いたのは昼食が過ぎ、午後の仕事に取り掛かろうとしている時だった。 すぐさま書類を片付けると、手元にあった武器、愛用のトンファーを手にして椅子から立ち上がる。 程なくメイベル伍長も部屋へと駆け込んできた。「リシーさん!」「ええ、分かってる。……緊急事態、か。パール隊長だったら、どんな指揮を執ってくれたかな」「あ、あの」「うん。弱気にならないで。私達は私達にできることをやるの。長手道メイベル伍長、出撃準備!」「はいっ!」「誰か、状況を報告して」 リシーの要請に廊下を走り回っていた魔女っ娘の一人が立ち止まり、敬礼する。「世界図書館の勢力と思われる小隊がこちらに向かっているという情報が入りました。戦力不明。 アステロイドベルト調査中のミカン隊に援軍を要請していますが間に合うかどうかは分かりません。 現段階で防衛装置は30%ほどが稼動、非常警報を発令しましたので第三種戦闘配置完了まで二十分ほどの時間を要します」「二十分!? 時間かけすぎじゃない?」「この地下都市内での戦闘を想定していませんでした。情報収集のため分散している隊員が戻り戦闘準備を完了させるまでの二十分を持ちこたえる必要があります」「第三種戦闘配置が完了したとして、迎撃戦力は?」「魔女っ娘大隊所属の士官級およそ十数人、兵士級が数十人というところです」「二個小隊って所か。拠点内の防御機能は動いてる?」「はい。隔壁はオペレーターが直接操作しており随時、遮断が可能です。敵戦力は数人の隠密急襲なので機動力を封じることが可能です」「相手をナメないほうがいいわね。白兵戦を用意して、いざとなれば転移でも何でも使って逃げ出す準備は忘れないで。ミカン隊と近くの旅団の仲間、補給部隊にも協力をお願いして、ああ、もうDrクランチの勢力でも何でもいいからとにかく一秒でも早く、一兵でも多く、大至急で援軍を要請!」「は、はいっ」 従順な返事と裏腹に「なにを弱気な」と嘲るような視線がリシーにぶつけられる。 緊急的にシルバーパール隊長の代行を行っているだけの代理人、たかが曹長が軍事拠点の指揮を執れるのか、と言わんばかりだ。 だが、視線の主人は危急の時に直接ぶつかってくる程には愚かではなく、指示を復唱すると持ち場へと戻っていった。
朱い月の地下都市は壱番世界同様の24時間サイクルで動いている。 即ち、地下といえど夜を迎えれば地下通路内に張り巡らされた照明システムの稼働率が人為的に、いや犬為的に落とされ一部の通路ではほぼ完全な闇に覆われる。 都市区画内への潜入は協力者の手引きによって成功したものの、警報装置の何かに引っかかったらしく作戦は既に隠密行動から実力行使へと変わっていた。 暗い通路を二人がひた走り、一人は空中を行く。 空中を飛ぶのはアマリリス・リーゼンブルグ。彼女が先頭を行き、ハーデ・ビラールとコタロ・ムラタナがその後姿を追いかける布陣だった。 この世界へ到着した時に同行していたはずのリーリスは作戦開始前から既に姿が見えない。 ゆえに三人での行動となっていた。 「いたぞ!! 撃て!!」 犬族の兵士が銃器を手に通路に立ちふさがる。 一呼吸おいて、犬族兵士の数名がマシンガンを構えて火を噴かせ、通路を閉ざす弾幕を張る。 『加速!』 りぃん……。 凛とした鈴の音が響く。 次の瞬間、アマリリスの姿がハーデとコタロの前からかききえた。 かと思うと、彼女の剣が兵士の首筋に叩き込まれている。とは言え、抜刀していない剣であるため鞘がめり込んでいるだけだ。 次に銃口を向けてきた隣の犬族の姿が消えた。 「………………」 コタロは咄嗟に問いかけの意思を言葉にできず、ただハーデを見つめる。 