AD2540年 フォン・ブラウン市の遺跡から神遺物が発見され、猫族がそれを侮辱する。 これを期に犬族で神々復活運動が始まった。AD2585年 犬族を精神的に指導してきた柴一族が、猫族の首都を強襲して神遺物を奪取。AD2586年 猫族の報復が世界各地で始まる。この世界で初の複数の都市を巻き込む戦いが起きる。世界大戦の始まりとされる。AD2587年 流星の役 あるいは流星会戦と呼ばれたこの事件は、世界大戦の末期に起きた事件である。 ことはアメショの英雄が小惑星QQ47にたどり着いてマハーカーラと名付けたことを発端としている。アメショ達はこの小惑星に原始的な核パルスエンジンを建造し、犬猫の住むこの小さな世界に向けて前進させた。この世界初めての質量兵器である。 数ヶ月後、軌道上でマハーカーラを巡って両陣営が激しく衝突。 マハーカーラは犬族の決死隊が神遺兵器を起動させて破壊されたが、世界各地に破片が降り注いで来たるべき神のために建造したドーム都市がほとんど破壊される。これ以降、犬猫は地上を怖れ、地下に潜って暮らすようになった。また、ヘリウム回収移動都市も玄武の一基除いてすべて破壊された。 両陣とも疲弊し、戦闘継続が困難となり戦争終結。AD2662年 ロストレイル号の漂着。AD2663年 世界樹旅団が侵入、世界に乾いた大気が生じる。現在 神の不存在が証明される。 †「そっちのブロックの切り離しは終わったかい?」 地表から10000km、脆弱な重力をもつ天体からみて軌道上と言うにはいささか遠すぎる宙域。 ナレンシフの艦隊が、とある氷塊を牽引していた。 氷塊は太陽光に熱せられ、噴出するジェットが流れる尾を形成していた。 ハレー彗星 アステロイドベルト付近をさまよっていたハレー彗星は、旅団によって気ままな旅から内軌道に呼び戻された。そして、今は性急な螺旋を描いてこの世界に向かっている。 ここまでの旅で彗星核は爆砕されており、大きな3つの大きな破片と無数の小片に分割となっている。これらの小天体は進行路に薄く広がっていて、暗礁空域を形成していた。 ナレンシフ艦隊は氷の海に潜んでいる。そして、それらの間を犬族の多足戦車が忙しく行き交っていた。 銀影が宙を横切る。「神さま、神遺兵器の設置が終わりました」「ありがとう、うまく行けばいいけどな」「アステロイドベルトから戻ってみたら、田中市が陥落していましたからね。やってられませんわね」「ドクタークランチに介入させる口実ができてしまいましたね」「提督達は無事なのかしら」「図書館が攻めてきても、このマジカル☆アサルトライフルでなんとかするわ」「わたしのマジカル☆バリスタも忘れてもらっては困る」 先日執り行われた図書館による要塞強襲作戦により、魔女っ娘大隊は部隊の大部分と指揮官を失っていた。 そして、似たような立場に置かれた犬たちが居る。 フォンブラウン市地下深くの遺跡の機能が解明された。遺跡は多層世界のどこかにいた神々と交信するための通信装置だったのだ。しかも、その神々は既に滅んでいたと言う神話的事実までもが明らかになってしまった。神はもはや存在しない。犬の神官達はその存在意義を失った。しかし、その事実を受け入れられないものも多い、先鋭化した犬たちは改めて旅団のロストナンバー達を神と崇めることとした。 迷走。 与えられた作戦の断片だけをもった魔女っ娘大隊の生き残りは、同じく居場所を失った犬たちを連れて捨て鉢の攻撃に出た。 † 田中市強襲作戦より持ち帰った旅団の次なる作戦は驚嘆すべきものであった。 彗星落としである。 『修正Mプラン』すなわち『plan Meteorite, revision 2』と呼称されていたこの計画は、世界図書館の影響力排除と、世界の緑化を同時に達成することを目標としている。 捕虜からの情報によると、元々は水資源を確保するためにアステロイドベルトから氷塊を取得するものであったという。彗星核はその質量の90%が氷で構成されており理想的な水資源となる。 だが、魔女っ娘達の計画は浅はかすぎる。 軌道上からの氷の投入は、十分に小さい単位にして行う必要がある。氷塊が大きく大気で十分に減速できない場合は、運動エネルギーは大地との衝突ですべて熱に変換され、貴重な水は多くが宇宙に帰ってしまうだろう。 このような愚かな判断がなされたのは、とりもなおさず、必要な技術文献を図書館に奪取されてしまっているからだ。 しかし、彼女たちは世界図書館が拠点にしているフォンブラウン市の遺跡を攻撃するために、彗星核を細かく砕くことをしていない。3つに分割された氷塊では大きすぎると言うことだ。それらはそれぞれ数十億トンもある。これらがフォンブラウン市に落下したら、残されている犬猫は全滅してしまうだろう。 逆に核攻撃に耐える地下都市を攻撃できる手段は限られていると言うことでもある。 †:order_4_lostnumbers→ 質量兵器からフォンブラウン市を守ってください。:warning→ ハレー彗星は犬族の多足戦車隊が守っています。→ 魔女っ娘の能力は未知数です。:submission→ 氷塊を細かく砕いてください。:remarks→ 人間サイズの氷塊は大気との摩擦で80km/hまで減速されます。→ 100T級以上の氷塊は3000~km/hで降下します。 十分に減速された氷はちょっとばかり大きな雹にすぎないが、100Tを超える氷塊は地中貫通爆弾となって地下都市を崩壊させるに十分であろう。 † 螺旋特急がプラットホームに滑り込み大勢のロストナンバーが掃き出される。 フォンブラウン市はちょっとしたパニックになっていた。各地の観測所が彗星の落下予測軌道を割り出すと、街から逃げ出そうとする市民が続出している。 ロストナンバーを拝みに来たものや、魔女っ娘のなれの果ての樹を詣でに来たものなど、そして、商機と集まってきた者達のために平時より、人口がふくれあがっていたのが災いした。 飛行艇をもっているものは早々に逃げだし、無明の砂漠を行くキャラバンに便乗して去ろうというものもいる。 そして、もっとも財産のないもの達はグリーンベルトを歩いて去ることを決意した。 折も悪く頻発する地震は人々を大いに不安にさせている。 他の都市と往復するリニアは限界までのスケジュールであった。 去りゆくリニアは逃げ出そうとする犬猫であっという間に溢れかえっている。 そして、フォンブラウン市に戻ってくるリニアには兵器が満載されていた。 その中でもアヴァターラ製造の名門、バーマン一門は新開発の大型人型兵器を満載してきている。バーマンの公子たるタルヴィンが自身のアヴァターラ、チャンドラーGP01から降りたった。「ロストナンバーの皆さん、皆さんでも乗れるのをつくりました~」 猫の大型人型兵器アヴァターラは単に信心深い犬に対する嫌がらせという意味で人型をしている。つまり、猫専用だ。そのためにヒューマノイドである犬が乗るにはコックピットが小さすぎるという問題があった。「これらはどれも試作機ですから、故障には注意してください」 しかし、新開発の機体はすべて、犬やロストナンバーが乗れる大きさだという。だが、はたしてロストナンバーのためだけのものなのだろうか。そこにふてぶてしい、タルヴィンの兄が姿をあらわし、説明する。「……ロストナンバーのためだけに兵器開発するほど、バーマンは酔狂ではないよ。こいつらは我々雑種同盟が発注したものだ。犬がこれに乗る。それでこそ神の居ないこの世界の新時代が訪れるというものだ」「自分たちも戦います。どうか助けてください」 犬の高位神官であった東京ポチ夫も多足戦車に一山の荷物を載せて戻ってきた。 彼は、図書館に協力し異端を広めたと非難されている。その結果、神殿は図書館につくのと旅団につくのと2派に別れてしまっているという。