鯱、鯨、猿、蜥蜴、蜘蛛、犬、フクロウ人間、ハチドリ、コンドル、手、木、鳥。 奇妙な、不可思議な、同時にどうにも惹きつけられる、巨大でシンプルな地上絵の数々。 ナスカとフマナの地上絵と呼ばれ、今なお謎の解明されていない世界遺産である。 その地上絵のひとつ、『木』に、『苗木』は根付いた。 『苗木』が根を張り、幹を、枝葉を伸ばしてゆくうち、いくつもの地上絵に奇妙な変化があらわれる。 旅行ガイドブックでもおなじみの地上絵が、むくむくと盛り上がり、実体化してゆく。――しかしそれは、サイズを同じくしながらも、どこかユーモラスで愛敬のある、あの地上絵そのものではない。 そのどれもが、禍々しい凶暴さを全身からみなぎらせながら、ゆっくりと立ち上がる。実体化したそれらは、確かに地上絵の性格を持ちつつも、ゆがんだ恐ろしさをもって地上を睥睨する。 ごおっ、と、『犬』が吼えた。 『ハチドリ』の羽ばたきが、地上絵観察用の建物を吹き飛ばす。 『フクロウ人間』は訪問者を歓迎するかのように掲げていた手を、ハンマーよろしく振り下ろし、小山を砕いた。 『手』は苗木を護るように『木』の周辺で腕(かいな)を広げる。 ずしいぃん、と、地面を揺らしながら怪物たちが歩き出す。 目につくものすべてを、戯れのように打ち砕きながら。 あれらを解き放つことは、すなわち、この場所を完膚なきまでに破壊することにほかならない。 ======== 予言された未来は、世界樹旅団によってもたらされる。 世界司書が知った出来事はまだ不確定な未来だ。しかし、このままでは確実に訪れる出来事でもあるのだ。 壱番世界各地の「世界遺産」をターゲットに、何組かの旅団のパーティーが襲来することが判明した。かれらは「世界樹の苗」と呼ばれる植物のようなものを植え付けることが任務のようだ。その苗木は急速に成長し、やがて、司書が予言したような惨劇を引き起こす。 言うまでもなく……「世界樹の苗」とは、世界樹旅団を統べるという謎の存在「世界樹」の分体だ。 だが、この作戦を事前に察知したことにより、世界図書館のロストナンバーたちは、苗木が植え付けられてすぐの頃に到着することができるだろう。周辺の壱番世界の人々を逃がす時間は十分に確保できるはずだ。 むろんそのあとで、苗木は滅ぼさねばならない。苗木は吸い上げた壱番世界の『歴史』や『自然環境』の情報をもとに反撃してくるであろうし、旅団のツーリストも黙ってはいない。 司書は、引き続き、戦うことになるはずの、敵について告げる。 ========「『苗木』との戦いはほぼ必至だ」 『導きの書』のページをめくり、赤眼の強面司書は告げる。「著名な世界遺産だけあって、観光客の数が多いんだ。避難誘導にはかなり時間がかかると見ていい。その間に、『苗木』は地上絵から怪物を生み出し、攻撃を開始するだろう」 最小でも二十メートル以上、最大で三百メートル近い、巨大というのも馬鹿馬鹿しいくらい巨大な、地上絵のサイズをそのままに実体化した怪物たち。 それを相手取ることが、どれほどの脅威であるかは、想像に難くない。「だが、彼らの計画を事前に察知できたおかげで、一般人を巻き込むおそれはなくなった」 しかしながら、壱番世界の人々を巻き込まずに戦えるというアドバンテージは大きい。先の、世界遺産を求めて世界中を行き来したロストナンバーたちのおかげだし、成果だ。 さらに、もうひとつ世界図書館側にとって有利な情報があった。「この地域を任された旅団員は、あまり積極的には攻撃して来ない。以前、運動会があっただろう、あのときヴォロスで相対した、レェンといったか、あいつだ。それに、少女らしき人物がひとり、つき従っている」 火城が言うには、彼らは『何か』を探し、欲している様子なのだという。 世界樹旅団の中でも、おそらく浮いている部類に入るだろう彼らは、今回もただ『苗木』の成長を見守るのみで、問答無用で襲いかかってくることはなさそうだった。「こちらから攻撃するなら話は別だが、彼らは傍観を貫くだろう。『苗木』が実を生み出してのちはなおさら。『苗木』を護ることもするだろうが、それもどちらかというと世界樹旅団側へのパフォーマンスに近い」 となると、こちらからちょっかいさえかけなければ、彼らのことは気にせず『苗木』の殲滅に従事できるということになる。 しかし、それでも、である。 『苗木』を滅ぼす前に立ちふさがる、怪物たちの存在は大きい。 ぜんぶで十体以上いる、巨大な怪物たちに、たかだか五人で立ち向かわねばならないのだ。予言では、物理的な破壊力で押してくるだけで、火を吐いたり雷を落としたりといった特殊能力による攻撃を行ってくるとは出ていないが、あの巨大さはそれだけで脅威だ。「世界各地で同じような騒ぎになっていて、正直、どこも人手は足りていないんだ。なんとか、頼む」 その困難さは、誰にでも想像がつく。 