深い樹海に鎖された0世界の大地をよそに、復興にわくターミナル。 世界司書たちは、さまざまな激務に追われ、忙しい日々を送っていた。そんなある日のこと―― とある世界司書が仕事中に倒れた、と連絡があった。 アリッサが駆け付けたとき、そこでは同僚の司書たちが難しい顔で本の山と格闘していた。「どうしたの……?」「最初は過労かと思ったのですが、そうではないようなのです」 応対した司書は告げた。 事態は思ったよりも突飛で、重大であった。「私たちロストメモリーは、記憶を封印することで真理数0を獲得します。その封印された記憶は『アーカイヴ』に保存されます」「そうね」「つまり、ある意味、私たちはつねにアーカイヴ遺跡とつながりを持っている……そう言っても良いのです」「……! それじゃあ」「そのとおりです。先のチャイ=ブレの一時覚醒と、世界樹との戦いにより、アーカイヴ遺跡内にも破壊が生じました。その結果、保存されている情報に乱れが発生したようなのです」 その結果、世界司書が意識障害に陥ったのだろうということだ。 アーカイヴは自己修復機能を持つため、時間とともに問題は解決すると思われるが、それまでは、いつ、どのロストメモリーに症状があらわれるか予測できず、すでに発症したものには対処を要する。 「稀な事例ですから、対処法を見つけるのに苦労しました。しかし」「なんとかなりそうなの?」 司書が頷いたとき、がらがらと音を立てて、台車で運ばれてきたものがあった。「え……壺……?」「『壺中天』です」「――と、いうわけで、みんなは、この『壺中天システム』を使って、意識だけアーカイヴへ行ってもらいます。アーカイヴ遺跡深層『記憶宮殿』。そこには司書のみんなの記憶が封印されているの。倒れた司書の記憶に接続するから、みんなはその中に入り込んでもらうことになるわ。司書の……記憶の中に」 『壺中天』とはインヤンガイで普及している仮想現実ネットワークだが、今回はその技術が応用できた。 司書の記憶の中に入り込み、中で生じている「乱れ」を正すことで、司書は目覚める。 乱れとは、「本来、その記憶にはなかった要素」のことだ。 たとえば、ある司書が、故郷で、ドラゴンと戦って勝利した記憶を持つとする。ところが今、『記憶宮殿』に生じた乱れのため、「ドラゴンに敗北した記憶」になってしまっている。これが昏睡の原因なのだ。そこで、壺中天を通じて記憶に入り込み、もとの記憶に沿うよう、ドラゴンに勝たせてやればよい。なにがもとの記憶と違っているのかは、記憶に入り込めば直観的に知れるという。「ひとつ、約束してほしいの」 アリッサは赴くことになったロストナンバーたちに言った。「みんなは、本人さえ、もう思い出すことができない、封印された記憶に立ち入ることになる。プライバシーを覗き見てしまうことにもなるでしょう。だから戻ったあと、『記憶宮殿』で見聞きしたことは、本人はもちろん、この先誰にも、決して話してはダメよ。一生、秘密にしてほしいの。この約束が守れる人だけに、この任務をお願いします」☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ そこは森だった。 しかしナラゴニアやヴォロスの奥地のような木々の絡まる雰囲気ではなく。 夜の闇の下ただただ半月型の薄い葉をした木々が雑然と並んでいた。 明かりは月の光しか無いが幸い明るい。 月は満月1つ。 「おいっそこの者たちっ」 その声の主は茂みを揺らす音とカチャカチャと小さな金属音とともに馬に乗って現れた。 足下は金属の防具で覆われ、その上にはシンプルだが裾の大きく広がるクリーム色のドレスを、また腕と胸は銀色の鎧に包んでいる。 ひろがる橙のうねる長髪と、白い角、耳は黒く毛に覆われ垂れていて…「例のギルドの者だろ?変わった能力を持つ構成員が多いと聞く……どうした?亡霊でも見るような目をして」 これがあの浮かれた世界司書の過去の姿なのだと。ロストナンバーたちは直感的にわかった。そして自分達の正すべき運命も。 ロストナンバーたちの動揺をどうとったのか、彼女は腰に下げた剣の柄に手をかけながらもゆるりと笑った。「カウベルひめさまー」「カウベルさまぁー」 遠く声がする。彼女は顔を引き締めた。「言っておくが私は姫ではないぞ。