「ロストナンバーの皆さん、こちらは我々柴一門が旧世界より持ち込み、管理してきたものです」「これ?」 それらは長さ10m程の円柱状の鉄塊であった。「神遺兵器テラー・ウラムです。これしか持って来られなくて申し訳ありません。残りは、旅団派に奪われました。気をつけてください。我が一族ももはやこれらを持っている理由が無くなりました。どうか、よろしくお願いします」 テラー・ウラム型多段階水爆は全部で10基ある。これはかつて、フォンブラウン市で使われたSADMと異なり1000倍以上の出力がある。 氷雲の先端が大気と接触し、空を流星が次々と横切っていく、それは幻想的なこの世の終わりの予感。 † こうして、ロストナンバーの精鋭達が出陣していった。 ブースターが切り離され、一気に彗星核の宙域まで飛んで行く、あるものはアヴァターラに乗って、ある者は自身の能力でもって…… だが、そこに新たな予言が加えられた。 旅団がフォンブラウン市に直接侵入してくるのだという。 市に残された手勢はわずかしかいない。 ふたたび、大地が揺れる。単発的な衝撃は地震由来では無い、流星がいずこかに落下したのだ。 †「中止命令は魔女っ娘みなさんに伝えなくてよろしいのでありますか?」「……」「貴殿がドクターに協力されるとは思いませんでしたよ。小生にとってはありがたいことでありますが」「……」 逃げ惑う犬猫を掻き分けるように、二人のロストナンバーが進む。一人は学生服の伊達男。鬼畜非道の蟲使いとして悪名高い、百足兵衛。彼は巨大な背嚢を背負っていた。「いくら、重力が小さいとは言え堪えますな」「それは、犬たちの大切な神遺物です。どうしてもやられそうになったら使ってくださいね」「犬たちにやらせればよろしいのに」「ご存じの通り、世界の運命を変えられるのは我々ロストナンバーだけですから」「わかったであります。しかし、こんな小娘が指揮官とは、大隊も人手不足でありますな。部下はどうされたのですか?」「友達ならここにいます」 百足兵衛のかたわらに従うのは、ミカン隊の隊長を務めるみかんだ。ミカン隊は彼女のマジカル☆タクトの指揮のもと、大規模魔術を行使することで知られている。いつも通り、折り目正しいブレザーに身を包んでいた。しかし、今日は楽団の面々は見当たらない。 ぶーんぶーんと羽音がかすかに聞こえる。それは百足兵衛から発せられたものでは無かった。「そう、実は私も虫を使うのですよ。虫は畑を豊かにしますし、受粉も手伝ってくれます。そして、わたしはこの世界にうんざりしているんですよ。もう終わりにしましょう」「それでは手はず通り」 そして、二人は二手に分かれる。もとよりなれ合うような仲では無いのだ。 †『諸君には不本意であろうが、我が虚幻要塞は完成した。私の叢雲とマスカローゼはじきにお前らのところに辿り着くだろう。それまで準備を怠らないでくれたまえ』 ドクタークランチの哄笑が響く。 朱い月にかかっている雲を突き抜け、流星がまた落下した。
【0世界・ホワイトタワー】 田中市陥落と共に捕らえられた魔法少女達と彼女たちを指導している長手道提督はホワイトタワーに幽閉されていた。 そこにローナが一人で訪れていた。 ターミナルでは犬猫の世界にせまるドクタークランチの要塞の状況がうわさになっていた。そこでふとローナは捕虜達から状況を打開する手段が得られないのかと思いついたのである。 星間戦争用に開発された彼女のプログラムがそうさせたのであろう。紛争は大規模破壊にいたる前に政治解決されることはめずらしくない。 「提督、お加減はよろしいでしょうか」 「図書館の紳士的な待遇に感謝する。私に協力できることでしたら、お手伝いしましょう」 ホワイトタワーに来てからも魔法少女達はだんまりを決め込み、尋問の窓口としては長手道提督が当たっていた。その提督も辺り差し障りの無い雑談には応じるが、ナラゴニアのことについてはなかなか口を割らない。 より過激な手段も考えられたが、旅団との抗争が激化する中、図書館には尋問に裂ける人員も少なくむしろ放置されているというのが実情だ。 「はい、ただいま残存している魔法少女達が大規模作戦を展開しておりまして、そのことについて本日はご相談と言うことで伺わせていただきました」 「あなたは」 「失礼しました。私はローナと言います。試験用生体コアユニットになります」 彼女の見た目は、魔法少女達とさほど変わらない。デスクに資料を広げる。 「これが、我々の理解している『修正Mプラン』の全貌です」 「なるほど……」 提督は白くなった頭に手をやった。 「我々のもっている知識が足りないと。この計画はうまく行かないと……」 「はい、そして、こちらが我々で検討したM2プランです」 それは破砕した彗星核を用いて、緑化を進めるというものであった。小さく砕いた後であれば世界に対する悪影響を最小化し、水資源のロストも少ない。 それから、ローナは最新の情報、叢雲が調査中の世界を飲み込んだことを伝えた。 図書館側にはまだ知られていないことだが、その世界は失われた魔法少女達の故郷でもある。無数にある矮小世界の中からそれが選ばれたのは単なる偶然とは考えがたい。 「このままではあの犬猫の世界も破壊されてしまいます。それがあなた方の目的なのですか?」 「弁明させていただければ、私も犬猫達の幸せを願っていた。解せないところが一つある。私は田中市陥落時に彗星落とし計画の中止を命令している。だが、あなたは大隊が作戦を継続しているという」 「……」 「いや、あなたがここで私をたばかっても利益はあるまい。誰かが強引に作戦を先導しているのだろう。心当たりがある。彼女なら停戦命令を握りつぶせる。世界樹が到達する前に世界が滅んでは意味が無い。それはわかるね」 「世界樹に捧げることが目標。叢雲は、ならば……」 『修正Mプラン』すなわち『plan Meteorite, revision 2』と呼称されていたこの計画は、世界図書館の影響力排除と、世界の緑化を同時に達成することを目標としている。 捕虜からの情報によると、元々は水資源を確保するためにアステロイドベルトから氷塊を取得するものであったという。彗星核はその質量の90%が氷で構成されており理想的な水資源となる トラベラーズノートで現地に通信を試みるも応答が無い。 推測される事態は『朱い月に見守られて』の世界階層が沈んでいっていることだ。 エアメールを送るには、相手の顔と名前、そしてその相手のいる世界の階層数が必要だ。 現状では世界ごと行方不明になっているようなものである。 それを悟るとローナは直ちに図書館に居る宇治喜撰に直接回線を開いた。 :request interrupt → rush into RED MOON BEHOLD :asynchronous permission → ceasefire offer モフトピアに向けて出発準備中のロストレイルに乗り込んで車掌にノートにダウンロードしたばっかりの命令書を突きつけた。デッドウエイトになるので客車すべて切り離すのが良い。 虚空に出ると同時に、ローナはブースターユニットを装着。航続距離を稼ぐためにロストレイルよりも大きいくらいのプロペラントつきだ。 ロストレイルがレールを敷き、矮小な世界への舵をとり、推力はローナがもたらした。 ……間に合ってくれ、こんな戦いは必要無いんだ。 「こんなことを頼めた義理では無いが……。彼女達を助けて欲しい」 † 【朱い月に見守られて】 その頃、小さな星の遙か上空では戦闘が始まっていた。 地上から次々とアヴァターラが打ち上げられて行く。その中にはロストナンバーが搭乗しているものもあった。 アヴァターラ3機のハーデ、シャンデル、星川。生身のブルーナイト。