「いったい何があったんですか……」 一一一は、ターミナルの画廊街をひた走る。 探している人物が、この辺りにいるはずだった。 とにかく一刻も早く見つけ出し、聞かなくてはならないことがある。 ホワイトタワーの崩壊から端を発したナラゴニアとの戦いは、ターミナルに深刻な被害と劇的な変化をもたらした。 そして、一の心にも、限りなく不可逆性に等しい変化をもたらす。 身近な存在の喪失によってふつふつと湧き上がり、抑えようのなくなった想い。 行き場のない想い。 アーカイブの記憶宮殿に降りた時、レディ・カリスは警告のように告げた。 好奇心のままに謎を暴いてはならないのだと。 それよりもっと以前、インヤンガイの螺旋飯店ではベンジャミンからの忠告もあった。 あの囚人に関わるのはやめなさい、二度と彼に会ってはいけない、と。 けれど、一はその言葉を受けてなお、彼と、彼が抱えていた謎を忘れることができない。「……あなたは、どうして」 鉄仮面の囚人――ホワイトタワーに囚われた、ファミリーを殺したファミリー。一に他者の秘密に踏み込む背徳感と謎を暴く快感を見せてくれた存在。 彼の訃報は、これまでにない衝撃を一に与えた。 人の死に関わることもあった、悲報を聞くこともあった、けれど、これほどに強く激しく内側から揺さぶられたことはない。 会いたかった、話がしたかった、なのにもう二度と会うことができないなど信じられなかった。 それに。 そう、それに。 一は奇妙な噂を耳にしてしまったのだ。 とてつもなく奇妙で不吉で不可解な噂が、一を行動に駆り立てる。 ふと、視線の先に目当ての人物を見つけ出す。「由良さん!」 見つけてしまったら、詰め寄らずにはいられない。 あの日告解室ですれ違った由良久秀が、あまり彼には似つかわしくないショコラ専門店から出てきたのを捉えると、一気に距離を積め、彼の腕にしがみついた。「由良さん、教えてください。あの人はどこにいるんですか、あの人に会わないと納得できません、教えてください、教えてください、あの人の眠る場所を教えてください…っ!!」 前置きもあいさつも何もかもを吹き飛ばし、訴える。 タバコを手にしていた彼の、苦虫を噛み潰したような表情が、更に硬くなった。 だが、一の願いをむげに振り払うこともなく、どこかで何かを諦めたかのように、由良はぼそりと場所を教えてくれた。 ムジカとともに埋葬したという、『彼』の墓の場所を。「……ただし、行くなら《奈落の底》に落ちる覚悟をするんだな」* ヒトはヒトを殺す。 ソレを罪だとヒトは言うのだろう? だが考えてみたまえ。 それ以上の罪がここには存在しているのではないかね?* 樹海を見下ろすことができる、ターミナル外周のがらんとした空き地。 墓碑もなければ、花が添えられている様子もない。 由良はここに囚人を埋葬したと告げたが、それにしてはあまりにも杜撰に過ぎる。 それに、自分と同じように囚人に想い入れていたはずのムジカはいつもどおりだった。死を悼むでもなくいつもどおり過ぎて、不可解で、何かがオカシイのだと一の勘が告げた。 これももしかすると、あの人が用意した《舞台》で《ミステリの作法と掟》を基礎として思考し続けた影響なのかもしれない。 気づけば、素手で穴を掘っていた。 墓を暴くこの姿を、気が触れたと見る者もいるだろうか。 だが、一はそんなことに構う余裕などなかった。 掘って掘って掘って掘って。 掘り続けて。 そして、土の下から現れた《囚人の死》の形をもって、疑惑は確信に変わる。「どういう、ことですか……どういうことなんですか、ムジカさん!」 ここにはいない相手に向けて、糾弾にも等しい想いを言葉に代えてぶつける。 当然、応えはない。「……だったら、探し出しますよ、あなたのこと」 エドガーと名付けられた鉄仮面の囚人、妖精郷に向かう自分に『気をつけたまえ』と声を掛け、まるで師のような眼差しで自分を肯定してくれていた人。 