どうどうと音を立てて水が落下していく。 ジンバブエとザンビアの国境にある、世界でも三本の指に入る巨大瀑布、ヴィクトリアの滝である。雄大な景色は、人々の心を深くとらえて離さない。 あまりの水量、あまりの勢いに、周囲には水の噴煙が立ち上り、あたりは白く染められている。 その、霧よりも濃い白の中から、どうどうという音と、振動とともに、何かが姿を現す。 ――巨大だ。 滝の中にあっては、それほどとも思えないが――何せ全幅が1700メートル強、落差が100メートル以上という長大な滝である――、うっそりと姿を現したそれが、岸辺に大きな前脚を載せ、轟くような声で咆哮するのを目にすれば、小さいなどとは到底思えなくなるだろう。 正確な計測では全長108メートル。 幅は10.8メートル。 からだは、陽光を受けて鈍く光る白。 目には、水の落ち込む滝壺のような深い深い青。 巨大なあぎとと、牙と、爪と尾、激しく打ち付けられる水のようにはためく鬣、長く強靭な尾。現地の人間で、それを目にしたものがいたら、滝の化身と呼び畏れ、竜と指差して恐れたはずだ。 竜が瀑布の声で咆哮する。 ぶわっ、と、白い噴煙がたわむ。 どぉん、と音がして、滝の一部が吹き飛んだ。 竜の前脚が、大地を抉る。 竜のあぎとが、森を喰らってゆく。 滝が、森が、大地が、少しずつ減ってゆく。 ――最後には、あの、侵略の苗木だけがそびえ立っている。 ======== 予言された未来は、世界樹旅団によってもたらされる。 世界司書が知った出来事はまだ不確定な未来だ。しかし、このままでは確実に訪れる出来事でもあるのだ。 壱番世界各地の「世界遺産」をターゲットに、何組かの旅団のパーティーが襲来することが判明した。かれらは「世界樹の苗」と呼ばれる植物のようなものを植え付けることが任務のようだ。その苗木は急速に成長し、やがて、司書が予言したような惨劇を引き起こす。 言うまでもなく……「世界樹の苗」とは、世界樹旅団を統べるという謎の存在「世界樹」の分体だ。 だが、この作戦を事前に察知したことにより、世界図書館のロストナンバーたちは、苗木が植え付けられてすぐの頃に到着することができるだろう。周辺の壱番世界の人々を逃がす時間は十分に確保できるはずだ。 むろんそのあとで、苗木は滅ぼさねばならない。苗木は吸い上げた壱番世界の『歴史』や『自然環境』の情報をもとに反撃してくるであろうし、旅団のツーリストも黙ってはいない。 司書は、引き続き、戦うことになるはずの、敵について告げる。 ========「『苗木』との戦いはほぼ必至だ」 『導きの書』のページをめくり、赤眼の強面司書は告げる。「著名な世界遺産だけあって、観光客の数が多いんだ。避難誘導にはかなり時間がかかると見ていい。その間に、『苗木』は水竜を生み出し、攻撃を開始するだろう」 身の丈108メートル、800メートルにも及ぶ水の結界を持ち、その巨体と圧倒的な重量で押し寄せる水竜。 それが、どれほどの脅威であるかは、想像に難くない。「だが、彼らの計画を事前に察知できたおかげで、一般人を巻き込むおそれはなくなった」 しかしながら、壱番世界の人々を巻き込まずに戦えるというアドバンテージは大きい。先の、世界遺産から世界遺産へ飛び回る旅団員を求めて世界中を行き来したロストナンバーたちのおかげだし、成果だ。 さらに、もうひとつ世界図書館側にとって有利な情報があった。「この地域を任された旅団員は、あまり積極的には攻撃して来ない。以前、運動会があっただろう、あのときヴォロスで相対した、ゴウエンといったか、あいつだ。それに、ふたりの少年がつき従っている」 火城が言うには、彼らは『何か』を探し、欲している様子なのだという。 世界樹旅団の中でも、おそらく浮いている部類に入るだろう彼らは、今回もただ『苗木』の成長を見守るのみで、問答無用で襲いかかってくることはなさそうだった。「こちらから攻撃するなら話は別だが、彼らは傍観を貫くだろう。『苗木』が実を生み出してのちはなおさら。『苗木』を護ることもするだろうが、それもどちらかというと世界樹旅団側へのパフォーマンスに近い」 となると、こちらからちょっかいさえかけなければ、彼らのことは気にせず『苗木』の殲滅に従事できるということになる。 しかし、それでも、である。 『苗木』を滅ぼす前に立ちふさがる、巨竜の存在は大きい。 身の丈108メートル、最大800メートルもの水の結界――これは、『苗木』の根付いたヴィクトリアの滝の最大落差や、滝が上げる噴煙に準ずるようだ――を持つ水竜に、たかだか五人で立ち向かわねばならないのだ。「世界各地で同じような騒ぎになっていて、正直、どこも人手は足りていないんだ。なんとか、頼む」 その困難さは、誰にでも想像がつく。 