そして、強行補給艦に医龍の総勢5名。 ゼロは地上に残って最終防衛ライン、ゴールキーパーをつとめる。 ハレー彗星は3つのブロックに切り離されていた。先行している一つ目、ハレーAは地表から5000kmを割っていた。軌道を逸らして厄災を回避するには既に遅い。 これがそのまま地上に落下しては破滅だ。エアブレーキを最大限に利用して減速させる必要がある。そのために彗星核を爆砕して細かくする作戦である。大気中ではパンのかたまりより、ばらばらの小麦粉の方がゆっくり落ちる原理だ。 「地球圏統一連邦・機械化部隊所属・UE‐HB72typeナンバー07・ワタクシは『ブルーナイト』!! 目標・上空の彗星!!いざ向かう!!」 先行するきらめき。 自律推進できるブルーナイトが先行している。彼は戦闘用バトロイドだ。今は、ジェットモードに変形し、先頭を飛翔することによって陣形を形作っている。 集団戦が苦手な猫たちのために、彼のテールにはまばゆいビーコンが取り付けられている。第一波攻撃は彼を中心に展開する。アヴァターラの1/5程度の大きさのマシンは戦場の先駆けであった。 そのあとをブースターを切り離したばかりの猫の部隊が続く。 シャンテルは猫たちの中に混じっていた。猫同士、気が合うのだろう。彼女のアヴァターラ『GENSERIC』は極限まで軽量化してある。武装も長距離ライフルとクロー、そしてスモークディスチャージャーしかついていない。大変まえのめりな仕様だ。 「す、彗星落としだと……やらせはせんぞ!」 戯れるように集団の中でダンスしていた。たまに僚機に接近しすぎるが、それは相手も猫、うっかり衝突するようか無様はさらさない。 そう、急造の猫部隊は編隊が組めない。ブルーナイトのビーコンだけが秩序をもたらしているのだ。 ハーデはコックピットの中で、その中の一機をみつめていた。それには愛しの猫、タルヴィンが乗っている。着慣れないパイロットスーツが気分高揚させる。彼女は、前に会ったときに一つの告白をしていた。 「……もし返事をくれるなら、終わった後が良い。どちらの答えを貰っても、集中出来なくなりそうなんだ」 そしてヘルメットの中で顔を上気させたまま目を逸らした。そのタルヴィンは、ボーズの機体を追っていた。猫の公子は、まだ出奔した兄に思うところがあるようだ。 部隊から少し離れて星川の機体『カバードコア Mk-II』が飛んでいる。 「この浮かれた雰囲気は気にくわないぜ」 彼のアヴァターラも軽量型だ。だが他のロストナンバーと違うのはテラー・ウラムを架装していることだ。それだけに緊張感が重い。水爆を放つまでは機体は反応が遅れるだろう。慎重に距離をとっていた。 そして、ようやくにして医龍の不思議な形状のアヴァターラ『黒瞥』もブースターを切り離した。これはアヴァターラと言うよりは艦と呼んだほうが正しい。 通常のアヴァターラの何倍もの大きさがあり、足を模したスラスターに、腕の代わりに二対の翼を生やしていた。 格闘艦というコンセプトで作られた強行補給艦。 宇宙戦専用のハブシステムである。本来、集団戦を好まない猫に対して、ボーズの雑種同盟が発注した機体だ。 二対四枚の翼は細かなマニピュレータの集合体で、それぞれが一機のアヴァターラを係留できる。長距離作戦を見据え、前線で補給艦として機能するよう設計されている。発令機能もあった。 真っ白な塗装が施されたこれに、医龍は随所に赤十字マークを加えている。 ワイバーンに見えた。 † ハレーAから火線が延び――戦端が開かれた。 氷塊の陰から多数の光が見え隠れする。犬たちの多足戦車だ。 未だ、魔法少女達の影は見えない。出し惜しみしているのだろう。 部隊は散開し、各個迎撃に入った。 ビーコンをつけたままのブルーナイトが今は攻撃を引き受けているが、彼はテラー・ウラムを抱えているのであまり無理ができない。 宇宙は広いようで狭い。あっという間に相対距離が縮み、ディスプレイに識別された順番に戦車群の映像が映し出されていく。 ハレーAの周辺にはおびただしい数の小さな氷塊が浮いている。 犬たちはそれらをうまく利用して陣形を構築していた。 猫たちは火線に押されてうまく近寄れない。 「いくよー」 そこでシャンデルが飛び出した。ここはテラー・ウラムを抱えていない組が突入するしか無い。合図をうけてハーデ機も宇宙を滑り、後に続いた。テラー・ウラムを抱えた猫たちはその背後に隠れている。 急速接近する機動兵器めがけ弾幕が張られた。 シャンデルも巧みに氷塊を利用して弾を避け、距離を詰める。そして、いよいよになるとスモークディスチャージャーを発射、グレネードは目くらましの光を引き、それから煙を発した。 視界が遮られる中、シャンデルは戦車隊に後ろから接近し、かぎ爪で戦車を引き裂いた。 敵陣のまっただ中だ。 犬たちの戦車は互いにデータリンクがされている。集団戦は犬たちのお家芸だ。限定視界の中、シャンデルは集中砲火を浴びることになった。 十字に砲弾が行き交うなか、シャンデルは巧妙に氷塊、そして、戦車自身を盾としながら次々と撃破数を稼いでいった。 シャンデル機『GENSERIC』のスラスターが折れる、足を砲弾が貫く。そんな戦い方は損耗も激しい。ライフルはとうに失われていた。 「そろそろ無理かな。脱出~っ」 猫は戦車の一つに狙いを定めると無謀な特攻を敢行した。 衝突と同時に、本人の物体を溶かす能力でハッチをぶち破り、宇宙に生身で躍り出ると目の前の戦車にとりついた。 入れ替わりに『GENSERIC』が零距離射撃を受けて大破。 そして、シャンデルは戦車の床下をドロドロにし、破った。慌てふためく犬たちをぶん殴って沈黙させると、戦車を暴走させ、砲を明後日の方向に乱射しながら身近な別の戦車に衝突した。 こうして、シャンデルが多足戦車の乗り捨てを繰り替えし破壊はまき散らすと、犬たちの陣形が崩れた。 血路は開かれた。星川が接近しテラー・ウラムを投下。たのしげに宇宙遊泳するシャンデルをマニピュレータで掴んで、速やかに離脱した。 シャンデルが援護していた猫たちも設置を終えるといそいそと離れる。 † 神遺物テラー・ウラム 犬猫の祖先が異世界から持ち込んだ戦略級兵器。 超ウラン元素分裂時の質量欠損をエネルギー源とする核分裂兵器の基本設計は3種類存在する。原始的なガンバレル型、核燃料の燃焼効率と安全性を向上させたインプロージョン型、そして、少量の核融合物質を配合したブースト型である。 しかし、通常ブースト型核兵器は熱核融合兵器とは言わない。 真に出力エネルギーの大半を核融合反応に求める水素爆弾の基本設計は一つしか存在しない。 テラー・ウラム型だ。 テラー・ウラムのコアはピーナッツのような形をしている。これは数学的には二つの焦点を持つ鏡だ。 一方の焦点にはブースト型核分裂爆弾が置かれている。爆縮レンズを構成する通常爆弾によってプルトニウムが圧縮されると、原子の火が灯る。プルトニウムに端を発した高速中性子は、デーモンコアに配合してある重水素と三重水素の反応を誘発し、さらに大量の中性子をもたらし、効率よくプルトニウムを分裂させていく。これがステージ1、ブースト段階だ。 この爆発はX線が先行する。X線はピーナッツ殻を構成するウランによって反射されて第二焦点に導かれる。ここにあるのはウランの容器に包まれた重水素化リチウムだ。X線はその容器、タンパー・プッシャーを圧壊させ、中性子がたたき込まれ三重水素に分解されたリチウムと重水素が核融合を起こす。 重水素化リチウムに臨界を超え核融合が始まっても、ウランのケージが蒸発するまでは反応が持続する。 その破壊力はしばしば太陽になぞらえるが、正確では無い。 テラー・ウラムの爆発的DT反応は、太陽核におけるpp連鎖反応とは桁違いの単位質量エネルギーを放出する。