ターミナルの空が覆われて、翳りが出来る。不思議に思って見上げれば、そこにはあるはずのない物が浮かんでいた。 彷徨える森と庭園の都市・ナラゴニアが攻め込んできたのだ。 外敵からの攻撃を想定してない都市は混乱に陥った。 ターミナルにある思い出の花を作る「トゥレーン」のマスターは、素早く店のドアを閉めた。自分が戦いに不向きである以上、避難するべきだが、店にある花たちを見捨てることは出来ない。 客から預かった、思い出と心が宿る花は大量だ。うかつに花の部分に触れるとその花の宿した「心」に精神が支配されてしまう恐れがあり、移動にも細心の注意が必要で、とても一人では不可能だ。 店の奥で気配がした。「あなたは? 血の匂い? ……! 旅団!」「っ……悪いが、匿ってもらえないか」 黒いコートの男は白い何かを抱いて告げる。片腕がなく、ひどい血の匂いがしたのにマスターが目を凝らすと、顔も青白く、息も荒い。「……あなたたちは」「世界樹旅団に属する、水薙・S・コウ……こいつは、カップ=ラーメン……このままだと、俺らは殺されるしかない」「殺される? 仲間が仲間をですか?」「俺は、作戦を放棄した。ハハ、罪人で、否定権なんてないのにな。……カップは、カップ=ラーメンは、こいつのなかには旅団の住人のすべてのデータがはいってるんだ。クランチはこいつが戦闘不能状態になったらそれだけ奪うつもりなんだ」 外で激しい音がする。マスターは眉根を寄せた。「今までのことを考えれば、助けてくれというのは虫が良すぎる。けど、俺はこいつを殺されたくない。こいつだけは助けたい。守りたい……!」「どういう事情にしろ、助けを求める人を見捨てるという選択肢は私にはありません。まずは手当を」 マスターが動こうとした瞬間、ドアが破壊された。その場に尻餅をついたマスターが見たのは赤銅髪の青年と黒い翼を背中に持つ男性が立っていた あきらかに殺気を放つ二人に室内に緊張が走る。「コーラスアス、それに、アズラエール」 水薙が片腕に抱えたそれを持って後ろに逃げるのにマスターが庇うように前に立つ。「武力のない者に攻撃するつもりはない。退いてもらおうか。……水薙、カップを返せ。それが図書館側への寝返りを阻止しろとクランチからの命令だ」「逃げ道がないようにっと」 アズラエールが片腕を動かすと、室内の温度が一気に下がった。見ると、窓、破壊されたドアと氷で覆われている。「さぁてと、水薙、そんな壊れた奴を庇って、さらには重傷の状態で戦えるのか? ほらほら、お前が欲しいのはこれだろう? クランチがカップのために作った……こいつの予備パーツ」 アズラエールがひらひらとふったのはカップ=ラーメンの予備パーツだった。それに水薙の顔が強張る。「こいつがないと、それ、元に戻らないんだろう? なぁ取引しようぜ? お前の首を差し出したら、これ、やってもいいぜ? 見逃してもやる」「二人は生きて捕獲するのではないのか! アズラエール、何をいって……!」「うるせぇ!」 コーラスアスをアズラエールは吹き飛ばし、にぃと笑う。「味方になんてことを!」 マスターの非難にアズラエールはからからと笑った。「俺が命令されたのは水薙を殺すこと、ついでにカップのデータの回収だけさ。水薙、お前もドジ踏んだな? よりによって銀猫伯爵なんぞの裏切りに加担してよ。クランチはお前のこともわりと目障りだと感じていたらしい。他の依頼で死ねばいいと思っていたが、生き延びて裏切りだ。殺す理由にはもっとこいだ! 俺の能力わかっているよな? すべての水を凍らせる。凍ったものは俺の意のまま! 触れた液体を操るお前には分が悪いぜ?」「アズラエール、それは俺が聞いた命令とちが、足が……!」 コーラスアスの足が凍りつく。「お前も邪魔だし、ついでにやっちまうか? ……ん、ここの植物、へぇ、おもしろいことができそうだ!」室内が震えるほどの寒さまで冷え、暗い闇に包まれていく。すると、霧が発生して室内を満たしていった。すると抵抗していたコーラスアスが悲鳴をあげて、その場に崩れる。「あああああああああああああああ!」 アズラエールの生み出した氷に覆われた花から発生する霧を吸い込むと「歓喜」「憎悪」「諦念」「悲哀」……凍った花に宿る「心」が、霧を通して室内にいる者たちの精神を満たしていく。 「心」に共感して封じた過去が蘇る。悲しい思い出、苦しい思い出、喜びに満ちた思い出……それから逃れることは叶わない。「花が、花に宿る心が……過去を蘇らせている……なんてことを!」「あー、うるせぇ! さっさと死ねよ!」 アズラエールが氷の刃を生み出すのにマスターの腕に白いペットボトルのようなものが押し付けられ、黒いコートがかけられる。 水薙がアズラエールと対峙する。「あなた……そんな傷だらけで!」