彼女がコタロの無言の問いかけに頷いて応えた。 「ドームの外にマーカーを……つまり、転移の目標を仕掛けてきた。そこに飛ばしている」 「………………」 やるものだな、と思うがこれもすぐに言葉にできない。 アマリリスが最後の一人を叩きのめし、ハーデがその倒れた体を転移させていた。 眼前で己が何もしないままに二人の活躍で一戦力が壊滅しているのを見て、コタロはぽりぽりと頬を掻く。 コタロが口を開かないのはあまりの驚愕ゆえ、ではなく彼自身の対人コミュニケーション能力によるものだが、何かを勘違いしたのかハーデがぽんとコタロの胸に拳をつけた。 「ムラタナの継戦能力は群を抜いている。共に戦えるのは心強い」 「…………」 勿論、そうか、と口をついて応答できなかったがハーデが口元を緩めたので、意思は伝わったらしい。 代わりにアマリリスが問いかける。 「何故、マーカーを? 転移を前提に戦闘を行う程、君は平和主義ではなかったと思うが」 「魔法少女大隊と交戦した際、死亡時に樹になったことがある。奴らが中途半端な怪我で樹になったら困るからだ。一瞬にして意識を奪うか即死させる。この都市の機能を損なうことは今後犬たちと交渉するうえで大きな失点となる……絶対に看過できん」 「犬族と交渉?」 「ああ、敵は魔法少女大隊のみ。この世界に生きる者を、犬族や猫族を敵だと思った事は1度もない……ボーズでもだ」 「甘い、といいたい所だが、覚悟はあるようだな。私も現地人まで巻き込むつもりはない、君が戦闘狂ではなくてよかった」 「…………」 「幸いだ。さて、肝心の『提督』の居場所だが」 ハーデが周囲を凝視する。 彼女の透視能力で引っかかる範囲にそれらしき姿はない。 「ムラタナ、君の考えを聞こう」 「………………」 コタロが無言で頭を振る。 彼の取れる方法では、敵兵の尋問あるいは拷問となる。 それは目の前で現地人を敵とみなさないと宣言した二人との空気を壊しかねない。 だからといって有効な手段が思いつくわけでもなく、最終的に彼の選択は意見を放棄することだった。 「では」 動いたのはアマリリス。 すぅ、と息を吸い込むとアマリリスの姿が陽炎のように揺らめいて存在が薄れる。 変わりにいつか見た魔法少女大隊メイベル伍長の姿に、アマリリス本来の姿が重複して見えた。 コタロとハーデが見守る前で、僅かに残ったアマリリスの姿は陽炎がゆらめくように消え、赤い服装の魔法少女、メイベル伍長のそれへと変質する。 「幻術だ。魔法少女大隊の正規兵に通じるかは分からないが犬族なら誤魔化せるだろう」 ミ★ ミ☆ ミ★ ミ☆ ミ★ 「提督、世界図書館のエージェントが侵入しました」 マーガレット女史の報告に、長手道提督が歯噛みする。 提督の眼前のモニターにはアマリリス達三名が通路をひた走る姿が映し出されていた。 右下にレーダーのような表示があり、そこに味方である魔法少女大隊隊員の行動が映し出される。 「ミカン隊は引き返せるか」 「いいえ、間に合いません。敵戦力は三名、現存戦力を随時投入して対処します」 「いや、戦力の暫時投入は避ける。マーガレット君、この部屋に魔法少女大隊の戦力を集められるか?」 「既に数名の隊員が犬族と連携して迎撃についているため、大隊独自活動のみでの集結は困難です」 「遊軍扱いだけでいい。他の持ち場の隊員にも各個の判断でここへ来るように伝えろ」 「了解」 マーガレット女史が提督の指示を念話に乗せて魔法少女大隊へと一斉送信する。 モニターの映像がぐらりと歪んだ。 金髪の少女がカメラ越しにこちらへと微笑んでいる。 