おまけに場所は世界遺産の真っただ中。 しかも、現在消滅の危機にあるとも言われる地上絵である。 怪物を倒すイコール地上絵を破壊する、ではなくとも、あの場所で大暴れすることは、世界遺産を傷つける行為に直結するのだ。 あまりにも不利で不便な戦いになるのでは、と危惧するものたちに、「そういうことなら、不肖ゲールハルトにお任せいただきたい」 世界の根幹を司ると言われた魔女の末裔、ゲールハルトが手を挙げる。 この非常時にまさか、と身構えるものが続出する中、ゲールハルトはいつにも増して重々しくうなずく。「かの世界遺産に『不動』の魔法をかけておこう。その名の通り、そこにあるものを固定し保護する効果を持つものだ」 確かに、足元を気にせず、後顧の憂いなく怪物を叩けるのは大きい。「そして、我がブルグヴィンケル家には様々な魔女のわざが伝わっている。その中に、己が魔力を他者へ分け与える、もしくは貸し出すといったものがあるのだ。我が魔力と魔法、戦う意志をお持ちの貴殿らにお貸しいたそう」「……ちなみに、魔女化は任意で、だそうだ」 魔法を借りられるならありがたいと思いつつ、別の意味で戦々恐々とする人々の内心を見透かしたかのように、火城が救いの一言を放った。要するに、外見のチェンジは希望者だけ、ということであるらしい。「魔法の発動は難しくはない。使いたい力に即した言葉を紡ぐだけだ。例えば、火を出したいならば、『燃えろ』と唱えればよい。我が故郷にも言霊というものがあってな、魔女の魔法は言葉の美しさによって強化される。ゆえに、力ある美しい言葉で紡がれた魔法は、比類なき強さを見せるであろう」 そういって、ゲールハルトは手を差し伸べる。「では、参ろうか、同胞よ。護るべきもののために戦うは、ヒトとして当然の務め。貴殿らの強く熱き心、このゲールハルトに見せていただきたい」 巨大で禍々しい、意思疎通は不可能な怪物たち。 その侵攻を――『苗木』の成長を許せば、壱番世界は滅びの一途をたどることになるだろう。「……退けない。ここで戦意を手放せば、戻れない」 護りたい何かと、戦う意志を持つものとして、彼らは乾いた大地に立つ。 怪物たちの咆哮が足元を震わせようとも、揺らがずに。========!注意!イベントシナリオ群『侵略の植樹』は、同じ時系列の出来事を扱っています。同一のキャラクターによる『侵略の植樹』シナリオへの複数参加(抽選へのエントリー含む)はご遠慮下さい。========
1.突きつけられる どぉん、どおおぉん、と、怪物たちが足を踏み出すたびに大地が震え鳴動する。 それはまるで、戦士たちを鼓舞する戦太鼓のようでもあった。 「くっそ、でっけーしかてーし、大変だわ、これ」 風を巻き起こしながら、嘆息交じりに降り立つのは理星だ。 全長150cmにもなる大太刀は、鬼族が体内に所有する角の一種だそうで、鈍りも欠けもしていないが、決定的なダメージを与えることも出来ていない。 「……一筋縄ではいかないようね。確かに、あの大きさは脅威だわ」 リズは、冷静極まりない視線を怪物たちに向ける。 いまだ目的が定まらないのか、ふらふらと歩きまわる怪物たちは、しかし、その巨大さがすでに凶器だ。踏みしだかれる大地がひび割れ、陥没し、もしくは平らになっていく。 地上絵にはゲールハルトの魔法【不動】がかけられているとはいえ、このままでは魔法の効果が打ち消されてしまう可能性もある。 「オオキイ、カンケイナイ! ツヨイ、オレ! カラレル、アイツ!」 武骨な大剣型のトラベルギアを抱え込み、鼻息荒くまくしたてる“氷凶の飛竜”ゾルスフェバートだが、猪突猛進の彼も、怪物たちの巨大さの前に攻めあぐねている――当竜はサイズなど気にせず突っ込んで行くものの、ダメージを与え切れていないのが現状である――様子だ。 なにせ、最小で20メートル台後半もの巨大さなのだ。最大最長で280メートルもある怪物を、しかも十体以上相手取らなくてはならないという現状において、ロストナンバーたちの攻撃力がいかに高かろうとも、一瞬ですべての勝負をつけることなど不可能だ。 「看過できぬ。食らうのでもなく、みさかいなく、循環の外よりすべてを破壊するものなれば……それはすなわち、この地がめぐり続くための環境がおびやかされるということだ」 玖郎は、衝撃波めいた羽ばたきを巻き起こす、ハチドリを悪意のエッセンスでつくり変えたかのような怪物を見上げ、小さくつぶやいた。あれらがこの地より解き放たれた時、引き起こされるであろう惨状と悲劇は、ことさら言い募るまでもなく誰もが理解しているはずだ。 そして、それを阻止するために、何が何でも果たさなければならないもろもろも。 「……玖郎さん」 「ああ」 「俺、あんたといっしょに飛べたら、もっといろんなことが出来る気がするんだ」 「そうだな。