と、そこへ、「なら、俺を使ってくれないか」 ロストナンバーのひとりが、静かな声を上げる。 明佩鋼(アケハガネ)=ゾラ=スカーレット。 何年か前に保護され、失った記憶を探し出すためという名目で、ロストナンバーとしての時間の大半をシャンヴァラーラで過ごしている青年だ。 剣を佩いた姿と立ち居振る舞いから、熟練の戦士なのだろうと予測は出来るが、『使う』とはどういうことかと何人かが首を傾げる中、ゾラは言葉を重ねた。「誰か、俺と契約をしてくれないか。本契約が難しいなら、仮でも構わない。そうすれば、きっと、あんたたちにとって便利な道具をお膳立てできる」 彼の言葉に従って、誰かが手を差し伸べると、ゾラは恭しくひざまずき、絶対的な支配者にするような丁寧さで――敬意と尊崇と親愛を持って、その手を取った。「ありがとう」 声には、喜色と安堵が滲んでいる。 ――彼らは目にすることになる。 ジンバブエとザンビア、双方から、ヴィクトリアの滝周辺で観光を楽しんでいた人々や、現地の住民たちを避難させ、万全の態勢を整えたのち、『仮契約』を認められたゾラが、漆黒のからだを持つ巨大人型兵器へと転ずるのを。 壱番世界ではロボットと呼ばれるだろうか。その全長は20メートル前後、いかなる金属かもさだかではない、硬質に輝く黒のボディに、腰にはゾラがいつも佩いていたものと同じ――しかし巨大化した――剣。そして、からだには甲冑めいた銀のパーツが配されている。 近未来的な兜を思わせる面では、想彼幻森で見るのとなんら変わりのない、どこか不吉な、しかし理性と意志を宿した緋色の眼が輝く。 そして、『何を思い出すことも出来ないのに、これだけは判る。――魂のレベルで、知っている。何かを護りたいと思って戦う誰かのために、俺はいたんだ。その方法だけは、すべてを見失ってなお、俺の中にある』 頭の中に直接響くその声が、『さあ……行こう、マスター。このひとときだけでいい、俺を、あんたの大切なものを護るための道具にさせてくれ』 巨大な手を差し伸べる。 内部へ乗り込み操縦することも、声で使役することも、自分の判断で戦わせることも可能だという機神兵を傍らに、彼らは巨大水竜と対峙する。 濃霧より深い水の結界をたわませて、竜は、瀑布の轟きめいた声で咆哮した。========!注意!イベントシナリオ群『侵略の植樹』は、同じ時系列の出来事を扱っています。同一のキャラクターによる『侵略の植樹』シナリオへの複数参加(抽選へのエントリー含む)はご遠慮下さい。========
1.契約 「ののの、乗りてぇッ!」 二十メートルの機神兵へと変化したゾラを前に、坂上 健のテンションはうなぎ登りだった。 「大きいお友達的窮極浪漫だろ、これ!」 漆黒に輝く流麗なボディ、巨大でありながら軽やかな動き、どこか優雅でもある所作。 明らかに機械的でありながら、ヒトの姿を兼ね添えたそれは、壱番世界のアニメーションなどで繰り返し放送されてきたものと酷似しており、非常時ではあるが、ロボット魂をくすぐるのだった。 「仮契約と本契約には何か違いが?」 片膝をつき、騎士が王の前でひざまずくような姿勢で契約者の命を待つゾラを見上げ、冷泉 律が問う。 「本契約のほうが強い力を揮えるというのなら、そちらでお願いしたいのですが。――命にかかわるリスクがあるとしても、構いません」 「そうだな、今は四の五の言ってる時じゃないし」 答えは、直接頭の中に響いた。 『特に違いはない。仮契約は一時的なもの、本契約は継続されるもの、それだけのことだ。俺から引き出される力は、契約の状態によって左右されるものではないから、心配要らない』 言葉が途切れる。 『それに』 「なんです?」 律が小首をかしげると、苦笑めいた思念が返った。 『……いや、こんなときに悠長なことを、と言われそうだが、故郷の俺には本契約者がいたのではないかと』 「ああ、それは。……判りました。では、明佩鋼=ゾラ=スカーレットに、冷泉律は仮契約を申し込みます」 「俺も申請するぜ!」 息を整え、健もまた声を上げる。 「壱番世界を護るため、ゾラの力を貸してほしい……契約を」 不具合と理不尽の大きい、幸不幸の格差の目立つどうしようもない世界だ。 しかし健には、この世界で日々を懸命に生きている命を、『どうしようもない』という言葉でくくって見捨てることは出来ない。護る力があるのなら護りたいし、皆に幸せでいてほしいと甘いことを思いもする。 その思いは、律も同じようだった。 「あなたの力を貸してください。あなたには何の関わりもない世界かもしれない……だけど、私にはたったひとつの故郷なんです。私は、この大切な場所を護りたい。そのために、どうか」 健は、律の背景を知らないが、真摯な言葉を聴けば、彼の根底に熱いものが流れていることは理解できる。志を同じくする仲間だと判れば、今この場にそれ以上必要なことなどなかった。 