ゴシック様式のきらびやかな建物が、蔦薔薇に包まれている。ウェストミンスター寺院も聖マーガレット教会も、数時間前に突如現れた蔦薔薇に覆われていた。二種の蔦薔薇は、それぞれ赤と白の花を咲かせている。 だが、深夜である現在は街灯がわずかにその壁を照らすだけであり、観光客もいないことからその異変に気づいた者は少ないだろう。しかし、その異変はまもなく周知のものとなる。 ウェストミンスター宮殿もまた、蔦薔薇に覆われていた。ビッグ・ベンからヴィクトリア・タワーまでの全長300mに渡って蔦が絡みつき、花が咲いていた。 そして、宮殿の中庭には――。「ノアの薔薇のお陰で、苗木が育つまでの間気持ちよく過ごさせてもらったよ。刺さえなければ薔薇の褥は良いものだな」「ヒューバートさんを傷つけるわけには行きませんからね。薔薇にはヒューバートさんが寝る部分だけ、刺を出すのを遠慮してもらいましたよ」 30代前半くらいの金髪の男が伸びをするようにして立ち上がる。顔を上げれば10m程に育った巨木の葉が、月の光を遮っていた。10代後半位のブルネットの少年がつられるように巨木を見上げた。もう実がなり始めている。「電気系統に干渉して、宮殿と寺院、聖マーガレット教会の電気を落としておいたからね、暗くて申し訳ないね――っと、そうか、君も暗視の技能持ちだったね」「ええ。問題ないですよ」 男たちのいる中庭は暗闇に包まれていて、常人であればそこに人が立っていることすら見分けられぬだろう。宮殿内に残っていたと思われる議員や管理の者達も、突然落ちたままの電気に戸惑うばかりだ。「携帯電話の電波はいじれないんですか? 外で蔦を切ろうとする動きがありますよ」 ノアと呼ばれた少年は小さくため息をついた。彼は蔦薔薇に触れた者を感じることができるようである。恐らく誰かが携帯電話で外に知らせたのだろう。そして駆けつけた者が入り口も窓も全て蔦薔薇で厳重に覆われていることに気がついて。蔦を切ろうとしているのだろう。さすがに焼こうとするものはまだ出ていない。建物に延焼することを危惧しているのは明らかだ。「まあ、できないこともないが、別にいいじゃないか。むしろ楽しみが増えたと思えばな。ほら、始まる」 ぶるっ……。 見上げた巨木が枝葉を揺らした。見あげればいつの間にか「実」は大きくなっていて。 ぴりり……ぴりり……。 「実」に亀裂が入り始めた。 なにかが、生まれる――!? とっ。とっ。とっ……次々と実から降り立つのは、中世イギリスの騎士・兵士達。槍、剣、弓……様々な獲物を手にし、中には馬に乗ったものもいる。 彼らはそれぞれ白薔薇の紋章と赤薔薇の紋章をつけていた。その紋章を見ては一触即発の雰囲気であるのを中年男、ヒューバートが止めに入る。「ヨーク家の白薔薇の騎士たちよ、ランカスター家の赤薔薇の騎士たちよ、我々の敵は互いではない!」 その声で自分達が顕現させられた意味を思い出したのか、彼ら半分が建物を超えて外へ、半分は建物の中へ。それぞれ生き物を滅するためにと出撃していく。 うわぁぁぁっ…… ぎゃあ、助けてくれっ……! 悲鳴が、聞こえる。 騎士・兵士達は次々と生み出されていく。 生あるものを、殲滅するために。「こいつらを使うまでもなかったかな」「そうですね」 暗闇で頷き合う二人の背後には、頭に当たる部分に鈴蘭の花を咲かせ、足元の葉を足として歩行する小型ワームと、頭に当たる部分に夾竹桃の花を咲かせ、同じく足元の葉を足として歩行する小型ワームの姿があった。 程なくして、悲鳴は消える。 しかし悲鳴に導かれて訪れる獲物が、新たな血を流してくれるのだ――。 *-*-* 予言された未来は、世界樹旅団によってもたらされる。 世界司書が知った出来事はまだ不確定な未来だ。しかし、このままでは確実に訪れる出来事でもあるのだ。 壱番世界各地の「世界遺産」をターゲットに、何組かの旅団のパーティーが襲来することが判明した。かれらは「世界樹の苗」と呼ばれる植物のようなものを植え付けることが任務のようだ。その苗木は急速に成長し、やがて、司書が予言したような惨劇を引き起こす。 言うまでもなく……「世界樹の苗」とは、世界樹旅団を統べるという謎の存在「世界樹」の分体だ。 だが、この作戦を事前に察知したことにより、世界図書館のロストナンバーたちは、苗木が植え付けられてすぐの頃に到着することができるだろう。周辺の壱番世界の人々を逃がす時間は十分に確保できるはずだ。 むろんそのあとで、苗木は滅ぼさねばならない。苗木は吸い上げた壱番世界の『歴史』や『自然環境』の情報をもとに反撃してくるであろうし、旅団のツーリストも黙ってはいない。 司書は、引き続き、戦うことになるはずの、敵について告げる。 *-*-* 集められたロストナンバー達と机を挟んだ向かいに座る世界司書、紫上緋穂は難しい顔で導きの書を見つめていた。ロストナンバー達がそれぞれ席に着くと、ふぅ、と深い息をついて。「みんな、世界樹旅団が壱番世界の世界遺産で悪さをしようとしていることは知ってるよね」 その言葉にロストナンバー達は頷く。