深い樹海に鎖された0世界の大地をよそに、復興にわくターミナル。 世界司書たちは、さまざまな激務に追われ、忙しい日々を送っていた。そんなある日のこと―― とある世界司書が仕事中に倒れた、と連絡があった。 アリッサが駆け付けたとき、そこでは同僚の司書たちが難しい顔で本の山と格闘していた。「どうしたの……?」「最初は過労かと思ったのですが、そうではないようなのです」 応対した司書は告げた。 事態は思ったよりも突飛で、重大であった。「私たちロストメモリーは、記憶を封印することで真理数0を獲得します。その封印された記憶は『アーカイヴ』に保存されます」「そうね」「つまり、ある意味、私たちはつねにアーカイヴ遺跡とつながりを持っている……そう言っても良いのです」「……! それじゃあ」「そのとおりです。先のチャイ=ブレの一時覚醒と、世界樹との戦いにより、アーカイヴ遺跡内にも破壊が生じました。その結果、保存されている情報に乱れが発生したようなのです」 その結果、世界司書が意識障害に陥ったのだろうということだ。 アーカイヴは自己修復機能を持つため、時間とともに問題は解決すると思われるが、それまでは、いつ、どのロストメモリーに症状があらわれるか予測できず、すでに発症したものには対処を要する。 「稀な事例ですから、対処法を見つけるのに苦労しました。しかし」「なんとかなりそうなの?」 司書が頷いたとき、がらがらと音を立てて、台車で運ばれてきたものがあった。「え……壺……?」「『壺中天』です」「――と、いうわけで、みんなは、この『壺中天システム』を使って、意識だけアーカイヴへ行ってもらいます。アーカイヴ遺跡深層『記憶宮殿』。そこには司書のみんなの記憶が封印されているの。倒れた司書の記憶に接続するから、みんなはその中に入り込んでもらうことになるわ。司書の……記憶の中に」 『壺中天』とはインヤンガイで普及している仮想現実ネットワークだが、今回はその技術が応用できた。 司書の記憶の中に入り込み、中で生じている「乱れ」を正すことで、司書は目覚める。 乱れとは、「本来、その記憶にはなかった要素」のことだ。 たとえば、ある司書が、故郷で、ドラゴンと戦って勝利した記憶を持つとする。ところが今、『記憶宮殿』に生じた乱れのため、「ドラゴンに敗北した記憶」になってしまっている。これが昏睡の原因なのだ。そこで、壺中天を通じて記憶に入り込み、もとの記憶に沿うよう、ドラゴンに勝たせてやればよい。なにがもとの記憶と違っているのかは、記憶に入り込めば直観的に知れるという。「ひとつ、約束してほしいの」 アリッサは赴くことになったロストナンバーたちに言った。「みんなは、本人さえ、もう思い出すことができない、封印された記憶に立ち入ることになる。プライバシーを覗き見てしまうことにもなるでしょう。だから戻ったあと、『記憶宮殿』で見聞きしたことは、本人はもちろん、この先誰にも、決して話してはダメよ。一生、秘密にしてほしいの。この約束が守れる人だけに、この任務をお願いします」 ★ ★ ★「無名の司書が倒れたというのはわかった。それで、なぜ……、ここへ?」 台車ごと運び込まれた『壺中天システム』と、ロストナンバーのひとりに横抱きにされた無名の司書を見て、クゥ・レーヌは眉を寄せる。「それが、……うわごとでずっと、クゥさんの名前を呼んでいて」「ごめ……ごめんなさい……、盾崎編集長……。あと3日……、あと3日だけ、締切伸ばしてくださ……」「呼ばれてないね」「あれ? たしかにそう聞こえたんだけど」「あ、灯里ちゃん……。これ提出したら、カフェ・スキャンダルでお茶……。えっ、銀幕ベイサイドホテルにチョコレートダンジョンが出現した……? たいへん、取材に行かなくちゃ……!」「まったく呼ばれてないね」 それどころか、なにやら楽しげな日々を送っているようではないか。 これなら放置しても問題ないのでは。