太陽が100億年駆けて消費する燃料を一瞬で燃やし尽くすのだ。 2基のテラー・ウラムによってハレーAは粉々に粉砕された。 大きな破片はブルーナイトがだめ押しのテラー・ウラムを投げつけ破壊した。 彗星は幻想的な流星群となって散っていった。 † 地上からは線香花火にも満たない瞬き。 それは失われていく命の光であった。 くず星となった氷塊が流れ落ちるのがリーリスの目にうつる。 地上に残った彼女はいま、フォンブラウン市の脇にある移動都市玄武の旧司令塔脇まで来ていた。 ここからは魔法少女のなれの果ての樹と、彗星を見上げ仁王立ちしている超巨大少女ゼロがよく見える。むしろ、ゼロが見えすぎて戦場《そら》がよく見えない。 「残った玄武の破壊と遺跡の永久起動でこの世界は破滅する……敵が狙うのは多分この2か所よ」 そう思って彼女はここで待っている。 玄武のどこを基点にするかと考えれば、ゼロよりはずいぶん小さいが、それでも大きな樹だろう。 樹の近くは避難してきた犬猫でごった返していた。そちらから魔法の気配がする。今までの交戦記録や捕虜への調査より、魔法少女達の使う魔法は原始的な自然崇拝を根幹にしているものと判明している。神道やドルイド信仰が例としてわかりやすい。錬金術や唯一神崇拝と比べるとリーリスにもなじみが良い。どちらも生命を根幹においているからだ。 魅了の力でちょっとずつ人払いをし、道を作っていって見れば。 案の定、ヒトが一人居た。 「あら……生と死の魔法ってそこそこ不便よ? 無機物にはあまり効かないから。だから玄武に来るのはパワー型で魔法使いは遺跡に行くと思ったの。でもなんでキミのようなのがここにいるのかな」 リーリスに気付いた人影は、まだ幼さの残る顔を上げた。魔法少女達を指揮するみかんである。 彼女は折り目正しく着込んだブレザーの裾を払うと、吸精鬼に会釈した。こうすると中学生にしか見えない。 周りの犬猫達がただ事ならぬ気配を感じ取り、後ずさりをはじめた。 「キミ」 「みかんです」 「キミ、どうやってここまで来たのかしら」 「世界の植物は地下で全部つながっているの。だから、緑があればどこにでも現れられます」 そう言って樹を仰ぎ見た。俗に言う『森渡り』と言う魔術だ。 「あなたの読みは正しいわ。本命の男は遺跡に向かっています。私はちょっとここで儀式の仕上げをしないといけませんからね」 「それをリーリスに言ってしまって良かったのかしら?」 「大丈夫よ。あなたはここで滅びます」 不敵な笑みを浮かべて中学生は腕を広げる。その手先から細かいものが落ちていく。 ――砂? 種? 魔法少女を中心とした地から蔓が生えていき、二人が立つ甲板を食い破っていく、そして、ブレザーの袖口からは、煙のように無数の甲虫が飛び立っていった。 その魔甲虫のもやが犬猫のところに到達すると地獄絵図が生じた。ホタルが光り、テントウムシが踊る。そして、無数のカブトムシが生き物に襲いかかった。 恐るべき事に彼女が無言で反対のブレザーの袖を振るうと、そこからはイナゴがとうとうとあふれ出た。それらは平原を喰らい尽くす害虫だ。 悲鳴を上げて互いに折り重なるようにぶつかり合う犬猫を哀れに思ったか、リーリスは精神感応能力を全開にし、犬猫を地下に逃すことにした。 『誇り高いネコよ胸を張れ! 粛々と地下洞を進み熊野を目指せ! 汝らの務めはネコ族の気高さを見せる事! 慌てることなかれ、優美さこそネコ族の真価! 勇敢なる犬よ武器を取れ! 地下都市フォンブラウンの要所を守り抜け! これは聖戦、汝らの名と氏族は永遠に語り継がれる! 今こそ勇猛なる犬族の真価を見せる時!』 そして、魔法少女と相対する。 「その虫ごと食って差し上げますわ」 吸精鬼が触れると種から生じた蔓に触れると、それは塵芥と化した。膨大な精気がリーリスに流れ込みめまいがする。ブラックオニキスにひびが入った。 「あはは、忌々しいチャイ=ブレの戒めが緩んだわ。あなたのそれ全部、吸い尽くして差し上げますわ」 そう嗤うと、吸精鬼は呪わしい鳩に転じた。鳩の羽ばたきを受けた有機物は塵へと帰って行く。地から伸びる蔓はしなび、虫たちはかさかさの化石になった。振り返れば逃げ遅れた犬猫がさらさらと崩れ去っていく。そして、玄武を見下ろしていた樹が乾いて倒壊してきた。 ずずんと、灰が巻き上がる。哀れな戦死者の墓標はもはやない。 「あら、やりすぎたかしら。それにしても、キミはずいぶん溜め込んでいるのね」 そして、髪から袖口から裾から、ちらちら生命をこぼしている魔法少女と交錯した。 「そういう不浄の者。世界樹のお味はいかがでしたか?」 !? すると、リーリスは唐突に元の姿に戻った。みかんに耳元で告げられたことにいたずら心を刺激されたようだ。 「面白いこと言うわね」 「パワー型、百足兵衛さんには遺跡に向かっていただきました。あなたは彼相手の方が本領発揮できるのでしたよね? 急がないと他の誰かに盗られてしまいますよ」 「ふふふ、キミの思い通りになってあげる。リーリスの気まぐれに感謝しなさい」 † ハレーB攻略戦が始まった。 「……ブースターを使って、残りのテラー・ウラムを軌道上まで持っていくことは可能か?」 「間に合いません」 ハーデが舌打ちをしようしたところで、地上から追加報告が来た。 「ゼロが投げるのです。受け取ってくださいなのです」 ゼロが水爆を手に掴んで成層圏を抜けるまで背を伸ばした。地上からテラー・ウラムが投げ上げられていく。 「あれができるならブースターは最初からいらなかったな……まったく。よし行くぞ」 第一派の核爆発3基はハレーAの破壊に消費したので、追加投入である。 残り7基の特殊弾頭はハーデ機『Vasteel』の周辺に配置されている。その目の前をハレーBが重力に牽かれて加速しつつあった。 「爆破タイミングを起動後2秒に設定した。テラー・ウラムをアスポーツし続ければ、現出タイミングで爆発する筈だ。例えあの副官が居たとしても再転送のタイミングは合わせられまい」 できるだけ、多数のテラー・ウラムをハレーCに温存したい。 「アヴァターラで最適な爆破位置を計算したい。裏に回ってハレーBの形態を確認する。その間の防御を頼めるか? テラー・ウラム自体を攻撃されたら、何のために苦労して宙にあげるか分からなくなる……頼む」 「はい! 任されました!」 「私も行くよ。さっさと済ませるよ。ちょうどいい氷が飛んできたね。タルヴィン、ボーズこの氷を遮蔽にして粘ってくれよ」 「そう言われてしまっては、あごで使われてしまうほかあるまい」 陣まで運ばれたシャンデルは医龍から新しい機体を受け取っている。 猫たちを残して、小回りの利くハーデとシャンデルがハレーBに向かった。『Vasteel』の中で薄く嗤う。 「私は強攻偵察兵だ……寧ろこういう破壊工作こそ本領を発揮する」 彗星の裏側にはやはりというか無数の多足戦車が待っていた。 「うにゃにゃ~」 シャンデルのロングレンジライフルが戦車を貫く。同時に『GENSERIC』から発煙弾を周辺にばらまき、煙に紛れてハレーBの陰に入った。そのまま、地表を縫うように進んで接近。 一方、計測を進めたいハーデは氷塊から距離をおきつつ『Vasteel』を旋回させた。 そこに集中的に攻撃が寄せられる。 「邪魔をするな、魔女大隊!」 アヴァターラの手足で多足戦車を弾き飛ばし蹴る。 敵の本陣にシャンデルが斬り込んだところで多足戦車が後退を始めた。 「逃げるなー!」 「あきらめが早いな。ハレーCが本命と言うとこか」 氷塊の死角から出て、タルヴィンとの通信を回復させる。記録した形状データを送る。 「解析OKです。鞍になっているところの深度1km地点に応力が集中しています。一発で破壊できます」 「よし、残り全て最後の氷塊にぶち込んでやれる。