ホワイトタワーの崩壊から間もなくして、0世界の上空からターミナルに大きな影を落としたのは途方もない巨大さを持つ『樹』を中心に据えた空中都市だった。 世界樹旅団の襲撃により街は混乱を極め上空や各地区において激しい戦闘が繰り広げられている。そんな異常事態の最中、市街地を移動していたロストナンバー達が巨大な商業用倉庫を塀のように囲う木々の茂みに身を隠している人物達を発見した。 三人いるうちの一人が世界司書として見かけたことのある人物であることから、避難が遅れて取り残されたのだろうかと急ぎ声をかけに行く。近づく足音に真っ先に気づいたのは銀色の長い髪に銀のドレスを纏った女性を模した真白い人形で、彼女は接近する人物が世界図書館側のロストナンバーだと判断するとその場にしゃがみこんだまま丁寧な仕草で礼をした。「よお、こんな最悪な天気の中で散歩か?」 もう一人の人物、真っ黒い甲冑に赤い陣羽織を身に着けた武士風の男が特に緊張した様子もなくニヤリと不敵に笑いかけてくる。ここで何をしているのかと問うと、こいつに訊けとばかりに隣でこちらに背を向けて何かをじっと観察している世界司書を指した。 手には切り分けられていない大きな食パンが一つとそれが入っていたと思われる紙袋。食パンを齧りながら湯木はゆっくりと平時と変わらぬ無表情な顔で振り返り、もぐもぐ口を動かしながら、湯木は茂みの向こうで建ち臨んでいるはずの巨大倉庫の方を指差す。それに従って木々の隙間からその様子を伺う。 そこには着陸済みのナレンシフが何台も並び、ワーム数体と共に世界樹旅団のロストナンバー達が大勢集まっていた。「倉庫、占拠されとる。たぶん、すでに街中に侵入しとる旅団の連中の一部はここを行動の拠点にしとるんじゃの」 こうして見ている間にももう一台ナレンシフが倉庫の前に着陸し、数名のロストナンバーがターミナルへ降り立っていく。ワームを引き連れて街中へ向かおうとする者の姿も確認できる。「ココの倉庫ニハこの辺リ一帯の商店に流通スル予定だっタ品ノほとんどガ保管されていルそうデス」「食い物とか生活道具とか、薬だなんだってのもあるからよ。開放して物資確保ついでに避難場所にもしちまおうって話だったんだが、いざ来てみればこの様ってわけだ」 次いで事情を説明する二人のロストナンバーのことを湯木に尋ねると、司書はリーベ・フィーアと蔦木景辰をそれぞれ紹介する。「そん二人は元世界樹旅団のツーリストじゃ。事情があってこっちに亡命してきとっての。監視の期間は過ぎとるんじゃが、緊急事態じゃけぇ念のため目が届く範囲におるよう呼んどいた」 彼らは亡命後ずっとターミナルで静かに生活していたようだが、元世界樹旅団である以上この状況で監視もせず放置するわけにはいかないと判断したらしい。それは彼らが信用できないということよりは、彼らが旅団に捕まった場合彼ら自身に危険が及ぶ可能性を考慮してのことだと湯木は付け加える。「……彼の判断は賢明デス。私達としてモ、後で無駄に内通ヲ疑われたりせずに済みマス」「まぁ、そんなことよりだ。この状況なんで他の奴らは諦めてさっさと別のところに避難したんだけどよ、俺達はそこの司書がごねてるおかげでずっと立ち往生してんだ。そういうわけで、誰かこいつを説得してもらえるとありがてーんだが」 戦力外の世界司書とツーリスト二人だけでこの状況を解決できるはずがない。誰がどう考えても早々にこの場を離れて安全な場所に身を潜めるべきなはずだ。しかしそれを湯木に言うと、彼は珍しく不快感を表すように空の紙袋を握りつぶした。「食いもんなしにどうやって避難せぇ言うんじゃ! わしが餓死してもええんか!」「安心しな、ここにいりゃ餓死する前に別の理由で死ねっから」 投げやりにツッコミを入れつつ景辰はちらりと改めて枝葉の隙間の先にある光景を覗き、それから意味深げな笑みを見せる。「ま、でも物資押さえられんのはよろしくねーよな。ここの薬使いたい放題、道具手に入れ放題で体勢も立て直しし放題。何より長く居座られたら俺達がゆっくり昼寝してられなくて鬱陶しい」「……景辰サン、この人数でノ攻略は極めて困難デス。湯木サンを強制退避させた上デの避難を推奨シマス」「不可能じゃねーならそれで充分だ。拠点が落ちればあっちの士気も下がる。それに、頭数なら増えてんだろ?」 