「俺のコートは防御力があるからかぶってろ。あとカップを頼む。俺は、俺のために死んだ奴のためにもこのまま殺されるつもりはないんだ! 時間を稼ぐから、仲間を呼べ!」 水薙の言葉にマスターは預けられたカップを抱え、コートを羽織ると震える手でノートにペンを走らせた。★ ★ ★ ノートに助けを求めるメッセージがはいった。" 件名:どなたか送信者:ウィル・トゥレーン送信先:全体 トゥレーンが 旅団に襲われました。 いま、敵は仲違いをしてますが、敵は私たちを殺すつもりです。 救援をお願いします。 室内にはいるときは、注意してください。心が見せる過去に囚われてしまう。 ……みなさまの花が、このままでは腐ってしまう。どうか、その前に" ======!注意!イベントシナリオ群『進撃のナラゴニア』について、以下のように参加のルールを定めさせていただきます。(0)パーソナルイベント『虹の妖精郷へ潜入せよ:第2ターン』および企画シナリオ『ナレンシフ強奪計画ファイナル~温泉ゼリーの下見仕立て観光風味~』にご参加の方は、参加できません。(1)抽選エントリーは、1キャラクターにつき、すべての通常シナリオ・パーティシナリオの中からいずれか1つのみ、エントリーできます。(2)通常シナリオへの参加は1キャラクターにつき1本のみで、通常シナリオに参加する方は、パーティシナリオには参加できません。(3)パーティシナリオには複数本参加していただいて構いません(抽選エントリーできるのは1つだけです。抽選後の空席は自由に参加できます。通常シナリオに参加した人は参加できません)。※誤ってご参加された場合、参加が取り消されることがあります。======
混乱するターミナルを出来るだけ迅速に移動するためサイネリアは飛行能力を最大限に発揮して空中からトゥレーンに向かった。 目的の建物の前に赤と茶を見つけて、サイネリアは菫色の瞳を細めた。 まるで滴り落ちたばかりの血のようなコート、夜のなかに燃える松明のような瞳、黒い筒を背負っているクヴァールが声をあげる。 「だから、ここにいる奴の顔を知っているのかって聞いてるんだ」 整った顔をしているが、瞳の赤が陰湿さが見る者によっては睨まれているのかと思わせる。 一方、それに対抗するのはベージュスーツとタイトスカート、髪を一つにくくり、眼鏡、化粧もばっちりのキャリアウーマンスタイルの臼木桂花。片手に愛用のスキットルを持ち、胡乱な目でクヴァールを睨みつける。過去、部下候補たちを無言で叱咤激励した眼力には迫力がある。 「だからぁ、アタチは知らないって言ってるでしょ! ノートをみて来たんだからぁ!」 「だからここにいる奴の」 「聞けよ!」 「なにをしているのだ、そなたたちは」 上空から降り立ったサイネリアが間に入る。 「俺はここの店主の顔を知らないから聞いていたんだ。こいつが知ってるっていうから」 「私は噂を聞いたって言っただけよ、直接は知らないわ」 二人の言いあいにサイネリアは小さく唸る。 「どうかしたんですか?」 「あなたたちも来たの? わりと集まったわね」 淡い桜色の長髪をひらひらと揺らして駆けつけた舞原絵奈。その横には白いふわふわの毛にたれた耳がチャーミングな兎人のアーネスト・クロックラックが立っていた。二人はちょうど、この近くで休暇を楽しんでいたがノートを見て現場に急行中、たまたま合流したのだ。 「これだけいれば、マスターの顔を知る人がいるんじゃないの?」 桂花の一瞥にクヴァールの一つしかない赤い瞳がこの場にいる三人を見る。 「俺はここのマスターの顔を知らないんだが」 とクヴァール。 「すいません。私は、噂だけで」 「私もよ、そういう店があるっていうだけで、まだ行ったことはないの」 絵奈とアーネストの回答にクヴァールは眉根を寄せた。 「まさか、全員知らないのか……?」 「我が知っている」 サイネリアが全員を見た。 「マスターには花を作ってもらったことがある。何度か遊びにきたこともあるぞ」 サイネリアはマスターと顔見知りで、彼の奏でるチェロのファンであった。 「我が知っている限りは教えよう。マスターの特徴だが、黒髪、黒眼の男だ。いつもタキシードを着ている」 サイネリアがマスターの特徴を説明する。 「それだけわかれば上等でしょ?」 「ああ。助かった。……俺はクヴァール。あんたたちは?」 クヴァールの問いに全員が名乗りあった。 「本当にサイネリアさんがいてよかったです……どうしましょうか、ここでグスグスしていたら」 絵奈は心配そうに店を見た。扉は氷によって堅く閉ざされている。建物自体が霜に覆われ、近くにいるだけで鳥肌が立つほどの冷気が流れてくる。 「なかにはいるっていうなら私はいやよ」 きっぱりと桂花が断言する。 