ゾラがひざまずいたままゆっくりと頷く。 『冷泉律と坂上健の申請を歓迎し、受理する』 厳かな思念が告げると同時に、ふたりをやわらかな光が包み込む。身体が浮かんだ、そう思った瞬間、ふたりはゾラの内部、いわゆる操縦席へと転移していた。 操縦席といっても、自動車や列車、飛行機の運転席とは全然違う。 そこは、日本人の感覚で言えば十畳程度の空間だった。 ゾラの、いかなる器官によるものなのかは判らないが、落ち着いた黒で統一されたその『部屋』には、白い光がちらちらと瞬いている。 中央には、深紅に透き通ったオーブが複数、年経た樹木のような黒銀の台座に埋まるように鎮座している。掌サイズから、大人の頭サイズまで、さまざまな大きさのオーブに触れると、ゾラを『動かす』ことが出来るようだ。 壁および天井、そして床の一部はスクリーン状になっていて、外の映像が映し出されている。機神兵化したゾラの視界なのだろうか、360度見晴るかすことが出来た。 真っ白な噴煙結界をまとい、咆哮する水竜の姿が目に飛び込んでくる。 「まずは、あの結界をどうにかしねぇと」 「そうですね……そのためには、水竜を滝から引き離すことが不可欠のように思います」 「それは俺も思ったわ。――ゾラ、あいつをおびき寄せて、あの結界をぶった斬るみてぇなこと、出来るか?」 『結界斬りは可能だ。だが、近すぎて滝ごと破壊しては困るから、やはりある程度こちらへ惹きつけることが肝要だろう。囮として危険に身をさらすことを是とするか、マスター?』 「もちろん」 「おう、任せろ!」 首肯と同時に、ゾラの背に張り付くように収納されていたスタビライザー・ウィングが展開される。かすかな振動が、足の裏を通じて伝わってくる。 「え、もしかしてこれ、飛んじゃう感じか? マジで?」 『……飛ばぬ機神兵など、ものの役に立つまい』 むしろ不思議そうなゾラの返答に、健のテンションはさらに上がった。 スクリーン下部には、ともに立ち向かう仲間たちの姿が映し出されている。 ゾラに乗り込む前、空へと放ったポッポからも、視覚情報が送り込まれてくる。律もオウルフォームのセクタンに空を飛ばしていたから、彼も同じ光景を見ていることだろう。 二足歩行の青いドラゴン、ジャルス・ミュンティが、身の丈ほどもある盾と頑丈なハルバートを手に、水竜を見据えている。 「大切な遺産や、壱番世界の人々を護るためにも……何としても、この戦いを勝利へと導きましょう!」 凛とした意志に律され、ゆるぎなく立つジャルスとは裏腹に、傍らの鬼兎は面倒くさそうだ。 「……別に俺は、世界遺産がどうなろうと関係ねーけど。まあ、壱番世界の知り合いに飯食わせてもらってるし、世界旅団も気にくわねぇし……しゃーねぇな」 がしがしと頭を掻き回し、胡乱な眼で水竜を睨みつける彼に、金の光がちりちりとまとわりついて消えた。 「さて……では、わたくしは、飛ばれぬかたに馬を提供させていただきましょう。“ゴルドワール騎士団”より、黒馬を拝借してまいりますゆえ」 ドアマンが指し示す先に、瞬きの間に扉が顕れる。 扉が開くと同時に、荒々しくも美しい黒駿が、黒い霧を引きながら飛び出してジャルスと鬼兎の前で止まる。 「武器を揮われます際は、お邪魔にならぬよう首が霧と化す仕様になっております。お役立てくださいますと幸いでございます」 基本的に、馬というのは訓練なしには乗れない動物だ。そこにはバランス感覚やリズム感が必要で、たとえ鞍があり手綱があろうとも、経験のないものが一朝一夕で乗れる代物ではない。 しかし、この黒馬は、馬という言葉で語られてはいるものの存在としては別格のようで、身長二メートル近いジャルスも、「俺馬に乗んの初めて」とおっかなびっくりの様子の鬼兎も、彼らの背に腰を落ち着けた瞬間、十年も二十年も騎手として名を馳せてきたかのような熟練の手綱さばきをみせた。 「おー、すげー。俺ちょっとカッコよくねぇ?」 上機嫌の鬼兎を見やり、ドアマンが穏やかに微笑する。 そして、再度扉を開き、 「お出で願えますでしょうか、“ギュルグイ伯爵夫人”……炎と黒煙の貴婦人、麗しき劫火の担い手たる貴いかた。お礼に、わたくしが精魂込めましたこの虹色のセクタン編みぐるみをプレゼントいたしますゆえ」 彼の領域より、深紅の炎と黒衣をまとった女を顕現させた。 明らかに人間とは一線を画した雰囲気の、高貴さのにじむ青白い美貌からは、彼女が高位の存在なのだろうと察せられる。 金の眼がチラとドアマンを見ると、彼は懐から色とりどりの毛糸で編まれたデフォルトフォームのセクタンぐるみを取り出してみせたが――ちなみに、この時ばかりは満面のといって過言ではない輝く笑顔だった――、夫人はそれを一瞥しただけで無反応を貫いた。ドアマンの肩がしょぼんと落ちる。 