その場にいる魔法少女大隊の見知った顔ではない。 『こんにちは、長手道提督。リーリスたちはおじさんと話に来たの。だってこの世界に住む犬猫を『惨め』なんて言う人の作戦、遂行させられないでしょう? 一緒に来て話を聞かせて貰いたいの』 「………………」 提督以下、数名の隊員がモニターを見つめて黙り込む。 リーリスの顔が邪悪に歪んだ。 咄嗟にマーガレットが提督の肩へと手を置き「ぷろてくしょん☆さーくる!!」と唱えると、提督の周囲にイエローがかった霧が立ち上る。 ワンテンポ遅れて、モニターの向こうでリーリスが高らかに宣言した。 『これを見ている貴女。貴女の周囲に居るのは全て敵! 千草町魔法少女大隊の名にかけて殲滅しなければ!』 「なっ!?」 リーリスがカメラを通して精神感応を仕掛ける。 魅了の術、いやもっと強い悪意の塊を電波に乗せた精神汚染に近い。 一瞬、モニターの映る室内が、しん、と静まり返る。 モニターの拡大率は変わらぬまま、見る者の視点は彼女の赤い瞳に釘付けとなる。 「モニターを切って」 マーガレットが叫ぶ。が、モニターの近くにいた隊員 メイベル伍長は動かない。 動かぬメイベルの変わりにリシー・ハットが駆け込んでモニターのスイッチを切る。 モニターが黒に染まっても、部屋の中で声を発するものはいない。 たっぷり数十秒待ってから、ふぅ、と息を噴出したのは提督本人だった。 マーガレットの対抗魔法、黄色の霧が悪意を防いでいなければ魅了されていたのは想像に難くない。 「まったく、……君たちより過激なお嬢さんだな」 「軍隊の真似事で統制している魔法少女大隊では難しいかも知れませんね。被害は?」 「て、提督、メイベルさんが!」 リシー軍曹が叫ぶ。 彼女の腕の中で、メイベルが大きな鈍器を手にしてブツブツと呟き始めた。 『全て敵、殲滅しなければ、殲滅、センメツ、センメ……』 「まじかる☆トンファー!!」 ごつっと音がしてメイベルが床に沈んだ。 床に倒れた彼女が動かないのを確認すると、リシーはトンファー片手に提督に敬礼を送る。 「すみません、私の教育不足です」 「あら。あまり効果がないのね? やるじゃない。……塵族のくせに」 カメラの一台に取り付いたまま、周囲の空気に絶望の味も混乱の色も感じ取れず、リーリスは失敗を悟る。 「仕方ないわね。直接行ってあげる。そうね……」 警備の犬族が駆け寄ってくる姿を遠くに見て、リーリスは幼い表情のままに微笑んだ。 「警備員のみんな、静かにね? 魔法少女大隊の提督がどこにいるか知ってたら、頭の中で場所を思い浮かべて?」 かつては神と崇めていたものの姿にためらう犬に語りかける。 少しして、リーリスはアメを貰った子供のように微笑った。目的は達したのだろう。続けて彼女は告げる。 「大好きよ、イヌネコのみんな。静かにそっと、ここから離れてくれるかな? 魔法少女大隊が暴れそうだから、みんなを守りたいの」 ミ★ ミ☆ ミ★ ミ☆ ミ★ 「はっ、メイベル伍長、おつかれさまです!」 犬族の尖兵が銃を肩にかけて敬礼する。 相手は長手道メイベル伍長、ではなく、彼女の姿を借りたアマリリスだった。 幻術の効果でアマリリスの姿はメイベルにしか見えない。 「ああ、侵入者二人を捕らえた。提督の所へ連行する。道案内を……」 アマリリスが少し言いよどむ。さすがにメイベルが道を知らないのは不自然だ。 少し考えて、言葉を選ぶ。 「そこの君、連行を手伝ってくれ。二人が逃げないように人手がほしい。先導を任せる」 「はっ、光栄です!」 犬族の若者は尻尾をぶんぶんと振り回して、いかに光栄に思っているかを体現した。 