深い樹海に鎖された0世界の大地をよそに、復興にわくターミナル。 世界司書たちは、さまざまな激務に追われ、忙しい日々を送っていた。そんなある日のこと―― とある世界司書が仕事中に倒れた、と連絡があった。 アリッサが駆け付けたとき、そこでは同僚の司書たちが難しい顔で本の山と格闘していた。「どうしたの……?」「最初は過労かと思ったのですが、そうではないようなのです」 応対した司書は告げた。 事態は思ったよりも突飛で、重大であった。「私たちロストメモリーは、記憶を封印することで真理数0を獲得します。その封印された記憶は『アーカイヴ』に保存されます」「そうね」「つまり、ある意味、私たちはつねにアーカイヴ遺跡とつながりを持っている……そう言っても良いのです」「……! それじゃあ」「そのとおりです。先のチャイ=ブレの一時覚醒と、世界樹との戦いにより、アーカイヴ遺跡内にも破壊が生じました。その結果、保存されている情報に乱れが発生したようなのです」 その結果、世界司書が意識障害に陥ったのだろうということだ。 アーカイヴは自己修復機能を持つため、時間とともに問題は解決すると思われるが、それまでは、いつ、どのロストメモリーに症状があらわれるか予測できず、すでに発症したものには対処を要する。 「稀な事例ですから、対処法を見つけるのに苦労しました。しかし」「なんとかなりそうなの?」 司書が頷いたとき、がらがらと音を立てて、台車で運ばれてきたものがあった。「え……壺……?」「『壺中天』です」「――と、いうわけで、みんなは、この『壺中天システム』を使って、意識だけアーカイヴへ行ってもらいます。アーカイヴ遺跡深層『記憶宮殿』。そこには司書のみんなの記憶が封印されているの。倒れた司書の記憶に接続するから、みんなはその中に入り込んでもらうことになるわ。司書の……記憶の中に」 『壺中天』とはインヤンガイで普及している仮想現実ネットワークだが、今回はその技術が応用できた。 司書の記憶の中に入り込み、中で生じている「乱れ」を正すことで、司書は目覚める。 乱れとは、「本来、その記憶にはなかった要素」のことだ。 たとえば、ある司書が、故郷で、ドラゴンと戦って勝利した記憶を持つとする。ところが今、『記憶宮殿』に生じた乱れのため、「ドラゴンに敗北した記憶」になってしまっている。これが昏睡の原因なのだ。そこで、壺中天を通じて記憶に入り込み、もとの記憶に沿うよう、ドラゴンに勝たせてやればよい。なにがもとの記憶と違っているのかは、記憶に入り込めば直観的に知れるという。「ひとつ、約束してほしいの」 アリッサは赴くことになったロストナンバーたちに言った。「みんなは、本人さえ、もう思い出すことができない、封印された記憶に立ち入ることになる。プライバシーを覗き見てしまうことにもなるでしょう。だから戻ったあと、『記憶宮殿』で見聞きしたことは、本人はもちろん、この先誰にも、決して話してはダメよ。一生、秘密にしてほしいの。この約束が守れる人だけに、この任務をお願いします」***********「まさか、こんな日が来るとは」 そんな事をつぶやいたのは、灰色の翼を背負った青年の世界司書だった。「貴方がたには、グラウゼさんを助けていただきたいのです」 グラウゼ・シオン。エルフのような耳をした、エプロン姿の司書が倒れたのは、記憶に新しい。その原因が、アーカイヴ遺跡の不具合によるものだったと知り、ロストナンバー達は顔を見合わせる。 世界司書の若者は、そんな彼らに静かにするよう一言いうと、静かに言葉を紡ぎ出した。「記憶の中で、グラウゼさんはいろいろ悩んでいると思います。どうか、彼を助けてください」 そう言うと、青年司書は説明を始めた。 エラーが生じたのは、『料理の隠し味』についての記憶だった。正しい記憶では隠し味を突き止め、料理を完成させることで国王からの依頼を達成させる、という。しかし……。「その『隠し味』が解明できない、という記憶になってしまった、と」「ええ」 貴方がたの中の1人が言葉を続け、司書は頷く。「貴方がたの力で、どうかグラウゼさんを正しい記憶に導いて下さい。