「ノートであったわよね? そんな状態にここにいる全員が陥ったら、それこそ皆殺しじゃない。私の武器は長距離だしね」 桂花はそう告げると、片手に持つトラベルギアを持ちあげる。一見、玩具の銃だが、それは桂花の気持ちを的確に理解する最高の相棒だ。 「それもそうね。全員で突っ込んでやられたら、シャレにならないわ。急いで助けるべきなのはわかるけど、闇雲に飛び込むのは得策じゃないわ」 アーネストが付けくわえた。 「敵同士が争っているなら、多少は時間稼ぎはできるでしょうし。……桂花のトラベルギアはなにができるの? あら、いろいろと出来るのね。だったら私が正面から入って囮になるわ。敵が私に意識を向けているうちに別のところから侵入して怪我人を助ける。どう?」 アーネストは赤い目を輝かせて首を傾げる。 「だったら私はアーネストさんのフォローをします! ……たぶん、私の魔法でこのドアは破れますし、囮は多いほうが敵の注意も向くと思うんです。出来るかぎり時間を稼げるようにがんばります」 「我は……扉以外はあるまい。この体ではな」 サイネリアは自分の肉体を見てふうとため息をついた。 「俺は」 「あんたは、私のガードでしょ」 桂花の言葉にクヴァールは眉根を寄せて、何か言おうと口を開くが 「まさか、か弱い女性である私を一人だけにするわけじゃないわよね? 今までの流れからいって私の盾になれるのはあんた以外、いないし」 「……」 口数の多くないクヴァールが、口達者な桂花を相手にしようなどとは魔王相手にレベル一の村人が竹やり一本で挑むほどに無謀だ。 「ガードよろしく」 「……わかった」 「我らもいくぞ」 「はい。お願いします!」 「私はいつでもいいわよ」 顔を見合わせて五人は頷いた。 絵奈の顔が戦士のものへと変わる。淡いロングヘアがふわっと揺れた。 足元に魔法陣が浮かび、優しく風が吹く。それは遠吠えする獣のような音をたてて絵奈の頭上に集まって、玉となると氷の壁に激突した。 絵奈はすぐに次の陣を構成し、加速する。 白い霧のなかに飛び込むと、そこには…… 「お姉ちゃん……」 白い霧が絵奈の体を優しく包んで、――囚われる。 アーネストは時間能力での不意打ちは最低一回のみしか使えないと判断して、切り札として大切にとっておくため、まずはトラベルギアをレーザーソードにして絵奈の後に続いた。 白い霧が、ゆっくりと 「……あれは」 白い霧がアーネストの赤い瞳を覆い隠した。 「マスター、無事か? ……!」 二人に続いたサイネリアは店の中で見たのは力なく蹲る絵奈とアーネストの姿。白い霧はそれ自体がまるで生物のように二人に纏わりついている。 「いかん!」 炎を生み出して氷を溶かそうとしたサイネリアの視界のなかに、黒い羽が大きくはためいた。 「まだいたのかよ? てめぇも堕ちろ!」 「貴様!」 サイネリアの目が研がれたナイフのように鋭く、睨む先には――この寒さのなか、上半身は何も纏っていない、背に黒翼を持つ男を捕えた。 「サイネリアさま! 逃げてください!」 「マスター! 今すぐに助け……っ!」 白い霧がまるで誰かの涙のように降り、サイネリアの意識を奪いとる。深い深い底の見えない心の奥へと――堕ちていく。 闖入者たちすべてを霧に包んだアズラエールは完全に油断していた。 「馬鹿なやつら」 感情に囚われた三人を鼻で笑い、片手を天へと掲げるとそこに鋭い氷の刃が生み出して無防備な三人に振り下ろそうとした。 瞬間、アズラエールの背後から水薙が攻撃が飛んだ。 「水ノ矢! てめぇの相手は俺だろう!」 「チッ! うぜぇ! 水なんて俺の敵じゃねぇんだよっ」 アズラエールは水薙の水を一瞬で凍らせ、氷の矢が水薙を壁に叩きつけた。 「全員まとめて死んじま……!」 アズラエールの羽に鋭い一撃が飛ぶ。――赤い、燃えるような深紅に包まれたクヴァールは背負っていた筒を力任せに窓のなか差し込み、なかにあるエンフィールド銃の引き金を引いたのだ。 黒い羽を擦れる程度のダメージしか与えられなかったのにクヴァールから舌打ちが漏れる。 クヴァールが乱暴に窓を叩き壊して侵入すると氷の矢が飛んできた。トラベルギアのフラフープを手の中で素早く回転させて防ぎ、投げた。 「くっ! 変なもん使いやがって!」 アズラエールがトラベルギアに目を向けている隙をついて狭い室内を移動しながら二撃目を狙う。赤い目が真っ直ぐにアズラエールを捕え、頭のなかで撃つタイミングと相手の回避位置を予測計算していると、体が傾いた。 「!」 床も凍って滑るのに思わず足先に力をいれて動きが止めると氷の刃が肩を突き刺した。全身の血が凍るほどの冷たさに呻くと、ぬっと視界にそれが現れた。 ピエロは笑う。――あはははははははははは! しんじまえ! 