人海戦術を駆使して旅団の企みを突き止めたのは、ほかならぬ彼らなのだから。「『世界樹の苗』が植えられる場所が2箇所、わかったの。もう1箇所については改めて説明するから、今回はイギリスの物について説明するね」 苗木が植えられるのはウェストミンスター宮殿。しかし隣接しているウェストミンスター寺院と聖マーガレット教会にも被害は及ぶという。「苗木は巨木に育つと『実』をつけるの。その実からは苗木が吸い取った土地の歴史に関わる物が生まれる――今回の場合は薔薇戦争の時に戦った、白薔薇を擁するヨーク家の兵士と騎士、赤薔薇を擁するランカスター家の兵士と騎士がたくさん生まれるよ。当時は互いに30年も争った仲の悪い2家なんだけど、今回ばかりは協力して近くの生命を殲滅していくよ」 協力してひとつの目的に向かってはいるが、さすがに完全に相手を意識していないというわけではないらしい。ちょっと刺激すれば、もしかしたら……。「薔薇戦争とは! これはなんと我輩に相応しき高貴な名前だ!」「あー……うん」 ガタンと机を揺らして立ち上がり、トラベルギアである『世界を革命する剣』を抜いたのはそう、ブラン・カスターシェン。 ふわっとした白い毛並みが気になるが、いろんな意味であまり触れてはいけない気がする。見ているだけで満足したほうがいいかもしれない。「えーと、みんなが早めに計画に気がついてくれたおかげで、苗木が巨木になる前にたどり着けるよ。だから近くにいる一般人を逃したり救出する時間はあるんだ。幸いなのは、時間が深夜であること。宮殿には観光客はいないよ。周辺を通り掛かる人はいるかもしれないけど」 で、と緋穂は一呼吸おいて。「まずいのは4つ。 まず1つ目は、宮殿と寺院と教会の建物は、赤と白の花を咲かせる蔦薔薇に強固に覆われていること。壱番世界の童話の『いばら姫』のお城みたいな感じ。この蔦薔薇、普通の刃物じゃ切れないし、普通の火じゃ燃やせないの。でも『普通じゃない』刃物や火なら……。 2つ目は、この蔦薔薇はどうやら使役している旅団ツーリストの意識と繋がっているらしいこと。蔦薔薇に触れると、何処でどんな人が触れたか相手には伝わるよ。だから、こちらがこじ開けようとしているって分かると思う。 3つ目は、相手ツーリストの力のせいで、施設の電気系統が全て落とされているってこと。外は生きている街灯があるかもしれない。でも、中は真っ暗。相手は暗視の能力を持っているみたいだから、何とかして明かりを確保するか夜目が効かないと辛いかも。 4つ目は、宮殿の中に蔦薔薇に閉じ込められて残っている人がいること。夜中だからほんの数人だと思うけど、宮殿の中にある1100以上の部屋のうち、何処にいるのかわからないの。『実』から出た兵士達は、近くの生あるものを滅するべく、宮殿の中にも入り込んで生者を探すよ」 つまり、蔦薔薇に触れぬようにして空からなり転移なりで中庭に奇襲を掛けたとしても、実がなってしまえば宮殿内の人達の命はない。「薔薇のオンパレードであるな。実に幻想的で我輩好みだ。我輩の剣の見せる薔薇とどちらが素晴らしいか――」「はいはい、次行くよー」 とりあえず別の意味でやる気満々のブランは勝手に喋らせておくとして、緋穂は続ける。「次は旅団ツーリストの説明ね」 緋穂はメモ書きにイラストのついたプリントを皆に配った。「金髪の中年男性がヒューバート。リーダーみたいだね。こいつが電気系統に干渉したんだよ。ちょっとそれ以外の能力は不明」 武器らしいものを持っているようには見えなかったという。注意が必要だろう。「もう一人、肩より少し長いくらいのブルネットの髪の少年はノア。この子が蔦薔薇を操っているよ。植物を自由に使えるみたいだね。こっちも、武器っぽいものは持っていないんだよね……」 しかし植物も変化させれば武器となる。普通の方法で切れぬ植物が、普通であるはずがない。「あと、植物が二足歩行で立ったような姿の小型ワームを2体連れてるから注意してね。鈴蘭型と夾竹桃型。どっちも元の植物は毒性のあるものだね……」 そこまで言って、緋穂は視線を落として小さくため息をついた。さすがにブランも空気を読んだのか、一度黙った。「もっと詳しく予言出来ればみんなの戦いも楽になるのに……ごめんね、あまりわからなくて」「そんな……」「被害者が出れば、深夜でも次々と人が集まってきて、新たな悲劇が生まれるから……なんとしても、成功できるような情報を出さないといけないのにっ」 自らがその地に赴いて事件解決に携わることができない分、なるべく多くの正確な情報を与えたい。 自らが予言した事件で実際に傷ついたりするのは現地に赴くロストナンバー。だから、彼らの任務がつつがなく進むようにとどんなひどい状況でも目をそらさずに『視る』つもり。 世界司書としての職業意識とジレンマが緋穂にそのような言葉を紡がせたのだろう。「行ってきます」 誰からともなくチケットに手を伸ばすと、「……、行ってらっしゃい!」 いつもロストナンバー達の背中を押す、明るい声が返ってきた。========!注意!イベントシナリオ群『侵略の植樹』は、、同じ時系列の出来事を扱っています。同一のキャラクターによる『侵略の植樹』シナリオへの複数参加(抽選へのエントリー含む)はご遠慮下さい。========