お願いします」 司書は心からそう願い、貴方がたへと頭を下げた。 ――グラウゼの記憶。 貴方がたが訪れたのは、ヴォロスにどこか似た、緑の多い世界だった。その楓の木々に囲まれた小さな国の小さな街に、そのレストランはあった。 ――リストレン・デ・トロトロ。 貴方がたがドアを開けようとすると、中からエルフっぽい男……グラウゼが現れる。「あぁ、悪い。今日は休みなんだ。……って言っても近頃店を締めている飯屋が多いからな。簡単なものぐらいなら出せるが」 申し訳なさそうにいい、あたりを見渡して、貴方がたに言う。せっかくだから、と店の中に入ると、華奢な女性が「いらっしゃいませ」と出迎えた。「俺は、グラウゼ・ウード。で、こっちは妻のシオンだ。俺達は冒険者をしつつこの店をやっている」 そう言って、二人で頭を下げる。グラウゼは貴方がたにお茶を出しながら、現在の状況を語った。 今は戦争が近づいており、その為多くの人々がその知らせに怯え、沈んでいるという。この国の王はどうにか戦争を回避しようと、今度話し合いの場を設けるらしい。「そこで、陛下は各国の要人を持て成す為の料理を俺に依頼したんだ。なんでも、俺の曽祖父がかつて宮廷料理長だったらしくてね」 グラウゼ自身は半信半疑であったが、国王自ら持ってきた記録にあった料理が、彼の父親から受け継いだ料理のレシピにあった事から、依頼されたという。 そして、彼の曽祖父が料理長だった頃に作られたその料理のおかげで、当時は大規模な戦争を回避することができたそうだ。 国王自ら頼むような料理人であった事に驚きを隠せないでいると、軽食を持ってきたシオンが口を開いた。「グラウゼ、この方々にも手伝ってもらったらどうかしら? その方が、レシピの謎が解けるかもしれないわ」 レシピの謎? と1人が首をかしげていると、夫婦が頷く。「実は、これなんです」 シオンが差し出したレシピには、作り方が絵と共に丁寧に書き込まれていた。その一箇所にこんな一文が記されていた。 『最後に、琥珀の涙を一皿につき一匙垂らす』 つまり、司書が語っていたエラーは、この一匙が解かれば解決するのだ。 料理は『鹿肉とキノコのシチュー』である。そして、今回会議に集まる5つの国すべての名産品で作られる。「だから、この『琥珀の涙』というのも5つの国で用意できるものだと、考えているんだがな」 グラウゼの呟きを聞きながら、貴方がたはどうにか解決しよう、と心に決めた。========!注意!このシナリオのノベルは、便宜上、公開されますが、世界観的にはすべて「秘された内容」となり、参加キャラクターの方だけが知る出来事となります。========
序:隠し味を推理しよう 枯葉の舞う中やってきた4人の若い娘達を見、料理人のグラウゼはほう、と小さく呟く。 「俺も長年冒険者をしているけれど、女の子ばかりのパーティは初めて見たな」 「私も、です。元々、この近辺では冒険者になる女性が少ないですから」 シオンもまた珍しそうに言いながらも、彼女はどこか嬉しそうだ。少し和やかな雰囲気になりつつも、グラウゼはまず、問題の料理を食べてもらうことにした。 「そういえばぁ、問題の調味料はぁ、最後の仕上げに垂らすんですよねぇ?」 そう口にしたのは川原 撫子だった。彼女は出された『鹿肉とキノコのシチュー』を見、少し考える。色合いはビーフシチューに似ているのだ。シチューとは違った色の、目を楽しませる仕様を持った液体系調味料だと考えた彼女は、少しだけ首をかしげる。 (これだったらぁ、生クリームの方が目立ちますぅ☆ でもぉ、それだと……) (例の『琥珀の涙』ではないな) 彼女の考えることに気づいたのか、傍らのジュリエッタ・凛・アヴェルリーノも頷く。その様子に気づいたのか、グラウゼが口を開いた。 「ああ。この地方では最後のひと工夫にひと皿ごとに調味料をちょっと足す料理が多いんだ。生クリームを使う事もあるけど、鹿肉にはちょっと合わなくてさ」 「それじゃあ、やはり『琥珀』を連想するものでしょうか?」 メガネの曇りを取りながら吉備 サクラが言葉をつなげる。