「ったく、もう!」 桂花はクヴァールが室内に飛び込んだあと、窓からマスターを探した。すると部屋の隅に何かを抱えたタキシードの男と、その横に血を流して今にも死にそうな水薙がいた。さらには床にどこかで会ったような奴までいる。 「仕方ないわねェ!」 桂花はトラベルギアを窓から差し込み、標準を合わせて、撃つ。 治療弾を水薙に向けて連続で十二発。倒れた水薙はすぐには起き上がらないが、肌の色は良くなったし、呼吸も穏やかになっているので大丈夫そうだ。次に狙ったのはコーラスアスだ。彼にも同じく十二発の治癒弾を撃つ。すると、白い霜に覆われていたコーラスアスがむくりっと起き上がった。 「むっ、自分は、ここは……! アズラエール、お前の行動をとっちめるのは戻ってからだ! ここでの任務を全う……」 これは、どう考えても、こいつが、このまま起きてはめんどくさいことになる。 「あんたは寝てなさい!」 おまけの幻覚弾がコーラスアスにヒットする。 腐っても旅団員であるコーラスアスはたとえ内輪揉めしたとしても任務に尽くそうとして、いきなり頭に痛みが走ったのに振り返り、絶句。 『凍えているでござるなぁああ! 安心されよぉおおお!! 我等の輝く黄金の美体で正気に戻るまで温めるぞぉぉぉ』 桂花の見せた幻覚弾によって現れた輝く黄金のマッチョマン(なぜかふんどし姿)十二体が突進し、コーラスアスをみっちりと抱擁した。 無理っ! ――あまりのことにコーラスアスは白目を剥いて気絶した。 「よし、こっちはいいわね」 桂花はコーラスアスが戦闘不能状態で倒れたのを見届けるとなかで戦うクヴァールを探した。先ほどまで動いていたと思っていた彼は壁でぐったりしている。 「ちょっと、あんた! なに寝てんのよ!」 桂花が声をあげるが、返事はない。 クヴァールまで囚われるとは予想外だった。 トラベルギアに白い霜がついたのに気がついた桂花は慌てて手を引っ込める。出来れば、炎の弾丸の一つや二つを撃ちこんで、氷を溶かしたいが仲間たちのことを考えると躊躇いが生じる。 「解ければ……目が覚めるわよね?」 危険な賭けということはわかっているが、ここで戦えるのはもう自分だけだ。 「やってやるわよ、こんちくしょう!」 桂花は奥の壁に向けて弾丸を放つ。炎の弾丸が氷をじゅっ! 音をたてて燃やす。しかし、一発だけでは弱い。 桂花は連続で引き金を引く。 自分の炎のせいでトゥレーン、花が燃えてることも理解している。 「家直すのくらいいくらだって手伝ってやるわよ! ここの花のことだって聞いたわよ! でもねっ……自分の花を置いてった人間が、その残した感情のせいで他人が死にかけてるとか耐えれると思うのッ! それだったらみんな喜んで自分の感情引きとるわよ! どんな形であれいつかは向き合うものなんだからね! もし文句言うやつがいたら張り倒して、謝ってやるわよっっ!」 まるで手負いの獣のような、怒声。 桂花自身の怒りのように弾丸は咆哮をあげる。 「うるせぇ女だなぁ」 アズラエールが桂花に気がついて、牙を剥いた。 ★ ★ ★ 感情に満たされて――すべては逆にまわる。 滝が落ち続ける世界。確か、その男はソンチョと言った。――はじめさせていただきます。無感動な声。ここは? サイネリアは縛られていた。動けない。なぜ? 悲しみに暮れた人の顔。 水のなか。 サイネリア、青は至高なんだそうだよ 水の中、体を丸めて、つめたい。どうして? 眠っているとおもっていた、のに。 尾を絡めても、もう絡みかえしてはくれなない。 兄さま! ――感情が辿りついたのは、すべてのはじまり。 それは否定の感情。最愛の人を無くした悲しみを受け入れることのできなかった者が生み出した紺碧色の花。 サイネリアの兄の身体には傷がなかった。病でやつれたわけでもない。 眠っているのだ。 起こしては申し訳ない。 しかし、 近づいて気がついてしまった。兄は眠っているのではないことを。この神殿の柱と同じものとなっているのだと。 うそだ。 他の生き物の死は何度も見てきたが、ドラゴンはそれらと同じなのだろうか? サイネリアはそれまで同じ種にあたる者の死を目撃したことがなかった。だから無意識に死の暗い影が己らに近づくなどとは思わなかった。 以前、兄が親しくしているソンチョから死の概念を聞くと、薄い水の膜に隔ててあるべきものと答えた。 人間にとってそれならばサイネリアたちドラゴンにとって死というものはそもそも理解しがたい、それはそれは厚い壁の先にあるものでしかない。 けれど、 死ぬのか。 病でなくても、怪我をしなくても。こんなにも、こんなにも曖昧なものが我から我の兄を奪うのか? 我は……否定する、こんなものは! サイネリアは眠り続ける兄を見続ける。そうだ。これは眠っている。