爆発後に、少しでも氷塊を破壊するため、取り付いたアヴァターラも爆破する……後で拾ってくれ、タルヴィン」 『GENSERIC』も後退する大隊の追撃を切り上げて戻ってきた。 と、その時である。 _________∧,、_この感じ!!___,____ シャンデルの猫の部分が強く警告する。 「みんな! 逃げるんだ!」 とっさにコックピットの彼女は目の前のディスプレイパネルを鏡と見立て空間を裂き、異空間に逃れた。 一瞬遅れてハーデがいとおしい猫の危機を察知し絶叫する。 不意に強烈な閃光が虚空をはしり、ハレーBと周辺で氷塊が一斉に爆散した。タルヴィンとボーズが陰にしていた氷塊も光球に包まれる。 旅団が各所に設置した核爆弾が爆発したのだ。 核反応を直視すると青い光が見えるという。それは物体を透過するγ線を亜光速に飛び交う荷電粒子が追い越したときに生じる死の光だ。 罠であった。 電磁パルスに飽和させられていたレーダーがゆっくりと晴れ上がる。後方にたたずむ医龍に報告が次々と寄せられた。 異空間から復帰したシャンデルもそこにもどっている。あっという間に2機目の機体を失ったことを悔しがる余裕も無い。 医龍は神経回路をマシンに直結し、並列的にアヴァターラの補修作業を進める。シャンデルの予備機もじきに地上から届くだろう。 ワイバーンの翼は傷病兵で溢れ、ワイヤーを展開して少しでも多くを助けられるように腕を広げていた。 今もボーズのチャンドラーGP03ヴィタルカが弱々しく、医龍機から延ばすマニピュレータを掴んだ。 その時である。 火線が空間を横切りボーズ機が爆散した。パイロットの生存は絶望的だ。 第二撃は、回り込んだ星川がシールドで防いだ。彼の未来視能力あっての芸当だ。 「さっきの混乱の隙に部隊を展開された。盾を持ってきて良かったぜ。――ブルーナイト、聞こえるか? 敵は一機では無いはずだ」 光学解析結果が出る。間違いない。 「攻撃はセクションJ-14から……解析……スペクトル既知物質に合致せず。攻撃は超自然と断定」 「魔法少女に狙撃手が居るってことかい」 続く火線、星川のシールドが溶解し、ダメージレポートの警告音が鳴る。 「盾にしても一撃しかもたないな。あいつらにまだこんな大火力がいたとはな。ブルーナイ……ッ!! うおぉぉ!!」 レーダーが光速熱源体多数の接近を警告してきた。星川の未来視に全滅の光景が映る。 ――ミサイル!? 10……17基!! ――ミサイルAを破壊する そう念じても全滅の光景は変わらない。核ミサイルが混ぜてある。 ――ミサイルBを破壊する。ダメだ。ミサイルC……E……K、くそっ!! 「ブルーッ!! I-4の全基を落とせ!!」 ブルーナイトは人間型通常モードに変形し、ギアの大型ビームランチャーを構える。体内の核融合炉を直結し、緊急オプションでチャージ。 魔法少女のものとも劣らない火線が延び、砲身をスイープさせると、荷電粒子の奔流が扇をつくって、迫り来る脅威を飲み込んでいった。 破壊を感知した制御装置が起爆させ、虚空に3つの太陽が産まれた。この距離なら大きな被害は無い。 だが、弾幕の中、一基のミサイルは撃ち落とすには接近しすぎていた。星川機が用を為さない盾を捨てて十文字槍を両手で構えて突出する。 向かった先の無慈悲な大量破壊兵器。 「爆縮レンズの継ぎ目から、核資材だけを狙う!!」 インプロージョン型以降の世代の核兵器は起爆にデリケートな制御が必要である。逆に言えば、ミサイルが自己の破壊を検出する前にプルトニウムをたたき出せば臨界を超えられず爆発を止められる。 「槍なら、空飛ぶ虫だって貫けるぜ! ならばこんなデカ物! やれよ! 俺!!」 圧縮された時間の中、未来視で幾たびも十文字槍を突き出す角度を調整して――乾坤一擲。爆縮レンズが連鎖爆発するよりも速く! 穂先はあやまたずにウラン殻をこじ開け、その中心のプルトニウムを二つに分け臨界量を削られる。そして爆縮レンズはエネルギーを手元方向に逸らされた。 「……ふーっ!」 ミサイルは無様なターティーボムとして散った。どっと、力が抜ける。 戻ると、ただちに医龍の『黒瞥』からマニピュレータが延び、新しい盾が手渡された。 入れ替わりに、ジェット形態にふたたび戻ったブルーナイトが光の尾を引いて飛んでいく。 「医龍が殺られたら俺らは全滅だ。頼んだぞ」 「ROG」 だが、戦場を俯瞰するブルーナイトは冷徹な戦争の事実を突きつけられていた。 EMPから回復してずいぶん経つがハーデ機の反応が無い。 地上管制から悲痛なメッセージが届く。 ――我が方のテラー・ウラムはすべて失われました。ハレーCを破壊する手段がもうありません。 混乱は思いの外に時間を消費している。 ――ハレーC、大気圏に突入まで残り10分です。 「ワタクシ達だけでやるしかないということだ」 † そのころ、半壊したハーデ機は戦場からはじき出されて寄る辺の無い軌道にあった。電子兵装は至近距離で電磁パルスを浴びたことにより再起動の見込みは無い。このままでは朱い月に落下して終わるだろう。 空気が爆風を伝えない真空の宇宙では熱線が物体を破壊する。距離の逆二乗で減衰するのでほんの数キロにしか影響が出ないというのはあまり慰めにならないだろう。 意識が定まらない。 タル……タルヴィンとぶつぶつつぶやく口からは血の混じった液体がこぼれている。 コックピットの気密は完全に失われており、汚れたヘルメットを脱ぐわけにもいかない。ディスプレイはすべて沈黙し、真っ暗な鉄の棺桶だ。だが、それになんの意味があろうか。あれだけのγ線を浴びたのだ。もう長くはあるまい。 ただ、あの瞬間……もてるアスポーツ能力のすべてを使ってタルヴィンのチャンドラーGP01をはるか後方に飛ばせただけで満足だ。あの愛しい猫は無事に戦場を離脱できただろうか。 脳の血管もいくつか切れているだろう。 アヴァターラをまるごと転送することは孤独な強攻偵察兵の能力を超えたものであったから。 下半身の感覚ももう無い。 どうにか腕をうごかしてポケットに入れてある猫櫛に触れる。そして、猫はきっと助かったのだと自己欺瞞をして、ハーデはそっと意識を手放した。 † 空の喧噪を知らずに、百足兵衛はフォンブラウン市の通廊をくだっていた。 彼は遺跡をめざしている。リーリスの読みの通り、蟲使いは叢雲のために虚無の空へのゲートを開放しようとしているのだ。 背嚢が重そうだ。 ここはロストレイルの駅への向かう一本道。 そんな旅団の走狗を追う一つの影がある。 革ボディスーツ、防塵ガスマスク着用で全身保護した龍人のアサシン……飛天鴉刃だ。 エアメールが送受信不能になっていていたが、リーリスからの念話があったことで状況を理解した。やはり、百足兵衛は遺跡に向かっているのだ。ならば回廊で襲撃するのが良いだろう。 彼女は配管や張り出しの陰に隠れつつ、蟲使いを追跡していた。その心を支配するのはどす黒い復讐心。 昏い視線の先では、一人の犬が道案内をしていた。その耳からは蟲が出入りしている。鴉刃の中ではあれは屍体だ。蟲に動かされているだけの骸。 犬を哀れに思う心は鴉刃には無かった。その心はすでに闇に沈んでいると言って良い。 いままで百足兵衛の犠牲になった命、仲間に想いをはせながら目の前の犠牲者を放置する矛盾。仇敵が原住民を無意味に殺害するのを、深淵を覗き込む瞳で見守った。 冷徹に体を動かし、この世界の微少な重力に体をなじませようとしている。 重力が小さいと言えば、重いものが簡単に持ち上げられるというのは素人考えだ。そこで身に余る武器を持てば自滅するほか無い。 体が軽いと言うことは、踏ん張りが利かないと言うことでもある。滑りやすい床と同じ、そして一度宙に浮いてしまえばもはや取り返しがつかない。動きは小さく、慎重に……。 