彼に会いたい。 どうしても、会いたい。 なぜ、こんなにも彼を思うのか、分からない。 それでも、解くべき謎がまだそこに在るのだと言うことにほのかな喜びすら覚えながら、決意する。 死の真相を暴き、彼を必ず探し出し、問いかけるのだ。「待っていてください、エドガーさん」 * 本来あるはずのない場所に持ち込まれたテーブル、そこにランプが灯る。 匣の中に作られた闇の底で、ムジカ・アンジェロは、ささやかな茶会のごとく簡易的にティーセットを並べていった。「もうすぐ由良も戻ってくるはずだ」 声を掛ける、その視線の先にいるのは、ひとりの男。「ムジカ、君は本当に興味深いことをする」 ランプの明かりに浮かび上がる景色を眺め、歩き回りながら、彼はくぐもった笑い声を洩らす。「ここを選んだ趣向がまた面白い。君は何を演じるつもりかね?」「おれはただ、あなたの口からあなたの言葉が聴きたいんだよ、エドガー」 エルトダウン家の元当主にして、ホワイトタワーの囚人。長きに渡り、全頭型の鉄仮面で素顔を覆われ、その存在を秘されてきた男。 かつてはホワイトタワーの最下層に、現在はターミナルの外周に埋葬されているはずの、《鉄仮面の囚人》が、そこに居る。 彼は過去を知り、現在を知り、秘密を知り、ターミナルを知り、罪を知る。 だから、策を弄した。 ナラゴニアの戦禍はまさにムジカにとっては恰好のタイミングであり、アレがなければどれほど願おうと叶えることのできなかったことかもしれない。「あなたはこれから何をしたい?」「何をしたい、と問うがね、私はすでに私がなすべきことを知っており、そうして始める時が来たとは思っているのだよ、ムジカ」 口調は穏やかだ。 しかし仮面の奥の瞳は、欲しがっていたおもちゃをプレゼントされた子供のようにキラキラと輝いている。「君のおかげだ、ムジカ。しかして、君は私に何を望むのかね?」 不吉なほどに彼の声は弾む。「鉄格子を挟まず、いまならば私は君をハグすることすらできる」 不意に、暗闇に靴音が響いた。 面倒くさそうに頭上から垂れ下がる幕を押しやりながら、姿を現したのは、画廊街まで買い出しに行かされていた由良だった。「やあ、おかえり」「あんたにチョコを頼まれたせいで、あの爆走娘に問い詰められたんだが」 どうしてくれる、といわんばかりに不機嫌な凶相で、由良はムジカを睨みつけた。「ああ、なるほど」 その言葉だけで、ムジカは状況を理解する。「だったら、もしかすると彼女はここを突き止めるかもしれないな」「ほう、ヒメがここへ来るのかね?」 かつて《閉じ箱》の中でロミオとジュリエットの物語を綴って見せた囚人は、鉄仮面の奥で目を細め、ゆっくりと席に着き、足を組み、テーブルに手を組んだ。 「ところでヒサヒデ、君は君でどうやら私に問いたいことがあるようなんだが?」 話を向けられ、由良はさらに眉間のしわを深めた。「ここに来る途中で、噂を聞いた。鉄仮面をかぶった殺人鬼が司書の命を狙っているという話があちこちから聞こえてきている。あの爆走娘が食い下がってきたのも、その噂を聞いたせいだろ」「……鉄仮面の……」 ムジカの目が、複雑な色を帯びて閃く。「私はここにいるのだがね、ヒサヒデ?」「ああ、あんたはここにいた」 いともあっさりと肯定し、「だからあんたが直接殺して回ってるとは言わんが」 糾弾するつもりはないが面倒ごとは避けたい、というのが由良の本音であるのかもしれない。 少なくとも、彼がここからひとりで出て行った痕跡はない、だが彼が出歩いていないという証拠も本当のところはどこにもない。 ここには、いまだ知られていない隠し通路が地上へと続いている可能性もあるのだから。「私はここにいる。だが、鉄仮面の殺人者が出現しているという。