影武者兼御守り役だ。名はカドゥ」 馬から降りて静かに手綱を引くと、着いてくるように手招きした。「姫様は時々私を置いて街に行きなさる。平和な街だからな、それは構わないんだが……」 歩く姿は凛としていて、鎧を着た偽者とはいえ王女のような貫禄があった。 ある者は司書カウベルが明るく話したことを思い出しただろう。「アタシは出身世界の記憶はないけどぉ、もしかしたらさる国のお姫さまだったりぃ、んー服はこのくらい露出があったほうが動きやすくて好きだけどドレスも憧れちゃうでしょう。だって女の子だしぃ」 その願いは一部叶っていると言える。一部は。これからも叶う。「姫様が戻らぬのだ。さすがに探さねばなるまいて、お前たちのギルドに人を頼んだのだ」 どうもロストナンバーたちを傭兵ギルドかその類いと間違えているらしい。「姫様は無邪気な人でな、許婚は決まっているものの、街へ出ては小さな恋をして、戻ると私に話してくださるのだ」 カウベル……カドゥは誇らしげに口許を緩めて話す。「今回も誰かに会いにいったらしいな。私宛に手紙があった。姫様の手紙は正直なんだ」 その文面を、カドゥは歌うように読んだ。~月の満たされる日、私の心も満たされる。~私たちは唯一枯れる場所で誓い合う。~見つけて、カドゥ。「どこにいるかはいくつか心当たりはある。お前たちを呼んだのは念のためだ。前に男のほうが武装していて酷い目にあったことがある。姫様が止めてくださったが……」 カドゥは嬉しげに思い出に微笑んだ。「さぁ行こう。朝までに行かねば」『カウベルさま!!』 突然茂みの影から光が飛び出し、一同は身構えた。「っ、見つかったか」 瞬間、 時が止まったかのように、ロストナンバーたちは感じた。 月明かりが照らす森。 光を通す木々の薄い葉は半月型。 見上げた月は満ちている。「おいっそこの者たちっ」 その声の主は茂みを揺らす音とカチャカチャと小さな金属音とともに馬に乗って現れた。 ドレスと鎧を身に付けた。見知った顔。☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆「彼女の記憶ですが。 その閉じてしまっているようなのです」 『壺中天』の説明をした司書は、眉を寄せながらそう表現した。「恐らく、彼女の記憶の中に入ったらその影響を受けるでしょう。タイムリープ、と言いますか、彼女は幾度も繰り返しているんです。ある一時点から、彼女が覚醒に至るまでのどこかで、彼女は戻ってしまいます」 正しいカドゥ=カウベルの運命。――カドゥは姫を夜通し、そしてその後何日も探し回るが見つけることができなかった。カドゥは城に戻り姫になる。「そして、国が戦争に巻き込まれ城が攻め落とされた時、姫の入れ替わりが告発され、彼女は処刑され……いえ、その死の淵で覚醒するわけなのですが」 司書が首を振る。「スタートは姫が行方不明になった夜です。しかしその後の展開はまちまちで……ときには姫を見つけ呼び戻し、その傍らでずっと過ごしたこともありました。また、正しい記憶の通り、彼女が姫に成り代わるルート――これはアーカイヴは自己修復機能の影響もあると思いますが――そちらを過ごした場合も。彼女はまた何かを探すように、また戻る」 司書は指を山なりに何度か右に、そして大きく左に戻した。そこがスタートというわけだ。「正しい記憶の筋に戻す前に、彼女の、無念を晴らすといいますか……。彼女がひっかかている何かをさせてやる必要があるようです」 歯切れ悪く語られた内容と解決法は非常に曖昧で、ロストナンバーたちを困惑させる。「彼女の記憶、というより、夢の中と言えるでしょうね。恐らく、ロストメモリーになるまでに、何度も夢に見たのでしょう。その夢と、混じり合っているのだと思います」 司書はそこで、苦そうに笑顔を作って全員の顔を見た。「想像力豊かな彼女らしい夢です。どうせ忘れてしまう夢ですから、みなさんちょっと賑やかしにいくつもりで行ってらしてください。その、今と比べれば、とても寂しそうな夢ですから」 彼がそっとロストナンバーたちに差し出したのは。 使われていない、カウベルの握手券。