だからこそ、アサシンは自らのかぎ爪と手刀だけで勝負をつけようとしている。 通廊に終わりが見えてきた。遺跡のプラットホームまであと少しだ。 百足兵衛が意識をロストレイル号の方に向ける。 とそこに場違いの鳩が二人を追い抜いていった。二人は知るよしも無いがリーリスだ。 鳩は漂う鱗粉に捲かれたかのようにすぅっと地に墜ちる。 ――好機 ――仇敵 天井をつたい忍び寄る。 そして、百足兵衛が蟲のたかる鳩を見下ろした瞬間、襲いかかった。 鴉刃の手刀は手袋状のギアの力により、真剣と同じ切れ味がある。狙うは急所。心臓は……背の背嚢が邪魔だ。 ならば、頸。 斬撃は狙いあやまたずに軌道を描き、斜め上から稲穂を斬り込むように肉を切り裂く。 頸動脈が切断され勢いよく血が噴き出す。壁と天井に奇っ怪が図形が描かれる。 しかし残念ながら百足兵衛が死ぬことは無かった。 偶然か、百足兵衛が視線を何かにとられたために、その背の背嚢が動き、脊椎を切断するところのほんのわずか前に背嚢に引っかかって、手刀は逸らされたのだ。蟲使いは出血死しない。背嚢がやぶけ金属光沢が覗く。 よろめく蟲使い。 その前にかがむ形に暗殺者は振り返った。 「久しいな百足。マヌケに斬られた無様な醜態と足はもう完治したか?」 「貴殿は……」 鴉刃を見下ろす視線は血走り喜色に歪んでいた。アサシンに呪わしい蟲使いの血が降り注ぐ、しかし、その毒はボディスーツに阻まれる。なじみの鱗粉もガスマスクを通ることはできない。ぐももった声を響かせる。 「私が欲しいのであろう? 死ぬ気でこい」 「さよう……つまらない任務でありましたがこれは僥倖、ふふふん。貴殿の子壷は良い苗床になることでしょう」 言い終えたときには血は既に噴出を止めていた。 汚染された床から糞蠅が沸いてきており、たかられたリーリスからは骨が見えている。 この体制、鴉刃の絶対有利。 見上げる姿勢により四肢に力は漲り、竜丹に気が充実している。さぞかし、蟲使いには魅力的に見えたことだろう。 対しての百足兵衛は、腰が浮き上がり、あろう事か飛び上がった背嚢に引っ張られている。死に体。 鴉刃の二撃目は、蟲使いの左腕を斬り飛ばすだけで終わった。長い放物線を描いて、べしゃりと壁に染みをつける。革帯を切断された背嚢から百足兵衛は自由になった。 暗殺者は慎重なのだ。百足兵衛に踏み込みすぎては予測不可能な方角から襲ってくる蟲に対抗できない。直ぐに回避できる余裕を保っている。 「どうした、何もせず殺されるのが望みか」 「ううぁぅ。痛いい」 蟲使いは健全な右手を、切断された左腕の切り口にずぶりと差し込む。引き抜いたときには彼の愛用の鎌が手にあった。 二人は互いに距離をとりぐるぐるとまわる。 一周するごとに地ある鳩が小さくなっていく、ぶよぶよに喰われてるところだ。 鴉刃は地に落ちている背嚢を蹴飛ばし遠くにやった。 武器は壁と天井、柱。三角跳びすれば低重力の中でも縦横無尽に駆け巡ることができる。 「動きが鈍いですね。小生の血が気になりますか?」 「同じ轍を踏む程マヌケではないのでな」 壁と天井、柱、角度が揃った。 地を蹴り襲いかかる。飛翔能力で微妙に軌道を逸らし、天井で反転、急降下する。虚実入り交じった攻撃を次々と繰り出す。 そして、必中の一撃を繰り出さんとしたとき、蟲使いの鎌もまた鳴動した。 憎しみと執着心がぶつかり合った。 † 「氷はゼロが止めンだろ。俺サマが遺跡に行かねェで誰が行くンだヨ。俺ァエレキ=テックだぞ」 その頃、ジャックは遺跡のコントロールルームに到達していた。廊下からいくつもの配管が侵入してきている。無数のパネルと制御機器類に埋め尽くされた部屋は静謐な趣を漂わせていた。この部屋には何百年も人が立ち入ることは無かったのだ。 それを先日破ったのはジャック本人に他ならない。 入ってきた扉をロックする。敵の最終目標がここであることは間違いない。さらに隔壁を降ろしてまわる。見た目によらず、ジャックに電子制御はお手のものだ。 尋常では無い雰囲気であった飛天鴉刃のことが気になっていた。今回弱い者を害する可能性は低いと考え何も言わなかったが一抹の不安が残る。 「しゃらくせェ。此処は俺たちの世界じゃねェ! 俺たちがコイツら好きにする権利なンざねェンだヨ!」 何百年も前からここにあった机を蹴飛ばす。そして天井、その向こうの岩盤を見上げる。 「ついて行ってやれば良かったかな」 監視カメラの映像をメインディスプレイに表示し、透視、精神感応を併用して敵を待つ。 万全の対策を施してから約半刻。ジャックは床を這うアリがいることに気付いた。換気口からもぶぶぶっと羽音が聞こえる。 「来たなァ!」 アポーツでそれらを隔壁で仕切られた通路に飛ばし、自らもテレポートで移動する。 そして、隔壁内にサイコバリアーを張って電撃を放った。 いくつものアリを灼いたが、配管のすきまから、柱の陰から、次々とアリが沸いてくる。さらには換気口からはハチがなだれ出てきた。ジャックのESPは無数の思念を観測する。そして、アリとハチたちが一ヵ所に集まるとヒトの姿になった。ミカン隊隊長、みかん部長だ。 ブレザーの中学生がむすっとした表情のまま軽く頭を下げる。袖口から覗く手や、髪の輪郭が揺らぎ、羽虫が分離と融合を繰り返している。 「絶対誰かがパンドラの箱を開けに来やがると思ってたゼ……テメェみてェな怖いネェチャンが来るたァ思ってなかったがナ」 「あなた一人だけですか。逃げてもいいですよ」 「テメェからは俺の嫌いな植物と蟲の匂いがすンだヨ。なら外より此処で戦う方が有利だろ」 「そう?」 つぶやくやいなや、彼女のつつましいスカートの裾からアリがわさーっと滝のようにこぼれ落ちてきた。しぶきのように広がり、隔離領域の床をあっという間に埋め尽くし、ジャックは慌てて飛び上がった。 「蟲が風に勝てると思うなヨ!? ライトニングトルネード!」 雷撃はアリの表層を焼き払うも、死骸の下から次々と新しいアリが押し寄せる。中学生のヒト型も風に煽られると、無数のハチをまき散らした。 風の奔流で迫り来る虫を払おうとするが、出る風があれば入る風も必要なのが摂理。乱流の中をいくつかのハチがジャックの肌に到達する。 「痛テェー!」 ジャックは思わずテレポートして隣のチェンバーに転移した。一息つく間はない。 『ゆけ、飛蝗――空を埋め尽くす絶望と共に』 多数の攻撃的思念がESPを介して感知される。配管まではふさぎ切れていないと警戒すると、カリカリカサカサと言う音が響き渡った。ときおりガキンと金属がぶつかる音が混じる。 「こいつら、鉄……喰ってんかヨ」 ジャックの想像の通り、隔壁が破られるとイナゴの大群が飛び出してきた。その向こうには口をへの字に曲げた中学生が見える。 「テメェ止まらねえタイプだろ。ここで樹になられても爆死されても困ンだヨ……吹き飛べ!」 そこにめがけ、ありったけの力をこめて雷撃を放つ。焦臭と共にオゾンが鼻を刺す。孔の向こうでは胴の半分をえぐられた少女が、どうにか立ち上がろうとしているのが見えた。欠損部分からは次々とコメヌクトが飛び立っていく。 ジャックは致命傷を確信し、即アスポートで外へ転送した。 荒い息のまま、壁に寄りかかる。 ここに来て能力の効果範囲が広がってきているがどうにも疲労する。 斜め上へと続く回廊からは地上が見える。それがたちまち黒いもやに包まれた。虫が帰ってきたのだ。 「そうです。私はここで止まるわけにはいきません。ご安心を、転生の秘技は私にしか施せません。自分には使えないと言うことです。ですから遠慮無くこのミカンを陵辱してください」 ESPに違和感。 「わかってきたぞ、カワイコちゃんヨ。連続魔法行使、回復力。おまえ、一人じゃねーナ」 「ご明察です。八人で一人、我々がミカン小隊。