我は兄が好きだ。だから、否定する。尾をしっかりと巻きつけて、静かな神殿のなか、サイネリアは待つ。起きて。兄さま。と。 すべてのはじまりの場所で。 滝の音がする。まるで夜のような、底なしの闇が広がっていく。 ★ ★ ★ 視界を覆う、闇。 そこには闇しかない。どこまでも、どこまでも、続く、続いていく。終わりのない、闇! 暗闇のなかでアーネストは一人、立ちつくす。ここはどこなのか。わかっている。私の家ね。私の、じゃないわ。私たちの家。四人が座れるテーブル、大きなテレビとソファ、奥には広いベッド、二階の部屋はからっぽ。暗い、暗い。どうして? だって、ここには。あの子がいたわ。パパ、ママ……どこ? 歩くのがもどかしさに走り出す。どこ? ねぇ、どこにいるの? かくれんぼなんてしないで、パパ、ママ? ドアを開ける、開ける、開ける。けれどすべてからっぽ。闇しかない。 脳裏に浮かぶ、自分と同じ制服を着た上司が冷たい目をして告げた。 ――事故だ。アーネスト ――君も知っているだろう。改ざんされたんだ 誰かはわからないが、過去改変によってアーネストの家族は、もとからいなかったことになった。けれどアーネストは覚えている。しかし、家には誰もいない。誰に尋ねても ――あなたは一人でそこに暮らしていたでしょ? パパの勤め先も、 ママの手作りのものも 兄弟の学校も、友達も ――アーネスト、あなたは一人だったでしょ? みんな口を揃えて、そう告げた。 それは絶望の感情。黒い黒い井戸の底のような花べんが見せる。家族をすべて亡くした者がたった一人だけ覚醒した孤独から生み出した花。 アーネストは一人ぼっちの家のなかで蹲る。この記憶は本当なの? 私は何者なの? ここはどこなの? 私は誰なの? わからない。わからない、わからない。わからない。 なにもかも、深い闇に 落ちて飲まれる。 ★ ★ ★ ――絵奈は はい? ――役立たずなのにどうして、ここにいるの? え? ――人の役に立ちたい? 笑わせないで、絵奈。あんたがいつ役に立ったの? 真っ黒い顔が絵奈に笑いかける。絵奈は混乱した。いきなりひどい言葉をぶつけられたことに怒りをもって反論すればいいのに。できない。足が竦む。どうして? 言い返さなくちゃ。 それは絶望の感情。誰かに必要とされたいと願いながらも踏み出せず、一人ぼっちでいるしかなかった者の願いと孤独のジレンマの花。 ――役立たず ふりかえって見たのは、かつての仲間たちだったもの。それはものだった。人間という自尊心を乱暴に踏みつけるように引きちぎられた死体の山……絵奈はたった一人だけ生き残った。 あ、ああああああああああああ! 絵奈は悲鳴をあげる。 ――お前が役立たずだからこんなことになったのよ 私のせい? 黒い顔はにぃと唇をつりあげて笑う。 ――そう、お前のせい。お前は役に立たない、なにもできない、無力なのに どうして、ここにいるの? 黒い顔がターミナルの仲間たちのものに変わる。 瞬いて、世界は変わる。 絵奈が世界図書館の依頼にときの記憶が蘇る。彼女を庇った仲間が怪我をして倒れたのに慌てて駆け寄ろうと瞬間、仲間の心臓が鋭い刃物が貫かれた。 あ、ああああああああ! ――お前が役に立たないから ほぉら また、死んだ お前が役に立たないから 繰り返し、 繰り返し、 お前が役に立たないからっ! いゃあああああああああああああああ! 絵奈は悲鳴をあげて、耳を両手で塞いで蹲る。涙が溢れて顔がぐちゃぐちゃになる。瞼を閉じればまた失敗の記憶が心を責める。絵奈が役に立たないから、また傷つき、死んでいく。 私のせいで? 絵奈は震えるまま顔をあげると、黒からが顔が現れた。 おねえちゃん……? ――役立たず! あ、ああああああああああああああああ! ★ ★ ★ 「くぅ……!」 桂花は室内で思う様に動けないアズラエールに接近を許さないように必死に連続攻撃を繰り返していた。反撃に氷の小さな刃が桂花の頬を、腕を、胸を撃ち、傷つけた。擦り傷だらけになりながら桂花は足に力をいれて踏ん張る。 「コンチクショウ!」 腹の底から吐き捨てる罵倒とともに引き金を引く。 その瞬間、桂花の腹に氷の塊がぶつかった。 「!」 今までの血が凍りつくような痛みとは違う、頭のなかが沸騰するような激痛に悲鳴もあげられない。 幸いにも痛みはポチが肩代わりしてくれて桂花は素早く立ちあがることができた。 「っ、なにすんのよぉ! あんたねぇ、本当に羽が生えるだけあってアタマ軽いんじゃないの? 女に暴力振るう奴はもてないんだからね!」 挑発すると予想どおりアズラエールは近づいてきた。 「くらいなさいっ!」 ダムダム弾を容赦なく撃つ。しかし、先ほどからの攻撃に体の一部が凍傷を起こしている桂花の動きは鈍く、アズラエールは難なく逃れてしまう。 