「そうですか……お入用ではございませんか」 可愛いですのに、と嘆息しつつ、ドアマンもまた黒馬に飛び乗った。 「セクタンぐるみの可愛らしさに関してはのちほど。まずは……あれを」 空を蹴り、黒馬が舞い上がる。 黒い霧が、不吉に――どこか優雅にたなびいた。 それらを確認し、ゾラもまた地を蹴って空へと飛びあがる。 目指すは白い噴煙、そして水の性を持つ巨大な竜だ。 「ゾラさん、ひとついいですか」 恐ろしい速さで飛ぶ機神兵の内部にて、ぐんぐん近づく噴煙結界を見つめていた律が言うと、オーブを通して首を傾げるような波動が伝わってくる。 「いえ、あの。私はあなたを道具として扱おうと思いません。あなたは、いっしょに戦う仲間です。……というのを、しっかり伝えておこうと思って」 『……そうか』 「それから、私は決して死ぬつもりで戦いません。何があろうと生きて帰るつもりです。生きなければならない理由が私にはあるからです。だから、いっしょに戦う仲間として、ぜひ力を貸してください」 オーブに向かい、頭を下げる律を、健は共感の眼差しで見つめる。 「俺もだ、ゾラ。駄目なとこも多い世界だけどさ、そんでも、愛すべきものだって多いんだぜ、ここは。だから――頼む、いっしょに護ってくれ」 オーブを伝わり返る答えは、是。 ふたりのコンダクターの願いに応えるように、光る粒子を射出しながら、機神兵は風を超える速さで飛ぶ。 ふと見上げた先、ヴィクトリアの滝の始まる岸辺に、五本の角を持つ鬼の姿があって、健は唇を引き結んだ。 「――奪わせねぇ。ここは、俺たちの世界なんだ」 深紅のオーブを強く握る。 そして、水竜に効果的な攻撃方法を模索すべく、沈思黙考の体勢に入るのだった。 2.果敢 あまりにも巨大と言うしかなかった。 昔々、壱番世界では、ドラゴンという言葉が浸透する以前、こういった存在のことを蛇と同等に長虫とも呼んだらしいが、まさにそれがしっくりくるサイズだ。身の丈百メートルを超える竜の前では、たとえ馬に乗っていたとしてもジャルスなど豆粒にすぎない。 「この大きさ……脅威ですね」 物理的な攻撃も、特殊能力による攻撃も、確実に効いてはいる。 感覚としてそれは判る。 「しかし……」 ジャルスは口を開き、雷をはらむ衝撃波のブレスを吐いた。ブレスは、水竜の、河のように体表に流れのある身体を過たず打ち据える。けっこうな広範囲を攻撃にさらされ、水竜が怒りの唸り声を上げる。が、それだけだ。 「雷撃は……効果がないわけではないようですが、劇的に効くというわけでもなさそうですね……? どちらかというと、効いているのは衝撃波のような」 むしろギュルグイ伯爵夫人の放つ炎熱のほうが噴煙結界には効果的だったし、水竜本体には、ハルバートや弓での攻撃のほうが効いている。といっても、全体的に攻撃することは難しく、少しずつダメージを与えていくしかないのが現状だが。 「……考えていても埒は明かない、か」 バイザー型のギアに、水竜の体表の硬度を表示させ、極力やわらかい部分を狙って攻撃する。 「腹部や腕、脚の付け根、顎の下、尾の裏側。その辺りの硬度は、背中や頭部の三分の二から半分です、みなさん。効果的に狙ってください」 得た情報を、仲間たちに伝えることも忘れない。 「っし、いっちょやってやるか!」 黒馬を駆り、水竜より高い位置へ駆け上がった鬼兎が、気合とともに雷撃のボールをつくりだす。成人男性の頭部ほどのサイズのボールが、二十数個、鬼兎の周囲に浮かんだ。 表面をちりちりと電流が走るさまから、そこに凝縮されたエネルギーのすさまじさが見て取れる。 「脚の付け根、狙ってみるか……引き倒せたら、戦いやすくなるかもしんねーし」 位置を見極めつつ、鬼兎が雷撃ボールを撃ち放つ。 それはばちばちと恐ろしげな音を立て、まぶしい光を引きながら飛び、狙い過たず水竜の後脚の付け根へ直撃した。硬いものを叩きつけたような、パァン、という音が響く。竜の体表を、光る筋が幾重にも走り、やがて消える。 「どうだ!」 拳を握った鬼兎の眼が、いぶかしげに眇められる。 水竜は確かに苦痛と怒りの咆哮を上げたが、それだけだった。すぐに、なにごともなかったように、目前の機神兵へと襲いかかる。噛みつかれそうになったゾラを、ギュルグイ伯爵夫人の炎熱結界が護った。次いで、ドアマンが顕現させた巨大な扉が、ゾラをまったく別の場所へと移動させる。 「くっそ、あんま堪えてねーな、あいつ!」 忌々しげに吐き捨て、鬼兎が二度三度と雷撃ボールを生み出し、攻撃するものの、やはり、劇的なダメージを与えることは出来ていない。 と、そこへ、 『……雷は、本当に水に対して有効なんでしょうか?』 真っ向から攻撃することで水竜の意識を惹きつけている機神兵から、律の声が届く。 「え? なんだって?」 『電解質を含む水は、確かに雷を通します。