部長が私、みかん。残りのみんなも一緒にいます」 彼女は自らの焦点具、マジカル☆タクトを指先で掲げた。 「プラズマサイクロン!」 ジャックは電流の螺旋を作り、何ものも寄せ付けない壁とした。風と電子の両方を操る彼にしかできない技だ。 再び、部族戦士と超高位魔術師が激突する。 † 第三波、ハレーC攻略戦は絶望と焦燥の中で進行していた。 「撃てーっ!!」 医龍の『黒瞥』を軸に猫たちが射撃を続ける。しかし、この世界の通常兵器では数kmもある氷塊を破壊するには不十分だ。頼みの水素爆弾はもはや手元に無い。こうなれば、ハレーCにとりついて軌道から押すといった作業が必要だ。せめて、大都市の直撃だけは避けたい。 しかし、マジカル☆バリスタの狙撃に阻まれて近寄ることすらできない。 だから、先程からちまちまとした攻撃を繰り返している。 ブルーナイトはその狙撃手を追っている。ときおり虹色の閃光が宙をよぎる。 高性能AIは焦る。彼の故郷も、衛星落しが起きたことがあった。惨状の記録は保存されている。ハレーCの質量から容易に被害が推定できた。 このままでは、ここがやばい。 「……コノ、流星落しハ、絶対に阻止シナクテハイケナイ!」 暗礁空域の氷塊をかいくぐり発射地点を逆算する。 やがて、群れからはなれた多足戦車を補足した。人間型通常モードに戻ってギアのランチャーを構える ――チャージ済みエネルギー200% ジェネレータに直結されたランチャーブレードが火を噴く。 だが、攻撃は多足戦車の前に展開された盾によって阻まれた。シールドで守っている奴がいるのだ。非天然のスペクトルが観測される。 「魔法少女が二体イル」 狙撃を行っているのはマジカル☆バリスタを使うマランギ。そして、盾を持っているのはマジカル☆アサルトライフルのダフラティン。 ブルーナイトは戦車を狙うために接近する。 暗がりから火線が走る。マジカル☆アサルトライフルは近接戦闘型だ。氷塊に紛れブルーナイトを翻弄しながら攻撃してくる。既に被弾している。巧い。 だが、戦闘用バトロイドと生身の人間とでは耐久力が異なる。数発受けても稼働を続けられるブルーナイトと一撃死するダフラティンとの闘いは公平では無かった。盾で防ぐにしても極度の緊張を強いる。 小さな氷塊に移動を阻まれた瞬間、ランチャーブレードに斬られて彼女の人生は終わった。 そして、ブルーナイトは無防備になった戦車にメガブラスターキャノンを向ける。 だが、多足戦車はおとりだった。 ブルーナイトのキャノンが戦車を撃破した瞬間、背後の氷塊が割れ、その向こうから虹の奔流が迫ってきた。 回避は間に合わない。 両脚がたちまち溶解し、プロペラントも失った。 「……スラスターがやられたダケダ」 バルカンを撃ち返すと、氷塊の向こうに虹色の光輪が華開いた。攻撃に特化した生身の魔法少女では耐えきれるものでは無い。今や彼女は血と肉片をまき散らすずた袋にすぎない。 マジカル☆バリスタのマランギが戦死し魔法少女大隊はいきりたった。本陣がついに動き出した。もはや医龍のところに集まっている面々がハレーCに攻撃を仕掛けるどころではない。 その時である。戦場に敵将のメッセージを携えたローナが戦場に帰還した。 異次元から出現するとし直ちにロストレイル号とブースターユニットを切り離す。 ローナは代行体を地上に送り込みつつアヴァターラ達と魔法少女大隊の間に割って入った。花火が打ち上げられる。 「赤3つ、青1つ」 「停戦だと。バカな!」 医龍は呼びかけに応えて、射撃中止を仲間に伝達した。 ローナは提督からの停戦命令を発行し続け、戦場を横断し、魔法少女大隊の本陣に迫った。 「長手道提督からの停戦命令です。符丁になります。ご確認ください」 「何ものかに作戦中止を握りつぶされたいただと!? どういうことだ」 難しい話しであったが魔法少女達にも思うところがあったのだろう、やがて停戦は受け入れられた。 「いや、ならばみかん部長……あの人はなにを考えているのだ」 生き残った少女達は犬たちをまとめ上げ後退していく。 「だが、ハレーCを止めるにはもう手遅れでは……」 そこでローナはにっこりと振り返ると、地上から(ここからでも十分にわかるくらい大きな)シーアールシー・ゼロが手を振っていた。 † 鴉刃の振るう手刀は手袋『闇霧』の効果で本物の刃と同じ切れ味がある。その刃が、生きた鎌を絡みとろうとする。百足も、鎌をねじらせ根元の腕を狙った。 有機質の刃が交錯し、互いの腕を貫く。 鎌がぐるりと凶悪な口を開き、鴉刃のごとかじりついた。百足兵衛がほくそ笑む。鎌であった蟲はさらなる蟲を産み出し、鴉刃の腕を這い上がる。 「これで呪毒が入ってしまいましたね」 「それがどうした」 破壊された『闇霧』は力を失い、手刀はただの手に戻った。だが鴉刃の手から生えるかぎ爪は百足兵衛の腕に食らいついたままだ。爪にもてる力を流し込む、煮え立つ魔力が奔流となった。 むき出しの魔力に耐えきれず、百足兵衛の腕の虫たちがボコボコと膨らみ、出来損なった疱瘡は悪臭のする肉汁をほとばしらせながら破裂した。百足兵衛がたたらを踏む。 『破内爪』と呼んでいる呼んでいる技だ。 追撃の手を緩める鴉刃では無い。さらに一歩踏み込み、順手となった左手でがら空きの脇腹を狙う。あやまたず、やわらかいところを貫通する。背に魔力を逃しては勿体ないと爪を握りこんだ。 臓物と蟲をたっぷりため込んだ腹がべしゃっと肉片と飛び散らせながら吹き飛んだ。衝撃で背骨が折れ、支えを失った蟲使いは鴉刃にもたれかかる形になった。ぐえっと苦悶の声が漏れ聞こえる。 「くふぅ、良い様だな」 毒が回り始めたようだ。熱に浮かされるように言葉を紡がれる。あまり時間が無い。 憎しみの隻眼が鴉刃を刺す。 ――心地よい。 興奮に曇る意識が勝利を認識して晴れていく ――この後、数日は毒で苦しむことになりそうだ。ふふ。だが その時、百足の眼帯が突如めくれ上がった。とっさに突き放そうとするが、触れていたヵ所はすでに崩れた豆腐のようになっており、腕がむなしく反対側に突き抜けるだけだった。 百足の眼帯から蟲が飛び出して、鴉刃の顔のガスマスクに張り付いた。蟲はゴーグルに向かって腹を開き無数の錐の歯をむき出しにした。脛節がぎちぎちと掴んだガスマスクがへしゃげ、ゴーグルが割れる。そしてそのままの勢いで鴉刃の右目に食らいついた。 「うおおおぁぁ!!」 鴉刃は自らの眼球をえぐり蟲を地面に叩きつけ踏みつぶした。 だが、千切れた蟲の口が眼窩の奥に残り、視神経を囓った。 「がああぁ!! クソがっ! 百足……許さんぞ!」 呪毒が回り、正常な思考が保てない。 怨念と蟲の這い回る音が頭蓋内を駆け巡る。 その思念が魔力を暴走させた。 鴉刃の眼窩から魔力がたち昇る。 咆哮する口から、憎しみがただ漏れだ。 飛び上がり、壁に、地面に、天井に頭を打ち付ける。 そして、鴉刃の体内に溢れる魔力は一つの形になった。 汗の代わりに魔力の炎がゆらゆらと放射された。 たちまち、革ボディスーツが耐えきれずに燃え上がった。そして、魔力はそのまま大気にただよう蟲の鱗粉を灼き始める。前頭葉に歯を立てようとしたところの蟲には逃げ場が無い。 病魔に冒された人間が熱をもって菌に対処するのと同じように、鴉刃の魔力は炎となって呪いを鬩ぐ。 蟲で体をささえ、かろうじて立ち上がった蟲使いも炎に捲かれた。苦痛の叫び声が上がり、蟲たちが争って百足兵衛の体から逃げ出した。 支えを失った男は無様に倒れ込む。 倒れ伏した百足兵衛の口が大きく開かれ、中から腐敗臭のするぶよぶよとした煽動が見えた。 したたり落ちる呪いは、憎しみの炎に灼かれて煙りとなる。 鴉刃は仇敵を見下ろしていた。 「貴様の毒もこれでおしまいだ。……熱いだろ」 と、暗殺者が無念の蟲使いにとどめを刺そうすると、立ち止まった。