では早速、と走り出しかねない勢いで若者は歩き出す。 彼の後ろをハーデとコタロが、その後ろからメイベルに化けているアマリリスが付き従う。 「……トラップが多いな」 先導に連れられて歩くと、隠し扉や狭い通路を通らされる。 これは主要通路に設置されたトラップを回避するためだ。 通用路から本来の道を見ただけで赤外線レーザーに温度感知、モニターに……糸と鳴子。 ハーデが透視で見れば、検知システムだけでも片手の指で足りない程の規模である。 実際に作動させれば、銃撃や爆破、あるいは区画ごと封鎖されることもあるのだろうか。 余裕があれば補給物資や戦略設備を破壊するつもりだったアマリリスだが、危険と効果を天秤にかけるとあっさり寄り道を諦めた。 なるべく挙動不審にならぬよう、一歩一歩の足をできる限り自然に前へと進める。 「…………?」 最初に違和感に気付いたのはコタロだった。 妖しい。 これだけの検知システムがあり、さらに自分達は連行されていくのだ。 それはモニターや連絡網ですでに敵方に知れ渡っていることだろう。 ならば、援軍が来るでもなく、何故無事に自分達は連行されているのか。 あるいは、これは罠か。 「……おい」 「なんだ」 搾り出すような声で、コタロがハーデをつつく。 目配せでモニターを示して見せた。 次に小さな札を渡す。 「陣符。……転移魔法の……導。……符。…………持ってろ」 「わかった」 ハーデは服に陣符を押し込むと、再び周囲の凝視に戻った。 案内を受けているとは言え、いつ敵が飛び出てくるとも限らない。 透視による索敵は欠かすわけにはいかないのだ。 一歩、また一歩。 緊張と共に廊下を歩く彼らは、モニター設備ごしに精神攻撃をしかけたひとりのロストナンバーによって、指揮系統が混乱していることは知る由もなかった。 ミ★ ミ☆ ミ★ ミ☆ ミ★ アマリリスの一隊を先導する犬族の進路の眼前で、急に扉が閉まる。 「敵だ」 最初に声をあげたのは透視術を持って索敵を行っていたハーデ。 アマリリスが鈴を鳴らし高速で走りこむと、閉まる扉の隙間に靴を挟み込む。 挟み込まれて千切れたゴムの抵抗は機械仕掛けの扉を停止させるに十分ではなく、ゆっくりと扉が閉まりかけている。 「メイベル伍長、どういうことですか! あなたの持ち場はここではない」 ブルドック氏族数名を引き連れてこちらへ駆けて来るのは服装からして魔法少女大隊のメンバーだろう。水色を貴重にした衣装が印象的だ。 進行方向の扉が閉まってしまえば、自分達は袋小路に追い詰められた形になる。それはマズい。 コタロが扉の前まで動き、後ろを振り返った。 彼の背後で、ハーデとアマリリスが扉を抜け、コタロに声がかかる。 「ムラタナ、私達は大丈夫だ。早く扉を抜けろ」 「いい。……………いけ」 靴から千切れたゴムは自動扉の閉まる勢いにすり潰され、機械仕掛けの扉はコタロと、ハーデ・アマリリスを分断する。 ついでにコタロが自動扉に手を伸ばし、触れておく。 自分の機械運には自信がある。これだけで自動扉が作動しなくなっているはずだ。 突撃してくるブルドック氏族の攻撃に耐えるべく、地面に方陣を描く。 いくらなんでも一人で完全に捌き切れるとは思っていないが、目的を殲滅ではなくあくまで時間稼ぎと位置づければ不可能な戦闘ではない。 味方部隊が充分離れたと思われる程度の時間が経ったら戦闘を中断し、転移魔法を発動、ハーデに預けた陣符の元へ転移、仲間と合流する。 これがコタロの計画であった。 が、先の事を考えていて、戦闘に勝利することも難しい。 先頭に立った魔法少女が声をあげる。 「ブルドック氏族、特攻隊。