いきなり、桂花の腕が掴まれた。 「! なにすんのよ、半身裸野郎がぁ! アタチに触んじゃないワよ!」 店の中に引き込まれることだけは避けたくて全身で抵抗するが、目に飛び込んできたのは、 インヤンガイの依頼でゴーストの見せた夢で精神攻撃に自分がひどく弱いのだとわかっていたから警戒していたのに。 桂花の目の前に立つのは母親が告げる。 ――悪戯ですか。うちの子は飛行機事故で死にました なにもかも、あまりにも素早く片付けられて茫然とした。どうして待っていてくれなかったの? 私は、ここに、ここにいるのに! 「っ! うるさいのよッ! 死んだわよ、私は確かに死んだッ! だからもう止まらないのよ、クソッタレ!」 桂花は引き金を引いた。 壱番世界の桂花は死んでしまったが、ターミナルにいる私はまだ生きている、前に進んでいる。 ★ ★ ★ ピエロが笑う、笑っている、笑っているよ、――血まみれのピエロが。 それは絶望の花の香り。自らの大切なものを自分の手で壊していくしかできなかった者の後悔と悲しみが混ざった先にある狂気。 街から街へと流れていくのがサーサスの常だが、大きな街でいつも以上に稼ぎがと長く滞在していた。 今日もサーカスは大成功。 花形の軽業師としてみなに期待され注目され、失敗は許されないので夜は一人で黙々と練習することが日課になっていた。 疲れ果ててテントから自分の部屋に戻ろうとした。霧の街といわれるだけあって、ミルク色の霧は深く、視界が遮られてしまう。 ぎぃぎぃぎぃ。 ぎぃぎぃぎぃ、ぎぎっ、ざく、ぱか。 音を訝しんで、そちらへと歩いた。 白を浸食する赤があった。 霧が赤い。 地面が赤い。 真っ赤なピエロが腕を振るう。ざく。ざく、ざく。ぎぃぎぃぎぃ。それを見ている美しいダンサーの娘。 いつも自分が舞台に立つ前にダンスを披露する、それは美しい彼女が、今は真っ赤だ。 あか あかい まっか ピエロは笑った顔のまま振り返る。なにみてるんだ。てめぇかよ。ころしてやる、ころしてやる。おまえもころしてやる。なんで? おまえだけなんでそんな稼ぎがいいだ? 俺だけなんで金がねぇんだ! こいつを使っても、ちっとも稼ぎにならねぇ。ああん、こいつは俺のものなんだから好きにしていいだろう? ははは! なのにブランコ乗りのアランのやつが気付いて稼ぎをとろうとするから、さぁ、殺してやった。あはははははははは。嗤えよ、笑えよ。ついでに通りかかったやつも殺してやった。あははははははははは。笑えよ。笑っちまえよ。けけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけ! 一歩後ずさる。 逃げるなよ。お前、こいつが好きだろう? 好きにしていいぜ。気がついてないと思っていたのか? いつもぎらぎらした目で見やがってよ! けけけけけけけけけ! 花形のスターが、ピエロの女を欲しがるなんてな。ほら、抱けよ、抱けよ。けけけけけけけけけけけけ! おい、てめぇ、突き飛ばすことないだろう。……死んでる? あはははははははははははははははははは! 殺した、殺した、お前も! ああ、他のヤツもやってきた。あははははははははは! お前のせいだぜ? ほぉら、真夜中のサーカスのはじまりだ。あはははははははは。ピエロは失敗ばかりの大馬鹿者! だからほーら、ばーん、ばーん、ばーん! みんな死んじゃった! あはははははははは! 俺と一緒だな、××! 俺の女を殺した。大馬鹿者の失敗ばかりのピエロ! うるさい……うるさい、うるさい、うるさい! そばにあった、それを拾い上げるとピエロを殴った。何度も、何度も、何度も。もう笑うな、笑うな! 真っ赤。真っ赤だ。 気がついたとき、世界は真っ赤に染まっていた。自分が、炎をつけて、サーカスのテントを燃やした。 まっか。 あはははははははははははははははははははははははははははははは! 笑い声がする。 炎がピエロの顔に変化して、あはははははははははははは! 笑っている。お前こそ、ピエロじゃないか! そのとき嫌悪感は頂点に達した。激しい吐き気に心が冬夜のようにどんどん冷めていく。 手が現実と記憶の曖昧な世界を彷徨い、銀色のナイフに辿りついた。無意識にも大きく振り上げて、自分の肩を突き刺した。痛みは燃えるように全身に広がり、目の前のピエロの笑いが遠のいていく。 「……っ!」 ピエロの笑い顔がゆらゆらと揺れるのを憎悪をこめて睨みつける。小さく、小さく、薄まっていく。 「許さない」 ぽつりと漏らした。こんな記憶を無理矢理に見せた奴はただではおかない。敵だったら殺しても文句は言われないだろう。 見ると桂花の髪の毛をアズラエールが乱暴に引っ張っているのにクヴァールは静かに立ちあがると、手のなかに持っているエンフィールド銃を構えて、引き金を引いた。