勝手に起きるだろそのうち。 ……みたいなことを、クゥだけではなく、その場に居合わせた誰もが思ったときだった。「……クゥさん……。クゥさん……。そんな……。誰がこんな、ひどいことを……」「……?」 一転して、うわごとが悲痛なものになる。 クゥは耳を寄せ――そして。 そのまま、がくりと、くずおれた。 ★ ★ ★ ――私は記録者である。よって名は秘す。『銀幕ジャーナル』の記者、夢巡(むめぐり)まりかは、メモにそう記してから、今日も今日とて、真知子巻にサングラス、黒コートという尾行スタイルで、取材対象につきまとっていた。 今日のターゲットは、銀幕市立中央病院に新しく赴任した美人女医、クゥ・レーヌである。 冴え冴えとした美貌、近寄りがたいまなざしとクールな言動は、その名前とも相まって《中央病院のハートの女王》と呼ばれている。患者を助けようとする姿勢が突出しているため、銀幕市民の信頼の厚さはうなぎのぼり。クゥさんファンクラブはダース単位で結成されており、その私生活の片鱗を知りたいと願うものは多いのだが、彼女のプライベートは謎に包まれているのが現状だ。 読者のご要望にお応えするべく、まりかも何度か取材を申し込んでみたが「忙しいから」と、ことごとく玉砕。よって、まあ、いつものごとく、物陰からうかがうことにしたのだ。(……あれれ?) 勤務終了後、人目を避けるように、クゥは歩いていく。 杵間山のふもと、赤煉瓦につるばらが絡まる古い教会――聖ユダ教会の方向へ。 秋のはじめのこと、教会の周りに広がるラベンダー畑は、二度目の満開を迎えている。信心深いものもそうでないものも、教会を訪れるには良い季節だ。(え〜。困ったなぁ) しかしながらこの教会の神父、ハリウッドスターから聖職に転身した異色の経歴を持つユダ・ヒイラギとまりかは、あまり相性がよろしくない。先日も「あなたなどに書かれたくない。他の記録者を希望します」なんぞと言われたばかりだ。 どうしようかな、出直そうかな、と逡巡し、回れ右をした瞬間。 クゥの悲鳴が、低く、響いた。 雪のような白、みずみずしいピンク、淡い紫、夜明け前の空に似た青。 色とりどりのラベンダーが咲き乱れる中、クゥはぐったりと横たわっている。白衣の左胸に広がる血が、赤い薔薇のようだ。 そのそばには、駆けつけたばかりのユダ神父や、たまたまこの教会を訪れていたドクターDと平賀源内のすがたが見える。ドクターDと源内は、どちらも中央病院に勤務する、いわばクゥの同僚であった。「クゥさん……! しっかりして!」 抱き起こすまりかに、クゥは何ごとかをつぶやき――息を引き取った。(じ……、じょ、あか……、の……、じょ、お、う……) まりかの耳には、そう聞こえた。 そのとき教会には、神父を含め10名の人物がいた。 精神科医兼心理分析官ドクターD、発明者兼医者の平賀源内、口癖が「あ~れ~!」な将軍家の姫君、珊瑚姫、ノーマン少尉ことジェフリー・ノーマン、森の女王レーギーナ、銀幕ジャーナル看板記者の七瀬灯里、市役所職員植村直樹、ユダ神父の知古の、世界的な大女優SAYURIである。はみだし記者、夢巡まりかも、そこに加わる。「では、今から、クゥさん殺人事件の捜査を開始します! 容疑者の皆さんはこちらに集まってください! まずはドクター! 源内さん! ユダ神父!」「どうしてわたしたちが疑われるのでしょう?」 そういうドクターは、静かな笑みを崩さない。「第一発見者はつねに容疑者じゃないですか」「それを言うならあんたもそうだが?」 源内は、ばりぼりと頭を掻く。「まったくです。あなたと関わると、ろくなことがない。クゥさんもお気の毒に」 教会を訪れるひとびとには限りなく優しいユダ神父は、まりかにだけは、非常につっけんどんな視線を投げる。「えー、まりかさん、私を疑うなんてひどいです」「ごめんね灯里ちゃん。ほら、クゥさんのダイイングメッセージに『あか』って言葉があるから!」