ウォスティ・ベルによる宣戦布告という一大ニュースはそう時間をかけることなく、ターミナル中に広まった。そのせいであろう、トラベラーズ・カフェはいつにもまして騒がしい。 そのカフェの、ほとんど定位置となったテーブルで、四人は――チェガル、ゼノ、リーリス、ファルファレロは、ラジカセを囲んでいた。恫喝していたとも言う。「まだ?」『まだ』「まだッスか?」『まだぁぁ』「遅ぇ」『うるせぇ眼鏡、そう都合よくいくかよ』「DJお兄さぁん」『甘えた声出されてもどうしようもねぇってぇのぉ』「とっとと受信しねぇと穴だらけの身体にしてやんぞ」『お前物騒じゃねぇ!? ホラホラあれよ、僕様ってば世界司書様よ!? もうちょっとこう敬う気持ちとか』 そこまで言って声は途切れる。顔中にうるさいと張り付けたチェガルが、ラジカセのボリュームをぐりんと下げた。「じゃあE・Jに頑張ってもらってる間に、作戦会議でもしようか」 先立ってのナレンシフ強奪計画が苦い失敗に終わり、ターミナルに戻ってきた四人を出迎えたのは、世界樹旅団による宣戦布告だった。ウォスティ・ベルより語られたその言葉は、ターゲットは壱番世界だと明確に告げる。 先手を取られたともいえようが、彼女たちはそうは思わない。旅団の目的地が壱番世界と限定されるなら、ピンポイントに狙いを絞ってどうにかこうにかE・Jに調べてもらえば、やみくもにあちこちの世界にアンテナを張るより効率的だという判断だ。「作戦についてはE・Jがキャッチした情報を基に考えるとして、問題は戦力かな?」 ウッドパッドの強奪という難題をともに乗り越えたハーデは、未だ入院中だという。「ナラゴニアからナレンシフをパチ……借りてきた人たちに協力をお願いしてみるのはどうかしら? もし成功したらだけど、そうすれば奪取後即それを使って逃げられるでしょう?」「ああ、それなら俺のとこの共同経営者がそうだったな。入り用なら口説いてみるけどよ……」「私がどうかしたかしら?」 口に運びかけたグラスがぴたりとその動きを止める。全員の視線がそこに集中した。振り返った先には予想通りと言うか、きらきらしい、幸せそうな笑顔の少女がにこにこファルファレロを見下ろしている。「何だか名前を呼ばれたような気がしたから、ついフラッと立ち寄ってしまったわ。というか、話は聞かせて貰ったわ! って感じなのだけれどね」「早えな。ベッドの上で口説くつもりだったんだが」「それなら最低三十時間は頑張って貰わないとね」「ざけんな。五十時間は付き合ってもらうぜ?」「んもー、よくわからない会話してリーリスを仲間外れにするなんて、ボスおじさまったらひどぉい。プンプン!」「……言っとくが、見た目で騙されるのにも限度があるからな? ……どうしたゼノ、耳垂れてるぜ」「いや……隠密行動してたつもりなのに、こんなあっさり漏れちゃったのがちょっとさみしくて」 キューンとしょぼくれるその頭を、チェガルがよしよしと優しく撫でる。「……そういう訳だから、まぁ、皆さんが『どうしても!』って言うなら、その、協力してあげてもいいけど?」 ちらっちらっと横目でテーブルをうかがう幸せの魔女に、反対する者はいない。これまでの経緯をあらかた説明し終わった頃、幸せの魔女のその力が発揮された結果だろうか。壱番世界に滞在中の世界樹旅団の存在を、E・Jが告げた。 *** 壱番世界の山間の、温泉街と呼ばれる街である。 川に沿って並ぶのは、温泉宿と土産物屋。夜には盛り場が明るく、町から少し離れた場所には、ちょっぴりうらびれた風の遊園地。山の麓には神社があり、近々開かれる祭りに向けて屋台が組まれている最中だという。更に山の奥、訓練した人間でも片道六時間はかかる道なき道のその先には、バラエティ番組が取材に来るような道のりの果てにある秘湯が、ひっそりと夏の大気に湯気を立ち上らせていた。 観光センターで配布されているガイドブックを捲れば、そんな情報が並んでいるだろう。 その、山間である。 夏めく陽ざしを照り返すナレンシフのタラップから眼下を見下ろすのは、王冠を抱いたゼリーだった。その前で整列しているのは世界樹旅団に所属するロストナンバーたちであろう。肌の色も種族も様々な彼らだが、なぜか一様に一番世界の服を身に着けている。