おれも、そう思う」 同じ、翼持つもの同士頷き合い、玖郎と理星が空へ舞いあがる。 見事な速度と立体的飛行、素晴らしい身のこなしで、怪物たちの伸ばす手や攻撃をかいくぐり、翻弄する。 「テツダウ、キョウリョク、ナイ。オレ、ヒトリ、サイキョウ!」 轟、と吼えたゾルスフェバートもまた、翼を広げ、飛び上がる。 風が巻き起こり、人々の衣装を激しくはためかせた。 ギアの大剣を頭上に構えたまま恐ろしい速度で飛び、あっという間に『犬』へ肉薄するフロストワイバーンを見やり、リズが目を細める。呪いに侵蝕された右目が、猫科猛獣を思わせる鋭さをはらんだ。 「……彼が突っ込んでくれるなら、私はそれを囮にさせてもらって、地道に削るわ。言霊も、借りたことだし」 他者を手伝うつもりなどないゾルスフェバートだが、その目立つ巨体――といっても、ロストナンバーの中では、だが――と激しい攻撃性から怪物たちの的になっている。彼に注意が集まれば、リズの『狩り』はずいぶんやりやすくなるだろう。 「しかし、私のいた世界でも珍しいくらいの大物ね。――まあ、いつも通り粛々と狩りましょう」 リズはリボルバーライフル型のギアを構えた。 「頼もしい仲間もいることだし」 くすり、と、小さな笑みが漏れる。 「……」 しだりは、それらを金の眼で見つめていた。 彼は、水を司る龍の子である。 荒ぶれば島国のひとつやふたつを沈めると言われる水神の力を受け継ぐ、偉大な一族の子だ。 しかし、今、彼には力を制御する角がない。 以前、竜ばかりが住まう異界の郷を訪れたとき、何の兆候か二本とも抜け落ちてしまったのだ。それゆえ、幼いとはいえ、揮えれば大いなる助けになるだろう彼の力は、現在、一歩間違えば同胞をも巻き込んで暴発しかねない危険をはらんでいる。 ゲールハルトの言霊を借りても、これでは意味がない。 「護りたい……それなのに」 ゾルスフェバートのギアが『犬』の尾、二本あるうちの一本に突き立てられる。 『犬』は全長50メートル。怪物たちのリーチが長すぎ、また、巨体に似合わぬ素早さをもつものもいて、距離を取りながら戦うことは、猟人のリズ以外には難しいようだったが、空舞う一頭とふたりは、たくみに攻撃をかわしながら、怪物たちに攻撃を加えている。 特殊効果を付与されたリズの弾丸が、「戒めろ」の言霊で強化され、『犬』の動きを妨げると、ゾルスフェバートが氷飛礫のブレスを吐いて尻尾の片方を凍りつかせ、見事に斬り砕いた。 理星と玖郎の猛禽コンビは、90メートルのハチドリや135メートルのコンドル、165メートルのオウム、280メートルもあるアオサギ(一説にはペリカンとも)の地上絵が転じた怪物たちを空中にて翻弄し、チャンスをうかがっているようだ。 それを見るたびもどかしさと焦りがつのる。 「なぜ、今」 壱番世界に在る命を護りたい。 ここには、友が生きている。 しだりに信頼を預け、慈しみの心をもたらし、踏み出す勇気をあたえてくれた友が、この世界で生きているのだ。その友が健やかに生きる場を護りたいと思うことは、しだりの成長のあかしでもあった。 「なぜ……しだりは」 護りたい、強い思いに変わりなどないのに、今のしだりにはその力がないのだ。 「……どうすれば」 唇を噛み締め、トラベルギアを握り締めるしだりを、ゲールハルトが静かな眼差しで見つめている。 2.真っ向勝負! とにかく、大きくて硬くて面倒な相手だった。 難しいことを考えるのは苦手なゾルスフェバートだが、巨大さと数、リーチの長さ、そして巨体に似合わぬ動きの速さがどれだけ危険かは判る。自分が最強であることを証明するという欲求のほか、野生の飛竜にとって生存は絶対の本能だ。 ゆえに彼は、双尾の『犬』へと執拗に攻撃を加えつつ、警戒もまた怠らなかった。 「オレ、サイキョウ。オレ、ツヨイ!」 しかし、ゾルスフェバートが挫けることはない。 というよりも、彼には挫けるという概念そのものがない。 生きて戦って狩って食う、それが彼にとっての『命』というものだ。 「オレ、カル! オマエ、カラレル!」 食えるかどうかは微妙なところだが、己の強さをあかしだてるのにあれほどふさわしい獲物もいない。 ゾルスフェバートは白い翼を大きくはばたかせて飛び、鞭のように振り回される尾を巧みにかわしながら氷飛礫のブレスを吐いた。つららのようなブレスが雨あられと降り注ぎ、『犬』を貫き突き刺さる。 気味の悪い咆哮が響いた。 これらの怪物に急所のような部分がないことは確認済みだ。 動植物の姿を模して顕現こそしているものの、その実態は該当生命と同等ではなく、ただ世界樹の『実』としての作用ということだろう。 心臓にはそもそも刃が届かないが、咽喉も眼も動物の急所と言われる場所も、ひととおり試してみたもののほかの部位を攻撃するのとそれほど変わりはなかった。