「……俺は帰る」「だめですよノーマン少尉。ほら、頭文字の『じ』と『の』が一致するんで!」「あのー、私は関係ないんじゃ……」「植村さんも『う』が一致します!」「……対策課の仕事がたまってるんですけどね……」「わたくしのどこが疑わしいのかしら?」「こんにちはレーギーナさま。お会いしたかったです。それにしても胸に目が釘付け、はさまれたい。セクハラはさておき『女王』が一致しますんで」「冤罪ですえ~! 異議を申し立てますえ~!」「あ、こんにちは珊瑚姫。ええとですね、姫の場合は、赤のイメージなのと、女王から姫を連想することもできるんで」「妾は『ぷりんせす』であって『くいーん』ではないですえ」「その論理なら、わたしが最有力容疑者ということになるけれど」 婉然と、SAYURIが微笑む。 息をのむような深紅のドレス。結い上げた髪には赤い薔薇。目が吸い付けられる、その美しさ。 ――まさしく、赤の女王。「まあ、お美しいですSAYURIさま。今日の装いは、黒髪のレディ・カリスって感じです。あれ? 誰だっけレディ・カリスって」 んんん〜〜〜、と、右に左に、まりかは首を捻り、やがて。「あ、すみませーん、そこのひとーー! ちょっと一緒に考えてくださーい!」 偶然にもいうか不幸にもというか、あとから教会を訪れた人物に、手招きをしたのだった。========!注意!★このシナリオは、シナリオ『【銀幕★探偵譚】スペードの女王殺人事件』と同じ時系列の出来事を扱っています。同一のキャラクターによる当該シナリオへの複数参加はご遠慮下さい。★このシナリオのノベルは、便宜上、公開されますが、世界観的にはすべて「秘された内容」となり、参加キャラクターの方だけが知る出来事となります。========
いいよ。その夢、かなえてあげる――。 【銀幕★輪舞曲 ―Dance with Films―】より ACT.1★ロング・グッドバイ 「さよならを言うのは、少しだけ死ぬことだ」 (なんや、この懐かしい気分……) 晦は、聖ユダ教会の佇まいを見る。その背後にそびえる杵間山と、その裾野に点在する神社に視線を投げる。 (気のせいか?) あれは杵間神社。九十九神ハザードの現場として、また、秋祭りの場所として、銀幕市民に親しみ深い場所。 あれは昴神社。大国魂神(おおくにたまのかみ)を主祭神とし、温厚な人柄の昴光一郎宮司と、7人の巫女たちが暮らしている場所。 首を横に振ってみる。だが、既視感は消えない。 ここは銀幕市。夢の神さまの娘リオネが、魔法をかけた街。 「赤の女王ゆうのは、そもそも、犯人を示す言葉なん?」 クゥのダイイングメッセージが、具体的な名前ではなかったことを、晦は指摘した。 「どういうことだ、ボウズ?」 ギル・バッカスが、面白そうに問う。 「クゥはんは、犯人が誰かわかってなかったんやないかな」 たとえば、ダイイングメッセージを血文字として残すならば、犯人に消されぬよう謎かけにする場合もある。だが、口伝ならその必要もない。 それもこれも「犯人が誰か」を、被害者が把握していた場合に限る。 すなわち。 クゥは印象深いことを、そのまま言葉に乗せたのではないだろうか。 犯人の顔がわからなかったと仮定する。 見た目の印象だけで判断したとする。 ならば……。 稲荷神は見やる。その赤い瞳で、赤いドレスのSAYURIを。 「わたしが、怪しいかしら?」 大女優は微笑みながら、艶やかな黒髪の後れ毛をととのえる。 「そうやない」 彼女が犯人ならば、赤いドレスで殺害するのはリスキーに過ぎる。 もし、聖ユダ教会を訪れた誰かに目撃されれば、即アウトだからだ。 目撃者がいることを想定し、犯行後に着替えることも不可能ではないが……、その様子もない。 犯人の仮装だろうか? しかし、クゥがメッセージを残すとは限らない。 他に赤の女王が犯人だと主張する目撃者がいれば別だが、そういうわけでもない以上、わざわざ仮装するメリットがない。 