虚幻要塞が深淵の空を進んでいる。 虚空をさまようワーム達はその威容に本能的怖れをなし遠巻きにしていた。 そして、虚幻要塞の後ろに付き従う無数のナレンシフ。 虚幻要塞――叢雲は現在、曳航形態をとっている。ヴォロスの兵力を朱い月まで迅速に運ぶためにナレンシフを引っ張っていた。ナレンシフの旅団員達は叢雲を怖れ、乗り込もうとしないからだ。 やがて、前方に小さな世界が見えてきた。 「試運転をかねて、補給を行う。叢雲――捕食形態に移行せよ」 宙を滑る巨大な竜は、その凶暴な本質を顕わにした。 あぎとから、吐息が吐き出されると、奔流が世界繭に孔を穿った。そして、かぎ爪を引っかけ脆弱な繭を引きはがしていく。世界が軋み、悲鳴を上げた。 ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ 空の色は種々様々な絵の具をぶちまけたような混沌。 エグ味と爽やかさとが混じる、生暖かいがヒヤリとした空気がロストナンバーの頬を撫ぜた。 何が起きた……??? ここはどこだ……??? トラベラーズノートが情報の共有を伝える信号を出した。 流麗な筆跡は、世界司書リベル・セヴァンのものだ。 ――皆様、この文章が見えていますか。 ――大変なことが起きています。 ――皆様がいる世界は、叢雲に飲まれました。 ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ここは二つの世界が合わさりし地であった。 一つは魔法少女大隊の故郷――『千草街』 一つは魔王が織り成した地――『世明けの空』 偶然によって発見された、奇妙でそして滅びゆく儚い世界――司書の作った一部の報告書に収まる世界。 ロストナンバー達は、世界司書の依頼――世界樹旅団によってかの世界が完全に崩壊する予見がされた、それを防いで欲しいと――に従い彼の地に降り立った。 ――予見は成就し、世界は崩壊した。ロストナンバーを大地に乗せたまま ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ロストナンバーの周囲は塵のような粉末が舞い混沌の空へ消える。 粉末は大地から、廃墟と化した建物から、灰色の植物から巻き上がり徐々にその形を消失させていく。 叢雲が世界という情報を喰み、その糧としている。 世界の残滓は、過去報告書にあった魔王の城と呼ばれる建物だけであった。 特に意味はなかったかもしれない、ロストナンバーはただ一人の世界の主の元へ移動する。 ロストナンバーが近づくにつれ、魔王の城は徐々にその姿を消す。 残ったのは乳白色の骨……魔王と呼ばれた真理数を二つもつ少女。 言葉をかけるロストナンバー、だが少女は繰り言のようにひたすら言葉を並べる。 「なら、あちらの世界を手に入れることだけは ……わらわはできたのだな」 「なぁ、お前ら、わらわを連れて行ってくれ」 「そうか、お前らには我が運命がそう見えるのか、これが消えればわらわも…… 旅立てるのだろうが」 「一番強い、だから ……魔王」 「わらわも…… 、もうずいぶん誰ともしゃべっていない。自分の貌も思い出せぬ」 言葉がさかのぼり消えていく。情報とは時間も記憶も含む。 トラベラーズノートが情報の共有を伝える信号を再び発する。 ――叢雲はナレンシフを牽引し『朱……月に……・』へ移……中のようです ――ロス……レ……号を向かわせましたご……う…… 背後で、骨の転がる音がした。 振り返るロストナンバーの視界には、もはや世界の残滓は存在しなかった。 魔王であった骨は世界を喪い、只のものとなり……そして消えた。 トラベラーズノートの表示は更新されなくなった。 ロストナンバー達がいる世界の階層数が消失したからであろう。 冷たい霧が広がっている。遠くに聞こえるなにか巨大なものが歩く音。 柱がうっすらと天を支え、光陰がちらちら瞬いている。 吐息が白くなった――寒い。‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ――ナレンシフ、ドクタークランチ私室 「ドクタークランチ『千草街』および『世明けの空』の吸収により叢雲のエネルギー量がPhase3になりました。相転移竜波動砲が使用可能になります」 立体映像の少女が淡々と発生した事象を報告する。 「世界の砕ける様か……、さぞ愉快なものであろう。さて、私も叢雲へ移るぞ」 「クランチ様! あの中は危のうございます!」 散歩にでもでるかのように軽く言を発する男を旅団員は引きつった顔で制止する。 「黙れ凡俗、科学を理解しない無知蒙昧な者どもめ。叢雲は既に我が手のうち、何を恐れる必要がある」 世界樹旅団の頭脳、スーツ姿の科学者ドクターと呼ばれた男の柳眉が跳ね上がる。 「その点、マスカローゼ。君は素直でよろしい。科学者に必要な謙虚さを持ち合わせている」 「恐縮でございます、ドクタークランチ。