脚の破壊も試みたが、直径十メートル近いそれをギアとブレスだけで潰すことは難しく、地道に削ることを余儀なくされている。 「アイツキル! ツキサス、キリサクスル!」 しかし、言い換えれば、それは、どこを攻撃してもダメージを蓄積させられるということでもある。 ゾルスフェバートは、不思議な力で己が意のまま浮かぶギアを頭上に掲げ、『犬』めがけて再度突っ込んだ。 ぶん、と薙ぎ払われた尾を剣ではじき返そうとするも、あまりの勢いと、彼自身が空中にいたことも災いして勢いを殺せず、盛大に吹き飛ばされた。ぐるぐる回転しながら飛ばされるゾルスフェバートを、『犬』の尾が追撃するが、 「ツヨイ、ナイ! オレ、ツヨイ、イチバン!」 彼はその、当たれば背骨までやられそうな、強烈極まりない一撃を、身をひねりわずかに羽ばたくことで紙一重に避け、わざと翼を止め落下して尾から距離を取った。そこを狙って噛み合わされるあぎとを蹴りつけてかわすと、次に力強くはばたいて『犬』の頭上へと舞い上がる。 ごばっ、と、氷飛礫のブレスが放たれて、『犬』の顔は半ばまで凍りついた。 不快なのか、それとも別の理由があるのか、『犬』が頭を振り、闇雲に尾を振り回す。 巨体の、パニックめいた大暴れに――縦横無尽に振り回される尾に――、さすがに危険を感じたゾルスフェバートが距離を取ろうとするより早く、 「――……斬り裂け」 遠方から届くのは、『カット』の力を言霊で強化した、リズの弾丸。 かまいたちのようなエネルギーをまとった弾丸は、ぢばっ、という濡れた音を立てて、見事に『犬』の尾を切断し、ちょうど同方向にあった後脚を半ばまで断ち切って消えた。 バランスを崩してよろめく『犬』。 むろん、その隙を見逃すゾルスフェバートではない。 「オマエ……カラレル!」 轟と吼え、ひと息に上昇、再度『犬』の頭上へ飛び上がると、頭を下に翼をたたみ、急降下の体勢に入る。 耳元で風が鳴り、不快な臭いが鼻をついた。彼の鋭い嗅覚は、それが、この怪物たちの持つ存在の臭いなのだと告げている。折り合えそうもない臭いだと、ゾルスフェバートは低く唸った。 落下していきながらギアを大きく振り下ろし、『犬』の頭に突き刺さった剣を、落下の引力を利用して自重で引っ張り、『犬』の身体を斬り裂いていく。 血は出ない。 しかし、『犬』は身をよじり身の毛もよだつ咆哮を上げた。 腹まで斬り裂いたところで翼を広げ、今度は飛び上がりながら大剣を振り上げる。腹から背へと飛びながら怪物を斬り裂けば、鈍い重い手ごたえが伝わってくる。弱って来たのか、『犬』の動きが少しずつ鈍ってくる。 後方からはリズの援護が次々と来る。 彼女の放つ、特殊能力つきの弾丸が、『犬』の身体のあちこちに穴をあけていく。 ゾルスフェバートは咽喉の奥で機嫌のいい唸り声を転がした。 ひときわ高く飛び上がり、ギアを大きく振りかぶる。 刃の切っ先は『犬』の首を捉え、深々と斬り裂いた。 剣がずぶずぶと沈んでゆくと、斬り裂かれた首が、頭の重さに耐え切れず、自重でその傷を広げていく。沈み斬り裂き続けるギアがそれを助長した。 『犬』全体がぐらぐら揺れ始める。 がくり、と前脚が折れた。 同時に、首が完全に折れ、バランスを失った身体が地面へと倒れる。 ずずぅん、と、腹に響く音がして、ゾルスフェバートが大地へ降り立つころには、『犬』の動きは止まっていた。わずかに痙攣していた前脚も、すぐに動かなくなる。 「オレ、サイキョウ!!」 ゾルスフェバートは勝利の雄叫びを上げたのち、次なる獲物へと向かっていく。 そう、まだ戦いはこれからなのだ。 後方から狙いさだめて放たれるリズの弾丸を感じつつ、フロストワイバーンは己が最強であることを証明するために空を駆ける。 それはもはや、彼の本能なのかもしれなかった。 3.狩人と踊れ 『犬』が倒れるのを見計らって、リズはギアに弾薬を込め直した。 白い飛竜は、もぞもぞと蠢くばかりで特に何をするでもない『手』を避け、次に全長45メートルの『蜘蛛』を獲物に選んだらしい。 「とてもない闘争本能ね……こちらとしても助かるけど」 飛んでいる連中は、玖郎と理星が受け持ってくれている。 ふたりは、お互いの死角を埋めるように飛び、巨大で凶悪な『鳥』たちの翼や羽ばたきによる衝撃波を避けながら、怪物たちを翻弄し誘導してお互いをぶつけさせ、地道にダメージを与えているところだった。 地上では、しだりがギアである椿の枝を揮っている。 精巧な造花であるそれは、どこか妖艶なさまで霧を立ちのぼらせていた。その霧が触れた『猿』の足が腐食し、溶解し、また凍結する。サイズの違いから――ちなみに、『猿』の全長は80メートルである――、すぐさま倒すことは難しいが、少なくとも怪物を足止めすることには成功している。 何か悩みごとでもあるのか、しだりの凛々しい唇は厳しく引き結ばれ、時折眉根が痛みをこらえるように寄せられたが、むろん、怪物たちがそれを斟酌してくれるはずはない。 