バシンっと、突然傍らを歩いていた吉備 サクラから肩を叩かれたニコ・ライニオは、驚きに目を丸くして、でも前を行くカドゥに気づかれないように小さな声でサクラに囁いた。 「ちょっと! サクラちゃん痛いよ! どうしたっていうんだい」 「服! 服がないんです! カウベルさんはお洋服が好きだったから、持って来ようと思っていっぱい準備したのに!! 私戻りますっ!!」 「ヲイヲイ、夢はもうはじまっちまってンだゼ? 大人しく進んだ方が良くねェか?」 前を伺いながら、ジャック・ハートが眉を寄せながら口を挟む。 「何回ループするかもわかンねェしナ。次のご機会に…ッて、テテテテ、痛ェよ!!」 「あんな、露出の少ないカウベルさん何てぇ!! 私の癒しの巨乳はどこいっちゃったんですか、この前図書館でドリル漬けになって理解しました……巨乳最強です癒し効果MAXです数学疲れの頭に優しいです!」 バシバシと今度はジャックを叩きながら涙目で言う。 「バッカ、巨乳は消えネェよ! 鎧の下は同じだろーが!!」 「みんな静かにするっすよ!! 服を色々着せるっていう案は悪くねぇと思うっす。 でも無いもんは無いで諦めるっすよ!」 最年少ながら非常に説得力のある発言で諌めたのはスタンことコンスタンツァ・キルシェだ。さすが実力主義の女系一族の末娘と言うべきか……。 「くっ……そうですね、スタンさんの言う通りです……ううう、でも悔しいです。 最初の一歩から大失敗です。でも私挫けません……私は仕立て屋ですから……次こそは!」 サクラの目がクワッと光り、三人は気圧されて身を引いた。 前を行くカドゥが微笑んで振りかえる。 「何だ、仲間割れは終わったのか? 森が切れるまで言い合いをしているようならクビにしてやろうと思っていたんだが」 細められた目は優しく、言葉がただの冗談と知れる。 「ちょぉッと息抜きにじゃれあってただけだ。 姫を探す心当たりがあるッつったナ、カウベ……カドゥ。何処だ」 カドゥは話がしやすいよう手綱を引き馬の速度を緩める。 「心当たりは……いくつかある」 「枯れ井戸のある教会、とか?」 「ふむ、それも候補にあるな……」 ちょいちょいと、ニコがジャックの服の裾を引く。 「なンだよ、男が気持ち悪ィな」 「な!? 失礼だな君は。僕は君の考えを確認しておかないといけないと思っただけだよ。 巻き戻るときはみんな一緒みたいだしね?」 「そうっすよ! 勝手な行動は慎むっすよ!!」 「ンだとぉ!?」 『ヒッ』 ジャックがすごむと、三人が同時に身を縮める。ふんっとジャックは鼻を鳴らした。 「その男の言う通り、教会へ向かおうと思うのだが……意見はまとまったか?? 何かあるなら言え。聞く」 カドゥは馬上で背筋を伸ばしている。月明かりの下で光る長い髪と鎧。凛々しい口元。 「キリっとしたカウベルちゃんもいいけど、やっぱり見慣れた……ちょっと意地悪な彼女に戻ってきて欲しいな」 「あったりまえじゃないですか、何言ってるんですか!」 ぼんやりと呟いたニコのことをサクラがまたばしんと叩く。 「怪しいっす。ニコのことだから、凛々しいカウベルもいいなーとか思っていそうっす!!」 「えぇ!? 本心だよー?? でさ、君は姫を探してカドゥに会わすって方針でいいんだね? 僕はちょっと意見が違ったけど……女の子の夢を叶えるのは吝かでは無いよ」 「私は彼女の心残りは変身願望だと思いますからね。服が無い以上、今回はお付き合いいたします」 サクラが眼鏡を上げてキリッと言う。ジャックが歯を剥くと、ヒッとスタンの影に隠れた。 「正解でなくても会いたい奴が居るなら会わせてやりてェじゃねェか。記憶に残らなくても魂にゃ残るかもしれねェだろ」 「素敵な意見だと思うな。女の子は宝だからさ、忘れてしまった夢の中でも、大事にしてあげたいじゃない? その分、僕がずっと覚えてるからさ」 「あぁついに、女好きのロマンチストと現実主義者が手を結び……」 「あたしは姫に会わせるって意見は賛成っす。今回はジャックにお任せするっすよ」 スタンがGOとばかりに前を指差す。 ジャックは頷くと足を速めてカドゥの横に並んだ。 「話はまとまった。教会まで行くぞ。 ……つっても俺は退屈が嫌いでね。着くまでにお前の話が聞きてェんだが」 「私の?」 「あぁ、お前自身の」 ジャックがウインクを飛ばすとカドゥが眉尻を下げて言った。 「密偵……とかではないよな? いやお前達のような派手な密偵は見たことがないが……何と言うか……楽しい道中になりそうだな?」 