● 深夜のロンドン。 ウエストミンスター宮殿は蔦薔薇に包まれたその姿を、離れたところにある少しの街灯によってぼうっと浮かび上がらせていた。深夜であること、電源が落とされているがゆえに室内から漏れだす照明や街灯が煌々と蔦薔薇を照らしだしていないことが幸いし、今のところ辺りにひとけはない。だがこの後もそうだとは言い切れないので作業をすすめるのだとしたら、素早くせねばならない。 ゴシック建築の粋を集めたような宮殿は、深い蔦薔薇に覆われている。それを優美だと感じるのも、多すぎる蔦薔薇が様式と釣り合っていないと思うのも見る人次第。 「やべーな、蔓薔薇に覆われた宮殿ってのもなかなかじゃねーの」 古城 蒔也の言葉だけを見れば前者に思える。が、厳密にはどちらにも当てはまらない。 (爆破してぇ) だって、そこから導き出される感情は、破壊衝動なのだから。正直に言ってしまえば苗木とか人命救助には興味がなく、ただ宮殿が見たかっただけ。依頼をこなすのは見学料を払うため、そんな気持ちではあるが、仕事は確実に達成する主義である。もちろんしっかり働くつもりだ。 「蔦薔薇はどうするつもり? 排除する? それともスルーして中へ入ってしまう?」 シレーナが仲間達を振り返って問う。彼女自身は蔦薔薇をスルーして空を飛んで中庭に降り立つつもりでいたが、聞いてみれば飛行できる者は少なかった。必然的に飛べない者は蔦薔薇を排除してから進むことになる。中庭にいるノアに伝わってしまうが、それは織り込み済みだ。 「蔦薔薇を切る手段を持っている人は多いみたいだし、お任せしたいかな」 声を上げたのはアルド・ヴェルクアベル。彼はヒゲを弄るようにしながら続ける。 「僕は霧に変化して、内部へ先行するよ。それで残された人を探す」 「貴殿一人で大丈夫かね」 もふもふ仲間(?)にブラン・カスターシェンが声をかける。アルドは大丈夫だよ、とウィンクしてみせた。 「暗闇なら元々夜目が効くから大丈夫、霧変化してれば物音も立たないはずさ。取り残された人の居場所を見つけたらブランにメールするよ。だから」 「ええ、後は引き受けるわ」 「わかったわ。後は任せて」 後を引き取ったのは東野 楽園と華月。二人とも残された人達の避難誘導を考えていた。 「中庭にある世界樹の苗木の場所も、皆にメール送信するからね! じゃあ行ってくるよ」 言うやいなやアルドの姿は文字通り霧散する。蔦薔薇は扉や窓の開閉を妨害しているかもしれないが、人が過ごす場所である以上必ず何処かに隙間があるはずだ。そこを見つけてアルドは侵入を試みるつもりである。 「で、蔦だけど。俺は正直お手上げ」 両手を使ってお手上げのポーズを作る蒔也。植物は彼の能力では爆破できぬし、仮に爆破したとしたら多分――いや確実に怒られる。建物自体も無事では済まないのだから。ギアの銃も建物を傷つける可能性が高い。 「楽園ちゃんの鋏なら切れる?」 「勿論よ。私のギアは鋏。触れたモノ全て腐らせる」 シャキンっ……楽園が指を動かすと、鋭い刃が合わさって耳にするだけで痛い音が夜陰に響いた。 「私もギアで手伝うわ」 申し出た華月はギアの槍を1.6m程に伸ばし、切り裂く構え。ギアのナイフに水分纏わせてウォーターチェンソーに似たものを創りだしたシレーナも「私も」と蔦薔薇へ向かう。 「おおー。お姫様達三人ともすげー。がんばって~!」 蒔也が適当な応援を送る。ついでに「我輩もギアで」と剣を抜こうとしたブランの肩をポンと叩いて。 「騎士様の出番はもっと危機的な場面だぜ?」 正直に「三人で十分だから、邪魔になる」と告げなかった蒔也は優しいというよりちょっと面白がっているのかもしれなかった。 ザシュッ……ザシュッ……シャキン、チョキン…… 宮殿まわりの闇に、不似合いな音が響きわたっていく。 ● その頃、先に宮殿内へと侵入したアルドは霧の姿のまま移動していた。 (世界樹……それを根付かせる為にはこんな惨状を起こさなきゃいけないの?) 床を伝って生える蔦薔薇に触れぬように、さぁっと空気に乗って流れていく。人の気配や声、物音にすぐにでも反応できるように気を張りながらも、考えてしまう。 (ナラゴニアと言う所もそうやって生まれたなら……、世界樹旅団は。これからも様々な世界を、こうやって滅ぼしていくつもり?) 今までも、これからも、ずっと? ――アルドの中でふつふつと怒りが大きくなっていく。 (そんなこと……させるもんか!) 怒りと反発の意思を強くして改めて思う。旅団の企みのもたらす悲劇を止めるためにも、残された人々を早急に見つけねばならない。 タッタッタッタッ…… 「!?」 アルドの聴覚が小走りで駆けるような足音を捉えた。