逃がさないと言わんばかりに、景辰は一番近くに立っていたロストナンバーの腕を掴む。「居合わせたのが運の尽きってやつだな。道連れになってもらうぜ」 リーベが飛ばした偵察用の飛行カメラが戻ってくると、一同は倉庫周辺の状況を確認した。湯木が持っていた紙袋にペンで倉庫を内部の様子に至るまで簡単に地図を書き、そこへさらに敵の配置を書き込んでいく。「こっちの人数一桁に対してあちらさんの戦力はロストナンバーとワームは倉庫外に七十、倉庫内に三十、合わせておよそ百ってとこか? 楽しいお話だよなぁ、笑えすぎて涙が出てくるぜ」 ここにいる旅団の人員は特に大きな繋がりがあるわけではなく、園丁の収集に応じてナラゴニア各地から集った者達だとリーベが説明する。「しかし、この場ヲ監督し統率している人間はいマス。おそらく拠点を置くにあたって緊急に適切な人物に任せたのでショウ」 リーベが手にしている端末の画面に、カメラで捉えた映像が映し出されている。赤い二足歩行の恐竜のような風貌の人物が、重厚な鎧を纏って倉庫の最奥に仁王立ちしていた。「あー、このゴツイ蜥蜴野郎は知った顔だな。ロドズとかいう頭のかてぇ頑固親父でよ、七尺はあるでけー図体でこれまた馬鹿みたいにでかい斧ふりまわしやがる化け物みてぇな奴だ。……相手は数こそ多いがよせ集め、だったよな。統率とってる奴を潰しちまえば、いける可能性はあるか」 景辰が案を促すようにリーベと視線を合わせる。彼女は淡々とした様子で軽く頷き、長く思案の時を設けることもなく自身の考えを述べた。「では、陽動は如何でショウ。倉庫の外で騒ぎを起こし、倉庫内部の警備ヲ軽くしたうえで侵入、統率役であるロドズさんヲ排除。素早く倉庫ヲ閉鎖して立て籠もり、救援が来るまで倉庫を防衛しマス。救援の要請は湯木サンにお願いするコトになりマスが……」「ん。わしは構わん」 もう残り少ない食パンを哀しげに見下ろしつつ、湯木は片手を挙げて了承の意を示す。それを確認すると、リーベは持参していた鞄の中からちょうど掌にすっぽりと収まる程度の銀色の円盤を何枚か取り出した。円盤の表現には薄らとデジタル式の時間表示のようなものが浮かんでいる。「小型の時限爆弾をいくつか緊急用に持ってきてありマス。コレで停めてあるナレンシフを数台爆破すれバ、この人数でも陽動は行えるかト」「悪くはねぇ案だが、引き付けてられる時間を考えるとやっぱ賭けだな。爆発騒ぎの間に、どれだけ迅速に侵入と暗殺を成功させて倉庫を奪い返せるか……」 賭けだと言う割には景辰に不安を感じている様子は微塵もなく、むしろどこか楽しげにリーベの手から時限爆弾を一枚取り上げてみせた。「さーて、忍者ごっこでもしてみるか?」======!注意!イベントシナリオ群『進撃のナラゴニア』について、以下のように参加のルールを定めさせていただきます。(0)パーソナルイベント『虹の妖精郷へ潜入せよ:第2ターン』および企画シナリオ『ナレンシフ強奪計画ファイナル~温泉ゼリーの下見仕立て観光風味~』にご参加の方は、参加できません。(1)抽選エントリーは、1キャラクターにつき、すべての通常シナリオ・パーティシナリオの中からいずれか1つのみ、エントリーできます。(2)通常シナリオへの参加は1キャラクターにつき1本のみで、通常シナリオに参加する方は、パーティシナリオには参加できません。(3)パーティシナリオには複数本参加していただいて構いません(抽選エントリーできるのは1つだけです。抽選後の空席は自由に参加できます。通常シナリオに参加した人は参加できません)。※誤ってご参加された場合、参加が取り消されることがあります。======
リエ・フーは倉庫の映像を映す端末をリーベから借り、静かにその画面を眺めていた。猫のような金の双眸を細め、口の両端を笑みの形になるよう吊り上げる。 「ま、いつまで見ててもしょうがねぇか。多勢に無勢、上等だぜ」 黒い髪を軽く掻きながらそれを返却すると、それまで持っていた紙の包みを湯木へ押し付けた。食パンを完全に消費し、力なく俯いていた湯木は僅かなぬくもりを持った包みから発せられている香りにパッと顔を上げる。包みに入っていたのは中華饅頭だった。 「俺の昼飯の予定だったが……これでちょっとは保つだろ」 「リエ……ありがとの。この礼は今度、」 「気にすんな。