「ダろ?」 呆れたように言われた言葉に、ジャックは涼しげに言葉を返した。 ○ 「ほう……さすがだな……」 「俺サマは半径50m最強の魔術師だゼ? 全員持ち上げるなンざ楽勝だッつうノ」 「私たちが逆の方向に向かっていく幻覚を見せてあります! これで撒けたんじゃないでしょうかね!」 五人と馬は月明かりの夜空の中に浮かんでいた。 上空50m。追手の声が聞こえたところで、ジャックの能力で転移したのだ。 さらにサクラがトラベルギアである鍵の形をしたネックレスを握りしめ、幻覚で追手を惑わす。 馬が怯え嘶きそうになるのを、カドゥとスタンが必死に宥めた。 「早く降りよう。彼女が怯えている」 ニコが優しくタテガミを撫でてやると、馬はすっと静かになる。 視界がぶれたかと思うと、全員は森の端、木々の合間に戻っていた。人の気配は遠い。 「お前、馬に色目使って楽しいのか?」 「んん、年齢的には守備範囲外かなぁ……」 『年齢的には』 スタンとサクラの声が揃う。 「サクラちゃんとカドゥちゃんは範囲内だよ!」 キリッとニコが顔をキメると、スタンと馬が吠えた。 「なんか腹がたつっす!!」 『ひひーーーん!!!』 「ぐえ」 スタンからの中段蹴りがきまりニコが地面に伏す。草が柔らかいなぁ……とニコは思った。 「……お前はどうだ? 恋とかナ」 「私か?」 カドゥはぽかんと口を開けて呆けた。 「いやいや、家臣が恋など。それに私は姫の輿入れ先に着いて行くことになるだろうからな。それから……うーん、まぁ向こうの家臣と縁組を……」 首を捻り捻り、自分の事とは思えない現実味の薄い口調で言葉をつづる。しかし最後に出た一言だけは強く苦い気持ちがにじんでいた。 「姫が選べぬものを私が選ぶわけにはいかぬさ……」 ジャックがしたりと口笛を吹く。手ごたえ。 「お前……影武者以外にやりたい事はねェのか? 姫みたいにあちこちで恋するとか変装して街を出歩くとかヨ」 「何故だ? 私が居なければ、誰が姫を探して姫の秘密の話を聞いて差し上げられるんだ?」 「例えばサ。その相手が居たとして、お前が自由だったら」 ゴクリと、話を聞くだけの三人の喉がなった。切りこんだ。カドゥの望みを知ることは、この夢の連鎖を終わらせる大きなヒントになるのではないか。 カドゥが首を振る。 「考えたことが無い。私はずっと、姫の傍に……」 その言葉にスタンが目を潤ませた。未来は知っている。そんなの悲しすぎる。 「何故聞く? 他の道なんて、無いのに」 ため息とともに吐かれた言葉。 「……お前が探してるのは姫様じゃねェ、お前自身じゃねェかって思っただけだ、何となくだがヨ」 カドゥが目を細めた。 「何かの喩えか? それとも街で流行っている歌の詩?」 小さく傾げられた首に、彼女の隠している女性らしさが見えてサクラは胸が苦しくなるのを感じる。 「お前がお前自身であると認めてくれるのが姫様だけだからそんなに真摯に探すのかと思ってヨ」 ニコがちらりとジャックを睨んだが、カドゥは緑の目を煌めかせながら真意を探るように彼を見つめたままだった。しばらくして。 「……済まねェ、謝る」 両手を軽く揚げ、降参とばかりにジャックは首を振った。そしてそのまま…… カドゥを軽く抱きしめた。 「仕事じゃなくても俺たちはお前自身に手を貸す……お前が何者であっても」 息を詰める音が聴こえて。 ――暗転 ○ 「はぁっ!? 突然過ぎてビックリしたあー何も考えられなかったぁあああ」 月明かりが照らす森。 サクラはまたも衣装の持ち込みに失敗し両手と両膝をつく。草がふかふかしている……とサクラは思った。 「ちぃっ、踏み込み過ぎたカ? イイ線行ってたと思ッたンだが」 ジャックが腕を組んで苦い顔をしている。拒まれようが斬られようが、とりあえず思いを込めてハグ……と思ったジャックだが、反応は予想以上に無常なものだった。 「僕はちょっと早急だったんじゃないかと思うけどねぇ」 ニコが片手を顎に当てながらニッコリと人好きする笑みをジャックへ送る。 「彼女、とってもシャイみたいだったからさ。カウベルちゃんならハグしても笑って流してくれるだろうけど、カドゥちゃんはそうはいかなそうだよねぇ」 「色男同士のバトルっすか……ノールールでガチっすか」 スタンが両手を握りしめてファイティングポーズを作る。 