「……だけど、もう少しで……」 耳に届いた言葉の意味は、彼女には判らなかったが、しだりが何かを見出そうとしていることは察せられた。 ならばその手伝いを、などというつもりはリズにはない。人さまの事情にあれこれ口を出すようなお節介さは彼女にはないし、そのスキルもない。 「――『燃え、爆ぜよ』」 しかし、彼女の戦いが、しだりをやりやすくさせ、『何か』を考える余裕を与えるのなら、それはやぶさかでない。 ゲールハルトより拝借した言霊で弾丸を強化し、『猿』の頭部めがけて撃ち込む。ぱちん、とどこか軽い音がして、怪物の一部が燃えて弾けた。 しだりが椿の枝を揮い、『猿』の前脚を半分ほど砕く。 甲高い声をあげてのけぞった『猿』の眼が、リズの存在を捕らえたが、その視線はすぐに、「そこにはなにもなかった」かのようにそらされた。リズが狩った最大の敵から受けた、『忘却』の呪いによるもので、彼女が次にその視界へ入るまで、誰もリズを認識することは出来ない。 自分が『ないもの』であるのを利用して、リズはまた弾を込める。 身を隠しながら少しずつ移動し、ふと見上げた先に、『木』があった。 世界樹が根付き、世界樹とまじりあったそれは、いびつにおそろしくも、どこか荘厳で美しい。 その天辺の枝に、黒ずくめの、背の高い青年と、白いドレスをまとった美麗な少女が佇んで、世界図書館と『実』の戦いを見つめている。青年の青い眼と、少女の赤い眼は、いっそ真摯なほどのまっすぐさで、ロストナンバーたちの戦いを追っていた。 「……彼らの目的は、いったい?」 ぽつりとつぶやく。 寝た子を起こすつもりのないリズは、攻撃してくる様子のない旅団員と積極的にかかわるつもりはなかった。ただでさえ手いっぱいなのだ、おとなしくしていてくれるならそれに越したことはない。 それでも、不可解さは残る。 なぜ、世界樹旅団に所属しながら、と。 ――司書が言っていた。 どうも、彼らは、旅団内でも変わり者に位置するようだと。 侵略に均しい行為を平然と、容赦も躊躇もなく行う旅団員がいる傍ら、こうやって静かに、何かを待っているような風情で佇むものもいる。 世界樹旅団は、世界図書館と在りかたが違うだけで、そこに属するものは結局のところ同じロストナンバーなのだ、と、あの司書は言うだろうか。 「気にはなる、けれど」 今はまず、あの怪物たちを倒すのが先決だ。 「――『轟け』」 雷の力を込めた弾丸を『猿』へ撃ち込み、リズはさらなる攻撃に勤しむ。 空を、この地域には珍しいほどの暗雲が垂れ込め、雲間には黄金の光が散り始めていた。 4.祝福あれ、と世界は言った 「う、わ……ッ!?」 『ハチドリ』の羽ばたきに巻き込まれて全身をしたたかに打ち据えられ、吹っ飛んだ。 どこかが折れたような、内臓が傷ついたような感覚があったが、そもそも死ねない身の理星である。あっという間に修復されていく肉体を気に掛けることもなく、大太刀【鬼ノ角】を揮い、空を翔る。 痛みは理星の行動を阻害しない。 しかし、痛みを感じないわけではない。 ただ、自分に出来ることをしたいと強く思うだけだ。 「俺も、この世界の役に立ちたい。優しくしてもらったのを、このあったかいのを返したい。俺も、誰かを護りてーんだ!」 背後から、重々しい羽ばたきとともに『オウム』が肉迫し、巨大なくちばしが理星を貫かんとする。 が、『オウム』の攻撃は、突然の落雷によって阻まれた。 脳天から激しい雷に打たれ、『オウム』は耳障りな声でわめきながら落下する。すぐに体勢を立て直し、羽ばたいて舞い上がったものの、羽のあちこちが焦げ、ぶすぶすと音を立てている。 「玖郎さん」 それが、局地的に天候を操る天狗たる玖郎の力であることは確かめるまでもない。 理星は体勢を立て直し、鳥の怪物たちから距離を取った。 その隣に、『アオサギ』を振り回し墜落させた玖郎が並ぶ。落下させられた怪物は、長い長い首をもたげて忌々しげに鳴いた。 「ありがとう、助かった」 「いや」 朴訥な玖郎と邪気のない理星、ふたりが並ぶとどうにも可愛らしい雰囲気になる。丈の大きい男ふたりに、その表現が似合うかどうかはさておき。 ケエエエェ、と、まさに怪鳥のごとく鳴いた『オウム』が、ふたりめがけて突っ込んでくる。炯々と輝く双眸には、確かに、怒りの炎が燃えていた。 「っと……」 理星は力強く羽ばたいて鉄槌のような塊を避け、翼に巻き込まれないよう注意しながら怪物の頭上へと舞い上がる。 理星の傍らに並んだ玖郎が、合図のように手を振ると、金光をはらんだ雷雲がちらちらと瞬き、次の瞬間、幾条もの雷を『オウム』へと降り注がせた。わずか、半径数十メートル範囲内に雷鳴が鳴り響き、辺りは耳が痛いほどの大音響で満たされる。 雷に散々打ち据えられ、全身を焼け焦げさせながら、『オウム』が羽と脚をばたつかせながら落ちていく。 