それより、お前らはこれからどう動くんだ?」 湯木の無表情な顔が僅かに生気が戻ったのを見てから、リエは二人並んで待機していたアルド・ヴェルクアベルと飛天鴉刃、一人倉庫の方へ微動だにせず身体を向けていたハルカ・ロータスに声をかける。景辰とリーベはすでに設置用の爆弾の準備にかかっていた。 「そうだな、僕は陽動を待って鴉刃と一緒に倉庫に入ろうと思うけど……いいよね、鴉刃?」 「ああ。元よりそのつもりだ」 銀色に輝く毛並みの尻尾をゆらりと揺らしながら、アルドは漆黒の体躯の恋人を見上げて微笑む。鴉刃はそれに微笑み返すようなことはなかったが、平素はアサシンとしての冷徹さに満たされているはずの瞳に幾分か穏やかさを含ませて彼に視線を返した。 「あんたは?」 「俺は、外部で陽動を手伝う」 ぶっきらぼうに口調でそれだけ返答したハルカは、じっと倉庫周辺にいる敵の姿を観察している。彼の顔には動揺や緊張などといった色は浮かんでおらず、また、興奮や高揚といった感情も見られない。ただ目前の戦況を把握するという作業を淡々と行っている、といった様子だった。 「そうかい、……じゃ、俺は俺でさくっと侵入させてもらうか」 「お前ら準備はいいか? 俺達はそろそろ行かせてもらうぜ」 景辰とリーベが爆弾をそれぞれ携え、いよいよ行動開始の意を示す。リーベは落ち着いた様子で「よろしくお願いしマス」と深々と頭を下げた。 「行く前に、俺にも幾つか爆弾を分けてくれるか」 「ハイ、かしこまりましタ。では別の袋に取り分けますノデ少々お待ちくだサイ」 リーベはハルカの申し出にすぐさま応じて、自分が持っていた分をハルカ用に分け与えた。「せっかくだ。オレも一つ貸してもらいたいもんがある」とリエからも道具の貸し出しを依頼され、一旦荷物を置いて目的のものを探す。 「どいつこいつもやる気があって助かるね」 「お前、根っからの戦人であるな」 それを変わらず余裕の笑みで眺めている景辰に鴉刃は半ば独り言のように呟く。 「そいつはどうも。ま、ずっと大人しくしてたんだ、たまにはいいだろ。……それに、長期戦を防ぐのは何も世界図書館のためばっかじゃねーしな」 戦いが長引けば被害の増加は図書館と旅団双方に避けられないこととなる。亡命したとはいえ元々旅団に属していたという彼故に思うことがあるのかもしれない。 「……まぁ良い。潜入暗殺なら得意分野だ、任せておけ」 旅団を明確に敵と見る鴉刃からすれば、それは些か引っかかる言葉ではあった。しかし境遇が違えば想うことも違う。鴉刃はそう自身を納得させると、アルドを呼び一足先に倉庫に向かうことを一同に告げた。 「頼むぞ、アルド」 「うん、丈夫だよ。それにしても、すっごいトコに居合わせちゃったね」 まさかこんなところで、戦力外の世界司書を足しても七人で百に匹敵する数の敵を相手取ることになるとは思いもしなかったと言う風にアルドは肩を竦めてみせる。 「そうだな。だが、敵の拠点を見つけたのは都合がよかった。街中に散らばった連中を探して走るより手っ取り早い」 一方鴉刃はあくまでも冷静だった。先に見た倉庫の映像を思い出しながら、どの位置に向かうべきか思考しつつ足を進めていく。 「くふふ、戦いに関してはそっちがプロだから、何でも言ってよ」 そんな彼女の傷だらけの腕にそっと触れ、心配することは何もないとでも言うようにアルドは笑う。触れた手の柔らかい感触に、鴉刃はもまた表情を緩めた。 「何でもと言うなら、死ぬな。そして護ってくれ。……などとな、戦争だというのに」 自分で発した言葉に、思わず苦笑を漏らす。アサシンともあろう者が、人に死ぬなと、護ってくれと、甘い言葉を紡ぐのが妙におかしいような気がしたのだ。しかしアルドはそれまで笑っていた瞳に力強い光を宿し、彼女の腕に触れていた手に少しだけ力を込める。 「鴉刃は一人じゃない。僕が護るよ、絶対」 「……ああ。頼りにしている」 「そうだ、リーベと景辰だったか? 爆弾設置した後でいいんだけどよ、ちょいと頼まれてくれるか」 「あ? ああ、一応内容によると先に言わせてもらっとくか」 リーベから道具を受け取った後、リエはふと思いついたといった様子で二人に声をかけた。景辰が話を聞く姿勢を見せたところで、リエはリーベから再び先の端末を借り、映像記録から倉庫の裏口が映っているところを探しだした。