「一人の女性を巡る男の戦いですね! ロマンチック……」 サクラもスタンの後ろで同じポーズになっていた。この二人、ノリノリである。 「いンや、俺ァ今回はお前に番を譲るぜ。一回失敗したからな、お手並み拝見といこうじゃねェか」 「ふぉー余裕っすね! 男の余裕っすね!!」 「苦し紛れって可能性もありますよっ」 ジャックに睨まれサクラはヒッと声を上げた。 「おいっそこの者たちっ」 カドゥが同じように現れる。 4人は顔を引き締めた。 「こんばんわ、良い夜ですね」 ニコがカドゥの横に跪く。 彼女が手甲に包まれた手を差し出すと、恭しくその甲にキスをした。 「私は姫ではないぞ。影武者兼御守り役だ。名はカドゥ」 「存じ上げております。僕はニコ。君の願いを叶えに来たんだ」 ニコの台詞にカドゥが訝しげに眉を寄せた。 「最近のギルドの者は変な言い回しをするんだな」 「気に入らなかったかい?」 「いや、うーむ、言い回しはどうでもいい。姫を探してくれるのだろう?」 「それは勿論。ただね、それだけじゃないんだ」 「それだけではない?」 「姫様は小さな恋を幾つもする」 カドゥは剣の柄に手をかけた。緊張が走る。ただニコは笑顔を向けたまま動じなかった。 「姫様の昔の恋人か……? 姫様には恋の話は私以外にはしてはいけないと……」 「えーっとね、僕は君から依頼されると同時に、姫様に頼まれたんだ」 「何?」 「君はいつでも姫様優先でしょう? だから、君の願いを叶えて欲しいって」 後ろで三人がこそこそと話合う。 「何と滑らかに嘘をつくのでしょう」 「でも効果覿面ダぜ? 俺ァカドゥの頭ン中が心配だね」 「仕方ないこととはいえ、心苦しいっす!」 「姫様が……で、私の願いとは何だというのだ? 姫を探す以外に?」 「うん、僕が思うにね、憧れてたりなんかしないかな? 姫様のこと。 試しに恋でもしてみない? 僕でよければお相手するよ?」 ニコがウインクをし、カドゥがたじろいだ。 ジャックが舌打ちして小声で言う。 「誰ガ早急だッテ??」 ニコの台詞は続いている。 「そしたらさ、君の願いを叶えるのは恋人たる僕の役目になる。 何でも願えばいい。その気になればどこまでも飛んで行けるし、そうすれば君の大事な姫様を危険から遠ざけることだってできる。君は姫様の為に何でもできるひとだろうけれど、そんな君の為に何かしてあげたいんだ」 「馬鹿な……」 「あ、冗談だって思ってる? 僕はいつだって本気だよ?」 ニコはカドゥの目を覗きこんだ。 『ひひーーーん!!!』 「わ、わわ」 顔を赤くしたカドゥが慌てて馬を下りて宥めた。彼女の動揺が伝わってしまったようだ。 「カウベルひめさまー」「カウベルさまぁー」 姫を探しまわる家臣の声が近づいてくる。 「これは貸しだかンな!!」 ジャックが全員を上空に転移させると同時に、サクラがまた幻覚を見せてやりすごす。 「うーん、あたしのチェーンソーはまだ出番じゃなかったっすか!」 スタンが自らのトラベルギアのチェーンソーのエンジンを引こうとするのをニコが慌てて止めていた。 「それは音が大きいからね! もう少し待とうよスタンちゃん!!」 「うーじれったいっす!!」 空中で器用に地団太を踏むスタンである。 地上に戻っても、カドゥは赤い顔をしたまま俯いたままだった。 「あの、カドゥちゃん??」 「馴れ馴れしく呼ぶな!!」 ――シュンと鞘走りの音がして、剣がニコに突きつけられる。 「わぁ。僕まだ抱きついてもいないんだけどな……」 「カドゥさんの気持ちはわかります……」 「あたしも……」 女性陣のジャッジは厳しかった。 「ひ、姫様もちょっと恋するのが早いところはあるが……お前ほどではないぞ! さっき出会ってすぐ恋人、なんてあるわけないだろうが!」 「一目惚れかも!」 「かもとはなんだ、かもとはぁ!!」 カドゥの語尾があやふやに伸び、奇しくもカウベルに似た口調になった。 恥ずかしさを噛みしめ口を引き結び涙目になる姿も。 「カウベルさんだぁ」 サクラが思わず安心の声を出すほどにカウベルっぽかった。効果音は『プンスコ』だ。 「私は恋などせんのだ! 姫様もいらん心配を……」 彼女の口が苦そうに歪められる。 ニコはその意地らしい姿に胸がいっぱいになった。 