どれほどの矛盾を感じようとも、司書の予言に間違いはないのだから、歴然とした《事実》として捉えねばならないだろう?」 今日の茶請けはこれにしよう、と鉄仮面の囚人は笑い、口にする。 問いがあるのなら、答えることもする。 そう言いながら、彼は問いかける。「ヒトがヒトを殺す、その罪以上の罪がここには存在しているとも思うのだがね? もちろん! ヒトは感情の生き物だ。罪の在処さえも感情で決める。……ああ、これもまたひとつの命題になり得るやもしれんが、どうだろうか?」 ロストナンバーたちに与えられた時間は膨大だ。 何かを思考するには十分すぎる時間が与えられている。 ここで何が起きているのか、自分は何を思い、何を感じ、どうしたいのか、それを思考する時間もまたもしかすると無限に用意されているのかもしれない。「ムジカ、ヒサヒデ、我が愛しき友人たちよ。ヒメが辿り着いたのなら同じ問いを繰り返してはみるが、さて、君達はどう考える?」=========!注意!企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。<参加予定者>ムジカ・アンジェロ(cfbd6806)由良 久秀(cfvw5306)一一 一 (cexe9619)=========
†あなたしか見えない 樹海を見下ろすターミナルの境界から、泥にまみれた姿で、一はまっすぐに駆け続ける。 ムジカ・アンジェロという人間について、それほど深く知っているわけではない。 ただ、彼の思考回路が《何》を重視しているのかはある程度分かるつもりだ。 美学――その言葉にすべてが集約される。 「ムジカさんなら、全然無関係な場所にあの人を連れて行ったりしない」 これは確信。 でもあの人に会うのなら、ただ居場所を突き止めるだけではだめだ。 自分は謎を手にしている。 世界最初の世界司書、アイリーン・ベイフルックをあの人は殺した。 なぜ? あの人はどんな想いを抱えて、彼女を手に掛けたのだろうか。 見えない鉄仮面の下の素顔に、どんな真実が隠されているのだろうか。 知りたい。 あの日あの時、本当は何が起きたのか。 すべてを見透かした眼差しを投げかける、あの人の《真実》に手を伸ばしたくて仕方がない。 網膜の裏側に、彼の狂気にも似た強い光を宿す瞳が焼き付いている。 鼓膜にも、彼の穏やかで張りのある声がわだかまっている。 “すばらしい! ヒメ、君の物語は実に独創的だ” かつて、自分に謎はいらないと宣言した。 なのに、いま自分はあの人の《謎》を解き明かそうとしている。 他者の秘した領域に踏み込んででも。 どんな手段に訴えてでも。 ターミナルで起きている事件が棘のように自分に突き刺さってくる。 その痛みを知りながら、アーカイブ遺跡を目指していた。 たぶん、これを正義だとは断じて言わない。 †罪が見えない 「そうだ。一が来てくれるなら尚更、彼女以外の客人は歓迎できないな。人払いをしておかないと」 ムジカはそう言って、オウルフォームとなっている自身のセクタンを《外》へ放った。 ミネルヴァの眼がすべての状況を細やかに伝えてくれるだろう。 「待ち侘びているのだね、ムジカ?」 「彼女なら、と思ってはいるんだ。不思議とね」 「ロバートとベンジャミンもヒメを気に入っているようだ。あの子の真っ直ぐさは危ういほどだが、なるほど探偵とは、自身と掛け離れた存在に刺激を受け、そういったものを好むのだね」 「あなたは?」 「君は私を探偵だと思うかね?」 「探偵にもなり得るとは思うけれど」 「殺人鬼と探偵は表裏一体、君はソレを知っているモノだったね」 言葉遊びに近しいやりとりを繰り広げる2人を横目に、由良は無言のままにふと思い立って、周囲を歩き回りはじめた。 幕を払い、側に立てかけられた姿見の裏を覗き込み、積み上げられた木箱の位置を確認していく。 