叢雲には特等席を用意させますゆえご期待の程を」 深々と礼する仮面の少女――その表情は伺えない。 ===========!注意!このシナリオには、シナリオ『【竜星の堕ちる刻】女帝哄笑』『【竜星の堕ちる刻】流星会戦』に参加されている以下の方は参加できません。ご了承下さい。ハーデ・ビラール(cfpn7524)飛天 鴉刃(cyfa4789)ブルーナイト・UE‐HB72-07(cndb3415)シーアールシー ゼロ(czzf6499)リーリス・キャロン(chse2070)医龍・KSC/AW-05S(ctdh1944)ジャック・ハート(cbzs7269)シャンテル・デリンジャー(cabc8930)星川 征秀(cfpv1452)ローナ(cwuv1164)小竹 卓也(cnbs6660)イルファーン(ccvn5011)ジャック・ハート(cbzs7269)パティ・ポップ(cntb8616)
「うぉおおおおお!!!! なん! なんじゃぁあああ!!!!!」 『千草街』 あるいは『世明けの空』 一寸前までそのような名であった、だが今は意味を喪いただの空になった『そこ』に嗄れた絶叫が響いた。 混沌たる諸相に動転の声を発するは、短躯を鋼鉄の鎧とそれに勝るとも劣らぬ鋼の筋肉で覆う壮年の髭小人。 「ぐぬぬぬ、世界樹旅団どもめいつの間に……」 歴戦の勇者である髭小人は、驚愕に髭をワナワナと震わせギリギリと歯軋りを鳴らす。 「だが、しかし、やることはある!! このギルバルド・ガイアグランデ・アーデルハイドを喰らったことをとくと後悔させてやるのじゃあああああ!!!」 「ぐわはははは! 奴を内部から破壊じゃー!!」 状況を知ってか知らずか衝動的な雄叫びを上げ、ギルバルドは叢雲の内部へ突進した。 髭小人の叫び声が遠くから聞こえる、……割れがねのような音響が男の耳朶を揺らしている――だが響かない、自分が此処にないかような浮遊感。 ――任務失敗、その事実が軍装の男――コタロ・ムラナタをショック状態へと追いやっていた。 常ならば、新たな命令が彼を呼び覚ます……が文字が続かないトラベラーズノートが『そこ』に彼の期待するものがないことを伝える。 呆然自失としたコタロの意識は泥濘に沈むように内面へ向かう。 魔法少女の兵士、勝負は天佑にして自分のものとなったが死して尚相手へ一矢報いた姿、兵として散った彼女に感服したが故、この任務に志願した。 高潔に死した彼女に対して任務を失い生きる己の無様。 (……あの時共に散っていれば……) 暗い思いが湧き上がり畝る情動が触手のようにコタロに纏わりつく、震えは寒さのせいばかりではない。 ガソリンスタンドの制服では吐く息が白くなるこの空間は相当冷えるのであろう、軍人の傍らで寒そうに両腕を抱く女性――川原 撫子の表情も暗い。 「魔王さんの台詞、前来た方との会話ですよねぇ。世界がなくなるってこういうことなんでしょぉかぁ……何か、やですぅ」 意識はしてないであろう、魔王を名乗る白骨があった場所を見つめ吐かれた哀悼の意は、自然と共感を期待する字句を含む。 滅び消失する、その虚無の前では快活な彼女であっても鬱屈としたものからは逃れられなかった。 ――世界が滅びるという怪異、突然の現象を目の当たりにした心神喪失。 だが、種々様々数あるロストナンバーの中でも特筆して常識的な悟性を持ち合わせぬ二人の反応はやはり特異である。 (ココはカラダが軽いデスネ、カラダがちゃんと動くのは久しぶりデス) 体の調子を確かめるように腕を振り体を捻る温和そうな男、勢い余ったのか伸びた体がスプリングのように捻られているのは液体金属生命体ならではであろう。 (風景が歪んでいマス……空間が不安定なのデショウカ?) その男――アルジャーノは捻れたまま一瞬思案気な顔を浮かべると莞爾と笑みを浮かべ手を打った。 (いいコトを思いつきマシタ、なかなか面白そうデスヨ) アルジャーノの体は捻れを解き回転しながら崩れ、排水管に飲まれる水のように地面に消えた。 そして残る一人、一つ目っ娘? イテュセイはそもそも気のまま風のまま振る舞うことしかしない。 「フハハハ、私こそが新世界の神である」 高笑いを上げながら回廊を駆ける一つ目っ娘イテュセイ。 「んっふふー。彼が落ち込んでるからあたしが来たわよ」 本人は含み笑いのつもりだろうが盛大に口の端が笑いに歪む一つ目っ娘イテュセイ。 「そう! Dr.クランケのやぼうをそしするために!」 中空を指さし見得を切る一つ目っ娘イテュセイ。 「クランケ違う、クランチ」 イテュセイにツッコミのチョップを入れる一つ目っ娘イテュセイ。あ、つっこまれたイテュセイが破裂した。 言葉が新たに発せられるたびにイテュセイが増える。回廊がイテュセイでいっぱいになった。 「うわ~ん、ここは満員列車だー」 白光が回廊を薙いだ。遙か彼方から喧騒目掛けて竜刻の巨人がとりあえず放った光の奔流がイテュセイ達を掻き消したのだ。 ――静寂…………――少女の笑い声が弾けた。 「「「「「「「「「「アハハハハハハハハハハハ」」」」」」」」」」 一瞬の消滅を契機にイテュセイは大量に増殖を始めた。 「狭い! 狭ーい!! ここイヤだー! 瞬間移動だー」 「うわーん、ここ壁の中じゃなーいロストはイヤー」 「次のめっこはうまくやってくれるでしょう」 「めっこは、叢雲との中間の生命体となり永遠にディラックの空をさまようのだ」 「ははは、奪い取ったぞ千草街をな!」 「くらえ!! たんぽぽ爆弾の目潰しだ! 勝った第三部完!」 「うわぁぁぁ、目が、目がー」 混沌そのものであった。 回廊も壁面も一つ目の少女の姿で埋まる。辺り一面が、目目眼眼芽芽痲痲めめメメナメメメメ。 壁面の目と回廊の目が睨みつけあうと壁は飽和して崩れバラバラとなった少女が落ちてくる。 転移した少女の重量によって、圧迫された床は歪み割れ折り重なったイテュセイをディラックの海に放出した。 「ねえねえ、私達なにしに来たんだっけ?」 「えーっと、そうだ! マスカローゼ!」 「マスカローゼしってる! あのときの刺されたうらみー!」 「じゃなーい! また彼が凹んじゃうでしょ」 「そうだ、そうだー、イクゾー」 「待ってください殿下ー」 無数の塊となったイテュセイ群体は、その数を変動させながら中枢と勝手に思っている場所へ転がっていく。 ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ 鋼鉄が擦過し、二点が交互に高重量を支える振動が空間に伝播する。 黒き鎧に身を包んだ守門――叢雲の眷属たる巨人が回廊を徘徊する。 回廊に響く振動が徐々に強まり……そして弱くなる。 (ヤレヤレ行きまシタネ、相手するのメンドイデス) 巨人の発する振動が消えたことを認識したアルジャーノは、回廊から頭だけをのぞかせあたりを確認する。 周囲に旅団員・ロストナンバー……邪魔者はいないようだ。 「サテ、はじめマスヨ」 アルジャーノは岩に浸透する水のように叢雲を侵食。液体金属は叢雲の体を喰らい限界まで容積を増し分裂する。 (不思議なカラダデスネ、化石かと思ったら生命体、食べてからも原子構造が変わってマス) ――捕食――分裂――捕食――分裂――捕食――分裂…… 加速度的に数を増幅させる液体金属は、叢雲外郭を目指し侵食範囲を広げていく。 捕食分裂捕食分裂捕食分裂捕食分裂捕食分裂捕食分裂捕食分裂捕食分裂捕食分裂捕食分裂捕食分裂捕食分裂…… 増殖を繰り返し総数は100万、ゆうに1立法kmを超す範囲に広がったアルジャーノの分裂体が叢雲外郭に接触する。 叢雲の外郭を破り、ディラックの海に触れたアルジャーノ達に動きに変化が生じる。 アルジャーノ分裂体は、パスフォルダーから乾電池と携帯電話を取り出し、おもむろにはむ。 100万対の手が大量の金属を生成し、瞬く間に奇っ怪な装置が組み上がる。 渦巻きのように曲げられた銅管「一次コイル」の中央に、ポリエステル銅線が隙間なく巻きつけられた棒状の物体「二次コイル」がそそり立つ。二次コイルの上には、ドーナッツ型のアルミダクト。 (スパークギャップいりまセンネ、トロイドはカッコイイので設置デス、アトは携帯電話で……ローパスフィルターの完成デス) アルジャーノの分裂体が生成したもの……テスラコイル――風変わりな放電現象で知られた磁気発生装置。 (アトは電力デスネ) 叢雲の体を喰らい重水素とヘリウム3を生成、アルジャーノ体内で加速させ衝突核融合でヘリウム4と陽子を生成。陽子をエネルギー変換、蓄電する。 (これでいいデス、それにしてもココは広いデスネ、全く端が見えないデス。モットモット体が必要デス) 叢雲外郭が徐々にテスラコイルによって埋まる。遥か彼方に外郭から突き出た柱が湾曲して見えた。 (球形のカラダ、外郭がウロコのようデス) ――アルジャーノの脳裏に竜のような星……竜星という言葉が浮かんだ。 ふと思い浮かんだそれはなるほど叢雲を評するに相応しい言葉に思えた。 ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ 叢雲胎内――存在した世界の残滓は消え、神殿を思わせる回廊が現出した。 稀に発生する励起がここが神殿などではないことを思わせる。 高みを雲に覆われ目視することが叶わぬ上天を貫く柱と幅広な通路が人ならざるものの場であることの証左のようであった。 回廊に息吹が流れる、霧状の冷気が肌に凍みる。 「壱号……換気口とか電気設備とかから中枢部の方角分かりません~?」 軽装のバイト服に、親切な軍人から貸与を受けたマフラーと軍ジャケットを羽織る女は相方であるロボタン・壱号に話かける。ガガ……と情けない音を立てる壱号からは有益な反応はない、叢雲内に入ってからというもの動きに精細が欠ける。