「カドゥちゃん!!!」 ――ハグして暗転。 ○ 「よぉっしゃあああああ!!!! 私の想像の翼キタキタァアアアアアア!!!!!」 月明かりが照らす森。 大量の衣装の入った袋をサンタの様に担いだサクラの歓喜の雄たけびが響き渡る。 「ばかッ静かにしろ!!」 瞬時に50m上空に飛ばされ、高さにヒッと息を飲む。 「おかえりなさいっすよサクラ! ちゃんと足は地面に着いてるっすよ?」 スタンが固まっているサクラをポンポンと叩くと、彼女は無言のままひしっとその体に抱きついた。 ――小刻みに震えている。 「ヨシヨシ、怖かったっすねーヨーシヨシヨシ」 スタンが丈の長いカーディガンに包まれた手で優しくサクラを撫でてやる。ちょっと髪が逆立ってしまったが、気にしない。 「いーけないんだー女の子を泣かしてぇ」 ニコが自然にサクラに寄り添い、スタンが逆立ててしまった毛をそっと戻すように頭を撫でる。……『失敗』をものともしないしれっとした姿であった。 「ふンッ」 ジャックが面白く無さそうに鼻を鳴らす。 「おいっそこの者たちっ」 カドゥが同じように現れる。 混乱してしまいそうなリバース。 戻ってしまった時間。 次の行動をそれぞれが伺う。 「こんにちは、カドゥ様。私は仕立て屋のサクラです」 サクラが一歩前に出て頭を垂れたので、3人は顔を見合わせてからその場で跪いた。 「仕立て屋? 私が手配したのは傭兵であったはずだが……」 「恐れながら、カウベル姫様が色々変装なさっているなら、カドゥ様も変装なさった方が良いと思います」 「ふむ……確かにこの姿では朝まで探しまわれない。なるほど、気の回るギルドであるな」 「この辺に湖はありませんか? 静かで明るい夜です。水面が鏡となり貴方の姿を映すでしょう」 「わかった。こっちだ」 カドゥが馬の首をめぐらす。 スタンが男性二人だけに聞こえる声で囁いた。 「サクラも口が上手っすね……というか別人みたいっす!」 「ありャなりきってンだろうよ」 「いつの間に髪の毛を上げたんだろう。お針子さんみたいだね」 ――サクラはコスプレモードだ! 衣装を包んでいた大きな布は木にかけられ、即席の天幕となった。 サクラとスタンが着付けを手伝い、男二人は少し離れた場所で見張りをさせられる。 「ちょっと待て!! それは下着ではないのか!?」 「え、これはカウベルさんも着た事のある牛柄のビキニですよう」 「姫様が!? こここここれはけしからん!!!!」 あらぬ疑いが姫にかかりつつも、天幕の中は楽しそうである。 「この派手な道化衣装は何だ、これももしや姫が……」 「ええ、私が着せて差し上げました」 「ななななんと!!けしからん!!!!!!」 「もーサクラやめるっすよ、カドゥが可哀相っす……」 スタンはカドゥが見ていた道化蝶の着ぐるみをさっと取り上げて、他の衣装を差し出した。 「ほう……これは姫様に似あいそうな美しいドレスではないか。これを着て見ようかな」 「カドゥ様! 姫様と似たような姿になっても変装にはなりません。 ……カドゥ様は本当はカドゥ様なんです。お姫様の影武者もなさるけど、カドゥ様ご自身として何でもやれるし何でもやっていいと思います」 「そうは言ってもな……同じ顔であるゆえ、万が一姫と間違われた場合にも恥ずかしい服装は……」 「そういうことならダメーーッす! この衣装も取り上げっす!! ふんわりドレスのお姫様に憧れるのはわかるっす。でもカドゥのそれは偽者っす!!」 スタンは自分が差し出した衣装なのに、再び取り上げた。 不満そうな顔をするカドゥの肩をガシッとサクラが掴む。 「私は! 姫様がカドゥ様に探してほしいのは、カドゥ様自身かもしれないって思います。 カドゥ様が姫様を探しながら見つけた小さなコイバナを姫様も聞きたかったのかもしれません。だから自分のコイバナにかこつけて、一生懸命カドゥ様を連れ出そうとしているのかもって思います。だって、主従の前に、姫様とカドゥ様、大事なお友達じゃないですか!!」 言い切りハァハァと肩で息をするサクラをカドゥがそっと支えた。 カドゥの顔は動揺に歪んでいる。 「姫が私を連れ出そうとしている……? それに姫の恋の話など……私はお前たちにしたか?」 「そんなことはどうでもいいっすよ!! 