準備よろし!?」 「「「わん!」」」 「全員抜銃、全隊突撃! マカイバリ准尉、参ります!」 魔法少女大隊の一員であるだろう水色の衣装をまとった女性が構えるのを見て、コタロは防御の陣形をあっさりと破棄し、続けて転移魔法を発動させる。 魔法少女大隊の戦力とまともに戦うのは彼の計画上、あまり好ましくない。 それならば、アマリリスたちと合流して体勢を整えるべきだ。 陣符を探し、転移魔法を発動させる。 景色が歪み、一瞬の後にはハーデの眼前に転移する……はずだった。 だが、歪んだ後の景色は元の位置であり、水色の魔法少女はこちらを不敵に睨みつけている。 再度、試そうとして今度は集中力それそのものが暴力的に霧散させられる。 目の前の相手の仕業だと、一瞬理解することができなかった。 「私はマカイバリ准尉。あなたの転移魔法は『破壊』しました、恨まないでくださいね。今からあなたを殺害します」 破壊、つまり転移魔法を無効化されたということだろう。はじめのは溶かすように、二度目はずたずたに引き裂いて。 発動するはずだった魔力が己の中でくすぶり、行き場を失った熱が体内を駆け巡る感覚が吐き気を誘発する。 コタロは服に仕込んだ武器の位置をゆっくりと確認した。 ミ★ ミ☆ ミ★ ミ☆ ミ★ 「ここからは軍事機密だ。君の名前は提督に伝えておく、おって褒章の沙汰があるだろう」 「わん!」 メイベルの姿をしたアマリリスは、大きな鉄扉の前でここまで案内してくれた犬族の若者に帰れ、と命ずる。 軍事機密といえば犬族はある程度都合良く理解する。 今回はアマリリスにとって都合よく、本来の上司である提督にとっては好ましくない方向へ動いたようだ。 扉を開ける、その前に。 ハーデが取り出したのは大き目の手榴弾だった。 何だ、と問うアマリリスに「催涙弾だ」と端的に解説した後、ハーデは軽く催涙弾を宙に浮かせ、転移させる。 目標は部屋の中。 透視で確認した限り、室内に数名の敵がいる。 ハーデの透視能力ではぼんやりとしか見えないが、提督は中央にいる彼だろう。 5、4、3、、、 心の中でカウントダウンを行ったハーデが「2」を数えた時、彼女の目の前に催涙弾が《転移》してきた。 りぃん、と鈴が鳴る。 咄嗟に反応したのはアマリリス。 剣を全力で振るい、催涙弾を廊下のはるか彼方へと叩き飛ばした。 「強行突破の不意打ちノウハウは通用しないようだな」 「……そのようだ」 ハーデが転移で送り込んだ催涙弾を、起動前に転移し返した誰かがいる。 ごくり、と生唾を飲み込んだ。 扉の前に設置されたスピーカーから女性の声がする。 「侵入者、何の用です!」叫んだのはマーガレット女史。 「用? 私もお前たちも軍人だ……。敵軍同士が殺し合い以外の何をすると!」 「少数単独で拠点の破壊に要人への攻撃を行う、これが軍人のやり方か! 控えよテロリスト!」 二人の目の前で、自動的に扉が開く。 「全員抜杖!」 「「「「「「マジカル・オープン!!」」」」」 六名の魔法少女がそれぞれに杖を持ちこちらへ向けている。 その後ろに『提督』と思しき老人。 さらにその傍に控える女性、マーガレット女史が手を振りかざした。 「第一弾、構え。放て!」 「「「「「「まじかる☆れいんぼーびーむっ!!!」」」」」」 咄嗟にハーデは廊下遠くへと転移する。 アマリリスもまた、高速移動で扉から離れた。 故に、金属の扉を一撃で破壊しつくした魔法少女達の大技を身で味わうことはない。 「追撃!」 「「「「「「まじかる☆れいんぼぅ☆ほーみんぐれぇざぁぁっ!!!」」」」」」 橙、黄、緑、青、藍、紫。 