彼女は最近見た番組『パズラー★パズラー』で取り上げられた物を思い出しつつ、シチューを一口食べてみる。と、ビーフシチューよりも多少さっぱりとしているような風味と、優しいキノコの香りが鼻腔を通り抜けた。 「これはこれで確かに美味しいですけど……」 唯一のツーリスト、前原 絵奈もまた一口食べて感想を述べる。これだとどこか何かがちょっと足りない気がするのだ。他の面々も各々シチューを食べ、「確かに」といったような表情を浮かべる。 「そうじゃな。なんというか……もう少し、『甘味』が欲しい所じゃな」 ある程度食事を終えた所で、ジュリエッタがぽつり、と呟く。 「貴女もそう思うの?」 シオンが銀の髪を揺らして問うと、ジュリエッタは一つ頷く。グラウゼはレシピと皿のシチューを比べつつ、何度も首を捻って考えていた。 「確かに、あとちょっと欲しいな。だが、蜜糖は何種類か試したけどどれも合わなかった」 グラウゼが険しい表情で答えると、撫子が「あのぉ」と手を上げる。 「蜜糖のほかにぃ、液体状の物って試しましたぁ?」 「東隣にある国の名産であるブランデーを使ったけど、ダメだったわ。まだ試していない物もあるけれど、今、ここにはないのよ」 シオンがため息をつきながら答え、撫子は更に言葉を続けた。 「市場で調味料のリサーチしたんですけどぉ、今は市場もお休みでしょぉかぁ☆」 「それは気になります! 可能ならば色々調べたいですし……」 絵奈が手を打ち、ジュリエッタとサクラも力強く頷いて賛成する。グラウゼは少し考えると、思案しながら口を開いた。 「そうだなぁ。市場はとりあえず開いてはいる。ただ、客足が少ないから店を早々とたたむ人が多い。行くならば今すぐ行った方がいいだろう」 俺が案内する、といい、彼は妻に留守を頼むと4人をエスコートした。 楓の葉が舞う中、グラウゼに案内された4人は市場へやってきた。 (これは、どこかイタリアに似ておる……) ジュリエッタが故郷に似た空気を感じつつ瞳を細める。通常ならば活気に満ち溢れているだろうその場所は、人が少なく、既に店じまいの準備に取り掛かる者もいた。 「そう言えば、戦争が近づいているとか言ってましたね」 「その影響でしょうか……」 サクラと絵奈があたりを見渡していると、ある事に気がついた。この辺りの人々は殆どがエルフのようだった。が、グラウゼのように肌が褐色に近い者は少なかった。しかも、そういった人々は大抵赤や黄色など暖色系の髪と瞳をしていた。 「あの、グラウゼさんはエルフなんですか?」 サクラの問いに、グラウゼは不思議そうに首を傾げたが……ややあって合点がいったような顔になる。 「知らなくてもしょうがないか。エルフと一口に言っても何種類もいるからな」 グラウゼ曰く、この地方の住人の大半がエルフであり、それぞれ身に宿す属性によって肌や髪の色、呼び名が違うという。大体が、同じ属性のエルフと結婚することが多いが、グラウゼは珍しく、『混血』なのだそうな。 「因みに、妻はウンディーネだ。だから色白で髪も白くて、青い目をしてる。俺は一応イフリートだがアイツと同じ髪と瞳の色をしてるだろ? 俺のような奴を『カオス』っていうんだ」 ウンディーネとか、イフリートとかはあまりわからなかったが、呼び名なのだろう。グラウゼは少し苦笑して何かを言おうとしたが、それは別の声によって遮られた。 「おーい、ウードの旦那! 今日は綺麗な子たちばかり連れてるじゃねぇか!」 ガタイのいい、ヒト族だろう灰色の髪の男が手を振っていた。グラウゼは顔を上げ、同じように手を振って答える。 「ちょいと案内を頼まれてな。ああ、そうそう。彼女たちに茶でも入れてやってくれ」 そう言うと、グラウゼは懐から銀貨を数枚取り出し、男に渡す。どうやらここはカフェテラスらしく、他の客が数人ほどお茶を飲んでいた。4人が席に着くと、先ほどの男が洒落たカップに紅茶を注いでくれた。 「この辺りは食材や薬の材料を主に取り扱う店が多いから、お目当ての品もあると思うよ。俺は足りなくなった食材を買ってくるから、後でこの前で落ち合おう」 「そうですね。あまり広くない市場ですから、迷子にならずに済みそうですし……」 サクラの言葉に一同頷く。