「なにをしているのかね?」 「あんたが言ったんだ。抜け道はあるかもしれないと」 「私が事件を引き起こしていると? 例え抜け出したとしても、現在進行形の犯罪現場には向かえないと思うのだがね?」 「可能性は潰しておくに限る。そもそも、鉄仮面の殺人鬼がそう何人も無関係に増殖しているとも考えにくい。あんたの配下にあると考えることだってできるだろう」 裏が見えてこないからこそ、漠然とした不安と猜疑心がふくれあがるのだ。 「あんたならその鉄仮面の殺人者に対してどうする? 弾劾するのか、擁護するのか、煽動したのか、そのどれでもないのか?」 鉄仮面の殺人者――それが彼自身でないとどうして言い切れるのか。 いや、鉄仮面をしている、ただそのひとつの符号ゆえに、彼が関連していないはずがないのだ。 「あんたの情報源も気になっている。オレたちが遭遇したインヤンガイの一件も、あんたは当然のように知っている。黄龍の情報網はレディカリスのようだが、あんたはどうなんだ?」 もしかして何か仕組んでいるのではないか、と疑い出せばキリがない。 あまりにも知りすぎている。 いっそその存在を亡き者にしてしまいたいという衝動に駆られる程度には、自分の罪を、ムジカの罪を、ありとあらゆる者たちの《罪》を把握しているのではないかと思えてしまう。 「情報とは張り巡らされた糸を伝ってやってくるのだよ。糸をどこにどのような強度で張っていくのか、それをどのように維持していくのか、育てていくのかで、質も量も変わるだろうね」 そう言ってから、囚人はムジカにも視線を向ける。 「君も私の情報網を気に掛けているようだが、何、長く生きていれば可能なことは多い」 そして徐に、彼は笑った。 「ヒサヒデ、怯えることはない。君の好きにしたまえ。それはけっして罪ではない……いや、罪ではあるのだろうけれど、罪とは暴かれて初めて罪と認められるのだしね」 まるで由良の瞬間的な殺意を察知したかのように鮮やかに言葉を紡ぐ。 「探偵が暴かなきゃ、罪じゃないと言うつもりか?」 「ベンジャミンに会ったのだろう? あの子の業も、ロバートの業も、何よりムジカ・アンジェロという存在を君は誰より傍で確かに見てきたはずだ」 じりりと焦げ付くようなニオイを鼻先に感じる。 そうして誘われるように、視線は鉄仮面の囚人から、数少ない友人であるところのムジカへ向けられる。 嫌っているわけではない。 振り回されている自覚はあるし、厄介だとは思っているが、不愉快というわけでもない。 だが、時々、そう、時々……ふとした弾みで芽生える殺意を抑えきれないのだ。 目撃者がいなければ、その背を押していたかもしれない、その首をへし折っていたかもしれない、その背にナイフを突き立てていたかもしれない。 ヒトがヒトを殺す、それがさしたる罪でないのなら、自分ももっと思うままに―― †真実は見えない 一は、泥だらけの姿のまま、館長邸に出向いているというレディ・カリスの元へ走っていた。 門前払いを受けるかと思ったが、誰かに見咎められるより先に、幸運にも彼女との接触に成功した。 「あら、あなたは」 彼女はひとり、庭園を歩いていたからだ。 「《あの人》の話がしたくて、カリスさんを探してました」 単刀直入という言葉をそのまま体現する恰好で、一はカリスが自分を認識するのとほぼ同時に告げた。 「もう永久に解くことのできない《あの人》の、せめて思い出話を聞かせてくれませんか?」 その願いを彼女はどう捉えるのだろう。 あるいは叱責を受けるかと思った。 しかし、カリスは嘆息したのだ。 「本当に執着しているのね。おかしな火が付いたまま暴走している。忠告はしたはずよ。ベンジャミンも、関わってはいけないと言ったはず」 「でもやめられません」 「その様子だと、きっとあなたはアーカイブ遺跡に入り込もうとしたのでしょう? “彼女”の記憶を見るために」 ぎくり、としなかったと言えばウソになる。 