六色の光線が遠くまで離れた二人を追いかける。 転移しても、高速移動しても、ゆるい追尾機能まで備わっており、壁に激突するまで止まらない。 「しまった。防御を考えていなかったな」 ハーデがぼそりと呟いた。 そもそも、転移で相手の傍に向かい、刃を持って一刀両断するのが彼女の戦闘スタイルだ。 あるいは爆弾でも転移させればカタはつく。 しかし、今は下手に転移させても返される恐れがあった。 返される恐れ? ハーデが己の装備を確認する。 次の瞬間、彼女は躊躇なく催涙弾を投げ込んだ。 魔法少女大隊の六人が重なり合うように陣列を形成しているところに、手榴弾まがいの小さな箱が転がる。 ハーデの転移能力に対応して、マーガレット女史も転移魔法を発動させた。 「転移能力者の対策はできています。すべて弾き返す! 魔法少女大隊は次弾装填!」 が、マーガレットが転移魔法を準備する間に、持ち主であるハーデは陣列の中央へと切り込んでいた。 催涙弾はその中央で炸裂する。 「なんで!? 返されることを予測していたの!?」 マーガレット女史の声にハーデは小さく呟き返す「いや、もともと自分ごと使うつもりだった」と。 ミ★ ミ☆ ミ★ ミ☆ ミ★ コタロが魔法を練る度にマカイバリが悉く破壊していく。 荒々しく、あるいはガラスを粉砕するように。 すべては破られるコタロの主観に過ぎないがどうあっても心地よいものではない。 ブルドック氏族の構えるマシンガンを回避するにも限界があり、弾丸がいくつかかすめ、コタロの服ごと肉をそぎ取る。 防御のために構築した陣すら、マカイバリの術で容易く打ち壊された。 「降伏しなさい。命まではとりません」 「…………」 「私に魔法使いが対峙したのが不運だったのです。恥じることはありません」 魔法使い、と。マカイバリの言葉にコタロが伏せていた目を上げる。 「……いや、自分は軍人だ」 コタロが床を蹴って最寄の犬族の腹にボウガンの柄をめり込ませる。 回り蹴りでもう一人を地面に叩き伏せ、振り回した余勢を駆って狙いを定めたボウガンのトリガーを引く。 ブルドック氏族の撃退はほんの一瞬で為った。 魔法を封じられたのであれば、手持ちの武器であるボウガンを構えて放てばいい。 魔法による強化が無効化されているのか、コタロ自身の推測よりも威力は低くなっている。 しかし、あたれば痛いし、急所にあてれば相手を無力化することは容易い。 彼は魔法兵である。つまり、魔法がなければただの軍人である。 そしてコタロの認識ではただの軍人は白兵戦に滅法強い。 彼の認識が間違っていないことは、ブルドック氏族最後の一兵がコタロのボウガンで文字通り尻尾を巻いて逃げた事が証明していた。 「やりますね。侵入者、あなたの名前は」 「コタロ……」 回答すると、マカイバリはナイフを手につっこんできた。 コタロがボウガンの照準を構えると、左右に動き、巧みに照準から外れる。 程なく、最後の踏み込みがあり、コタロの腹部めがけてナイフが降る。 「ぐっ……」 急所を回避した、とは言え、右腕に一筋のナイフの痕跡が赤くひかれていた。 痛みを意思で押さえ込み体勢を立て直したコタロに次の一撃が迫っている。 とっさに彼のとった行動は。 (最後の手段だと思っていたが……) ナイフを左腕で受け、筋肉を引き締める。 次に右腕でボウガンをマカイバリのこめかみに押し当てた。 後はトリガーを引けば終わり。 「降伏を勧める余裕はない」 死の宣告を前に魔法少女は凄絶な笑みを浮かべる。 最後の一瞬をマカイバリの口が動く。不運にも、その口の動きを読み取れてしまった。 すなわち「――バカめ」と。 