その足音のする方へと動くと、懐中電灯の小さな光がひとつ。よく見れば議員と思しき壮年男性が恐怖に青ざめた表情で何処かへ向かっていた。 (急にこんなことになれば怖いよね、当然だよ) アルドは彼を追うようにして移動する。すると暫くして到着したのは、ひとつの大きな部屋。 「戻りました。一応他の議員と職員を探しましたが、残っているのはここにいるだけみたいです」 男は他に居残っている者がいなかったか探しに行っていたようだ。状況のわからぬ緊急時ゆえ、皆でひとところにまとまっていたほうがいい、そう判断したのだろう。助ける方からしてみればある意味ありがたい。 もう一度出入口の様子を見に行こう、テレビを付けてみよう、外からどんな様子になっているかわからぬのだからじっとしていよう――さながら議会の会議中のように今後の対応について紛糾しているのをよそに、アルドは扉の外でこの部屋の位置を記してブランへと送った。 そして彼は、携帯電話で「宮殿が蔦薔薇で覆われて出ることができない」なんて夜中に言ってもはた迷惑な悪戯にしか聞こえない内容を精一杯信じさせようとしている彼らの元を去り、今度は中庭へと向かう。 先行した以上、先手を打ってやれることは全てやっておくつもりだ。 *-*-* 結論から言おう。ブランは両手に花だった。 一体何を言っているのだと思われるかもしれないが、実際にそうなのだから仕方があるまい。 美しさの奥にしたたかな毒を宿した花と、しなやかさと強さを抱いた花。 「エスコートお願いね、可愛い騎士様……無事守り抜いたらご褒美のキスをあげてよ?」 「それはそれは光栄なことであるな。褒美の口づけは毒のスパイス抜きでお願いしたいところだが」 「ふふ……それは貴方の働き次第ね」 大仰な動作で楽園の求めに対して手を差し出したブランだったが、エスコートしようとしたその手は軽く叩かれて。 「そんなことしては露払いができぬでしょう?」 言外に、それくらい察して頂戴なと言われた形でブランは手を引っ込めようとする。そんな彼の手に、楽園の反対側からランタンが押し付けられた。 「ブラン、頼りにしているわ。目的の場所まで、蔦薔薇を何とかして私達を導いて頂戴ね」 足元に五芒星の魔方陣を浮かび上がらせながらもうひとつのランタンにも結界を張っているのは華月。手に下げる袋には数十個のミニライトが入っていた。 「承知いたしました、姫……こんな感じでいかがかな?」 芝居がかった様子で深く礼をとって、笑みを浮かべるブラン。 「頼りにしてるわ」 本音か社交辞令かは分からないが、華月は告げる。この場でブランの機嫌をそこねないのも重要だ。 「騎士様、行きましょう。アルドからのメールに書かれていた場所は、上院の会議場だと思うわ。宮殿は英国議会を兼ねる、居残ってるのは殆ど議員のはず」 「それでは二人の姫君をお守りしよう。我が『世界を革命する剣』よ、我らが栄光の道を阻む悪意を露と消し給え!」 ざしゅっ……ざしゅっ…… いちいち台詞回しが気になったりもするが、きちんと仕事はしてくれている。所々行く手を阻んでいる蔦薔薇を、ブランは剣で切り裂いていく。楽園はそれについていく形で悠々と歩みを進め、華月は数メートル間隔でミニライトを置いていった。避難の際の目印とするためだ。 「はっはっはっ! 我輩の相手として恐るるに足りないな!」 ブランは上機嫌で蔦薔薇を切り裂いて進んでいる。 「少しうるさいけれど、ある意味良い囮よね」 「蔦薔薇から、派手に斬られている事実は伝わっているはずだし、ね」 背後の楽園と華月の間でそんな会話が交わされていることに、騎士様は気がついていなかった。 *-*-* 「! お、メールだ」 念の為にと宮殿内では蔦薔薇に触れぬように、空中を泳ぐようにシレーナは移動していた。蒔也の声を受けて広い廊下で一旦止まる。共に進んできた蒔也は暗視ゴーグル越しにノートを確認して。 「ははぁ、やるな。苗木の場所がわかったらしいぜ。だが、問題がある」 「え?」 アルドからのメールは苗木の場所を知らせるものだった。広い中庭を探しまわらぬとも済むのはありがたいのだが――蒔也の言葉にシレーナは眉根を寄せて。 「現在地がわからないからな! メールの示す場所が何処なのかもわからないぜ!」 確かに宮殿はとてもとても広い。迷ったら最後、一人で外に出られる自信のないものも多いだろう。シレーナは小さくため息をついて。 「何処かに案内板みたいなものがあるんじゃないの? それを頼りに考えて……後は、庭だから、部屋が固まっている側と反対側に移動していくとか考え方はあるわ」 「なるほど、シレーナちゃんあったまいいな」 「案内図とかあったら、読み取りはお願いね?」 蒔也は暗視ゴーグルをつけていたが、シレーナは自身の周りに散らせた霧と感覚を共有することで暗闇を移動している。触覚的な感覚が主のため動作は多少ゆっくりになる。そして霧が触れても文字は読めない。だからその辺は蒔也に頼るしかなかった。 「ああ。……いっそのこと壁ぶちぬいて進めりゃ早いよな?」 