姫はカドゥに何でも話してくれて、その事が嬉しかったって顔に書いてあったっすよ!!」 「私が……? いつ……?」 カドゥの表情が曖昧になっていく。 「……本当は姫に言いたい事があるんじゃないっすか?」 「姫様に……??」 「あーもーじれったいっす! サクラ耳貸すっすよ!!」 スタンがサクラに耳打ちをする。 サクラはしばし耳を傾けると驚いて衣装の山の上に尻もちをついた。 「えええ!? そんなぁ!! うーでもでも、そうですか。うーん、ちょっと言いづらいけど、外のお二人にも話して来ます! スタンさんはコレをカドゥ様に着せてあげてください」 サクラはスタンにとっておきの衣装を渡すと、天幕の端を掴んでから一度振り返って言った。 「カドゥ様も、姫様やみんなの癒しです。 早く目を覚まして下さい……カウベルさん」 ○ 馬が駆けていく。 二人の人を載せた馬はややスピードは落としているものの、それと並走する三人の足は早い。 色黒の男は2本の小ぶりの鉈を両手に持ち、赤髪の優男は手に持った鏡を煌めかせていた。三人目の小柄な少女は手に持つチェーンソーをうならせながら、その呻きより大きな声で馬上に声をかける。 「さ、行くっスカドゥ! 追っ手はあたしが引き付けるっす! チェーンソーが唸るっす!!」 呼応するような馬の蹄とチェーンソーの音。 「殺すなよ!? というか、この衣装本当に姫様に喜んでいただけるのか!? おいもっとしっかり掴まれサクラ! 腹が冷える!!」 馬の手綱を引くカドゥは司書カウベル・カワードのコスチューム。つまりへそ出しカウガール姿で腰に掴まるサクラを怒鳴りつけた。 「勿論です!!」 サクラは鍵を掴み幻影を見せる余裕などはなく、必死に馬上に留まりながらも請け負った。 「時間が進んでいるとこを見ると……教会の枯れ井戸じゃ無かッタみてェだな」 「僕はそんな気もしてたけど……昔の彼女が海の女でさー」 「ハイハイ、軽い男どもはお呼びじャネェってよ!!」 ジャックが振り返りざまに鉈を投げる。走り寄ってきていた騎馬兵が馬から落ちた。 「おおおい!! 殺すなよ!!」 カドゥが焦ったように声をかける。馬のスピードは緩めなかった。 「急いでください! 今夜を逃したらもう会えないかもしれないんですよ!!」 「お前たちは不思議な事ばかり言う! この衣装も珍奇だ! 非常に、珍妙だ!!」 言いながらも海への道をひた走る。 姫の居場所。 大潮の干潮にだけ現れる洞窟へ……。 「先に行くっす! 姫ときちんと話し合ってお互いの気持ちを知らなきゃダメっす。逃げてばっかじゃ問題解決しないっす!」 「わかった! 礼を言う! スタン、ジャック、ニコ!!」 三人は足を止め、駆け寄る騎馬兵たちに向き直る。 ● 「姫様!!」 「まあカドゥ、私の事見つけてくれたのねぇ!」 サクラは姫の姿を二度見した。 短いオレンジの髪、牛の角と耳、笑みに細められた緑の瞳。 「うふふ、それにしても素敵な格好ねぇ、驚いちゃったわぁ」 ピンクの衣装こそ露出の少ないものの間延びした口調までも…… 司書カウベルに瓜二つ。 そしてサクラは姫の傍に立つ男のことを三度見した。 牛とも豚ともつかぬ不細工な男。 姫の手を取り庇うように少しだけ前に立っている。 「紹介するわ、あたしの新しい恋人のメロウ。不細工だけど陽気で良い人よ。 海の妖精なのぉ」 緑の髪に赤い鼻の彼を、姫は頬を染め嬉しげに紹介した。 カドゥの顔が歪む。 サクラは繋いだカドゥの手をギュッと握った。 「姫様……姫様に聞いていただきたいことがございます」 「まぁ」 姫はメロウを手で制すと、前へ出た。 「聞きましょう、カドゥ。お話しして?」 「はい……」 カドゥが一歩前に出ると洞窟の天井に開いた穴から差し込む月明かりが、スポットライトのように彼女を照らした。波の音は静かに響き、それぞれの高鳴る胸の音と混じる。 「姫様……私は姫様に憧れてございます。 姫様のお話されるお声、言葉、姿、仕草、何もかも、憧れでございます。 その……愛しております」 告白とともに力の籠る手をサクラが目を閉じたまま握り返す。 「ありがとう、カドゥ。 でも私はメロウ……この人が好きなの」 「……はい」 カドゥは俯くと震える声でそれだけ答えた。 足元に、滴が落ちる。 「カドゥ! カドゥ!! しっかりするっすよー!!」 