けど、直接落雷を受けたとか、雷が直撃した至近距離にいたならともかく、河や湖、海に漫然と落ちた雷で、水中の生物が大量死した事例はない。――無論、そもそも、平面である川や湖に雷が落ちるという事例そのものが稀有ですが』 何かを考え込む風情の律に、 『そうか……静電遮断だ』 健の言葉が重なる。 『ええ。あの竜は、特に、表面に水流がある……電気エネルギーはその流れによって弱められ、ダメージを半減させられている可能性があります。特にここは壱番世界ですから、そこに根付いた世界樹の『実』は、壱番世界の理でかたちづくられている可能性が高い』 その示唆は、雷属性の攻撃手段を得手とするジャルスと鬼兎にとっては非常に厳しいものだった。 「はァ!? じゃあどうしろって……!」 『効果がまったくないわけではなさそうですから、物理攻撃と合わせて地道にダメージを与えていくしか。あとは、水の性に、本当に効果的な属性を探し出して攻撃するか、ですが……』 何かを言いかけた律の言葉が唐突に途切れる。 「おい、ですが、なんだよ? おい、返事しろ!」 代わりに、ざざざっというノイズ。 そして、いつの間にそこまで深くなっていたのか、色濃い白の噴煙、多分に湿り気を帯びたそれが人々を包み込む。視界が乳白色に染められ、何も見えなくなった。近くにいたはずの鬼兎の姿すら定かではなく、声もまた聞こえなくなる。 静けさが、逆に不気味だ。 「参りましたね……」 ジャルスはギアのサーモグラフィおよびX線機能を発動させ、注意深く周囲の探索を開始する。熱源や、骨格もしくは核のようなものを探ろうとしてのことだが、ギアは反応しない。 「……やはり、一筋縄ではいかない、か」 とはいえ、他に手がないわけではない。 ジャルスのギアは非常に優秀なのだ。 動作反応計機能を起動させ、再度探索に従事する。 これは、動いている物質がマーキング表示されるもので、非生物の探索にも適している。これが功を奏した。 「……いた!」 いくつかの点が、ジャルスに現状を教える。 機神兵と搭乗者ふたりは滝から引き、囮役をまっとうすべくゆっくりと移動している。鬼兎は水竜の後方に、ドアマンは水竜の頭上に、そして彼が召喚した炎熱の貴婦人は竜の尾のあたりに。 当の水竜は、見事におびき寄せられ、機神兵を追って滝から離れていた。 「よし……!」 ジャルスは素早くトラベラーズノートを開いた。 声が届かず、電子機器による通信が不可能でも、壱番世界の理を超越したこのノートであれば連絡は可能なはずだ、という彼の予想は当たった。ペンを走らせ、竜が移動している旨、それは律たちに迫っている旨を知らせ、簡単な図示にて全員の位置関係を伝える。 それと同時にギュルグイ伯爵夫人が猛烈な熱風を放ち始め、それによって噴煙が少し薄れた。 噴煙全体に敵対者の行動を阻害する効能があったのか、それが薄れたことでまた声が聞こえるようになり、視界もわずかに開ける。同時に水竜本体へのサーモグラフィ・X線機能が復活した。画面を、冷ややかな青が染め上げる。 『このまま滝から引き離す。援護、頼む!』 健から力強い通信が入り、ジャルスはハルバートを強く握った。 『ジャルスさん、X線機能で水竜の逆鱗のようなものを探せませんか。何か、核が見つかれば、攻撃しやすくなるのではないかと』 律の求めに頷いて、意識を凝らす。 ――相変わらず、噴煙結界は彼らを取り巻き続け、どこか重苦しい湿気でジャルスたちを包み込んでいる。 水竜本体には、まだ衰えもみられない。 水を性とする竜を、たっぷりと水気を含んだ結界が包み込んでいるのだ、これはもう回復装置と考えてもいいだろう。 「やはり、まずはこの結界をどうにかしないと……」 対結界剣技を使うには、滝から距離を取らねば危険だという。 水竜は、律と健の目論んだ通り、自分を執拗に攻撃し続ける機神兵に怒り、順調におびき寄せられているようだ。 追走する鬼兎が、ギアでパワーアップさせた雷撃ボールで、地道にダメージを与え続けている。炸裂する雷球の光で、辺りは時おり花火のような華やかさで輝いた。 ジャルスは、ギアの画面を注視していた。 サーモグラフィとX線の画面を切り替えながら、注意深く水竜の『内部』を探っていく。 その過程で判ったのは、この竜には骨も内臓も脳も血肉も存在しないということだ。眼の形状で頭部についているものも、該当の感覚器官ではなく、ほぼ飾りにすぎないようだった。どこでジャルスたちを察知し、どこでものを考えて攻撃しているのかは不明である。 要するに、世界樹の『実』が生み出した、いびつな存在なのだ、あれは。 そんな中、 「ん、あれは……」 ジャルスは、水竜の胸の奥、体内の真ん中とも言える位置に、ひときわ黒い点があることに気づいた。サーモグラフィでは、温度の低いものほど黒っぽく映る。