「昏睡事件の報告は受けています。その騒ぎに乗じて壺中天からのアクセスもおそらく考えたのでしょう? けれどそのすべてが失敗したのではなくって?」 まるで探偵のように、一の行動すべてをカリスは言い当てていく。 なぜそれを、ということはできない。 認めてしまうことになるから。 だから、一は笑う。 「呆れちゃってますよね? でも望んで得られないのなら、せめて、誰かと語りたいと思ったんです……私はあの人に関わることをやめられないから」 「あなたのその笑顔はまるで……いえ、いいでしょう……」 カリスの表情は曇る。 凛とした赤の女王ではなく、エヴァ・ベイフルックとして、彼女は一に対峙してくれる。 「あの方は誰よりも《謎》を愛していました」 「謎?」 「ベンジャミンが謎を暴く側だとしたら、あの方は謎を作り出す側。シェイクスピア劇を幾度も上演してくれたけれど、そこにはいつだってあの方流の謎が提示されていたわ」 「あの人、演劇してたんですか?」 「ヘンリーは観劇趣味があった。彼がターミナルに建てた劇場を誰よりも喜び、誰よりも愛したのは間違いなくあの方でしょう」 一は囚人の素顔を知らない。 だが、カリスは彼が彼の姿のママで舞台に立っているところを見ているのだ。 それを羨ましいと感じるのはどういうことなのだろう。 「もしかして、ロミオとジュリエットの時も」 「一一さん、この世には“解いてはならない謎”もあるの」 そこでカリスはきっぱりと告げる。 「解いてはならない、謎……」 これ以上の一切を語ることはないのだろう。 それを見て取り、一は深々と頭を下げた。 「ありがとうございました」 あとはもう、行くべき場所はひとつだ――ポケットの中に忍ばせたものを握りしめ、一は走る。 †真実だけ見えない 「ヒト殺しは本来《重い》罪であるはずだ。だが、ここじゃ人殺しが絶対的な罪にはなっていないのはわかる」 指標がない、というのが由良の率直な感想だった。 そしてそれはムジカの中にも、憂いにも似た危機感とともに留まっている。 「罪は罪だ。如何なる理由があろうとも、そこに免罪符なんてモノは存在しない。だけど」 そこで一度ムジカは言葉を切り、そして、 「この街に本当の意味では《罪》は存在してない。なぜなら罰すべき側がそもそも罪の基準を曖昧にしてしまっているから」 自分は見てきたのだ。 ロストナンバー達がチケットを手にし、異世界へと旅立つ、その先で法を犯し、ヒトを殺し、街を破壊し、時には世界すらも大きく揺らがせてきたのを。 なのに、罰せられることはない。 罰することをしない。 「おかしな話じゃないか」 誰が定めた法なのかと。その判断基準は一体どこにあるのかと。 「なのに、あなたは百年の時を奪われた。あなたが何をもってその“断罪”を受け入れたのか、おれには分からないんだ」 「ひとり殺しただけでは、ホワイトタワーへ収監するには値しないほど《軽い》かね?」 「釣り合わない、と思う」 穏やかに、けれど揺るぎなく、ムジカは思考を重ねていく。 あの日、《ロミオとジュリエット》の物語になぞらえて幕を下ろした《箱庭の謎》を真実解き明かすために。 「最初の世界司書、アイリーン・ベイフルックの殺害のみで収監されたとは、やはり思えない」 「そうかね」 囚人は、微笑んだようだった。 「いや、一応命には軽重があるだろ。ターミナルだからこそ、価値基準がある。それも明確に」 無然とした表情のまま、由良が言葉を挟み込む。 「ファミリーからしてみれば、ツーリストの一般人が殺されるのと、同じファミリーの、それも図書館を導く司書が殺されるのとじゃ、意味合いは違ってくるはずだ」 そして自分の命は間違いなく軽い方だろう、と繋げた。 