雪が、降っている。 完璧な造型の結晶が、店じまいをしたカフェの硝子窓に張り付いては、溶けて消える。 そのさまに、シオンはふと、胸騒ぎを覚えた。 クリスマス期間中の天候と気温の演出は、例年のことではあるのだけれど。「シオン。やはり、モリーオさんは」「……うん。ちょっと、まずい状況らしい」 トラベラーズノートを広げたシオンの顔が曇る。灯緒が、気遣わしげに声をかけた。 日中、クリスタル・パレスで過ごしていた灯緒は、閉店後もなりゆきを心配し、留まってくれていた。 ことの起こりは、ささやかなきっかけだった。 クリスマス期間に提供するディナー用のハーブティーのブレンドを、ラファエルはモリーオに依頼し、モリーオは期日に店に届けると約束した。それが今日だ。しかしモリーオは現れなかった。 ――おそらく仕事が忙しいんだろう。このところ司書さんたちが昏睡する事象が頻発していて、本来は無名の司書さんがする仕事がモリーオに回ってきているという話も聞いたからね。 無名の司書は、まだ目を覚ましていない。助けに行ってくれたひともいることだし司書さんは大丈夫だろうけど、どこまで周りに負担をかけるつもりだか、と、ラファエルは苦笑し――モリーオの自宅を訪ねたのだったが。 たった今、ラファエルからきた連絡によれば。 自室にモリーオのすがたはなく、部屋は荒らされており、しかも……。 アドの『導きの書』には、鉄仮面をまとった殺人者によって、モリーオが絶命する未来が浮かんだというのだ。 降りしきる雪を、シオンは見つめる。 その脳裏に、不意に、ひとりの少女の横顔が浮かんだ。 白い肌は、純白の雪のよう。 かわいらしい唇は血のように赤く、つややかな髪は黒檀のよう。 彼女の名前は、白雪姫。自分の美しさを妬み、殺そうとした魔女を返り討ちにしたと言ってはばからぬ、15歳のツーリストだ。 白雪姫は、特に冒険旅行やイベントに興味を示さず、トラベラーズ・カフェにも顔を出さず、誰かのチェンバーに遊びにいくでもなく、いつも、ぽつねんと、ひとりでいた。 にも関わらず、ときどき上がって来た報告書を読んでは、こういう解決はするべきではない等と、参加者たちの行動に文句を言ったり、はては、この司書の書き方は気に入らない、報告書を作成する技術が欠落しているなどと、辛辣な批評をしたりしていた。 誰も彼女に近寄らなかった。話しかけなかった。 誰も彼女と、友だちになろうとしなかった。 ――突然。「……シオン」 自身の『導きの書』を見た灯緒が、緊迫した声を上げる。「無名の司書嬢が、危ない」「……え?」「『白雪姫』が、彼女を殺そうとしている」 ◆ ◆ ◆ 白雪姫はごく最近、一度だけ、クリスタル・パレスを訪れたことがある。 無名の司書が昏睡する、前日のことだ。「いらっしゃいませ」 にこやかに出迎えたラファエルは、彼女を席に案内する前に、アドとお茶中だった無名の司書をちらりとみる。レアな美少女客が来店したため、司書はガタッと立ち上がり、駆け寄りたそうにうずうずしていたのだ。いきなりそれはまずいでしょう、と、目線で釘をさしたのである。 だが、それが、白雪姫の逆鱗に触れた。 自分を差し置いて、無名の司書のほうに気を使ったと解釈したのだ。「お客さまを何だと思ってるの!」 ほどなく運ばれてきた紅茶を、美しく盛り合わせられた宝石のようなスイーツを、白雪姫は、ラファエルにぶちまけた。 熱い飛沫が飛び散る。アンティークのティーカップとデザート皿が粉々になる。果物とクリームが混淆して、ラファエルの服も無惨なことになったが、店長は穏やかに詫びた。「申し訳ありませんでした。すぐにお代わりをお持ちしますので、どうぞお席に」「礼儀知らずはどっちだ。てめぇこそ、何だと思ってる」 居合わせた客のひとりが、我慢しかねて立ち上がる。「客だからって、何をしてもいいってもんじゃねぇ。それに、客はてめぇだけじゃねぇんだよ。気に喰わねぇんならとっとと出て行け」 憤慨した客は、少女の腕をねじりあげ、外に追い出そうとする。だが、ラファエルは首を横に振った。「いいえ、それには及びません。私が無配慮でした。……司書さん」 言外の意味をこめて、ラファエルは司書を見る。