その雰囲気を一言でいえば、きっと「そわそわ」と言う言葉がふさわしい。「良いですかー。我らはあくまでも下見と言う名目でここに来たのであるからねー。観光目的ではないのだよー。二交代制なのですから、後の人の迷惑にならないよう、時間通りにここまで戻ってくることー。遅れたら苦いゼリーの刑でーす」「はい、ゼリーキング様!」「ナレンシフには私を三分の一置いておきますので、何かあったらその私か、残っているメンバーにウッドパッドで言伝を頼むようにー。いざとなったらゼリーなりの全力疾走で戻ってきますのでー」「はい、ゼリーキング様!」「ガイドブックをまだもらってない人は、まずは観光センターに向かって下さーい。その時、壱番世界の人間のふりをするのを忘れないようにー。外見がアレな方たちは諦めて私と一緒に秘境の秘湯行きましょうー。ここからならパンフレットに書いてある半分の時間でたどり着けまーす」「もう行っていいですかゼリーキング様!」「まだでーす。良いですかー、これはあくまで今度の重要作戦のための下見、最終確認ですからねー。忘れてはいけませんよー、ファージが効率的に動ける、人の集まる場所を報告することと、お土産は両手で持てるだけだということをー」「ワタシは温泉が始めですゼリーキング様!」「ジャパニーズ浴衣美人を拝みたいですゼリーキング様!」「観覧車とやらに乗りたいですゼリーキング様!」「ゼリーキング様……卓球が……したいです!」「では先行組は一列に並んでペットボトルを出して下さーい。基本は一キログラムですが万が一の備えでそれ以上の重量を希望する場合と、味のリクエストがある場合は自己申告して下さーい。良いですかー、ゼリーキングはゼリーのキングなので概念的に最強ですがー、この私は不測の事態で世界図書館に見つかって、襲われた時、撤退の時間を稼ぐ用の私ですので、投げつけたらすぐにその場を離れ、ホウ・レン・ソウを忘れずに行って下さーい。緊張感と脱衣籠への置き忘れに注意でーす」「はい、ゼリーキング様! じゃあもう行っていいですね!?」「そう言いたい所なんですが、あと一つだけ。今回の共同司令官のハンドリィ嬢なんですが、テンション上がって先にどこかへ行ってしまったそうでーす。もしどこかであった人は『交代時間になったら戻ってきてね』って伝えて下さーい。では皆さん、安全第一、ニコニコ楽しく植樹を合言葉に、張り切って観光……ではなく世界樹旅団の利益のため、大暴れの下見に行きましょうー!」「はい! ゼリーキング様!!」「……ッファンクーロォォォ!!!」「うわわっ!?」 ファルファレロがグラスを握った拳ごとテーブルに叩きつける。その握力でグラスが粉砕、飛び散る濃い飛沫からゼノがラジカセを持ち上げて防衛成功。「人を! 触手責めしやがって、自分はのんびり温泉たあ良い度胸にもほどがあんだろうがあのくそゼリー!?」「あらあらあら、随分個性的な体験をなさったようね。詳しくお聞かせ願いたいわ。主に触手とか、それと触手とか」「幸せの魔女さん凄い良い笑顔ッス、と俺は思うけど、それをわざわざ指摘したりなんてしないッス」「してるしてる、ばっちり名言してる。とにかくこれで場所かわかったんだし、早速出発と行きますか?」『ああ、行くなら早めにこしたこたぁねぇだろうなぁ。ウォスティが何しかけてくるかもわからねぇ、万が一ここから出られなくなったらゼリー野郎のウキウキ温泉旅行にギリギリ歯噛みするだけになっちまわぁなぁぁぁぁぁ』「そ、想像だけでうぜぇッス! 急いで準備してロストレイルへ向かうッス!」 こうして五人に増えたナレンシフ強奪隊は、喧騒のトラベラーズカフェを飛び出した。=========!注意!企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。<参加予定者>チェガル フランチェスカ(cbnu9790)リーリス・キャロン(chse2070)ファルファレロ・ロッソ(cntx1799)ゼノ・ソブレロ(cuvf2208)幸せの魔女(cyxm2318)<事務局からおしらせ>このシナリオはパーティシナリオ『ホワイトタワーの崩壊』の出来事が起こる直前に出発したという扱いになります。このシナリオの参加者で、『ホワイトタワーの崩壊』にも参加している方は、このシナリオに参加した場合、『ホワイトタワーの崩壊』への参加は取り消しとなります(チケットは返却されます)。=========