「私を解放したことも、ある者にとっては罪と呼ぶかもしれないな」 「糾弾される覚悟はしている。ただ、おれはあなたに自由になってほしかった。ただそれだけで、その願いの成就に掛かってくるあらゆる厄災を引き受ける覚悟も既にしている」 そうはっきりと宣言してから、ムジカはシンプルな仮面を差し出した。 「その仮面では目立ちすぎる。もし必要なら、これを使ってもらいたい。なんなら元の名を捨て、新たに旅客登録するか? 望まないなら、それはそれでいいけれど」 「面倒ごとは避けたい。とっとと別人になってくれ」 「君は本当に、ただ私に自由を与えたいだけなのだね」 そこにどのような想いが傾けられているのかすら、彼は了承しているようだった。 そうして囚人が差し出された仮面を手にした瞬間、 「……来た」 ムジカは待ち侘びたものの来訪を知る。 ミネルヴァの眼が、最後の役者がそろったことを告げてくれた。 すべての罪の始まり。 閉じ箱に秘された物語の舞台。 ヘンリー・ベイフルックが建て、数多の《謎》を振りまいた曰くの円形劇場に、謎に取り憑かれた少女が騒々しく舞い降りる。 全身にみなぎらせた力は一体何であるのか。 一はここへ辿り着いた。 たったひとりで。 「見つけた、ムジカ・アンジェロ! その人を返せっっ」 ダン――っ! 突きつけられた台詞は、まるで囚われの姫を奪還に来た騎士のようだった。 †あなただけ見えない 「オレはコイツに嵌められたんだ」 咄嗟に口を突いてでた由良の言葉に笑いながら、ムジカは嬉しそうに告げた。 「ようこそ。君ならきっと辿り着けると思っていた。その推理過程を聞いても?」 「あなたなら、美学に則った場所を選ぶ。いくつか候補を絞りましたが、あなたが鉄仮面の囚人を秘すなら、絶対に彼に無関係な場所なんか選ばない。演出もきっと最大限考える。始まりが虚構なら、あなたは“虚構”にこだわり続けるはずだし、他の誰が分からなくても、関わった人だけは辿り着ける場所にすると思いました」 あがった呼吸を落ち着けるように胸に手を当て、深呼吸をひとつ。 そして、 「由良さん、“奈落の底に落ちる覚悟をしろ”って、アレちゃんとヒントだったんですね」 「そんなことをしたんだ?」 「……うるさい」 苦虫を数百匹ほど噛みつぶしたかのような表情で、由良はムジカの揶揄を塞ごうとする。 「それで、おれを糾弾する?」 「いえ、タイミングが違えば私も同じ事をしていました。だから、それを責める資格はないんです。それくらいは自覚してます」 そうして、一は座した囚人へとゆっくりと向き合い、告げた。 「あなたを、迎えに来ました」 またしても、気持ちが複雑に揺れる。 泣けばいいのか、笑えばいいのか、怒ればいいのか、喜べばいいのか、自分の心ひとつままならない。 ただ鼓動だけは確かに速度を増していく。 「あなたの用意した閉じ箱の謎を、私はずっと追いかけてきました」 そのリズムによって、言葉でたたみかけていく。 「レディカリスに会いました。ベンジャミンとも、金貨野郎とも話しました。アーカイブ遺跡にも行きました。あなたを失ってから、ずっとずっとあなたの《謎》を追いかけてきました。知りたくて知りたくて知りたくて、どんな手を使ってでも真実に辿り着くと決めてました」 「答えは出たかね、ヒメ?」 その問いへは、沈黙。 そして。 「もう、逃がさない……!」 あり得ないほど真っ直ぐに、一は囚人目掛けて地を蹴り、駆け寄り、飛びつき、そのまま胸元を掴んだまま全体重をかけて押し倒す。 「あなたの真実を教えてください。何も分からない、何ひとつ分からない、あなたはジュリエット……いえ、アイリーン・ベイフルックを愛していたのだとは分かった、でもそれ以上の何ひとつ分からなかった!」 自分には探偵の素質がないのだと、思い知らされる。 それでも求めることをやめられない。 「虚構ではない真実を、答えろ、鉄仮面の囚人っ!」 