「駄目よ」 「だよなぁー」 間髪入れず釘を差され、蒔也はとても残念そうに言葉を漏らした。勿論、駄目なことはわかっていたが、言ってみたかっただけだ。 二人は再び、中庭目指して移動を開始する。 *-*-* 建物の中としてはそこそこの距離を歩いた気がする。 「この角を曲がったところから光が漏れでているわ」 先行して曲がり角の向こうの様子をうかがっていたオウルフォームセクタンの毒姫と視界を共有している楽園が報告する。となればまもなく会議場だ。 コツコツコツ……響く三人の足音が聞こえたのか、角を曲がると件の部屋の扉が少し開いていた。そっと、隙間から廊下を覗き見ている目がある。 「人か! 君たちも閉じ込められ……いや、違うか」 扉を開け放って出てきた壮年男性が三人の事を見て声を上げた。ブランの姿が問題にならないのは旅人の外套効果だろう。それを除いても少女二人がこんな時間にこんな場所にいるのはおかしい。閉じ込められたわけではないだろう。男の頭の中が素早く結論を導き出す。 「助けに来てくれたのか!?」 その声を聞き止めたのだろう、「助け?」「助けが来たのか!」「信じてくれた人がいたんだな!」……肯定を返す前に部屋の中からぞろぞろと人が顔を出す。 「ええ。助けに来たのよ」 楽園の艶然たる微笑は、背徳感を伴う女神の微笑に見えたかもしれない。 「安全な道筋にこのミニライトを配置してあるわ。彼が誘導するから、皆さん慌てないで彼とともに脱出して」 華月の闇に溶けるような漆黒の髪。紫の瞳が誘惑するように光って見えただろう。 「わ、わかった!」 男が室内へ入り、事情を説明している。しばらくすると支度を整えた十人前後の人々が扉の外へと歩み出た。 「では、我輩が貴殿らを安住の地へと導こう。準備は良いか?」 キラン……抜き身の剣がランタンの灯りを受けて光った。人々が息を呑む。 「だ、大丈夫だ。出口まで連れて行ってくれ」 さっきの壮年男性が先頭で声を上げる。 「我輩に続くのだ!」 兵を先導する将軍にでもなった気分なのだろうか、揚々と来た道を戻るブラン。 「本当、『可愛い』騎士さんね」 額面通りに受け取れないトーンで呟いて、クスリと笑う楽園。華月は会議場の中をもう一度調べて、逃げ遅れた人がいないかチェックする。 「全員ブランについていったみたいね」 「じゃあ、私達も行きましょ」 頷き合い、二人は中庭に向かって――正確に順路がわかっているわけではないから華月の耳が拾う音を頼りに――小走りで進み始めた。 ● 苗木の成長は順調だ。後少しで『実』を作り出せる大きさに成長し切るだろう。ヒューバートはかなりの大きさに成長した苗木を見上げる。 ノアによれば侵入者が――恐らく世界図書館の者だ――あったようだが、彼らは中庭とは違う方向へと進んでいたらしい。その間に、世界樹はぐんぐんと成長していく。 「ヒューバートさん、中庭に面した廊下の辺りに一人、人間がいるようです」 「苗木もこんなに大きくなったんだ。そろそろ気づかれても仕方ないだろう。だが一人だろう? 仲間が来るまで手を出せないんじゃないか?」 ノアの報告を受けてヒューバートはくつくつと笑う。今はまだ苗木の側を離れる訳にはいかないが、後少しすれば自分達も積極的に攻勢に出ることができるのだ。 「他の方向へ向かっていた反応が移動してますね。こちらへ向かってきているものもありますが……」 「『実』が成るのと奴らが合流するのと、どちらが早いだろうね?」 くつくつくつ……暗闇の中に抑えた笑い声が舞った。 *-*-* 「『実』から兵士達が生まれる前に苗木を倒せれば一番いいと思うんだ」 中庭でアルドと無事に合流したシレーナと蒔也は中庭に面した廊下で対応を検討していた。先ほど楽園からブランが一般人を連れて出口へ向かっているとの連絡があった。程無く彼らは脱出するだろう。あとはブランが、片がつくまでの間他の一般人の侵入を阻んでくれることを祈るのみ。幸い蔦薔薇を開けた出入口はひとつ。ブラン一人でもなんとか対応できるだろう。その上あらかじめシレーナが細工を施しておいてあるのだ。出入口には侵入を阻むために濃い霧に包まれている。 「苗木を倒すとまではいかなくても、敵は今ここに三人いるとは思っていないはずでしょう? 不意をついて少しでも弱らせておくことができるんじゃないかしら」 アルドは霧のまま、シレーナは足をつけていないので敵が捕捉できているのは蒔也だけだろう。その点でアドバンテージはこちらにある。 「俺の攻撃は威力が高いから、華月ちゃんに建物を保護するための結界を張ってもらおうと思ってたんだが……待っていると期を逃しそうだ」 確かに蒔也が使用する能力や重火器は、敵だけではなく宮殿自体にも深刻なダメージを与えそうだ。華月と楽園はまだここまで来ていない。建物が広いのだから仕方あるまい。 「じゃあ、僕とシレーナで奇襲をかけるよ。ワームはなるべく遠距離攻撃で倒しておきたいし。あ、もし『実』から兵士が現れたら……」 「ああ、互いに手はず通りに、な!」 