4人はとりあえずここで買うものを絞り込んでから、買い物に出る事にした。 男がサービスだ、と言って出してくれたクッキーを口にしつつ、5人は『琥珀の涙』について推理を再開する。最初に口を開いたのはジュリエッタであった。 「確か、琥珀は鉱物ではなく植物の樹脂が固まった物の筈じゃ。実際、薬にも使用されているそうじゃ」 5つの国とやらの中に琥珀色のものはないかのう? と不安になりつつも言い、他のメンバーもそれに頷く。 「涙で液状、琥珀の涙という名称から考えて、五か国のうち調味料としてメープルシロップのような樹液かもしれません」 「うーん、ポプラの樹液かもしれませぇん」 サクラが『パズラー★パズラー』を視聴した際の記憶を辿りに口にした言葉に、撫子が手を打つ。 「ポプラの、樹液か?」 「そうですぅ☆ 私の……町では、そういう神話がありましてぇ、ポプラの樹液が調味料として適切かは分かりませんけどぉ、何か通じるものがあるかなぁとぉ☆」 「太陽神の息子が亡くなった時、5人の姉たちが琥珀の涙を流してポプラになった……だったかの」 グラウゼが考えながら問いかけ、それに撫子は少し言い淀みながらも答え、ジュリエッタが付け加える。同じ事を考えたのか、サクラが1つ頷いた。一方、絵奈の考えは違うようだ。彼女は少し考え、近くに生えていた楓の木を見つつ口を開いた。 「私は、サクラさんが最初に言ったメープルシロップじゃないかと思います。琥珀同様、樹液から作られますし、なにより、この国は楓に囲まれていますから」 絵奈は過去に調べた資料を思いだし、1つずつ丁寧に言葉をつなげる。 「それにメープルシロップの等級に『アンバー』という物があります。また、お肉を柔らかくして味をまろやかにする効果があるためシチューやカレーの隠し味に使われる事もあるんです」 実際にやったことがあるらしく、彼女が具体的な例を上げ感想を述べると撫子達も納得してしまう。 その傍ら、サクラは他にも思いついたらしく、三つ編みを揺らして拳を握った。僅かにメガネがきらり、と光る。 「該当がないなら、蜂ヤニやプロポリスかもしれませんね。蜜蜂がポプラなどの樹液などを巣に塗った物ですが薬効成分が高くて、鎮静作用や食欲増進作用があることでも知られていますから」 それでも該当しないなら、琥珀は人魚の涙と伝えられているあたりから推測して塩ではないか、とも考えるサクラだったが、仕上げの一匙には多すぎる気がしてならなかった。 グラウゼは彼女たちの意見を聞き、静かに考える。そして、ゆっくりと口を開いた。その目は鋭く、1つ1つを吟味するようだった。 「5つの国の名産に、メープルシロップとポプラシロップがある。前者はこの国の名産品で、後者は西隣にある国の名産品だ。プロポリスはもう少し南の国の、しかも薬だから料理にはあんまし使わないが……」 「メープルシロップなら、俺の店でも取り扱っている。ウードの旦那の手伝いをしてるようだし、譲るよ」 話が聞こえたのか、先ほどの男が真面目な顔で瓶を一つテーブルの上に置いた。しかし、ポプラシロップとプロポリスはここにないらしい。 「この市場で売っているお店はどこかの?」 「そうだな。真向かいのお店なら、プロポリスがあると思う。ただ、高いぞ? ポプラシロップだったら薬としても使われるから、薬の材料を取り扱う店が丁度角にある。そこに行くといい」 ジュリエッタの問いに男は親切に教えてくれた。一同はお礼を言うと直ぐにお店へと向かう事にした。 破:その一匙の正体は……? グラウゼが他の店で足りなくなった材料を買っている間に、サクラとジュリエッタが向かいの店に、撫子と絵奈が角の店に向かう。お金は『グラウゼ・ウードにツケてください』という事で話がまとまった。 サクラとジュリエッタが訪れた店は、蜂蜜や蜂の子などを取り扱う店だった。現れたのは緑の眼と茶色い髪をした老婆で、2人を見ると丁寧にお辞儀をした。 「こんにちは、おばあさん。すみませんが、プロポリスは置いていますか?」 サクラが問うと、老婆は尖った耳をぴくりと動かし、店の奥に行く。