【1】 かっぽーん。 そんな音が聞こえてきそうなほど、秘湯はのどかそのものだった。頭にタオルを乗っけてくつろぐ様子が妙に様になっている異界出身の世界樹旅団員は、しかしなあと上気した顔で呟く。 「ゼリーキング様、大丈夫かなあ」 「襲われても負けるなんてありえないが、にしてもありゃ……嘘だよなあ」 「ゼリーキング様はお人よしだから」 「嫌いじゃないけどな」 「まあな」 騒がしく湯船でバタ足をしていた者が笑う。こちらも異形の顔つきをしていた。 「あれでもうちょっとゼリー勧めるの止してくれたらな」 「まあなあ」 笑いながら、最後の一人が湯船に足を浸した瞬間。全員がびくりと身体を跳ねさせた。時間にしてほんの一秒、二秒。痙攣が終わると彼らは一様にがくりと項垂れ、その場に崩れ落ちる。ある者は敷石の上に大の字になり、ある者は湯の花の浮かぶ水面に顔面から突っ込んだ。 ひょこり、脱衣所から顔を出す人影がある。パワードスーツを着込んだゼノだ。手には何かスイッチのようなものを握り、彼は全員が伸びていることを確認するや、岩の隙間に押し込んでいたごく小さなバッテリーのようなものを引き上げ、窒息の危険がある者を引きずり上げて湯の外へ放り出す。全員が男性(一部不明瞭な者もいたが)であることはゼノを少し安堵させた。手足と口をケーブルで縛り上げ、さすがにこのままだと風邪をひきそうだと思い、膝のような部分から下だけ湯に浸しておく。 旅団員の始末を終えたゼノが次に向かったのは隅に積んであった桶で、その隙間からごく小さな監視カメラを抜き取る。コードは露天と山とを隔てる垣根の向こうへ繋がっていた。 誰よりも早く秘湯に到着したゼノがしたことは、監視カメラの設置と、簡易的な感電失神装置の作成である。初期案だと上空からバッテリー投擲による感電で、ゼリーキングの足止めをと考えていたのだが、ファルファレロの作戦との兼ね合いを考えた結果の折衷案である。秘湯に来た旅団員たちは何が起きたかわからぬまま意識を失ったことだろう。 (ナレンシフに残ってるゼリーキングにこのことがばれたら、みんなが危険な目に合うんッス。ファルファレロ君を守るためにも、俺が頑張らないと) 湧き上がる申し訳なさを振り切って、ゼノは脱衣籠の中身をうんと遠くへ放る。これで彼らが目覚めても追いかけてくることは不可能だ。全ての仕事を終えたゼノは秘湯を背にし、最後にもう一度くるりと振り返って「すまんッス」と頭を下げる。 【3】 「聞いて驚け、このゼリーキング様はゼリーの惑星から地球侵略に来たエイリアンで人間を一発で虜にしちまう麻薬のようなゼリーがウリだ! 今なら無料で美味なゼリーが食べ放題、触手で高い高いもしてくれるぜ!」 ファルファレロの口上に、その周囲でちらちらと様子を窺っていた人々が一様にほっとする。一体それが――ぷるぷる揺れる、王冠を抱いた巨大なゼリーのようなものが――どういう由来のものであるのか、知りたくても尋ねる勇気のある者は、この穏やかな温泉街に癒しを求めてやってきた人々の中には皆無だったからだ。 神社である。夜に行われる祭りに向けて粛々と屋台が組まれているそこに、ファルファレロと三分の二のゼリーキングは訪れていた。 ――ゼリーキングが秘境の温泉に出発して、約一時間。ファルファレロはその道程に立ちふさがっていた。もちろん、彼の事を覚えていたゼリーキングであるから、すぐに臨戦態勢を取る。しかしそれは続く言葉で一気にとかれた。 『あの時の味が忘れられなくてな。ゼリーの魅力を布教したい』 最高級ゼリーの手土産と、これ見よがしに武器を収納したパスホルダーを渡したこと、加えて前回の戦いでファルファレロが自身に敵わなかったこと(ファルファレロ自身は認めたくはないが)こともあり、ゼリーキングはすっかりリラックスした様子で「地元民の洗脳は侵略の初歩。舌と脳髄蕩かせてゼリーの虜にしちまうんだ」との言いくるめに従うまま、温泉街の神社へと来ていた。 しかし、ゼリーである。