アルドと蒔也は頷きあって。 「わかったわ。私はアルド君のサポートに回るから」 「うん。よろしく!」 中庭の様子が伺える場所に蒔也を残し、アルドとシレーナはゆっくりと中庭に足を踏み入れた。姿を見られぬように茂みや木立に隠れるようにしながら進む。 「この辺からなら、狙えるかな」 彼らの視線の先には大きく育った苗木と旅団員の二人。そして旅団員の後ろに控えているワーム達。彼らはまだ警戒していないようだ。 「旅団員には少し静かにしていてもらおうかしら」 シレーナが操る濃い霧が、ヒューバートとノアの顔付近にまとわりつく。 「なんだ、急に視界が悪くなったな」 「霧が出てきたんでしょうか」 この霧は、払おうとしても簡単に払えない。 「ありがとう。じゃあ始めるよ」 アルドが実態を取り戻し、トラベルギアである【ナイトフォーンド】を構える。 シュッ、シュッ、シュッ……殆ど聞こえぬくらいの小さな音を伴い、魔力の込められた宝石がバックラーから飛び出した。 カカカッ……漆黒の宝石が夾竹桃型のワームの茎を撃ちぬく。続けざまに宝石の銃弾を埋め込まれて、夾竹桃はまるで腹を抱えるようにぐおんと身体を折った。 「いまの音は!? 何があった!?」 「! 近くに一人います!」 「さっき廊下にいたやつか?」 「いえ、あちらは殆ど動いていません」 いくら首を巡らせても視界が悪い。ヒューバートは状況を確認しようとするがままならない。ノアは実体化したアルドの存在を感知したようだが、やはり視界の悪さがネックだった。 「っ、何だこの霧はっ! ワーム共、敵を探して襲え!」 ヒューバートの命令に反応して、二体のワームが動き出す。鈴蘭型は反対へと動いたが、射撃を受けた夾竹桃型は自分を狙った相手がいるだろう方向へと動き出した。 「シレーナ、夾竹桃がこっちに来るよ。毒性があるらしいから、なるべく近づかれる前に!」 「わかったわ」 アルドが続けて宝石を撃つ。シレーナは投げナイフに水を纏わせ、薄霧を動かして対象の位置を探る。 シュンッ――見えぬが感じる。迷わぬ投擲が、夾竹桃の花の付け根を捉えた。アルドの射撃によってボコボコに、くたくたになった茎をくねらせながら、頭である花をぶらんぶらんと揺らす夾竹桃。ふらふらと動いている間に頭が落ちてしまいそうだ。 ぶはあっ……! 夾竹桃が花粉を吐くその姿は、人が吐血するそれに似ていた。思わず口と鼻を押さえるアルド。 「大丈夫よ」 シレーナが静かに告げた。作りだした濃霧が花粉を包んで仕舞う。そしてそのまま、拡散しないように空気に乗せて遠くへと運んでいく。 「さすが!」 思わず感嘆の声を上げたアルドの耳が小さな音を拾った。 ぴりり……ぴりり…… 何かにヒビが入る音。それが何であるか、巨木に育った苗木を見上げて悟る。 「『実』が割れるよ! 夾竹桃だけでも倒しちゃおう!」 「前に出るわ」 泳ぐように茂みから出たシレーナは投擲したナイフを拾う。その間にもアルドは射撃の手を緩めなかった。 「さすがに首を落とせば動かなくなるかしら?」 ナイフに水を纏わせて、かろうじてくっついていた夾竹桃の首に当てると、シレーナは一気に横に引いた。 とっ、とっとっ……それは薔薇の紋章を掲げた兵士達が次々と生まれるのと、ほぼ同時だった。 *-*-* 視界を覆っていた霧がだいぶ薄くなっていた。ヒューバートは辺りを見回して生まれいでた兵士達に満足していた。これで目的の半分は達成されたようなもの。 「ヨーク家の白薔薇の騎士たちよ、ランカスター家の赤薔薇の騎士たちよ。我々の崇高な目的を邪魔する者達を蹴散らせ!」 わぁっ……! 鬨の声が空気を響かせる。士気高く、一斉に動き出す軍勢は見ているだけで他者を圧倒させる。 兵士達の個々の力は図書館のロストナンバーたちに敵わないかもしれない。だが、数が多ければどうだ? 無事には済むまい。ヒューバートは次々と生まれ出る騎士達を見て、笑顔を浮かべた。 だが、その笑顔は程なく引きつることになる。 ヒィィィィィンッ!! 悲鳴のように嘶いて、赤薔薇の騎士の馬がどすっと地面へと倒れた。騎乗てしいた騎士が投げ出される。ドスッ、ドスッ……続けて何頭もの馬が倒れ伏した。倒れるまでいかぬとも、騒動に驚いて暴れだす馬もいる。音も何もしなかった。何が起こったのかわけがわからない。 「元は敵同士とはいえ、一時の味方である相手を不意打ちで攻撃するとは卑怯だ!」 混乱の様相を見せる騎士達に届くように大声を貼り上げたのはアルドだ。事前に蒔也に頼まれていた口上を述べ、その後に続ける。 「君達の戦うべき相手はお互いだろう? 王位継承権をかけてさ! 共闘なんて無理なんだ!」 するとどうだろう、それまでなんとか共同戦線を張ろうとしていた赤と白の騎士達が顔色を変える。中でも狙撃された赤薔薇、ランカスターの騎士達は黙ってなどいられない。剣の切っ先を白薔薇、ヨークの騎士達に向ける。 そうなってしまえば、後はもう雪崩れるように。ヨーク側だって黙ってはいられない。勿論反撃に出る。