裏口にはやはり何人かの旅団のロストナンバーが見張りに立っている。そこで映像を停止させると、リーベにそれを返しその画面を見せた。 「大したことじゃねぇよ。この裏口の近くでいい。あんたら、恋人同士って設定で派手に痴話喧嘩してきてくれねえか?」 「なんだ、そんなことか。……って、あ? こ、恋人同士? 痴話喧嘩だ? てめ、何ふざけたこと抜かして、」 「元旅団の知り合いが好きだ好きじゃない別れる別れないやっぱ好きだって乳繰りもめてたらどうしたってそっちに耳目が行くのがヒトの性だ。ここにいるどいつかが気を引かれれて油断すれば、それで充分」 「その隙ニ裏口から倉庫に侵入しタイ、ということですネ。私はかまいまセンヨ」 それまでの余裕はどこへやら、顔を真っ赤にして明らかに動揺した景辰を余所に、リーベは快くそれを了承する。 「俺は嫌だからな。だいたい人前で男女がそんな、ち、乳繰り合うなんざ……」 「今回の件は景辰サンから依頼したことデス。希望は可能な限り叶えるべきデスヨ。リエさん、爆弾設置が完了次第そちらへ向かいマスので、準備を整えておいてクダサイ」 「ああ。愚連隊時代は倉庫に忍び込むなんざ朝飯前だった。まぁ、イケるだろ」 まだ文句を言いたげな景辰を引きずって去っていくリーベを見届けると、リエもハルカと湯木に声をかけ、行動を開始することにした。 「意外と考え古いなアイツ。ああ、サムライって時点で既に古いか」 ぼやきながら足元にいる楊貴妃を拾いあげ、肩に乗せる。爆弾が設置し終えるまで、時間は充分にあるだろう。リエはゆっくりと倉庫の裏側へと足を向けた。 ハルカは、活動開始を前にしてリーベから受け取った爆弾の袋をじっと見つめていた。以前の、命令に従うことばかりをしていた頃のハルカであったなら、その袋を手にすることはなかっただろう。自分から作戦に使用する道具を頼むなど、しなかったはずなのだから。 「自分で、考える。考えて動く」 自分にできることは何か、ハルカはじっくりと思考する。それまで人に任せてきた作業を、自分で行う。それが今のハルカにとっては大切なことだった。 「……急に巻きこんですまんかったの」 饅頭を頬張りながら、食料が補給されて落ち着きを取り戻したらしい湯木がハルカを気遣うように声をかけた。ハルカはそれにハッキリと左右に首を振って応える。 「この世界も今の俺には大切だ。だから、」 戦場から離れ、かけがえのない友人と共に過ごすことのできる居場所を潰されたくなかった。いつか恋しい家族のもとへ辿り着けるまでを過ごす、穏やかな日々までも戦争などに奪われることを、ハルカは拒んだのだ。 「だから、戦う」 ハルカは意識的ではないものの、兵士としてではなくハルカ・ロータスという0世界に住んでいる一人の青年として、この戦争に抗おうとしていた。 * * * 「どういうコトですカ、景辰サン。私ハ貴方を信じて世界図書館へ来たというノニ、こちらへ来た途端ニ浮気に走るなんテ最低デス」 「……ああ、いや……あー、誤解だリーベ。俺に浮気した覚えはまったく、ない」 通常どおりの淡泊さでリーベが用意した台詞を述べるのに対し、景辰はやや引き攣った表情で棒読み気味にそれに応えている。リエはその光景を裏口の傍の木々の茂みから覗き伺っていた。 二人に気づいた旅団達のうちの三人ほどが少し驚いた様子で、顔を見合わせ何かを話している。どうやら二人のことを知っている連中らしい。それに興味を持った者達も、裏口から離れてその会話に加わっていくのが見えた。 喧嘩しているうちに気づかないままここに来てしまった風を装うことにはそれなりに成功しているようだ。だが、景辰の如何にも無理しているような様からしてあまり長くは任せられないだろう。 (もう少し裏口から離れたら……行くか) 視線を裏口の扉に集中させる。今いる茂みから最短距離で、素早くそこまで移動する。ルートを頭の中でシミュレーションし、タイミングを伺っていた。 「覚えがないはずはありまセン。現在より二十五時間十七分前にターミナル駅前広場で年齢二十歳前後と推察される人間の女性と景辰サンが接触した件について既に確認が完了していマス」 「は? それはただ道を訊かれたってだけで……って、ちょっと待て。