理星はそれに追い縋り、気合とともに【鬼ノ角】を一閃した。 時に城壁ですら真っ二つにするその一撃は、『オウム』の脳天から顔面、咽喉元までを深く斬り裂き、不気味な質感の肉をあらわにさせる。身の毛もよだつ叫び声とともに、『オウム』が羽を打ち振るい、理星を道連れにしようとするが、そこへ、玖郎の雷が再度降り注ぎ、今度こそ完全に怪物を沈黙させた。 『オウム』落下による衝撃で、大地はぐらぐら揺れた。 「一体はかたづいたな。『犬』『蜘蛛』『猿』……『鯨』『蜥蜴』も時間のもんだいか」 大剣とブレスを駆使して巨体と渡り合うゾルスフェバート、特殊能力を付与した弾丸を用いて的確な『狩り』を続けるリズ、ギアを揮い、小柄な身体からは想像もつかない膂力で怪物を押し留めるしだり。ゲールハルトは周辺の風景を護るために補助魔法を維持し続け、また、仲間たちのサポートに勤しんでいる。 誰もが、懸命に戦っている。 護りたいもの、己が意志の発露のために。 「俺も、玖郎さんみたいな力が使えたらな。もっと役に立てるのに」 言ってもしかたないと知りつつ、嘆息とともに言葉が漏れる。 「借りたのではないのか」 「ん……うん。借りようと思ったんだけど、もともと持ってる魔力と反発して、無理だったんだ」 「もともと? ならば、それを使えばよかろう」 玖郎の言うことはもっともだ。ましてや今は未曽有の危機なのだから、出し惜しみなどしている場合ではない。 しかし、理星は困った顔になる。 「うん……そうなんだけど。でも……」 「?」 そこから先は、恥ずかしいことだという自覚があって、理星は口ごもる。 無邪気ですらある仕草で小首をかしげる玖郎にごめんと謝り、理星は大きく羽ばたいた。手の中で、大太刀がぎらりと光を放つ。 「言えねーよなぁ……こんな場面で」 鬼と天使、属性こそ違うものの、神々の力を色濃く受け継ぐ彼らは、不思議のわざの使い手でもある。理星もまた、本来は、鬼族の魔法と天使族の神霊術、双方の、かなり高位のものを使えるのだ。 「……怖い、だなんて」 否、使えた、と言うべきかもしれない。 (お前のような出来損ないが!) 父の副官である天使の、それこそ雷鳴のような声が記憶を打ち、理星はぎゅっと唇をかむ。 (聖なる力を使うなどと、不遜にもほどがある!) 父をも超える力を、戯れに発露させてしまった時、父を絶対視していたがゆえ怒り狂った副官に散々打擲され罵られて以降、理星にとってあれは恐怖の対象だ。自分のような、半端な、醜い存在が、聖なる神の力を揮うなど、許されることではないのだ。そう思い知らされてからは、どちらも使えなくなった。 今も、怖くて怖くてたまらない。 ――けれど、本当は、知っているのだ。 真実、護りたいと思うもののために、乗り越えねばならない日が必ず来ることを。 「……おれには、むずかしいことは判らん、が」 玖郎が隣に並ぶ。 彼は、全身に雷をまとっていた。 「おもうまま、あるがまま、力をふるえばそれでよい、と、思う」 それは朴訥で、明快で、真理でもあった。 素朴であるがゆえに潔く、胸を打つのだ。 「あれは蜂鳥というのか……こすたりかなる国で見たな、ほんものを」 甲高い鳴き声を上げる『ハチドリ』を前に、ぽつりとつぶやく。 「……ほんものを滅ぼされぬためにも、滅さねばなるまい」 雷光が玖郎の周囲で踊る。 それはひどく神々しく、美しかった。 胸を打つ美しさだと理星が思う間に、速度を上げた玖郎が『ハチドリ』へ肉迫する。玖郎の発生させた竜巻が『ハチドリ』を囲い込み、身動きを取れなくする。そこへ一直線に飛びこみ、彼は身にまとった雷を弾けさせた。雷が『ハチドリ』を灼(や)き、それを呼び水に上空からはまた雨のごとく落雷が降る。断末魔の声をあげて『ハチドリ』が落ちていく。 ゾルスフェバートとリズが『鯨』にとどめを刺したのも同時だった。 残っているのは『コンドル』『アオサギ』『フクロウ人間』『鯱』、『手』、そして『木』。 皆、疲労こそしているものの志気は高く、強い力が全身にみなぎっている。 怪物の討伐も、時間の問題かと思われた。 ――しかし、このとき。 まったくのノーマークだった『手』が妙な動きを見せた。 のたのたと地面を這うだけだったそれが、唐突に激しい痙攣を始めたのだ。痙攣とともに、『手』は不気味に膨張していく。 「何か、おかしい……」 最初に警戒の声を上げたのは、戦場全体を把握しているリズだったが、その声が届くよりも、それが起きるほうが早かった。 痙攣が振動にまで達した瞬間、『手』は、耳をつんざくような音を立てて破裂した。 すさまじい衝撃波を伴って。 それは実に、半径数km規模の激烈さで辺りを襲い、さまざまなものをなぎ倒した。地上絵観察用の塔が吹き飛ばされ、断末魔の音を立てて砕け散る。 