周囲の視線は大別して驚愕、警戒、好奇心。祭関係者には、最新鋭のメイクと着ぐるみ技術を駆使したハリウッド俳優だと言いくるめ、映画のオーディオドキュメンタリー撮影のためやってきたと嘯いたものの、そんないきなり、だとか着ぐるみってレベルじゃねーぞ、とかなり疑わしげに突っ込まれること多数。映画に出ればいい宣伝になると無理矢理押しくるめたが、下手を打つと警察を呼ばれる可能性もなきに非ずと言った感触で、ファルファレロとしては早くこの場を離れたかった。 人前に出してみるとゼリーキングは案外子供に人気だった。剽軽な会話でゼリーお手玉などしているが、食べてもらうのは難しそうで、心なしかふにゃふにゃ具合が先よりも強まっている気がする。そういえばゼリーキングは地面に直置きだ。 「この世界の人たちに、自立意志を持つゼリーは、口には合わないのかもしれないね」 「……あんときゃ俺にたらふく食わせてくれやがったじゃねえの」 「それは君が敵だったからだよ。ゼリーの魅力を解する上質な人間となった君にはもう、あのような無礼は働かないさ。なんなら謝罪もするが?」 「それこそ今更だろうがよ」 ゼリーキングの声音にはそれらしい謝罪の感情が窺えたが、そこは何と言ってもゼリーなので、表情には反映されることはない。もしそれが本音であるとしても、今さらこの程度の事で痛む良心をファルファレロは持ち合わせてなかったので、その面に何らさざ波立たせることなく、続く台詞をさらりと言ってのける。 「しかし、あんたもそろそろ疲れたんじゃねえか? リフレッシュのため温泉につかりにいかねぇか?」 「賛成だ。しかし残念時間切れでね。交代の時間が近い。ナレンシフにいる私と交代して温泉へ向かいたいのだが」 「……ああ、もちろん構わないぜ」 内心大いに冷や汗をかきつつ、ファルファレロは首肯する。当初の計画ではこの後に温泉へ誘い出し、浸かっている所を狙って熱湯による熱責めを行うつもりだった。今ここにいるのはゼリーの三分の二。完全なゼリーになった所で四人がかり……勝機はあるのだろうか? 作戦の決行を待ってほしいと伝えるべきか? そもそもあの時、戦ったゼリーキングは何割だった? 今さらながら無謀なかけをした自覚が湧いてきてぞっとする。目的地に近づけるというアドバンテージを生かせるように立ち回りを考えなければならない。 【2】 温泉街は硫黄の匂いで満ちていた。これなら匂いでチェガルの居場所がばれることはなさそうだと懸念事項に解決マークをつけるチェガルの隣を、からんころんと音立てて歩く幸せの魔女は鼻唄まで歌ってご機嫌だ。歩くたびにちらと見える白い脛が、女の目から見ても婀娜っぽい。 「ここの温泉、前からチェック入れてて一度来てみたかったのよねぇ。折角の機会だからハンドリィと一緒に遊んでくるわ」 「その辺の判断は任せるよ。でも気を付けてね。あのロリ猫ってパワー凄いから、正面からぶつかったら一人じゃきついと思う。でも性格は単純で挑発にもすぐ乗ってくるから、魔女さんなら楽な相手かもね?」 「どうかしら。でもきっと悪いようにはならないわ。何故なら、彼女は私に幸せを与えてくれる存在なのだから」 きょろきょろと周囲を見回していたチェガルがすっと目を細める。幸せの魔女がその視線をたどると、その先にいたのは浴衣を乱して大荷物を抱えた――真理数のない女。 「どうやら、幸せのお零れに預かれたみたいだ。……ここからは一人で行く、あとは頼んだよ」 「行ってらっしゃい」 チェガルは素早く物陰に隠れ、ターゲットの視界の外に遁れるのを待つ。温泉街はそれなりに広く、一見して他の世界樹旅団員は見当たらなかったが、どこもかしこも人の出入りが頻繁にある遊興地である。旅団の女は大荷物を抱えてフラフラしながらも、目的地は明確なようで、時折立止って現在位置を確かめつつ温泉街を歩いていく。向かった先は公園だった。倒れるようにベンチに腰掛け、荷物を足元に置いて慣れない履物に痛んだ足を擦っている。 (今しかない) ごく短い電磁加速、しかしチェガルは一瞬で女の背後に回る。トイレの個室に引っ張り込んで。投げ出すように便器に腰掛けさせた。女は目を白黒させていたが、チェガルがギアから武器を取り出すと、ひぃといって後ずさろうとする。 