そして暫くすると淡い琥珀色に染まった小瓶を持ってきてくれた。 「これは金貨5枚だねぇ。最近、戦争が近くて兵士への薬として沢山買われちゃって、値段が上がっているのよ、ごめんなさいねぇ」 「いや、仕方のない事じゃ。しかし……」 ジュリエッタは老婆の持つ小瓶を見、少し眉間にしわを寄せた。小瓶の大きさは老婆の手にすっぽり収まる大きさだった。 (いくらなんでも、これはちょっと足りない気がするのう) 少し考えていると、サクラの相棒であるドングリタンのゆりりんと彼女の相棒であるオウルタンのマルゲリータが不思議そうに小瓶を見つめていた。よくみると、底が厚めに作ってある小瓶だった。 「分かりました。金貨5枚ですね。支払いはグラウゼ・ウードでお願いします」 「!? グラちゃんのお使いなの?」 サクラがグラウゼの名を出したとたん、老婆は少し狼狽し、ひどく悲しそうな顔になった。 「どうしたのじゃ? ウード殿と知り合いなのかえ?」 思わず『シオン殿』と言いそうになりながらジュリエッタが問えば、老婆は小さく溜息を付いた。 「グラちゃんは、幼馴染のお孫さんなの。小さい時から知っているのよ。あのやんちゃな子がお父さん達の跡を継いだ時は、本当に嬉しかったわ」 老婆はそう静かに言い、今回の件について2人から話を聞くと少し考え込んだ。そして、このような提案をしてきた。 「試しに、スプーン1杯分だけお譲りするわ。支払いについては私から直接グラちゃんに話すから。その料理に合うと分かったら、残りを買いにいらっしゃい」 そう言って老婆は2人に1匙分のプロポリスが入った小瓶を手渡し、ついでに、とサービスで蜂蜜を分けてくれた。 一方、撫子と絵奈が向かった薬屋は、グラウゼと同じぐらいの年齢であろう男が店主だった。彼は2人を見るなり眼鏡を正して口を開いた。 「ヒト族のお嬢さん2人とは珍しいな。何が必要なのかね?」 「こちらにぃ、ポプラシロップはぁ、ありますでしょうかぁ?」 撫子の言葉に、男はぼさぼさの茶髪を撫でつつ小さく頷く。そして、ことん、とやや乱暴にテーブルへと瓶を置いた。 「支払いは現金で頼む。為替はどうも信用ならなくてね」 「あ、支払いはグラウゼ・ウードでお願いします。いくらになりますか?」 「あん? あの『カオス』の遣いか」 男はハシバミ色の目を細め、小声で何か呟きつつも銀貨5枚だ、という。そして、絵奈達を見て1つ呟く。 「ココの人間じゃねぇな、あんたら。色々知る前に『カオス』になんざ関わるもんじゃねぇよ。あいつらは……」 そこまで言いかけた時、奥から彼の妻であろう女性が現れる。彼女はココア色の瞳できっ、と睨むと男の頭を思いっきり叩く。 「何言ってんだい、お前さん! すいませんねぇ、ウチの旦那が古いヒトで……」 ややぽっちゃりした体をゆらしつつ、絵奈へ瓶を渡す。そして、グラウゼが来たらちゃんと支払いをしてもらいますね、と言うと一礼し、2人を速やかに店の外へ連れ出す。 「あの、『カオス』がどうのって……」 絵奈が戸惑った様子で女性を見ると、彼女は小さく溜息を付いた。 「未だに、純血主義者もいるってことよ。全く、考えが古いんだから、あのヒトは」 女性は早口で言い切ると、小声で付け加えた。 「中にはもっと過激的なヒトもいるわ。どうか気をつけてね」 そんな事を聞き、内心冷たいものを感じる撫子と絵奈であった。2人はポプラシロップの瓶を持つと、速やかに待ち合わせの場所へ向かった。 「そっちは上手くいきましたか?」 「勿論です」 サクラに聞かれ、絵奈が静かに答える。待ち合わせ場所で顔を合わせたサクラとジュリエッタは、撫子と絵奈の表情が曇っている事に気づき、心配になった。 「何か、あったのかの?」 「実は……」 ジュリエッタに問われ、撫子が店であった事、女性から聞いた事を話す。と、ジュリエッタはふん、と面白くないというように鼻を鳴らした。 「どこの世界にも、そんなヒトがいるんですね」 サクラがしょんぼりしていると、ぽん、と肩を叩かれる。顔を上げると、グラウゼが食材の入った袋を持っていた。 「例のは、手に入ったかい? 支払いをしてくるから、ここでお茶を飲んで待っててくれ。