「あ、うん。わかった」 司書は頷いた。「せっかく来てくれたのに、ごめんね、白雪ちゃん。あたし、帰るから」 またね、と、無名の司書は、カフェをあとにした。「ようこそお越しくださいました。どうぞ、ごゆっくり」 着替えるために後方にひいた店長の名代として、シオンは椅子を引いた。白雪姫は、じろりとねめつける。「……わたしには」「はい?」「わたしには、名刺をくれないの? 今度は指名しろ、とか、デートに誘ってくれよ、とか、言ってくれないの?」 思わぬものいいに、シオンは目をぱちくりさせる。「それは……、お客さまは、今日が初めてのご来店でいらっしゃいますし、いきなりそういうことは」「だけど、あの子やあの子も、今日が初めてでしょう? あの子たちには熱心に話しかけてたじゃない。どう違うの? あの子たちよりわたしのほうが、ずっと綺麗だし可愛いでしょう?」 きっ、と、顔を強ばらせ、白雪姫は店内を見回す。覚醒したばかりだという、初々しいコンダクターの少女たちが、びくりと肩を振るわせた。 それを見たシオンが、「気にすんなよー」と、声を出さずに口だけを動かす。 白雪姫の双眸が、いっそうきつくなる。愛らしい唇が、怒りで噛みしめられる。「……ああ、そういうことね。あなたのご機嫌をうかがって、お気に召しそうなところをセッティングしたりとか、何かプレゼントをあげたりとか、仲良くなってから、戦死したりとか、そういうアプローチをしないと、気を惹けないってこ」「……おまえ」 最後まで言わせず、シオンは白雪姫の襟首を掴み上げた。「きゃ」 容赦のない平手打ちが、少女の頬に二往復で与えられる。「何するのよ!」「出て行け。二度と来るな」「言われなくても。お客さまをぶつなんて、最低ね」 白雪姫はぷいと席を立った。「あの黒ずくめの司書には、あんなに気を使うくせに」 その言葉を、捨て台詞として。 ◆ ◆ ◆ 眠り続ける無名の司書に、そっと白雪姫は忍び寄る。 かの司書のように、黒ずくめの服を着て。世にも稀な美貌を、鉄仮面で覆い隠して。 籠から取り出した毒リンゴを割り、その果汁を、司書の唇に垂らす。 一滴。二滴。 それが、灯緒の『導きの書』に現れた未来。 ◆ ◆ ◆「――灯緒。……なあ、灯緒」 やわらかな毛並みに、シオンは顔を埋める。 少しずつ、湿り気が広がっていくのを感じながらも、灯緒はあえて、そのままにしておいた。「おれたちは……、おれや、無名の姉さんは、あの子に、そんなに、ひどいことをしたんだろうか」 可憐な白雪姫に、それほどの殺意を背負わせるほどに。 できるなら。 もしも、可能なものなら。 おずおずと席についた彼女に、無名の司書が駆け寄って、あれこれと話しかけて。 シオンが名刺を押し付けて、「今度はおれを指名してくれよ、待ってるから!」などと、営業をかけて。「いいかげんにしなさい、お客さまがお困りですよ」と、慌ててラファエルが制止して。 白雪姫とも、そんなふうに過ごせればよかったのに。 それができなかったのは、何故なんだろう?「何が、いけなかったんだろうな」 どうすればいいんだろう。 白雪姫を、鉄仮面の殺人鬼になど、したくはないものを。 雪が、勢いを増した。=====!注意!シナリオ『【鉄仮面の亡霊】悪という命題』『【鉄仮面の亡霊】スノウホワイト黙示録』への、同一のキャラクターによる複数参加(抽選へのエントリー含む)はご遠慮下さい。また、企画シナリオ『シュレディンガーの思考実験』の参加者の方は両シナリオには参加できません。=====
ACT.1■仮面の意義 「あの、灯緒さん……」 灯緒は図書館ホールにおもむき、正式な依頼として対応者をもとめることにした。事情を聞いた川原撫子が駆け寄ってくる。いつも溌剌としている撫子だが、今日は心配と懸念の影が濃い。 「鉄仮面事件がもうひとつ起きているらしいって噂、本当ですかぁ?」 「ああ、それは」 「同種の事件としてひとくくりにして良いのかどうかは、まだ何とも言えませんが」 口を開きかけた灯緒のあとを、強ばった表情のリベルが引き取る。 「アド司書の『導きの書』によれば、モリーオ・ノルド司書を拉致し殺害しようとしている犯人は鉄仮面をかぶっているとのことです」 「そうですかぁ……。