場は一気に薔薇戦争を彷彿とさせる戦場へと変わった。 「ヨーク家の白薔薇の騎士たちよ、ランカスター家の赤薔薇の騎士たちよ、我々の敵は互いではない!」 ヒューバートが慌てて叫ぶが、喧騒に紛れてしまい声が届かない。否、届いたとしても最早両騎士達は共闘などできない。これが30年を費やした因縁というもの。 「情報の混乱は集団にとって致命傷ってな」 戦場から離れたところでサイレンサー付きの狙撃銃を構えていた蒔也はにやっと笑って呟いた。勿論、赤薔薇の騎士の馬を狙撃したのは彼であった。言葉だけで煽るより、事実があったほうがより効果的だ。 蒔也とアルドの策の相乗効果で、もはや薔薇の騎士たちは敵ではなくなった。 *-*-* 「……同士討ちかしら?」 「何があったの……」 漸く中庭に到着した楽園と華月が見たのは、争う騎士達。よく見れば戦っているのは赤薔薇の騎士と白薔薇の騎士ではあるが、共闘するはずの両者が争いを繰り広げているのだから同士討ちといってもいいだろう。 「お、楽園ちゃんに華月ちゃん、待ってたぜ」 「何があったの?」 「同士討ちするように仕向けただけさ」 飄々と現れた蒔也は楽園の問いに軽く答えて、華月を見る。 「華月ちゃん、建物に結界張って欲しいんだ。俺の攻撃は建物を傷つける可能性が高いからな」 「わかったわ」 了承した華月が五芒星の魔方陣を浮かび上がらせて結界を張る。詠唱の要らないそれは、施術に時間がかからない。 「これで大丈夫なはず」 「ありがとうな」 「……ロイヤルギャラリーに敵を誘い込もうと思ったのだけれど、これじゃあ私達が近づくのすら難しいわ」 楽園が眉根を寄せて中庭の惨状を眺める。騎士達がこちらに向かってこないのはいいのだが、真剣に戦っている者達の間を突っ切るなんて、危険過ぎる。 「んじゃ、どかすか」 「「え?」」 「後をついてきな。離れるなよ」 平然と中庭に降り立つ蒔也に、楽園と華月はついていく。 ボウッ!! 「「!?」」 前方を歩く蒔也の火炎放射器から激しい炎が吹き出した。さすがに騎士達が道を開ける。その間を縫うようにして、蒔也は進んでいく。楽園と華月は彼の背中からなるべく離れぬようにしながらついていった。 「騎士って柄じゃないが、お姫様をエスコート、ってな」 程無く到達した巨木の側には、旅団員二人と鈴蘭型ワーム、そして霧化&空中遊泳で騎士達を超えてきたアルドとシレーナの姿があった。互いの無事を目で確認しあって。 「くっ……図書館の奴らだな。よくも邪魔をしてくれたね」 背後では、再び薔薇の騎士たちが争いを再開している。 「まるで荊姫の城ね。こういう趣向は嫌いじゃないけど……お姫様は何処? 殿方ふたりでお出ましなんて興ざめね」 「ワーム達が可憐なお花のお姫様ですよ。尤も、すでに夾竹桃は散らさせてしまったようですが」 ノアが楽園の言葉に静かに答えた。 「これ以上、まだ邪魔をするというのかい?」 ヒューバートが問う。若干の沈黙の後。 「世界遺産を巡って旅をして、壱番世界は綺麗な世界だと思った。だから、護ろうと思ったの」 華月が静かに告げる。隙を見て、いつでも槍を繰り出せるようにして。 「旅団は私の愛する人を奪った。絶対に許さない。血祭りにあげてやる」 シャキン……玲瓏な音で鋏を鳴らして楽園が怨嗟の瞳を向けた。 「僕は、旅団のやり方が許せない」 アルドが短く告げる。 「本当は、『世界樹旅団=敵』って考えたくないのよね。旅団側だって、信じるモノの為に行動してるわけじゃない? そこは図書館側も同じだと思うの」 ナイフを手の中で弄ぶようにして、シレーナが言葉を紡ぐ。 「でも、他の世界に過干渉して、そこで生活してる人達に悪影響与えるってのが気に入らない。だから、あたしは、あんた達の邪魔をする」 (俺は破壊出来ればそれでいいんだが) さすがに口にはせず、蒔也は心の中で思うにとどめておいた。少なくとも今回は、建物を破壊しないように気を付けているのだから。 元々交渉などする気はなかった。沈黙が場を占める。どちらも、動くタイミングを図っているような、ヒリヒリとした空気。 トスッ…… 「!」 「!」 新たな騎士が生まれた。それを合図にして両陣営が動く。 ノアが、張り巡らせた蔦薔薇を鞭のように振る。華月がそれを難なく槍で両断した。だが蔦は無数にある。すぐにノアは新しい鞭を振るう。そして、また華月に斬られるのくり返し。 「植物は貴方にとってただの道具なの?」 ぴくり、華月の言葉にノアの眉が動いた。小さく口も動いている。何かを呟いているようだ。 「……すか」 「え?」 「貴方に何がわかりますか!」 ぶんっ……! 複数の蔦の鞭が左右から華月を襲う。槍で片側は斬れる。だが一度に両方は無理だ。 すっ……ジャジャジャジャジャ! 「!」 音も立てずに華月の槍の穂先の反対側に寄り添ったのは楽園だ。華月を打ちつけようと向かってくる複数の鞭に対して鋏を開き、突き出す。切れ味の鋭い鋏に吸い込まれていく鞭はその勢いも手伝って、自分からその身体を断裂させる。 ひゅんっ。