水温と同等らしい体表が青っぽく映っているのに対して、その点はあまりにも低温だった。 「もしかして」 ジャルスが急いで伝えると、仲間たちを昂揚が包む。突破口が見つけられたのだから当然かもしれない。 ――その時だった。 「え……」 ジャルスの足が、唐突にがくりと折れる。 急に、身体が重くなったのだ。噴煙結界が全身にまとわりつく。ひどく息苦しい。 「これ、は……!?」 結界に締め上げられている。 そう認識したときにはもう遅い。蜘蛛の巣に絡み付かれた昆虫よろしく、もがけばもがくほど身動きが取れなくなっていく。全身を圧迫されて呼吸が出来なくなり、意識がフッと遠くなる。 このままでは死ぬ、という猛烈な危機感が恐怖に変わるよりも、ジャルスの足下が大きなドアに変わり、勢いよく開いたそこに彼が飲み込まれるほうが早かった。 「!?」 驚きのあまり硬直し、気づけば噴煙結界の外に出ている。 それが、ドアマンの『扉』だと気づくのに時間はかからない。 「あ、ありがとうございます」 かすれた礼には、チャーミングなウィンクが返る。 「ほう……」 不意に聞こえた声は、世界図書館がわの、誰のものでもなかった。 ただ、そこから敵意は感じられず、ジャルスは、咽喉元をさすり、咳き込みながら、再度水竜を注視する。 3.邂逅 ドアマンは、己が魂の領域にてその男と邂逅を果たしていた。 おそらく男もまた、自身の魂のうちより、ドアマンとまみえているのだろう。 「見事な手腕――……さぞや名のある闇の貴種とお見受けする」 頭に五本の角をいただく男は、ドアマンを前に、恭しく一礼した。 「貴種を前に礼を尽くさぬは名折れよな。我が名は清 業淵(シン・ゴウエン)、遠き階層より縁あってここまで参った」 燃える赤髪に黄金の眼、漆黒の角。 世界図書館と旅団を巻き込んでの大騒動となった運動会の際、ヴォロスに現れた旅団の小グループを率いていた男だ。 「これは、ご丁寧に。わたくしはドアマンと申すものでございます。ゆえあって真名は名乗れませんが……」 不思議な男だ、とドアマンは思う。 己が故郷を滅ぼし、その結果覚醒したのだと何かの報告書で読んだ記憶があるのに、その激しさ、猛々しさは今の彼からは感じられない。猛獣のような金瞳を彩るのは、深い知性と理性ばかりだ。 ドクタークランチなるものの命を受け、手段を問わず仕掛けてくる人々とは、何かが違う。 「あなたの目的は、いったい? 別任務を受けて来られたのですか。それとも、あなたご自身の信念から?」 ゴウエンと戦うつもりはなかった。 問うてみようと思ったのは、それだけ、ゴウエンが物静かに竜と世界図書館の戦いを見つめていたからだ。まるで、司書が言っていた『探し物』が、ここにあるとでも言わんばかりに、熱心に。 「もしくは……探し物を求めて?」 ドアマンの問いかけを、ゴウエンはかすかな笑みとともに受けた。 「だとしたら、何とされる」 「事情というものを理解は致します。ですが、看過は出来ません」 「何ゆえ」 「花が美しいのは散るゆえではなく、懸命に花開くゆえ。愚かで強欲ないっぽう、無償で身を差し出す。わたくしは、この、矛盾した花の群れが愛しいのでございます」 「――それゆえに興味を抱き、現身を求められたか」 「いかにも」 ドアマンは闇の者だ。 彼の本体を目にすれば、耐性のないものは発狂し死に至る。それほどの、高位のものである。 確かに、戦いを愉しむ血を持っている。 しかし、同時に、協力して護ることへの喜びもまた、彼は見出していた。 「たとえ果てようと、この地と命を護れるなら本望と。そう断じてここにおります」 闇の者の業と本質を超え、辿り着いた答えと、彼の中で確かにはぐくまれている感情が、ドアマンを衝き動かす。果てなき命を持つがゆえではなく、我が身とほかの命を天秤にかけて、護るために戦えるなら悔いはないと思えるだけのものを、彼は人間という生き物から得ていた。 胸を張り、静かに断じる彼を前に、ゴウエンは陽気に笑った。 磊落に、楽しげに、満足げに。 「貴殿はすでに見つけておられるのだな。羨ましいことだ。同時に、たとえようもなく佳きことと存ずる」 そこに、世界樹旅団員としての敵意はなかった。 「不躾な質問をしても?」 「無論、貴殿ならば」 「己が故郷を滅ぼされたとお聞きしましたが……あなたのようなかたが、なにゆえ?」 ドアマンの問いに、ゴウエンは驚くほど――いっそ、せつないほど、静かに微笑んだ。 「――我が巫女が、望んだゆえ」 端的に答えたのち、彼の姿は掻き消える。 『リンクが切れた』のだろう。 ドアマンはしばし沈黙し、彼の残滓を追ったあと、自分もまた戦場へ戻るべく現実へと意識を引き戻す。沈黙したのは、彼が発した巫女という言葉に、濃厚な死のにおいを感じたからだ。 「死にゆくものの願いを叶えて……覚醒されましたか、鬼神よ。