蟲使いの下半身が融合しようと弱々しく這いよってきている。 「蟲に忠義高いのもいるのか。滑稽であるな」 蟲使いは蟲があるかぎり再生を続けるだろう。 「ふむ、頭を潰せば死んでくれるかな。おっと百足……お前のそこにも汚らしい蟲が詰まっているんだったかな」 そういって、百足の右腕を蹴飛ばした。ちぎれ、手の中の道具が配管に当たってカランと音をたてた。 敗者がびくんと痙攣する。 と、鴉刃の意識は自らの熱に冒され限界が来た。 そのままたたらを踏んでうしろ倒れ伏す。 ――啾啾と魔力の陽炎が昇り続けていた。 † すると、ぐぎぎと不快な音とともに、百足兵衛の大口がさらにありえなく開かれていった。顔がぱんぱんに膨らみ。冒涜的ななにかを生み出そうとする。 そしてそこから、にぃっとした非対称な少女の顔が現れた。顔は右側だけがあり、左はおぞましい内側をさらしていた。 「起爆装置から手を離してくれないかな、おじちゃん?」 吸精気リーリスだ。 彼女は塵化の能力で体内に入りこんでいたのだ。 百足の右腕をついばんでいた鳩がバサバサと耳障りな音をたて、這い出たリーリスの顔の左についた。そして、彼女が手でなぜると、もとの少女の顔に戻っていた。 倒れ伏す暗殺者を見下ろす。 「キミ、担ぐには重そうだね。だけど仕方が無いか」 彼女の手には小さな、蟲使いから奪った機械があった。 通廊の隔壁を何枚も降ろす。百足兵衛は閉じ込められた形だ。 そして、リーリスが機械についたつまみをひねると轟音が鳴り響いた。分厚い隔壁も耐えきれずにへしゃげ、すきまから汚染された蒸気が漏れ出す。 「SADMだよ。おじちゃんはなんで自爆しようとしたのかなぁ。そう言う殊勝なタイプには見えなかったんだけどねぇ」 復讐を果たしたアサシン、飛天鴉刃は核爆発の衝撃を聞いて目を覚ました。 「キミ、顔は触らない方が良いよ」 鴉刃は無意識に顔を撫でようとした手を止めた。 「傷口はふさいでおいたけど。右目、無いままだからね。ふふふ。かわいらしい眼帯でも用意しようかしら、キミの大好きだったおじさんとおそろいだね。ふふふ」 † 隔壁の向こう、隔離された中。よちよちと犬が一人歩いていた。 先程まで、百足兵衛に操られていたはずの犬だ。 彼はダクトの奥に鼻先をつっこむと小さな小さな一匹の蟲を捕まえた。管の配置と爆風の流れと偶然に偶然が重なって生き残ったのだ。 「この遺留品はきぃちゃんに届けてあげましょう」 そして、暗がりに犬……ウォスティ・ベルは消え去った。 † 特殊核爆破資材が起こした地響きは、遺跡深部のコントロールルームにも響いた。 二人は破壊をまき散らしながら戦い続け――どちらかが先か、コントロールルームに戻ってきていた。この中では過激な手段はとりにくい。お互いに油断せずに距離をとっているが、攻撃はひかえている。 「あちらさんもハデだねぇ」 「SADMが爆発したのなら、百足兵衛が死んだようです。マヌケって言うのでしたね」 「お前、仲間を罠にかけたのか? ザケたことヤってんじゃねーヨ!」 「仲間では無いわ。クランチ派は私の敵です」 「気に食わねぇなァ。自分以外みんな敵って顔してんぜェ」 警報音と共にコントロールルームのディスプレイが切り替わった。 この星と遺跡とディラックの空、そして叢雲が表示される。 「叢雲はもうここまで来ているわ。じゃまをしないでください」 そう言って中学生は、端末になにやら入力した。 Enter... . . . . . access denied. password invalid. 「!?」 画面に表示されるは圧倒的拒絶。 ローナの代行分体が遺跡のプロテクトを改竄していたのだ。 「おっと、お嬢ちゃん。まずいんじゃないんかい? そりゃ、お前のようなタイプの手には負えないんじゃないかなァ」 ジャックが詰め寄る。 ならばと溢れるアリを基盤に忍び込ませる。どうにかバイパスを試みようとしているのだ。 その時、コントロールルームが大きく揺れた。 なんと、ゼロが遺跡とフォンブラウン市を周囲の土地ごと掘り出したのだ。 頭上から超越少女の声が響く。 「「みかんさん。そうはいかないのです。魔女っ娘さん達は投降したのです。提督さんの命令が届いたのです」」 彼女は、みかんが犠牲者達を触媒・贄とし儀式魔法による全世界緑化を計画しているのだと考えていたようだ。 ご丁寧に、遺跡とフォンブラウン市を別々のポケットにしまっている。 ブレザーの魔法少女はがっくりと椅子にもたれかかる。 「地脈が絶たれました。私の負け」 † 「『この世界の安寧には水が必要』だそうなのです」 ゼロの声が高らかに宇宙に響く。 「外の世界から水を持ち込んではダメなのです。そうなのです。だから……」 ゼロが落ちてくるハレーCを受け止め、そっと砂漠に降ろした。 戦闘は終結し、危機は去った。 星川機は生き残りを探して、医龍機と共に虚空を飛んでいる。ブルーナイトは回収済みだ。 「星は夜空に輝く綺麗なものだ……実際どうであってもな。恐怖の対象とか終末の象徴になっちゃいけない。そうさせない」 大きく延ばされたゼロの腕が視界を横切る。 「この世界では、巨大化の規模を留める意味はもうあまりないのですー」 彼女は重力を無視して宇宙空間に浮き上がった。軌道上まで背伸びし、氷を全て掌で受けとめ、地上に置く。 「上を見ないで欲しいのですー」 一応スカートの下はホットパンツ。 さらには、アステロイドベルトにまでぐーんと手を伸ばしては氷を集めてきた。これらもそっと地表に置く。 犬の一人が遠吠えをした。 「これで、俺たちの竜星も緑の星になれる!」 ゼロが覗き込んだ朱い月の表面はのっぺりとした不定空間だった。ワームを煮詰めればそのようになるかもしれない。 その時、宇宙にひびが走った。 天を横切り、ジグザグに割れ、その遠くの星々が消える。その向こうに覗いたのはディラックの空だ。 † 叢雲が咆哮する。 獲物を前にして、大きく体と羽を伸ばした。 世界繭に生じたひびに、かぎ爪を食い込ませる。 遺跡の深奥ではブレザーの中学生が狂ったように嗤っていた。 「ははは、諦めていたのに……。なんでかな。なんでかな。あのちっちゃな女神様が最大の不確定要素だったのです。あの女の子にここまで巨大な力が合ったんですか? あなた方図書館は力を制限していたと思っていましたのに……。そうですか、街をポケットに入れたときに世界樹の実を取り込んでしまったのですね」 「何しやがったァ!」 「何もしていません。『外の世界から水を持ち込んではダメ』? 違います。どんな手段であったとしてもこの世界に無い力を使ってはダメなのよ」 と、唐突に彼女はジャックに抱きついて、胸でささやいた。 「私たちは私たちの世界を手に入れてみせます。叢雲は私がいただきますから。未開人……先を行かせてもらいますよ」 かぎ爪がこじ開けた裂け目から、畏怖すべき貌をのぞかせる。 叢雲が天地ほどの大きさのあるあぎとを開き、吐息の奔流を放つ。混沌の一撃は、大きく立ちはだかるゼロに阻まれた。 それでも混沌の残渣が地をえぐり、コペルニクス・クレーターが消滅した。 対して、ゼロが数千万kmの宇宙的巨体になって、竜の鼻先に超光速のデコピンを加える。 そして、服のリボンをそっと外し竜星とその周辺宙域を中に包みこんで結んだ。これで多少はもちこたえるだろう。 しかし、そんなゼロも宙に広がるあぎとに捕らえられ、少女は叢雲に食べられた。 つづいて、叢雲は満足げに天に向かって咆哮する。朱い月が消滅した。 主星を失った犬猫の星はふらふらと軌道から外れ、宇宙に開かれひび割れに向かって転げ落ちる。 ――竜星はディラックの空に墜ちた
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