だから、振り上げ、振り下ろした。 遺跡で拾い上げていた奇妙なカタチのノミを振り下ろした。 かんっと鋭い金属音を響かせて。 仮面が割れる。 その下から現れたのは―― 「百年ぶりに頬が外気に触れている……久しく忘れていた感覚だ」 心地よさそうに目を細めて、彼は笑う。 「え」 「エドマンド、前館長……?」 正確には、違う。 だがその顔は、アリッサの叔父であり、ロバートの従兄弟でもあり、パーマネントトラベラーとなって放逐されたエドマンド・エルトダウンに、あまりにも酷似していた。 ただ少しだけ長く齢を重ねている。 ムジカは鮮やかに思い出す。 一言一句違えずに、この場所でかつて彼が自分に向けて告げた台詞を。 『この物語にエドマンドは登場していない、だが、エドマンドとエドガーの名が並べば、君の最初に提案した【リア王】の物語が構築され、その物語によって別の昔話が構築される楽しみが生まれる』 「あれは、そういうことだったのか」 「ムジカ、我が素晴らしき友人、君の探偵としての資質はやはりとても興味深い」 「エドマンド前館長の両親は、ロストナンバーになる前に亡くなったと聞いたが?」 「ヒサヒデ、君はそれを自らの目で観測したかね?」 「いや」 「言葉は如何様にも変えられる。歴史もまた、如何様にも。時には自ら観測したことにさえ虚構が混ざり込むというのに、なぜ人の言葉を信じられるだろう?」 そうして、まるで他人事のように、あるいは小説の解説でもしているかのように、告げていく。 「エルトダウン家当主にして、世界図書館初代館長の父親、それが殺人犯であることに、ファミリーはどうしようもなく苦慮したのだろうね」 それから改めて、自分にのし掛かったままの一へ穏やかに微笑んだ。 「さて、なぜ素顔を隠されたのか、その理由を君達は知ることになった」 閉じ箱の観測が行われたのだと、彼は言う。 「自らの手により真実に辿り着いた我が愛しき友人、ヒメ、君にも茶会での命題をなげかけるとしよう」 100年以上にわたって隠されてきた《秘密》がひとつ暴かれた。 その上で、彼は問う。 「ヒトを殺すよりなお重い罪とは何か、君はどう答えるかね?」 極上の愉悦を知るモノの、ゆったりとした笑みが広がる。 それを真正面から受け止め、一は答える。 ここに来るまでに、それについて自分はずっと考えてきたから。 「あなたにとっての罪は、忘却……思えば、あなたは初めて会った時からずっと、……ずっと、そのことに触れてきたように思います」 『ターミナルは停滞しているのではない、ただ、移ろいに人々が無関心で居続けるだけの話。移ろいながら忘却の彼方に封じられた箱の中身を、諸君らは覗いてみたいと思わないかね?』 「聞きたかったことがあります」 問いに対して、問いで返す。 「あなたはずっと、彼女がロストメモリーになったことを、哀しみ、憎んでいて……だから、殺してしまったんじゃないですか?」 忘却は罪だというのなら、自分を忘れ去ってしまった《彼女》への、アレは罰だったのではないのか。 「ああ、ヒメ……君は果てしなく切ない問いを投げかけるのだね」 かつては牢獄の鉄格子に遮られて、触れることのなかった手。 それがいま、一の髪に触れている。 まるで父のように、師のように、大きな手で一の髪を撫でつける。 「後悔しているといって、それが許されるのかね?」 声だけではない、瞳だけではない、いまや彼が作る《表情そのもの》を、一はダイレクトに自分の目で認識できる。 「罪は、許されると思うんです」 罪人は永遠に罪人であるのか? その答えは否、だ。 「悔いているなら、その罪はもう償われてると私は思います。人を罰するのが人なら、人を許すのもまた人……心なんです」 真摯に、一は答える。 「もしもあなたが本当に悔いているのなら、私は……私はあなたを救いたい。