「大人しくすれば危害は加えない。ナレンシフのある場所と集合時刻を教えて欲しいんだけど?」 「あなた、せ、世界」 「そ、怖ぁい世界図書館。すぐに話してくれれば危害は加えない。ナレンシフのある場所と集合時刻を言って」 「お、お願い。私、なんの力もないの。何でもします。殺さないで。命だけは……」 仕舞に女はガタガタ震えながらすすり泣く。表面上渋面を作りつつ、チェガルはしかし混乱していた。手足も肩もほっそりとして、武器を持って立ち振る舞うようには見えないが、だからといって魔術師のようなアイテムも隠し持っている様子がない。襟を掴んで全身を探ってもペットボトルの膨らみはなく、ひょっとしたらベンチに置いてきたあの荷物の中に仕舞ってあるのか? (まるで本当に観光に来たみたいじゃないか) その様子にチェガルは何かを閃きかけたが、情報を吐かせることが先だと思い、それ以上思考を追いかけるのを止めた。宣言通り女はナレンシフの詳しい場所と集合場所をつっかえつつも素直に喋る。その内容については半信半疑だが、武器をちらつかせて脅しても本当だと言うので信用度は高そうだ。 「命まではとらないから、これで勘弁してね」 手足を縛って猿轡を噛ませてから個室を出ようとして、ふと立ち止まったチェガルは、内鍵をかけてから扉を乗り越えた。転がしたままだった荷物を漁ると、やはりというかウッドパッドとペットボトルを見付け、また何かが脳裏できらめく。 ハンドリィの居所などさっぱり見当もつかないが、幸せの魔女にとってそんなことは大した問題ではなかったので、まずはここに来るまでに書いた汗をさっぱり流したいわと、彼女は温泉宿を吟味することにする。安っぽいのも古臭いのも厭だけど、新しすぎるのも風情がない。そんなことを考えながら歩いていると、川岸に湧いた温泉が目についた。途切れ途切れに目に映る立て看板に書かれた効能は、打ち身、擦り傷、美白。悪くないわね、本当に。一人呟いて、からころ岸辺に降りていく。 「こんにちは。お初にお目にかかるけど、貴女ひょっとして世界樹旅団の方かしら?」 立て看板に猫耳少女のシルエットを作っていたそれが、ばっとふりかえる。驚愕に丸く見開かれていた目はやがて警戒心にすっと細まる。幸せの魔女は一貫して笑顔。無垢な天使の微笑みで毛の逆立った猫を見つめる。 「そんな怖い顔なさらないで。失礼、私聖女アグリアって言うの。世界図書館の方は色々とヤバい事になっててねぇ。ドサクサに紛れて逃げて来たのよ。ここで会ったのも何かのご縁、良ければ一緒に遊ばない? 独りでとても寂しかったのよ?」 その言葉にハンドリィがぴくり、尾と耳を揺らす。 「お前も……一人にゃのか?」 ああ、この子はやりやすいわねと幸せの魔女は――聖女アグリアは思う。しかし彼女はなにせ聖女なので、浮かんでいるのはやはり清らな笑顔だった。 「ええ、そうなの。私独りぼっちなの。だから貴女とご一緒出来たらとっても嬉しいわ?」 「なら……行くにゃ」 ちょろい。ちょろすぎて罠を疑ってしまうほど、ハンドリィは素直に頷く。 「ありがとう。これで私たちお友達ね。あなたのお名前も教えてくれる? 名無しじゃ寂しいわ」 「……ハンドリィ」 「ハンドリィちゃん。じゃあまずは温泉ね。そのあとは美味しいもの食べて、射的と輪投げして遊びましょう?」 差し伸べられた手にハンドリィはおずおずと手を伸ばし、その指先から爪が出ていることに気づいてあわててひっこめた。 財布が薄くなるまで輪投げと射撃で遊びまくり、ぐったりとした腕を休めるためにまた温泉に浸かる。二人ともほこほこ湯気を頭から立ち上らせていた。ハンドリィの猫耳が意外に突っ込まれなかったのは壱番世界の文化の為だろうか? 今は二人、ベンチに並んで温泉たまごをぱくついている。そういえば思い出したんだけど、と言う風に聖女アグリアはハンドリィを見つめる。 「貴女達の乗り物って大きなUFOなんでしょう? この近くには見当たらないけど、うまく隠したのねえ」 「あっちの山の方にあるにゃあ」 「大きくてかっこいいから、一度近くで見てみたいと思ってたの。見せてくれない?」 「にゃ!? だめにゃそんにゃの、ゼリーが知ったら怒るにゃ!」 