自慢のメータも動きに切れがない。 「…………川原……殿…………ここは敵地…………脱出し……別命を……待つべきだ」 ロボタンを餌に強制的に徴発されたマフラーとジャケットの持ち主は、道もわからぬ敵地で主敵を目指す愚挙を制止しようと女の肩を掴んだ。 金属がぶつかるような痛烈音が体を揺らし、コタロの目に星が飛ぶ。スピード×体重×握力=破壊力。撫子の拳がコタロの顎を撃ちぬいていた。 「魔王さん見て思っちゃったんですよぉ。1人で死なせるの、やだなって。だから帰りません☆」 脳に伝わる振動がトリップ感を生む。堪らず膝をつき四つん這いになるコタロに撫子が自らの意志を語る。言い返すべき言葉が浮かばぬのは脳震盪だけのせいではない。 コタロの心が沈む時間はわずかだった。 ――――ッ 回廊についた腕から脚から伝わる振動……誤りようもない……。 コタロは、一寸前までの惰弱な態度が嘘のであったかのように起立し撫子を突き飛ばした。 「なんですか~、私帰らないって言ったらぜぇっったい帰りません☆」 「……逃げろ、……庇っては戦えん」 反駁する女に言い捨てるコタロの表情はつわもの。 視界の端、回廊の奥に黒き鎧の巨人、かつてまみえた難敵へコタロは駆けていた。 (速さ負け、火力負け、防御力負け、継戦能力負け……俺が奴に勝る点は……手の内を知っていること) 巨人と相対して勝ちを見るには何をおいても接近……放たれる光条、高速移動に伴う衝撃波、何れも防ぐ手段、庇う手段が乏しい。 コタロの迅速な判断は一つ駒を有利に進める。 小柄な敵意の接近を許した黒き巨人は片膝立ちから抜刀、刃を緩々と上がり大上段……否、此度の太刀は頭頂を超え背に消える。太刀の予測線が消える、居合術にも似た技術か――。 異様な構えを前にしてもコタロの動きは止まらない。読めぬことを頓着する必要はない、正面から吶喊……選択はとうに終わっている。 ――鬼気は左から迫った、衝撃は右から炸裂する……発する気を囮に本命は逆太刀、達人の剣技は果たして空のみを切った。 コタロは巨人の制圧圏に入ると符の爆発力で自身を加速、股の間を抜けると巨人の背に小規模魔方陣を形成、右脚をクロスボウの連続射撃で消し飛ばすと同時に術式を放つ。 右脚を失った巨人は術の衝撃に耐えれず上体を崩す……。巨人が崩れ落ちた地面には無数の符が撒き散らされていた。 (……一瞬の爆発力、これはお前より上だ) コタロの口からチチっと擦れるような音が漏れた。 方陣の中で溶解していく巨人……コタロは構えを解くことはない。 中空に残る仮面の眼窩、方陣の中巨人の肉体は溶解速度を超え徐々に再生をはじめる。 ――方陣の威力が衰える……巨人の肉体に埋め込まれた竜刻が輝く……剥き出しの竜刻から拡散した光条が放たれる……巨人の前面死角はない。 それもコタロの読み筋の上であった。先の攻撃時、巨人の背中には転移符を塗布した。 コタロの姿がブレ、光条が残滓をやいた。 転移の結果は巨人の後頭部。右腕に生暖かな圧迫があった……辛うじて動く指は硬質な、それでいて暖かな物体に触れた。 ――巨人が吠える。 (……頭蓋に埋まったか……問題ない) 自由になる左手のクロスボウで巨人の頭蓋を抉る……脳漿が如き肉がコタロの顔を斑に染める。 痛みが走り圧迫が消える、指先の感触を掴み右腕を引き摺り出した。鉄臭い紅がコタロの服を染めた。 核たる竜刻を失った巨人は、一寸痙攣すると動きを止め灰になった。 ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ 静寂の回廊に嗄れた高笑いと破砕音が響き渡る。 破壊の担い手の姿は見えず、ただ回廊が自ら爆ぜ砕けるさまが繰り返されていた。 不可視の破壊をなしているのは、ギルバルド。【インビシブル(透明化)】の術を自らにかけ、力任せに破砕を続ける。 「これだけ世界を破壊した奴じゃ。内部からぐちゃぐちゃにしてやるわい! となれば、五臓六腑と心臓を破壊してくれるわ!」 槌矛を棒きれのように振り回し放言するギルバルド。生き物ならば五臓六腑を潰せば死ぬ。だが叢雲の五臓六腑がどこにあるかなど分からぬ……ならば全て破壊し尽くせばよい。 髭小人らしい極めてシンプルな思考、彼はそれを実行していたのだ。 回廊に破壊を刻むギルバルド、その道程に見覚えのない影が複数。 ギルバルドはあずかり知らぬことであったが、ここはナレンシフの曳航地点にほど近い区画であった。 彼らにとっては折り悪くと言うべきであろう異音に感づいた旅団員達は、気が進まない中叢雲の胎内を確認すべく降りたのだ。 薄暗い叢雲の胎内での視認能力には髭小人であるギルバルドに一日の長がある。旅団員の接近を察知したギルバルドは破壊の手を止める。 ――静寂にかえる回廊 透明化し息を殺す髭小人に気づかぬ旅団員達、息も感じられるほどの距離に近づいた時ギルバルドは行動に出る。 横切る旅団員へ抜き打ちで符を貼り付ける。