お前その時いなかったのに何でそんなこと知ってんだ」 「ソレと現在より二十二時間五十二分前に先程の件と同一の女性と接触していマス」 「いやそれもたまたまもう一回出くわしたから、ってじゃねーよだから何で知ってんだよどこで見てたんだソレ!?」 急に棒読み感がなくなった会話に惹かれ、裏口前にいた旅団たちが持ち場を離れて野次馬へと化していく。先程裏口から出てきた旅団ロストナンバーが、鍵を閉めた様子はなかった。裏口の方を見ている者は、今、リエしかいない。 (今のうち、行かせてもらうぜ) リエはしなやかな猫のように音もなく裏口前へと駆け寄り、素早く、かつ慎重に扉を開いてその隙間へと身を潜り込ませる。扉が閉じるとき、その耳に届いたのはあくまで冷静な女と動揺している男の会話。それと――「見ていない間ニ景辰サンが何かしでかさナイよう監視カメラを飛ばしていマス」「どんだけ信用ねぇんだよ俺は!」――遠くから響いた爆音だった。 倉庫前に並ぶナレンシフが幾つも爆風に包まれ吹き飛んでいく様を、鴉刃とアルドは共に倉庫の通気口を視界の隅に捉えながら目撃していた。 それから間もなく二人の隠れている茂みの前を幾人かが慌てた足取りで通り過ぎていく。息を潜めてそれらをやり過ごし、しばらくして気配が周囲からなくなったところで、鴉刃はアルドに目配せした。アルドが頷くことでそれに応え、すうっと、数秒の間にその肉体が発生した霧の中へと消失する。 『いくよ、鴉刃』 霧と化したアルドは、そのまま鴉刃の身体を包みこむ。鴉刃の視界は濃霧に覆われ、白く濁っていった。ままならぬ視界の中で鴉刃はその凛々しい双眸を細め、口の両端を持ち上げる。 (霧と言うのは私にとって身体に良い環境の1つ。だが……戦争だと言うのに、不思議と穏やかな安心感と高揚感が溢れるのは、ただの霧ではないのが原因か) らしくない自分につい笑いを漏らしそうになるのを押し殺し、鴉刃は自分の中へ吸い込まれていくように少しずつ薄く消えていく霧をじっと静かに見つめていた。そして、霧が完全に晴れたところで深く息を吸い、吐き出す。 (私は、一人ではない……か) 次に倉庫の通気口を見とめたときには、彼女の瞳には常とは少し異なる印象を持ちながらも揺るぎない意思が満たされているようだった。 アルドが霧憑依した鴉刃の身体が、先の彼と同じように霧状へと変わり広がっていく。そしてゆるやかに、しかし確実に、霧は通気口の中へと流れ込んでいった。 * * * 爆発は倉庫前のナレンシフを切欠に、倉庫周辺の至る所で発生していた。旅団のロストナンバー達は混乱し、倉庫内部から駆けつけてきた仲間と合流して爆発の原因を探るため爆発の発生した方面に手分けして向かっているようだ。 (他の人は、もう中に入れたかな) 倉庫を正面に捉えられる位置に移動したハルカはリーベから分けて貰った爆弾をあちこちに物質転移させながら、足元に開いたトラベラーズノートに文字が浮かぶのを待っていた。 「おい、もしかして四方から攻撃受けてんのか、コレ!」 「世界図書館の連中か? 何人来てる?」 「姿はまだ確認してない。だが、攻撃の範囲からして一人や二人じゃなさそうだぞ」 「誰かロドズさんに報告行ってこい。早く!」 微かに漏れ聞こえる旅団達の混乱したやりとりから、今のところ捕まった仲間はなく、ハルカが自分で考えた作戦も順調に作用しているようだった。ハルカはそのまま時間差をつけながらまったく異なる位置で爆発を起こしていく作業を継続していく。 開いたノートに文字が浮かぶ。湯木からの報告のようだ。仲間の侵入成功とリーベ・景辰との合流成功の旨が記されている。救援の要請も完了したらしく、到着までの時間もしっかりと書かれていた。 「一時間」 緊急事態の最中にあっては、充分早いと言える範囲だ。それまでに倉庫の占拠を成功させていれば、混乱した旅団に手を引かせるのは難しくないだろう。 がさり、とすぐ近くの木の枝が揺れる。 「おい、誰かいるぞ」 「世界図書館のやつか――ッ!!」 現れた人影に、ハルカは躊躇いなく念動力を使用する。頸動脈を圧迫し、二人同時に意識を奪った。二人分の身体が崩れ落ちる音を聞く前に、また別の気配が接近するのを感じ取る。 黒い犬にも似た獣が茂みから飛び出しハルカに襲いかかった。小型のワームかと思われるそれは、口から青い炎を幾つも吐き出し、周辺の茂みごとハルカを葬りにかかる。