「本当に、ちらっと見るだけでいいの」 聖女アグリアはハンドリィの手に自分の繊手を重ねる。その手はふわふわと温かく、ハンドリィは小さく肩を揺らした。 「脅されたとか後をつけられたとか、もしゼリーキングさんにばれてしまったらそう言ってくれて構わないわ。お願い!」 「……本当に、ちょっとだけにゃよ?」 「嬉しいわ、ありがとう! 持つべきものはお友達ね」 きゃあとはしゃいで聖女アグリアがハンドリィに抱きつく。ハンドリィもおずおずと聖女アグリアの背に手を回した。 ……ハンドリィがもう少し頭の回る猫だったら、なぜ彼女がゼリーキングというフルネームを知っているのかと疑問に思っただろう。首にかじりつく聖女アグリアの、実に魔女らしい微笑みを見ていたら、それだけで彼女を敵と判じただろう。隠し持っていたトラベラーズノートに短く走り書きしたそれに気づけなかった時点でハンドリィは詰みだった。 【6】 ナレンシフ一機。目視できる旅団員複数名。ゼリーキングはナレンシフを出たり入ったり。文字は書きつけた端から各人のノートへと飛んでいく。誰よりも迅速に一仕事終えたゼノはナレンシフの周囲を注意深く探っていた。三分の一の戦闘力があの日と比べて何分の一なのか、あるいは倍なのかがわからない以上、行動は慎重にならざるを得ない。パワードアーマーを解いた軽装で、ゼノは慎重に調べを進めていく。 しばらくしてチェガルからの返信。もうすぐ到着するとの言葉通り彼女はすぐに表れた。現状とその問題点、解決策を話し合い、動き出す。全ての準備を整え、ゼノは山道に近い方の茂みの中に、チェガルはその反対側へ音も立てず移動していく。役者が揃うにはまだ少し時間がかかりそうだ。 【7】 ファルファレロは山道を登っている。前を行くゼリーキングの中でパスホルダーはぷかぷか浮かんでいた。やる自信はあったがそれは今じゃない。じわじわと距離を開けつつ、その間にも山道は開けてきた。 「ここから先は行かせねぇっすよ!」 突然、目の前に飛び出してきたのは、ゼノだ。余りのことに数秒、思考が停止する。続けて「早く、広場の方へ!」とゼノが叫ばなかったらもっとだっただろう。 突然の事態に強張ったのはファルファレロだけではなく、ゼリーキングはその身体をどちらを追うべきか――とばかりに震わせ、動けなかった。ファルファレロはパスホルダーに戻れと念じながら、広がりへ続く最初の一歩を踏み出した。その背中から、パチンとかすかな音が聞こえた。 聖女アグリアはハンドリィに手を借りながら道なき道を登っていた。もっと登りやすい場所はあったが、そちらから行くとゼリーキングにばれてしまうかもしれない、というのがハンドリィの言い分だ。世界樹旅団の一員として、世界図書館と仲良くするのは良くない、その程度の自覚は彼女にもある。だが、とそれを打ち消そうと湧き出る疑問に沈んでいたハンドリィの耳がピクリと動く。 「うるさいにゃ……」 「……ハンドリィちゃん、何か仰った?」 「……別に。それよりほら、捕まるにゃ」 ハンドリィから手を差し伸べられ、聖女アグリアはぐいと身体が浮くのを感じた。ハンドリィが背負っているのは、木々の暗闇と合間に零れる夕日の茜色。その合間から、ナレンシフの巨大な円盤の端っこが覗いている。 ――二人が茂みを超えた瞬間、その背後でバチンと、微かな音がした。 「何の音にゃ?」 ハンドリィが振り返る。幸福の魔女も確かめようとして、つうっと額に汗が伝う。やだわ、さっきお風呂に入ったばっかりなのに。タオルでぬぐって、今度こそと顔を前に戻そうと――その視界に迫る影があった。尾を引く悲鳴。人が落ちてきたのだ。とっさに身を屈める。「何――ぶにゃっ!?」落下するそれに巻き込まれたハンドリィもろとも、悲鳴は山道を転げていく。途中でばちっと虫が焼き殺されるような音がした。 「……あらあらぁ? ハンドリィちゃん?」 「魔女さん!? え、嘘ここにいたの!?」 顔をのぞかせたのは、チェガルだった。 【8】 ナレンシフの周囲には、電撃を放つ罠が取り付けられていた。チェガルとゼノ、二人の合同作である。以前にも作ったことがあるから仕掛け自体はすぐにできた。 交代時間になれば、兵士達は戻ってくる。人数は少ない方が望ましい。