引き金を絞る手は止まらない。 どんっ。 鈍い衝撃が走った。コタロの手に反動がかかる。 即頭部から矢を受けたマカイバリが絶命して床に崩れた。 絶命する彼女の手からナイフが零れる。 二秒後、使用者の死亡で握りこんでいたスイッチが解放された事で、ナイフに詰まっていた炸薬が大きく破裂した。 ミ★ ミ☆ ミ★ ミ☆ ミ★ 催涙弾は魔法少女大隊の陣列の中心で炸裂した。 正確には、隊列を組む魔法少女の中央にハーデが転移し、そのハーデ目掛けてマーガレットに向けて催涙弾が再転送された。 白煙が爆発的に撒き散らされ、眼球や喉、鼻腔などの粘膜を蹂躙する。 りぃん。 りりぃん。 鈴の音と共にアマリリスが飛びのき、白煙から少しでも遠くへと高速で部屋の隅へと逃げる。 だが彼女にとっても霧のような催涙ガスは助けとなった。 少女の悲鳴があがる。 ひとつではなく、みっつ、よっつ、いつつ。 催涙ガスの刺激によって、集中を削がれた魔法少女にアマリリスの幻術が効いているのだ。 彼女達はそれぞれ『最も恐ろしいと思われるもの』を、涙と鼻水の向こうに見ている。 「風!」 マーガレット女史が叫び、突風が催涙ガスを吹き飛ばした時、 ひとりの魔法少女の額が光に覆われていた。 アマリリスが構えるが、額に光を宿した少女は動かない。 やがて、彼女は姿を消し、その額の位置に真っ直ぐに腕を突き出したままのハーデの手先から、光の刃が迸っている。 脳を貫いて、外のマーカーへと吹き飛ばしたのだ。そのハーデの顔にはガスマスクがつけられていた。 催涙ガス爆発の中央で、彼女はガスマスクで物理的なガードを施して耐えた。 白煙の中を透視で見透かし、咄嗟に魔法を使って催涙ガスから身を守ろうとした一人の脳を貫いたのだ。 アマリリスはといえば、治癒術で目、鼻、口の治療を行う。こちらは防ぐのではなく受けてから即座に治す方法でこの場に留まっていた。 睨みつけるマーガレット女史にハーデが腰から手榴弾を取り出す。 今度は紛れもなく破片で殺傷する形の殺戮兵器だった。 これをマーガレットの胃の腑めがけて転移させる。が、数秒経っても経過がない。 「転移された爆発物なら再転送しました、転移能力者。その気になればあなたの体内へ飛ばすこともできます。叢雲の時、シルバー・パール大尉の時、すでに戦い方も対策も用意しています」 マーガレット女史がハーデを見つめ、口元を緩めた。勝利の表情である。 くすくす。 くすくすくす。 唐突に現れた笑い声は、マーガレットのものではない。 ハーデとアマリリスが睨みあう最中、場違いな少女の微笑が戦場をかけた。 唐突に現れた金髪の少女、リーリスはお茶会にでもいるかの如く気安い態度で提督に話しかける。 「軍隊ってかわいそうね」 リーリスが楽しそうに笑う。 「個人には意味がないんだもの。ここは戦場で私達には意思決定する図書館代表者が居ない……目的以外の殲滅戦を止める人が居ないって事よ? 誰にもその権限がないんだもの。見つからないよう自重した、楽しい殺戮の始まりよね」 提督が立ち上がる。 まず、リーリスを。次にハーデとアマリリスを。最後に魔法少女大隊ひとりずつの顔を眺めた。 戦力差は歴然としているように見える。 「たった三人で、この魔法少女の戦力、六人を相手にするつもりかね?」 「ええそうよ。魔法を使うコが六人、あなたを入れて七人。それなら私一人で十分だけど――」 「 目 標 確 認 ! てーーーーっ !!」 「「「「「まじかる☆れいんぼー☆びーむ!!!」」」」」 りぃん。 話の途中でマーガレット女史の声が割り込み、次に魔法少女大隊の唱和、鈴の音、最後に五色の光がリーリスを襲った。 