おーい、クラウディオ! レディ達にお茶を頼むよ!」 グラウゼの言葉に、カフェのマスターが「はいはい」と笑顔でやってくる。そして2、3話すとグラウゼはその場から離れた。 暫くして、グラウゼと合流すると一行は早速店に戻る。と、シオンがちょっとしたお菓子とお茶を用意してくれていた。どうやら、この辺りでは頻繁にお茶を飲むらしく、グラウゼは嬉しそうにそのお茶を飲んでいた。 サクラたちも一緒に飲んでいるとグラウゼがシオンに聞こえないように小さな声で言った。 「悪いが、シチューの作り足しとか手伝ってくれないか? シオンはココの所よく眠れていないようなんだ。だから休ませたいんだが……」 「わかりましたっ! 何でもお手伝いしますっ」 絵奈が直ぐに立ち上がり、サクラとジュリエッタも頷いてあとに続いた。撫子が最後に立ち上がり、笑顔でこう言う。 「全員で手伝わせていただきますぅ☆ 私達、料理はそこそこできますからぁ☆」 「最後の一匙を今皆で出した案全部試してみて、グラウゼさんの舌で正解を確認したいです」 サクラが切実そうにそう付け加えれば、ジュリエッタもまた笑顔を向ける。 「そうと決まれば、早速作ろうぞ。その一匙が何か、わくわくするのじゃ」 グラウゼはありがとう、と呟き、頭を下げる。感謝と喜びの滲んだ顔に、4人のやる気もみなぎるのであった。 シオンには休憩してもらい、5人で手分けして早速調理を開始する。5つの国の名産品である野菜やキノコ、鹿の肉はどれも新鮮ではあったが、材料の中には撫子たちが見たこともないような物もあった。 グラウゼは大きな鹿肉の塊を丁寧に切り分け、それを撫子が肉たたきを使って軽く繊維をほぐす。その後ろではキノコや人参などの野菜を絵奈とジュリエッタで分担して切り分ける。その隣ではサクラがレシピを見ながら調味料やミルク、ブイヨン等を正確に測り、調味料どうしを混ぜ合わせていく。 その手際の良さに見ていたシオンは口元を綻ばせた。 「皆、とても上手ね。貴方がたの旦那様になる人たちはとても幸せものだわ」 「料理上手は男であれ女であれ家の宝って言われるからな」 グラウゼが苦笑しつつ答えていると、ジュリエッタが興味深そうに彼を見やる。彼女は緑色の瞳をちょっときらりとさせ、からかい交じりに問いかけた。 「ん? 奥方殿はやはりこの料理の腕で落としたのかのう? 」 「あ、それは聞きたいですぅ☆ 参考までにお二方の馴れ初めと言うかコイバナも伺えると嬉しいですぅ!」 現在アタック中の人がいるらしい撫子も手際よく鹿肉の下ごしらえをしつつ問いかける。それにサクラと絵奈も興味津々な様子で目を向けるのでグラウゼとシオンは急に頬を赤く染める。暫くの間あたふたしていた二人であったが、漸くグラウゼがしどろもどろになりながら、 「いやぁ、その……なんでもいいじゃねぇか!」 と、耳まで真っ赤になりながら残りの鹿肉を何かの葉で包んで、大理石らしい箱の中に入れる。一方のシオンもまた酷く赤くなったままモジモジしていた。そんな2人の様子にくすくすと笑いながらも、絵奈は少し寂しくなった気がした。 (大切な人と一緒で、グラウゼさん、とても幸せそう。……とても温かい記憶なのね……) そう、ぼんやりしているそばから、サクラがそっと、グラウゼに問いかける。 「グラウゼさんは、奥様の事、愛していますか?」 「当たり前だ」 グラウゼは口元に小さな笑みを浮かべつつも、鍋の準備にとりかかっていた。が、近くにいたサクラには、その瞳に悲しみの色が浮かんでいるのが見えた。 わいわいと賑やかなうちに、鹿肉とキノコのシチューは出来上がった。皿を用意し、それに取り分ける。 「いよいよ、ですね」 サクラがメイプルシロップ、ポプラシロップ、プロポリスの入った瓶を用意しつつ呟く。シオンやみんなが見守る中、グラウゼは丁寧な手つきでひと匙ずつ調味料を皿に入れていく。 皿はプロポリスを入れた物が黄色、ポプラシロップを入れた物が緑、メイプルシロップを入れた物が赤である。シオンはまず黄色の物からグラウゼと一緒に手をつけた。……が、2人の表情は曇っている。 「どうでしたぁ?」 「駄目だ。