旅団員は声を上げる間もなくギルバルドの視界から消え去る。 ともがらたる魔術師レナから奪った(ギルバルド談:借りてるだけじゃ)「テレポート」のカードによって、哀れな旅団員は不安定な空間の狭間に跳躍させられた。 突然の現象に認識が追いつかぬ残された旅団員達の間隙は死という名の刃で埋まる。 両断された旅団員の噴水のようあふれ充満する朱が、透明な髭小人の形を浮かばせる。 「不意打ちが卑怯とか言ってる場合ではないのじゃ!」 髭小人は己の髭を濡らす返り血を拭い嗤った。 ――人の気配が増える、叢雲に忌避感を感じる旅団員とはいえ異常を察しての行動は早い。 「くわはは、旅団員が集まるということはここが重要な場所に違いあるまい!! ならばじゃ!」 『我が主上、鋼鉄神よ!! 御身を鍛えし金色たる鉄槌の片鱗、汝が下僕に授け給え!!――ゴッドハンド!!!!』 呪文と共に突き上げた手が金色に染まる。鋼鉄神の武器たるゴールデンハンマーを自らの腕に顕現。その力をもって全てを原子に返す高位神聖魔術。 「ぐわははははは! マスカローゼの奴は今、パティの奴が相手しているはずじゃ。 ならば、儂がこの基地をめちゃくちゃにしてやるわい」 ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ 仲間とはぐれて単独行、脱出が目的である……だが、それをなすには手段は乏しい。 (任務に失敗した兵は膝を折り、座して沙汰を待つべきであるか? 否……思い返せ彼女らを。死して一矢報いた魔法少女を……) なれば……叢雲を満足な状態で朱い月へ向かわせまい、旅団の作戦に可能な限り亀裂を生じさせる。 憧れが行動を定義した、錆びついた思考の歯車が一つ廻る。 叢雲胎内、コタロは一際大きく天をつく柱を目標と定める……だがその脚は前に駆けない。 複数の振動が軍人を囲った。コタロを周りには表れる両の指では数えきれぬ巨人、一体であっても難敵、この数であれば勝負の結果は火を見るより明らか。 眼前に男の姿が映る。映像の姿は、スーツ姿の科学者ドクタークランチ。 「男、叢雲の胎内生物を倒すとはなかなかの手前だ……、殺すには惜しい。我が部品を受け入れて我が部下となれ、命は惜しかろう?」 コタロは瞑目する。脳裏に浮かんだのはすれ違ってきた友と戦友。 ――笑い声が耳朶を打つ。 立体映像の男が訝しげな表情を浮かべる。 コタロは自分が笑い声が自分の口から発せられていることに驚いた、いや納得した。 口が自然と動き言うべき言葉を発する。 ――バ・カ・め ――視界が白光に消えた。奇妙な歌声が響く。 ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ――叢雲胎内、上天を貫く一際大きな柱、巨大な扉が行く手を塞いでいる。 「は~い、私イテュセイ。マスカローゼさんの家の前にいま~す」 「「「「一億二千万の私達よー、突撃だー」」」」 イテュセイ群が扉を無視し柱の中へ転移をはじめる。柱の表面は多数の目玉で埋まっていく。 幾多のイテュセイが犠牲になった後、一体のイテュセイが空洞に抜けた。 中空に浮かぶ球形の巨大竜刻――裸身の少女が内部に浮かぶ。 少女の下には、64の竜刻が臣下の如く頭を垂れていた。 巨大竜刻の傍らには竜刻に浮かぶ少女と瓜二つの仮面の少女、そしてスーツ姿の男が一人。 「あーマスカローゼ!!」 先制突入をイテュセイの声を皮切りに、イテュセイ達が竜刻の間へ転がり落ちる。 「マスカローゼ、竜刻の間に屑虫共を……」 「あっ間違えてDr.のいる座標に転移しちゃった! 俺がクランケだ! てへぺる!」 文句の声を発しようとしたクランチの座標を転移したイテュセイが埋める、位相が重なりクランチ+イテュセイという融合存在が発生する。 「侵入者……変わった登場ね、驚きました」 言葉とは裏腹に奇っ怪な現象に、たいした驚愕もみせず仮面の少女はイテュセイ群を一瞥する。 「ここは私……いえ叢雲の聖域、来ていただいて早々だけど退去して頂けるかしら?」 マスカローゼが腕を伸ばす、巨大竜刻と64の小竜刻が煌と光を放った。 「真実に到達する過程の道を歩ませる。手遅れ? というなら君を飛ばした時にそこは通過してる」 少女の手が止まる、イテュセイが発した声はかつて自身を覚醒させた男の声だった。 「マスカローゼ、あんたはフランの心臓と竜刻がどうなったのか、自分で確かめたのか? クランチの言葉が真実だとなぜ分かる? 真実を知りたいなら真実を己の目で見て、聞くんだ。今の君はクランチの力さえ凌駕する。道具の発動を禁止すればいい。クランチの家捜しをするんだ。奴が竜刻を処理していないという証拠を!」 クランチと位相を重ねたスーツ姿のイテュセイも同意するように頷く。 ――少女はきょとんとした表情を浮かべ、……俯き、そして嗤った。 「ねぇ、フラン。貴方が此処にいないのがとっても残念、聞かせてあげたかったわ今の言葉。