ギアは変えられるのでぇ、鉄仮面が白雪ちゃんの新しいギアかもしれませんけどぉ……」 「それは、可能性が低いでしょう」 「ですよねぇ。それより、ダイアナさんが与えた方がしっくりくる気がしませんかぁ?」 「ダイアナ卿が? ……与えた? 何を?」 「ですからぁ、鉄仮面をですよぉ」 「……? なぜですか? なんのために? 申し訳ありませんが、仰る意味が」 撫子の発想はリベルの想定を超えていた。推論の起点と終着点をはかりかね、リベルは困惑する。 「あの方は私たちを愚かで身勝手だって言いましたぁ」 「はい、それが?」 「司書さんの記憶がチャイ=ブレに直接繋がってるならぁ、逆の体験、司書さんたちの死の感情の記憶は直接チャイ=ブレに流れ込むと思うんですぅ。チャイ=ブレの目覚めに繋がりそうな気がしませんかぁ?」 「だから、不特定多数のロストナンバーに悪意を植え付け、司書を殺させるようにしむけたと?」 「そういうこともあるんじゃないかなぁって思うんですぅ」 「大胆な仮説ですが、今までの経緯を見ても、司書たちの記憶がチャイ=ブレにそれほど大きな影響を与えるとは考えにくいですね。私たち司書が何人死のうと、チャイ=ブレにはどうでもいいことでしょうから」 「そうだね。そんなおおごとにしては『分母』が少な過ぎる」 腕組みをして耳を傾けていたホタル・カムイが、ふっとその腕を解く。 「でもぉ……。白雪ちゃんの意思以外のものが働いてるかもしれないじゃないですかぁ」 撫子はうつむいた。 「だったら、白雪ちゃんが可哀想すぎますぅ……」 「『鉄仮面は誰かから与えられた』という意見には、私も賛成だ。ただ、ダイアナさんからではないような感じかな。もっと個人的な動機によるものなんじゃないかって、思うけれどね」 ホタルは、撫子の肩をぽんと叩いた。 「まあ、鉄仮面をどこで手に入れたかは、白雪姫に直接聞けばいい。他にも事件が起こっているのは事実なんだから。……なあ、シオンさん?」 「え? ああ、うん。久しぶり、ホタル姉さん」 灯緒と一緒に図書館ホールに来たものの、シオンは放心状態だった。ホタルに声を掛けられ、とんちんかんな返事を返す。太陽神は、ほがらかに笑った。 「久しぶり。最近、あまり店にいけなくて、悪いね」 「……いや、いろいろ慌ただしいことばかりだったし。おれもこのところ、接客ミスが多くて」 「前に、言ったことあるよな。私は独りになるのが苦手なんだって」 「……ん?」 シオンの肩も叩いてから、ホタルは声のトーンを落とす。 「今はそれなりにギャルソンしてる翼竜のミッシェル坊やも、覚醒したてのときは無人島で暴れてたろう? きょうだいと引き離されて寂しくて。私も似たようなものだ。多分、白雪姫だってそうさ」 太陽神のおもてをよぎる、深い孤独の翳り。それは、全てのロストナンバーに通じるものでもある。 「彼女との違いは、きょうだいがいたかどうかだけのような気がする」 「それはでも、きょうだいによるよ。おれにもアレな姉貴がいたけども、ホタル姉さんとこみたく、存在が精神的支柱になってるかといったら、かなり微妙っていうか」 「それでも、白雪姫がずっとひとりで行動していたのは、寂しさを紛らわそうとしながらだった、としか思えないのさ」 「白雪ちゃんは、寂しかったんでしょうかぁ?」 撫子が、ぽつりと言う。 「じゃなきゃ、クリスタルパレスに来た理由がわからない」 「そうですよねぇ……」 「だねぇ。俺も、白雪君は、きっと淋しいんだと思うんだぁ」 キース・サバインが、おっとりと口を開く。見上げるほどに長身の獅子獣人は、朴訥で温厚なありようのままに、静かにそこにいた。 「淋しいから誰かに自分を見て欲しい。けれど、本当の弱い自分を見せるのは怖い。だから強くあろうとして、酷いことを言ってしまう。そのせいで、どんどんひとりになってしまう」 「堂々巡りだね」 ホタルが、ふぅ、と、ため息をつく。 「予防線を張っているんだろうね。他者との関係が上手くいかない理由づけをするために」 「でも、こんなこと白雪君に面と向かって言ったら、きっと怒らせちゃうよねぇ」 「ひとは、図星をさされたときに、一番腹が立つものだからね」 「それでも俺は、白雪君と話をしたいし、とりあえず、話を聞こうと思うんだぁ。