人物以外の「物」を、「女王」に例えた? だが、周囲にそれらしいものは身あたらない。該当しそうなものを所持している人物もいない。杵間神社の九十九神が移動するには遠過ぎる。 「女王」は犯人ではない。「物」でもないとしたら。 なら「女王」の正体、は犯人以外でそこにいた人物―― つまり、目撃者ではないだろうか? 「……だがなぁ、ボウズ」 そこまでの推理を聞いて、ギルは異議を申し立てる。 「殺られたのはクゥだけだろうが。何故、犯人は目撃者を見逃しやがった? 一緒に殺っちまえばよかったのによ」 「気づいてなかったとしたら、どうや?」 「ほう?」 「目撃者は小さくて、人型でさえなかったんや。ラベンダー畑にまぎれると、見づらくなるくらいにな」 「なら――それは誰だ?」 「わしや」 「ボウズが?」 「いうても、ここにいるわしやない。この街の住人の『晦』や」 「たしかに赤いが……、小狐を『女王』に喩えるのは無理がないか?」 「……ペット用のドレスを着せられて、逃走中だったんや……、たぶん」 晦はちらりとレーギーナを見たが、レーギーナは「さぞかし可愛いでしょうね」と、小首を傾げただけだった。 「つまり、や」 咳払いをし、晦は、ある人物を指さす。 「犯人は、われや」 その人物は微動だにせず、無言でその先をうながす。 「クゥは仰向けに倒れとった。正面から殺害されたんや。それやのに、犯人のすがたをはっきり見てない、ゆうことは」 殺害手段はおそらく、遠距離からの射殺だ。 そして、遠距離から一発で心臓に当てることができるのなら、射撃の腕は相当のはずだ。 「犯人はわれ以外におらん。ノーマン少尉」 ACT.2★オズの魔法使い 「醜いのは、悪い魔女だけよ」 「状況説明に無理はないが、動機がないな」 ノーマン少尉はぼそりと言う。 「……ほう」 晦の推理を、興味深げに聞いていたギルは、ドクターDと源内を振り返る。 「クゥの死因が知りてえ。調べてくれねぇか?」 「検死――ですね」 ドクターDが、静かに笑う。源内が肩をすくめた。 「そいつはまた……、新鮮だな。こんなべっぴんさんの胸元を調べる羽目になるとはね」 「……源内。クゥさんに対する尊厳を忘れないでくださいよ?」 「どういう意味だ」 ふたりの医師は検死を開始する。 ほどなく判明したところによれば―― クゥの死因は、胸部を撃たれたことによる失血死だった。 「やっぱり、銃殺やんか」 我が意を得たりと晦は言い、ギルは頷く。 「まぁな。犯人の目星をいうんなら、ボウズと同意見だぜ」 「そうなん?」 「ダイイングメッセージの解釈についちゃ、ちょいと違うがなぁ」 そしてギルは、自身の見解を語る。 「まず、SAYURIはなぜここに来たんだ?」 「ドクターDと会う約束をしていたの。入院中の娘のことでお聞きしたいことがあって……」 華やかな女優のおもてが、ふっと「母」の顔になる。SAYURIの返答を、ドクターDが引き取った。 「中央病院では人目についてしまうので、教会でお話することになったのですよ」 「嬢ちゃんとボウズは?」 「嬢ちゃんって私のことですか?」 「ボウズって私のことですか?」 灯里と植村が同時に言う。 「……何か、まずかったか?」 「ありがとうございます!」 「ありがとうございます!」 ふたりは両側からギルの手を片方ずつ、握りしめた。 「「激職なもので、子ども扱いされると、ちょっとうれしい年代なんです。ありがとうございます」」 灯里は、編集長命令でここに来たらしい。ラベンダーが満開で綺麗だから特集を組もう、ということだった。 それを聞いた植村は、同行することにしたと言う。新しく市民登録するムービースターたちへの配布資料として、写真が何枚か必要だったのだ。 「妾はらべんだーぐっずをもらいに来たのですえ〜」 聞かれる前から珊瑚姫が答える。 「わたくしも、ラベンダーを少し、いただきたくて」 レーギーナがにっこりする。 