むろん、ロストナンバーたちもまた、その衝撃波から逃れることは出来なかった。飛行組を含め、全員が、衝撃波にまんべんなく全身を嬲られ、吹き飛ばされて地面へ叩きつけられる。あまりの激しさに息が止まり、目の前を星が飛んだ。 よろめきながら起き上がろうともがく人々の前へ、どこか勝ち誇ったような足音が近づく。 5.神成リ さすがの玖郎も、ひとたまりもなかった。 理星とともに『コンドル』を相手取っていた玖郎は、下からの激しい衝撃に大きく煽られ打ち据えられ、体勢を立て直すことも出来ず錐もみ状態で落下した。どうにか翼を動かして、地面と激突することは避けたが、受けたダメージは小さくない。 「ウ……グルル……」 ゾルスフェバートが忌々しげに唸り声をあげた。身体の大きな彼は、人一倍衝撃波を喰らっており、全身がぼろぼろだ。それでも戦意を失わぬ双眸が、ぎらぎら輝いて怪物たちを見据えている。 『フクロウ人間』と『鯱』が、恐怖を煽ろうとでもするようにゆっくりとこちらへ近づいてくる。『コンドル』と『アオサギ』は、倒れ伏す人々を嘲るように上空を飛び回る。 今、あれに突っ込んで来られたら、持ちこたえられない。 持ちこたえられなければ、あるのは破壊と殺戮だけだ。 予言の通りの滅びの光景が、彼らに突きつけられることになるだろう。 「なぜ……どうして」 うずくまり、乾いた石くれを握り締めながら、しだりが涙を流している。 「今この時にこそ、必要なのに」 どこかをひどく傷つけられたのか、彼は激しく咳き込んだ。 しかし、 「どうして、しだりには、その力がない……!」 嗚咽とともに絞り出されるそれは、痛みや恐怖ではなく、無念であり慚愧だ。 この、どうしようもなく必要な時に必要な力を揮えない己への。しかし、そう感じているのはしだりだけではないようだった。 「……俺は」 理星もまた、石くれを掴み苦悩している。 足を引きずるリズに肩を貸し、ゲールハルトがまっすぐに理星を見ていた。 「理星殿。恐れることなど何もありはせぬ。貴殿の中に、すでにその力はあるのだ」 ゲールハルトの言葉に、理星はきゅっと唇を引き結んだ。 そして頷く。 同時に、背中の見事な白翼が大きく広がった。 「知ってる。――本当は、判ってた。生きてる限り、自分の意志で選ぶしかねーんだって」 まぶしい白銀の眼が静かな覚悟をはらむ。 「強くなりたい……あのひとを護れるくらい、強く」 彼が言うと同時に、周囲を目には見えないエネルギーが渦巻いた。何か、力強いものが練り上げられてゆく。玖郎にその概念はないが、世界の喜びと力にあふれたそれを言葉にするのなら『精霊』になるだろうか。 熱い風が彼の周囲で踊る。 それは徐々に強さを増し、やがて風の壁になった。 物理的圧力を伴った炎熱の風に阻まれ、怪物たちが唸り声を上げる。 「怖がらず、出来ることをしよう。俺の精いっぱいで」 負担がかかるのか、理星は顎から汗を滴らせていたが、それでも彼はゆるぎなく立ち、炎熱の結界を維持し続けた。その背には誇らしささえ滲んでいる。 「そうか……そうだ。そうだった」 しだりの眼が見開かれていた。 零れ落ちる涙が光って消える。 「これが、そうなんだ。しだりにとっても、また」 この地域には似つかわしくない、清冽な水気が鼻腔をくすぐった。 「選択の時だ。生ある限り、粛々と」 荘厳な空気が満ちてゆく。 それを、神々しい、と人は言うだろう。 「自然の残酷さを突きつける神となるか、自然の優しさを顕す神となるか。しだりもまた、選ばなくては」 しだりの周囲を涼しい水の気配が渦巻く。 何もなかった頭上にそれは集まり始めていた。 よろめきながら立ち上がり、空を見上げて、しだりは高らかに告げる。 「しだりは、護ることを選ぶ。世界に満ちる命を! そうだ……再生のために滅びをもたらすより、調和を保ち命を護る、慈愛の顕現となる!」 光るあおい雫が凝り、彼の頭上にかたちをなしてゆく。それはじきに、角をかたちどった。あおく透き通った美しい角だ。 「力をうまく使えないなら、使える自分になろう。――結局は、そういうことだった」 気づけば、しだりは、青年の姿を取っていた。 すらりと背の高い、凛々しく慈悲深い眼差しの青年は、空を見上げると、穏やかに呼びかける。 「この世界に息衝く命たちよ、ほんの少しだけでいい、しだりに力を貸して」 それだけで、広げられた両手に、神々しい力が満ちていくのが判った。 すぐに、空がかげり始める。 しかしそれはまるで絹の帳のような、やわらかくも美しい雲の連なりだった。 「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」 深みと低さを増した声が言葉を紡ぐ。 「よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。