苦味が出ている」 撫子の問いにグラウゼが首を振る。次に試したのはポプラシロップだった。こちらは2人とも、不思議そうな顔になった。 「何か、あったのかえ?」 「味が全く変わらないの。これじゃないみたいね」 ジュリエッタの問いに、シオンが首を傾げる。最後に残った赤い皿に手を付ける2人。絵奈たちにも緊張が走る。 「あっ」 不意に、グラウゼが呟き、シオンの目が丸くなる。そして、2人は顔を見合わせて、笑顔で頷いた。 「もしかして……」 「ああ。君たちのおかげで、最後の一匙が解った。メイプルシロップだったんだよ!」 絵奈の声に、グラウゼが満面の笑顔で答える。シオンもまた安堵の息を吐き、やがて全員の顔が喜びに染まる。各々試食してみると、確かに、メイプルシロップを加えた物はとてもまろやかな風味になっていた。 2人はありがとう、と何度も言いながら4人と握手したり、ハグしたり、とありったけの喜びと感謝を表すと、ぽん、と手を打った。 「解ったなら早速陛下に知らせないとな。君たちも紹介したいから、是非一緒に来てくれ!」 「私からも、お願いします。きっと陛下もお喜びになりますから」 2人にそう言われ、ジュリエッタ達も一緒に城へと向かうことになった。 しかし、彼女たちはそこで、何となく『ある予感』を覚えてしまうのだった。 急:兆しと、不安と、温もりと…… 枯葉が舞う中、グラウゼとシオンに案内された4人は、質素だが趣のある、小ぶりな館の前にいた。夫妻曰く、ここが国王の住まう城なのだそうな。 (思っていたよりも、小さい気がしますぅ) 撫子が思うのも無理はない。城と言ったら大きな建物を想像してしまうが、シオン曰く、この地方の流行りなのだそうな。 「まぁ、建国王が節約家であったらしいから、その影響もあるんだと思います」 シオンが小さく微笑んで説明していると、兵士たちが笑顔でグラウゼたちの下にやってきていた。 「お待ちしておりました、料理人ウード様。陛下がお待ちです」 「ありがとう。後ろの彼女たちも協力者だから、是非陛下に紹介したい。いいかな?」 「レシピの解読者、でしたね。ええ、きっとお喜びになります」 グラウゼが問いかけると、兵士がにっこりと笑い、4人の乙女たちにも笑いかける。ホッとしていると、中から現れた別の兵士が「こちらです」と案内してくれた。 綺麗な風景画などが程よく飾られた城の応接間に通された一行は、紅茶とスコーンで饗された。 「とてもいい匂いです!」 「この国1のパティシエお手製だからな。食っておけ」 サクラが目を輝かせる傍らからグラウゼが手を伸ばし、スコーンを食べる。使用人達に進められてジュリエッタ達も口にしつつ待っていると、ベルが鳴らされた。国王がお見えになるらしい。 (どんな方なのでしょう?) 絵奈が少し背筋を正し、茶色い瞳でちらり、とドアの方を見る。と、現れたのは白い髪を束ねた、痩せたエルフだった。緑色の目と黄色い肌の男は、シオン達に目礼する。しかし、グラウゼにだけ、それをしなかった。 「こんにちは、ウェルサレン様。今日はご機嫌ななめのようですね」 グラウゼが問いかけると、ウェルサレンと呼ばれた男はふん、と鼻を鳴らした。 「陛下も、この男などに頼らず城の料理人に頼ればいいものを。……報告が済んだら、さっさと帰ってもらおうか。ああ、そちらの方々は構わん。どうぞ、ゆっくりして言っていただきたい」 彼はグラウゼを憎らしげに睨みつけ、シオンやジュリエッタ達には微笑で言う。 「あのお方は、何者じゃ?」 「ウェルサレン様は、この国の宰相なの。陛下の兄君なんだけれど……」 シオンが苦笑しているそばから、若いエルフが走ってきた。彼はウェルサレンに苦言を呈しているようで、ウェルサレンは頭を下げてその場を後にする。 「宰相が、申し訳ない事を……。これは、私の教育不足でしょうね。グラウゼ、不快な思いをさせてごめんなさい」 「いえ、これぐらい平気です。陛下、そんなに頭を下げないでください」 グラウゼは苦笑する。彼は青い瞳を細め、絵奈達に国王を紹介した。 「メイプリア国の王、レイシャ様だ。まだ若いけど、有能な王様だよ。そんで、俺のダチだ」 グラウゼがニコニコ笑う。