そして、それゆえに、何かを探しておられる?」 背景など何も判らないが、ドアマンはそこに、自分が人間に抱くのと似た、慈しみめいたものを覚えたのだった。 邂逅はしかし、現実においては一瞬のこと。 ――すぐに、戦いは再開される。 4.熱波 ジャッ! 岩をも切断する高圧水流のブレスがゾラの装甲を貫き砕く。 スクリーンが一瞬揺らいだのは、彼の苦痛のゆえだろうか。 「大丈夫かッ、ゾラ! くそ……ごめんな、痛いだろ……でも、すまねぇ、耐えてくれ!」 健が、歯噛みしつつ次々に指示を出していく。 ジャルスから送られてくるデータを参考に、細かく立ち位置を変え、水竜を斬り続ける。 動き回り続けるのは、踏みつぶされたり叩き潰されたりしないように、だ。いかに今のゾラが全長20メートルといえども、その五倍のサイズを持つ竜に蹂躙されて無事でいられる保証はない。 強化された鬼兎の雷撃ボールが弱い部分を狙って放たれ、さすがにダメージが蓄積してきたのか水竜がよろめく。怒りの咆哮とともに水竜が再度吐いたブレスは、ドアマンが顕現させた扉に吸い込まれ、続いて出現した扉によって水竜へと還された。 目障りな連中を叩き潰そうと振り上げられた前脚は、ジャルスの衝撃波ブレスによって位置をずらされ、仲間たちには届かない。 全員が懸命に闘っている。 巨大さというハンデをものともせず、誰もが最善を尽くしている。 ヴィクトリアの滝から水竜を誘導して進み、どのくらい経っただろうか。 『……よし、この距離なら行ける』 ゾラのつぶやきが聞こえたかと思うと、オーブのひとつが剣のかたちになった。 『律、揮ってくれ。あんたの願いで、剣はさらに力を持つだろう』 律は唇を引き結び、深紅の剣へ手を伸ばす。 握り締めたそれは力強かった。 「そうだ……」 奥歯を噛みしめて四肢に力を込める。 眼前には、白い噴煙結界をたわませる水の竜。 ――あれを倒さねば、世界の誰かが喪われ、誰かが涙することになる。 「絶対に、負けない!」 思いは、咆哮のごとくにほとばしった。 「父さん母さんの生きた、愛したこの世界を渡しはしない……誰も、死なせないッ!」 たとえ滅びの未来が迫っているのだとしても、それは今この時ではなく、また、そんなものは斬り捨ててみせると律は断ずる。ちっぽけなコンダクター風情がと誰に嘲笑われても、律は構わない。 なぜなら、彼はひとりではないからだ。 たくさんの人たちに支えられて立っている。彼の二本の脚には、たくさんの人たちの思いが込められている。それを思うにつけ、律の胸は、感謝と愛情、そして強い使命感でいっぱいになる。 「俺は今、ひとりで戦ってるわけじゃない。みんな、世界中で最善を尽くしてる。――怜生だって、戦ってる。情けないことを、言っていられるか!」 強く熱い感情を載せて踏み込み、剣を振り下ろす。 ぎゃっ! 轟音とともに、巨大な剣が結界を斬り裂く。 同時に、剣から氣の刃が九本放たれ、水竜の長大な身体を貫いた。 噴煙結界が霧散し、太陽の光が差してくる。 水竜は、斬り裂かれた身体から、疑似血液とでもいうべきか、水をぼたぼたとこぼしながら身悶えている。 「すげえ、律!」 「……ギアの力を認識してくれたようです。それより、来ますよ!」 明らかに苦痛の色を載せて吼え、水竜がこちらへ突っ込んでくる。それは彼らの予想をはるかに超えた速度で、回避が間に合わない。 ガッ。 真正面から突撃され、ゾラが吹っ飛ぶ。 当然、中にいるふたりも激しい衝撃に見舞われ、転倒した。 受け身を取ったが、完全には間に合わず、身体のあちこちをぶつける。 「うわあッ!」 スクリーンが赤い光を帯びたのは、受けたダメージのせいだろうか。悲鳴も泣き言も、漏らすようなタイプではないと判っているものの、心配になる。 「だ……大丈夫ですかっ。今のは、相当……」 『……心配ない。行こう』 声がかすれていたのは、気のせいではないはずだ。 しかし、この状況において、他にどうすることも出来ない。 「くそッ」 健が歯噛みする。 「ゾラは道具じゃねぇ、俺たちと同じ仲間だ……本当は傷ひとつつけさせたくねぇよっ! それでも滝を破壊させるわけにはいかねぇんだ……あいつを解き放つわけにはいかねぇんだ!」 咆哮する水竜を前に、汗だくの鬼兎が雷撃による攻撃を続けている。 ジャルスからは、ひっきりなしに、修正され精密さを増してゆくデータが送られてくる。 ドアマンはそんなふたりを扉によって護りながら、ギュルグイ伯爵夫人の炎熱を巧みに誘導し、水竜が再び噴煙結界をまとおうとするのを阻止し続けている。 役目を果たすほか、方法などないのだ。 「すまん、ゾラ……堪えてくれ!」 『問題ない。務めを果たす、それだけだ』 再度突っ込んできた水竜を避け、距離を取る。 「ゾラさん、水竜を地面に抑え込むことは出来ませんか!? わずかな時間でも構いません!」 