アズラエールの片翼が吹きとんだ。 「その下種な手を離せ!」 ★ ★ ★ サイネリアは動けない。眠る兄に寄り添ったまま、目を伏せていた。 兄が眠るなら我も。 くおおおおおおん。 くおおおおおおおおおおおん。 サイネリアは閉じかけていた目を開けた。声がする。あれは……ドラゴンが何を愛するときの声だ。 兄の声だ。 兄なら、自分のこの問いに応えてくれるかもしれない。 そう感じると居ても立ってもいられなくなった。そうだ。今でなくてもいい、過去でもいい。兄ならば、……人といつも寄り添っていた彼ならばわかるのではないのか? 人は短命だ。彼らの死を兄はどう受け止めていたのだろう? ふつふつとわき上がる問いに共感するように鳴き声がする。 怖い。 けど 手を伸ばしたい。 そうだ。我は……兄が好きだ。そして兄が好きだったもの、見てきたもの、してきたこと…… それを知りたいと思ったのだ。 サイネリアはそっと起き上がり、絡んでいた尻尾を解く。兄を見ると、その顔が笑っているように見えた。 我は、まだ知りたい。 兄が好きなものを、そして我がこれから好きなことを……見つけるのだ! 世界は流転する。それを恐れて立ち止まり、眠ってしまうことは容易い。けれど、兄は変化しつづけることを望んだ。サイネリアはそれをずっと傍らでみてきた。 ターミナルで、サイネリアは変化を愛しむことを学び、進むことを決めた。 だから 優しい光にサイネリアは鳴く。 くおおおおおおおおおおおおおおん! 満たされた感情が浄化され、世界が現実へと戻っていく。 ★ ★ ★ 一人ぼっちの闇のなかでアーネストは蹲っていた。 かり。 かりかりかりかりかりかり。 アーネストの手が床をひっかく。 かりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかり。 執拗に。 執着的に。 みんな、なくなればいいわ。 それはアーネストの絶望を覆い尽くす。蹲っていたアーネストは立ち上がる。嗤う。笑う。わらう。 世界が色を持つ。 あるときアーネストは犯罪者を殺した。けれど、それはなかった出来ごと。なぜならすべては誰にもばれないように秘密裏に進めたことだから。 アーネストは犯罪者を一人、また一人と屠る。 誰が自分の家族を無にしたのか、わからない。だからかわりに犯罪者をすべて無にしてしよう。それがアーネストの望み。 ひとり、また。かりっ。 ひとり、また。かりっ。 黒を赤で染めていく。その赤がそのうち染まり過ぎて黒になったとしても、アーネストは気にしない。この黒は私が生み出したものだもの! アーネストは、あのときの絶望から一歩も前に進めてはいない。けれど彼女は表向き克服したように装った。でなければ目的が果たせないから。 犯罪者たちを一人残らず、この手で葬る! だって、この手は真っ赤。黒くなっちゃったわ。けど、たりない、まだたりない。 足りない、足りない、足りない、足りない、足りない、足りない! ―――! アーネストは声にならぬ声をあげて立ちあがり、銃を握りしめる。そうよ、私は止まらない。進むわ。待っていてね、パパ、ママ、兄弟たち。 「この復讐を果たすまでは、止まってはいられないのよ」 狂気が絶望を食らう。 ★ ★ ★ 絵奈は罵られ続ける。最も尊敬していた姉に見下ろされ、泣きながら震え続ける。いかに自分が無力かを見せつけられるたびに心はずたずたに引き裂かれて、見えない血を流し続ける。 ――絵奈 優しい声がして絵奈は驚く。 今まで自分を見下ろしていた姉がふっと笑った。 おねえちゃん? ――絵奈 ――大丈夫だ ――お前には多くの者がついている。一人では無理でも、今まで多くの仲間とお前は進んできだたろう? 優しい姉が見せてくれる、組織の仲間たちと過ごした楽しい日々。彼らはまだ一人前の戦士ではない絵奈を支えて、必要としてくれた。嬉しかった。だから絵奈もがんばった。ターミナルにきて、やっぱりまだ半人前だが、それでも一緒に依頼をこなす仲間たちはいつも絵奈を笑顔で支え、励ましてくれた。ときには絵奈が彼ら支えて、感謝されもした。 絵奈は目を瞬かせる。それは今まで自分を否定してきたのは違う姉であった。 姉がきらきらと輝くのに絵奈は思わず立ちあがり、手を伸ばす。 おねえちゃん! 姉が霧散した先に男の姿が見えた。彼はなぜかひどく困った顔で絵奈の伸ばした手を、ぎゅっと握りしめて光の先へと導いてくれた。 「あっ」 絵奈が現実で手を伸ばした先には凍える寒さのなかでも健気に咲き誇る――ネリネがあった。 それはある男が自分の過去と向き合うために、この世で最も尊敬した女性をそのまま花としたもの――歪みのない本当の姉の思い出の花が、絵奈を救った。 