だから罠を張り巡らせた。外から入ってこないように。放り投げた兵士らがもう戻れないように。 本来は旅団員にゼリーキングを呼ばせ、電撃トラップの向こうへ押しやった後でチェガルがナレンシフを制圧と言うつもりだったのだが、ファルファレロがゼリーキングの本体――三分の二の相手を本体と言うべきなのだろうか?――と共に近づいていることが判明したため、一番危険な彼とゼリーキングを引き離すことが優先された。 ゼノがゼリーキングの注意を惹きつけ、その間にファルファレロが広場の方へダッシュ。完全に中に入った時点で電撃トラップのスイッチを入れて、容易に出入りができないようにする。突き従っていた旅団員があまり強そうでなかったがゆえにとれた作戦だ。 ゼノはゼリーキングと対峙していた。 「とうとう見つけたッスよこないだのゼリー野郎! 君のせいでパーツ総交換するハメになっちまったんス!」 「なるほど、私のゼリー力と君の科学力のどちらが勝っているか真っ向勝負という訳だな……良いだろう! ……ファルファレロ君のことはあっちの私にお任せだ」 襲い来るゼリーの奔流を、しかしゼノは避けない。その両腕は曲線で構成された生物の頭めいた機関へと換装されており、それが上下にぱくりと開閉、ゼリーの一撃を食いちぎる! 「ヤケ食いッスよ!」 「できればゆっくり味わってくれたまえ!」 腕はばくばくとゼリーを喰らう。大気を揺らめかせるその装甲には、高温が蓄えられていた。ゼラチンの分子結合が崩壊、分解。計器に表示される限度数までまだまだ余裕がある。 「もっとゼリー持ってくるッスよー!」 一方ファルファレロは、もう一人のゼリーキングと対峙していた。タラップをぷるぷると降りてくるこちらのゼリーキングには王冠がない。 「やはり君は騙していたのか。残念だ。ゼリーの魅力を知ったというのも嘘なのだね? ……真面目に聞くが、勝てると思っているのかね? あの時のことを忘れたわけではないだろう?」 あの時――ゼリーが身体を内側から撫でていく感触を思い出すと、屈辱で身体が震える。 「あんた、三分の一なんだろう? だったらそれなりに勝機があると思うがね」 ゼリーキングは身体を震わせる。どこか疲れたように見えた。 「そうか、世界図書館は知ることができるのだったな。してやられたということか。話せなくなる前に一つ忠告しておくと、あの時の私が全力だったとは思わない方が良い」 言うが早いか襲い掛かってくる。速い。横転して回避。よけきれなかった膝が弾かれる。体勢を崩しながらもギアを引き抜き、発射。超高温の弾丸がゼリーキングを掠め、じゅわりとゼラチンが蕩ける甘い匂い。間髪を入れつ再びのゼリーキングの突撃。やはりあの時より速い。先日対峙したそれより、確かに質量としては軽いのだろう。それがファルファレロにとって僥倖なのかはまだ分からない。 「カーヴォロ。この前とは違う俺を見せてやるぜ」 「チェガルさん、ここにいたのね。ずっと猫ちゃんと一緒にいたからいまいち他の状況がよくわからなくて。私は何をしたらいいかしら?」 「まずはそのロリ猫の相手かな? その間にボクはナレンシフを制圧する」 「その後の事は言わずとも結構よ。ええ、すぐに合流してみせるわ。貴女は貴女のやるべきことに専念して頂戴」 チェガルが投げ渡すそれを受け取って、向き直る。そこにいたのは聖女アグリアではなく、災厄を呼ぶ幸せの魔女だった。 「……騙したにゃ」 地の底から響くように、ハンドリィの声は低い。坂の下、爛々と凶悪な双眸が悪鬼の光を宿していた。 「ええ。ここまで導いてくれてありがとう」 「お前ェェェッ!!」 跳びかかってくるハンドリィに幸せの魔女は微笑み、ふっと掌のそれを吹き付ける。湿っぽくなった目尻に張り付いたのか、ハンドリィはその場で倒れ、顔を押さえる。その耳と尻尾は痛み以外の理由でぴくぴくと小刻みに震えていた。 「特性またたびの粉末、味わってもらえたようで嬉しいわ」 「また、騙したの、にゃ……」 「ウッフフフ」 昼間の温泉街で、ハンドリィが見ることかなわなかった顔で幸せの魔女は哂う。 「貴女って本当におばかさんねぇ。