ジャルスの要請に応え、ゾラがワイヤー状のものを射出して水竜へ絡み付かせ、全身の力で引き倒す。ずいぶんダメージを受けていたのもあって、水竜はよろめき、どおおん、という轟音とともに倒れた。 「よし……!」 跳躍したジャルスがハルバートを揮う。 びぢっ、という濡れた音がして、水竜の皮膚が一文字に斬り裂かれた。 それは、胸の中央、身体の中心。 「ここです、みなさん! ここの奥に『核』はあります!」 つけられた『しるし』に、誰もが奮起した。 拘束を振りほどき、怒りの咆哮で周囲を震わせる水竜だが、心なしか声には力がない。――弱ってきているのだ、確実に。 「よし、最終決戦だ! 雷は効かなくても、高温なら効くだろ!」 鬼兎が高圧電流を練り上げる。 ややあって、彼の周囲に、今までの倍以上、五十近い雷撃ボールが浮かび上がった。まぶしいほどの光は、そこに込められたエネルギーが今までの比ではないことを教える。 「なあ、ヒートソードっぽい何かないか、ゾラ!? 水分を完全に蒸発させながら斬りてぇんだ!」 「それならば、我々にお任せを」 声は、彼らの頭上から。 ドアマンとギュルグイ伯爵夫人がそこには浮かんでいる。 「お願いいたします、マダム」 慇懃にかしずくドアマンへと鷹揚に頷いて、夫人が手をかざす。美しく整えられた真紅の爪が光を放つと、ゾラの剣に炎が宿った。 時を同じくして、律と健の前には深紅の剣があらわれる。 それは赤いオーラを立ちのぼらせながら、自分を揮えと主張していた。 ふたり同時に剣を握り締め、脚に力を入れて踏み込む。 「っしゃあ、行くぜ、ゾラ! 究極奥義、星覇斬!」 健が高らかに技の名を叫び、律は裂帛の気合いとともに剣を振り下ろした。 切っ先はあやまたず胸元の『しるし』へ。 刃が水竜を貫き、斬り裂くと、水竜をかたちづくる水が蒸発し、傷口が灼(や)かれていく。滝が轟くような声で竜が吼えた。 「うっせーよ、いい加減くたばれ……!」 広がった傷口へと鬼兎が超高熱の雷撃ボールを叩き込む。切り口は煮え立ち、溶けてまた広がっていく。 律は、剣を握る手にさらなる力を込めた。 「これで……終わりだ!」 気合一閃、剣を振り抜く。 ガチン、と、切っ先が硬いものを砕く感触があって、 ギャアアアアアアアア! 竜が長大な身体をのけ反らせ、痙攣する。 ぽっかり開いた大きな口から、眼から、鼻孔から、ごぼごぼと泡立った水――というより、湯だ――があふれ出てきた。それは止まらず、ごぼごぼごぼごぼと流れ落ちてゆく。 ぐぐぐ、と唸った竜が、せめて、とばかりに尾を揮い、前脚を振り上げたが、 「わたくしをお忘れになっては困ります」 それらが当たる前に、ドアマンの扉が人々を飲み込み、安全な場所へと移動させる。 水竜は、悔しげに吼え猛りながら辺りを踏みしだき、身悶えたものの、狂乱もそこまでだった。ひときわ大きく痙攣し、それきり水竜は動きを止めた。流れ落ちる水に紛れて、水竜本体が小さくなっていく。 消えていくのだ。 「――やった!」 健が快哉を叫ぶ。 その視線が、滝上部にそびえ立つ世界樹の苗木を捕らえる。彼が言葉を口にする前に、鬼兎の雷撃ボールと、ジャルスのブレスが、諸悪の根源たるそれをやすやすと包み込み、灼き尽くした。 あっけなく、終わりは訪れる。 同時に、ことの次第を傍観していたゴウエンもまた姿を消した。 「……あいつの目的って……?」 健が首を傾げ、律がさあ、と返したのと、ふたりが光に包まれて外へ降り立ったのはほとんど同時だった。 目の前では、人の姿を取り戻したゾラが、地面に座り込んでいる。目立つ傷はなかったが、相当疲れたらしく、ぐったりしていた。 「っと、大丈夫か、ゾラ! 無理させてごめんな、でも、助かった」 「ありがとう、お疲れさまでした」 労いに、ゾラからはどこか誇らしげな笑みが返る。 鬼兎とジャルスが駆け寄ってきて、皆で健闘を讃えあい、ひとまずこの地を護れたことに安堵する。 「さて……我々の戦いはひと段落といったところですが、他の皆さまはいかがなされていることやら」 黒馬と夫人を扉の『向こう側』へと還し、ドアマンが遠くを見やった。 しかしながら、彼が律と同じ気持ちでいることは明白だった。 「だいじょうぶですよ、みんな、やり遂げてます」 「ええ。わたくしも、そう確信しておりました」 ドアマンから茶目っ気のあるウィンクが返り、律はくすっと笑って額の汗をぬぐう。 全身を包む疲労も、戦い抜いた誇らしさに均しい。 親友と再会したら、彼のこともしっかり労ってやろうと心に決め、律は帰途につくのだった。 ――こうして、この地での戦いは世界図書館の勝利に終わる。 世界樹旅団との確執を引きずりつつも、ひとまずは。
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