「俺はただの散歩だったが、ばったりと、ここで鉢合わせしてしまって……。なあ?」 「……はあ……」 意味深な視線を、源内は植村に投げる。 植村は大きくため息をついた。 「風景写真だけでよかったのに、まさか、あんな撮影会に発展するとは……」 「……そういうこった」 「よく、わからない……」 黒葛小夜が、きょとんと小首を傾げた。ギルはかがみ込んで、目線を合わせる。 「つまり、こいつらが偶然居合わせたんで、撮影の対象は、人物を含めた光景を撮ろう、って羽目になっちまった。たぶんSAYURIも一緒に写ることを許可したんだろ? そして灯里が、茶目っ気を出した」 「……?」 「どうせなら、テーマは、『美女とラベンダー』にしましょう、とかなんとか、な。さいわいにもというか不運にもというか、レーギーナがその場にいたから、平賀と植村も女装して写ることになったってことだろうな。むろん強制的に」 「あ」 「平賀の女装は、和風だったんじゃねぇか? レーギーナ?」 「よくおわかりね」 うふふ、と、レーギーナは肯定する。 「せっかくだから花魁すがたになっていただいたの。赤い番傘がとても映える着物を用意したわ」 「そんなこんなで、突発撮影会が開かれている現場を、クゥが目撃した。この時平賀は、番傘をクゥがいる方向に突き付けている恰好だった」 源内とクゥの視線がぶつかった瞬間、クゥの胸が撃ち抜かれた。 「クゥは平賀と同僚だってな? こいつが発明家だって知ってたはずだ。だからクゥは『平賀が番傘型の銃で自分を撃った』と勘違いしたんだろう」 クゥのダイイングメッセージは、 「平賀の女装」だった。 が、うまく発音できず、「あかの、じょおう」と聞こえてしまった。 「どちらにしても、犯人はノーマン少尉ってことになるがなぁ」 ACT.3★殺人狂時代 「ひとりの殺害は犯罪者を生み、百万の殺害は英雄を生む。数が、殺人を神聖化する」 「うーん……」 小夜は考え込む。晦の推理もギルの推理も、理にかなっていると思う。 それでも小夜は考える。もっと、もっと、違う、何かを。 この街についての想いは複雑だ。 同じような世界に、似たようなひとがいるかもしれないけれど、それは小夜とは別人だから。 夢の街については、よく知らない。 だが……、 「あっ、それ!」 灯里が、小夜の携帯のストラップに目を留めた。おかっぱ頭の座敷童子のちび人形と、氷雪の王子様のぷち人形が、ふたつ並んで揺れている。 「『福来町幸せ荘の住人達』の、ゆきちゃんでしょ? あのアニメ映画、私も大好きなんですよー」 ぱっと表情を輝かせた小夜は、しかし、恥ずかしがりやゆえに、無言で頷いた。 小夜は、考える。 ダイイングメッセージを残すということの、意味を。 誰かに犯人の正体を伝えたい。だが、近くに犯人がいるかもしれない。 だからこそ直接的な文言ではなく、けれど手掛かりとなるような伝言となった。 ……ゆえに。 (やっぱり犯人は、教会にいたひとたちの中にいる……) 赤という色から連想できるのは、珊瑚。 そして姫であるならば、女王になるという意味では相応しいが……。 それでも、やはり姫は姫だ。 赤だけでいうなら、源内も赤い着物を着ているのだし。 やはり「赤」と「女王」という単語がそろってこそ、重要なのでは? (赤の女王……。不思議の国のアリス) クゥ自身もハートの女王と呼ばれていたのならば、土壇場でアリスを連想しやすいはずだ。 アリスの女王は、トランプの女王。 (トランプの女王のモデルって、だれだったかな?) 小夜は懸命に、記憶をさぐる。何かの本で、読んだことがあったような気がする。 たしか……。 スペードのクイーンは、パラス・アテナ。ギリシア神話の戦いの女神。 ダイヤのクイーンは、ラケル。旧約聖書のヤコブの妻。 クラブのクイーンは、アルジーヌ。 アルジーヌについては、やや異色だ。