……ふざけないでよ臆病者!! 自分で喋りなさいよ。……幻滅したわ」 少女の仮面は嗤いから赫怒に歪む、だがそれは狂的ではない……より人間的であった。 「……私ですらこんなに気分が悪いのに、貴方だったらさぞショックでしょうね。心揺れた男がこんな軟弱だって知ったんだもの!」 「真実? 笑わせないで。貴方の軽薄な言葉に浮かされてドクターを疑うなんてありえない」 少女の激しい剣幕に、イテュセイ群は言い返すことも出来ず「なによぅ」と口ごもる。 「話をしたいなら自分がきなさい、ふざけているにも程があるわ」 「うるさいな~彼が可哀想だから、助けてあげようと思ったのに。もういいよ、撤収撤収~」 イテュセイ群はぷーとむくれた表情を浮かべると、風船のように膨らみ割れていく。 断続的に響く破裂音が収まると、竜刻の間は元の有り様に戻っていた。 ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ 回廊は様相を常とせず、ひと時留まればありようを変異させている。 撫子を突き飛ばし駆け出した同行者の軍人は、視界から外れる前に霧のように掻き消えた。 目の前の通路は果たして、二又であっただろうか三又であっただろうか眼前に分かれ道はない。 天ははるか高みにあるが、目の前に天板が現れることはしばしばであった。 「ここさっき、みたかなぁ……壱号覚えますぅ?」 鍛えれらた肉体は疲労を訴えなくとも、どこを歩いているともいつ到達するともわからぬ探索行は精神を滅入らせる。 チャイ=ブレの声が薄くまともに機能していない相方に、たびたび話しかけてしまうのは精神安定を図る防衛反応だろう。 ――回廊が跳ねた。撫子の体ごと持ち上げる大きな振動。 「この振動音はぁ……やばいですぅ、とっとと違う方角へ逃げるですぅ☆」 新たに現出した通路に慌てて身を躍らせると振動はぶつ切りになって霧散した。 ほっと胸をなでおろし一息つく撫子、眼前には荘重な扉が存在した。 (立派な扉ですぅ、きっとここにマスカローゼさんがいるに違いありません☆) 撫子は「ごめんくださ~い」といい軽く会釈すると躊躇いもなく扉を押した。 ――竜刻の間 設えられた水鏡から顔を上げ、侵入者を一瞥するとクランチは渋面を浮かべた。 「マスカローゼ、一度ならず二度まで屑共と同じ空気を吸わねばならんとは。特等席というには些かお粗末だな?」 「お許しをドクタークランチ、叢雲は胎内構成が急速に変容しておりますので個体の認識が困難です」 「言い訳はよい。対策のみ述べ行動するのだ」 屑呼ばわりするクランチの言葉に些かむっとしながら撫子は二人の会話に割って入る。 「私は川原撫子と言いますぅ。マスカローゼさんに会いに来ましたぁ」 「貴女の事が知りたいです、貴女のお話が聞きたいです、貴女とお友達になりたいです! 貴女と普通に喧嘩したいです! 貴女と一緒に生きたいです!!」 少し支離滅裂、言葉が昂った。 クランチが感情にまま喋る女を嘲弄するように肩を竦める、仮面の少女は意を汲んで一つ頷いた。 撫子の視界に寸前までの光景とマスカローゼが重なる。 ――撫子の神経がマスカローゼの速度を処理できず見せた混乱した風景。 颶風が頬を撫ぜた。ひりつくような痛み――頬に朱が一筋。 「それじゃ、喧嘩でもしましょうか? 続きはないと思うけど」 年下の少女が吐く言葉には特段の感情も込めらていない。 「ひゃう! まず口で喧嘩しましょぉ!?」 「ふぅん……私の恨み言でも聞きたいの? 世界図書館のあなたが? 何のために?」 「だって今貴女と話し合わないでいつ貴女と話す機会があるんですかぁ!? なら絶対諦められないじゃないですかぁ!」 ただこねるように叫ぶ撫子に、仮面の少女に浮かぶ表情は困惑。 「例え貴女を助けたのがドクタークランチでも! 女の子部品扱いした時点でそんな恩ぺぺぺのぺですぅ! 貴女はもっと好きに生きて良いんですぅ!」 言葉が撫子の口からぽんぽんと弾けとぶ。まくし立てるように一方的に感情を爆発させる年上の女性に、少女の困惑は広がった。 「マスカローゼ、この凡夫と話すのを辞めろ。聞くに堪えん」 クランチが苛立たしげに秘書に吐き捨てる。 「ガッデム! 私が凡夫ならドクタークランチ、貴方は匹夫ですぅ! 女の子の感情論にマッド理論が通じると思うなよ、うりゃっ!」 激した撫子は、クランチ目掛け全力でロボタンを投擲した。たかが小娘の力と侮っていたのか、クランチは急加速し迫るロボタンに直撃されもんどりを打って倒れた。 撫子がクランチを口撃する間に、少女は瞑目し呼気を整え落ち着きを取り戻すと拒絶を発する。 「……無意味だわ、世界図書館のあなたと交わす言葉なんてない」 「やですぅ! 私はマスカローゼさんと分かり合いたいんですぅ!」 なおも取りすがる撫子。 ――お茶の間で聞いたことがある吹き出してしまいそうな歌詞のCM曲が室内に響いた。 ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ 空間を穿ち肉崩壊させる音……断末魔の叫びが響いた。 髭小人の光り輝く腕が旅団員を原子へ帰還させる。 「なんじゃ、大したことないのう」 20を下ることのない旅団員を分解した、髭小人は事も無げに呟く。 「じゃが防ぐものも、のうなったようなじゃ、破壊の限りを尽くさせてもらわねばのう!」 ――発奮する髭小人の耳に、珍奇な歌声が響いた。 「なんじゃぁーこの歌声は!!!?? 旅団の新手か!?」 旅団員を駆逐し、十全の破壊者となったギルバルドは、珍妙な現象に声を上げる。 ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ 「ちぇーCYOU鬼婆じゃない。あんなの放っておけばいいのに……」 一人ロストレイル号に帰還し不貞腐れていたイテュセイは、素っ頓狂な歌声に思わずディラックの海を仰ぎ見た。 ――叢雲であった場所は紫電が燃えていた。 ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ テスラコイルとアルジャーノの数は増加を続ける。分裂体が10億を超えたところでアルジャーノは数えることをやめていた。 叢雲の体表は奇っ怪なコイルに覆われ、表皮たる鱗状の物質は目視がしがたい状態となっていた。 体表での増殖と同時に胎内を潜行するアルジャーノ本体は、叢雲の中枢を覆い機が熟すのを窺う。 アルジャーノは自らの好奇心――『壱番世界の知恵を手に入れた自分が全力を出せば何が起きるのか』を満たす機会に喜色のようなものを感じていた。 ――末端部からの情報転送:想定必要エネルギー、体表制圧率要求圏突破。 「準備OKデス、ミュージックスタートデス」 分裂体アルジャーノが自身を核融合炉として発電した電力が叢雲体表のテスラコイルに走る。 通電したテスラコイルからは紫電が竜の如くのたうち、叢雲の姿は紫に飾られるディラックの海に燃える。 ディラックの海をテスラコイルの発する音が埋める。 パラッパパッパッパー♪ーネタがちゃんとオチる! 近江清掃ーーパラッパパッパッパーー♪値段も落ちる! パラッパパッパッパー♪ーネタがちゃんとスベる! 近江清掃ーーパラッパパッパッパーー♪床が綺麗に滑る! 貴方の街を愉快に清掃、貴方のお部屋のパートナー近江清掃は24時間365日いつでもお電話お待ちしてま~す♪ それは、壱番世界のロストナンバーであれば聞き覚えがあるかもしれない珍妙なCM。 ――15秒……CMの時間が終了すると共に、紫電に包まれた叢雲は強烈に発光しディラックの海に消失した。 テスラコイルによって強力な磁場を発生させ叢雲を消磁化……そして空間転移させる。叢雲をエルドリッジに見立てたフィラデルフィア計画の再現であった。 ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ 珍妙な音が停止すると転移によって発生した振動と同時に叢雲中枢――竜刻の間へアルジャーノが制圧を開始する。 ――室内にかすかな違和感、竜刻の間に撫子とマスカローゼの姿。フィラデルフィア計画に影響を受けた生命体は全てランダムに転移するはず。 (気にしてもしかたアリマセン、撫子さんを避けて一緒に食べマス) マルカローゼを狙いアルジャーノの触腕が伸びる。 肉の感触……だがその感触は仮面の少女のそれではなくロストナンバーのものであった。 撫子は突然の振動にたたらを踏みマスカローゼに寄りかかった。 ――視界の端でロボタンとクランチが消失する。 振動と同時に竜刻の間の壁面が床面が天井が隆起し、マスカローゼに襲いかかる。 撫子は咄嗟にマスカローゼを突き飛ばし、自らの体を襲撃に晒した。 「そこまでよ」 少女の制止が響く。主の命令に従うように竜刻の間に存在する全てが凍りついたように停止する。 (おかしいデス、カラダ動かないデス) 少女は自らを庇い崩れ落ちた撫子を抱き上げる。ドレスが朱に染まった。 「おかしいと思わなかったのかしら? 叢雲程の存在が自らの腸を食われて気づかないとでも? 体表にゴミが這って気づかないとでも?」 動きを止められ語るすべもないアルジャーノにマスカローゼは言葉を続ける。 「何故だと思う? 何をするか興味をもったのよ叢雲がね。テスラコイル? 核融合? ありがとうすごく役立ちそうね」 久しく感じたことのない危機感に煽られアルジャーノは逃亡を図る……が認識の及ぶ範囲にいる分裂体は全て反応しない。 胎内にアルジャーノを拘束する情報体がいる。 「でもね、ロストナンバー。貴方が今やったことは何? 無作為の空間転移現象? あなた達はともがらでも平気で傷つけるの? ……不快よ、消滅しなさい」 マスカローゼが指を弾く。 