勢いのまま跳んだ切れ端が、後方の騎士を叩いた。 「この鋏には毒があるの。掠り傷でもじわじわ腐っていくわ……撤退をお勧めするけど?」 ノアが慌てて蔦を見れば、楽園の鋏に触れた切り口が徐々に腐り始めていた。この腐敗は程なく茎を伝って広がっていくだろう。 「撤退? できるはずがないさ!」 「じゃあ解毒剤がほしいわよね? 欲しければ、私を殺して奪いなさい!」 狂気に似た叫びで楽園はノアを挑発した。ノアは鞭を捨て、蔓薔薇を両腕に巻き付けて手甲のようにする。その棘は鋭さを増し、冷えたナイフのようだ。 「ウォォォォォォォッ!」 楽園めがけて走り、棘のついた拳を突き出す。楽園は微塵も避けようとはしなかった。 「え?」 声を上げたのはノアの方だった。楽園に当たる寸前のところで拳が止まっている。なにかにぶつかる感触はあったというのに。 「暫くそこでおとなしくしていて」 華月だ。ノアが楽園に集中している間に彼女が結界を発動させたのだ。 「残念。切り刻んでやりたかったのに」 結界に閉じ込められたノアを心底残念そうに見下ろす楽園を、華月が「まあまあ落ち着いて」となだめた。 蒔也は鈴蘭型ワームから少し離れて火炎放射器の炎を放っていた。アルドも宝石射撃を続け、鈴蘭を追い詰めていく。鈴蘭は毒が入っていると思しき液体を放ってきた。だが液体に関してはシレーナの方が上手。彼女は鈴蘭のそれを操って、仲間に到達する前に留めてしまう。 「おー、燃えそうだな」 激しい炎は最初こそ鈴蘭に着火はしなかったが、長くあて続ければその茎を焦がした。熱さに耐え切れぬようにうねる鈴蘭から毒液が飛ぶ。その度にシレーナが飛散を防いだ。 アルドは蒔也が炎を当てているのと同じ場所を狙って宝石を射撃していく。段々とその茎がしなしなになっていくのがわかった。確実に鈴蘭は弱っている。やはり植物型だから、火には弱いのか。 バリバリバリッ!! 闇の中に雷光がほとばしった。それはシレーナの腕に直撃し、彼女の服と腕を焦がし、痺れさせる。 「っ……!」 痛みと衝撃に思わずナイフを取り落とした彼女は腕を押さえるようにして雷光の元を振り向いた。 (視界を妨害していた霧が晴れてしまったのね。ならば……) 元凶のヒューバートに手を無事なかざすようにして。 「!?」 と、ヒューバートのドヤ顔が歪んだ。自分の体を抱きしめるようにしてふらつく。酷い頭痛に襲われて、立っているのが辛い。 「辛いでしょう? 体内の水分を奪って脱水症状を引き起こしたの」 「お……」 シレーナの言葉にも返答することができないヒューバート。 「少しだけだけど、水分返してあげるわ」 「ぐあっ!?」 ヒューバートの身体に戻されたのは、先ほど受け止めていた鈴蘭の毒液。脱水症状と相まって彼の顔が土気色に変わっていく。程なく立っていられなくなって、ヒューバートは地面に伏した。そこにあったはずの蔦薔薇は、すでに腐り果てている。 「鈴蘭の丸焼き完了」 「シレーナ、腕大丈夫?」 鈴蘭退治を終えた蒔也とアルドがシレーナの方を振り向いた。ヒューバートが自力で動けないのを確認して。 「痛むけれど……我慢出来ないほどじゃないわ」 「応急処置なら任せて」 と、ノアを捕らえた楽園が近づいてくる。 「ターミナルに戻ったらきちんと診てもらった方がいいわ」 応急処置を施されながらシレーナは同じく近づいてきた華月を見る。 「アレ、捕縛してもらえる?」 「ええ、勿論」 華月はノアにしたのと同じようにヒューバートにも結界を施し、閉じ込めた。ノアの時に比べればタイミングを計らなくてもいいから随分と楽だ。 「連れて帰るなら、毒を何とかしなくてもいいの? 帰るまで持つかしら」 「重症でなければ帰るまでくらいは心配ないわ。あれは脱水症状の方が酷そうだけど」 華月の問いに答えたのは楽園。彼女は毒に詳しい。 「死なない程度に水分を戻しておくわ」 シレーナが告げる。捕獲するなら連れ帰る前に死なれては困るから。 「それじゃ、最後の仕事だ。苗木を攻撃!」 アルドが苗木――もはや巨木だが――に向かって駆けていく。華月が槍を手にそれに続いた。さすがにいい加減、生まれては争い合う騎士達を何とかしなければ。 「燃やし甲斐がありそうだな」 蒔也も火炎放射器をフルパワーで操り、巨木を焼いていく。焼け焦げて弱った部分から攻撃を加えて徐々に弱らせていくと、中庭を満たしていた騎士達が少しずつ消えて行くのがわかった。なかなか上の方までは届かないので、拾った庭石を蒔也が投げ、爆発させて枝を落としたりも試みた。 程無く、傾いだ巨木は幻影のように消え去った。 同時に残っていた騎士達も、霞のように掻き消えた。 後に残されたのは腐り落ちた蔦薔薇だけである。 朝になってウェストミンスター宮殿、寺院、聖マーガレット教会を訪れた人々はこぞって首を傾げた。 何故か建物の周りに、腐り落ちた植物が大量に積み上げられていたからである。 【了】
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