魔女の言葉をまんまと信用するだなんて……」 「い……お前、許さにゃ……」 ハンドリィの呪詛を最後まで聞くことなく、幸せの魔女はぐったりと力の抜けた身体を蹴り転がす。ばちん、転げていくハンドリィの背中で、また虫の焼ける音。夕暮れ色の森の中に白い手足が消えていくさまはぞっとするような美意識に満ちていたが、幸せの魔女は既にナレンシフに意識を向けていたのでその美しさは誰に理解されることもなくがさがさという音に変わった。 駆動音と銃撃、ゼリーが地面を揺らす音が歪な音階を作っていた。 「どうしたッスか、まだまだ味わい足りねえッスよ!?」 「ははは君って奴は本当に大食漢だなあ! だがゼリーキングは百人、いや千人、おそらく万人食べても大丈夫!」 ゼリーキングが繰り出すゼリーの奔流は過たずゼノを捉える。パワードスーツは人一人分よりは大きいが、それでもどうどうと流れ込み続けるゼリーを残らず吸いこんでいく様子はやはり、物理法則を無視した奇妙な光景だった。その戦場を、光が駆け抜ける。雷光はタラップを駆け上り、目を丸くする旅団員の一人の喉にスティレットの細い刃を突きつけた。 「はいはいはい、こいつの命が惜しければ全員動かないでね。そのまま外に出てもらおうか」 旅団員は訳が分からないと言った顔にそれでも冷や汗を垂らし、全員がおぞおぞとナレンシフを去っていく。それと入れ違いに入ってきたのは幸せの魔女だった。つむじからつま先までけがはなく、チェガルは小さく安堵のため息を漏らし、すぐに表情を引き締めた。 「二人に注意を促してくる。こっちは……」 「わかっているわ、任せて頂戴。前にジャックさんにテレパスで送って貰った情報がまだ頭の中に残っているもの、幸せが来ない訳がないわ」 「頼もしい!」 タラップを二段飛ばしで駆け下り、そう広くもないその場所を走る。これ以上力の温存は必要ない。口腔に電撃を集中、雷槍と化したそれが、ファルファレロと交戦中のゼリーキングのどてっぱらに黒い穴をあける。そのままどちゃりと地面に落下するゼリーとチェガルを見比べて、何が起きたかファルファレロは理解したようで小さく唇が動くと「余計なことを」とつぶやいた。 「良いから行って! ゼノの方は私が行く」 「わかってるよ! その前に残党狩ってくぞ! 耳塞いどけ!!」 チェガルが耳をふさぐと同時、ガンガンと弾丸がまき散らされる。キーンと耳の奥が不機嫌に唸り、そこここから悲鳴があがった。加速状態のまま、今度はゼノと交戦中のゼリーキングに爪を突き刺す。指先は僅かな弾力と共に簡単に沈んだ。一瞬で最高出力にまで高まった電気がゼリーキングの全身を沸騰させ、ゼノに向かっていた奔流が引き戻されていく。 「準備は整った! 行くよっ!」 「了解! さあゼリーキング、〆は思いっきり派手に行くッスよ!」 「むうっ!?」 ナレンシフへ後退しつつ、ゼノはあらん限りの攻撃手段を叩き込んでいく。ビームはマシンガンの如く叩き込まれ、脚部から発射された追尾型のミサイルは過たずゼリーキングを捉える。薄闇が駆逐される。連鎖する爆発。ゼリーキングのシルエットが爆炎の向こうにくらむ。爆風の勢いに押されるようにもつれ込むように、チェガルとゼノは走る、走る。背後は確認していられない。ここから先はスピード勝負だ。 熱風が戦場をかき回す。ナレンシフがゆっくりと上昇している。辺りに渦を巻く空気。幸せの魔女はうまくやったらしい。タラップからファルファレロが手を伸ばし、まずはパワードアーマーで強化継続中のゼノが飛びついた。ナレンシフはどんどん高度を上げ、ファルファレロの手がいっぱいに伸ばされる。指がかすり、二度目はしっかりと手首をつかむ。ファルファレロが小さく顔を歪める。爪を立てていることに気づくのと、ぐいとタラップに引っ張り上げられたのは同時だった。 驚きに目を見開き、慌てふためき、あるいは呆然と見送るだけの世界樹旅団員の姿は見る間に小さくなっていく。煙の向こうで夜の青にも輝きを失わない王冠がきらめいた。どうやらゼリーキングはまだ生存しているらしい。タフな奴である。 ナレンシフは着々と高度上昇、薄紫色の空にその巨体はきっとぽっかり浮かんだ影のように見えただろう。
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