ラテン語の「女王」を意味する単語regina(レーギーナ)のアナグラムなのだから。 つまり、regina → Argine (じゃあレーギーナさん? でも……) それではダイイングメッセージの意味がない。どちらにしても、女王を意味しているのなら。 残るハートのクィーンは、ユディト。旧約聖書外典に登場する、ユダヤの女戦士だ。 (ユディトと、ユダ) 重なる部分がある。 死ぬ間際のメッセージだからこそ、こじつけのようになったのかもしれない。 (けれど) やはり、違う。 クゥの人となりを考えると、とてもそんなふうに曖昧な表現をするとは思えない。 (それよりも) ユディトはもともと、妻であったひとのこと。 ならば、やはりそれに似合うのはSAYURIではないだろうか? (クゥさんはお医者さんで、SAYURIさんの娘は入院していた) 何かあったのか。 ――かつて、知られざる過去に。 だけど、動機がそこに隠れているのなら。 それを洗い出すことは、とても、難しい。 小夜は、考え続ける。 言葉には出さずに、ずっと。 ……ああ。 誰かの声が、聞こえる。 (怒ってるのよ、リーリスは。……殺されたのはクゥだったかもしれないのよ? クゥを自由にしていいのはリーリスだけよ……みんな、みーんな思い知らせてあげる!!!) 殺されたのは、どっちだろう? クゥなのか。 無名の司書なのか。 それとも。 ……ここにいる、全員が……? ACT.4★薔薇の名前 「薔薇の名前は神の名付けた名。わたしの薔薇は名も無き薔薇」 エレナは一同から少し離れ、聖ユダ教会を、その赤煉瓦に絡まるつるばらを、広がるラベンダー園を、眺めていた。 ハニーブロンドの髪が風になびく。故郷に帰ってきたかのような懐かしい想いが、胸を満たしている。 (すっごく懐かしい。はじめましてじゃない、不思議な感じ) 「うえむー」 「はい?」 いきなり愛称めいた呼びかけをされ、植村は目を見張ったが、素直に返事をした。 歩み寄り、小箱を渡す。 「胃薬、あげる。この前、カフェの店長さんにもらったの。きっとうえむーの胃痛にも効くよ」 「……ありがとう、ございます? あの、どこかで、お会いしましたか?」 「うん。うえむーの知ってるひとは、あたしとは違うけど。あ、灯里ちゃん」 「はい?」 「灯里ちゃんとは、目覚めても会えるよね? ターミナルでもよろしくね?」 「何のことでしょう?」 「んむ? むむむ?」 珊瑚姫が駆け寄ってきた。 「はて? この愛くるしい娘御とは初めてお会いするはずじゃが、何やら、旧くからの知己のような」 「はい、珊瑚ちゃん」 「むむっ?」 エレナからレースのハンカチを差し出され、珊瑚姫は受け取りながら首をひねる。 「かつて、このように、妾にハンカチを渡してくださった、優しげな青年がいたような……?」 「どうして」 「む?」 「どうして皆がここにいるのか、すごく気になるの。集められたんだとしたら、それをしたのは誰?」 「俺たちは、誰かの意思で召還された、と?」 源内が、すっと目を細める。 「どうして皆はここに来る気になったの? なんだかすごく演出じみてて、誰かに見せるためみたい」 「演出と、おっしゃいますか。舞台劇の一幕のようだと?」 ドクターDが、ゆっくりと、言葉を放つ。 そのまなざしを、真っ向から、エレナは捉えた。 「教会に集まったいきさつや、クゥちゃんを発見した時の状況、そして犯人は、晦ちゃんやギルちゃんが言ったとおりだと思う。でもクゥちゃんは正面からジェフちゃんに撃たれてるよね。避けようと思えば、できたはずなのに」 「……だとしたら?」 「ジェフちゃんが、それを許すような相手だったのか。そうでないなら、死を覚悟していたか」 「なるほど」 怜悧な面差しに、ドクターDは翳りを落とす。その口元に、謎めいた笑みを浮かばせて。 「ドクター、クゥちゃんはあなたのカウンセリングを受けていたんだと思うけど、違うかな?」 