さればこそ、その一滴さえ愛しきものとぞ思う」 万感の思いを込めた言霊が、しだりの力を更に強めていく。 さあっ、と雨が降ったのは次の瞬間だ。 それはやさしく、あたたかくロストナンバーたちを包み込み、戦闘に疲労し、衝撃波で少なからぬダメージを受けた彼らの、体力や気力、魔力などといった特殊能力を最高値にまで回復した。 「グルル」 ゾルスフェバートが機嫌よく目を細める。長く太い尾が、びたん、と地面を打った。 「……これは、ありがたいわね」 リズは淡々とギアを担ぎ直し、弾丸を込め直した。 「ああ、力が満ちてくる」 理星は心地よさそうに笑い、両手で空をかき混ぜる仕草をすると、炎熱の結界がさらなる激しさでたわみ、怪物たちをばらばらに吹き飛ばした。包囲網が緩み、怪物たちに隙間が出来る。 ――これなら、攻撃に仲間を巻き込むことはあるまい。 「オレ、サイキョウ。……オマエラ、ニバンメ、サイキョウ。ユルス、イイ」 グルルと楽しげに喉の奥で声を転がし、ゾルスフェバートが地を蹴った。白い鱗を慈雨に打たせながら舞い上がり、『フクロウ人間』へと襲いかかる。リズはその背を目で追い、くすっと笑った。 「……ご機嫌のようね」 熟練の、流れるような手つきで銃を構え、飛竜が攻撃を続ける怪物へ弾丸を撃ち込む。怪物の巨体が次々に弾け、咆哮が空気を震わせた。 「終わりにしよう。誰も傷つかなくてすむように」 しだりが言うと、また雨が降り出した。 しかしそれは『鯱』の頭上でのみ降り、怪物に触れたとたんその身体を溶かし始める。酸の雨だ。 『鯱』は身もだえ、咆哮するが、逃れることは出来ない。 しとしとと降りしきる雨が、怪物を少しずつ溶かし、消し去っていく。 理星が大太刀を手に飛び上がった。迷いのない表情で、矢のような速さで、『コンドル』へと向かっていく。 玖郎はそれらを見届け、うっすらと笑った。 世界の理に沿って生きる彼は、仲間たちが、あるがままに受け入れ、選び、立ち上がる、その流れを貴く感ずる。 「そうだ……おもうままにふるってくれればよい。おれは、その力を借りよう」 雨は降っているが、太陽は輝いている。 「離宮はそらに座す太陽より火気を集め」 辺りには、この地の歴史をはらむ土があふれている。 「艮・坤宮は足下の土気を用い」 理星は、ちょうどよい具合に西の位置を飛んでいる。 「乾・兌宮に大太刀をはらむ理星を望み、金気に見立て」 しだりは、北の位置にて雨を降らせている。 「坎宮にしだりを望み、水気に見立て」 ごぉう、と風が巻き雷雲が唸る。 それをもって震・巽宮の木気となせば、己を直中とした八卦に五行が整う。 玖郎の中に気が満ちる。 強い力がみなぎってくるのを淡々と感じ、玖郎は地を蹴り舞い上がった。真っ黒な雲の中で、金の光が激しく瞬き、玖郎へと雷を降り注がせる。彼はその雷をまとい、まっすぐに飛んだ。 玖郎の、二重鉢金に覆われて外からは見えない眼は、のったりと羽ばたく最大級の怪物、『アオサギ』へと向けられている。 その頭上へ高く高く飛び、太陽へ飛び込んでしまうのではないかというほどの高度へ至ると同時に我が身を逆さにし、まさに猛禽の鋭さで急降下する。 そして、両の鉤爪を『アオサギ』の首元に突き立て、斬り裂いて、勢いのままにその肉を貫く。 首筋から胸元へ抜けられ、ぎげっ、と怪物が鳴いた。 さらに、玖郎に追随する雷撃が『アオサギ』の全身へ――そして内側の肉に降り注ぎ、怪物を外から中から激しく灼いた。 びくん! と、ひときわ大きく震え、『アオサギ』から力が抜ける。 巨大な骸が空から堕ち、鈍い地響きを立てて、動かなくなる。 そのころには、飛竜と猟人は『フクロウ人間』を、龍神の子は『鯱』を、混血の鬼は『コンドル』を、それぞれ倒していた。巨大な骸があちこちにわだかまり、小山のようになっている。 雄叫びを上げたゾルスフェバートが、最後の『木』へと突進していく。 「コオル、キル!」 氷ブレスのあと、ギアによる斬撃。 『木』は――世界樹の苗木は、あっけなく幹から真っ二つになり、倒れた。 「ウオオ、オレ、ツヨイ!」 勝利の、歓喜の咆哮。 木が大地に沈み込む、ずずん、という音が臓腑に響く。 ――これで、終わったのだ。 少なくとも、この地では。 あそこにいた旅団員はと辺りを伺えば、ふたりはいつのまにか踵を返し、立ち去ろうとしているところだった。 「……いいものを見たな、ブリュンヒルデ」 「はい」 「ここでなら……確かに見つかるかもしれん。ゴウエンのいうとおり」 「はい、マスター」 それきりふたりの姿は掻き消えて、そこにはもう、石くれが転がるばかり。 ――わずかな疑問を残しつつも、戦いは、勝利に終わる。 護り、果たし、証明したロストナンバーたちに、新しい未来を指し示しながら。
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