それがどれだけ酷い罵りでもねぇ」 キースが言い、撫子とホタルが頷いたとき。 「戦いを避けるために対話せよとは、愚かなことを――急ぐぞ」 ボルツォーニ・アウグストは、すでに自身の意思決定を終え、歩き出していた。闇が、ゆらりとひとのすがたに凝縮したような、独特の気配とともに。 「他者との意思の疎通。感情の共有。苦境に陥っているのならば、状況の提訴。ここに至るまでに、その機会は幾らでもあったはずだ。だが、件の娘はその機を自らことごとく放棄した。もはや対話で解決できる段階を過ぎたからこそ、こうして我々が動員されたのではないのか?」 現場へと向かおうとする歩みには、揺るぎがない。 その後を、撫子は小走りに追いかける。 「でも。でも……。でも……!」 自分の手のひらをぎゅっと握りしめる。大きな瞳に涙が浮かぶ。 「謝ったら殺されちゃう世界から来たひとは、簡単に謝れないんですぅ! 謝っても怒られてきたひとは、謝るなんて出来ないんですぅ。司書さんも助けますけどぉ、私は白雪ちゃんも助けますからぁ……!」 訴える。訴え続ける。心を閉ざした白雪姫の代わりに、とでも言うように。悲痛な声が、図書館ホールに響き渡る。 「対話したい者は好きにすればいい。だが、決裂したと判断した時点で、私は動く」 ボルツォーニは歩みを止めず、ただ、そう言った。 ACT.2■鏡の結界 昏睡した無名の司書が、ずっと、コロッセオ内の医務室に運ばれているままということは周知していた。 同時期に倒れたクゥ・レーヌのほうは、ロストナンバーたちにより救出がなされ、すでに目覚めて現場復帰している。無名の司書も同様の状態であったはずなのだが、本人の意志により、まだ夢の街に留まっているらしい。……だからこそ、このような事態になってしまった、とも言えるのだが。 コロッセオに到着した一同を迎えたのは、 ――鏡、だった。 周囲に張り巡らされていたのは、鏡の結界だったのである。 はじきだされた医務室のスタッフたちが、コロッセオを取り巻いていた。 ◆ ◆ ◆ 「俺は、結界の解き方分からないなぁ」 キースは3人を振り返る。 魔法は使えない。ギアで突くくらいしか思いつかない。だから、これを壊せるひとがいるのなら、まかせたい、と。 ボルツォーニはすでに、自らの魔術武器を、巨大な戦斧に変えていた。 だが。 (鏡の特性から考えて、魔術の類いは反射されるだろうが、物理攻撃もそう簡単には通るまい) いったん、離れる。 銃声が、轟いた。 持参した銃器を、ボルツォーニは遠距離から撃ち込んたのだ。 横殴りの激しい雨のような、弾幕。 しかし、弾は鏡にはじき返される。 「これが今の私の、最大の火力だ!」 ホタルが放った炎は、いくつもの頭を持つ巨大な竜となって、鏡の結界を包み込む。 ……ぴしり。 ほんのひとすじの、亀裂。 「すみませんっ! これしか能力がないので勘弁して下さいぃ」 撫子のギアが、強い威力の水流を放つ。 ボルツォーニはなおも、弾幕を成し続ける。 火と水と銃弾を浴びせかけられながら、まだ結界は破れない。 どれだけ、飽和攻撃が続いただろうか。 するり、と。 ボルツォーニの影から、子猫に似た何かが離れ、すさまじい弾幕に紛れて移動した。 影から影へ。 わずかな結界の、亀裂をぬって。 「……!?」 白雪姫が気づいたとき、ボルツォーニの使い魔は、姫の背後の影に潜り込んていた。 ――それこそが、切り札。 ボルツォーニは表情を変えずに、戦斧を振り上げる。 結界は、真正面から打ち砕かれた。 ACT.3■合わせ鏡 「白雪ちゃん!」 結界が破れるなり、撫子は、強水流を白雪姫に向けた。 無名の司書のそばからはじき飛ばされ、横倒しになった少女に、撫子も覆いかぶさる。 「はな……、して。わたし、ころさ、なくちゃ……」 鉄仮面の下から、かぼそい声が漏れる。 「白雪君」 キースがゆっくりと歩みよる。しゃがんで、話しかける。 「俺は白雪君を殺したくもないし、白雪君に無名の司書君を殺させたくもないんだなー」 「で、も。わたし、は」 「殺そうとしたら、俺が壁になるよ? 