洞窟に響きわたる声とともにスタンが上から落ちてきて、するりと着地する。 上部の穴から飛び降りてきたらしい。 そのまま地を蹴ってカドゥに抱きついた。手を伸ばし頭を撫でると、再びメロウの後ろに庇われている姫に向き直った。 「あたしも姫に言いたいことあるっす! なんでいつもカドゥをおいてけぼりにするんすか? 可哀想っす! 大好きな人がいつもいつも勝手にいなくなったら寂しいに決まってるじゃねっすか!」 「そうだなァ、チェーンソーのお嬢ちゃんの言うとおりじゃねェの? なんてこたぁねぇ、姫さんもカドゥの気持ちに気づいてたんダろ?」 「いいんだよ、僕たちが覚えてるから。好きに話して? カウベル姫様」 スタンに続きジャックとニコが降りてくる。 姫は皆の顔を順番に見ると、口を引き結びコクリと頷き言葉を紡いだ。 「あたしの恋も、カドゥの恋も、きっと本物だったのねぇ。 あの晩はお互い会いたかったんじゃないかって、あたしも信じているのよ……」 カドゥはスタンの胸の中でしゃっくりしながら泣いている。 姫の語る言葉はもう記憶では無い、夢の中。新しい夢の中。 「カドゥはあたしの幸せと自由を願ってくれていたけれど、だからこそ、ずっと言えない言葉があった。 まさか、あの夜で会えなくなると思っていなかったしねぇ」 姫はゆっくりと首を振った。 「一人で気を張らず周囲を頼ってください、その為の仲間っすもん。 カウベルの大事な大好きな姫は、きっとカウベルの幸せを一番に望んでるっす」 スタンの力強い声に姫が微笑む。 「ふふ、そうねぇ。 みんなが言ってくれた通り。あたしもカドゥの幸せと自由を願っている。 そう信じ“たい”の」 はにかんだように姫はそう言うと、最後にカドゥにそっと声をかけた。 「カドゥ…… 信じてくれる?」 カドゥはスタンとサクラをそっと離すと、目元をぬぐってから剣を抜いた。 メロウが姫を庇うように抱き寄せる。 「勿論です!」 オレンジの髪がバッサリと斬られ、洞窟の上から差し込む光にキラキラと煌めいた。 ――光転 ☆ 「やっだぁ、クリスマスもお正月も過ぎちゃったのぉ、次のイベントはぁバレンタインかしらぁ。うーん、バレンタインってコスチュームが無いイベントよねぇ。どうしようかしらぁ」 昏睡から目覚めたカウベルは日付を知ってそう発言し、握手を求めてくる司書に不思議な顔をしながら握手を返していた。 ――四人だけの反省会。 サクラ「はぁあん悲恋ですうううまさかの百合ですううううう。百合は好きですか!? 勿論です!!! ……くひっ…ううう……」 スタン「サクラ! 笑いながら泣くのはキモイからやめるっす!!」 ジャック「さすがに既に恋してるヤツに恋しろッつーのは無理あったなァ」 ニコ「うん。僕らは射程範囲外だったんだね」 ジャック「僕らって俺が入ンのか?」 スタン「あたしは入んねぇっすよ!」 サクラ「くひっ」 ニコ「でもジャックが抱きついた時とか僕がお誘いしている時とか、赤くなってたよね。脈はあったかなーなんて」 スタン「懲りない男っすね!」 サクラ「わたしとしてはカウニコよりもジャッニコのほうが……いえニコジャクでもいいんですよ?」 スタン「腐女子ですか?」 サクラ「勿論です!!!」 ニコ「息が合ってきたなぁ」 ジャック「俺は鳥肌が立ってキタ」 スタン「でもいいっすねぇーあんなに思い思われてみたいっすよー憧れるっす」 ニコ「そうだねぇ、僕も思われるのが好きだけど、最近は思う方もいいかなぁなんて」 サクラ「ニコジャクですかぁ?」 ジャック「飛ばすゾ?」 サクラ「ヒッ」 ニコ「とりあえずカウベルちゃんが戻ってきて良かったなあ。司書室ですっころんで起きないときは人工呼吸しなきゃいけないかなって、凄く慌てたんだからー」 スタン「したかったんじゃないっすか? 牛に蹴られますよ?」 ニコ「なんかスタンちゃんも僕に冷たいね? どうしたの??」 スタン「別に守備範囲外って言われた事、根に持ってるわけじゃないっす」 ジャック「フーン」 サクラ「スタンちゃん、興味無い人から守備範囲って言われても、あんまり嬉しくないですよ!」 ニコ「え、これがオチなの?? え??」 (終)
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