ハルカは残っていた爆弾を急いで転移させ、襲いくる炎にひるむことなく飛びこむ。 獣は迫るハルカを睨み、青い炎を全身に纏わせた。だがハルカは躊躇いなくその獣に手を伸ばす。しかし触れようというところで、視界の端に別の影を捉えた。 瞬時にテレポートした彼の目に、先程自分がいた位置に先程とは別のロストナンバーが剣を振り下ろしている様が映る。 「特殊能力持ちか。やってくれるじゃねぇかよ、世界図書館」 猛る獣を落ち着かせる男のもとに、ぞくぞくと彼の仲間が集まっていく。囲まれている、そうハルカが理解するのに時間はかからなかった。しかし、だからといってハルカがとりみだすようなことはなく、平静を保った瞳で旅団ロストナンバー達を見据えている。 「……恨みや憎しみがあるわけじゃないんだ。ただ、守らなきゃって思うだけで」 落ち着いた口調で、そっと呟く。その言葉に偽りはなく、迷いもなかった。ハルカはそうしながらも淡々と、相手の数と位置を見極めている。 「そうかい。だがこっちも恨みがあるわけじゃねぇ。ただ俺達の目的のために必要だってだけだ」 「……」 ハルカはそれ以上応えない。ただ、その言葉を最後に向かってくる旅団達の気配を読み、そして、彼らを巻きこんでその場から姿を消した。 * * * 「何の騒ぎだ、報告急げ」 鱗に覆われた赤い巨体の竜人が、ようやく報告にやってきた仲間に状況報告を促している。小柄な鼠型の獣人が、ぷるぷるとわずかに震えながら早口にそれに応じていた。 「はっ、はいぃ! 周囲から世界図書館側のロストナンバーが襲撃に来たようです。えっと、数はまだ確認できていませんが、爆発の規模から少なくはないと思われます」 「他に、何か変わったことは」 「ええっと、えーっと、倉庫正面で世界図書館側のロストナンバー一人と交戦中、とさっきウッドパッドで連絡が。あ、それと、裏口の方で蔦木と相棒の機械女を見たとかいう話も」 「前に行方不明になった連中か。そいつら全員生け捕りにしろ。何か知ってるのは間違いない」 「了解ですぅっ!」 小さな身体のめいっぱいの全速力で獣人が外の仲間のもとに走っていく。ロドズは視線はその背の送りながらも、思考はすでに先の報告内容について巡らされていた。 「集団で責めてきたにしては目撃された人数が少なすぎる、か。……ここは俺もいい加減動くべきだな」 ロドズは傍らに置かれていた愛用の斧に手をかける。だがそこで彼は倉庫内のある異変に気がついた。 「何だ、この霧は……」 白い霧が漂う視界の中、見覚えのない人物の姿が現れる。周囲から挙がるのは「敵襲だ!」「いつの間に倉庫内に入ってきたんだ!?」といった仲間の困惑した声だった。 『こんなところかな。鴉刃、こっちは準備おっけーだよ』 「ああ、そのようだな。私も敵の位置は確認した」 幻を見せることができる白い霧で倉庫内を覆ったことを知らせるアルドの声が聞こえてくる。鴉刃達は霧化したまま、「幻の霧」に紛れるようにして音もなく倉庫内を移動していく。目標をロドスに絞り、確実に仕留めるためロドズの間近を目指す。 霧化している限り、そう簡単に的に補足される心配はないだろうが、鴉刃は万全を期すために自身の気配と殺気を押し殺していた。バタバタと倉庫内に残っている敵が幻相手に暴れているのに必要以上気を取られぬよう、意識を暗殺へと集中させ、研ぎ澄ませていく。 侵入前に見せられた赤い身体の男は、その巨体故に見つけることは非常に容易だった。倉庫のもっとも奥で、じっと正面を睨み仁王立ちしている竜人のもとへ速やかに迫る。 (……動揺、はしていないようだな) (見破られてる、のかな。それとも、敵に囲まれようと関係ないっていう自信なのか) いよいよロドズに接近するも、敵の幻影を前にして堂々と構えている彼に隙らしいものはない。しかし鴉刃は意に介さず彼の傍らの物陰へと潜り込んでいった。 リエは霧が発生し急に倉庫内部が慌ただしくなったのを見ると、その騒ぎに乗じて倉庫の正面扉の方へと走った。 旅団ロストナンバー達があらぬ方向へ発射した炎弾や氷柱などの魔術や銃撃などが飛び交う中、目立たぬようにそれらを潜り抜けていく。 「そこ、ちょっと退いてもらうぜ」 積まれた木箱を登り、正面扉のに向かう通路を塞ぐように立っている敵の頭上にその辺にあった大鍋を落としてやる。