あの、チェンバーがあるんです、黄昏のチェンバー、きっとあなたも気に入るはず」 心が弾んでいくのを自覚する。 ほしかった言葉であったのだと自覚しながら、正義のヒーローを目指していた少女はいま、探偵であるムジカと同じ提案をしていた。 罪で知りながら、罪を許容して。 「……ヒメ」 彼は穏やかに、哀しげに、愛しげに、視線を伏せた。 そして、 「さて、楽しいティータイムもそろそろ終わりだ」 一に触れていた手が、ふと遠退く。 それを名残惜しいと思ってしまう自分に戸惑う間に、彼の手は事も無げに一の身体を抱き上げ、脇に座らせ、自らは容易く立ち上がってみせた。 彼の伸びた髪がさらりと、自分の頬に触れる。 一はその姿を見上げた。 彼は微笑む。 「ヒメ、私は憎まずにはいられない。私から彼女を奪ったすべてに呪詛を吐き続けてしまう、その憎悪は彼女の命を奪った自分自身にも向けられるのだよ」 その瞳の奥に揺れるのは、深淵。 「罪を悔いれば許されるというのかね、ヒメ? 悔いながら、なお、罪を重ね続けるモノに救いはあると思うかね、救われる価値があるかね?」 またしても問いだ、心揺るがす問いかけだけが増えていく。 「ヒサヒデ、なに、自分の欲望に忠実であることは尊い。すべての覚悟ができたのなら、あとはもう好きにやるといい。そうでないのなら、隠したまえ、全力で、暴かれる側ではなく暴く側で居続けたまえ」 「言われるまでもない」 「ムジカ、君はもうすぐ孵化するだろう。既にその片鱗は覗えているのだがね、私は君の変化を心待ちにしている。その日まで、私はこの仮面をつけているとしよう」 ムジカの用意した仮面をつけ、 「そうだ、ひとつだけ。正解に手を伸ばしていたヒサヒデのために、種明かしをしてあげよう」 そういった囚人の身体が、不意に大きく左右にぶれた。 ぶれた瞬間、彼の傍らには彼と同じ姿をした《鉄仮面の男》が数名佇んでいた。 実体なく揺らめく、同質の奇妙な存在。 「私の下に鉄仮面は生まれ、この私によって悪意は増殖していくのだよ」 これから起こることが、容易に想像がついた。 彼は囁くだろう。 悪意を具現化し、世界司書を、ロストメモリーを、思うままに殺していくのだ。 自分の手ではなく、絶望を宿したロストナンバーの心の中に入り込んで。 「この街に、ヒメが求めるような“法”も、ムジカが求めるような“法”も厳密には存在していない」 消える瞬間、彼は告げた。 「それでも“正義”を振りかざすのであれば、罪を糾弾するのであれば、砕け散る己の魂の音を聞く準備をしたまえ」 そして。 そうして。 原初の罪を内包する劇場には、ただ3人だけが取り残される。 「私は、どうしたら……悔いているなら、救いたい……でも、悔いながら罪を重ねていくんだといわれてしまったら、私は」 惑う一の傍らで、由良は冷淡にも考える。 そもそもアレを演技でないとなぜ言い切れる? あの男は――エドガー・エルトダウンという名を与えられたあの男は、《演者》なのだ。 言葉を操り、場を操り、心さえ作り出す。 だが、あえてそれを由良は一に告げなかった。その一言で救われるかもしれないのに、どうしてそうしなかったのか、理由は分からないができなかった。 「すべての責はおれにある」 解き放ってはいけないモノに、ムジカは《自由》を与えた。 100年以上もの間、隔離され続けた囚人は“再び”世界司書を殺すだろう。 「……だが、もしおれを裁くなら、私法ではなく正当な法の存在を示してもらいたいな」 ムジカはすべてを覚悟したカオで、ゆるやかに歌うように告げる。 やがてターミナルではダイアナ・ベイフルックに関わる大きな動きとともに、五重螺旋の紡ぎが開始される。 その混沌とは別のところで密やかな《悪意》が進行することになるのだが、それはまた、別のお話。 END
このライターへメールを送る