「なぜ、それを?」 「否定しないんだね? じゃあ続けるけど、自分がここにいることに違和感を覚えてたとか」 ――『赤の女王』って、犯人そのものを示してるんじゃない気がするの。 それが、エレナの推理だった。 「ドクターは、『赤の女王仮説』って、知ってる?」 「その場にとどまるためには、全力で走り続けなければならない(It takes all the running you can do, to keep in the same place.)ですね?」 「そう。進化できなければ絶滅してしまう、というの」 エレナは、くるりと、向きを変える。 クゥに、歩み寄る。 「クゥちゃんは、むめちゃんといると『レディ・カリス』というここにはいない人を思い出す、そのおかしさに気づいたんじゃないかな」 ――それがなんなのか確かめるため、今日、いろんな人をそれとなく呼び出して、自分の記憶の奇妙さを探ろうとして、そしてSAYURIさんと出会い……、思考の袋小路に嵌まり込んで、足を止めてしまった。 ここは、私のいる場所ではない――。 「クゥちゃんは自殺だと思う。自分ではもう進めなくなってしまったら、死を選ぶしかなかった。……ジェフちゃん」 「――何だ」 ノーマン少尉を振り返り、エレナは宣言する。 「クゥちゃんを撃ったのはあなた。だけど、それは、自殺幇助だったの」 ★ ★ ★ 「ねぇ、クゥちゃん? いつまで死んでるつもりなの?」 冷やりとしたクゥの頬に、エレナは手を添える。 そっと、呼びかける。 「クゥちゃんも一緒に"螺旋の旅路"を進むんだよね? だってあたしもあなたも冒険の夢は捨てられないもの。この世界には、あなたの夢があるかも知れない。けれど、あなたもターミナルに帰って来るの。 どうしても夢が捨てきれないのなら――」 「……どうぞ。ラベンダーは、精神疲労を癒すハーブでもありますので」 ラベンダーの花束を、ユダ神父はエレナに渡した。 エレナはそれを、クゥの胸に置き、ささやく。 「無限の冒険へ出発進行、だよ?」 ★ ★ ★ 「帰ろう、むめちゃん。みんな待ってるよ」 無名の司書の手を、エレナは握る。 「それなんだけどねぇ、エレナたん」 しかし司書は、そわそわとあたりを見回している。 「カレー王子に挨拶してからじゃないと、まだ帰る気になれなくて。この世界のどこかにいるよね?」 「「「「 ……。 ……。……。…………! 」」」」 思わず4人は、顔を見合わせる。 「カレー王子って、たしか……」 ……チャンドラ・マハクリシュナ18世。インドのマハラジャの子息で、英国に留学してMBAを取得したあと、本国でIT関連の事業で国際的に成功した青年実業家。大変な美男子で、留学時代に演劇に興味をもち、事業のかたわら俳優業もはじめて、インド映画界では大スター。SAYURIにひとめ惚れして以降、ずっと追いかけ回しているという……。 「王子は今どこにいるんですかSAYURIさん!? ご存知ですよね?」 「……あらもうこんな時間。面会時間が過ぎてしまうわ。のぞみの顔を見に行かないと」 SAYURIは何ごともなかったかのように赤いドレスを翻し、帰ってしまった。 「カレー王子はインドにいるんやない?」 「まだインドだろぉ?」 「インドだと思う」 「インドだよね」 4人同時にそう言ったが、まだ無名の司書は未練たらしく、ぐずぐずしている。 エレナはくすりと笑い、いったん、手を離す。 「わかった、むめちゃんが好きなだけ、ここにいるといいよ。だけど、あたしたちがずっと、むめちゃんが目覚めるのを待ってることと、むめちゃんの世界は本当はここじゃないこと、忘れないでね?」 ――ねえ、むめちゃん、あたし、またふわもこお茶会したいな。 エレナの言葉は柔らかく、ラベンダーの海に吸い込まれた。
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