代わりに毒を飲めというなら、飲もう」 「それじゃ、意味、ないの……。わたし、あの司書を、ころすの」 「俺は本気だよ? 俺が守りたいのは無名の司書君でもあるし、白雪君でもあるんだよー」 「……守る?」 「そうだよ。俺に守られるんじゃあ、ダメかいー?」 「魔女を返り討ちにしたって、言ってたんだって?」 ホタルが手を伸ばす。鉄仮面に、触れる。 「そう、よ……、だって、ころさないと、わたしが死んでた」 「それが、あんたの心に重しとなって残ってるんじゃないかな?」 「わからない、わ。そんなの」 「だったら、あとで私のところに来い。どつき合いでも何でも付き合うさ」 「どつき合い……?」 「知らないのか? 真っ正面からどつき合うと、いろいろわかることがあるんだぞ」 旧いとは言っても太陽神だからな。これでもお姉さんだし、と、ホタルのことばは、朝日のぬくもりで注がれる。 「……この鉄仮面は、誰からもらった?」 「ねぇ、白雪ちゃん。仮面を外して? お顔を見せて?」 撫子が、ぽろぽろと涙をこぼす。 「みんなに謝るの! 私も白雪ちゃんと一緒に謝るから!」 「うん。俺も、君の本当の顔を見て話がしたいんだぁ」 キースのがっしりした大きな手が、白雪姫の頭をそっと撫でる。小さな子どもをあやすように。 「他人を大事にしないと、自分も大事にされないの。本当はそれだけなんだよ……。ここは0世界、白雪ちゃんが何度でもやり直せる世界なんだから!」 とうとう撫子は、白雪姫に抱きついたまま、泣き崩れた。 「とめ、て」 「……白雪ちゃん?」 「あの、司書。誰にでもいい顔して、困ったことがあったらなんでも相談してねーとかいっちゃって、だいきらいなひとだけど、殺したいほどじゃなかったの。なのに……、だめなの。この鉄仮面をかぶったら……、殺さずにはいられないの。……どうして? どうしてなの?」 「白雪ちゃん!」 「わたしをとめて。殺して。わたしを殺してよ!」 ――これ以上、いやな子にさせないで。 ◆ ◆ ◆ 「お前は実母を弑したと聞く。お前はそれで何を得た。何を守った。己の為にしかならぬ卑小な自尊心か」 ボルツォーニは、長槍に変化させた魔術武器を、自身の影に突き立てた。 ぱァん、と、何かが爆発したような音。それは、槍が瞬時に音速を超えたしるしだった。 「やめてっ!」 その非情なひびきに、撫子が青ざめる。白雪姫を抱きしめ、絶叫する。 「やめてやめて! それだけはやめて! 白雪ちゃんを殺すなら私も殺してぇぇ!」 魔の領主の影に吸い込まれた槍先は、白雪姫の背後で頭を出した使い魔の口から飛び出した。 そして。 白雪姫の背から胸へと、貫いた――ように見えた、 「恨むなら恨め。呪うなら呪え。元よりそのつもりでここへ来た。今更、誰の泣き言も聞く耳は持たん」 守るべき領地のため、腹違いの弟を謀殺し、継母を毒殺し、己の死をも越えて蘇った領主。ボルツォーニはどこまでも苛烈だった。 ぱり、ん―― 鉄仮面が、割れる。 白雪姫の、やわらかな身体ではなく。 「ボルツォーニさん……。あの、私、あの」 涙をたたえ、撫子がしゃくりあげる。 「……」 ボルツォーニは無言のままだ。 白雪姫を殺そうが、鉄仮面のみを破壊しようが、同じことだ。 かつて弟を弑した時と同じ手応え。何の感傷も、湧きはしない。 ACT.4■『自分』という命題 「自分でも、どうしようもない悪意と殺意がわき上がった――そう、言っているようです」 鉄仮面が破壊されたあと、白雪姫は気を失い、そのまま眠りについたという。 目覚めた無名の司書と、入れ違いのように。 「『誰か』から、鉄仮面を渡された。白雪ちゃんは、それだけしか言わなかったの……」 医務室の片隅で眠り続ける白雪姫を、無名の司書とシオン、撫子とキースとホタルは、毎日見舞っているらしい。 ときおり、黒猫のかたちをした影が、横切ることもあるようだけれど。 ◆ ◆ ◆ 「鏡か」 事態収束のあと、ホタルは、リベルに言った。 「あの子はまるで、自身を投影する、合わせ鏡みたいだったよ」
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