レイシャもまた、照れ笑いを浮かべている。何でも、国王もまた冒険者をしていた頃があったらしく、その頃からの付き合いらしい。レイシャの様子からグラウゼたちを慕っているのがとても分かり、4人もなんだか温かい気持ちになった。 「所で、例のレシピが解ったというのは」 「ええ、本当です。この4人の女の子達が協力してくれたおかげですわ」 シオンがそういい、4人を紹介する。と、レイシャは感極まった様子で頭を下げた。 (!? そ、そんなに嬉しかったんですか?) サクラが驚いていると、レイシャが頭を上げた。そして、1人、1人の手を握り、ありがとう、ありがとう、と礼を述べる。 「これで、会談はうまくいきます。きっと、うまくまとめてみせます。戦争なんて、起こさせませんから!」 「陛下……」 そんな彼の様子に、ジュリエッタは胸が熱くなるような感覚を覚える。が、その傍らにいた撫子が、不意に冷たい視線に気づく。彼女がちらり、とあたりを見ると……、先程のウェルサレンがじっと、様子を伺っていた。 (なんだか、嫌なヒトですぅ……) どこか冷たい、どろりとしたものを覚える彼女であったが、それがなんなのかわからないのだった。 謁見を終え、再び店に戻った4人だったが、そろそろ行かなくてはならない。エラーは直ったのだ。グラウゼも、目覚めるだろう。 「そうか、行っちゃうのか。是非、会談時の調理も手伝って欲しかったが……」 「私達も、色々あるんです」 サクラが苦笑していると、他のメンバーもどこか寂しそうに2人を見る。シオンはそんな4人に小さく微笑んだ。 「これも何かの縁ね。きっと、どこかでまた会えるわ」 そう言って、握手をする。グラウゼも「そうだといいな」と呟いて、小さく微笑んだ。 「あの、最後に。……美味しい料理を作る秘訣みたいなものってありますか?」 絵奈がそう、問いかけると、グラウゼはくすり、と笑う。 「そりゃ、やっぱり愛情とか、かな。食べてくれる人の事を思って作る事だと、俺は考えているよ」 その答えに、4人は『自分たちが知っているグラウゼ』と変わらない事を知る。それを嬉しく思いつつも、どこか淋しいのは、彼がその後どうなるか、知っているからだろうか。 それでは、と4人が頭を下げ、歩き出す。グラウゼとシオンは、4人の姿が見えなくなるまで、手を振っていた。 ――0世界・某所。 グラウゼの記憶から戻った後も、4人は近くの休憩所に集まっていた。その表情は暗く、エラーが直ったのは嬉しい事なのに、何故か気分が晴れない。 「確かにうまくいきましたぁ。けど、戦争が起きてしまったんでしょうかぁ……」 「今の姓が奥方殿の名前になっているということは……恐らく……」 撫子が涙声で呟き、ジュリエッタが表情を曇らせて頷く。絵奈もまた城でのやり取りを思いだし、胸が締め付けられた。 「言いません、絶対言いませんけど……この後何があったのかと思うと……」 サクラが何か言葉を紡ごうとしたが、それは出ず、代わりに黒い瞳からぽろり、と涙が溢れた。 「だから最後の楽しい日々の選択でここになるんでしょぉかぁ……」 「だと、思います。グラウゼさん、本当に幸せそうでしたから」 哀しすぎる、と涙を堪えながら呟く撫子に、絵奈が頷く。確かに、あの記憶の中のグラウゼは、妻といると本当に幸せそうな顔をしていた。それを思いだし、ジュリエッタがふぅ、とため息をつきながら口を開いた。 「ただ一つ言える事は、名前として残すほど奥方殿を愛しているという事じゃよ。……たとえ、記憶を封じられようともな」 知ってしまった自分達に出来るのは、美味しい料理を作ってくれる彼をサポートし続けることだけだ、と彼女はどこか淋しげに顔を上げる。絵奈も、サクラも、撫子も1つ頷いた。 その傍らで、絵奈はふと、初めて思う。自分にも、あのような幸せな記憶があったのだろうか、と。 その頃。救護室では……。 「……、墓参りは、もう少し待ってくれ」 寝台に横たわっていた司書が、そう呟いて瞳を開いた。 (終)
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