鈍い音と共に倒れた相手の背を踏み超え、開きっぱなしになっている正面扉に辿り着く。幸い、外にいた連中は外部の爆発に気を取られてまだ倉庫内の騒ぎに気づいていないようだ。リエは正面扉にされているつっかえ棒と、扉のすぐ脇に倉庫内のブレーカーがあることを確認する。 「中のヤツらに気づかれるより、外のヤツらに気づかれる方がやばいよな」 リエは躊躇わず正面扉の前へ走り、まずは扉を止めていたつっかえ棒を外した。 「おい、何をしている!」 それに気づいた者が声を挙げて駆け寄ってくるが、それはこの幻影に覆われた倉庫内にあってはリエの動きを妨げる大きな要因にはなりえない。そう判断すると、リエはニヤリと口を笑みの形に歪める。 「この様子なら、ちょっとくらい派手でも誰も気にしねぇか」 リエは首にかかっている白と黒の勾玉のペンダントに手を添える。すると音もなく真空の刃が声を挙げたロストナンバーに襲いかかり、彼の身を引き裂く。 「敵だ、そこにも敵がいる!」 さらに数人のロストナンバーがリエに襲いかかろうとするのも、ギアの操る鎌鼬で攻撃を加える。思わず後ずさる彼らを次に襲ったのは、いつのまにか彼らの足元に現れていた太極図だった。結界に踏み込んだ彼らの身体を、炎が一気に包みこむ。 「おい、大丈夫か! おい!」 「倉庫内全員に告ぐ、正面扉だ。真の敵はそこにいる!」 それを目撃した者が駆け寄ってくると共に、倉庫の奥から低い咆哮にも似た指令が響く。 「チッ、ずいぶん勘のいいヤツがいるな」 リエは急いで正面扉を閉じると、扉の脇にあったブレーカーを落とした。 霧が発生してから動きを見せないロドズの様子を、鴉刃とアルドは静かに見張っている。ロドズは沈黙して周囲に視線を這わせていた。それは、何かを探している最中のようにも見える。 (……間違いない。見破られているな、これは。おそらく、ヤツは今「本物の敵」を探している) 鴉刃は自身の気配を消し去ることに一層意識を集中させる。位置を悟られればその時点で暗殺は失敗する。倒せないつもりはなかったが、陽動が効いているうちに終わらせられなければ状況は一気に不利になるだろう。 (闇の霧を使おうか。視界を封じるから、後のタイミングはお任せってことで) 頭の中に響くアルドからの提案に、鴉刃は了解の意を伝える。だが、その直後のことだった。 ロドズがクワッと目を見開き、斧を握る手に力を込める。何者かの気配を察したのか、それともこちらに気づいたのか、鴉刃が急ぎ対応を決める間際、アルドは叫ぶ。 「倉庫内全員に告ぐ、正面扉だ。真の敵はそこにいる!」 次の瞬間、倉庫内は暗闇に包まれた。鴉刃はロドズの舌打ちを耳にする。漆黒の闇の中でロドズの巨体が正面扉の方角に向かって動く様が、鴉刃にはハッキリと見えていた。 (アルド、行くぞ) (……うん!) 霧化していた鴉刃とアルドの身体が形を取り戻し、同時に鴉刃はロドズの首を狙い飛んだ。アルドの手には丸型の盾。埋め込まれた宝石が、ロドズの身体を狙い澄ます。 鴉刃の腕が空中で横に薙ぐように振るわれる。ロドズが気配に気づいたのかこちらに振り向きかけるが、その目がこちらに向く前に鴉刃の腕はその首を捉え、アルドのナイトフォーンドが発射した宝石がその鎧を砕く。闇霧の斬撃はロドズの首を飛ばすには至らなかったが、鱗を切り裂いてその肉を抉った。 「ぐぅッ、……! な、に……」 血が倉庫内に散っていくのを、鴉刃とアルド両名ともその目で見た。その間にも、アルドのナイトフォーンドが振り返り尚も斧を構えようとするロドズの胸部の装備を破壊する。 「悪いな……消えてくれ」 鴉刃の腕が、破壊された装備の隙間を縫うようにして、ロドズの胸部を貫く。それを引き抜くと、彼の巨体はゆっくりと崩れ落ちた。 * * * 地面に伏してぐったりと動かなくなったロストナンバー達を、ハルカは空中から静かに見下ろしていた。残った黒い獣型のワームが青い炎の弾丸を飛ばしてくるのをテレポートで避け、今度はそのワームの至近距離に姿を現す。 吼える獣を正面に捉え、念を込める。ハルカは再度空中へとワームを巻きこんでテレポートし、飛べぬ獣の身体を空へと放りだした。 避けられぬ落下にきりもみしながらも、ワームは尚ハルカを狙い炎を吐きだす。