アルジャーノの胎内にいた情報体……すなわち叢雲の分体はアルジャーノに侵食を開始した。 竜刻の間のアルジャーノが出現時を逆巻きにするように消失する……、体表のテスラコイルは崩れ落ちアルジャーノ分体は波打つように崩壊する。 拘束から侵食に転じた叢雲、アルジャーノは叢雲中枢から最も離れた個体から叢雲情報体を排出すると、残る全エネルギーを使って本体を叢雲の重力圏から吹き飛ばした。 ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ 髭小人ギルバルドは、頭をふり朦朧とするし意識を覚醒させる。 「なんじゃ、奇っ怪な音が聞こえたと思うたら……ここはどこじゃ? でかぶつはどうなりよった?」 視界に広々と広がる地面、そして壁越しに見えるディラックの海……その先には世界樹旅団の母艦ナレンシフ。 「まだ胎内じゃな……転移させられたかのう……?」 ――微かな衣擦れ、髭小人の敏感な聴覚だからこそ聞こえた。 (ここにおるのは世界樹旅団のみ、ならば一斧両断するのみじゃ!) ギルバルドは、黒い弾丸となって衣擦れの主との間を詰める。 衣擦れの主がギルバルドに気づいた時には、既に無骨な死の担い手は生命を刈り取る弧を描いていた。 手に伝わるのは確実な死を相手に送り込むそれではない、ギルバルドの目が僅かに細まった。 敵手は、突然の攻撃を恐れもせず間合いを詰め、致死圏たる牙をさけ威力が減じた棒に体を当て反動を利用しギルバルドの背中に回る。 髭に隠れた口元に笑みが浮かぶ、後ろ手の何者かに目掛け石突きを突きだしギリギリ寸止めた……頬に機械弓のような物体が当たっているのが分かった。 「ムラナタ殿じゃったか、失礼したのう」 石突きを降ろし振り返るギルバルドの前には、血に汚れたコタロ。機械弓を髭まみれの頬から外すと頷く。 「さてどうしたものかのう、暴れに暴れたんじゃがこのでかぶつ大して堪えておらん。奴らをぎゃふんと言わせる方法はないかのう?」 ギルバルドの問にコタロは、壁の外を指さし答える。指の先は……ナレンシフ。 「ククク、ムラナタ殿おまえさんはもっと覇気のないやつかと思うたが……なかなかどうしてよく分かっておるようじゃ」 ギルバルドの髭は目に見えて歪んだ、獰猛な笑みがそこには隠れていた。 「鋼鉄神の眷属たる金熊よ、現れよ! わしと共に世界樹旅団に目にものをみせるのじゃぁあああ」 次元を割り現れる金色の毛皮を持つ巨大な熊、ギルバルドはコタロを伴いナレンシフに突撃をする。 ディラックの海を駆ける金熊を前に世界樹旅団は抵抗らしい抵抗を示すことはなかった。 叢雲を結ぶ曳航索を次々に切断、投げ出されたナレンシフのうち一機を鹵獲する。 鹵獲したナレンシフの内部は、炭化した人型、船体に焼き付けられた服、凍りついた死体、壁に埋まった死体が転がり生命を維持しているものは一人もいなかった。 ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ 「く……屑共が……、クソどうなったマスカローゼ」 呼びかけに応える声はない。 クランチが意識を取り戻した場所は、フィラデルフィア計画の影響を唯一免れ離脱をするナレンシフ。 クランチは、速やかに己の状況を察するとナレンシフ据付のガラス壁からディラックの海を見る。 ナレンシフから遠ざかる叢雲が、曳航形態である球形から真なる姿である竜に変じ飛び去るのが見えた。 クランチは秘書に埋められた機械に命令を飛ばす……拒絶。 「おのれマスカローゼ、何故この私の呼びかけにこたえん!」 ……クランチは思い違いを一つしていた、イグジストに匹敵する叢雲を縛る綱など初めから存在していなかったのだ。 ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ フィラデルフィア計画発動から数分の後、叢雲は元の座標へ再転移した。 竜刻の間から遠ざかるロストレイル号が見える。 液体金属生命体の干渉排除が優先事項、攻撃は困難。そもそも、ロストレイル号の去就など瑣末なことだ。 マスカローゼは自らを庇ったロストナンバーを見つめる。傷口は塞いだが、失血によるショックで気絶している。 昏昏と眠る撫子を見つめマスカローゼは呟く。 「……信用しましょう、少なくともあなたは」 叢雲の核たる竜刻が怪しく輝く、取り込まれた少女の表情は僅かに苦悶が見えた。 撫子の額を軽くなでると、仮面の少女は立ち上がり扉を見つめる。 その表情に愛憎両極が浮かぶのは人の業。 ――小干渉体排除、事象安定率上昇 ――主世界・阻害要因発生、構成変更、事象高密度処理 ――特異点発生、主制御鍵の不安定化確認、強制同調算定 ――主事象再構成、否定、否定、否定、主事象解放再読込 朱き月が見えた。 叢雲が虚空に吠える。
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