「お姉ちゃん?」 絵奈はネリネを見つめて、拳を握りしめた。 「うん!」 絵奈は立ち上がって振り返ると他の仲間たちもすでに目覚めていた。 絵奈は陣を描き、加速してマスターたちの元へと駆けた。幸いにも少しだけ顔色がすぐれないだけで怪我らしい怪我はない彼らを背にしてアズラエールと向き合う。 「パーツを! そいつが持っているのはカップのパーツなんだ!」 水薙が切実に叫ぶのに貴重なものだと理解した絵奈はそれを奪えないかと考える。さずがに一人では不可能だと視線を彷徨わせているとアーネストの赤い目と視線があった。 なにかある。 戦士の直感で絵奈は悟った。 「行きます!」 アズラエールの懐に飛び込むが、直接の攻撃は仕掛けない。注意を逸らすことが目的だ。素早い絵奈の動きにアズラエールが翻弄さる。 「いくわ!」 アーネストは時間能力で不意打ちをついてパーツを奪い取ると、さらにマスターの抱えているカップ=ラーメンに組み込んだ。 「これでいいかしら?」 「いつの間に」 水薙が唖然とする。アーネストは赤い目を細めて嫣然と微笑んだ。 「さてと、メインをやらなくちゃね。サイネリア、この人たちを頼んだわよ?」 「うむ。マスター、無事か?」 目覚めたサイネリアは戦闘よりもマスターを救出することを優先し、桂花の炎に己の炎を被せ、店を燃やさないように細心の注意を払って氷を溶かしにかかった。 サイネリアの大きな手がマスターを抱き起こす。 「ええ。サイネリア様も無事でよかったです……助けに来てくださると、信じてました」 マスターが穏やかに微笑むのに、サイネリアも目を細めて笑い返す。 「喜ぶのはすべてが終わってからにしなさい」 アーネストは肩を竦めて振り返った。 アズラエールを相手に絵奈はちょこまかと動いて隙を作り、桂花とクヴァールの協力攻撃で、じりじりと追いこんでいく。 ここにいる者はほとんどが長距離型の攻撃がメイン。これでは逃げられる可能性があることを察してアーネストは動いた。 「接近するチャンスを作って!」 アーネストはトラベルギアをガンモードからブレードにチェンジした。絵奈が作った隙に桂花とクヴァールの息のあった狙撃が逃げ場を防ぎ、動きようのないアズラエールにアーネストが接近し、腹を突き刺した。 「!」 「仲間たちに感謝しなさい」 耳元で優しく囁き、アーネストはアズラエールにだけ狂気にまみれた微笑みを向けた。 「てめぇええ!」 「いい加減に、落ちろ」 アズラエールが暴れようとしたのを、すかさずクヴァールが銃底で叩いて気絶させた。 「……なんとか、なったな」 「そのようね。さて、あっちは」 全員が水薙とカップ=ラーメンを囲む。 これまでの経緯をざっと水薙から説明され、敵ではないと納得したが、まだ目覚めないカップに不安が募る。 「カップさんは?」 「私がパーツを組み込んでおいたけど」 心配する絵奈にアーネストは目を眇める。 するとカップの体が僅かに動いて――いきなり水薙を殴った。 「あっ」 「黄金の右ストレートね」 クヴァールが唖然とするに桂花が肩を竦めた。 「って、カップ、てめぇ、目覚めたと思ったら、いきなりなにすんだ!」 「状況はわかりまんが……コウ、あなたが無茶をしたのはわかります! 私のことは捨てれば楽だったのに……」 「出来るわけないだろう! 九年と少し、クランチの命令で相棒を解散するまでずっと一緒だったお前を捨てるなんて」 水薙の言葉にカップは無言で両手を水薙に伸ばして、その身体を抱きしめた。 「正確には九年と二百十六年です……私の身はあなたと、ここにいる人たちにすべてお任せします……これが私の、コウ、あなたへの答えです」 「……カップ、俺と……俺と生きてくれ。今度こそ、ちゃんと二人で生きていこう」 水薙が優しく笑ってカップを抱きしめ返す。 「あ、あわわ」 「ハッ」 「……まぁ、円満に片付いて、よかったな」 絵奈は茹蛸のように真っ赤になってもじもじする横では桂花は黙って酒を煽り、クヴァールは視線をあっちこっちに彷徨わせて、サイネリアに気遣われているマスターを見てしまい、黙って俯いた。 「捕虜のこと、仲間たちに連絡したほうが……?」 やれやれと肩を竦めるアーネストは不意に破壊されたドアの隙間からターミナルの仲間が覗きこんでいた。 「あら、誰か来たみたいよ? 集金? そうね、必要なら私の今、持っている分で応えるわ。捕虜が出たんだけど、どうしたらいいのかしら? ……クリスタルパレスね。わかったわ。みんな、あともう一仕事あるわよ、彼らの身柄を保護できる場所に連れて行きましょ」 アーネストは仲間たちに呼びかけた。
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