空中で留まっていたハルカは容易くそれをかわし、持っていたナイフに念動力を込めて獣の身体を狙い飛ばす。ナイフは獣の頭部に深く突き刺さり、その体躯は今度こそ地面に叩きつけられ動きを止めた。 「こっちに来た旅団はこれで終わり、か?」 地面に降り立ち、トラベラーズノートを開くと倉庫内に侵入したアルドから「ロドズ暗殺成功」の字列が並んでいた。陽動が充分役割を果たしたことを理解し、ハルカが倉庫内への移動を考えたとき、再びすぐ近くで人が接近して来るような物音を耳にする。数は少なくない。ハルカはそれが姿を現すであろう方向に体を向け、身構えた。 「ん、ハルカ。元気しとったか」 「のんきに挨拶してんじゃねーよ。足手まといはせめてさっさと走れ」 「景辰サン、その発言は失礼デスヨ。謝罪と訂正を推奨しマス」 茂みから姿を現したのは湯木と、先に彼と合流したと一報があった景辰とリーベだった。ただ、聞こえていた足跡は彼らの分だけではない。むしろハルカが聞いた多数の音の大半は彼らの後ろから聞こえているものだった。 「ヘルプ、じゃ」 湯木が饅頭だけはしっかりと掴んだまま、ハルカの肩をぽんと叩きその後ろに逃げ込む。他二名はハルカの横際で足を止め、「隠れるならさっさと隠れろ」と湯木を急がせている。 「……分かった。」 そうしている間に、敵は茂みから次々現れる。ワームの数も増えており、数は十を遙かに越していそうだ。それ自体は、ハルカにとっては何の問題にもならないことだった。一人で多数を相手に戦うのが強化兵士であるハルカの仕事でもあったからだ。だが、ハルカは考える。これより数が増えた場合、元旅団のロストナンバー二人はいいとして、戦闘能力皆無の世界司書まで守りきれるかどうか。 「不可能ではない。けど、」 ハルカは敵が完全に集合しきる前に、決断した。仲間の位置を確認し、倉庫の方へ視線を動かす。そして、集中力を一気に高めていった。 「逃げる」 * * * 暗い倉庫の中、旅団のロストナンバー達は次々と姿の見えない敵の襲撃により沈黙していっていた。 リエはリーベに借りていた暗視ゴーグルを装備し、暗闇に目が慣れて動き始めた敵の姿を積まれた荷物の上から観察する。自分の周囲にある荷物の中身を検め、愉快そうに呟いた。 「食料品が揃ってる。って事は……アレができるな」 リエは麻袋をこじ開け、中に詰まっていた粉状のものを目の前の通路にぶちまける。それから、缶詰を一つわざと音が出るよう雑に放り投げた。視界のままならぬ中、音の正体を探ろうと寄ってくる敵の姿が滑稽で、リエはこみ上げてくる笑いを押さえ込みながら楊貴妃に火弾を撃たせた。 「空気中に飛散した小麦粉に燃焼が伝播して起こる、それが粉塵爆発だ。砂糖やコーンスターチでも、稀に起きるらしいぜ」 倉庫内に響いた大きな爆音をものともせず、鴉刃は視界に入った敵の急所を確実に断ち、アルドもまた、美しい石の弾丸で敵の肉体を貫いていく。二人の連携により敵は次々に倒れ伏し、また、彼らが動くことは二度となかった。 そうしてあっという間に倉庫内にあった人の気配が消えていき、アルドがブレーカーを戻したときには、残っていた旅団は片方の手で数えられる程度にまで減っていた。 「こ、降参、降参させてくださぁいぃ。命だけはぁ……っ」 頭を抱えてぶるぶる震えている鼠獣人と同様に降参の意を示した旅団達を、鴉刃は一旦気絶させたうえで見つけた縄で縛りあげる。 その直後に、ハルカが湯木達を連れてテレポートしてきたのを合流してきたリエと共に迎えた。 「救援、五分後には到着するみたいじゃ」 倉庫内の食料を漁りながらそう告げた湯木の言葉通り、それから間もなく、外部からの襲撃と倉庫内で聞こえた爆音に動揺冷めやらぬままの世界樹旅団に対するには充分な数の救援が到着した。 リーダーからの指示を得られぬまま窮地に陥った旅団ロストナンバー達は残ったナレンシフに登場して離脱。逃げ遅れた者は残らず捕縛されたということが七人に知らされたのは、倉庫内から解放されて間もなくのことである。しかしそれを耳にした頃には、一同は上空に浮かぶナラゴニアから伸びた幾つもの「根」が0世界の地に突き刺さっていく絶望的な光景にすでに言葉を失っていたのだった。 【完】
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