着弾より素早くアマリリスが駆け寄り、リーリスを腕に抱いて飛ぶ。 「無防備に突っ立っているんじゃない!」 「ありがとう、かっこいいお姉さん」 リーリスは無邪気に微笑む。 彼女にとって僅かな誤算のひとつ、精神感応や魅了によって魔法少女大隊の攻撃を防げると考えていた。 リーリスが見積もったよりも、精神が強固なのか、あるいは対抗魔法を使用しているのか。 提督はマーガレット女史の手から黄色の防護フィールドのようなもので守護されているらしい。 「ふぅん……、効かないんだ。つまんないの。ねえ、お姉さん?」 「…………」 リーリスへの返答はなく、少女の方も返答を期待した呼びかけではなかった。 部屋を支配するのは何度めかの嵐の前を告げる静寂である。 張り詰めたの沈黙で、最初に口を開いたのはアマリリス。 「世界樹旅団諸君、我々三人はそれぞれが『提督』を殺害できるだけの力がある。そちらに三人を防ぎきれる能力があるかどうか、試してみるか?」 「……四人だ」 いつのまにかハーデの所持していた符に転移してきたコタロが口を開く。彼の衣服は血で赤く染まっており、未だ足元に新たな血だまりを形成していた。 「随分と疲弊しているが、マカイバリ君が対応に向かって生きている敵を見たのは初めてだ。だが、その体で自分を戦力の一人と数えるつもりか?」 「…………」 立っているだけで精一杯の傷である。 だが、立っているだけで注意をそらす程度には役に立つだろう。 運がよければ味方の弾除けくらいにはなれるかも知れない。 そんな覚悟を決めたコタロの前にハーデとアマリリスが進み出る。 「貴方が図書館上層部との話し合いに応じないなら、全員が死ぬまで戦闘が続くだけだ」と、ハーデ。 「ミカン隊さえいたらあんた達なんて」と、魔法少女の一人が口にするが、それを無視してさらにアマリリスが言葉を続ける。 「それに聞きたいこともある。千草町はおまえ達の故郷だろう。そこはファージに食い荒らされていたと聞く。世界樹旅団に故郷を襲われたのか?」 「私が覚えているのは、魔王との戦いと世界の崩壊です。……気付けば覚醒していました。提督が迎えに来てくださらなかったら、今でも世界群を放浪していました」 マーガレットの言葉に魔法少女達の表情が陰鬱に沈んだ。 「わかった」 提督と呼ばれた老翁が立ち上がる。 「これ以上、少女達を盾にするのも忍びない。どこへ行けばいいかね?」 「提督!」 叫ぶマーガレット女史を一瞥し、提督は四人を順番に見つめた。 「ただし、彼女達へ危害は加えない、と約束して欲しい」 「いいだろう」 三人が頷き、一人が渋々首を縦に振るのを見て『提督』は席を立つ。 ぴこん、ぴこん――。 アラームが鳴り、モニターに光がともって画面にショートメッセージが流れた。 『To base, From Mikan:Plan M phase 2, now on operation 』 「プランMとは?」 「ミカン隊にはアステロイドベルトまで行ってもらっている。大雑把に言えばこの地の緑化に必要な水を他の天体から求める作戦だ。具体的には氷でできた小惑星を世界図書館の拠点に落下させる」 「提督、中止命令を出せないのか?」 「指示が届いていれば止まっているだろう。残念ながら、ここにミカン隊の救援が来ていないのが、指示が届いていない証左になるのだ。本当に困った子だ」 ――提督の言葉が正しければ。 ――間もなく、ここへ空が落ちてくる。
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